炬燵蜜柑倶楽部。

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2018.01.15
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カテゴリ: うつほ物語
その七の三 仲忠と女一の宮の文のやりとり


 一方仲忠のもとには、三条殿から女一宮の文が届いていた。

「昨夜はお帰りになると思っていたのに、結局戻って来なかったのね。夜中休むことが出来なかったわ。でもそんな大切なことがあったの?
 ―――降り続くということは恐ろしいものです。淡雪でも積もれば山となるんですから。…ちょっと帰れないだけ、と思っていても、それが積もり積もれば、怖いことになるのよ―――
 ってね。あなたがいつか私につれなくなるんじゃないかしら、とそんなことばかり心配しているのよ。でもちょっとのことだと思って、今は我慢してるの。会える時を楽しみに待っているわ」

 仲忠はそれを見てくす、と笑う。そしてさらさら、とその返事を書く。

「―――言う通り、雪が山になっては大変だ。越路では、道が途絶えて会うことができないということがあるそうだよ―――
 それを心配して、一晩眠らずに夜を明かしたよ」

 そのうち、雪が高く積もってきた。仲忠はもう一度宮に文を送った。

「夜の独り寝はどうだった? 返事が無かったものだから心配なんだ。宮からの文を無駄にする様なことは決して無いのに。

 …とこんな風につい書いてしまうのも、思い出して欲しいからなんだ。
 それにうちの子犬ちゃんがとっても恋しいよ。あなたの懐に抱いてやっておくれね。今朝の雪は格別寒そうだから」

 仲忠はそう書き送る。
 そしてこの返事が来てから帝の元には参上しようと思う。昨日の様に色々と見られて騒ぎになるのは御免だったのだ。 



 参上してみると、殿上には涼、藤英、忠純の他に、正頼の子息達も沢山参上していた。

「どうして私に教えてくれなかったんだ。君と私の仲じゃないか」

と悔しそうに、だが楽しそうに涼は仲忠をつつく。

「別に涼さんにだけ教えなかったって訳じゃないよ。他のひとにだって」
「だからそこが私と君の仲だろう? 私は君の読む文章を聞きたいと思って、こんなに寒い日なのに、こうやって妻や子の暖かい懐を離れてきたんだからね」

 仲忠はそれを聞いて苦笑する。


「そう君はお役目が何より大切だからねえ。私達は皆、お役目でなく、君のためにこうやって駆けつけてきたというのに!」
「お役目にもこの様にしっかり来て欲しいものだけど」
「またそう言ってつれないんだから。だいたい君はそうやって来た我々に、一言さえ聞かせてくれないじゃないか」

 そうだ、とばかりに周囲もやや意地悪な表情でうなづく。

「だって帝の仰せだから仕方ないでしょ。高い声で読めないんですってば。それにもうずいぶん長く読み続けて苦しいから、声も出なくって」
「それじゃあどうして、昨日は雪を貫き空を駆ける程の声を張り上げたんだい? 私はね、君こそ現在最高の博士だと思ってるよ」
「そんな…」
「その博士ときたら、酒を呑んで酔っても大声で読んで、我々を腸がちぎれる程感動させ、その声のありったけを聴かせることができた… けどそうして聴いた我々ときたら、その文字一つ覚えていないんだ」

 そして涼はじっと仲忠を見る。

「ねえ、一体君は私をどれだけ惑わせれば済むつもりだい?」

 仲忠はそれには黙って笑う。

「またそんな顔で誤魔化す。琴を弾けば、私にすねを丸出しにさせて走らせて転ばせたりして。あの時は宮中の皆にずいぶんと笑われたものだよ」
「そんなに簡単にちぎれるなんて、弱い腹だね。涼さん感激屋だからなあ。…でもそれじゃあ聴かないうちは何、宮仕えもできないって言うの?」
「だから仲忠、君はあの書を、それこそ物の底に隠す様に読まないでくれないか。できれば」
「あのねえ涼さん。そんなこと言うと、石の唐櫃に入れちゃうから」
「書の中身も涼どのも一緒に壁の中に塗り込めてしまうおつもりか? 大切なものとして」

 藤英がくすくすと笑いながら口を挟む。孔子の「書中壁」の故事からの引用だ。
 それを受けて仲忠は答える。

「それだったら書の主も埋もれてしまうよ」
「貴い書を埋めるなぞ、明君の御代にはあり得ませんよ」

 行正もすっと口を出す。今度は「書経」の「明王」の引用である。

「この貴い書物が隠される理由からすれば、道理ですね。何と言うか、私の様に凡俗な人間としては、情けない、そう言われると余計に聴きたくなる。いっそ知らない方がましだったかもしれない」

 普段は冷静な行正の言葉にも熱が入る。
 その様に男達が話に興じていると、藤壺から、と大きな瑠璃製の甕や高坏で料理が運ばれてくる。
 他にも果物が皿に盛られ、酒が甕に入れられ、銀の結び袋には信濃梨や干棗、銀の銚子には薬用の地黄煎、炭取には小野の炭といった素晴らしいものが送られてくる。
 集まってそれを取り分けていると、やがて若菜の羮を入れた、銀の提げ手のある器が一鍋届けられた。
 蓋は黒方を大きな土器の様に作って凹みをつけて鍋をおおったもの、取手には女が一人若菜を摘む姿が象られている。
 そこに孫王の君の手で、古歌を引用し、こう書かれていた。

「―――貴方様のために、早春の野辺の雪をかき分けて、今日の若菜を一人摘んだ私です―――
 この様に若菜のあつものを料理致しましたが、召し上がって下さいますか?」

 側には小さな瓢を二つに割って作った黄金の杓子と、雉の足を折敷の様な器に沢山盛って添えてあった。
 仲忠をはじめ、皆が藤壺からの贈り物を見て笑い騒がずにはいられなかった。
 帝は遠くでその様子に気づき、台盤に御馳走を置いてつつきながら、その様子を伺い見る。
 酒が到着した頃に、宮はた君は雪の降りかかった枝を持ってやって来た。枝にはすっきりとした陸奥紙が結びつけられている。
 おや、と思って帝はよくよく耳を済ますと、宮はたは「女一宮さまからの御文ですよ」と派手にひらひらとさせて仲忠に渡す。

「こら、心を込めて認めた御文をそういう風に扱うものではないよ」

 涼は宮はたを軽く諫める。だが子供はにこにこと笑うばかりでその場から退くだけだった。

「今日はまだましだよ。昨日なんてあの子、帝の御前でああいうことするから、もう…」

 そう言って仲忠はふう、とため息をつく。
 なかなか困ったものだ、と帝も思う。しかし娘のことを思うと、ついつい内容も知りたくなる。そこでやはり背後からそっと覗いてみた。

「不安だ心配だとあなたは言うけど、御前にばかり居るということだから、きっとこの文だってお父様の帝が御覧になっているはずだわ。ところで『思い出すでしょう』と言うけど、
 ―――際限なく昔の自分が見えてきて、現在の自分は自分ではない様な気がするわ―――
 こう詠んでも、詠みきれない様な気がするのよ。今になってようやく世の中というものが判りかけた様な気がするわ。
 そうそう、犬宮はあちらの懐にばかり抱かれているわ」

 なるほどこれ程しばしば文をやりとりして――― この内容ならば、この男はちゃんと娘のことを思っているだろう。軽んじることなどないはずだ。
 帝はようやくそう思いほっとする。
 だがもう少し。もう少しここに引き留めておいて、仲忠の反応も見てみたかった。こうなると単なる舅の意地悪であるが。
 そう一人で決めると、やっと帝は御座所へと戻る。何も知らなかった様に平気な顔になる。
 殿上の仲忠達は、酒を呑み、食事をしながら何かと喋り騒いでいる。

「そうそう、鍋の蓋への返しをしなくちゃ」

 仲忠はご飯を丸め、物を食う翁の形を作り、洲浜の様なものに据えた。そしてこう書き添える。

「―――袖を濡らしながら雪の間を分け入って摘んだ若菜は、一人で食べろと言うのでしょうか―――
 あついものを食べる時間はまだ過ぎてませんよ」

 食事が終わると、仲忠はいただき物が入っていた器類をそのまま集めてそっくり返そうと、孫王の君のところへこう伝える。

「この器を全部お返しするのは、すぐにも明日また頂きたいと思いますからでして。その時に器が無いと、皆さんがお困りになると思いましてね」

 孫王の君などは、それを聞いてたいそう可笑しがる。

「空言ばかり。今でも空目で見てらっしゃるのに」

 そうつぶやくと、少し考えて返しの言葉を送る。

「大変立派な御厨子所の雑仕ですこと。あら、でもお返しになって下さった器の中でも、いい土器が一つ無くなってますわ。袖を解いてお捜し下さいません?」
「君が解いてくれるの?」

 ふふ、と孫王の君は笑う。仲忠は彼女にもたれかかる。

「冗談ですわ。駄目駄目。今はもう悪戯は」
「つれないな。あなたは」
「宮を大切になさっているかどうかは、帝が一番ご心配なされてますのよ」

 だからそういうあなたが、軽はずみな行いをなさらないで、と彼女は声無き声で伝える。
 仲忠は黙って笑顔を返すと、そのまま戻った。
 帝から「遅い」と催促が来ていた。

「今は駄目ですよ。涼さんにずいぶん酔わされてしまったもの。前後も判らないですから」

 実際は大して酔っていない。仲忠は酒には強い方だったし、そもそもそうなるまで呑みもしない。
 彼は宮と孫王の君と、二人の女性のことを思いながら、少しばかり休んでいたかった。
 帝もその様子を聞くと、仕方が無いとばかりに暫くは呼び寄せることを遠慮した。



 やがて昼近くに、青鈍の袴を柳襲にして非常に美しく着こなした仲忠は参上した。
 衣類には、麝香や煉香を移す。薫衣香なとも、特に念を入れている。
 帝は、仲忠に昨夜の俊蔭の父の文集を読ませた。
 長い時間、ただただ読み続ける。ひたすら読み続けさせる。
 やがて日もうつろい、暗くなって来る。すると帝が言った。

「今日は随分日が高くなってから始めたから、今ここを去ることはならぬ」

 休息を取らせることもなく、灯りを沢山点け、続けさせた。

 亥の時からは、それまでの文集を一旦止めさせ、小唐櫃の方を開けさせた。中には、唐の色紙を二つ折りにし、厚さは三寸ほどの大きな草子が数冊入っている。

「何が書かれておる?」

 帝は仲忠に問いかける。

「…まずはいつもの女手で、一つの歌を二行に書いてあります。他の一つの草子には草仮名で、前同様歌を二行に。同じように片仮名、葦手で書かれたものが」
「それではまず女手のものから読むがいい」

 歌集の歌は素晴らしいものだった。
 帝、東宮、五宮と仲忠が近く寄り、他の誰に聴かせない。 
 中宮が、仲忠が文集を読むということを聴いてこの晩は上っていたのだが、その彼女にも帝は聴かせようとはしない。

「女房達に聴かせないということはあっても、私にまでお隠しになることはないでしょう?」

 そう中宮は不服そうな声で言う。

「講師もそうは思わないか? 私が居るというのに。気を付けた方が良くないかしら」

 仲忠はそれを聞くと、読むのをぶっつりと止めて、困惑し、畏まっている。

「困った朝臣だな。いいから私の言う様にしていればいい」

 帝がなだめる様に口をはさんだ。

「別に誰が読んでもいいものではあるのだが、書かれているのだよ。血縁以外の者には読ませたくない、と。だからとりあえず仲忠に読ませているのだ」

 続ける様に、と帝は仲忠に命ずる。



 この様にして時も経ち、暁の頃、帝が言った。

「この草子がこんなに感動させるのも無理は無い。この草子を書いた俊蔭の母皇女は、昔有名な能筆で家人だった。嵯峨院の妹君で、先々代の女御から生まれた方だ。その様な方が、その折々に書いておいたものなのだから、見事なのだ。仲忠よ、これはぜひ女一宮に見せたのか?」
「一応は…」

 仲忠はうなづく。

「ただ、見つけたばかりのものなので、宮は中身までは見て無いのでは。題名くらいしか知らないでしょう。いつもいつも『今夜こそは』と構えている様ですが」

 すると帝はくす、と笑う。

「これは宮にそなたが読んでやるといい。…さてまあこっちは置いて…」

 帝は別の草子を示す。

「こちらを」









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最終更新日  2018.01.15 13:55:27
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