きよの世界(アメリカ大学院留学編)

きよの世界(アメリカ大学院留学編)

自分の調子と周囲の思い


てことで少し隙間を空けて書くことにします。正直やりにくいけど。
何故なら、この楽天のシステムがそういうことをやりにくくしているからなのだ。
日記を書くところのスペースが小さくて、実際に日記をAttachしてみるとどんな感じになるのかさっぱりわからんのだ。いっそのことWordでも使ったほうがよいのかもしれない。
その人に言われた。自分の調子で前進していると周りの人がしんどいですよ、と。
はっきり言います。余計なお世話です。そういうのがうっとおしいからアメリカに来たのだ。
そんなこと常日頃から気にしていたら、夜の電車の中でよく見る疲れきって辛そうにしてるサラリーマンのようになってしまうのだ。
周りのこと気にして自分のペースが乱れたらそれこそ最悪じゃないのかな。
そしたら結局自分が疲れてしんどくなって、ストレスがたまって、最終的に周囲の人々に迷惑をかけるのでは?
他人の目をきにしすぎて、うっとおしい迷惑な存在になってる人を、日本ではよく見てきたと思う。気のせいかな?
俺は俺のやりたいことをやるのだ。周りがしんどい?それは残念。
中学校・高校と数学の授業は理解の遅い方々に合わせて進行していた。
それによって俺はどれだけ時間の無駄遣いをしたか。
俺は10分で理解できたのに彼らは授業まるまる使っても理解できなかった。
別に理解できないことを非難するつもりはない。それは人それぞれ得意なものが違うから仕方ないのだ。
ただ納得いかなかったのは何故そういう人たちに俺がペースをあわせなければいけなかったのか、である。
数学の授業の時はいつも、ヨーロッパやアメリカの学校がうらやましく思えた。本当の意味での平等というものが存在していたから。
アメリカじゃ、14歳くらいの人が大学で授業とってることだってそこまで驚きではないのである。
ペースが速い人は遅い人にペースを合わせないといけないのだろうか?
能力のある者は能力の無いものに合わせないといけないのだろうか?
そんなことは無いはずだ。
何故なら人はそれぞれ違う才能を与えられたからである。
その才能を伸ばすために人よりも速く前に進んでいくのは当然のことである。
じゃないと時間の無駄遣いでしょ。
俺は数学や物理は得意だが英語は苦手だ。特に発音が。
俺と同じだけ練習して俺よりもずっときれいに英語を発音できる人はたくさんいる。
とてもうらやましい能力だ。
俺は俺のペースでゆっくり練習していくのだ。
焦る必要は無いし、能力のある人を妬む必要もないのだ。
そういう風に人それぞれ得意不得意があるのだ。もしかしたら得意なものは勉強ではないかもしれない。
スポーツが得意な人もいるし、人とのコミュニケーションが得意な人もいる。十人十色なのだ。
だったらみんながみんな一緒のペースで生活する必要はないはず。
得意な分野でがつがつ能力を発揮するべきなのである。
そうやって不得意な分野で溜まったストレスを発散しなといかんのだ。
そうしないのが日本なのでは?日本人の平等観念とはみんなの足並みが一緒であるということじゃないのかな?
少なくとも俺はそういう印象を受けた。
だからちょっと人と違うだけで白い目で見られてしまうのだ。歩調が合ってないから。
人と違うというのは本当に素晴らしいことじゃないのかな?
白人社会であるアメリカで見た目が明らかに違う黄色人種であることを誇りに思う。
目立っててかっこいいじゃないですか。
誰がアメリカ人の真似をして髪の毛の色を染めたりするもんですか。プンスカプン。
みんながコンタクトを使ってる?だったら俺は意地でも眼鏡で生きてやる。誰がみんなの真似をするものですか。プンスカプン。
最近は多くの人がベッドで寝てる?だったら俺は何がなんでも布団で寝てやる。(というのはただの言い訳であってベッドでも全く構いません)
みんな大学生になったらセックスをしてるのに自分はしてないから恥ずかしい!?そんなことはない。むきになって我慢しようではないか。(この時だけは男であることを恨む。何故に神様は男を性欲の強い生き物としてお造りになったのだろうか。)
みんなと一緒じゃないと心配?一人浮くのが恐い??
そんなことはありません。
違うからこそかっこいいのです。
違うからこそあなたは特別なのです。
違うからこそ生きる価値があるのです。
もしみんなが一緒だったら一人一人の存在価値とはどの程のものだろうか。
たぶん台所の流しの下をうろうろ・こそこそしているゴキブリ程度のものだ。
みんなそれぞれに特徴があるからこそ神様は一人一人を愛してくれるのであ~る。
だったら自分の個性を大事にして磨き上げるのが一番の幸せなのであ~る。
違うかね?
そのダメだしをした人の「自分の調子で前進していると周りの人がしんどいですよ」というコメントに戻ると、
近くに自分の調子で前進している人を見た時に、
あなたは自分の調子に相手を合わせようとしていないかな?
別に同じ調子で前に進む必要はないのだ。
だったらなんでしんどくなる必要があるのかな。
自分の調子で前進している人の行動をそのまま受け取るのでなく、
自分なりに工夫して対応していけばいいのではないのかな。
自分の調子を相手に押し付けたいから、自分と違った調子で生きている人に出会うとしんどくなるんじゃないのかな。
バスケをやっていると、自分勝手にどんどんプレーしていく人をよく見る。
そういう人は自分の勝手さゆえにチームメイトが困っているのに気づかないのだ。
じゃあ、そういう時は、すぐにその人に周りとペースを合わせてプレーしてくれと言うのがいいことかな?
違うと思う。
そういう選手にあったときは、こっちはこっちなりの工夫をもってしてその人に対応してみる。
すぐにその勝手な選手にパスをしないで、できるだけマークを自分にひきつけて、より良いパスをその人にしようと努力してみるのだ。
例え俺がシュートを決めて目立ちたいと思っても、それを我慢して、その人とぶつかり合うのを避けるのだ。
そうすると意外とその人をフォローするのも楽しいことだと気づく。
もしその人がオフェンスばかりしてディフェンスをしないなら、
文句を言う前にとりあえず、
自分で努力してその人のマーク相手もカバーするようにしてみるのだ。
そうすることによってどんどん自分の能力は磨きあげられていくのだ。
しかも普通以上にがんばってる自分を見て、「あ、俺今頑張っててかっこいい」とこっそり思ってみたるもするものだ。
でもどうしてもだめな時は、そこで初めて、その選手にディフェンスにきちんと参加するように言えばいいのさ。
そうしたほうが、その人はこちらの言い分を聞きいれてくれやすいのである。
もう一つの例としては、学校の授業がある。
Tutorをしているとよく先生の教え方が悪いから何をやってるか理解できない、と文句言う人を見る。
俺も昔はそういう人間の一人であった。
しかしまず最初に、そういう人たちに言いたい。
Read the book! Study by yourself!!と。
文句言ってる暇があったら自分で努力しないさい。
先生の言ってることがわからんなら自分で教科書読んで勉強しなさい。
それのほうが実際のところためになるのだ。
アメリカに来たとき最初周りが何を言っているかわからなかった。
とった数学の授業の先生はかなり早口だった。
だからいつも自分で予習して少しでも授業を理解できるように努力したし必ず復習もした。
慣れてきてからわかったのだがあの先生は実際のところ教えるのもひどく下手だったのだ。
そのことで文句を言っている生徒が周りにたくさんいた。
というかクラスのほとんどの人がそうだった。
彼らは先生の文句ばかり言って、成績が悪いのもその先生の責任にしていた。
教え方が悪いだの点数のつけ方が厳しいだの。
でも俺は単純に英語が理解できないで先生が何言ってるのかわからなくて泣きそうな気分でいつも授業を聞いていたけど、
成績はクラスで一番だった。
相手の調子を自分に合わせる前に、まずは自分で努力してみるのだ。
例え先生の英語がわからなくてもいくらでも打開策は見つかるものなのだ。

とは言っても、自分のペースで行きたいがために周りの人を傷つけてはいかんけどね。Going my way, always, all the time.的なアメリカは模範生にはなれませぬ。
あまりに周囲の迷惑を考えていないのだ。いくらなんでも、あそこまで自分のペースでいかなくても十二分に幸せになれるのではないかね?
もしある一定のことで幸せになれるならそれ以上を求めなくてもよいでしょう。
ビル・ゲイツほどの金持ちにならなくても生活には困らんはず。
貧乏人から搾取してまでして豪華な生活を送る必要はないでしょう。
つまるところ、大事なのはほどほどさだね。

こういうことを考える時いつも思うことがある。
もし今自分がたくさんのお金を持っていたら、
そのうちどれだけを貧しい人のために寄付できるのだろうか、と。
今は必要以上はいらないよ、と言えるけど
実際に大量の金を手にしたら言い分が変わるかもしれない。
そういうことはよくあるはずだ。
結局今言ったことの全てが机上の理論であるようなきがする。
人生とは理屈以上に複雑でややこしいのだ。



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