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前回の記事で有機農家の大薗(おおぞの)さんから、毎週野菜を配達してもらっていることを紹介しましたが、本日火曜日が配達日です。季節ごとに、特色のある野菜、赤カブや聖護院大根など、ふだんスーパーなどではあまり目にしない野菜も含まれていて、食卓が豊かになります。その大薗さんはじめ、有機農業に取り組み、消費者と連携してネットワークを築いていこうという農家の人たちの記事が、約1ヶ月前になりますが、南日本新聞に掲載されたので、応援する意味でアップしたいと思います。どんぐり自然学校では、15年前にできた当初からヤギやニワトリを飼っているのですが、総合的学習を中心に学ぶ全日制の発足を機会に、以前このブログの食農教育のカテゴリーで紹介した家畜の飼育やアイガモ農法などを取り入れて、食農教育をする予定で、準備を進めています。家畜の飼育は、ヒツジを予定しており、食べるのではなく、羊毛をとって毛糸にしたいと思っていますが。有機農家の方などにも協力を得ながら、田んぼや畑を借りて、米や野菜などの農作物を栽培、収穫したりして、衣食住の生活とのかかわりを実感しながら、いのちについてをはじめ、さまざまなことを学ぶことができると思っています。また、準備が進んできて、詳細を明らかにできるようになったら、ブログでも報告したいと思います。
2010.03.07
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本日2回目の書き込みです。オーバーペースか?家族4人で初詣に出かけ、近所の神社三社を歩いてまわってお参りし、その足でアミュプラザの鹿児島ミッテ10で、映画「ブタがいた教室」を観てきました。映画の感想は、映画「ブタがいた教室」のPちゃんレビューにも書き込もうと思いますが、飼育シーンなどについては、下記の農文協のドキュメンタリービデオの方が、真剣さ、必死さが伝わってきて、見ごたえがある、と感じました。しかし、Pちゃんを食べるかどうか、の子どもたちの議論は、実際に飼育してこそ、真剣にぎりぎりまでいのちと向き合い、考えることができることを感じさせる迫力のあるものでした。ただ、たしかにさまざまな意見が噴出して、本当に結論の出ない、正解のない問題なのですが、人類にとって家畜とは何なのか、人間はどのようにしてなぜ家畜を育ててきたのか、そして現在家畜をどう生産しているのかという基本的な問題にもっと迫らないといけないのではないか、と思いました。つまり、そこをきちんと考えないと、ペットのようにして飼われ、情が移ってしまったPちゃんの命をどうするのか、という問題にしぼられてしまい、ブタをはじめとした家畜を食べることが、たんなる人間のエゴだと考えることになってしまう人も多いのではないか、と感じました。人間としての感情とともに、生命の連鎖(食物連鎖)や循環といったことをきちんと考える必要があるのではないか、ということです。私の担当している「教職課題研究」という総合学習の指導法を教える授業で、毎年必ず学生に見せているビデオがあります。農文協(農山漁村協議会)の出している農業体験で「総合的な学習の時間」をつくるシリーズ(全3巻)の第2巻「(2)生命を学ぶわくわく飼育体験 いのちをそだてる・いのちをいただく」です。農文協のサイトの紹介には、こう書いてあります。長野県伊那市立伊那小学校では、20年前から、やぎ、羊、乳牛などの家畜を子どもたちがクラス毎に飼育している。飼育しているのは、すべてメスかつがいで、出産を体験させている。家畜飼育の苦労と喜び。3年生のクラスが行った豚や乳牛の飼育を縦軸に、何を学び、どう成長していったかを一年を通じて丁寧に追う。ビデオには、さまざまな動物が登場しますが、主役はブタの順子です。〈前編〉「いのちをそだてる」では、順組が2年生のころから飼っていて、種付けのために養豚農家に預けられていたブタの順子が、いよいよ出産を前にして、伊那小学校の3年順組の子どもたちのところに帰ってくるシーンから始まります。子どもたちは、ゴールデンウィークに交代で番をして、順子の出産を手伝い、順子は合計12匹(うち死産3匹)を出産します。〈後編〉「いのちをいただく」では、生後1週間で亡くなった「太陽」を除く8匹を、ともがき広場で子どもたちが育てていきます。順子も含め9匹のブタの小屋を作ってやり、飼育費用も子どもたち自身がまかなうということで、学校農園で育てた野菜をバザーで売り、またアルミ缶を集めるなど、子どもたちは必死に働きます。ブタへの世話も本当に熱心で、ブタたちは順調に成長して「中ブタ」になります。そして、やがて出荷する日が近づき、子どもたちの間では中ブタたちをどうするのかの葛藤が始まります。このあたりは、「ブタがいた教室」と重なるものがあります。子どもたちは中ブタたちをどうするべきか論じ合いますが、議論そのものの迫力は、演じているのが6年生という設定ですし、脚本が練り上げられているので、映画「ブタがいた教室」の方が、ビデオ「いのちをいただく」よりありました。しかし、ブタとの別れのシーンでは、リアル感からか「いのちをいただく」の方が感動します。私の授業でも、毎年必ず大泣きする学生がいますし、私も何度観ても涙がこみあげてきます。このビデオの舞台となっている長野県伊那市立伊那小学校は、総合学習においていうと本当にすごい学校です。全国的に総合学習が始まるずっと以前から、教科書にそって授業を進めるのをやめ、総合学習の中で教科学習もおこない、通知票も廃止して、保護者と直接面談して、児童の評価をおこなっています。また、こうした経験の研究と普及のために、公開学習指導研究会を開催し続けています。(現在の伊那小学校では、低学年では教科の授業がなく、総合学習に統一されており、中・高学年では、教科学習と総合活動が併存しているそうです。)ビデオでも、体重を量ったり、エサ代を計算したりするのが算数の授業、自分の生まれてきた様子をお母さんに手紙にして書いてもらって、それを読んだり、養豚農家などに手紙を書いたりというのが国語の授業なのです。ブタたちに対する愛情をこめた替え歌を音楽の授業で練習して文化祭などで披露、家畜とは何か、どんな歴史を持っているのか、という勉強もします。この農文協(農山漁村文化協会)の農業体験で「総合的な学習の時間」をつくるシリーズ(全3巻)第2巻「(2)生命を学ぶわくわく飼育体験 いのちをそだてる・いのちをいただく」は、総合学習のあり方やいのちの大切さを考える上で、欠かせないビデオ(DVD対応商品)だと思います。ただし、価格が10,500円(本体10,000円)で、個人で買うには少々高いのですが、近くの図書館などで探すなどして、ぜひ観ていただきたいと思います。
2009.01.01
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メリー・クリスマス!今晩の夕食は、七面鳥とまで行かなくても、ニワトリの丸焼きという人もいるかもしれません。さて、12月13日付けの南日本新聞の投稿欄「ひろば」の「若い目」のコーナーに、わがゼミ生の投稿が掲載されました。鹿児島国際大学短期大学部1年 T.R食への理解 自らの手で飼育してきた家畜の解体を見つめるドイツの少女。ゼミのビデオ学習で目にした光景だ。 肉食文化のあるドイツでは、ソーセージは自家製という家も多い。ソーセージを作るためには家畜を育て、解体し、加工するという作業が必要である。家畜を解体する様子は見ていて気分のよいものではなかったが、ドイツでは子どものころからそれが当たり前のことだと自然に考えている。 いま、私たちが店で目にする食品の多くには原産国や原材料が表示され、そこから得る情報によって、その食品を理解している。しかし、肉でいえばどのように畜殺がおこなわれているかなど、食品の加工過程についてほとんど知ることはない。 「飽食の国」といわれている今、自分が普段口にしているものについて少しでも知るべきである。そうすることによって、食品がより身近で大切なものに思えてくるはずだ。 わがゼミでは、人間と自然との決して分離できないが、なんとも言いがたい錯綜する複雑な関係(あくまで新参者であり、自然のおかげで生まれ、生きながらえてこられた人間の側が、自然に対しておこなってきた仕打ち)を理解するために、スタジオジブリの「もののけ姫」などを教材にゼミナールを進めています。 その一環として、NHK特集のシリーズをジブリが企画・編集して発売されているDVD BOX<ジブリ学術ライブラリー>「人間は何を食べてきたか」全8巻セットの第1巻「食と文明の世界像1」の「第1集 一滴の血も生かす ~肉~」(教育テレビスペシャル/1985年放送)(ドイツ・バイエルン州の郊外、農家の庭先で鮮やかに解体されるブタ。ブタは一滴の血まで利用され、自家製ブルスト(ソーセージ)などへと加工される。厳しい冬を生きのびるために肉食文化は発達してきた。)をみました。 私のドイツ留学のときの経験でも、各地にさまざまなソーセージ(Wurst)があり、ドイツの肉食文化の伝統と「豊かさ」を実感したものです。このDVDは、通販などで、BOXだけでなく単品でも購入できるので、ぜひ見てほしいと思います。 同時に、最近DVDでも発売された「いのちの食べかた」(ニコラウス・ゲイハルター監督)と比較すると、食料生産が現代において「機械化・工業化・大量生産」の方向にすさまじく変化してきていることを実感させられます。「人間は何を食べてきたか」全8巻セット人間は何を食べてきたか 第1巻~食と文明の世界像(1)~2008年11月29日発売いのちの食べかた
2008.12.24
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以前、川上小のアイガモ農法の総合学習(アイガモのいのちをいただく会)について、このブログでも紹介しました。しかし、残念なニュースが流れました。2007年6月28日の南日本新聞の記事です。ここに引用させていただきます。川上小 アイガモ農法取りやめ(2007年6月28日 南日本新聞) 「アイガモ農法」による米作りに11年間取り組んできた川上小学校は本年度、同農法による実習を取りやめた。5年生の総合学習として続けてきたが、「総合学習をバランスよく実施するため」「アイガモを食べることで命の大切さを学ぶには早すぎる」などの理由を挙げる。一方、同行の保護者らは、学校側の主張を認めつつ「アイガモ農法は川上小学校の伝統」と1825人分の署名を集め、復活、存続を求めている。(地域報道部・中野督子) 同校のアイガモ農法による米作りは、環境や有機農業を学ぼうと1996年始めた。農協が補助し、PTAや地元農家などが児童とともに農作業に励む。2001年からは、成長したアイガモを食べる「食と命を考える学習」も行ってきた。今年は、アイガモを利用しない減農薬米作りに変更し、田植えは一部の高齢者が手伝った。総合学習での授業時間も短縮、英会話などを増やした。教職員で決定 アイガモ農法をやめた理由について、同校は、(1)総合学習が求める「調べる力を付ける学習]につなげるのが難しく、全110時間中87時間を占めた(2)アイガモを殺すことに批判もあり「食と命の授業」は小学校の発達段階にふさわしくない(3)農協の補助40万円が昨年からなくなった(4)学校の池で飼育したアイガモの汚物が詰まり水源地汚染も心配される(5)アイガモ農法は教員が主体的に指導できず、学校で指導する枠を超えている-などを挙げる。 同校の馬場盛行校長によると、教職員間で昨年11月から3回の話し合いを持ち、今年2月に変更を決めた。2月末に5年生(当時)の学年PTAで説明したほか、5月17日のPTA総会後に全学年の保護者対象の説明会を開いた。しかし現在の5年生の保護者らには個別の説明はなかったという。命を知る機会 「PTAや地域が一体となった活動をなぜ壊すのか」-保護者らはアイガモ農法の存続を求めて4月、署名活動を行った。「食べることの大切さを知る貴重な機会。続けてほしい」「『アイガモ農法があるから川上小に行きたい』という子どももいる」との声が寄せられ、卒業生も心配しているという。保護者の一人は「今年が駄目でも来年以降復活させられないか」と望みをつなぐ。 初回から同校のアイガモ農法を指導してきた近くの農業橋口孝久さん(55)は「いまだに学校側からの正式な説明を受けていない。ともに地域で協力してきた仲間も憤っている」と話した。 教育上の効果についても、県内外でいのちの授業を行う鹿児島国際大学短期大学部の種村エイ子教授(60)は「命が見えにくくなっている現代、アイガモの命をいただくことで学べることは多い」と指摘。「学習は教師だけでなく子ども、保護者、地域が協力して行うべきでは」と、学校側の判断による打ち切りに疑問を呈し、地域や家庭との連携の大切さを訴えた。 以上ですが、皆さんいかがでしょうか? 総合学習のあり方、効果が疑問視される中、川上小の取り組みこそ、総合学習の成功例の一つということで、学生にも紹介してきました。「自分はアイガモを食べるなんてできない」と感想を述べる学生も中にいるけれど、そうした学生も含めて「すばらしい取り組み」「こんな貴重な経験ができて川上小の子どもたちは幸せだ、うらやましい」という学生が大半です。 「アイガモを殺すことに批判もあり「食と命の授業」は小学校の発達段階にふさわしくない」ことも学校側はやめる理由に挙げているけれど、私たちは生き物を殺さずに生きていけるのでしょうか。現代社会では、生き物を殺す場面は私たち自身には隠されていて見えず、そうしたことをまったく実感することなく、できあがって商品となった食品を買って食べて生きる社会になっており、だからこそ命の大切さもわからなくなっているのではないでしょうか。川上小のアイガモ農法の総合学習は、そうしたことを学ぶ絶好の機会だったはずです。いったい、他の生き物のいのちをいただくことで私たちが生かされている、ということを学ぶ絶好の機会を失って、どんな教育をするというのでしょうか。 私の子どもの通う小学校の保護者たちも川上小にこの総合学習の様子を学びに行って感心、感動して帰ってきたように、川上小の取り組みは全国から注目されていました。学校としては、おそらく有名になりすぎてしまった「アイガモ農法の総合学習」で、突出してしまった学校の評判を普通のものに戻したかったのかもしれませんが。 しかし、どんな理由があるにせよ、こんなすばらしい取り組みをやめてしまうのは許せません。地域や保護者の皆さんにがんばってもらって(私ももちろん協力します)、ぜひ復活させてほしいと思います。
2007.07.01
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もう4ヶ月近くも前のことになりますが、2007年2月24日、アイガモ(合鴨)農家の橋口さんのところで、アイガモのいのちをいただく会がありました。橋口さんは、鹿児島市立川上小学校の5年生の総合学習で、アイガモ農法の指導もされています。アイガモ(合鴨)は、家禽(かきん)のアヒルとマガモを交配して生まれた鳥で、日本では主として食肉用に飼育されていました。このアイガモを、その性質の着目して、殺虫剤や除草剤などを使わない有機農法として活用したのが、アイガモ農法です。すなわち、アイガモは、イネ科の植物は口にせず、雑草や昆虫を餌にして食べる性質をもっています。しかも、アイガモを水田に放して、除草駆除させ、無農薬で安全な米を収穫するだけでなく、大きく育った鴨肉を同時にいただくという、まさに一石二鳥の農法(合鴨水稲同時作)です。アイガモ農法の歴史ですが、1945年以前にもすでに近畿地方を中心にアヒルによる水田除草がおこなわれていたそうです。現在のようなアイガモ農法のアイデアは、まず荒田清耕さん(富山県砺波市)がアイガモ除草法を提案、実践し、さらに置田敏雄さん(富山県福光町)から手ほどきを受けた古野隆雄さん(福岡県桂川町)が、1988年から合鴨水稲同時作として確立して、全国に広がっていったようです。JAS法が定めている有機農産物の定義は、化学肥料や農薬を播種または植え付け前2年以上(多年生作物にあっては最初の収穫前3年以上)の間、堆肥等による土づくりを行った圃場において生産された農産物とされています。したがって、2~3年以上にわたり、化学肥料や農薬を栽培の過程で使用しない栽培法が有機農業です。アイガモ農法も当然、有機農業と思われていたとき、2002年(平成14年)の農薬取締法の「改正」があり、アイガモも特定農薬となるかもしれない、ということが起こりました。アイガモが農薬であるならば、無農薬の有機農法でなくなる? このとき、農林水産省は、アイガモは雑草も稲も無分別に摂食するために、農薬取締法がいうところの農作物を害する害虫や雑草を防除するものではないという見解を示して、この問題に決着がつきました。アイガモ農法のメリットとして、次のような効果があるといわれています。(1)害虫防除効果...アイガモは雑食性。水田内のウンカ類など害虫を好んで食べ、優れた害虫防除効果が期待できる。なお、アイガモは害虫だけでなく、益虫も食べる。(2)除草効果...アイガモは、稲作における雑草を食べる。ただしイネ科の植物は食べないので、除草剤を使わない農業の実践に、大いに貢献する。(3)有機肥料効果...水田中でアイガモの排泄する糞尿は、優れた有機肥料となる。(4)土壌攪拌効果...アイガモは泳ぎながらくちばしや足で水田の泥水を掻き回し、水田内に酸素を供給する。また、水をかき回すことで、雑草の繁茂を抑える効果がある。(5)生育刺激効果...稲の株元をくちばしでよくつつき、株張りがよく丈夫な稲を育てる。(6)環境復元効果...アイガモを水田に放している間は農薬が使用できないため、水田周辺の生物が生き返るなど、自然環境が復元・保全される。「アイガモ農法」成功の秘訣は、アイガモの性質をよく知り、これに十分注意することが必要だということです。少しまとめてみますと、(1)アイガモの性質や生理を把握して、稲の生長を助ける効果的な利用法を採用する必要があります。特に、アイガモ農法による除草効果は、アイガモを田に投入するタイミングと深い関わりがあります。(2)田に入れるアイガモの数は、10a当たり15羽程度だと言われています。少なすぎると十分な効果が得られず、多すぎると窒素やリン酸過多などの障害が発生するおそれがあります。(3)田植えの約1週間後、生後2週間程度のヒナ鳥を田に入れます。アイガモは雑草のやわらかな芽を食べますが、成長してかたくなった草はあまり食べません。田に入れる時期が遅くなると、その間に成長した雑草が繁茂してしまうので、アイガモの除草効果はあまり期待できなくなります。(4)アイガモが野犬や野良ネコなどに襲われないように、田の周囲を囲ったり、夜間は安全な小屋に保護するなどの対策を講じる必要があります。(5)田の隅々までアイガモが泳いで動き回れるように、田の水量が十分であること、平衡が保たれていることが大切です。(6)稲の穂とモミは、アイガモの大好物です。稲が出穂する時期になったら、アイガモを田から引き上げる必要があります。そして、「合鴨水稲同時作」の文字が示すように、アイガモ農法は、米とともに「アイガモ」という作物も生産できる効率的な農法です。その年に生まれたヒナ鳥は、成長後(クリスマスの頃)には脂が乗った美味しい鴨肉となるわけです。さて、鹿児島市立川上小学校では、1年生から6年生まで、総合的に自然や環境を理解するために、体系的な総合学習が組まれています。1年...好きな木やあさがおの観察・草花遊び・野菜作り・ミミズの観察 季節の草花や昆虫、みみずなどと触れ合う活動を通して、季節や命はつながり合い、繰り返されていることを知り、自然のすばらしさに感動する心を育てる。2年...季節の野菜やサツマイモ作り 野菜作りやさつまいも作りなどの土と触れ合う活動を通して、土から植物の命が生まれ育つ過程を知り、その自然の恵みを自分の体に取り入れることによって、植物のいのちと自分の命とのつながりを考えようとする心を育てる。3年...土着菌作り・草木染め 土着菌による土つくりや地域に植物を利用した草木染めなどの活動を通して、自然に関心を持ち、くらし(衣食住)を豊かにしてくれることに気付き、積極的に生活に取り入れ、自然と共生していこうとする心を育てる。4年...ビオトープ活動とホタルの飼育 自分たちを取り巻く身近な地域の環境に目を向け、ホタルの幼虫の飼育活動や福祉施設との交流活動を通して、人と自然,人と人とのつながりに気付き、自然を大切にして、より良い環境を作り出そうとする意識や態度を育てる。5年...合鴨農法による米作り 種まきから収穫までの一連の合鴨農法での米作りの体験を通して、安全な「食」や「環境問題」に対する関心と理解を深め、自然との共存やいのちの大切さを見つめようとする態度を育てる。6年...川の水質検査・リサイクル あべき川の水質調査や家庭から出される汚水の調査を通して、生命と水との関係に対して関心を深め、安全できれいな水を守ろうとする意識や態度を育てる。また、世界規模での環境問題を把握しながら、自分たちにできることを考え、実践しようとする意識を持たせたい。この5年生がおこなっている「合鴨農法による米作り」の一環として、「アイガモのいのちをいただく会」があったのです。この経緯については、農文協の発行する食農教育 No.37 2004年11月号の[特集]農家に学ぶ「いのちの授業」に「アイガモのいのちをいただくまで--私たちが考えたこと 鹿児島市立川上小学校の実践」(編集部)にくわしく述べられており、農文協のウェブサイトでも読むことができます。この記事を読むとわかるように、「アイガモのいのちをいただく会」にたどりつくまでには、長い葛藤の過程があったようです。卵からヒナにかえるところから育て、ずっと一緒に時間を過ごしかわいがったアイガモの命を奪って食べるなんて残酷なことをしていいのか? 子どもの心を傷つけるのではないのか? いや、アイガモは家畜(家禽)だから、食べるのは当然じゃないのか? 食べるのか、食べないのか、どうすべきか? ということを、先生、親子それぞれが悩みながら、この会にたどり着いたわけです。こうして悩み、考えることを通じて、私たちは、食物連鎖=「命の連鎖」(いのちをいただく)によって生かされており、「いただきます」とは、「いのちをいただく」ということだ、ということを学ぶことになるのです。今回、橋口さんから招待を受けて、私といっしょに私の小6と小2のふたりの子どもも参加しました。川上小学校の子どもたち、親たち、先生たち、卒業した先輩たち、アイガモ農家や地域のボランティアの人たち、総勢200名ほどいたでしょうか、その人たちとともに、アイガモだけでなくアヒルも含めて、合わせて30羽ほどのいのちをいただきました。ふたり(私も含めて三人)とも、おそるおそるですが、橋口さんたちの指導を受けながら、アイガモとアヒルの首を捕まえ、羽をむしり、包丁で解体し、内臓を取り出し、肉を切って、そしてそれを焼いて食べました。この日は、鹿児島大学に来ているベトナムの留学生も参加して、血をとったり、ベトナム風の鍋を作ったりしていました。アイガモやアヒルの肉はふだん私たちが食べる鶏肉に比べて、コロコロと硬かったけれど、味わいのある味に子どもたちも「おいしい」といって、食べていました。せまい鶏舎でひたすら太らされて2ヶ月で食卓に上がるブロイラーに比べれば、8ヶ月間、田んぼなどで思いっきり走りまわったり泳いだりできたアイガモたちは幸せだよな、と心に言い聞かせて、私もアイガモのいのちをいただきました。当日の様子をアップしました。もっと生々しいものもあるのですが、差し控えました。それでも刺激的過ぎるかなあと迷いましたが、このくらいまでは大丈夫と思い、載せておきます。
2007.06.14
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