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日記もご無沙汰です。 昨年10月に亡くなった父の、お墓が出来たので納骨してきました。 住む人の居なくなった実家の、山肌に沿って、海を望む場所に、こじんまりとした綺麗なお墓でした。まだ納骨されていない空っぽのお墓の花立にはお花が供えてありました。近所の知り合いの方がお参りして下さったのでしょう。有り難いなと思うのと同時に、とても寂しい思いもありました。とうとう、こんな所に入ってしまったね..... 家人を無くした家と同様に胸の奥もポッカリと、埋めようもない大きな空洞が出来た気がしました。こんな日は永久に来てほしくなかったけれど、今ここにいないことが現実なんだと、それだけが、ただただ悲しいです。どれだけ時間が過ぎても、会いたくて会いたくてたまらず、自分がどんどん幼くなっていくような気がしました。今になって父がどれほど寂しかったか、愛してくれていたか、思い知って辛いです。 暗い暗~い日記になっちゃいましたが(汗)、わたしは元気です。楽友さんもどうぞ元気でありますように。。。
2013年04月28日
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昨日でも十年後でも変わらない 君がいない日 ずっといない日気温がマイナスになった今日、昼間も道路の雪は溶けることなく凍った地面を粉雪が滑っていきます。夕方から旦那さまの実家で年始の集まりがありその前に家族四人初詣へ行きました。私立を専願で受験する長女のために必死でお参りしてきました。おみくじは旦那さまとわたしは小吉。一年中寝ていても起きていてもポジティブで元気すぎる(五月蝿いとも言う)長男は大吉。来週試験が待ち構えている長女は末吉という結果でした。日頃信心などないのに学業のお守りまで買って五月蝿いくらい鐘をガランガランと鳴らしたりして勝手なものですね。勉強もさることながら、完全夜型で朝が全く駄目なことが心配の種な長女です。心配は尽きませんが出来るだけ緊張させないように支えられたらいいんですが‥‥長女の新しいスタートの年になりますように。ここももうすっかり日記というよりただのつぶやきになってしまっていますが、今年もどうぞよろしくお願いします。
2013年01月03日
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今日はよく見えているねと窓の向こう遠く霞むは佐渡の山並み父が最初に入院していた病室からは、お天気のいい日には佐渡がよく見えました。この時はまだ歩くこともできない状態だったので一番見たかったであろう父はそれを見ることはありませんでしたが。せめて写真でも‥と思ってもわたしのボロ携帯では写りもせず(泣)それも叶わないまま転院してしまったのでした。次の日曜日に兄姉とその家族数人だけで四十九日の法要をします。法要‥でいいのかな?宗教上言い方が違うのかもしれないので子供には「じいちゃんの‥ナムナムする日」と説明してますが(笑)どうも雪になりそうで、佐渡からの船便と県外から来る道路状況が心配されるところです。こちらではもう雪道用のタイヤに交換してる車も多くなっていますが、関東辺りの車は冬用のタイヤを持っていないという人も多いと聞きます。兄もその一人だったようで、湯沢辺りの道が雪なら新幹線で来ると言っていました。‥お骨抱えて(苦笑)もう12月なんですもんね‥夏からがあっという間でした。つい先日のことのような気がします。ふいに‥突然襲ってくる寂しさが、亡くなって間もないころより辛く感じるのはなぜでしょうか。忙しさに翻弄されている方が気がまぎれるからでしょうか。時も場所も関係なく突然溢れてくる涙は顔がひどくなるので困りものです(苦笑)
2012年12月04日
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晩秋の晴れたある日の昼下がり優しい日差し君無い寂しさ昨日、父が亡くなってから初めて、病院へ行きました。まだ何度か足を運ばなければいけない用事がありますが、病院方面へ向かう道はとても怖く、緊張して震えました。色々と思うところもあり、どうしても泣きながらの運転になってしまいます。もういないとわかっていますが、ふと忘れて父の食べたそうな物に手が伸びてしまうとか、聞きたいことを電話して聞こうとして気付いたり・・・まだ本当に、この世界のどこを探してもいないなんて思いきれていない気がします。
2012年11月20日
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話したいことがふいに溢れても言葉の代わり零れる涙父の入院給付金の手続きがまだ途中で、具合が悪いのをおして書いてくれた自筆の書類も、本人が亡くなってしまったあとは無駄になってしまい、力ない父の文字だけが手元に残ってしまいました。代表だけで出来る保険と、相続という形になって子供全員の自書と実印、印鑑証明などが必要な保険もあって準備には時間がかかりそうです。父が生きている時には車を走らせて一気に用事を済ませようと動いていましたが、今は一つのことをするとそのついでに他の用事も済ませるだけの意欲がおこらなくてすぐ疲れてしまいます。保険の手続きは主にわたしで、島内在住の姉が主に役所関係をしてくれていますが、感情とは全く真逆の行動をしなければいけないので嫌な作業ですね。雨が多くなって気温もぐんと下がってきましたが、今週に入ったころから突然給湯器の調子が悪くなりました。近所の業者さんに見てもらい、中の掃除もしてみてもらいましたがどうも寿命なようです。そのうち(壊れる時が)来るぞ来るぞと思っていましたが、とうとう来てしまいました。浜風の当たる場所ですが15年もってくれました。近所に住む義弟のところへお風呂を借りに行こうとお願いしてありましたが、調子のいい時はシャワーだけは使えるのでどうにかなっていたんですが、今夜はとうとうシャワーも使えずじまいで義弟の家でお風呂を借りてきました。近所の業者さんにすぐ新しい給湯器と交換してもらうつもりで見積もりをお願いしていましたが、旦那さんがネットで見たら全然ネットの方が安いというので検索して他の業者さんでも同じ型番のものを見積もりしてもらったら、7万以上も安い(汗)。近所の業者さんには申し訳なかったですが背に腹は代えられず‥安い方の業者さんでは無料の現地調査もして下さるとあったので電話したらその日のうちに来てくれました。給湯器のリモコンを見て「わあー‥これまた随分と‥液晶が白黒タイプの久しぶりに見ました」と感心?されてしまいました(苦笑)。新しい給湯器はECOタイプのものにしました。高価な買い物ですが、ついでに、去年の年末に着火しなくなって修理してもらって今もまた着火が危うい台所のガスコンロも一緒に見積もってもらいました。給湯器と一緒に工事すると工事費が割安になるので、現地調査後の正式な見積もりと、近所の業者さんから出してもらった見積もりでは9万円程も差があって正直驚きました。初めての業者さんなので不安もありましたが、保証やアフターも大丈夫そうなので今日正式に発注しました。気温が下がったりお天気が悪かったりすると点火する力がもうないようなので、出来るだけ早目の工事をお願いしてただ今連絡待ちです。
2012年11月08日
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君いない時間だけが確実に過ぎてゆくのそれが悲しいお悔やみのコメントありがとうございます。まだちゃんとお返事できませんが嬉しく受け取りました。ふとカレンダーを見れば、ほんの一週間を過ぎたばかり。その間にあったことはちゃんと覚えていますが、父がいた日はまだ昨日のことのようで、その間にした葬儀などのことが現実でないような、不思議な感覚です。それでも、それまでただの物置状態だったリビングの隣の和室に、僅かな間だけ焚いていたお線香の香りが消えずに残っていて、それを嗅ぐ度にその間の出来事が確かな現実だったのだと思い知らされて辛いです。事務的なことをこなしていくために病院へ書類申請に行かなくてはならないのですが、どうしても足を向ける気持ちになれずズルズルと時間が過ぎていきます。結局死因は肺癌ということになりましたが、父に余命宣告をするべきだったんじゃないか、やっておきたかったことがあるんじゃないか、そして、亡くなる前日にわたしが担当医にお願いした点滴が‥それが、引き金だったんじゃないか‥わたしにそんな権限があったのか‥それをしなければ今日、今もまだ生きていたんじゃないのか‥。考えてもどうしようもないことだと知ってはいますが、少しでも一人になるとそればかりが浮かんできてどうしようもなくなります。周りからは優しい労わりの言葉ばかりをかけられますが、後悔だらけのわたしには、それが”違う、そうじゃない。”と思えて余計苦しくなります。亡くなる少し前、父が入院なんてするんじゃなかったと言った時に「じゃあ、帰る?」と言ったわたしに言った「今更遅い」という言葉が、わたしのした選択すべて間違っていたと、そんな風に思えるのです。今更考えても仕方ないんですけれどね。きっと誰もがわたしのせいじゃないと言ってくれるでしょうし、たとえそれが引き金だったとしても今更どうすることもできませんね。本当に”死ぬほど”弱っていたんだということがわたしにはわかっていなかったのかもしれません。少しでも楽になれば‥そう思ってしたことですが、辛そうな父を見ているのが辛かっただけなのかもしれません。元気になろうとしていた父に詫びるばかりですが本当に今更、です。こんなことをこんなところに書くべきではないのでしょうけれど‥考えるつもりがなくても気がつくと父のことを考えているわたしです。父の入院で人に会ったり外へ出る機会が増え、徐々に明るさを取り戻してきた長女は、昨日から2時間ほどですが学校へ行き始めました。教室ではない部屋で入試を目的とした勉強を始めました。父も最後まで長女のことを心配していて病室に通う長女が勉強するきっかけになるように本の話をしたり、幾つかのへんやつくりを紙に書いてそれぞれの部首を使う漢字を書いて、わざと「じーちゃんはこれしか思いつかないから続きを書いてくれ」と言って長女に漢字の勉強をさせたりしていました。長女の書いた漢字を見て字が物凄く上手だ、凄いなと大げさなくらい褒めて長女を喜ばせてすっかりその気にさせていました。そのやり取りが長女はとても楽しそうでした。もう亡くなる直前のことでしたけれど。だからどうか見守っていてほしい‥心からそう願っています。長女のこれから先を考えると希望のかけらもないような気がしていましたが、よく笑うようになった長女を見ていると思います。父がくれた未来だと。それから長女を心配してくれる色んな人の力も。わたし一人では長女に笑顔をあげることはできなかったな‥と、一人の無力さと感謝を感じています。
2012年11月06日
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十月二十六日、父が亡くなりました。 病院から、大量に血を吐いて意識レベルが下がったのですぐ来て下さい、と電話を貰って、すぐに向かいました。車を運転しながら兄や姉、近くに住む甥等に電話でそれを伝え、病室前に着くと、担当の先生が部屋から出て来たところでわたしに気付き、どうですか、と聞いたわたしを病室に促しながら、もう心臓は止まっているんです、と言いました。突然平手打ちされたような感じでした。ほんの3、4時間前に電話で話したばかりでした。 子供4人とその子供達がみんな集まって、亡くなった翌々日に火葬をし、父の家のある島内で昨日お通夜をし、今日葬儀を終えました。僅かな人数での友人葬という形で送りました。葬儀の今朝は結構な雨だったのですが、水平線に緩やかな虹がかかっていました。真ん丸な月も見えていました。 亡くなる前日には、お正月に食べたいものの話をしたりしていました。最後まで本当によく頑張って食べていました。亡くなった後の事をいろいろ考えたりしながらも、諦めてはいませんでした。だからこそ、その頑張っていた姿を思うと、悔しくて、悔しくて、本当に辛く、涙が止まらなくなってしまいますが、私たち子供とたくさんの孫達が全員集まっての見送りは大変寂しいながらも楽しい時間でもありました。みんな、本当に父が好きな連中ばかりで、笑ったり泣いたりしながら送りました。いなくなったことが今もまだ実感としてありませんが、父の遺してくれたこの絆は、父の大きさを物語っているなと感じます。ありがと。ごめんね。ありがとう。 まだまだ思い出すと辛く、まとまらない文章になってしまって読んで下さった方に申し訳ないような内容ですが、どうぞお許し下さい。
2012年10月31日
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過ぎた日の出会い別れを引き出しに大切に仕舞うその日も涙父が最初に入院した病院は、助かる見込みのある人を再優先に治療するためにある‥‥ということで体力的に何も出来ない父のような場合は、他の病院に緩和治療目的で転院します。その病院で、もって1~2ヵ月との宣告を受けて今の病院へ転院してきましたが、この17日で丸2ヵ月を迎え、今はとりあえず落ち着いた毎日を送っています。余命のことは、あまりに短かったため本人には知らせていません。そのせいか、本人は医者の言う通りにしていれば完治は無理でも退院出来て家へ戻って、その後は通院で何とかやれるようになるものと思っていたようです。ある程度の病状説明はしたつもりですが、実際、検査の結果もはっきりしないものなので「癌で、もう治らないんだよ」などとも言えません。さすがに入院生活も長くなって来て、最近は痰が絡んで辛いこともあるようで、毎朝廻って来る主治医の先生にそのことを言ってみたりしているようですが、もうこれ以上出す薬はないんですよ、と言われて、聴診器さえあてることもせず、さっさと行ってしまう。この態度は何度か居合わせて見ていますが、とりあえず顔だけは出さないといけない決まりだから出しているだけで、親身でも何でもない、はっきり言って嫌な態度です。ただでさえ不安な患者本人からすれば耐えられないものだと思います。今日行った時に父が思い余って言いました。もう治らないというようなことを言われたと、あと何ヶ月だとかそんなことを聞いてるんじゃないのか、と、無理矢理こんな所に連れて来られて、家に居ればまだまだ歩けてよっぽど良かった、と。あのまま家に居たら今頃とっくに死んでたよ、と言うと、それならそれで良かった、治らないならこんな所で生きてても何になる、ここで毎日ただただお前の顔だけ見てたって仕方ないだろう、と。じゃあ帰る?と言うと、もう遅い、と。本当に、毎日毎日毎日毎日‥‥治療ではない、慰めの薬を飲んで飲んで飲んで、美味しくもない同じ食事を無理矢理食べて食べて食べて食べて‥‥これを、風邪でもひいて病状が悪化するまでただ続けるのか‥‥本当言うと、ずっと疑問でした。入院したことで顔色はずっと良くなったし、沢山話せるようになった。けどほとんど歩けなくなってしまった。あのまま放っておけば良かった‥‥?余計なことをしたのか‥‥。父の大切な時間を私達の都合で勝手にしてしまったのか‥‥。私達の言うことを信じて、良くなるんだろうと信じて嫌々島を出て新潟まで入院しにきたのに、騙されたと恨んで後悔しているのかもしれません。今後どうするのか‥もう一度兄姉達と話し合わないと‥と思った今日でした。
2012年10月23日
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想い出は残酷想い出は甘美想い出は曖昧想い出は後悔想い出は幸せの香想い出は涙の隠れ家想い出は引き出しから溢れ想い出は二人の轍を流れ想い出は私を囲む想い出は貴方の住む場所想い出はぽろりぽろぽろ貴方の落とし物今日、長女と蔦屋へ行きました。それだけ?わざわざ書くことでもありませんね。でも。いつぶりだろう。長女が自分から行きたいと言って一緒にお店に入ったのなんて。ごくたまにわたしが買い物に行く時に車の後部席に乗ることはあっても、決して降りることはありませんでした。そうやってごくたまにでも外へ出てくれることが嬉しいことでした。少しでも外の町並みの変化や人を見てほしかったから。服は通販で事足りて、それ以外はわたしが買ってくる。髪を切ることさえ美容院へ行くのが嫌で自分で切っていました。外食も一緒に行きたがらないから家族で出かけることもなくなっていました。そんな長女が少し前には美容院で髪を切りたいと言い、先月父のお見舞い帰りに久しぶりに行った外食の後「久しぶり。美味しかった。また行こうね」と言った。父の見舞いに時々身内が来るようになって外食に出る機会が増えたこともいいきっかけになったのか、それから数回外食に出かけている。それだけでもわたしには感動ものでした。一度行った美容院が、近くで、若い子が行くような所ではないので安心感がもてたのか、今日また行きたいと言って連れて行きました。梳かすだけだったのですぐに終わって、その後父の病室を一緒に訪れました。人に会うのが苦手な長女ですが、おじいちゃん、おばあちゃんはまったく平気でいられるようです。お見舞いには沢山行こうと思っているようで、父には申し訳ないですが長女に関して言えば、父の入院は、外へ出るのも人に会うのも、いいきっかけになってくれました。そしてその帰り、借りたいCDがあったらしく、蔦屋に寄りたいと言いました。いつものようにわたしに頼むのだとはわかっていたのですが、後部席からわたしに借りてほしいCDの説明をする長女に、ほとんど期待もせずに「自分で見ればー?ママそんなの聞いても全然わかんないしー」と言ったら、「・・・そうしようかな」との返事が。内心ものすごく驚いたのですが、自然に振舞って、駐車場に入りました。「なんか久しぶりー」と言いながら車を降りる長女。わたしにぴったりくっついて歩いていました。店内はガラガラでやっぱり少しホッとした様子の長女でした。レジに並ぶ時、先に車に戻るだろうと予想していたら案の定車のキーを頂戴と言いました。でも、思い直したらしく「やっぱりいい」と言って一緒にレジに並び、一緒に車に戻りました。・・・たったこれだけ。何でもない一コマですね。でもこの間、ドキドキして平静を装うことに集中していたわたしでした。不登校になるより前にお店に入ることをしなくなり、小学校の高学年頃からもう一緒に並んで買い物をすることなんてなくなっていました。だから、不登校になってから暫くわたし自身が前向きになれないでいた頃、近所のスーパーで”お母さんと娘”という二人連れを見ると、長女がまだ一緒に買い物に付いてきてくれた頃を思い出して、とてもつらい思いをしていました。もう二度とそんな日は来ないのかな・・・そう思うと悲しくて悲しくて、できるだけ周りを見ないように買い物を済まして帰りました。だから、今日のことは凄く凄くうれしい出来事でした。小さな小さな出来事だけれど、長女にとっては大きな一歩。気分の浮き沈みはあるだろうけど、こんな日が一々記憶に残らないくらい当たり前になってほしい。春の高校入試に向けて一歩ずつ前へ。
2012年10月17日
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思い出の中をぐるぐる手で掻き回すように奥の方まで探ってみると思い違いしていたことや気付けなかった事がたくさんこれも、これもと見えてきたごめんなさいありがとうやっと気付けた今頃ひとり胸で呟く届かないと知りながら今更と知りながら気付けて良かったのだと後悔の背中慰めながら夕べは空気が澄んでいたのでしょうか。星が硝子片みたいにとても綺麗な夜でした。 最近また父の咳が出始めたようで、わたしが泊まっていない時に2日ほど連続で眠れないほど苦しかった夜があったらしく、そのせいでか食欲も落ち、元気も無くなってしまいました。昨日は横浜の兄が家族で病院を訪れてくれていましたが、元気の無さを心配したまま帰っていきました。わたしは色々な雑事で病院には行けず仕舞いで、夜遅くに病室を訪れて、そのまま泊まり込みました。付き添い人用ベッドは片付けてしまったので、病室の小さな応接セットの椅子に座ったまま寝ました。ずり落ちながら(笑)夜の付き添いをやめて昼間居るようにしよう、と思ってみたものの、なんだかんだと雑用やらしていると、なかなか長い時間病室にいることが難しく、結局夕飯を済ませた後に1時間程度いるだけ‥になってしまっています。一日中父のことを気にかけながらも、なかなか足を向けられない自分にも嫌気がさします。それならやっぱり夜の付き添いを復活した方がいいのかな‥でも家族のことを考えると‥うーん‥。全然頑張ってないから今のままだとまた後悔することになるのが目に見えてるのでちゃんとしなきゃ。‥ちゃんとする、という事が1番の苦手です(汗)
2012年10月14日
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華やかに夜の一時煌めいて朝に向かって薄れゆく星 暫く容態も安定して、部屋の中をよたよたと伝い歩きして一日中何かを口にしている父です。でもここ数日は朝に37~38度くらいの熱が出ているようです。アイスノンタイプの枕で頭を冷やすとすぐに下がり、長く当てていると体温が下がり過ぎたり。前の病院にはあった、寝たままオシッコが出来るタイプの尿器が今の病院にはないため、夜中に何度も起きるのも良くないのかもしれません。体も精神的にもしんどいことなので、水分をとるのを控えてしまい尿が濃くなってしまってそれも良くないんですが、管を付けてしまうと僅かでも昼間歩いているのが無くなってしまう‥さらに足腰が弱くなる‥難しいところです。夜の間だけ管を付けるというのは無理?毎日着けたり外したりは体に負担がかかって厳しいでしょうか‥。ここのところ痰の絡みも出て来て辛そうで、前の病院で言われた「冬まで‥もつことは難しいと思います」の言葉が頭を過ぎる今日この頃です。体の中でゆっくりゆっくり確実に何かが進行しているのか‥今これだけ元気に見えるのに何の治療もせず、ただその時を待つだけのような毎日でいいのか、本当に何も出来ないのか、何もしない方がいいのか、知識も経験もないですが、納得しきれていない気持ちの悪さが自分の中に沈んでいます。
2012年10月11日
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病室を訪ねた夜の帰り道 このまま君へ走って行けたら 昨日からなんだか頭の中がぐにゃんぐにゃんしています。風邪でもひいたかな?昼間と朝晩の気温差が激しいので体がついていけてないのかもしれないですね。気をつけないと、わたしが父にウイルス運ぶ率が一番あるわけで(汗)そんなことも含めて看病の役目って怖い立場ですね。 最近は夜の付き添いをしていませんが、消灯の前くらいに様子を見に行くようにしています。離乳食のような病院食にすっかり嫌気がさしているので、家で柔らかく煮込んだものなどを届けています。病院までの15分程度の道程を車で走るのは、一人になれる時間がとれて、家にいると考えることができないことをじっくり考えることができるので好きです。ですが、この季節、食べるものがないのかタヌキが住宅街をうろうろして、よく轢かれているのを見かけるのがつらいです。つい最近も病院からの帰り道で飛び出してきて焦りました。どうか飛び出してこないで、そう願掛けしながら今夜も走らせていました。
2012年10月10日
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まだそこに居てくれますか何時の日か日だまりの中語らう日まで
2012年10月08日
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お盆の頃の父はふと目を離した間に死んでしまうような気がして、常に、地に足が着いていないような変に現実味のない、不安定な精神状態でいたような気がします。わたしも含めて兄姉達みんなそれぞれの生活があるのは確かですが、父の顔を見るのはこれで最期になるだろうという覚悟で、まさしく今生の別れ‥と、お盆休みに集まった実家から孫達もみな、元の生活の場所へ帰って行きました。死ぬ前に一目顔を見ればそれで気が済むというものでもないでしょうが、何だか事務的なようにも感じて‥。ただ一人の親との最期かもしれないというのに‥仕事の休暇が決まっていたり色々あるのは確かなんですが‥冷たい印象を持っていました。本当はみんな‥誰一人覚悟など出来ているわけではなかったのでしょう。“覚悟をするための心の準備に”父の元へ集まったのでしょう。人一人の一生が終わるのって凄い大きな事。一人の人の一生というものを、やたらと考えた時期でした。でも覚悟って‥すっかりと諦めて勝手に終わらせてしまっている受け方ですよね‥。父本人は、最初の入院先の担当医が思わず苦笑いするほど「非常に前向き」だったことを思うと、身内と本人との温度差が掛け離れていた気がします。もう無理だ‥と決め付けて別れを覚悟するより、もっと父の気持ちで考えてあげれてたら‥なんて、今別人みたいに顔色がよくなってるから考えられるんでしょうけど。いくら家族でも、その人の人生はその人のもの。尊重すべきは本人の気持ち‥と理解していても、苦しみがある状態ではそれ‥本人の意思を尊重することは難しいことだと、想像でなく、知りました。 何だかいつも以上にまとまりのない内容になってしまいました(汗)
2012年10月06日
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傷ついて尚潔し君だからその儚さに惹かれるのでしょう 一番そばにいたいと思う人のそばに、わたしはいつもいない。 どうしてこうなるのだろうどうして今わたしはここにいるのかそう思うことが幾度もあります。今もまた‥‥。
2012年10月05日
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涙を拭うように拭い去りたいのですその苦しさをこの手でそっと雨宿りの軒のように守りたいのです崩れる肩をこの手でそっと暖炉の余韻のように温もり送りたいのです火の消えた未来にこの手でそっといつまでもいつまでも
2012年10月05日
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指折りに心待ちした懐かしい顔にほころぶ秋の夕暮れ転院して1週間が過ぎた頃、ようやく取れた痰で検査をしたところ、結核の疑いがあると言われました。結核なら毎晩付き添っていたわたしもうつっている可能性があり、ちょくちょく面会に来ていた家族もいまさたし、詳しい結果が出るまで落ち着きませんでしたが、再検査の結果は陰性ということでした。これが陽性だったらまた転院になるところだったので、そうそう転院が続くと本人が不安定になるかもしれない‥と心配でしたが何もなくよかったです。昨日、父の弟子にあたる息子同然の人がこちらへ来ました。わたしが生まれる前からずっと家族同然に一緒に暮らしてきた人で、数日滞在します。父は病室から毎日電話をかけて家の色々を頼んだり、どうということもない話をしていました。夕べはわたしの代わりに病室に泊まったので、わたしはひと月半ぶりに家のベッドで眠りました。病室で寝ながら、家のベッドで寝られる日を心待ちにしていましたが、なぜかよく眠れませんでした。ギシギシとかなり五月蝿い付添人用の簡易ベッドで寝ている時のように、何度も何度も目が覚めてその度に携帯の時計を確認していました。最近は父の状態も落ち着いて転院先の様子にも慣れてきたようなので、夜間付き添いから昼間の面会にしてみようかと考えています。本人にとっては心細いでしょうが‥やはりわたしがいないと子供の学校の様子が目茶苦茶になっているようで。父もまるで子供のようなのでどちらも気掛かりです。
2012年10月01日
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止まった時の向こうに落とし物拾い忘れて戻りたい戻れないそこにあそこに愛しい記憶の亡霊たち連れて行きたい共に生きたいオルゴールのぜんまいを何度も巻いて奏で続けよう止まらぬようにいつまでもいつまでも †・・・・††・・・・††・・・・††・・・・† ひと月余りお世話になった病院から今日、自宅から車で15分弱の病院へ転院しました。本当にあたたかくお世話して下さった看護師さん達ばかりですっかり情がうつってしまっていた父は、勝手の違うこちらの病院が何かと気に入らない様子。寂しそうというか元居た病院が恋しいようです。ベッドだけでなく病室も少し狭くなった上に、窓際に小さな応接セットが置いてあるのでわたしの簡易ベッドを置くスペースがやっと取れた感じです。今夜からは暫く冷蔵庫の運転音を真横に聞きながら眠ることになります(汗)この病院にどれくらいの間お世話になるかわかりませんが‥父の話に耳を傾けて下さる看護師さんがいればいいな‥と願います。
2012年09月20日
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空がまた高さを増して遠くなり 君へこの手がいつまで届く 台風の影響で日中は35度を超す暑さですが、木陰に吹く風はやはり秋らしく、とても気持ちいいです。父の容態も落ち着いていて、お腹が空くという訳ではないのですが病院の食事が物足りないようで、食べたいものをあれこれと注文しては、わたしが持って来たものをよく食べています。入院して暫くは、オシッコをベッドに腰掛けて自分でするということができませんでしたが、詰まって具合がよくなかった事もあり、今は管を抜いて自分で何とか出来ています。時々はそのついでにベッドの柵に捕まって足踏みしたりしています。昼間と夜では夜に付き添いの方がいいとは言っても、やはり昼間も居た方が不便がなくていいのですが、子供達を放っておくわけにもいかないですし、自分で身動き取れないのを置いて帰るのも、面倒がらずにちゃんと水飲んでるかなーとか、暇だろうなー、美味しいもの食べたいだろうなー‥とかいろいろと考えます。上の子の話し相手もしてあげたいし、週末になれば下の子のサッカーの試合や太鼓の演奏も見に行きたい。親と子供どっちが大事‥なんて比べられませんね。今日もフェーン現象でかなり暑くなるらしい。エアコンつけてちょっとお昼寝しようかな。
2012年09月18日
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なにもかも順調に見えていたあの日々を思い出すから近寄りたくもなかったこの道馬鹿の一つ覚えみたいに泣き暮らしてようやく通れるようになったけどやっぱりキリキリと痛い周りはみんな全てがうまくいっているように見えていっそ明日なんて来なければいい世界が消えてしまえばいいと心が叫んだそんな風に思うなんてと自分が惨めで人目を避けて足早に歩いた笑ってる君を見てホッとしてる支えたい君に結局 救われてる私***************仕事を辞めて一年と八ヶ月になります。予定ではもっと早く新しい仕事に就くつもりだったんですがだらだらと過ごしてしまいました。二十年以上も経理を含む事務全般をやってきて、漠然と自信のようなものを知らず知らず自分が持っていたことに、後になって気付きました。元々得意な事も無く資格の一つも無いとなると、私って空っぽだったんだなー‥と身に染みて感じました。仕事を辞めた理由は色々ですが、辞めてみて初めて気付けたことが沢山ありました。辞めるにあたっては随分悩みもしましたし、大変なことは山積ですが、辞めて良かったと心から思えます。今小学四年生の息子が一時期問題児で、毎日のように学校や学童から呼び出されたり、余所の子ともめたり、旦那さんの実家から出入り禁止だと疎ましがられたり‥と荒れていた時期があったり、今中学三年の娘が中一の夏休み明けから不登校になり、二年生の始業式に一度行ったきり今に至っていたり‥と、楽天をお休みしていた間はおかしくなりそうな出来事と向き合う日々でした。自分ではちゃんと見れていたつもりになっていた子供達に、そして自分がやってきたことに、真っ直ぐ向き合うことはとてもつらいことでした。真っ暗闇‥‥どん底───。前向きになれず、誰に相談することもできずただただ自分を責めて時を巻き戻したいと考えるばかりでした。時が経つ中で、私の気持ちが本当に助けてもらったのは子供達の同級生のお母さん達。息子が散々迷惑をかけたとしても、自分の子のようにきちんと叱ってくれたり褒めてくれたり、とても深く広い愛情をもって見守ってくれる。悪いことをしてもいいことをしても、沢山の目がちゃんと見ているんだと子供が知るということ。子供は地域全体で育てていくんだな‥って実感しました。娘のことも、情けないですが、周りではどんな噂になってるだろう‥なんて、近所で買い物する時に出来るだけ周りを見ないようにした時期もありましたが、娘を保育園の頃から知ってるようなお母さん達から当時の私からしたら目から鱗のような考え方を聞いたり、知人の不登校のお子さんの情報を教えてくれたり、元気にしている様子を聞いて「元気で笑ってるなら大丈夫だってーあははは」なんてあっけらかんと言ってもらえると悩んでるのが馬鹿らしく思えてきたりして───。周りの先輩お母さん方、ママ仲間達と話を重ねたことが何より気持ちを浮上させてくれました。中には心配そうに言ってくれても裏では勝手な噂を広げてる人もいます(苦笑)侮るなかれ、ママさん情報網(笑)。大変なことはまだまだこれから。面倒な問題も色々とあります。でも焦ってもしょうがない。ぼちぼち行こう。
2012年09月09日
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真ん中に君が居たから集まった 君が残してくれた繋がり殆ど健康な人でさえ十日も入院しただけで足腰が弱くなってしまうものです。体力も無く肉らしい肉も消えてしまった今の父にとってこの入院は、自力で立ち上がる力を奪うことを意味していました。ベッドの上でグーパーを繰り返したり、足を伸ばしたり曲げたり、少しでも出来る運動を心掛けて、疲れても頑張っていました。でも今朝、早朝にわたしが帰った後、ベッドの横に立ってみようとしたらしいのですが、力が入らずフラフラとベッドに座り込んでしまったようでした。自宅から戻って来た時に父から聞いて、わたしがいない間に危なかったな‥‥と内心かなり焦りましたが、父本人が一番ショックだったんだろうと思います。力自慢、病気知らずの自信を持って生きて来た人が、ベッドから出て窓の外の景色を見ることさえ出来ない。大勢居る孫まで引き連れて毎年色んな所へ旅行にも出掛けていたのに。山に実のなる木を植えて、きっと孫達に食べさせてやろうなんて考えていたんだろうに。病室の大きな窓から、佐渡の山々が遠く霞んで見えるのにそこまですら行けない。わたし達に連れてこられたこの病院の位置関係もわからず、自分が死んでしまうかもしれないという不安に怯えながら、ベッドに身を横たえるだけの毎日。せめて自分のいる場所の位置関係だけでも知りたいらしく、地図を買って来てほしいと言いました。二度と行けない旅の事でも思うのか、佐渡のことを思うのか、それとも、遠く離れた生まれ故郷を思い浮かべるのか‥‥。人一人の人生が終わろうとしている時、小さな願いだけでも叶えてあげたい、それくらいすべきだと思うのに、本当に願ってることは何一つ叶えられてない‥‥。最後まで諦めないから、痛みを味わわせたくないから、人は最期を病院のベッドで迎えることになるのだろうけれど、でも‥‥。人の一生って何だろう‥‥考えてしまいます。
2012年09月06日
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もう少しあともう少しと駄々こねる夏の終わりを雨が連れ去るこのところ毎晩のように空のどこかに稲光が見えています。一昨日は病院に向かっている途中でワイパーがきかない豪雨になって怖い思いをしました。追突しないように気をつけなきゃと何とか流れに乗って走っていましたが、反対車線で数台の事故が起きていて大渋滞していました。周りもよく見えないような雨で(雨のせいにしてしまおう (_ _ゞ)前ばかり見て走っていたものだから、うっかり車線変更し忘れ降りるインターを通り過ぎてしまいました。方向感覚というものが全くないに等しい上に二十年以上経ってもこの土地の道を全ー然覚えていないわたし(汗)。すぐ次のインターを降りてまたすぐ乗れば‥‥と思ったのですがなぜだか左車線に(泣)。交通量が少なくて中央分離帯の無い道路ならUターン出来るのに‥ぶーぶーと独り言を言いながら、仕方ないので少し行った先にあったパチンコ屋さんの駐車場に入って元来た道に戻ろうと考えて、駐車場の中をぐるっと回って道路に出てみると‥‥かなり変則的な交差点‥‥真っ直ぐがどれかもわからない(涙)。これはもうナビに頼るしかないと、信号待ちの間に登録済みの病院への案内スタート。元来た道に戻るのか、とんでもない回り道になるのか。ナビ画面を見れば自分が今いる地名はわかりますが、病院までどう繋がってるのか全く見当もつかず、ナビのおっしゃるままに走り出しました。父の所へ急ぎたい気持ちと知らない道に不安になりながら、指示通りに曲がる‥‥はずが通り過ぎた~!(泣)慌てて立て直そうと小路に入ってUターン。通り過ぎたんだから戻らなければいけないのについ間違えた(更に泣)。馬鹿なことをやっている間にナビがルート再検索。次の指示が出‥‥どうにも曲がるタイミングが遅いらしく通り過ぎること数回。そんなことを何度か繰り返してどうにか病院に着けました。いつも通っている道も別の方角から見るとそこと気付けないわたし。毎日通ってる見覚えのある道だと気付いた時には、雨もすっかり止んでいました。今日は午前中に大雨洪水警報が出て、こんなに晴れてるのに?と思っていたら次第に暗くなり、急いで家中の窓を閉めて程なくすると、遠く雷の音。あっという間に近付いて激しい雨と共に大音響、落雷の連続でした。今病室ですが、来る時は小雨、着く頃には極わずかな雨になっていました。病院の向かいにあるファミマで夕飯を買って表に出ると、なんとものすごい土砂降り( ̄□  ̄;) 暢気に買い物なんかしなきゃよかった(涙)。
2012年09月04日
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病室へ急ぐ足をふと止めて見上げる月の鏡煌々と食欲が無い、お腹が空かないと言うわりに、美味しいものが食べたいと言う父に、今日は、浜名湖産の鰻の白焼きを届けました。塩分は控えた方がいいと聞いていたので、タレも何もつけず山椒だけにしたら、せっかくうまいのに味がしないと文句を言いつつ1枚全部さっさと食べていました。本人曰く「うまいものなら入る」んだそう。明日はタレ・塩・醤油を別で添えてくれれば好きなように食べるとか。ここだけ見たら随分元気そうなのに‥と不思議になります。‥電話の声だけじゃ、わからない訳です。とりあえず容態は落ち着いているので、夏休みが開ける明日からは早朝に一旦家へ戻ることにします。夜中も看護師さんが何度も様子を見に来てくれるんですが、もう暫く泊まり込みを続けるつもりでいます。頑張って食べてるんだから少しでも太れたらいいのに‥。そんなとこだけはわたしが代役つとめてます(苦笑)。
2012年09月03日
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開け放つ窓に吹き込む早朝の風が淀んだ病室抜けて前回の日記へのコメント、ありがとうございました。なんだか久しぶりで、あったかい言葉に胸が熱くなりました。 仕事を辞めてからあまり日付を意識することがなく、ぼけーっと過ごしているうちに感覚が衰えてしまっているところへ、追い打ちをかける長い子供の夏休み。暇潰しにやってるパクロスの月変わりの最初にだけ出る画面を今朝見て、八月が終わったことを知りました。ちょうど週末が重なったこともあって下の子の夏休みは明日まで。あさってからいよいよ学校‥病院付き添いがいつまで続くか見えない中、サッカーと宿題に追われる毎日が始まるのかと思うといろいろと‥憂鬱の影が(汗) 上の子は春から高校生‥予定では。(苦笑)まだまだ朝から暑い日が続いて、先週辺りは朝窓を開けてもむわ~っとした空気がそこにあるだけで、進んで開けたいとも思えませんでしたが、昨日今日は、早朝の風には涼しさを感じるようになってきて、6階の病室に吹き抜ける風が心地よく感じられます。この秋‥忙しくなりそうです。
2012年09月01日
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病室の窓に広がる空を見る 瞳は遥か故郷を探す毎年帰るお盆の実家。具合の良くなかった父でしたが、それは想像以上で、歩くのもままならない状態なのに、気力で色んな事をこなそうとしていました。暫く疎遠だった兄とわたしとで話し合って、嫌がるのを兄が説得し、わたしが付き添える新潟の病院へ連れて来ました。それまで通っていた病院から、お盆休み中でしたがお願いして紹介状を貰って、すぐに連れて行った病院では、既に危険な状態で治療出来ることもない、うちに来ても何もすることはないよ‥と遠回しに言われましたが、食べることも難しい容態で、わざわざ佐渡から来たことも考慮して下さり、そのまま入院させてもらえました。あのまま帰されていたら、この夏さえ越せなかったように思います。それほど弱り果てていました。子供が四人もいて、男手一つで苦労に苦労をして育て上げたというのに、こんなになるまで放っておいたなんて、本当酷い話ですね。始めは通っていましたが、急変の恐れがあるということを看護師さんから電話を貰って、泊まり込みになってかれこれ1週間になります。古本屋で好みの本を探して行ったり、食べたいものがあれば持って行ったりしています。鮎の塩焼きが食べたいと言われた時は近くに売ってるところがなくてまいりましたが、会社の下請けさんがわざわざ釣ってきて下さって、道の駅で見るような本格的な炭火焼きとはいきませんでしたが、家で焼いて持って行ったら2匹も綺麗に平らげてました。本人は先生や看護師さんのいうことをきいて、食欲がなくても少しでも食べて体力がつけば、家とまではいかなくても地元に帰れる‥そう信じています。その一方で、まさかの時のためにいろいろ考えたりもしています。「治って、秋には山へ、遊びに行きたいなー‥」今朝ふと言いました。自分の畑のある山で、甘ーいアケビを食べたいと。そうなるといいね。帰れるといいよね。帰ろうね。きっときっと帰ろう。
2012年08月28日
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出す宛もないのだけれど絵葉書をあれこれ選ぶ時の楽しさネットであれこれ探すうちに立ち寄ったお店で、ポストカードを何枚か購入しました。誰かのイメージが思い浮かんだり、あの人ならこんなのが好きかな‥なんて考えたりしながら選ぶ時間は楽しいものですね。
2012年05月22日
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止まった時の向こうに落とし物拾い忘れて戻りたい戻れないそこにあそこに愛しい記憶の亡霊たち連れて行きたい共に生きたいオルゴールのぜんまいを何度も巻いて奏で続けよう止まらぬようにいつまでもいつまでも
2012年05月18日
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君がつくいつもの悪態今はもう軽く流して笑えないんだね ******************** 肺に水が溜まってかなり具合が悪く、癌の疑いがあるから別の病院で精密検査をするよう言われた父ですが、大きな病院で待たされたり、あれこれ痛いような検査されるのが嫌だと言って検査に行かない。歳も歳だし、今更‥という思いもあるのかもしれません。私はどうするべきなのか‥せめて陸続きなら車飛ばして行くのだけれど‥。食欲も無くなって、でも食べなければと水で流し込んでいるよう。子供達のことは旦那に任せて暫く父のそばにいるべきじゃないのか?何だかうまく考えられない‥。
2012年05月17日
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明日への活路手探り袋路の行き着く答え知る覚悟無く
2012年05月16日
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思い出が追いかけてくる足音が日毎増すからつい振り返る‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥実家に年老いた父が一人‥正確には一人ではありませんが田舎では必須の車の運転もできない人ですし、家事なども万全にこなす訳ではなく、私が生まれる前から家族同様に暮らしてきたその人もよくよく考えればいい歳になっていて、実年齢より老けている父を、海を隔てた地に一人放っているようなもの‥。いつからなのか体調が悪かったのも大して気にも留めず豆な連絡もしていませんでしたが、肺に水が溜まって呼吸が苦しげな様子です。薬を貰って、明後日にもう一度病院だと言っていましたが、もし肺癌だとしたら‥私はどうすべきか‥考えても、どうするのがいいか決断に至らずグダグダしています。いつまでも元気な訳がないのだけれど‥現実を受け入れたくなくて考えるのをやめてしまう。いい歳をして、子供もいるのに、全然しっかりできない駄目な娘です。でもやっぱり‥100歳まで後何十年もあるよ‥って考えてしまいます‥まだまだいけるよ、まだ大丈夫だよ、今年の夏も、来年の夏も、再来年もそのまた来年もまだまだお盆の帰省で一緒に過ごせるよ───そう思ってる私です。願ってる‥でしょうか‥。親としての未熟な私と、いつまでも末っ子気分の甘えた私と‥いつまで共存してるつもりか‥未だ親離れできていない私です。
2012年05月14日
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空の果て祈る想いを雲に書き 君を一人にしないでいてと‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 長く長く止まっていた日記を久しぶりに開いてみたくなりました。勝手をしてご心配かけてしまったお友達さんごめんなさい(_ _)子供のことや仕事のこと、自分自身のことでいろいろ考えたり悩んだり、ここに書くこともできないくらい落ち込む日々もありましたが、もがいてもがいて、散々一人でもがいて居直って今はのんびり‥‥しすぎて肥えました(苦笑) すこしずつですがまた拙い言葉を残していきたいと思えるようになりました。いつの間にか時が経っていたのですね。お友達さんもきっといろいろな日々を過ごして来られたと思います。私には悪い癖があって、遠くに住む友人や家族を心に想いながら、変わらず元気でやっている‥‥勝手にそう信じて連絡もしないというところがあります。無関心や冷酷と取られる原因です。そうなのかもしれませんが(汗)旦那さんにも「ほんとにおまえは‥‥」と呆れ返られてるんですがどうにもなおせません。ほんの一言のあたたかさに救われることもあると、とうに知っている歳だというのに情けないものです。 すこしずつ‥‥すこしずつですがここに向かってみようと思います。独り言になりますのでさらりと通り過ぎていただければ幸いです。
2012年05月10日
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http://mwsgvs.weathernews.jp/jpmobile/radar_1km/54X2.gif ここの真上だけなんて‥
2010年08月15日
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雨女です‥(涙) 「おまえの日ごろの行いが悪いから」 いやあ‥言われるわ言われるわ‥あはは ごめんなさいってば(_ _||)
2010年08月14日
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12日に帰省する予定でしたが‥‥台風が来ていたこともあるんですが、なんと2隻しかない船のうち1隻がエンジントラブルを起こし佐渡汽船大パニック。わたしたちは市内在住ですからまあなんとかなるとしても、遠い県外から来た方はキャンセル待ちで大変な思いをされたことでしょう。わたしたちはどうにか翌々日真夜中の便に乗れましたが、1隻ダメになった影響はとんでもなく大きくて、3時間程度の遅れで出航しています。なので実家に着いたのはもはや早朝‥いやあー参りました。
2010年08月13日
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暑いです。 一番前の海坊主はうちの(笑) 台風が向かっているとか お盆が心配。 被害なく過ぎてくれるといいですね。
2010年08月10日
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わたしと旦那さんが勤める会社が昨年12月に移転して、その、工場のあった場所は数カ月間空き地のままでしたが、そこにコンビニが立ちました。昨日オープンで、たくさんの車が停まっていました。わたしも今日行ってみました。アスファルトで舗装され、ただの“新しく出来たコンビニ”としか思っていなくて何の違和感もなく買い物を終えて車に乗り込みました。駐車場から出ようとして、初めて「ああ、ここに工場‥あったんだよなー‥」と気付きました。いえ勿論工場跡地ってことはわかってたんですが、ピンと来なかったというか、買い物中は思い出しもしなかったというか。車を出す時になって初めて実感が持てたというか‥。歩道も道路から入りやすいようにされて、砂利だった工場前の駐車場は綺麗なアスファルトに白線が引かれ、まるで別の場所のよう。わたしが車を停めていた場所はそう‥ちょうど工場の中の休憩室があった辺りだったでしょうか。‥タロウの部屋でもあった場所。ポチも居ました。チビという猫も、その子供たちも居ました。みんなが仕事して、たくさん、本当にたくさん遊んだりもしたあの場所。借地だったため、基礎やコンクリートが打てずに砂利敷きのままだった駐車場を、ポチがみんなの車目掛けて飛び付いたり、散歩の時タロウがシャベル(スコップ)をくわえて毎日歩いてた場所。まだ小さかった長女やちびが砂利に躓いて転んだり‥。二十年余りという、まさに人生の半分を過ごした場所でした。それが‥不思議な感じがしました。舗装して、新しい建物が建っただけなのに‥何の思い出もない新しい場所になりました。これからも通うことになる最寄のコンビニです。あの思い出の上を、これからも通るんだと思ったら、こんな思いをするのはわたしとごく少人数の人達だけなんだなー‥と思って、寂しさと‥とても不思議な感覚を覚えました。こうやって‥場所は姿を変えて行くんですね。変わって行く様を見届けたり、知らぬ間に変わり果てていたり。その場所が無くなる訳ではないのに、知らない場所になる。二度と戻れない記憶になる。覚えている人がいなくなった時、本当にそこは消えるのかもしれません。真新しいアスファルトの下で私たちしか知らない、でも確かにあったあの時間達が、静かに眠っていて、知っている者の目にだけその姿を見せてくれるような‥そんな気がします。
2010年07月31日
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どどどどど‥どどどどどどどどどどどど‥いやいやいやいやすごい雨だね写真素材は PHOTO ST:Motoko Alexander さま* * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * * 笑 ゆうべは久しぶりの雷豪雨でした 雷のすごい音と明るさに興奮してしまいました こういう時、うわー と思いながらも 必ず嵐の歌が流れるんですよね よくいきなり「あらっしぃ~~~っ♪♪♪( ^0^)θ~♪」と叫んで 長女に冷たい視線を浴びせられます ちょうど外に出ていたにゃんきちを カーポートまで探しに行って呼んでみましたがいませんでした。 その夜旦那さんが遅く帰ってきたら物凄い勢いで 鳴きながらすり寄ってきたらしく 雨に打たれた跡がはっきり背中の毛に模様となっていて (つんつん尖ってました) 即効で旦那さんに洗われてわたしが拭き拭き その後もしばらくにゃーにゃー甘えてきました。 よっぽど怖かったんでしょうね。 まあ無事でよかった。子供達と心配しました。
2010年07月28日
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こうなんじゃないか ああなんじゃないかとぶれてばかりでもがく日々かな写真素材は PHOTO ST:Sachi* さま
2010年07月24日
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今日は午後から早退して新潟市下越地区吹奏楽コンクールに来ています。長女、初めてのコンクールです。長女の学校の演奏までまだまだなんですけどね。長女の学校の吹奏楽部は人数が少なくて金管のみなんです。木管楽器はなし。オーボエが好き~♪と入部した長女はパーカッションを希望しました。日本一のパイプオルガンのあるこの立派なホールのステージ自体は、小学四年の時に歌の発表で来て経験済み‥だけどやっぱり緊張するかな?成功しますように。
2010年07月23日
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目の前にある一本の道だけをまっすぐまっすぐ歩けばいつか写真素材は PHOTO ST:風渡 じゅん さま
2010年07月22日
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揺れるのは何を信じて生きるのかそこのところが決められないから写真素材は PHOTO ST:hiyoko さま
2010年07月21日
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本当は怖くて膝が震えていても怖くて怖くて声が震えそうでも本当は今にも目の前が霞んでしまいそうでも本当のところはこのまま逃げ出してしまいたくても君の前では毅然と立ち向かわなくてはね君の目を見て大切なことだけを短い言葉でそのあとは笑って何もなかったかのように信じていれば出来るはず君を守ることがここにいる理由周りの目など気にせずに堂々と胸を張れ太陽と風の太陽のようにあれ写真素材は PHOTO ST:fumio* さま
2010年07月20日
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目まぐるしく過ぎる時間は光の矢いっそ一足飛びに過ぎて欲しいと願う時間は電池の切れた秒針のよう壊れたように足踏みして何度見ても進まない時間まるで逃げ出すのを見張っているみたいに写真素材は PHOTO ST:淡ぢぃ さま
2010年07月19日
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解ってと寂しい気持ちも苛立ちもぶつける醜さ解ってるけど写真素材は トリスの市場 さま
2010年07月18日
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真夏の太陽の陽ざしがシンバルの優しい余韻みたいに道にも木々にも染み渡って絶えず聞こえる蝉の声に包まれながら擦り切れそうなサンダルで大きな木の根っこを跨いで木陰にたどり着くと剥げそうな幹の皮に足元に蝉の抜け殻ああ、大きくなったんだねと見上げればやけに静か過ぎる真昼の一角蝉の声が響くだけ緑の隙間で昼寝していた少し冷えた風がうなじで何かささやいて背中で温度が下がった気がして後ずさりして来た道を駆け出したサンダルを握り締めて写真素材は 空色地図 さま★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜★。、:*:。.:*:・'゜☆。.:*:・'゜ 小学生の低学年の夏休み。 何度くらいかわからないけど母の実家へ遊びに行った。 母の義姉にあたるおばちゃんがとても優しくて好きだった。 近くにあるお寺までよく一人で散歩に行っては 蝉やかぶとを捕まえていました。 家の方では父が何か難しい話をしていたのかもしれませんが 子供のわたしは自由に歩き回っていました。 これはその時のことを思い出して。 子供の頃は本当に色んな場所へ一人で行っていました。 行った事のない山奥もどんどん入っていった。 スカートでも裸足でも全然気にしなかった。 道のないやぶをくぐって、たまに滑り落ちたりして。 擦り傷・切り傷・青あざなんて当たり前で 一々気にしなかったし薬なんて赤チンくらいで 方向なんか知らないけど夕方には知ってる道まで戻れる。 登ったところとは全然違う だいぶ遠い場所へ降りることもあったけど 怖いとか危険だとか考えたこともなかった。 ただ時々だけど なんとなく漠然と”ここはダメ”みたいな 何か漠然とした感覚を感じることはあって ただの気のせいなのかもしれないけど 今思うと そこで一歩踏み込んでたら‥もしかして もしかして不思議な体験できたかも? なんてのん気なこと考えて ちょっと勿体無かった気がする現在のわたしなのです。
2010年07月17日
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目が覚めて途切れた昨日のまた続きみんな夢なら笑えるのにね写真素材は 憩い@Home さま
2010年07月16日
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穏やかな一声それが単純な私の重力ほどくスイッチ写真素材は NOION さま*.。.:*・°*.。.:*・°*.。.:*・°*.。.:*・°*.。.:*・° わたしは単純だなー ‥と 思う瞬間。^^。
2010年07月15日
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文字数の関係で(半角10000文字まで‥かな?)長々と分けて書いています。読んでくれた方、ありがとうございます。フィナーレは椅子と帽子を小道具に使ってゴスペラーズの生歌「愛の歌」で全員が登場。ショーっていつもこんな感じなのかな、みんな凄く嬉しそうな笑顔でホントに楽しんでるのがわかって、見てるこちらも嬉しくなっちゃって。それぞれ個性を出しつつも、こんな短時間の練習でよく揃えられるものです。端っこの方ではランビエールが椅子を倒してすぐに直してた、とか(笑)プルシェンコは相変わらず振りを忘れたのか覚えてないのか(笑)誤魔化しながらという部分もあったようですが。なんとフィナーレではランビエール、ジョニー、プルシェンコの3人がリンクの中央に並んで同時にスピンするという場面が!!!それぞれ違うスピンなんだけれど、目‥!目をあと二人分ちょーだい~~~!!って殆どパニックでした。ここ完全に絶叫の渦で、会場大興奮となりました。こんなサービス‥これ以上もう鼻血出ませんぜ旦那。最後は全員でリンクをぐるぐるぐるぐる‥何度周ったでしょう。それぞれの前にくると悲鳴が上がり、肩からちぎれんばかりに手を振り‥コンサートとか行っても手なんか振ったり出来ないタイプのわたしですが、この時は一人で行ったにも関わらず大はしゃぎしちゃいました。後ろの席の人がどどどーっとわたしのいるS席より前の通路に出て来ました。可愛い浴衣を着て背中には好きな選手の名前の書いたうちわを挿し、自分をアピールしまくっていました。出場選手のみんなみんな、とても楽しそうで嬉しそうで、テレビで見る顔とはまた違ってみんな可愛い~。素で嬉しそうな表情してくれてるのがわたしも嬉しくて嬉しくて。とうとうみんなが退場して、無情にも終わりを告げるアナウンスがかかっても、まだ魔法の中にいる気分でした。ありがとう、ありがとう、ありがとう。選手のみんなにも、なんか全てに感謝の気持ちになっていました。ショーなんて、それも新潟でのショーなんて‥もっと手抜きな感じだと思ってたから、こんなに凄いなんて思わなかったから、こんなに楽しいなんて思わなかったから、本当に来てよかったと思いました。これを企画された方、運営の方々に心から感謝します。今回のショーはテレビ中継もDVD化もないとのこと。初めて行ったのに偉そうですが、この新潟公演は伝説のショーと言っても過言じゃないと思います。公演が終わって、みんなが帰り始めて会場がだいぶ空いてきた頃、まだまだ余韻に浸っていたかったけどようやく歩き出そうとしたら、わたしの二席ほど隣に居たらしい女性が荷物をまとめていて通れなかったのでそれを待っていました。急いで帰る気もないのでぼーっとリンクを眺めていたら、何となくその女性と会話になり、その場で少し、そのまま一緒に外へ出て30分ほどでしょうか、立ち話をしました。わざわざ東京から一人で来て、3公演とも全部S席で見るとおっしゃっていて、わたしにも「まだ当日券残ってますよ!ぜひ一緒に」って言ってくださいましたけど‥全国のショー、何度も行ってるって‥今日のこの一回、チケット買うのがやっとだったんです‥よくそんなにお金ありますねー‥って思いました(苦笑)でも地図でいうずーっと下の方の県からも沢山の方が来てたみたいです。プルシェンコは自分でもツイッターしてますが去年結婚した奥さんが、何時の新幹線に乗って何時に着いて、という具合にとても詳しく書いてたんだそうです。このショーの直前、プルシェンコ選手にISO(スケートの連盟)から公式試合の出場権剥奪、というニュースが出ていました。そんなことがあったから、できるだけ多くのファンに集まって励ましてあげてほしい、という気持ちからだったんじゃないかということでした。お喋りしていたその女性は新幹線の中や駅に着いた時の様子をケータイで撮っていて見せてくれました。サインももらっていてそれも見せてくれました。黒マジックでミミズが一匹書いてあるようなのでしたが(笑)(外国の有名人さんはとにかく沢山のサインをする、というのがモットーらしく殆ど読めないような簡易なサインをすることが多いらしいですね) フィギュアの話を色々とできる人なんて周りにいないので沢山お話できて凄く嬉しかったんですが、物凄く詳しくてとてもわたしの知識じゃついていけないなと思いました。お金も時間も惜しげもなくかける人、ロシア語を勉強して直接声をかけたりメッセージを送ったりする人‥凄いファンが沢山いる。そういう人達の存在を知ったのも生のショーに行ってみれたからこそ。また行きたい。次は9月に福井であるとか‥いえいえ、さすがにね、行けません。幽体離脱覚えられそうなほど行きたいけどね(笑)そして車に乗って、現実世界へと帰っていったのでした。思い残すことはないというのも本当にそんな気持ちでしたが、交通事故にも遭わず帰れてよかったです(苦笑)
2010年07月14日
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第一部の興奮覚めやらぬ休憩時間、現実から浮いたような感じでグッズ売り場へ行ってみました。色々あったけどそれほど欲しいものもない‥と思ったらミニチュアの真っ白なTシャツにマジックで直筆のサインをしたのが数枚飾ってあってとっても可愛い。これ欲しい~と思ったのですが残念ながらそれは非売品でした。パンフレットは2,000円‥最初は買わないつもりでしたが記念になるものが何かほしいと思って結局買ってしまいました。第二部。数人の群舞で始まりました。4組の男女ペアのアイスダンス風?モノクロの衣装に薄い布(オーガンジーみたいなの)を両腕で広げて、美しい舞いでした。選手以外のこの人たちはやっぱりプロなんでしょうね?パンフレットを見てもどういう人たちなのかわかりませんでした。こういう人たちの中でもやはり目が行く人というのがありますね。さて、順番はきれーさっぱり忘れてしまいましたので(苦笑)順不同で。本日二度目のボナリー。 一度目の情熱的な衣裳とは違うエレガントな綺麗なブルーの衣裳で。しっとりとした演技でしたがここでもしっかりバックフリップ!ありがとう~~~""ハ(∇≦* )パチパチ♪羽生結弦(ゆづる)くん。 今回、男性陣は外国人選手ばかりで唯一の日本男子選手でした。高橋大輔・織田信成・小塚嵩彦に続く四人目の世界ジュニアチャンピオン。パンフレットによれば現在高校一年生。で、シニアデビュー。彼のことはあまり良く知りませんでしたが、出て来た瞬間思わずウィアー?と思ったくらいジョニー風な衣裳。スタイル良くてなかなかどうして、良かったです。曲は白鳥の湖を和のアレンジで。4回転を跳んだようですがこれは派手に転んでしまいました。でも高校一年生で凄い。しなやかな動きがわたし好みだと思ったら、彼はプルシェンコとウィアーが目標なんだとか。なるほど動きも確かにそんな感じです。目指すものがいいよ君、などとおばちゃん目線になってしまいました。ここからまた成長して‥次のソチ五輪が楽しみ。天井から白く美しい、2本の長い布が降りてきました。なーにあれは?と思っていたら‥ロシアのエアリアルのペア、アレクサンダー&エカテリーナ・チェスナ。 このエアリアルという演技は初めて見ました‥こんなフィギュアスケートがあったんですね。感動しました。空を飛ぶんです。主に女性が主体なんですが、天井から吊るされた布を掴んだり体に巻きつけたりしただけで物凄い高さまでぐるぐる回転しながら上がったり、それを上手く解きながら降り(落ち?)たり。アゴの辺りにぐるぐると巻きつけて両手両足も離して!凄いスピードで自転しながら公転するという荒業が悲鳴ものでした。く‥くび‥首絞まるぅ~~~やめてぇ~~~!‥な感じで(笑)サーカスの空中ショーのようでした。二人で布をたなびかせて回転しながらぐんぐん上がっていく様は天女の羽衣の舞みたいで綺麗でした。なんとこのお二人、結婚20年目というご夫妻なんだそう。息もピッタリ。素敵です。二度目のオレクセイ・ポーリシュク&ロバート・コーディング(大柄と小柄のコメディー風アクロバット?男性二人組) 真っ暗な会場に、静か~‥に、静~~~‥かに、二人とも両手をだらんと垂らした猫背状態で入ってきて‥し~ん‥無音です。その間の取り方がなんとも絶妙で会場からは笑いが。パントマイムのようなピエロのようなコミカルな動きが何度も笑いを誘います。あちらのアニメーションを見てるみたい。力の抜けきった超スローでの演技。おかしな手の繋ぎ方をして絡まってほどけない、的な演技です。信じられないくらいのスローモーションなので逆に物凄い力技&バランス。ブレードのまま相手の上に乗っかったりブレードが下の人の頭すれすれをかすめたりと、もうードッキドキでヒヤヒヤ、驚きと感動の演技でした。こちらも二度目の登場となるビクトール・ペトレンコ。 出てきてまず笑いが。第一部は静かな感じの演技でしたが今度はペアです‥”ミセスペトレンコ”と呼ばれるほぼ等身大人形と(笑)。軽快なリズムに乗って巧みに操るその技が凄い!自分の手足に人形の手足をくくりつけてるんですが、全っ然不自然じゃなくてもう楽しい楽しい。実際一人で滑って操ってるわけですが、あれは彼だからできることなんでしょうね。人形とちゃんと「ペア」になってました!終わって会場におじぎをする時もきちんと女性(人形)から。最後まで楽しませてくれました。アイスダンスのナタリー・ペシャラ&ファビアン・ブルザも二度目。ゴスペラーズとのコラボでした。第一部は可愛い感じでしたので二度目はしっとりと。曲は「誓い」。大人の演技という感じ。再びのジョニー・ウィアー。曲はレディ・ガガの”ポーカーフェイス”。「ジョニー・ガガ」って呼ばれるほどジョニーワールド全開な演技です。会場が揺れるほどの重低音響くノリノリの曲に、黒基調で肩にフワフワした羽がついたフェロモン撒き散らしな衣裳。華奢だけどしっかりと力強くて華やかなんですよね。氷上の彼は月夜に浮かび上がる漆黒の花のようだと思いました。いやーーーーー‥ハートをわしづかみされちゃた(笑)もう最高に盛り上がってまるでライヴ会場でした。この日一番の歓声だったんじゃないかな。バレエダンサーのような王子様の再登場。ステファン・ランビエール 第一部では荒川静香さんとペアで登場でしたが(お姫様抱っこ~!‥まだ言ってるし)後半はシングルで登場。紫の衣裳が似合いすぎて両目がハートになる(笑)とてもノリのいい曲で椅子を使って片手にカクテルかな?な感じの新しいプログラム。ランビエールといえば跳ぶよりスピン。レイバックスピンも、独特な手の使い方をするシットスピンも、沢山のスピンを見せてくれてキャーキャー歓声の嵐。大人っぽく見えるけどまだ全然若いんですよね。ついおじさんかと思ってしまう(失礼)けど素の笑顔は本当に少年のようで可愛かった。側転もしたりして!それが派手で迫力があって美しかったー!歓声というか悲鳴というか絶叫が上がりました。どの選手も使った小道具はちゃんと、最後は自分で持ち帰るんですが、なんか椅子を取りに行ってみんなに何度も手を振りながら戻っていくランビエールがとってもチャーミングでした。翌日の公演では彼の代表的な演技「椿姫」を滑ったのだそう。これも見たかった‥。そしてそしてそしてそして!!プルシェンコの二度目っ! ゴスペラーズの生歌とのコラボでした!星屑の街というバラードで。バラードですが衣裳は赤のTシャツに黒のパンツとシンプル。バラードなのに3A-3Tを何度も跳ぶ跳ぶ。ホントにこの人は転ばない‥どんだけジャンプで斜めっても優雅に降りちゃう。高さも凄いしジャンプ降りた後のランディングもなんて綺麗なんだろう。指の先まで、髪の一本一本まで魂が行き渡っているよう。相変わらずさらさらの金髪。バラードなのに髪振り乱しての凄すぎるステップ。”ニジンスキーに捧ぐ”という演技のステップみたいな。最後に跳んだジャンプが四回転に見えて、会場もキャーッ!ってなったんだけど3回転だったのかも。回転が速くて判別つきませんでした。新潟公演は3回ありましたがその最後に四回転を決めたとかなんとか‥はっきりとはわからないんですが(苦笑)ジャンプの時とか、時々氷を削る音が聞こえて、本当にそこで今滑ってるんだっていう実感が持てて体が震えました。シットスピン(しゃがんで回るスピン)も以前よりずっと姿勢が深くて。膝を痛めて引退もささやかれたのに。どの瞬間をとってもやっぱりプルはすごいね。本当に生まれてきてくれて感謝しています‥同じ時代にこうしていられて幸せです。えーと‥まだ終わりじゃないです(苦笑)鈴木明子さん。 好きな人なのにプルとウィアーとランビエールで頭いっぱいになってて忘れてました(笑)こちらは新しいショートプログラムの”ジェラシー”という演技を披露してくれました。生鈴木明子だーとワクワク。狭いリンクの中でも真剣な表情で演技してくれました。トリプルだかトリプルアクセルだったかを跳んだ時に、奥のステージ付近で凄い転倒があって一瞬会場がシン‥と静まったようでした。凄くびっくりしてケガでもしたんじゃないかと酷く心配しましたが、すぐに立ち上がって何事もなかったように最後まで本当に真剣に滑りきっていました。ショーだから、お遊び半分な雰囲気もアリと思っていたけれど、この人はどんな時も試合と変わらない演技をしてくれるんだなと、感動しました。何でもないように見えたけど本当にケガしてないといいな‥。純白のドレス風な衣裳で登場したのは安藤美姫さん。もう「ちゃん」じゃないですね。テレビで見るより全然可愛いです。少しはにかんだよな笑顔がとっても可愛かった。曲はモナムール・モナムールとかなんとか‥しっとりと。女性の美しさをまんべんなく表現できる人だなーと思いました。テレビで見てるとどうも背中が硬い気がしてたんですが、生で見る彼女のスパイラル、とても綺麗でした。ジャンプで一度転等しちゃいましたが立ち上がると会場からは大きな歓声&拍手が。ああみんな彼女のこと好きなんだなーって感じてほっこりしました。彼女の出演が決まったのは一番最後の方だったと思うんですが、来てくれて嬉しかった。よく有名人を見た人が「オーラが違う」とか言いますが、別に体の回りに何かが見える訳じゃないけどわたしも初めて「オーラ」と呼ぶものを感じた気がしました。存在感とかそんなものでしょうか。そういう意味でも彼女の演技を見れたことは感動です。ショーのオオトリ、ラストは荒川静香さんでした。 曲はカルメン。黒基調に赤のラインの衣裳。カルメンというとわたしの中ではどうしても鈴木明子さんのイメージが強いんですが、荒川さんのカルメンは激しさより優美な感じでした。金メダリストにこんな言い方はないでしょうが、やっぱり上手ですね。フィギュアスケートは見せる(魅せる)ものだから、どんなに確実に滑っても、凄いと言われる技術があっても、そこに氷上ならではの優美さ、滑らかさがあって、立っているだけで絵になるようなそういう演技に感動する。荒川さんは立ち姿だけでとても綺麗で、手や指の使い方も本当に心地よくて。そしてとても柔軟性があるので、有名なイナバウアーの反りもそうですが、Y字スピン、I字スピンもすっと足が上がって、スパイラルシークエンスなんて完全に180度開いたままぐらつくこともなく優雅で完璧。表情も演技も、魅せるということを知り尽くしていて、プロだな、と溜め息がこぼれました。ここでもまたイナバウアーが見れて大喜びのわたし(笑)そして‥いよいよフィナーレへ。
2010年07月13日
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会場が真っ暗になって、スケーターの影が一つ二つとリンクを滑ってきました。オープニングでは男子外国人スケーターが赤いどこかの王子様風な衣裳を着てみんなで輪になり揃って滑ってたんですがわたしの場所からはどれが誰やらさっぱりで一人慌ててました(苦笑)真面目に振り付け通りな人もいれば、個性が出てる人も。プルシェンコは元々「みんなで揃って」っていう群舞が苦手というのはファンの間では有名な話。時間的に練習不足だったのかどうか、周りをきょろきょろ見ながら、かなりテキトーだったみたい(笑)でも笑顔で踊ってたみたいです。”皇帝”とか”神”とか言われるプルシェンコですが、物凄くおちゃめでサービス精神旺盛で可愛いのです(〃▽〃)♪ あ。オープニングで一人一人がご挨拶がてら軽く滑りましたが、そこで荒川静香さんの生イナバウアーが!おおー!っと場内が沸きました。わたしも当然大喜び(笑)すばらし~~~。 では第一部からまずは特別ゲストのゴスペラーズが「あいしてるぅ~‥」の曲を披露。全員がブルーの衣装で、いやあ、大音量だ(笑)でも生歌に感動しました。確か、まず出てきたのがジュニア選手権で村上佳菜子ちゃんに次ぐ二位だった今井遥ちゃんだったかと。あんまり詳しくは知らない選手でしたがスタイルよくて手足の使い方が上手だなーと思いました。ジャンプなどではやっぱりまだトップとは差を感じる気がしましたが、次世代の心配はいらないみたいと勝手に安心してました。日本人選手のレベルもここまで来たんだーと思いながら見てました。次‥だったか順番はもう適当で(笑)トマシュ・ベルネル 「世界一美しい四回転ジャンパー」と場内でも紹介されています。確かに彼のクワド(四回転)は美しいと有名です。曲はビールのCMで使われてるボーラーレ!っていうアレでした。手拍子でノリノリです。一回、ジャンプで転んじゃったんだったかな?衣装はテレビでも何度か見たことのある白地にブルーの横ストライプ、首には赤のスカーフ。知る人ぞ知る”佐川急便”と呼ばれている衣裳なんですよね(笑)村上佳菜子ちゃん 世界ジュニアチャンピオンで最近の注目株。浅田真央ちゃんと同じ名古屋組で、テレビでもよく見るようになりましたね。昨シーズンはわたしの中では、まだまだ感があったのですが(偉そうに)この日の彼女は良かったです。というか別人?とも思えるほど表現力豊かで。小道具に椅子とタンバリンを使ったタンゴ調のショーナンバー。黒と赤の衣装で、タンバリンの使い方が色っぽく、楽しい演技でした。観客を楽しませる魅力をしっかり持っていて技術では真央ちゃんにはまだ劣る部分もあるかもしれませんが、力を持ってるんだなーと思いました。アイスダンス組のナタリー・ペシャラ&ファビアン・ブルザ バンクーバー7位、世界選手権では4位という二人組。ポニーテールにミニスカート、あちらの学生っぽいスタイルで男性はデニムだったかな。ポップなナンバーで楽しく見せていただきました。そして、黒真珠と称えられるスルヤ・ボナリー 昔、伊藤みどりさんとジャンプ対決とかしてた選手でわたしが中学生くらいの頃によくテレビで見ていてとても好きな選手でした。彼女といえば氷上のバック・フリップ(バク転)が代名詞。この日は合計4回も!それは見事なバック・フリップを惜し気もなく跳んで見せてくれました。彼女の持ち技だったバック・フリップが危険だということで試合では禁止され、彼女はそれでも最後の演技中にそれを跳び、失格になったんですよね。そして引退。あれから二十年は経っているのに、現役時代よりもっと表現力があって力強くしなやかに、そしてもっと美しくなっていました。テレビではダイナミックに見えましたが目の前で見た彼女は意外に小柄でした。失格になってまでバック・フリップを跳んで見せた試合をわたしはテレビで見ていました。まさかあの彼女を、彼女の滑りをもう一度この目で、目の前で見れるとは。とっても感慨深いものがありました。素晴らしかった。まさに”黒真珠”です。続いて男性二人組のオレクシイ・ポーリシュク&ロバート・コーディング 氷上のアクロバットとして観客を感動&笑いに包んでくれる二人。一人は小柄で一人は大男。黒のスーツにハットを被って、コミカルなスパイっぽい感じ。サーカス見てるみたいな楽しさ。リフトして片手だけでバランスとって逆立ちしたりなんか色々で男子ペアならではの楽しさですねー。それにしても力技凄いです。村主章枝さん 前にテレビで見たことがあるかな、アラビア風の衣装で布のマスクみたいのして。村主さんはまだ現役続行の意欲を見せて下さってますが競技よりショー向けな表現力ですよね。小物使いも上手だし。この演技もアラビア風な腕の使い方とか、ひょえ~ってくらい首がカクカク横に動くし(笑)とにかく魅せる!セクシーなポーズが盛り沢山。彼女の十八番高速スピンも凄い。ほんとめちゃめちゃ速い!演技後のお辞儀もそれぞれの方角に違うアラビア風?なお辞儀の仕方だったんですが、わざとらしいセクシーさで笑いもとってました。カーテンの向こうに消えるその瞬間まで何度も観客を楽しませてくれました。彼女はエンターテイナーと呼ぶにふさわしい方ですね。ヴィクトール・ペトレンコ カルガリーオリンピック銅メダル、アルベールビルオリンピック金メダル。これが何と18年前のこと。目の前に現れた彼はちょっと太めなおじさん(笑)でしたが、ヨーロッパ・世界・五輪の全部を制覇したという凄い人です。現在はジョニー・ウィアーのコーチをしてるとか。派手さみたいなものはないんですがやっぱり上手い。さらーっと滑ってるんでなんか簡単なことだけやってるように見えてしまうけどいや違う。彼だからそれが出来るんですね。八木沼純子さん ゴスペラーズの方々と大学の同級生なんだそうで、いつかはコラボやりたいねって話してたんだそうです。それが初めて叶ったのがこの日だったという、それも感動的。曲は忘れちゃいましたが、八木沼純子さん(家で長女に何度も八木沼エミ子と言ってそれって上沼恵美子でしょって突っ込まれました)て、お綺麗な方なんですねー、現役を引退して、あの時代の方だから‥と、大変申し訳ないんですがあまり期待していなかったんです。それがどーです。細くて綺麗なスタイル。肌が本当に白くて透き通るようで。そして勿論演技も素晴らしい。現役選手に全然ひけをとらないようでした。これからも聞くであろう彼女の解説が今までより違って聞こえるようになる気がします。いいもの見れました。ゴスペラーズの皆さんと本当に仲がいいようで息もぴったりでした。ジョニー・ウィアー なんとゴスペラーズとのコラボだったんですよ、彼が!わたしのイメージは結構高飛車で高慢、プライドの塊みたいな‥いえ好きではあったんですけど(苦笑) ゴスペラーズの誓いっていうバラード曲で衣装は黒にかなりキワドイ透けがあってファンにはたまらないご馳走だったんじゃないでしょーか。本物のジョニーだあ~‥って見とれてしまいましたよ~‥テレビで見たのはこないだの五輪が最後だった訳ですがあれよりずっと良かったと思う。体が思ったより華奢じゃなかったです。鍛えたのか若干太ったのか‥背も高いし。もっと女の子っぽいと思ってたのに‥色気だだ漏れです。女性的なのに男性の力強さもあって‥うわあ、だめだ、これはかっこよすぎでしょ‥って、すっかりハートを射抜かれて持ってかれちゃったわたしでした(笑) 膝を折って氷にのけぞってシャーッ‥って後ろに滑るのが綺麗でセクシーで場内から悲鳴~~~。完全に彼のあの独特の雰囲気に包まれていました。いやあ、五輪の優勝した彼よりずっとずっとずーっと好き。もうどうにでもして状態でした。荒川さんほどのソリはないですが通称”ジョニー・バウアー”と呼ばれるのも見れました。綺麗。ステファン・ランビエール&荒川静香さん いきなり二人でペア組んで出てきました~。どっち見ていいかわかんなくて目があっちとこっちで自在に動かせる特技を体得できるかもと思いました。ランビエールの生のレイバックスピンが見れて本当に感動。なんて美しいんでしょう。胸が震えました。ランビエールマジでかっこよすぎでしょう~少女漫画の世界ですよ。「ひぃ~かっこいぃ~~~」って拝んでたらなんとっ!最後のポーズが荒川さんをお姫様抱っこ!ぎや~~~代わってぇ~~~!!‥って心で叫んだ人はわたしだけじゃないはずです。いいなあ~荒川さん‥(まだ言ってる)第一部の最後!いやああああああああ!!‥失礼しました。エフゲニー・プルシェンコ 第一部のトリは彼でした。彼目当てという人が一番多かったんでしょうね。割れんばかりの発狂。いや歓喜の声。なんとなんと五輪のショートプログラムの「アランフェス」を見せてくれたんです。さっきまでの会場の雰囲気が一気に「皇帝」に変わりました。さっき見せたお茶目なプルはどこへやら‥あの衣装で立ってる。あの曲が流れ始める。もーーー‥ここでわたし撃沈しました。胸がわーっていっぱいになってしまって涙がぼろぼろぼろぼろ‥拭いても拭いても勝手にどんどん出てきて「もーいーや」って諦めました。なんで泣いてんのか自分でも訳が分りませんでしたけど感極まりました(苦笑) ジャンプ高い。五輪の時よりもっと安定感があった気がする。ステファンもジョニーもそうだったけど、通り過ぎる時の歓声っていうか悲鳴が凄い。「じぇぇ~にゃあああああ~~~!!」みたいな。プルシェンコって特に観客に対して愛しむような目線をくれるんですよねー。この日のことを翌日検索してみたら、物凄い遠くの県から来た人も凄く沢山いて、「あれは絶対に私と目が合った、誰が何と言おうと私を見たのよ!」的な感想がいっぱいでした。実はそんなにリンク際でなかったわたしでさえも、一回プルシェンコと目が合ったような気がしましたもん。気持ちわかりまっせー(笑) さらさらの金髪を振り乱しての変態ステップも見れました!スピンも、スパイラルも。このまま、帰りに事故起こして死んじゃってもいーや‥って本気で思ってしまいました‥もう思い残すことないって本当にそう思いました。彼に会えた。それだけで夢のよう。氷上の彼はわたしにとって‥なんでしょう‥特別な存在で、それが目の前で氷の上を滑る彼を見て、もっと完全無欠の存在になってしまいました。胸が苦しくて、胃が痛い(この辺が恋する少女と違う‥;)演技が終わってもしばらく歓声・拍手が鳴り止まず、わたしもスタンディング・オベーション!もう手が、肩がちぎれそう~~~!彼は何度も何度も声援に応えて手を振ったりキスを投げてくれました。あの独特の、両手にキスをしてそれをふぅ~‥って振り撒くのもしてました。これも色んなブログで「あれはわたしに」ってありました。でもわたしも「これはここにいる全員にしてくれてるんだからつまりはわたしにもしてくれたってことだよね‥ふふふっ‥」って考えてにやけた頬がしばらく元に戻せませんでしたが(笑)チケットの値段が高いなーって思いがあったのが「安い!」に変わっていました。もっと高くてもこれはそれだけの価値がある。本当に凄い公演内容です。贅沢。こんな感じで第一部終了~。わたしの個人的第一部が(笑)さーてパンフレットでも買ってこよう。
2010年07月12日
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