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パソコンのデータを整理していたら、二年前くらいに書いたSTORYをいくつか発見しました。そのころの恋愛に思いっきり影響を受けているものがほとんどだったので、そのあたりものは、ホルダーごとDeleteしました。そんな中にも、完全なるフィクションのものがあり、「なかなかええやないの!」と思ったので、久々に、フリーページに追加してみました。あの頃はやっぱ、文学的に冴えてたんやね。今日はお休みだったので、いろいろ片付けていました。かつてコーチングをやってた頃のものパーソナルファームのもの女性起業家セミナー関係のもの自費出版関係のものWSなべや 五感カフェ関係のものなどを処分しました。私は長いこと、今までの栄光と今までの後悔とにしがみついて生きてたんだなあと、気がつきました。やり遂げたことは、少ないけど確かにある。だけど、それを汚したくないばかりに、それ以上のことをできなくなっていたかもしれない。やり遂げられなかったことは、もっとたくさんある。やり遂げられなかった自分を責めることで、なんとかバランスをとろうとしていたんだろう。その二つにエネルギーを使っていたんだ。私の身体はまだ、8割くらい、過去にあるままだったんだ。おかげで、今日はとてもすっきりしました。しかもなんと!!!片付けている最中に、千円札7枚と五百円玉1枚みつけました。これはご褒美に違いない!(ただしまってあったのを忘れてただけですがね。泣)片付けるものはまだまだあります。もっと大金が出てきたりして!!
2009.04.15
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新作書いてみました。POEM→泣ける場所STORY→小さな空間本当は、ずいぶん前に書いたものです。「書きなさい」と、メッセージがふってくるので、書いてみました。別々に書いたものでしたが、不思議と共通する何かがありました。「空間」と「場所」五感カフェをやってきて、分かってきたことの1つに、私は「空間把握」がとても大事だと言うことがあります。聴覚は、音を聞くこと以外にも、何がどこにあるのかを把握するのに、重要な感覚なのです。嗅覚は、私にとって、空気を読むためのものでした。「場を読むこと」が、私にとってのコミュニケーションの方法なのでしょう。そして、「自己開示」が、私のやり方なのでしょう。さらけ出すこと。それ以外のやり方も、少しずつ学んでいるけれどね。誰かに届くのならば、世界に生み出したい。自分の中にだけある声を。
2008.08.26
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モノクロの世界で、彼女は下を向いていた。「飛び降りようかと思って」と、無表情でたんたんと言う。下を見ると、そこはビルの屋上だった。「え!待って!なんで!なんでそうなるの?」意外だった。まさか、そこまで追い詰められているとは、予想もしてなかった。「だって、何もかもうまくいかないし、 この先も不安だし、楽しくないから」そう言われて、私はやっと気がついた。「ごめんなさい。ないがしろにしてごめんなさい。大切にしないでごめんなさい。」そう言いながら、泣きじゃくりながら、私は彼女を抱きしめていた。必死で彼女を引き止めた。ごめんね…ごめんなさい…一通り泣いて、気がつくと、私のほうが抱きしめられていた。「大丈夫。あなたならできるよ。」彼女は、キラキラした笑顔で私にそう言った。とたんに世界は色つきになり、彼女は小さな妖精の姿になって、空の彼方へ、飛んでいった。
2007.06.22
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どこまでやれるのか。自分の世界の天井はどこにあるのか。それは、飛んでみてはじめてわかる。まだ飛べるのか、もう飛べないのか。偉そうなことを言っても、自分はできているのか。そういう言葉が降りかかる。自分は完璧な自分を見せていたい。だから、つじつまが合わないことを言って、誰かに指摘されてしまったなら、とっさに取り繕う、みっともない自分をみたりする。「完璧な自分」なんて望んでいないと、意識ではそう思っていても、習慣化されていて、無意識にやってる。いったい何を恐れる。弱い自分をさらすこと。相手に弱みを見せること。自分の立場が弱くなること。なんて、小さいことばかりなのだろう。あたしは何でありたいのか?どうありたいのか?あたしはただ、あたしのままでいたい。ただ、それだけ。慰めの言葉なんて、いらない。励ましの言葉だって、うんざり。そんな言葉は、もう自分に、何百回、何千回と言ってきた。できることは何だってしたつもり。それでも苦しいから、それでも抜けられないから、つらいんじゃん。どこへも行き場がなくて、もう、やりようがなくて。そんなあたしに、「こうすれば?」とか、「こう考えれば?」とか、「考えすぎじゃないの?」とか、意味ないから。そんなの、あたしに落ち度があったって言われてるみたいで、プライドが傷つくだけなんだ。そう、何が言いたいかって結局。そのくらい、苦しんでるってこと。そのくらい、あたしはつらいんだってこと。ここから抜けたいと、思ってないわけではない。それよりも、今のこのあたしを、こんなにもがいても、出られそうにないあたしを、知って欲しい、ただそれだけ。そうして、言って欲しい。「そこにいてもいいよ」って。そんな君も、存在してもいいよ、って言って欲しい。そうか、そういうことだったんだ。誰よりあたしが、あたしの存在を、許してなかったんだ。************************さてどうも、お久しぶり、なすです。上のは「なすのホームページ」で言うところの、「STORY」ですね。久々の新作でございます。たまには、こっちに載せるのもよいかと思いまして。「あたし」とは、なすであって、なすでないのです。お分かりですかね。いや、わかんなくてもいいですよ。小冊子の作成が滞っておりますが、ちょっと方向を変えて、こういった「STORY」と「POEM」をまとめたものに、しようかなあと、現在模索中です。他の「STORY」と「POEM」は、なすのホームページで、読めますよ。ではでは。
2006.05.18
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昨日、STORY「みじめさん」の感想をいただきました。「いやらしい。」と言われまして。はあ?と、思いましたが、その後「キュンときた。」と言われ、納得しました。冷たい名古屋人には早々ない世界観だと言われました。そして、その方に言わせると、「あれは『みじめさん』じゃないな。『しあわせさん』だな。」だそうです。皆さんどう思われます?まあ、基本的に作品は何でも、STORYにしろ、POEMにしろ、読み手の読みたいように読んでもらえば、それが正解なのですがね。その、読みたいように、どう読むんだろうって、作者としては、気になるところなのですわ。っちゅうわけで、なすのホームページの宣伝でした。
2005.12.30
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ろとるさんから、なす作のSTORY「ブランコと、赤いスカート。」の、感想コメントいただき、カンゲキあまって、掲載させていただきます。***********************読ませていただきました~(T T)。私は読みながら泣く以上に、とても驚いてしまいました。私が自分のことを考えるときの心象風景というか過去を振返って自分のことを抱きしめてやりたくなる気持ちになったときに浮かぶ光景が、この「ブランコと、赤いスカート。」に似ているからです。なすさんのように、私は文章で表現できないからすごいなあって思いました!こういう情緒的なテーマを感情に流されずに書けるところがなすさんの魅力だと私は思っています。**************************「自分のことを抱きしめてやりたくなる気持ち」って、とってもわかります。このSTORYは、ここで終わっていますが、読み終わったらきっと、自分のなかの「あたし」を、抱きしめてあげようって、思える気がします。実は「感情に流されず」ってことは、ないんですよ。むしろ、感情に流されっぱなしで、書いてるんです。号泣して、嗚咽を発しながら、書いてるんですよ。先にノートに書いてるんですが、ノートが涙でヨレヨレになってんです。これ、ほんとに。「こういうのを、誰かが表現してくれてたらいいなあ」っていう、そこんとこを、表現できたらなって思ってやってます。ろとるさん、ほんとにありがとう!こういう瞬間は、ほんとにカンゲキです!こういう瞬間に、「書いてよかった!」って、じわーんと、幸せになれるんです。ちゃんとわかってくれてるんだこの人は!って方に、感想を正当にいただくことは、作家として、なによりの喜びです。そしてまた、ろとるさんのブログの愛読者のなすとしては、ろとるさんから感想を頂けて、本気で嬉しいです。今後とも、よしなに。そしてみなさんの感想は、随時受け付けてますんでよろしく!
2005.10.25
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