炬燵蜜柑倶楽部。

炬燵蜜柑倶楽部。

2017.12.25
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カテゴリ: うつほ物語
その三の一 節会当日の昼から~帝は自らの女御達を兼雅や兵部卿宮と想像の中で恋人達にして楽しむ

 当日になり、まず朝の賄いを仁寿殿女御が担当した。
 この日の女御はとっておきの衣装に身を包んでいた。
花文様 けもんよう のある綾に模様を摺った裳。その下に唐の綾を重ね、赤色の唐衣に二藍襲の表着、そして更に下に 掻練 かいねり の袿をまとっている。
 元々の容貌の美しさも加わり、まずこのひとに叶う女は居ないだろうな、と眺めながら帝は思う。
 その昔、帝は仁寿殿女御と右大将兼雅との間を疑ったことがある。
 実際は、女御がまだ入内するかしないかの頃、兼雅が言い寄ったことがあるというだけである。
 女御はそれをさらりとかわし、入内以後も時々趣のある文を交わす、というだけである。現在はその文のやりとりも特にはしないらしい。
 帝は内に居る女御、外に控えている兼雅を見比べる。
 二人とも非の打ち所も無い素晴らしい者達だ、と帝は思う。
 そしてふと怪しい考えが浮かぶ。

 ―――この女御と大将の二人は、一緒に置いても似つかわしい者達だ。
 親しめる花盛りの春なり、紅葉の秋なり、そんな風情のある夕暮れに、この二人が睦まじく未来を語り、お互いに深い心を打ち明け、語り合っている場面… 
 それもなかなか良いな。

 ふふ、と帝は想像して微笑む。

 ―――私ばかりではない。そんな情景が実際にあったなら、聞く人見る人誰もが心を引かれてしまうだろう似つかわしさだ。

 いかんなあ、と思いつつも、ついこうも考えてしまう。

 ―――いちど二人を揃えて夫婦の様にして見てみたいものだ。  

 そう思いながら女御の賄いの采配、兼雅の相撲の準備をじっと見比べる。
 その立ち居振る舞いや人々に指示する様子が不思議と同じ位に素晴らしいものであるのに驚く。

 ―――そう、こんな感じだ。

 一つの行事に共に取り組む姿は、夫婦のそれに近いものだ、と帝は想像が現実になっている様な思いにかられた。
 ふと見ると、側に女郎花の花が生けられている。


「―――薄く濃く色付いた美しい野の女郎花を、庭に移し植えて、花に置く露の心を知りたいものだ―――
 さて、この歌の意味を理解して説明できる者は居るか?」

 問いかける。
 最初に兵部卿宮が受け取って見た。

 誰か自分の手の内にある者を外の誰かにやったら?

 その程度には彼も理解できる。だが帝の本音は判らない。どの女性のことを言おうとしているのか。
 だが彼はこの時、承香殿女御にほんのりと懸想している身でもあった。
 「色好み」の彼である。あて宮の懸想人であったことは過去として、いつでも恋の一つや二つは身の回りに漂っている。
 彼はこう書き付け、兼雅に回した。

「―――籬に咲く女郎花が様々に良い香りを放っています。何処の野辺であれ、その女郎花が移し植えられることを待っていることでしょう」

 一方、回された兼雅は、正直帝の言わんとしていることがさっぱり判らなかった。
 仁寿殿女御への思いは確かにあるのだが、そこは根がお人好しな彼、帝までがそれに気付いているとは思ってもみないのだ。
 兼雅は首を傾げながらもこう詠んだ。

「―――香り高い女郎花が、仮に賎しい野辺に移し植えられたならば、野辺の蓬は女郎花をあがめてやまないことでしょう」

 そして正頼に回す。
 彼はさすがに帝の意味するところに気付いていた。
 この時の賄いは自分の娘である。それに先日の文比べのこともある。何かしら含むところがあるのだろう、と考えた。

「―――私はこの女郎花/娘を双葉の幼い頃から大事に大事に育てて、野辺に移し植えようとは考えてもみませんでした。誰の手も触れずに、籬の中でそのまま老いよ、と思っております」

 そう詠んで、正頼は仲忠に回した。
 正頼は受け取った仲忠を見る。すると仲忠はにっこりと笑った。

「―――撫子/姫を大勢育てた女郎花/親は、美しい撫子を籬/宮中の中に移し植えて楽しんでいるのです。その女郎花を花の親と崇めましょう」

 正頼はそれを聞いて、なるほど、とうなづいた。
 帝は戻ってきた花と歌を見ると、皆が銘々に受け取り方に楽しくなった。
 なるほど、兵部卿宮は承香殿をね。
 兼雅はなるほど、思った通りだ。
 そして仲忠の歌を見て、帝は思わず笑った。
 何て奴だ。こちらの考えていることの更に上を詠んでいるな。

「仲忠はどの様に理解した?」

 あえて帝は聞いてみる。

「深くは存じ上げませんが、…けどさほどに間違っているとは思いませんが、如何でしょう?」
「ふふん。なかなか賢く空とぼける奴だ」

 帝の笑いは止まらない。



 相撲の勝負が始まった。
 そのうちに日も高くなり、御馳走の賄い方も承香殿女御に変わった。
 時間が過ぎ、日が高くとも夜の御膳部の時刻となる。
 元々は式部卿宮の女御の番ではあったのだが、彼女は事前にこう承香殿女御に「昼の番をお願いできませんか」と頼んでいた。
 承香殿女御はこう答えた。

「夜も引き続きしてもいいとおっしゃるのなら引き受けましょう」

 そんな訳で、夜になっても承香殿女御がその役につくこととなっていた。



 相撲の方は、四人の相撲人が左右それぞれから出場し、皇子達、上達部、大将、中・少将、皆観戦しながら応援していた。
 無論音楽の方も忘れてはなるまい。
 帝は、面白い勝負が続いたため、賄いの女御の容貌や装束が素晴らしかったにも関わらず、気を止める余裕すらない。
 十二番勝負が終わった時には、勝敗は五分五分だった。
 左右それぞれが決着をつけるために全員引っ込んだ時に、ようやく彼女の姿を見ることができた位である。
 夕暮れの光の中、承香殿女御は不思議な程に美しかった。
 時間のせいだろうか、光のせいだろうか、彼女の美点という美点が格別際だって見えた。
 帝はちら、と彼女と噂の立った兵部卿宮の方を見る。

 ―――今日この日、この二人はただそのまま見過ごしてしまうことの出来ない人々の中にいるのだな。彼も彼女もお互いに見交わしてしまっては、たとえ身の破滅となろうとも、私としたところでそのままにはしておけないだろう。

 などとまた、帝は先ほどの仁寿殿女御と兼雅の様に想像、もしくは妄想にふける。

 ―――ああ、よく見ると兵部卿宮も承香殿も、何と素晴らしい組み合わせだろう。表には見せず、深い心持ちを隠しているところがある二人――― として、どその限られた条件の中で、どんな恋の囁きを伝えあうのだろう? 
 世の中の少しでも見所聞き所のある良い言葉は残らず語り尽くしているだろうあの二人が言い交わす様子をぜひ見てみたいものだ…

 ふふ、と帝は含み笑いをし、食事をしながらも承香殿女御に向かって囁く。

「今日の賄い方は、皆にお酒を奨めるはずだ。とりわけあなたは、誰かにおっしゃることがあるのではないか?」
「賄い方としての私が、御酒を差し上げたい様な方はございませんわ」

 女御はさらりと返す。
 その言葉を兵部卿宮が聞きつけた。

「今日は御盃の頂ける相撲の節ですよ。ぜひ私に」

 彼はやや茶化した口調で言う。帝はそれを聞いて笑う。

「そんなふうに、おいしく頂きすぎて倒れる方も居るだろうね」
「倒れる方/負ける側に廻れば、思いが叶って勝つことになりましょう」

 なるほど、と帝は思った。
 兵部卿宮の言葉といい、様子といい、切実な思いは隠そうとしても隠しきれないものなのだ、と。
 そして思う。

 ―――さぞ苦しいだろうな。こうして二人を並べてみるとこれもまた実に似つかわしい二人なのに。
 さて、杯を女御に上げる様な者が、本当に無いものか、そっと試してみよう。

 帝は承香殿女御に向かってこう詠みかける。

「―――つわもの/兵部卿宮の心の中に、あなたが宿るのは私にとって辛いけれど、乙箭/あなたが甲箭/兵部卿宮と並ぶと、お似合いだ。
 だから私はあなたを咎めないよ」

 女御はそれを見て返す。

「―――世間によくない評判が聞こえておりますので、射ら/いらいらして心配致しております」

 東宮がそれを取った。

「―――秋の夜を待ち明かして数を書かせる鴫の羽を、今は乙箭/承香殿の側に並べましょう。
 同じことなら、その様に二人が一緒になるのが宜しいでしょう」

 そして兵部卿宮に回す。

「―――大鳥の羽は独り寝の寂しさと降る霜のために片羽になったようだ。今度は乙箭に霜が降って片羽になるでしょう/私達は皆さんのおっしゃる程深い関係は無いのです。
 覚えのないことですね」

 そう詠んで弾正宮に回す。

「―――夜が寒いのに、羽も隠さない大鳥/風聞の羽に降った霜/古い評判がまだ消えないものですね/あなたのことは前々から評判なのですよ。お隠しにならないから。
 はじめに評判されたのがよくなかったのですね」

 次に正頼に回す。

「―――消えてしまわないで、夏をさえ過ごす霜を見ますと、そのために冬の霜は甚だしかったのだろうと思います」

 弾正宮の歌を受けた正頼は兼雅に回した。

「―――花/承香殿にさえ早く飽き/秋が来て冷淡/霜になれるのだから、野のあたりの草が思いやられます。
 あなたのそら言が恐ろしくなります。私は知ってますよ」

 などと皆で、ここぞとばかりに「色好み」の兵部卿宮を冷やかすのだった。
 最後に兵部卿宮がそれに返した。

「―――美しいのも美しくないのも、秋の野辺の花さえ見れば、浮気な人は先ず差別なく摘んでは捨て、捨てては摘んでばかりいますね、確かに」

 やはり「色好み」と昔言われた兼雅に対する皮肉のつもりだったが、自分自身にも返って来ることを、彼自身やや悔しく思った。



 そうこうしているうちに、左右を決する試合が始まることとなった。
 ということで、左方からは、名だたる「下野のなみのり」が出てきた。
 なみのりは今まで三回上京しては、相撲の試合に出ている。だがその中の一回は、あまりにも強すぎて、相手が居なくて帰ってしまったという天下の強者である。左方の相撲人の中で、なみのりの相手になる者は居ないのだ。
 正頼はここ一番では彼しかない、とばかりになみのりを出してきた。

「今度の試合で勝負が決まる筈だから、どうしても左方右方お互いに張り合って奮戦するだろう」

 正頼はそう思う。
 一方右方は「ゆきつね」を頼りにするしかなかった。皆神仏に祈願を立て「勝たせ給え」と念じていた。
 人々は思う。

「今回の相撲の勝ち負けが決まらないと、きりが無い。まさにこの二人の最手で決まるのだな」

 帝はその様子を見て命ずる。

「左方にせよ、右方にせよ、今日勝った方は、ここに参上している人を分けて、負け方の司や官人を送りなさい」
 よし、とばかりに最後の勝負が始まった。

 ―――左が勝った。

 勝った左方から、四十人の舞人が出てきて、御前に出て舞いを始めた。
 それを皮切りに、楽人など、皆一斉に管弦の遊びを始め、その場は大騒ぎとなった。 
 正頼は杯をなみのりに渡す。そして自分の袙を脱いで、褒美として取らせた。
 相撲の結果を満足そうに帝は見る。

「近年、嵯峨院の御時にも、私が即位してからも、見所のある行事はさほどになかったが、今日の相撲は非常に面白かったな。現在の左右大将達のおかげだろう」

 そう一人、つぶやく。

「後の人々に、仁寿殿の相撲の節は吹上の九月九日に匹敵すると言わせたいものだ」

 それを聞きつけた東宮が口を挟む。

「何と言っても、今日のこれこそは、と思われたことは左右大将以外の人達には出来ませんよ。多くの者に勝っている、天下のあらゆる物事が今日は出尽くしたと思われます」
「それで終わりのつもりか?」
「いいえ」

 東宮はふっと笑う。

「仲忠や涼なら大将達のしたこととは違う、それでいて素晴らしいことをすることでしょう」

 は、と帝は軽く口元を上げる。

「彼らは手強い。そう簡単には我々とて、動かせるものでもなかろう。…とは言え、いつもいつも断られているというのも癪に障るな。ともかく涼を呼ぶがいい」

 帝がそう言うと、すぐに涼が呼ばれて来る。

「何か」
「おお、涼。今日の相撲の節は素晴らしいものだったな」
「は。非常に面白うございました」
「そうだろうそうだろう」

 帝は大きくうなづく。

「いつもの節会よりずっと面白い日だ。そこで、だ」

 ほら来た、と涼は思った。彼は自分が呼ばれた時から嫌な予感がしていた。

「もう一つ面白いことをして、出来ることなら後代の手本とできたら、と思うのだ。人がそうそうしない様なことをしたい。そこでそなたともう一人を思い出した」
 仲忠のことだな、と涼はすぐに気付く。

「院がそなたの所を訪れた時の九日の催しは、唐土にもそうそう無い珍しい例となった。今日のこの節会もぜひそうさせたいものだ」
「はあ…」
「そこで、だ。そなたがあの日弾いたという琴を」
「…それは」
「院の前で弾けて、私の前では困るというのか?」

 くく、と帝は笑う。困った、と涼は思う。

「無論帝の仰せなら何でもお応えしたいと思います。ですがここしばらく、あの折りに弾いた琴は今後は弾くまいと決心致しまして…」
「ほぉ、それはまたどういう」
「精進しなくては、と。心を入れ替えて、それまでの技術も全て捨ててしまったので、ここでご披露できる様な手はまるで覚えておらず…」
「何を言っている。そういうことは私に言うべきことではない。ああ全く、仲忠もそなたも山賎共にも等しい奴だな。それではそういう者達の言葉は今後聞かないことにしよう」

 涼は困った。
 無論帝の言い方からして戯れ言であるのは判っているのだが、仲忠の普段の態度が態度である。帝はおそらくそれを思い出してやや苛つくのだろう。

「いえ、少しでも思い出すことができるのなら、お弾き致します。ただ、さっぱりかけ離れてしまって」
「涼よ」

 ずい、と帝は軽く涼に迫る。
「そなたが拒めば拒むだけ、私は仲忠の琴をも聴けなくなるのだよ。あれはともかく私の言うことは聞かない。琴を弾く者の性状だとは思ってはいるのだが――― そなたはどうなのだ? あれの琴は聞きたくは無いのか?」

 聞きたい。涼は思う。箏ではなく琴。あの人々の心を幻の中に陥れる様な琴をまた聞きたいとは思う。
 だが一方で「それは危険だ」と警告する声もある。
 仲忠は自分の琴の持つ力を知っていて、自重している。だがその意味を帝をはじめ、誰も判らない。
 そしてそれは、自分の口から言うべきものでもない。涼は思う。
 帝はそんな涼の思いには構わず、続ける。

「弾く曲を覚えていないで全く不安であるのは当然のことだろう。だがそもそもそなたには深い才があるのだから、琴に向かって手を触れさえすれば、自然に思い出してくるものではないのか?」
「…」
「半分くらいは覚えていよう?」

 そう言って帝は側にあった「六十調」という琴を 胡笳 こか の調子にして差し出し、命じた。

「胡茄の声で折り返して、笛に遭わせて弾きなさい。そなたの師、 弥行 いやゆき から伝えられた『このは』を琴の音の出る限り弾くのだ」
「困ります。一向に他の手など、まして胡茄の手など… どうぞ、この調をやめて、元に戻して下さい」
「まだ言うか」

 微妙に帝の声に怒りが混じる。まずい、と思った瞬間だった。

「―――仲忠となら」

 涼の唇から一つの名がこぼれた。

「仲忠の朝臣が一緒でございましたなら、彼の弾く調子に、失われた記憶も僅かながらに思い出すことでしょう」

 なるほど、と帝はにやりと笑う。

「あれとて、涼、そなたが一緒に弾くというならばその気にもなるかもな」

 それはいいかもしれない、と帝はうなづく。










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最終更新日  2017.12.25 15:52:33
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