ドレの新人作家への道のり

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2013年12月11日
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今日は 華麗なる文章を書く作家 について書いてみました

作家の名前は 「エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe 1809-49」

私がエドガー・アラン・ポーを、初めて知るきっかけになったのは、人気漫画名探偵コナンであった。
主人公工藤新一が、毒薬の副作用で子どもになってしまい、素性を隠すために使用した名前が、小説家・推理小説家、江戸川乱歩であった。
実はこの江戸川乱歩、アメリカの文豪エドガー・アラン・ポーを何もよりも敬愛していた。
そして、自らの筆名を彼の名前にちなんで、江戸川乱歩とした。
よって、私は江戸川乱歩経由で、エドガー・アラン・ポーを知りました。

日本の江戸川乱歩も尊敬した、エドガー・アラン・ポーの残した作品の影響力から、どんな異彩を放っていたのか知ることができる。


Edgar

アメリカでは、エドガー・アラン・ポーはアメリカ文学史上最も大きな影響を、ヨーロッパ文学に与えた文豪ということで知られている。

それはなぜか、ポーは独創性の持ち主だったのだ。
しかし、ただの独創性ではない。彼の天性の才能によって想像力と知性を巧みに融合させ、誰にも真似することのできない、独自の世界を作り出したのである。

そして、ヨーロッパでポーの影響が大きかったのには訳がある。
最初にエドガー・アラン・ポーの才気溢れる作品の歴史的、文化的重要性に気づいたのは、そもそもヨーロッパであった。

更にいうなら、 フランス、イギリス である。

フランスでは、シャルル・ボードレールによる、ポーの作品の仏訳は、たちまち大きな影響力を持ち 象徴主義 転技法 イマージュ 源泉 となった。
フランスでは、文学における運動の他に、美術における象徴主義も出現したが、文学の象徴主義の影響が強まったからだといえる。

彼はいったいどうしてそこまで、ヨーロッパに大きな影響を与えるまでの作家になったのろうか。

答えの一つ は、作家エドガー・アラン・ポーが作品を執筆するにあたって、 武器 にしたものがある。

当時アメリカンルネサンスを生みだした、ニューイングランド地方の道徳主義、ニューヨークの現実主義に欠如しているものを、彼の持つ天性の感性が 「美的センスがかけている」 と、感知したことによって、彼独自のスタイルを見出していった。

エドガー・アラン・ポーが 最大の武器 にしたことは、 美的センスと南部の貴族主義的文化の中で育った経験 を、 作品の中にありありと出したことであった。
このことにより、ポーはアメリカ国内の作家達と戦っただけでなく、その独創性から他国の作家の追随を許すことの無く、アメリカ文学に独立をもたらした。

では、その歴史的偉人はどのような文章を書いたのであろうか。
以下は「アッシャー家の崩壊」の一部である。


「雲が鬱陶しいほど低く空に垂れ込めている、どんよりとして暗い、しんと静まり返った秋の日のこと、私はただ一人、奇妙なほど荒涼とした地方を一日じゅうう馬で通り過ぎ、やっと夕闇が迫るころ、陰鬱な(アッシャー館)の見えるところまでやって来た。なぜだか知らないが、その建物を最初に一瞥したときから、堪えがたいほどの憂鬱が心に染み渡ったのである。」


こんな素晴らしい、文章を書き、後世に名を残したエドガー・アラン・ポーだが、実際彼の人生は酷いものであった。
南部の貴族主義文化を知るポーは一見金持ちの貴族出に聞こえるが、それは彼を引き取った養父であり、ポー生後10ヶ月で実父は失踪、母親は2歳の時に病死した。14歳の少年だったポーは友人の母親に恋をするなど、波乱万丈な人生を送る。
成人してまもなく、養父との縁が完全に切れ、貧困生活の中妻を病気で失い、自身の最後は溝に倒れているところを発見され、その4日後に死亡。
死因は現在も不明のままである。

ここで疑問が生まれるのではないだろうか、 「なぜ天才作家エドガー・アラン・ポーは貧困に喘いでいたのか」

実は、エドガー・アラン・ポーは悲劇の天才であった。
彼の 才能が逸脱過ぎた せいか、 アメリカ文学がまだ発展途上の未熟 であったため、 誰にも理解されぬまま 、世紀の天才はこの世を去ったのであった。彼の作品は低評価で軽視され続けたのだ。

しかし、上記にも述べたように、エドガー・アラン・ポーの作品はまず、ヨーロッパで高く評価され、更に、フランス、イギリスでの高い評価がアメリカに伝わり、ポーの 正当な再評価 がアメリカで行われたのは、彼の死後約1世紀を経てのことであった。


長々読んでくださってありがとうございます





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最終更新日  2014年01月09日 03時23分37秒
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Re:米文学史 エドガーアランポー  
太朗冠者 さん
いい出会いですね。(^O^) (2013年12月12日 08時08分17秒)

Re[1]:米文学史 エドガーアランポー(12/11)  
太朗冠者さん
コメントありがとうございます^^
エドガー・アラン・ポーのような天才は100年に一度現れるかどうかだと思います。
そして、名探偵コナンの漫画は推理漫画日本一なので、両方を知ることができて、お得感があるような気がします^^ (2013年12月12日 18時43分35秒)

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