うきよの月 0
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正月の夜は大概湖南織物の工場のほうで過ごした。 玄関に近い八畳間、テレビがある部屋には電気炬燵が置かれていた。上にはみかんやスルメや様々な菓子、時には男用にとウイスキーや日本酒の小瓶もあった。 娘達と一緒に炬燵に入り、寝そべったり、座椅子にもたれたりして、歌謡ショーに見入っていた。 彼女達にはそれぞれご贔屓の歌手がいて、何故か互いにその贔屓の悪口を言い合って楽しんでいるのだ。 ところがちょっとしたはずみに、際どく保っていたバランスが崩れると、途端に騒々しくなる。怒るやら泣くやらなだめるやら、無関心を装うやら。「こんなん毎日のことだから」 そう工場の奥さんは、自分の手のひらの上で起きている程度のこととばかりに、大らかに笑ってみせる。 女の世界というのはそういうものなのか。ともかく男女の仲に敏感らしい。誰と誰が怪しいだの、あの女とあそこの監督が暗がりで変なことをしていただの、次から次へと移り変わる噂話が飛び交う。そんな中では自分なぞ「**ちゃんて可愛いね」と言っただけで、丸顔でかわいらしい子の彼氏と決め付けられてしまった。「でも言い出しっぺは、お喋り紀子よ」 そう言ったのは宮子だった。北遠から来ているらしい女だ。もう五年あまりここで働いているという。仕事もよく回すし、性格も悪くないと工場主が言っていたのを聞いたことがある。 彼女目当てで自分はここに来ているような部分もあった。何と言っても、来たら迎えてくれて、何でもしてくれる。 元々はさほど関心も無かったのだが、監督が「何だかお前に気があるみたいだぞ」と言うのを耳にしてから、ちょっとからかってみたいと思うようになった。 そう、残暑厳しい初秋のある日、彼女と工場の入口でばったり出会ったことがある。汗ばんだシャツに透けて、くっきりと輪郭のわかる乳房を人差し指でぐっと一突きしたことがあった。 彼女は無防備に立ち止まり、「助平」と小声で言って微笑み、小走りに騒音激しい工場の中に消えていった。その時、工場主の言うことが嘘ではないと気付いた。 正月のこの夜も、宮子は近くでテレビのクイズ番組を見ていた。青みがかったグレーのワンピースを身に着けた彼女は、髪も今風に綺麗に盛り上がった様な形にしていた。誰に似てるかな、と女優の顔を思い浮かべてみたが、今ひとつあてはまるものがなかった。 そう思いつつ、自分の中ではこんなことをつぶやく奴がいる。 ―――勝手に好かれても責任は無いぞ。惹かれてる部分なんて何もないんだ。女友達の領分からはみ出すことは無いんだ。深入りはしたくないんだ。 そうは思いつつ、彼女がここに居ると便利だな、都合がいいな、と思う自分がいた。 彼女と並んで炬燵に入っているうちに、布団の中で手を握っていた。 汗ばんだその手を強く握ると、同じ力で握り返された。 寝そべって、彼女の手を自分の股間の膨らみにあてがわせた。 彼女はしっかりと掴みながらも平静を装っていた。何事もないように、周囲の娘達に話しかけ、時たまこちらと視線を合わせると、その都度強く握り締めてきた。 彼女がこちらのすることを何でも許すので、少しばかり気味が悪かった。何だか目的の無い沼の中にどんどん足を踏み込んでしまう様だった。そしてまた、それが自分の意思以外のところで異様に発展する様を思うと、一層気味が悪かった。 克子にはどうしてこういう行動ができないのだろう、と思う。本当に好きになった女は大事だから、いきなりそうした欲望をぶつける訳にはいかないという気持ちがあった。嫌われたくない、という打算があることも否定できない。また、もっとお互いの想いを昇華させなければ、とも思う。 無論こちらも男だから、頭の中では様々な場面に克子を重ね合わせることもある。だけど彼女の眩しい美しさの前では、自分の思いの総てや目論見も平伏してしまう。 彼女が宮子のようであったら、と思うこともある。 単純かもしれないが、許すことは愛の根底を為すもののような気がしていた。克子の言うことなら、自分は何でも許せると思っていた。 一方、宮子を見ていると、もう一人の自分を見ているようで心が重かった。所詮自分とて、克子の前では今の宮子と変わりが無いのだ。 こうして今、ここに宮子が居ることで、どれだけ自分の気持ちが乱されることか。 足と足が触れ合い、女の体温がこちらの身体に染み渡ってくる。炬燵布団の中であることを幸いに、次第に大胆になっていく自分がわかる。 自分の手は彼女のそれから足へと移った。すべすべしていて柔く、上にたどっていく程熱を帯びていた。 テレビは純愛ドラマに変わり、他に居た四人の娘達はそれを食い入るように見ていた。 宮子は表情を変えない。そして自分の鼓動は何処か別人のもののように感じられた。 手を彼女の足の付け根まで伸ばした。自分の表情はいつもと違ってるだろうか? そんな、いつもは考えないことを思った。 下着の中に指を忍ばせ、湿った部分を愛撫した。彼女の唾を飲み込む様が解った。微かに顔をこわばらせ、声にならない声をあげた。誰も気付いていない様子が、こちらを更に大胆にさせる。 宮子は何か言いたげにこちらを見たが、やはり声にはしなかった。 何故こうしているのがこんなに満足なのか、というのは自分自身にとっては愚問だった。これが最も自然だし、他の方法なんて考えられなかった。本能だから仕方がなかった。最も人間的で、原始的で、動物的で、もうそんな小理屈はどうでもよかった。 心臓が機関車のように激しく鼓動を打っている。快感が波のようにうねり、その振り幅が頂点に達した時、それまで自分の中で張り詰めていた何かがぶつんと切れた。 もう走り出して止まらない。身体の中からとめどなく出てきた。熱く満たされ、身体中で鐘が鳴っているかのようだった。 僅かな時間の中を快い嵐が通り過ぎた。何百メートルも走ったような疲労とけだるさが全身を包んだ。深いため息と、不自然なあくびの後に、涙が出てきた。 テレピドラマは目の前を通り過ぎていくだけで、頭の中にまでは届かなかった。ただもう空っぽになった頭のまま、ぼんやりとしていた。 彼女はこちらが手を離すと、すぐに立ち上がり、部屋の障子戸を開けた。「何処へ行くの」 娘の一人が宮子に言った。「うん、ちょっとトイレ」 その声でこちらも平静になれた。 鉛を噛んだような嫌悪感が、じわじわと自分を責め始めた。 ―――最低だ、俺は。欲望の赴くままに。これじゃただの野良犬と同じじゃないか。宮子が好きだからしたんじゃない。何とも思ってない。 そんなことを繰り返し自分自身に呟いていた。下着に漏れた液体が粘々して気持ちが悪かった。 そのうち、宮子が部屋に戻ってきた。こちらを見ると、勝ち誇ったような笑みを浮かべた。―――そう見えた。 その時何だか、自分がこの女に犯されたような、妙な錯覚と敗北感に襲われた。昭和歌謡史 カバーソング・コレクション<昭和3年〜昭和30年>【懐メロ CD】【演歌 歌謡曲】
2018.02.08
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では自分の頭痛の種と言えば。 オート三輪の運転免許を取ることだった。 生まれつき手先が不器用なためか、それとも理数系に弱いせいか。ともかく何度受験しても駄目だった。 ―――皆合格しているのに格好悪い! そう自分に罵声を浴びせては鬱々とした毎日に耐えるしかなかった。 試験場から最寄のバス停まで、歩きながら幾度も思った。 ―――いつまでこうして歩けばいいんだ? それでもここでの仕事は、綿糸や布をオート三輪で運ぶことが主だった。免許なしでも運転していた。すると三日と空けずに駐在が事務所に来て、こう言うのだ。「村の連中がうるさいから、どうしても免許を取ってくれよ」 それを聞くたびに身体が金縛りにあった様に硬直してしまう。 事務所の先輩も参考書を貸してくれる。エンジンの構造も親切に説明してくれる。だが自分の頭の中では、仕事に対する嫌気がふくれあがるばかりだった。 公務員の試験を受けて失敗したり、関西の製薬会社に手紙を書いたり、市内の楽器会社を調べたり――― もういっそのこと織屋の監督になろうかと考える様になったのはこの頃だった。 そんなぐらぐらした不安定な気持ちの土台には、どんな安普請の家も出来はしない。逃避じゃ物事は解消しない。現実を克服しろ。お前のためには一番いいことだ。 母や兄はそう言った。 一年が何とか過ぎて、また春が来た。色々な出来事が次から次へと現れ、その都度自己嫌悪が自分を悩ませ続けた。 三月、ようやく報われる日が来た。 バスを降り、事務所へ向かう足取りが軽い。顔もほころんできて仕方がなかった。 バス亭まで見渡せる糊付工場事務所の二階から、誰かがこちらを眺めていることが判った。「免許受かったのがすぐにわかった」 入っていくとすぐにそう言われた。「月給を上げてやるでな」 社長も珍しく笑顔で言った。 心は長い時間をかけて難関を突破した安堵感で満たされていた。 だがその一方で、この仕事で一生を過ごすのだろうか、という考えが頭から離れなかった。* 正月がこんなにも空しく、味気ないものだとは思わなかった。 克子が故郷に帰らないと判っているのだから、彼女を誘えばいいのに。街に出て映画を観に行き、洒落たカフェで熱いコーヒーを啜りながら、自分のつたない人生観など語ってみたい。 頭の中ではそんな構想ができている。だが身体が動かない。意気地がないのだ。 何かをしようと思うと心配が先行してしまう。勇気も金もない。男振りも良くないし、彼女を上手くリードする自信もない。 ―――そんなに格好をつけなくても そう思いつつも、せめてその位のことをしなければ彼女に相応しくない。 コンプレックスの塊なのだ。 火の気もない事務所の私室で、毛布にくるまってサン・サーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」を聴いていた。 ふと、高校の頃、文通していた子のことを浮かんできた。何故今そんなことが思い出されるのだろう。 可愛くて聡明で頭のいい君の、だから一つでも上に居たい―――そんな女々しい告白が文通の発端だった。好きだった。その半面、返事をくれるのは同情なんじゃないか、という自虐的な気持ちもあった。 危ないバランスを保ちながら、それでも当時は毎日充実していた。 ところが付き合って六ヶ月ほどした或る日、つい想像してしまった。自分が彼女と並んで撮る記念写真というものを。 釣り合わない。 そう思ってしまった。将来横に立っているのが自分では彼女は幸福にはなれない、と。高校を卒業しても自分に待っているのは貧乏生活だけだ、彼女の幸福を考えるなら、拘わりは断つべきだと思った。 臆病のそしりを免れない。どんなことをしてでも自分の力で幸せにしてやる、という愛よりも、厳しい現実を直視して逃げてしまった意気地なしが。 ―――言い訳なんかするな。人生を達観した爺イみたいなことをほざくな。早い話が、それだけのエネルギーがお前に無かった、ってことだけじゃないか。 ―――いつでもそうだ。いつでも大きな壁の前で、ぶつかる前に挫折してしまうんだ。 ―――一番最初の、どうしようもなく一生懸命だった時のことを思い出せ! つまりは、克子の眩しさにびびっているのかもしれない。 ―――彼女のことをもっと知りたかったら、身体ごとぶつかって確かめるくらいの気概を持てよ。冬篭りの熊みたいに毛布の温もりを抱きしめ、甘美な音楽の中で悲劇の主人公を気取るなよ。 ―――さあ起き上がれ、自信を持って積極的にアタックしろ。何のために手足が、口が、言葉があるんだ。 窓越しに見える冬の空が、うんざりする程青かった。プラモデル オーナーズクラブ 1/32 No.18 ’56マツダ オート三輪(再販)[マイクロエース]《発売済・在庫品》
2018.01.27
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この村で自分は生まれ、育った。 現在勤めている湖南織物の事務所に就職できたのは、ただひたすらに母の尽力だった。 きょうだいは、兄、姉二人と上に居る。姉達は既に嫁いでしまっていた。 残ったのは男兄弟二人で、既に兄は家と農業を継いでいた。そして母は残された自分をどうしても手元に置きたがった。 中学を卒業した後、上の学校に行きたかったが、ここいらでそんなことができる者は滅多になかった。何とか行かせてもらえたのは、昼間の定時制の県立I農業高校K分校だけだった。四年制だった。 四年目の十月には単位を全て取ってしまい、翌年三月までは登校する必要が無くなってしまった。 格別することも無いので、十一月から一ヶ月程、家の仕事を手伝っていた。 十二月の初めに、防衛大学を受験しようと思い立ち、申し込み、受験票を取り寄せた。だが結局受験はしなかった。急に自信が無くなったのに加えて、面倒臭くなってしまったのだ。 このことは家人、当時の教師、先輩達誰一人として打ち明けなかった。ただ自分の中だけで消化して終わった。 そんな折、母が仕事の話を持ち込んできた。「裏隣の光子さんが糊付サイジング工場の事務所をやめたみたいだで」 そんな風に切り出して、やる気があるか、と問いかけてきた・。 正直言ってその時の自分には何になりたい、何に向いている、といったはっきりした目標が無かった。将来はただぼんやりと霧の中だった。 だが何もせずぶらぶらしている訳にもいかなかった。だからとりあえず勤めてみることにした。 母にしてみれば、糊付工場の理事長が前からの知り合いということで期待できたようだった。そこの娘はかつての同級生だったし、下の姉が働いたこともある。 ただ、実際に働くことになったのは糊付工場ではなく、湖南織物の事務所だった。 正直、どっちでもよかった。駄目なら他を探せばいい程度の軽い気持ちだった。 初出勤の日、母は「私んついて行かんでもいいか?」と言ったが、結局一人で出向いた。 職場は糊付工場の事務所の二階の隠れ家の様な場所にあった。入ると、自分より二つ三つ年上だろうか、同年輩の男女が何事も無いように黙って机に向かって仕事をしていた。 理事長が出てきた。ここの社長でもあったのだ。「今度は言ってもらうことにした藤原くんだ」 そう紹介してくれたので、こちらも「よろしくお願いします」と言い、彼等に深々とお辞儀をした。 それが昭和三十年の初冬のことだった。『―――機業会はE織物管内における代表的優秀な模範団体として称賛されているが、この機業会の有力メンバーである湖南織物株式会社は昭和二十八年に八工場が自発的共同出資によって創立した特異な存在である。 生産品は高級ブロードで、F紡績の連繋工場中、優良工場として麗名高く、月産六十万ヤードのブロードはF紡績のチョップ品として海外市場に輸出され、湧くが如き好評を博している』 当時の業界紙の「評判記」にもある通り、職場の湖南織物は八軒の織屋で構成されていた。 西田や克子の働く平和織物は五軒、他、大きな所で十二、三軒とまとまっているところがあった。 他、グループに属さない個人経営を含めると、―――機業会のうち、このM地区だけでも大小四十数軒の織屋があり、昼といわず夜といわず織機を動かし、村中を震動の中に置いた。 このM地区は湖に突き出た半島の突端にある、陸の孤島のような村だった。 こんな何かにつけて不便な環境の村に、何故こんなに多くの織屋が息づいているのか不思議だった。 郷土史家を自認していた友人はこう言った。「城主の河内守が、上州館林からこっちに移ってきたとき、向こうの紬の技術を持ってきた。それがこっちで独特の織物を生み出した」「それが明治になると、手織の方も大分改良される」「次第にこの地方は織物の産地として名を上げていった」「この村は明治になって湖岸を埋め立てて宅地作りに励む一方、現金収入の道も探っていった」「そこで目をつけたのが織物だった」「手織を五~十台揃えて、近県から若い娘を頼めばあまり元手が無くとも仕事ができそうだと」 奴の説明はそんな感じだった。 機械も技術もその当時から格段の進化をとげている今の自分達を思うと、延々と継続されている運命の不思議さを感じずにはいられない。 織屋が隆盛であるおかげで、四月になると娘達がこの村にやってくる。 北は青森、岩手、秋田、宮城から、南は鹿児島、種子島、屋久島から、中学を卒業した彼女達が集団でどっと就職してきて、村の人口を押し上げた。 湖南織物にも、多い年には四十人以上の娘達がやってきた。 村は活気にあふれ、地元の青年湯達は異なった血への憧れのために、最も男らしい言葉を考える。そして娘達は三年もすると、就職したばかりの土臭い少女から見事に女に変身し、工場主達の頭痛の種になった。屋久島の自然図鑑 世界自然遺産 [ 神崎真貴雄 ]
2018.01.13
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冬になった。 青年団主催のクリスマス・パーティが今年も公民館ホールで始まった。 ホールの明りをおとし、キャンドルでお祈りの真似事をした後、銘々が持ち寄ったプレゼントの品をサンタクロースに扮した男子役員の持つ布袋に入れた。輪になっている皆にそれが配られる。 目立ちたがり屋に奇抜な品物が渡ると、矯正をあげてみんなに見せて歩き、外国映画の喜劇俳優のように大袈裟におどけてみせた。 笑い声や怒鳴り声、運の悪さを嘆く声などでひとしきり会場はざわめいたが、頃を見計らったようにそれは色合いを変えていった。 高いところにあるスピーカーからレコード音楽が流れてきた。誰とはなしにパートナーを見付けてダンスが始まった。 オクラホマミキサ、マイムマイム、コロブチカなどのフォークダンスは時々練習があったので、このような催しに役立った。 ダンスの合間には、ロシア民謡を歌ったり、用意されていた様々なゲームに興じた。 始まったのは七時頃だったろうか。パーティは十時近くまで続いた。 パーティの余韻を肌に感じながら、公民館の外に出た。フォークダンスで動き回ったせいか、身体中が汗ばみ、夜風が心地よかった。「何か貰ったか?」 隣を歩く、西田に問いかけた。「俺はこれ」 そう言うと奴はぬいぐるみの子犬を出して見せる。「お前は?」「チョコレート。食べるか?」「うん。一寸くれ」「今夜は賑やかだったなあ。あんなに大勢来るとは思わなんだなあ」「お前の派手なポスターん効いてたもん。それに今の連中、何かをやりたくで仕様がないじゃないかと思うよ」「何か、をか?」 雑貨店カドヤの角を右に曲がると、左側に「新高」という食堂、筋向いに「かねり」がある。「ラーメンでも喰うか」「そういやぁ腹ん減ったなあ」 新高を横目にかねり食堂に入った。主人は自分達に気付くと「二階に娘等んいるよ」と言った。 新築したばかりの食堂だ。二階に上がると、新畳の藺草の匂いが部屋中に充満していた。「あ、来た来た。みんなであんた等ん事話してただよ」 青年団活動の中心になっている女子役員の清子だった。他にも美砂子、三奈子、藤子といった娘がいた。「そうじゃないかと思ってさ、わざわざ隣をやめてこっちへ来たじゃんか」「そんな所へ立ってないで、どうぞ奥へどうぞ、どうぞ」 美砂子が芝居口調でおどけて言った。「今夜は盛り上がって一寸興奮したら?」「ダンスを沢山やったもんで、くたびれちゃったよ。はあ年令だねえ」「何を言ってるだ、若い娘ん」「あのサンタクロース、誰んやってただかねぇって、みんな言ってたに」 今度は三奈子が言った。「文ちゃんじゃないの? 私はそう読んでいただん、そうだら?」 文ちゃん―――西田の肩を揺すって訊ねた。「内緒内緒。誰だか解らんところで、又盛り上るっていう訳だ」「そういう訳だ」 ふと、今年の夏のことを思い出す。 この四人の女達とは、西田が寝起きしている離れで会食をしたことがある。盃を上げ、演歌を口遊み、友情、恋愛、結婚、人生などを熱く語り合い、気がついたら深夜二時だった。 酔いが回り疲れ果て、そのまま皆で雑魚寝と相成り、正体なく眠りこけた。 隣に寝ていた三奈子の股間のふくらみの余りの可愛さに、思わず手の平でそっと触れた以外は―――何事も起こらなかった。「ねえ、お正月にまた会食やらまいか?」 三奈子が言った。やるか、と藤子や美砂子が相槌をうった。西田がこっちを見る。互いに苦笑するばかりだった。「タフだなあ、お前等」「それだって、結婚しちゃうと何も出来んもん」* かねり食堂を出たときには、既に十一時も半ばを越えていた。 家々は眠り、人通りのない薄暗い県道に、風ばかりが元気だった。 彼女達とはカドヤの四辻で別れ、西田と二人だけになった。「どうだ、うまくやってるか?」「うん、まあどうって事ぁないが、とにかくよう喋る奴だ。俺はただ、ふんふん、って返事をしているだけだ」 一枝の話す様子や話の内容は、大体あんな風だろうと想像できた。「何だか、二十八日に、種子島に帰るって言ってよ」「それじゃあ、一月の中旬位までは帰って来んなあ」「お前ん方はどうだ?」「お前ん方とは全然逆。無口っていうか、遠慮してるっていうか、喋らんなあ」「そういう性質だら。工場でもあんまり話さんみたいだよ」 話しながら、ふと町の酒専売所の方を眺めた。明りがついていた。まだ勉強しているのだろうか、とそこにいるはずの友人のことを考えた。 考えつつも。「俺なあ、お前に克子のことで色々面倒かけるの、止めっかと思うだよ。自分の事は自分でやらにゃいかんと思うし」「俺は別にどうとも思わんがなあ」 西田の言葉を耳に流しながら、頭は別のことを考えている。 この間観た「悪者は地獄へ行け」というフランス映画。マリナ・ブラディの眩しい姿態をはさみ、脱獄囚の二人の男が何かにつけていがみ合うが、最後には友情を選ぶ、というものだった。 自分はどうだ? 女を取り、友情を捨てるつもりか? それは違う。西田は掛け替えのない友人だ。 ただ、こうして話をしている事が、そのまま二人の会話の皿の上にのるのではないか、と考えると不愉快だった。 ……と言うより、むしろその会話の中で一枝が自分のことをどう思うだろう、と想像するのが嫌だった。一枝が自分に対して持つイメージの中ではまだましな奴で居たいのか。―――身勝手な男だ。「俺は別にどうも思わんがなあ」 西田は呟くように言った。言えることはなかった。 ―――要するに西田に何も頼まなきゃいいんだ。 自分に言い聞かせる。 そもそもこんな時にわざわざ口に出す事はなかったのだ。奴を不快にさせるだし、言って自分の気持ちがすっきりした訳でもない。 やや後悔して、付け足すように言った。「たいした理由はないだよ。ふっと今、そう思ったもんで」「どうも何かん奥歯にひっかかっているみたいだなあ」「どうって事はないだよ、別に」 要は自分が頼まなければ――― 再びそう思う。「まあいいじゃんか」 自分を諭すように付け加える。「克子は正月にゃ帰らんって言ってた」「正月は何処かへ行くか?」「考えていんよ。お前は?」「俺も」クリスマス プードル ぬいぐるみ トイプードル 犬 プレゼント キッズ 子供 女の子 男の子 プードルぬいぐるみ ぬいぐるみトイプードル 犬ぬいぐるみ クリスマスプレゼント ギフト
2017.12.23
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「きっと吃驚される事だと思います。第一僕は貴方が何者なのか何も解っていませんし、貴方だって恐らく僕の事は何も知らないと思います。だけど、僕はどうしてもこうしなければ我慢できないいう衝動に勝てませんでした。貴方をはじめて意識したのは、盆踊りの練習会の時でした。僕は平和織物の西田君と友達でしたから、貴方が何処の工場で働いているかはすぐ解りました。あれから約一ヶ月、色々考え、悩み、悶々とした毎日を過ごしました。本当は僕ばかりが夢中で、貴方には迷惑な事ではないだろうか、とか、もう貴方にはとっくに素晴らしい恋人がいて、僕がいくら一生懸命手紙を書いても、結局は紙屑箱の腹のたしにされてしまうのではないだろうか、とか。でも、もう抑えきれないのです。そんな心配で足踏みをしている場合ではないのです。貴方に貴方のことを想っている僕が此処にいるという事を知ってもらいたいのです。僕が貴方について知っている事といえば、ほんの僅かなことしかない。貴方の故郷が東北地方である事と、名前が輝子という事(これは西田君に聞きました)と、それと僕が貴方に対してもった閃き、直感、これだけです。それから後の事は交際してみないと解らない。僕と交際してみて下さい。貴方に恋人がいない事を、今は祈るばかりです。お願いします。僕の事は、別紙に簡単な身分証明書みたいなものを書いておきました」*「僕ん持ってってやるよ」 うちの事務所の経理係の高野が言ってくれた。まだ入社二年目の彼は、彼女の働く工場の近くに住んでいる。三軒南に下った辺りにある農家らしい。「切手を貼る位なら、僕ん持ってってやるよ」「悪いが、それじゃ頼むか」 貰った写真を見せながら「この娘だでな、間違うなよ」と念をおした。 昼休みに高野はそれを持って事務所を出ていった。 その後姿を見ているうちに、自分の中で多少の不安と過大な期待が交差していた。 昼食を終えた頃、高野は帰って来た。 が、彼の切り出した話は、到底期待通りのものではなかった。悲観的な気持ちが心の中の重い扉を叩くばかりだった。 高野がその工場の傍に差し掛かったときのことだ。 夜番に入る準備をしていた娘達は、細い側溝の上に並べてある空ビームに腰を下ろして談笑していたという。 そこに彼は切り出した。「なあ、佐東輝子さんっていう人はいるか?」 ちょっと待って、と女の一人が工場の中へ入って行った。暫くすると作業着を着た女が出てきた。「私に何の用?」 あれ、とその時高野は思ったという。「……違うなあ」 咄嗟に、声を上げてしまった。「何が違うの」「それ、だってお前じゃないもん。輝子さんって人に用があるだもんで」「だから、私がその輝子です」「本当かあ?」「本当です」「変だなあ、それだん違うもんなあ……」 困っていた時、また二人の女が工場から出てきた。「あ」 写真の女だ、とその時彼は気付き、素早く反応した。「お前だ、お前だよ」 ああこれでようやく昼飯にありつけると思った、と彼は後で言った。「や、手紙を頼まれたもんで。輝子さんだら?」「私ですか?」「うん」「……? 私は克子です」「それだって、顔がそうだもんで、その女の人に渡してきた」 高野はそう言った。釈然としない気持ちだった。 * 退けてから西田に会うと、こんなことがあった、と話した。「確かに佐東輝子って言ったんなあ……」 奴は真顔でうなったが、終いには「とんだ笑い話だなあ」と言って相好を崩した。 そんな奴を見ていると、半ばあきらめの感情が湧き、また半ば自信を失いつつも、足は他の工場へと向けていた。娘達はあちこちに居る。口からは冗談を撒き散らし、その工場ごとに居る娘達を笑いの中におかせることに夢中になった。 * 九月末日。 五穀豊穣を祈願する秋の例大祭の日がきた。 神社の境内は夜店の明かりと、右往左往する着飾った人の群れで、華やいだ風景が出来上がっていた。 この頃、自分達はこの町の青年団の役員で、祭り関係の行事に多忙を極めていた。 初日の夜は盛大な宵祭だ。そんな中、西田と共に人ごみの中を祭典本部のある村役場に急いでいた。 その時だった。克子の居る工場の娘達が何か言いたげに、皆でこちらを見ていた。 だがこの時は、何か期待をしようとはもう思っていなかった。半ば諦めていた。それに、恋文を渡したということが妙に気恥ずかしく、黙って通り過ぎてしまおうと思った。 その時、娘の一人がこちらの行く手を遮った。「あのぉ、克ちゃん、何か話があるって」 小声だったが、確かにそう言った。 娘達は克子を残して歩み去って行く。西田はこっちに「うまくやれよ」と耳打ちすると、笑って足早に姿を消した。 予期せぬ出来事に、戸惑い、視線のやり場に困った。 とにかく、この賑わいの中から脱出しなくては、と思い「あっちへ行こう」と彼女を促した。 ……と、思う。 実は抜け出した下りははっきり憶えていない。 はっきりしているのは、村役場と図書館の間の大きな松の木の下、一寸した暗がりまで二人で何とかやってこれたことだ。 そこまで一緒にただ歩き、そして止まった。 何から切り出したらいいのか、言葉に迷った。とりあえず自分の名を言い、よろしく、と言った。「西塔克子です。こちらこそよろしくおねがいします」 静かな口調だった。そんなに口数の多い方じゃないな、と直感的に思った。 実際、その後の会話もこちらが照れながら話すばかりで、彼女はあまり喋らなかった。「この間は吃驚したら。あんな筈じゃなかっただよ、本当は。色々手違いがあってさ。俺ってそそかしいだよなあ」 克子は表情を崩した。だがそれだけだった。 その夜の彼女は、写真で見るより、噂に聞くより、数倍は綺麗だった。彼女を目の当たりにしながら、直視するのを戸惑う程だった。とても綺麗だった。緊張した。「宮城県の何処?」「南方です」「俺ん会社へも何人か来てるよ」「もんちゃんや信ちゃん。知ってます」 視線を巡らす。 公民館脇、広場の明かりの中に花屋台があった。これからそれを引っ張ろうとする小学生達が、小さな法被を着て走り回っていた。「俺ん事で何か聞いた?」 克子は黙って首を横に振った。その様子に、ああ何で今こんなことを言ってしまったのだろう、と悔やんだ。「色々言う人んあるかも知れんが、気にするなよ」 そう言っておいてから、また後悔した。後ろめたい事があるから、こんな言葉が出てくる。 三十分くらい二人で居ただろうか。 会うこと自体初めてだったし、これからまだ、祭の用事が沢山ある。 そんなことを言って、彼女とは握手一つだけしてその場は別れた。 この時、彼女のことは決して負担に感じなかった。 むしろ、驚く程にうきうきしていた。地下足袋 祭り衣装 【マジックテープ短タイプ「白・黒・紺」 13cm〜23.5cm
2017.12.14
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一枝の働く工場の三、四軒裏手に織物の糊付サイジング工場がある。 そこの事務所の二階には、三つの部屋があった。 一つ目はやや広い部屋。「湖南織物」の事務所だ。 二つ目は奥にある狭い部屋。そこで自分は寝起きしていた。当時そこが「自室」と言ってもよかった。 最後は客間だ。床の間がついて、明るい立派な部屋だった。 間借りしているのは自分だけではなかった。 階下の工場事務所の奥の二部屋には、そこで働く松田さん一家が住み込んでいた。 朝になるとそこのしげ小母さんが言うのだ。昨夜は遅かったねえ、と。 宮城県から若い頃女工として出てきた彼女は、工場で働く松田さんと大ロマンスの揚げ句結ばれたとのことだ。言葉に未だ残る東北訛りは、素朴な風土を感じさせてくれて、好きだった。 勾配の急な階段を上り、事務所に入ると手さぐりで蛍光灯をつけた。 一方、「自室」の裸電球は、何も無い四畳敷の殺風景な部屋に一層侘しさを加える。 冷たい畳の上に仰向けに寝て、焦茶色の天井をぼんやり見つめた。 頭の中が空洞になってしまい、何の考えも浮かんでこない。 ラジオをつけた。音楽が鳴っている。メンデルスゾーン、ヴァイオリン協奏曲。演奏はレオニード・コーガン。……睾丸? ―――馬鹿、何を考えているんだ俺は。 想像の飛躍に呆れていると、不意に今付き合っている女のことが頭をかすめた。 ―――克子は今頃何をしているのだろうか。 風のうなり声が絶え間なく聞こえる。天井を鼠が走り回っている。 ―――西田の奴、一枝とどんな話をしたんだろう? 真面目なあいつが女の口説き方を知ってるのか? ……何を要らん心配をしてるんだ。奴には奴なりのやり方があるのだろう。心配なぞ野暮というものだ。それにしても西田の奴、何も選りによって一枝なんかを見初めなくたっていいのに――― おかしなものだ、人生なんて。 明日の事も解らないのが当たり前だと解っているはずなのに、突然こんな事に出くわすと、本当に人生なんて偶然の連続で出来上がっている――― ―――なんて、錯覚に陥ってしまう。* 克子との出会いも、偶然と言ってしまえばそれだけの事だ。 今年の八月の旧盆前だった。 盆踊りの練習会が公民館であるというので、西田と出かけてみた。 公民館のホールは様々な浴衣を身に着けて踊る娘達で賑わっていた。彼女を見つけたのはこの時だった。 輪になって踊る大勢の娘達の中で、彼女ばかりがやけに光って見えた。 西田に訊ねた。「あれは何処の娘だ?」「俺んとこの工場の娘みたいだなあ」 ―――いい娘だなあ。 一目惚れだった。 何処かで視線が合わないだろうか、などと考えながら、彼女ばかりを見つめていた。* その二日後の夕方、西田から電話があった。「この間の娘の写真があるで、見に来んか?」 すぐに応じて、車で奴の「平和織物」の事務所へと走った。 写真は沢山あったが、克子のものは一枚しかなかった。公民館の南側で別の女工と撮ったものだ。顎のあたりがやけにつっぱっている。「何っていう名前だ?」「……俺、女にゃ余り関心がないんでなあ」 西田はそう言って頭をかくばかりだった。後で聞いてみる、という奴に、まあここは身を委ねてみるかと思った。「頼むな」「解ったら電話するで」* そのまた三日過ぎに電話があった。「名前ん解ったよ」「何って名だ」「たしか佐東輝子って言ったよ」「輝子…… 何だかそういうイメージじゃないなあ」「あそこの監督に聞いただで、間違いっこないよ」 それでもなかなか踏ん切りがつかなかった。心は動いても身体が動かなかった。 西田に頼んで彼女を呼び出してもらうという手もあったが、あまり奴に頼りきるというのも気がひけた。自分の事は自分でしたかった。* そしてまた十日程過ぎた。 ふと、手紙を書いてみようかと思った。 いかにもロマンチストな文学青年が考えつきそうなことだと思われないか。そう思われたら、まあそれは体のいい誤解という奴だ。 意気地なしが、相手の顔がすぐ近くに見えないのを幸いと、思い切り語りかけてみようという―――早い話が、独り言なのだ。 何度も何度も下書きを作った。シェイクスピアの着飾ったような文章には程遠かったが、自分の気持ちには正直にできたと思った。【送料無料】オーガニックコットン・天衣無縫・四重ガーゼ・バスタオル【2枚組】サービスプラン(宅配便使用)【smtb-MS】【RCP】(海外配送の送料は有料です)【天衣無縫】【オーガニックコットンタオル】タオル
2017.12.09
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三日後の昼休みのことだった。「今夜どうだ、一寸逢って話をしてみたいだん」 そう西田から電話があった。心なし、声が上擦っていた。 とうとう来たかと思い、暫く黙った。とはいえ、別段何か考えているという訳ではなかった。「……駄目か?」 西田は遠慮がちに、訝るように言った。どうやら何か応えなくてはならないらしい。「いや、いいよ」「七時頃じゃ駄目か?」「七時な、いいよ。あいつん工場の監督に言っとくで」「それで、お前も一緒に行ってくれんか?」「……俺もかぁ?」「……そうしてくれると助かる」 ―――ふと、もう一人の女の姿が自分の中をよぎった。ああ、そういえば。「借りんあると弱いなあ……」 「申し訳ない」「それじゃあ六時半頃、〈カドヤ〉のショーウインドの前で」 交差点の角にある店の名を出した。薬局と化粧品、文具に雑貨…… 食べ物以外は揃えてある店の一つだ。ショーウインドには季節ごとにポスターが貼られ華やかになる。待ち合わせするには分かり易い場所だった。* 夕方、一枝のいる工場に行き、若い現場の監督に言付けを頼んだ。 こうなると、彼女が現れるかどうかは監督次第なのだが、彼を信じるより他に仕方がなかった。 年の暮れの六時は既に暗く、満天に星が広がり、風が冷たい。〈カドヤ〉のショーウインドの前まで来たが、西田はまだ来ていなかった。 華やかなクリスマスツリーが飾られていた。雪のかわりの柔らかそうな綿の塊が、作り物の樅の木にまつわりついている。びっこをひいた野良犬がうつむき加減に歩いていく。 ―――西田が来た。数軒前にある郵便局の前を大股に歩いてくる。 奴は背が高く、胸幅の広いがっちりした体格だからすぐに解った。カーク・ダグラスに一寸似ている。「洒落たなあ」「お待ちどう様。うまく連絡ついたか?」「うん、それだん、行ってみんと解らん」 一枝はきっと吃驚すると思う。相手は自分だと思っているに違いないのだ。「はじめどう言ゃあいい?」「何を言ってるだ、どんな事だっていいじゃないか」「あがっちゃって、何から切り出していいか解らんと思うもんで」「星がとても綺麗ですね、っていうのはどうだ」「星かぁ……」 西田は夜空を仰ぎ、短い溜息をついた。「何も心配する事ぁないよ。何とかなるもんだって」 往還の人通りは少ない。神社の前を過ぎると、北からの風が一層強く吹きつける。二人して襟を立て、黙って歩いた。 別にどうって事はない。一枝に自分はどれ程の事をしてやったというのだ。西田がいいというならそれでいいじゃないか。自分の女とか、昔の恋人とかいって、勝手に彼女を縛り付けるのは良策ではない。 ただ自分がどうしてこんなにも平然としていられるのか、それが不思議だった。 新たな交際相手が今はいるからか? 嫉妬深くて、たとえ昔の女であったとしても、誰かのものになるということには寛容ではいられない性格のはずなのに。新しい彼女ができたからなのか? まあいい、と一旦考えを打ち切った。一枝のことで、今自分をそんなに責めたところで詮無いことなのだ。 やがて一枝のいる工場の近くまで来た。「俺、一寸恥ずかしいで、向こうで待ってるで」 西田の落ち着きを失った様を見ると可笑しかった。 気を取り直し、工場の入り口の方へ歩き出す。闇の中に誰かがいる。一枝であることはすぐに解った。「何? 何か用?」「うん、まあ…… 実はお前と付き合いたいっていう奴ん現れてさ、そいつんどうしてもお前を紹介してくれって言うもんで」 途端、彼女が不機嫌になるのが解った。「ほら、この間の日曜日に公民館でフォークダンスんあったら? そこでお前を見初めたらしいだ。お前も知ってる奴だよ。平和織物の事務員で、トラックを運転して走ってる奴、知ってるら? あいつは俺と同級生で真面目な奴だもんで、断りきれなんだだ」「そんな、余計な事」「解ってるって。俺も迷っただん、あいつん矢鱈と熱心だもんで、つい。それでけ今夜一寸話をしたいって言うもんで」「男のくせにお節介ねえ」 低い声で、彼女は鋭く言った。「まあまあ、色々な人を知るのも、ひとつの人生勉強だから」 ―――まるで車のセールスマンだ。 そんな苦い自己嫌悪を感じながら、彼女を促し、西田の処へと戻った。「こいつが西田だ。俺の親友だで、保障つきだよ」「西田です。よろしく」 そう言って奴は神妙に会釈をした。つられるように、一枝も黙って頭を下げた。自分の役目はここまでだ。「俺、一寸用事を残してあるもんで、これで失礼するでな」 そして西田には、「後の事は知らんぞ」と耳元で囁いておく。おい、とか何とか言ったかもしれないが、もう知らない。碌々返事も聞かず、足早に彼らから離れ、別れた。 西田は照れ屋だから、今頃はきっと、あの高い鼻に汗をかきかき話をしているに違いない。 それにしても、奴がどうして一枝などと交際したくなったのだろうかと考えると、妙な可笑しさが込み上げてきた。* この間の月曜日、村の青年団の役員会があった。 どういう流れか、女の話題になった。どんなタイプが好みかという方向になった。その時奴は、ずいぶんと具体的に説明していた。だがまさか、一枝のことが下地になっていたなんて。 想像もしていなかった。 だが。 奴は彼女との交際を結婚とまでは考えないだろう。―――いや、考えているだろうか? もし考えていたとしても、無理だ。あの旧家の親達が首を縦に振るまい。それに、西田と一枝が並んで立っている姿を想像しても、似合わないような気がする。 彼女は奴のことを受け入れるだろうか? これから始まろうとする彼らの交際に、どんどん否定的になっていく自分に苦笑ばかりが慰めの眼差しを忘れない。* そのまま、〈カドヤ〉とも近い〈かねり〉という店に、鍋焼きうどんを食べに入った。 テレビではボクシングの試合をしていた。 何かに憑かれたように殴り合う彼等の中に、血だらけになって争う野獣の姿を見た。 嫌な職業しごとだな、とふと独り言が漏れた。 ―――半時ほど居ただろうか。身体も温かくなった。 外に出ると、冷たい風がかえって心地よかった。さらにクーポンで30円OFF! +3.7℃温かい【元祖 裏起毛】レギンス タイツ トレンカ 腹巻着圧 レディース 【S〜XL対応】裏起毛 パンツ タイツ レギンス トレンカ 楽天年間ランキング連続1位 360万枚実績で物語る品質 130gの拘り UV 美脚【hot01】
2017.12.04
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はじめに。 この物語は父の小説である。 彼が自身の青春模様を描いたものである。昭和30年代だ。 のだが。 以下に始める地の文にはかなり手を入れた。 会話は変えない。遠州弁はそのまま生かしておくことにする。さすかに意味が通じにくいとネイティブのこちらですら感じたら、その都度括弧書きをすることにする。 どう使ってもいいとは言われているが、一応それを先に述べておく。********** 1「実はなあ」 西田は言った。「一寸お前めえに頼みたい事ん、あってさ」「どんな事だ?」「そう改めて言われると、何だか言いにくいだよなあ」 奴は照れ笑いをしながら、「どうしっかなあ」と何度か繰り返す。「まあ、いいよ」「何だ、言ってみりゃあいいじゃんか」「くだらん事だで、いいよ」「水臭い、男ん、一旦口にしたら最後まで言うもんだ」 僅かだったが、自分の中を怒りが走り抜けるのを感じた。「詰まらん事だよ、聞きゃあ、何だそんなことかって事だよ」「……女の事か」 奴は黙り込んでしまった。図星か。「何処の娘やつだ」「弱ったなあ……」 そう言うと、奴は照れ隠しに頭をかいて笑った。「実はなよあ、一昨日の日曜日のことだ。公民館であったら?」「おう?」「フォークダンスと歌唱指導の会っていうのん」「ああ、あったあった」「そん時、いいなあって思う娘ん居たったん。それがさ」「何処の娘だ」「……一寸言いにくいなあ、言わん方がいいよ」「そこまで言っただもん、皆言うさ」「それがさ―――お前等ん処の工場の娘でさ、俺ん事務所の節ちゃんに聞いたら、あの娘は以前にお前といい仲だったって言うじゃんか。都合悪いなあって思ってただ、俺は」 一枝のことか―――と、直ぐに解った。「……別にどうって事ぁないよ」 言葉の勢いが止まってしまった。「言わん方がよかったなあ、やっぱり。俺も迷っただ、言っていいもんかどうか。それだん節ちゃんが言った以前にっていうのに希望を持ってさ。お前に聞くのん、一番手っ取り早いと思って」「どうって事ぁないよ」 もう一度言ってから、「はあ、あいつとは何も関係ないよ」 無理に笑顔を作った。「……やっぱり聞きにくい事を俺は言ったよなあ」* 徳永一枝は種子島から来た女工だった。 上背はなかったが、丸顔で肉感的で自分の好みだった。 読書好きというのも良かった。共通する趣味だった上、此方こちらの自信を刺激するのに役立った。 或る時、彼女から読書ノートを受け取った。「読んだら感想を聞かせて欲しい」という。格別困難な作業ではなかったから、自分なりの感想を書いて彼女に返した。 ノートを度重ねる毎に内容は変化した。読書の内容よりも、生活や気持ちに関する事が次第に多くなっていく。彼女と自分は急速に接近するようになった。 最初に口付けを交わしたのは一枝が就職して二年目の冬だった。 彼女が働いている織物工場のすぐ西隣に隋縁寺という寺がある。そこで待ち合わせ、会い、触れ合った。 とても可愛かった。好きだった。そうせずにはいられなかった。彼女を誰にも渡したくない。そんな無垢な気持ちから始まった関係だった。 実際の交際は三年程だったろうか。格別深刻な別離の感情もなく、輪郭のぼんやりとした関係は続いていた。 彼女ならいつでも自分を受け入れる用意が出来ているだろう、と勝手に考えていた。気が向くと逢う約束をした。 だがその頃になると、彼女の身体ばかりを求めている自分に嫌気がさしていた。*「……気性の勝った女だな」 結局西田には、彼女について余り多くを喋りはしなかった。「まあ一度逢って話をしてみるさ」「何だか悪いみたいだな」「俺の事はいいよ、気にしんでも」「しかしなあ……」田中希代子の芸術::サン・サーンス:ピアノ協奏曲第5番「エジプト風」 ピアノ協奏曲第4番〔初出〕 [ 田中希代子 ]
2017.12.01
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