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最近母がくれた知覧茶(鹿児島のお茶です)を飲んで冷やしています。夜遅くになると体が動くので夜作っていて冷蔵庫で冷やしている少しの葉っぱでものすごくよくデルし澄み切った緑色のお茶が出てコスパが良くておいしくて家庭でいれる緑茶の中ではいまのところ自分の中では一番おいしいんじゃないかとおもっている午前中は不安やら焦りや自責の念が多いんですが夕方から夜になると頭がクリアになってきているけども細かいことがやれるぞーってなってきます深くもぐっているけど底をついたら浮いていけるんだと¥
August 22, 2024
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無くしたサングラスが車の下から見つかりました良いことがあったとりあえずまいっか大作戦私の大好きな映画は「アパートの鍵かします」であります。昨日ちょっとこの映画のテーマ曲が耳に入って。ビリーワイルダー作品あのジャックレモンの人間性の優しくて暖かくてコミカルなところとショートカットでひたすらひたすらひたすらキュートな若き日のシャーリーマクレーン古いニューヨークのマンション(アパートメント)全部素敵なんです
August 20, 2024
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アノアイツガ突然きれて(虫の居所がわるかったのでしょう)叫びながらリモコンでワタクシが14回殴打されて(数えた)その後リビングからキッチンまでずっと頭突きされて(その間ずっと怒鳴られ冷蔵庫にワタクシの後頭部打ち付けられるまで続けていた。もう混乱恐ろしいわけがわからなかった)負傷して一週間後にいった名古屋三菱病院で....肋骨がおれていたことがわかったことこれは誰かに口頭で話した事なくて怖かったことと劇的な痛みと多くあびせられたオソロシイ罵声のショックは今も全然解消されない深い心の傷で言語化するのはここだけめちゃくちゃな文で2014年2月8日のことでしたもう10年もたっていますいつでていくんだ、やられたいからいるんだろう?絶叫で....脅された恐怖暴行を受けたいから結婚しているとかロジックがおかしいのですが、私に対してだけ狂気の面を思うだけだせる感じにサンドバッグ感の感じでくるってるんだと思うけど後半はそのほか数多く本当に虐待の内容が劣悪化。無視もされていたその1か月後に家を出たわけで・・・・(・・・北の国から風)過去の心の傷が深いと日常的に自虐的になってしまったり、自傷的になってしまったり辛い時もそうでないふりをしてごまかしたりの癖がでます。治らない。直したい吐き出すように脳内をそのままむしろ言語化するより早く入力してここにかいているわけで・・・・・(北の国から風)あの記憶があっても幸せになりたい残りの人生幸せに生きたい
July 11, 2024
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あんなこと言ってみんなは、お前のことえ?って思ったぞ。〇〇っておもってるぞ!!!!課で誘ってくれた○○に冷たくしてお前は冷酷な人間だ。と結婚してから何十回もひつこく言われたが(仕事中に隣の課にいる出向できていた宏と同じ会社の人に、突然デートに誘われて驚いて何も言えなかった)大勢で泊まりがけで言った後感じ良くしていたのに、結局、みんなの前でーーーーー!!!!っあんな態度とりやがってーーーー!!!!!!と帰りの車や、家に戻ってから長々と叱責と暴行をうけたりするのが日常でいつも宏がどう思うか脳の中で配慮し続けなければいけない15年以上に及ぶ人生だった自己肯定感が下がり下がりそして下がり違う人格になってしまった。新しく知り合う人にはオドオドしてこの人大丈夫かなと常に思われる人格が変になってしまう以前の知り合いや友人には反面、高校時代の知り合いには今ちゃんはアクティブで前向きだから大丈夫だよ!と横浜からLINE電話で言われて今は違う人格なんだ..会えない時間に人格が変わってしまったよ...Kちゃんも、変わらず接してくれて、一緒に中間の姫路に行ったり、娘ちゃんとの神戸旅行にワタシも誘ってくれてワタシもご一緒したけど中身は変わってしまったんだよ新人時代の同期の女子に会った時、み○○ちゃんだったらどこでも大丈夫だよとまた言ってもらってどこに行っても何も言えず、言葉も出てこなくていじめにあったりしているが友人の過去のワタシの人物像と今の人格が大きく離れている感情がダメになり鬱で反応も遅くそういうふうだとどこに行っても田舎では特に下にみられる。ワタシのことをなにもしらなくて、中には入れば閉鎖的で同調圧力の強い田舎。AIのこの時代に。例えば、東京には一度しか行ったことがないちゃんとした会社でも働いたことがない外の世界を知らないない同世代の独身女性に田舎マウントをめちゃくちゃとられた。上から目線で後から入ってきたのにタメ口で敬語も使えないような人にずるい立ち回りをされてワタシの関係ないワタシと関係のないことのミスを被されたり物を隠されたり。または小さい「ゆ」はどうやって打つの?という聞かれたような人に、複雑な紙の台帳を探すのが大変だから、エクセルにした方が良いとおもってワタクシやりますのでとお願いしても、カミノホウガ良いと言われて(入力できない人から見たらそうなる)結局分厚い台帳の中で検索するのに全部のページをめくって毎回探すのです。台帳へ書く情報の項目のほうは、1件につき横に長く沢山あってそれが5件あるとしてそれをシャープペンシルで時間をかけて手で記入するわけです。30年前でもエクセルでしょう。またはネットで管理。若者が来たときに、今後のために簡単にするとか電子化する便利にするとかはわからない方には嫌なんですね。若い人がいない高齢化社会・・・・つらいパソコンに詳しくてもシステムが少々わかっていてもパソコンが固まってそれを直そうとして直したら、ナニヲスルノ?と、驚いてスルーされてすぐにわざわざ業者を呼んで(ルーターをリセットしてパソコンを再起動したら治ったんですが私はそれをやろうとした)業者の人これは例で、しっかりした会社で働けないと30年前にタイムスリップしたようなリテラシーになりましたシステム触れても今時だけど、エクセルでもワードでもフォトショップでもイラストレーターさわれても、アドバンテージもなく(陰でこれどうやってやる?と聞かれるのでお伝えしても教えてもらえて助かったーとかワタシの評価が上がる絶対言動はしなくて、上の人にはとろい、的な部門にわたしがいくようにとされてソレだんだん流石のワタシも気がついて(上の人がいるときには聞かない)わたしがあほでもわかってきて答えたり教えてあげたりが嫌になってきました。わたしの評価は下げるようにするご自身達は、上の人にアピールする...ウゾウムゾウの中の自分。日本の売り手市場関係なく、人口の超少ないこのあたりでは、最低賃金の(1000円切ったじぎゅう)数少ないパートの求人の席をとりあう事務仕事が紙ベースで電子化を嫌がらなければ人員工数減らせるけど・・今は売り手市場のはずですが人口がすくないところでは仕事の数もありません名古屋で登録していた数件の派遣会社の支店もここにないです名古屋のリクルートさんから電話がよくかかってくるでも今山〇にいるんです。と、答えている外から見るのと内側からみるのとは違うマスクはいまだに2024年7月の今、90パーセントの人がしています異国にきたみたい戦時中に田舎に疎開してきていじめられるそういう感じになっている頭では自分基準、自分ファーストで(これは自分勝手とは違う)生きないと幸せになれないと分かっていてもそれが難しい「おーーーまーーーえーーはーーなぁ!!!!!!!!!やま○○にかえれっっtっつっつ!」という暴行を受けながら目をむいて顔をまっかにして大声の宏の命令が脳内に洗脳のようになり何度も何度も再生され宗教に洗脳される人のように本当は自分の心は東京に戻りたかったのにそうしてしまったこうしたい・・と思う方向に身体が動かない親もワタシがここにきたことを喜んでいなくて実家は弟にあげるとものだし、歳だし2人の生活リズムもあるから一人暮らしして欲しいと言われたよだから出たよ母、そっちに引っ越すと言ったら本当に困ってたよ高齢化、過疎化が進んでいく町の中で、娘は街に住んでる、とか、息子は東京にいて、、とか、言えるのが田舎のじいさんばあさん良かったみたい...そういう人、いっぱい見たから少しわかってきた細谷宏は、なんで山○「帰れっ」ていったの高校の大親友の、の○ちゃんもい○ちゃんも東京。た○ちゃんは転勤でここにはいない色々いってみたけどオドオドして田舎マウントとられて新しい友人は1人もいないよ.脳内で同じ言葉が再生されつづけて影響をうけてそうしてしまうこと洗脳そして外面ではうまくやりメンタルコントロールを他人にし、執拗な虐待をする人間だということは自覚が無いからそういう人を素朴で素直だった若い時の私は分からなくて最初に信じてしまって望んでいた人生と全く別のものになってしまい悔しい
July 8, 2024
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今住んでいる独居房と呼んでいる築50年の廃墟の五階から漏水して、漏水日いちにちと、別日でその工事で土日が潰れました。工事がまたお父さんの日曜細工よりひどくてハゲてきている、、また電話するのがつらい。 引っ越したいけどパワーがもう一ミリもない英気もない 実家は家とか後継とかをずっと言う戦前のような考えの両親で。私が別れて1人になった後も、母にも、にみず○ちゃんは都会にいたら?と何回も言われた。戻ってきて欲しいとかいつでも帰っておいでとは一言もいわれなかった。確かに田舎仕事ない。今売り手市場なのに。ドラッグストアですら争い。 戻ったらすごく困っていて、知り合いが来てピンポンを 鳴らしても出ないでと言われた 今は一人暮らしだから良いけど... 実家は弟にあげるともう書いて残してある と言われた。 法律では半々だけど 将来弟は自分のお相手と住むかうるか あるかするでしょうけど。 行き場がないです。この県に友達もまだできない せんさくずきで会話のペースが合わない 馬があった仲の良かったひとは1人残っていたけど この県に帰る前に旦那さんの転勤で とおくにいっちゃった 田舎に来て(元々6年しか住んでいなくて地元感薄い 懐かしいというより、寂れて路肩に枯れ草が 手入れが行き届かずにぼうほうにはえていて、 夜は街灯もなくまっくら。 方言に耳馴染みが悪い、お年寄りばかりしか いなくて、かなりキツい方言です広島より 語尾がキツい 例えばせんせいという時に、せに高いアクセントが くるんですがこれも恥ずかしくて中学高校と住んでいる ときも言えなかった この県にきてついた社員の仕事 仕事もコロナで閉業になりそこが繰り返して きた最後の社員トライでした。 その後のところ一か所は中で一度移動になり 本職員がもどるからと首になりました 水道代が名古屋の2.5倍 という土地です。水ならいくらでもいい あるだろうにお高いです 20代のあの頃は夢だったのか あの時の決断は個人で自分で望んでというより 違和感を感じながら他人のあの人物の言うことを 鵜呑みにしました、名古屋は東京の周回遅れ。でも住んでいたら馴染んできた。そこを殴られながら出ていけといわれたお前は山口にかえれ!(大鬱になり脳が使い物にならなくなり子供がうめない年齢になりヒロシにとって有益なものではなくなったから) 子供欲しいから酷いパニック障害ではメイラックスとか安定剤がだめだから認知行動療法とか自力で1人で探して1人で行ったの何 「東京あんなところどこがいいんだ、満員電車で通勤してビル街の東京砂漠」とヒロシが言ったが コレは言った本人にも私にも当てはまらない嘘だ。ビル街になんか勤めていなかったし自転車で通勤していた。巨大な社食、自転車置き場。中に産業医もお店も旅行会社も保険会社もエレベーターとうやら鉄道の線路も原子力シュミレーターもある大きな街のようになっている大きな工場。東京のオフィス街なんて知らない。 同期が500にんもいて同姓でも異性でも 仲の良い人たくさんいてフレックス、何に最低一回は 海外旅行。 この田舎で求人を見ると、休みが取りやすく 年間有給消化10日以上とか書いてありそれが中小企業 では素晴らしいこと20代の師匠は有給は権利であると言ってた大企業だからソレ言えたんだな今思えば。年間に連休たくさんとってた。システムエンジニアは多忙な時期は壮絶に忙しいがそれが終わると連休をとり大旅行。インドとかアジア楽しかったダイビングでミクロネシアとか。オーストラリアもプーケットもセブ島もバリ島も自力で働いて自力で行けた。 国立の絵の先生のアトリエまだあるのかな
July 8, 2024
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暴行を受けながら言葉でも酷いことを身体を逃がさない逃げられないようにされてワタシの欠点を絶叫するという形でされて精神がガシャってなって号泣してしまったらあははははと笑いながらスマホのカメラを回されたなんで取るのとなんでと言うとだって醜いじゃないか醜いからとるんだよとやめてーー涙を流したりしたら余計に精神を壊してくるニンゲンの中でも子供のイジメとかで聞くようなされた側は自死してしまうような日常的異常行動をしていた元夫ひ○し本人は自身のしたことをすぐに忘れてしまうでしょうけどこちらは映像として焼きついていますワタシはサンドバッグでした最初は手に入るまではさっさとまめにしてDVやモラハラ、経済的DV、自分のため24時間仕事の手伝いを無償で発動させて、自分のための家政婦引き付けを起こしたような暴行神経をズタズタにして自らの所存にさせてからは人間のクズ扱いされましたが基本日常的に暴行する男カスです力の弱い私をつかんで、我を忘れて罵りながら暴行あれらの光景を映像で流れてくる今も(車の中の顔や頭を押さえつけられて窓ガラス面に)暴行とか酷かった虐待でしょ障害罪でしょ#宏#名古屋#ほそや
June 30, 2024
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ここの方言いまでも〇〇しちょるじゃあ〇〇じゃけえまだ言えないずっと言わないんじゃ無いかな中学高校と住んでいたけどみんなみたいにいえず国語の本読みも他のみんなとアクセントが違いどこに行ってもここじゃ無い感がして寂しい田舎の中でも同調圧力が強い中学の時は軍隊みたいでヘルメットに学年ごとに色違いで一人一人数字を割り当てられてどこの誰か緑色の5番とかでわかるようになっていて自転車でナップサックを背負わずにカゴに入れているだけで朝礼で、(特定できるため)名指して怒られていた田舎が伸び伸びしているのは風景であり同調圧力、遅れた厳しい管理教育..福岡は結構オープンで髪の毛を可愛く伸ばしたらリボンを付けたりしていたけどいきなり戦時中のように髪をワカメちゃんのようにしなければならず(ダンシは坊主)なんじゃそりゃ!皆が自然に受け入れるところをおかしいやろと思っていました東京に出て考え方がオープンな流れのところに行けて居心地がよかった。ワタシの(職場の)厳しかったけどその師匠の教えや哲学が特にいまでも時代がそのとおりになってきていて今も心に生きている
June 30, 2024
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暴行で、足の膝のさらや膝の裏やら、(今も右だけ調子良く無い)それから腰を痛めて、スネと腕と腰が青タン赤たんになり隣のショッピングセンターの整骨院にしばらく通っていた。その時にもらった身体の箇所に色々丸をつけて治療方針の紙とメモをとっておいた。ワタシは色々な家の中でこういうふうにこけてとか詳しく理由をつけたけどえ?それでこうなりますか?とお不審がられていました謝られていないし悪いとも思っていないでしょう通っていると知ってもお伝えしても悪かったとか言わずに(申し訳なさそうな態度はしない普通に平然とすごしている。オーバーにしやがってと心で思っている余程のことがない治療に通いたくなんか無いけどよほどだった)細○氏は無の対応怖いひとです何度も書くけど相手側からの行為の内容は、暴行、傷害罪相応になりますDVにあっている方もしている人も自覚してほしい身の安全や生活の糧を確保しつつその先にあるものをDVで長く結婚していた友人とか知人はいませんが3年前に一度だけ名古屋のジャズの飲み屋さんでDVがあるが離婚していない60歳前後の方にあったことがある別居で娘さんとのほうが建てた家に残って住み、DVの旦那さんがアパートに住んでいました確か調停でそういう結果になったそう(双方の生活力を鑑みて)会話していたらわかるけど頭の良いご夫人だった詳細書かないけどここに書けない暴力や虐待時や、追いかけられて逃げたりする時、一歩間違えば、ひとつずれていたら半身不随になったり、死んでいたりしたかもしれないギリギリのところの場面が沢山あったのですがそんな家庭生活なのに熱田神宮で引く年初のおみくじはいつも毎年大吉だった熱田神宮の神様みたいに大きな者では無いけど目に見えない何かに守っていてもらったとしかそのせいでこいつは何しても大丈夫的な意識が向こうにできたのかもしれないけど#hosoya さん がアレで
June 28, 2024
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暴行で、足の膝のさらと膝の裏やら、(今も右だけ調子良く無い)それから超腰を痛めて、腕とかも青タン赤たんになり誰にも黙って隣のショッピングセンターの整骨院にしばらく通っていた。その時にもらった身体の箇所に色々丸をつけて治療方針の紙とメモをせめて証拠にととっておいた。ワタシは色々な家の中でこういうふうにこけてとか詳しく理由をつけた。それでこうなりますか?とお不審がられても自分でやりましたと言い切った。謝られていないし悪いとも思っていないでしょう通っているといっても悪かったとか言わずに細○氏は無の対応でしたニンゲンジャナイ今もその右膝はよくない
June 28, 2024
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アクセス数が昔からやっているからトータルアクセス数多いけれど150アクセスの日や400の日もある誰がみているんだろう。人間でなく、自動巡回なのかな?エディの画像はほとんどデーターが無い個人で気にはエディの画像写真は探しても8枚ぐらいしかもっていない動画もひとつもないこのブログには少しあのこの写真ある。あのこがどうだったか動いているところももう思い出せない本屋のページはデーターだけある鍵も持っていたし、持ち分もあるのにもうマンション私が出て行ったその日に、出会い系に「離婚」と書いて繰り返し〇〇ちゃんを迎えに行く、〇〇ちゃんと温泉、みたいな浮かれた内容がグーグルカレンダー共有がiphoneに配信され(むごくて見ないで済むようにきったけど)既婚者みたいな?人としまいにゃ・・・・取りにかえれなくなった追い出されて放置に力の弱い異性にDVを繰り返す自身を放置して隠して数か月もたたぬうちに、すぐ次をさがして品格が無いクズみたいな人相手を釣る言葉は自分はこういう人間だ、こういうものを持っているとご都合の良い面だけ事実もねじまげて「僕はいろいろ嘘をついたあと、仕事をやめて貧乏時代を突き合わせて無償で自分のために労働させてDVを繰り返していたら、元妻は神経がおかしくなり鬱になり使い物にならなり仕事も軌道にのってきたし何度も暴行しつつやられたくなければ出ていけと恫喝して最近、追い出したばかりです♡よろしくおねがいします」・・・言ってないでしょうわたしが作った旅のアルバム返してほしい自分のだけ爆住友のマンションどうなったかな(この県にもどって。。。といっても中学と高校6年しか住んでいない県で。 さびれて過疎化と強烈にすすんでいる。東京のほうがちょっぴりながかったが実家がある)この県に来て最初に出した履歴書で通って「社員採用」になったが労働環境が超ブラックで毎月35時間は残業がつくかんじでも定時とかかされてそれはもらえず手取り月14万(時給換算で田舎の最低賃金以下どころではない)で仕事をしボーナス2回と書いてあったが業績悪化で一度ももらえずコロナ過になりそれでも休みの日は家で仕事の勉強をしてこの年でこの田舎で社員だからと鬱のままでも感覚的にできることはあるので必死ではたらいていたらそんな就業先がコロナで閉業になり3週間前に全員に告げられて閉業につき全員解雇で終わり。半年は左耳が半年ぐらい聞こえなくなり突発性難聴でストレスからきていると。そのあとパートに言ったがそのポジションが本職員と入れ替わりで2年どまりとなり今は気力もなくなり体とメンタルが悪い。一度倒れて救急車にのったり働けていない田舎でしずかだとPTSDというものが強烈になってきたヒ〇シが、アップで向かってくるようなどんな映像でもでも浮かぶのは睡眠から覚めた直後、寝起きとかが多い名古屋に戻ろうかな・・・東京がいいかなこの山〇で、中学、高校生6年住んで以降、またくらすようになりここで英検2級もとった(↑履歴書や仕事に役立てるため)し、サービス接遇2級(誰でもとれる)とか損保の資格(誰でもとれる)をとったしもちろん暴行や虐待や恫喝を受けていた日々よりも今がいいだけどPTSDが酷くて、あの恐ろしい長い長い時間はトラウマになって突然出現し、苦しく消えてなくなりたくなる
June 27, 2024
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その頃わたしはだんだんとこの世で外の世界と内側が分離していっていた(暴力や恫喝、虐待によって、力の弱い身内を意志通り、思い通りにさせようとする衝動が抑えられなかった元夫その恐ろしい長い長い時さえすぎればそれを何もなかったかのように過ごして、認めようとしない人間そして相手がダメになるとこれがダメなら次と、パートナーなどの女性に、DVや人格否定をする人間性を隠して、次の犠牲、次の女性、相手を探す)「昨日暴力と恫喝を夫から受けました」と血の気のひく思いで心が怖さに震えながら次の日誰にも言えずPCに座ってホ〇ヤ氏の仕事の明細や請求書を作たり、PCの会計ソフトに入力をする(お給料はない)「うっせーーーーーーーーー!!!!!!人の気持ちは変わるんだーーーー!!!」大声、すぐにはおさまらない罵声がずっと続き「りこんしたいんだけどーーーー!!!!!!!!」恫喝を受けながら何もしていないのに突然暴力激痛がその後ひかなくて行きたく無い病院に1週間後に行くと骨がひびがはいっていた。たくさんのあざ。大げさにするとH氏に罵られる三菱病院の先生にコルセットをするように言われたが断る。けがをさせてしているのに軽いかんじ「ごめんねいたかった」肩がぶつかったぐらいの怖い狂っているねおかしいよねその前の時には顔面をビンタで鼻血出しているのにもう手をあげたり足を出したりすることに麻痺していてビンタ後も怒り収まらず怒鳴り続けて、怒りで顔真っ赤だったよね手で殴るほうがいいよね手を使うのももったいないと後半は足が多かったよね殴る手が痛いのか、足が多いなと思っていました。横倒しになってけられてけられておなかをまもってウ!ウ!う・・・・って最初に若い時にアノヒト見かけたころはワタシの方は、異性としては氏を意識してなく、H氏は私のいた課に名古屋の子会社から出向で来た人だった当時は向こうからオシにオサれた最初、ある年末の夜にホ〇〇氏が1人で告白しに家まで来た(あの方はサイコパスだからそんなことができるんだねと今は思うけど若くてわからなかった)冬に入ったころで、電話で返事したのは気持ちは有難くもそういう風に意識していなかったから・・と返事したが(そんなぼんやりした答え方ではダメなのです!)何か月もずっと好きだ好きだといってきて春になるころ同じ課の同期世代とのお花見の場所で「ね?みんなに言っていい?」とそのメンバーの前で言い、え?え?え?何を・・?そうすると「自分とい〇〇さんは付き合ってるんだ」という発言をして急展開え?え?「そうだったんだ~~♡」「え~~~」急激な展開となった周りから固められたと後で気づいたそのようなことが初めてでその場で否定することができなくて先回りされてながされてしまった。今の自分ならそんなこと絶対にムリで怒るけども結婚しようと言われ苗字を変えて大好な街の住むところまで変え待遇が良くて多くの素敵な同僚のいる企業を辞めて(元夫の会社の親会社で私は就職していた。東京、が好き、会社が良い企業「やめることを迷っている」と何度も言ったが意味不明だが、色々言われて説得されて(言いくるめるためのうそが半分はあった詳細は書かないけど決定打となった説得は結局、おそらく嘘だった)ここまで一心に思ってくれて追いかけてくれるならそういうものか、幸せになれると思ったから。DV行為というものがあとでどんな風に変化していくのか若くて分からなかった東京で良い暮らしが出来て自由な感じの社風で優秀な人がたくさんいるしっかりした福利厚生、長い連休、フレックス、生理休暇もとれる、産業医がいる社食も安いし、沢山ある。自立できていた職場。技術も最先端だった。私は毎月アスキーみたいな本を買って読んでいた。(辞めてきて欲しい→辞めるのつらいもったいない東京が好き→まだ辞めるのいってないの?というやり取りがあった。辞めさせて1人で自立していた頃の倍働かされて元夫からお給料はもらえない、服も買えない、美容院にも行けないことになった。家事は二人分ひとりぼっちだった。(シャツのアイロンのかけ方が悪いと激怒して胸倉をいきなりつかまれたことも)大好きだった東京や良い親会社をやめてまで、暴行や虐待を受ける生活になったのは自己責任だろうか。あんなひと嘘やその場しのぎのだましの言葉ばかりで、狙われたら最後の事故みたいなものです。(恐ろしいDVを受けながら惨)ほんとにほんの少しずれていたらとかそういうことが数え切れぬたくさんあったが、神様がついていてくれたのか今、生きている新卒の会社はGM(主任さん)にもこの厳しい仕事についてこれて驚いている。「将来に目をかけているよ」といってもらい、課長さんにも「優秀と聞いている」と言葉で聞いて覚えているのに(ワタシは自分で他人に言ったりしたことはないけど当時は難易度の高い仕事に対して仕事や人物の評価がよかった。原子力の課で大幅なリストラがあったけれど私はいないと困るから残ってほしいと他方ニーズがあると言われて残された。「期待している」からと言ってもらった。課で勤務する女子は十二人いたが二人になった、同期の女子も私より一つ下の)元夫は「仕事ができないからお前はやめたんだ」「外で働いたことがないくせに」気が狂う嘘を、殴りながら言われた。手ならまだいいが後半2年ぐらいは足を使う暴力が青くなった手を使う虐待すらもうおっくうになったのとおもう床、ひきずりまわされて、恫喝されながら「ウっッツウ”!!!!!!」と顔を真っ赤にしながらけりが何度もはいった元夫こそ、東京の仕事、まだいてほしいと引き止められずに予定通り名古屋に戻されたのに仲良しだった東京の友人とも離れ大好きだった人生の師匠とも言えた通っていた絵の教室もあきらめていろいろなことを引き換えに結婚自分で決めたからと10年以上経た結婚生活の最後のほうまでは口に出さずいた口に出せなかったのは口に出させてもらえなかった考えていることなどはのみこんで遠慮していた呪縛を神様といてください記憶をけしてくださいPTSD#hosoyahiroshi#DV”DV夫
April 18, 2024
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元夫の勘違いによる怒りがマックスになりその当時下が硬いコンクリートにカバーしたぐらいの床に、力一杯たたきつけられて後頭部を打った。その時他にもあざだらけだった。若かったから良かったカブが手のひら。サイズのコブができて。あの激痛は。プロレスラーの方などがまれに頭部的な外傷でなくなったりする。わたしの頭蓋骨の強度が弱いと死んでいたかもしれない。半身不随になっていたかもしれない。尋常でない痛さだったけど神様が守ってくれた。のたうちまわる痛みだったけどそれより恥ずかしく悔しくてアドレナリンがでたショックでガタガタぶるぶる震えたその時病院にも行かなかった。行けないのです。虐待やDVを受けている人も一回ですぐ病院に行き○○に、暴行を受けたと言え無いのはナゼダロウ「診断書をもらって欲しい」「傷やアザは写真に撮る」防波堤になるから助けてくれる人もきっといるDVを受けた方がDV加害者から逃げるのは残酷な話DVした側を荷物をまとめて出て行かせてどこかに被害者から隔離して実際はDV被害者が逃げなければいけない現実私がJAZZを聞くお店にいた時にいた少しだけ年配の旦那さんかDV加害者だった女性に話をお聞きした裁判で、DV旦那さんのほうが家を出てアパートに住み被害者のほうが二人で結婚して建てた一軒家に住んでいた。ローンは夫娘がいたから娘と一緒に一軒家に住んでいると。裁判でそうしてもらえたそうだあなたもやりようがあったと思うと言われた名古屋にいた時に出会った人でその話を聞かせてもらったけど勉強になった十年以上暮らしていれば相手が将来もらえる年金も折半の設定もできる(やっていませんが)引っ越しや膨大な離婚の手続きをたった一人でやってつらい作業でした。私が買った家電もあるのに何もかも置いて。ひっしだったから。冷蔵庫もライトもしばらくなかった。私が買ったのに。持ち出せば良かった。身体が心労と鬱で動かなくて頭がノイズで外の世界が幕がかかったかのようで、元夫は引っ越しも手続きも身辺整理もなく住友不動産のマンションを一人のものにしてこれまで通り。労力なし。一箇所サインするだけ。すぐに誰々ちゃんとデート。追い出していちねんもたっていないのに私が選びに選んだ可愛いキッチンのあるマンションへデート相手を部屋に呼ぶ。離婚届受理されている前にものをとりにもどったら明かりがついていて何をしているのか気持ち悪かった。私の身内のお金すらもとったのに、ひつこい暴行、罵声、虐待しながらでていけでていけと、脅されて身一つで追い出そうとそして我慢しても骨は折れているものは折れているのに夫からやられたと隠して治療していた自分、、心神喪失状態で残っているうごく脳みそがわずか当時、人の話す言葉さえ言語と理解できなくて噛み合わなかった。助けてくれようとした友人の言葉にも応じて行動できなかった。(DV被害者を助けてくれる活動をしている方とか)ながら族だったのに、おんがくやてれびやえいがをつけたままでは脳ががちゃがちゃと騒音になり文字が終えなくなった沈黙の部屋の空間でじっとしていた頭の中がぎーーーーーーとなっていて苦しかったおしゃべりだったのに会話するにも言葉も出てこないのだ私のようになる前に自分の人生を暴力や虐待から逃げるために守るためにできることはある結婚前に築いていた東京での友人関係から離れて変化を見知る身近なの人がいなくなった知り合いがいない夫のテリトリーの名古屋に行ったことかなり分が悪かった今となってはどうしようもないけど愛していた東京暮らし、福利厚生から給料から仲間、友人に恵まれていた会社大好きな気に入っていた街での暮らし全部と引き換えにDV夫虐待の結婚生活・・・・・私の働いた会社は、府中の新婚さんが入居できてパティオみたいなのがあり、社宅は可愛かった。夫の会社は社宅などなかったあいつが会社辞めつもりなのにそれ隠して騙されて名古屋のマンション買ったのなんだったんだ...!わたくしが東京に戻れたかもしれない軍資金も、身内のお金もとられて本当に当時苦しくて。自力で働いて季節ごとに数枚服を買えていたりしたりしていたことは夢のできごとになり、お金の部分で困窮して数年間服も靴も買えず、パーマは自分でかけて髪は自分で切り大切な友達の結婚式にも行けなかったウソをたくさんたくさんつかれて全部信じてしまった人の感情がわからなくて自分の目的を果たして行こうとするとサイコパス的#DV被害者#DVサバイバ#元夫
March 8, 2024
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PTSDは、過去に体験したトラウマや辛い出来事によって引き起こされる精神的な障害です。例えば、戦争や虐待、事故などが原因となることがあります。その出来事が終わった後でも、その記憶や感情がずっと残り、日常生活に影響を与えることがあります。PTSDを改善する方法はいくつかあります。専門家の治療を受けることが重要です。心理療法や薬物療法が一般的な治療法です。また、リラクゼーション技術やストレス管理法を取り入れることも役立ちます。日常生活での健康な習慣やサポートシステムの活用も重要です。#DV#虐待2014年2月の元夫暴行しながら恫喝しながらの命令が現実になり、結局6年しか住んでいない田舎に住んでいる。(その途端元夫、若い人と入籍(私が傷害の刑事事件にしなかったことでしごとがつづけられたため仕事が続けられていたおかげ)探したけど酷い先生でかえって悪化。30代に八年とかかえってなくて当時姪っ子にも一度しか会わずに終わった。通えるところがない。中高の時の少ない友人みんな関東や関西1人残ってたけど30代後半結婚して遠くに。この事態...昨年一度相手の砦のために震える声で一度だけ電話したが両親がそばにいないとわかると声色が代わり恐ろしかった...そして切られたトラウマが吹き出したもうはやりやり取りは恐怖でしかないプロのしっかりした方々に清算お願いして今は採算できた
February 19, 2024
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10年近く前だが日付を覚えている。正月明けだったから。2014年の1月4日。お正月だった。平手打ちされて鼻血が出た。精神やら神経がぶるぶる恐怖宏氏が振りかぶって、顔を強く平手でなぐってきた一発目のあともう一度殴ってやろうかとテニスのストロークの後のような構えをしてワナワナ震えていた。顔を赤くし、歯を食いしばり、どうしてやろうか!と怒りに打ち震えていた。殴っても私への怒りの表現に満足していない様子だった。自分の気持ちを自分より力の弱いものになら暴行という形で表現する。私は震えていた。恐ろしくて足がガクガクした。心臓が限界までうった。おそろしかった。なんだー!おーまーえーはー!!と相手は大声で叫んでいた。鼻血が出てなかなか止まらなかった。平手打ちによる鼻血。ほおが腫れた。殴られる時に半袖の腕を思い切りつかまれていたので指のあざができていたことはその2日後見つけた。私はその日走って逃げ出して近くの金山の駅前のビジネスホテルに泊まった。辛くて苦しかった。頭の中で殴る構えの姿が回る。今もあのポーズは映像ででてきて冷静でいられず安定剤を飲んでも寝られなかった。子供がいた場合、父からの母親への暴力を子供がみていると間接的な虐待になる説を何箇所かで見た。若い時から子供が大好きだったから欲しかった。DVうけながらでその中で子供にとって不健全な環境、怖かった。陰湿な虐待を受けている私がお母さん?のそんな家庭?こりゃダメだ...子供が産める適齢期の最後頃と言える年齢になっても、とうとう暴行はやめてもらえなかった。このようなことをやめてもらえないか何度もずっと言った。アンガーマネジメントの本を渡したりカウンセリングプランを印刷したりした。本は読んでもらえずDV防止プログラムカウンセリングの紙も一見もしてもらえなかった。....嘘を何度もつかれた。暴力のない日々は最後までなかった。途中から罪悪感もなく、暴行した数日後すっきりした顔をしてすぐに忘れる。その頃、見たビートたけしの映画でニンゲンジャナイ..と奥さんが旦那役のビートたけしに言う場面があった。私も同じ気持ちになった#あちらの家族からも本人からも謝罪をいまだに聞いていない#DV#hosoyahiroshi
January 19, 2024
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結婚後オデッセイという白い車を買った。ワタシは、自分もかなりお金を出すんだし自分も運転するかもしれないから、交通量の多い名古屋で運転するために小さい車が良い、そう言った。でも、うまいこと説得され私の声は届かない。7人乗れるオデッセイになった。新車のような綺麗な中古。現金で買う方がお得となって確か80出した。元夫が確か100出した。ノートにつけていた。常に、私の口座の現金は「あるだろ?」とあれば使おうとする方向性の元夫ヒロシ..(ワタシは自分のもので高いものを買うことなどほとんどなく宏が望むものだから購入。いつも私の口座には現金が無く高いパナソニックのマッサージチェアとか。ワタシは欲しくないやつ。マンションにつける性能の良いエアコンとか。(リビング全体から廊下まで冷えるようなやつをつけたけど私が出したことは一瞬で忘れて、他人に自慢してた)車を買った後、伊豆めぐりでヤツの自分の家族をすぐにのせていた。ピカピカの車で7人乗れるからみんなを乗せて誇らしげだった。私もお金を出したのに、自分一人で買ったような感じでいっていた。だけど当時は本人が喜んでいるし何もいわなかったそれでいいと思った。まだ心がきれいだった。本のイラストの時もそうだった。自分は何歩も手柄は全部あちらにいくようにひいてたてていたけどもソレを逆に利用されてしまった。奥さんも出してくれて二人で買ったと言うようなことはもちろんヒロシは言わない。「段取り改善」という本を出した時も、イラストは、私が描いたものがほとんどですが一円ももらえずヒロシの実家を喜ばせるために本を送ってくれと頼まれた「私が手伝った」と言う言葉はひとことも無かったわたしも、先方の家族に一言も言わず、ヒロシが出した本と言って手紙をそえた影で手伝ってもまったく何もしていないみたいにふるまうのでその結果、ホソヤのお母さんからも「手伝う気がないのなら::」とひどいことをいわれ確定申告も一年中、領収書を集めて税理士さんに頼まずに複雑な分厚い決算書を作った。私があの人名義の確定申告をしていた。鬱になって辛くて辛くて毎晩どうしようどうしようと苦しんでもやった。税理士に頼むとお金がかかるがそのういたぶんは、あちらの口座にたまるだけ。自由に使えるバイト代もお小遣いも何ももらえなかった。DVをうけながら病気になりながらしぼりだすようにサポートし徹夜もたくさんした私のことはまずは全てを奪って名古屋に来させた上で搾取する対象で下に見ているから何度も書いたが誰がお前に先住者給与をやるか!!言われていて。暴行された。請求書や納品書もフォーマットも、たくさん作ってたくさん出した。どれだけやってもお小遣いももらえず給与もない。バッグは雑誌の付録。コートとブーツはヤフーオークションの古着。新しい靴一束買っていなかった。手伝う気がないなら...と義理の母に言われたけどそう見えるのか?と思った。徹夜で書類作ったりしてたのに。ほんとのイラストひとつにしても全て自分の手柄で一言も私が手伝ってくれた(7.8割がわたしなのに)助かったとか言うはずがない。搾取する対象..人に頼めば有料なものを私にやらせれば無料賃金ゼロ。ひろしの口座にはお金が入る。私の口座には現金がゼロ汗お客さんの、行政に提出するとても分厚い書類をミスをした時、二人の確認ミスでもあったのに、私一人のせいにしようとした。開口一番「どうしよう!事務員がミスしたって言おうか」と開口一番に言った。事務員とは私のことであった。お給料、おごずかい、現金、振り込みももらえない事務員なんだ...。そのミスについて始末者を書かされた。お客さんのその補助金申請の収入が多く入ってももらえなかった。仕事の出来が悪いと暴力や恫喝。何をモチベーションにやればよかったの上手に出さないと机を全力で叩き、大声を出すうまくやらないと突き飛ばされる、胸ぐらを掴まれる、床にたたきつけられる。蹴られる。水責めをされる。私の物を壊される。バッグが買えないからミシンで作った手作りのピンクのバック、は怒り狂って引き裂かれた。半袖のカットソーとセットで使っていてセットなの?可愛いと、同じ階の前○さんに可愛いと褒めてくれた本当はもっと良い生地で作りたかった花柄の安くても可愛い買える布を探したひろし氏がブチギレて、イーーとなった時に手で、ひきちぎられた。バッグがひきさかれた!涙を流した。服の方も首根っこを掴まれてビリっと避けた。私の心も引き裂かれた。みじめ、情けなさ。悔しさ。苦しさ。故意に人のものや心を傷つける行為。自分のためにする私の仕事の出来が悪ければ恫喝したり胸ぐらを掴んで振り回す、蹴る、暴れて物を壊すそんなメチャクチャ新しい綺麗な洋服一枚買えなかった大雨の日や、寒い日や物凄く暑い日、イラストのパートに出くときにやつがただ、家にいても、ゴロゴロしてゲームをしていても車で送ってもらえたりもしなかった。車なら西高倉の駅まで、3分だけど。私は、メンタルからくる不調でパニック障害治療中で、体調が悪いので、休むこともたまにあったが、駅まで送ってもらえたら、頑張って行けたなと思うひもおおくあった。雨でカッパを着てびしょびじよになってえきについたときに、まだ、夫はすやすや布団の中だなあと思っていた。送ってもらえたらありがたいなと心の隅では思った。私のために何かしてもらおうなどかんがえてはいけないのです追い出される少し前に、私の母親が一度だけ(最初で最後の..)マンションに泊まりにきた時は、母のことまで途中から無視をしたりし始めた。車で迎えによって店でご飯を食べる約束を突然断った。母は楽しみにしていたのにマンションの頭金出してくれているのによる、私の母が、私への扱いに完全に勘づいて座って頭を下げて「このこのを妻としてみてあげてください」と頼んだときはぁ???と言う顔をしていた。無視をしたそれでもうちの母は人がいいから、そのお食事どころでお持ち帰りに高級なお弁当を作ってもらってヒロシのためにと頼んで買っていた。「だんなさんにあげてね」私はそれを待たされた。旦那さんのぶんもね。と。それで母は、山口に帰って行った。それをアノヒト普通に食べていた。私と私の母はその時、車に乗せてもらえなかったわけで。(自分の母親には手厚いのに)わたしのことが飽きてゴミカスのようにおもっているからわたしの母親もゴミカスの扱いになっていたこちらはホソヤの家族に精一杯、いつも良くしていたけど。手をついて私のことをよろしくと頼んでいる場面切なかったそれに対して、はあ?というひろしの顔忘れない。ひろしの母親が来た時にはこまめにオデッセイに乗せてあげて観光につきあっていた。自分の母は大切で、私の母のことは、ゴミ扱い。それでも私は、相手の親には精一杯、よくしてあげようといつも努力をした。もうあの理不尽なことはもう起こらない。身体に痛みを他人から加えられることはない。暴力で罰を受けるのは2度とない。最初に好きだ付き合ってといわれたときに「友達としてみていた」と電話して返事をしたはずなのにそれは完全無視でおしにおされました付き合うと返事をして言ってないのに花見の席でみんなに勝手に言ったりして周りから固められたyUちゃんに2年前、昔、朝、出勤に自転車で二人乗りで現れて驚いたと言われたあれだって職場の人にバレるの嫌だった。国立の私の部屋で暴れて部屋の中をめちゃくちゃにぐちゃぐちゃにされたもうごめんだよ出て行って!と言ったらほそやしは絶対に嫌だーーー!!泣き叫んだ私があの人をおいて外に出たその怒りから逃れたくてそのとき自分の家からわたしが家を出て数時間まってもどった「その場を離れた」だけどそれは本当はほんにんがするものなのだお前が俺を怒らせたんだからな俺を怒らせるなと虐待恐ろしい光景#DV#元夫#細谷宏#中小企業診断士
January 18, 2024
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善良で優しい関係性というもの、そう言う場所の存在ある。自分もそうでありたい。こんな痛みばかりの人生だったけど人の痛みも分かってあげたい暖かな気持ちをあげたい
January 12, 2024
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お前はーーーーーっっっつっっつ山口に帰れ--っつっっつ。大好きだった東京ではなくて中、高校生時代の子供の頃6年しか暮らしていない過疎が進む田舎へ行けと恫喝された。日常的な暴力と非情なこき使われ、疲弊し神経の病気になり完全に壊れて、ワタシは使い物にならなくなったから。利用価値が無くなったら捨てられた。その時空間を切り裂くような大声量で言いながら物を使って胴体を元夫(細○宏氏)に14回殴られた。回数を数えていた。引き続き何度も頭部にも頭突きなどの暴行を受けた。元夫は大声で恫喝しながら、何故怒らせたか身に覚えがないが、その時怒りで顔が真っ赤になっていた。何もしていないのだから謝りようすらない。ワタシはその場で警察を呼んだら傷害罪で現行犯だったができなかった激痛で1週間後病院でレントゲンをとった。ごめんねーーとウソのような軽い言葉で済まされた。暴行を受けて身一つで?何も持たず?出て行けすぐにいますぐ出て行けおまえはいつでていくんだっっっっーーーー!!!!!!?罵声を浴びせられた身内が払わさせられたマンションの頭金すらも奪い取ろうとする行為だった。暴力を受けたいからここにいるんだこうされたいからお前はここにいるんだろなぜ出ていかないんだなぜお前はここにいるんだこう脅されたシーリングファンは?エアコンは?マンションの床は。カーテンは、テーブルは?冷蔵庫は?(沢山あるのだけど全部自分のもののやうな振る舞いで暴行をし、怪我を合わせ暴行を受けたくないならでていけと。ヤクザより酷い やり口だった)キッチンのもろもろは?両親が買ってくれた良い本棚やクローゼットは?地獄絵図のようなひとときが今も脳内で再生されるワタシの貯金をマンションに全部使わせた後あの人は仕事を辞めた。わたしは逃げる資金がなくなったパニック障害だからオフィスのようなところで働くとも発作でできなくなっていた。美容院や歯医者、食べ物屋さんすら入らない。新幹線にも乗れない。当時どこへも行く力もお金もなかった。「仕事を辞めたら、この資格を取れば年収が4000万になる」と言った。嘘だった。そしてワタシは、先住者給与も支払われず徹夜など数日して細○宏氏だけの名義でイラストを書いて本が出ても一円もワタシの口座のお金は払われることがなく無料でこき使われる。税理士などにお願いせず、ワタシが細○名義の経費の大量の入力や一年に一度の決算書も全部やる。先住者給与はやらないと言われた。もらっていない・・・・と言うと殴りがかってきた。お給金が出ずに働かされて、出来が悪いと殴られる。住み込みの家政婦より悪い身分になった。はがきに書くえんぎものの達磨のイラストをたのまれたことがあった。こういう風に・・といわれたが相手の思ったのと違ったようで、机をバンバンたたき、大声を出し叱られた。思ったのがどういう風なのかわたしはあの人でないので分からないし出来がよかろうが出来が悪かろうが報酬はない。靴一足、服1枚かうことはできない。あの人のためだけに使用された私の時間は帰ってこない。マンションを買う時までは夫と自分、二人分の生活費をわたしが出してした。生活に必要な現金などのやりとりはなかった。結婚してすぐは、ワタシは失業給付をうけていたがコレ..どうやって食費とか生活必需品のとかやりくりするのかな?と思ったが、結局金銭は渡されずワタシ自身の失業給付金から二人分の生活費を出していたことも覚えている。中郷にいた時、生活費と何かお金を渡されたことはなかった。その後ワタシははけんをはじめたがワタシが働いた一人のお金で、作ったご飯をあいつは食べていた。サラリーマンの給料があるあちらの口座にお金が貯まっていく。それでマンションを買うときに「俺の頭金」はこれだけある。といつた。生活費をワタシが建て替え続けていたのだからあの人の会社の財形とやらにはお金が自動的に溜まって当たり前だ。二人のお金では無く、俺の金と言った。理不尽だった。苦しかった。なぜ、わたしは東京でホワイト企業に勤めていたのにそれを辞めて名古屋に来てほしいと、まだ辞めないの?などと、養う気もないのに奴は言ったのか??どっちのお金とか関係ないだろ?と言うからそれを信じてワタシの派遣の稼ぎからだしていた。(そもそも結婚前ワタシは、関東時代、自分のお給料で年に二回海外旅行も行けていた。ひろしの親会社に勤めていた。ずっと一人だとしても良い生活ができていた。仕事の評価もとても良かった。相手のために、やめたのだ。口八丁手八丁。なのに、ひろしも名古屋の会社を辞めて名古屋にきた意味がわからなくなった。殴られるから口に出さなかった。名古屋で、身内借金までさせられて。マンションまで買ってしまって宏が名古屋の会社を辞めてもどこにも逃げられなくなってしまった。計算ずくだったらしい。仕事を辞めたらマンションが買えなくなるから先に買ったと後で聞いた。サラリーマン控除がどうとかで返すからとワタシの身内にお金まで借りて騙されて酷すぎる...)フルで働き家事もわたし1人で二人分やる。宏のシャツをアイロンをかけたりクリーニングに出したり。→当時その費用も私・・共働きの夫婦は家事の分担があったり週末は旦那さんが何かをつくってくれたりすると外で聞いて何度も伝えたが、よそはよそと言ったり、「給料の安い方が(給料を家計にいれてくれないのに)家事をやるんだ」時には激怒したりするので言うのを辞めた。DVを受けながらそれだけのことをしていたら脳がパンクして、ガリガリに痩せた。そして呼吸の発作が起きるようになった。マンションの頭金でわたしの身内から借金をするよう(夫から指示されて、わたしが困っていると長々と色々説明させて説得された。その場ですぐに電話して借りる流れになった。最初から返す気はなかったそうだ。その時説明されたサラリーマン控除もウソだった。マンションを買ったのはサラリーマンを..仕事を..やめるつもりだったそうだ。わたしからすれば、それならマンションも名古屋に買う必要はなかった。マンションを買って新しいところに行ったらもう暴力はしないとも。そうやって、ずっとずっと、大きな決断の時は、その場限りの思いつきなどで嘘をつかれてきた)田舎に行きたく無かった。その時点で東京のほうが一年だけだけど住んだ年数は山口より長かった。たくさんの、可能性、それを全てを奪って、使い物にならなくなりカエレとは...中学と高校しか住んで居なくてその当時の数少ない友人は殆ど県外にいる。年寄りしかいないのよ?今わたしの今住む町は平均年齢64歳なのよ。マンションの最初の資金でワタシの貯金はゼロになり元夫細○氏にサラリーマン控除で10年以内に返すからとだまされて、身内にすらお金を借りる電話をその場でさせられて「マンションを買って環境が変わったらDVもやめる」と言った(サラリーマンはやめるつもりだっただからマンションを買っておいたんだと後から聞かされた)だまされたのだ身内にまでその場で電話をさせられてたくさん借りることになった。サラリーマン控除というもので返金が助かるからわたしの身内には10年位内に返すといってる私が幸せになるならと(家庭ではなく事務所になり1日中気を遣って静かにすごさなくてはならず居場所がなくなった)わたしは虐待をずっとうけていてうけてマンションを追い出された追い出したあとすぐに半年もしないうちに既婚者の愛人を呼んで、マンションに入れて住まわせていた。わたしは、マンションの鍵を持っていて何度かものをとりにもどったけどあかりがついていた。1人じゃない気配がしたので入れなかった。玄関の前に知らない自転車が2つあった。暴力をうけたくなければでていけと恫喝された。「暴力をうけたいからおまえはいるんだ。なんで出ていかないんだ」平然と普通の顔をして生きていて、コンサルタント業などをしているけど最初から最後まで15年以上、力の弱い女性に対して暴力や暴言、恫喝、虐待をし続けた最低な人間だった。わたしに対してして水攻めを覚えて居るか・・・・・?????寒い日にベランダに出したのを(大人の私が)おぼえてるか?逃げようとするところを玄関で捕まえて、首根っこをつかんでふりまわしたたきつけたのを覚えているか???暴行に対して、実際、あと10センチずれていたら・・・・とかそういうことがあったけど、命が助かっていたのは神様がいて、助けてくれていたのだと思う。1,2日で、何事もなかったようにしていて、私が何事もあったかのようにしていたり、体で傷つけられたところをかばっていたり、アザを見せたりしたら、とたんに不機嫌になり、夫から受けた暴行でなったといわずにうそをついて、数ヶ月治療をうけたものにたいしても、大げさだと言われたりした。虐待をしたほうはそのときスカっとしてあったことや細かい流れを忘れるのだろう放った体や心のダメージは私のもの有り自分のものではないから。内装のお金沢山払った。ノートにつけている。だけど細谷一人のものでジャイアニズムを発揮された。私は追い出された。その後おいだされたあと、本当に名古屋で1人で辛かった。東京ならよかったのに。町歩きしているだけで気が晴れるのに・・・あんなやつと出会わなければ(というより、出向でわたしのいた会社に名古屋から来た男からの、わたしへの猛プッシュだった全く気が無かったし一度は分かれたが、追ってきた。国立の部屋の外で。あの時の1片の情が明暗を分けた。悔しい・・・・)両親の故郷の田舎。小さなスーパーぐらいしかない。街灯もない。路肩の整備をするお金がなくて草がぼうぼうはえてすさんでいる。背中の曲がった高齢者が多い。レジでみんなもたついている。そのことにイライラしたりはしないけど年寄りより、若い人が好きだから辛い。ワタシが卒業した高校は統合廃校で今年なくなる。夜は街灯がなく、道がすごく見えにくい。1時間に一本しか電車がない。町にお金がないから道が悪い、暗い。だから一年前に事故った。車の運転下手なのです。いまは同世代も若い人が極端に少なく。寂しい。話が合わない。人がとにかく少ない..卒業した高校は統合で今年で廃校になる。日が暮れると人がいない。夜は家に籠る。虫が多い。友達がいない..知人に会っても話が噛み合わない。子供の話している。子供ほしかった。古い考え方、保守的、危機感なくのんびりしている。あわせることはできる。どこか遠くにいきたい冷えると殴られた場所がいたい後遺症。古傷が...ワタシのことで涙ぐんでくれる優しい心を持ってくれる人もいた。人と人がものを使ってながら怪我をさせたら「傷害罪」だと聞いた。さいごの最後に決意して音声も持っている。刑事告訴すべきだった。家の中で暴れて室内をぐちゃぐちゃにして大声をあげてわたしに暴行する場面。めちゃくちゃににひっくり返されたテーブル。割れた食器。はやいうちに逃げる勇気を持って相手を罰したらよかった。名古屋の水害の災害の時に受けた暴力も酷かった頭をものすごく強く打った。人生で一番といえるいたさだった。火花が飛んで、10センチ以上のたんこぶができた。激痛を超えた激痛だった。アザが沢山できた。まだ中川区の中郷に住んでいた。病院へ行きアザなどを見せて診断書を取り警察に行き訴えて慰謝料をもらい東京に戻れたら。鬱とかパニック障害になる前だった。間違った忍耐で泥水の中で飲める水を一生懸命探していたかのようなもので精神が壊れた若い時の私は、今と違って気持ちが優しかったしがんばれば報われるという気持ちがありました。客観的なジャッジができなかった。そんなことになっているを知ったらお父さんお母さんが悲しむと思うと遠くの友人が言ったエディもいるしどうしようと私の自尊心を削るDVの相手と共依存になっていた。人生であの人間とさえ会わなければ...。あの人間がグイグイワタシの人生に干渉してきて意識しないうちに悪い変化へと自分の持っていたものを失う(心や身体の健康すら)ことになり、多くのコントロールをされ決断をさせられたのは貰い事故のようなもので。やはりあの人間が現れなければ人生で望む暮らしが手に入れられていたのに手に入っていたのに捨ててしまったそうしたくなかったけどそうさせられていった貰い事故であり、あの人間のせいであることは自己責任の範疇を超えてハッキリしている#ほそやひろし#DV #DV夫#中小企業診断士#細谷宏
November 1, 2023
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可愛いです!コインペンダント。猫さんが2匹のペンダントです。小ぶりで可愛い。時々つけています。純金 猫 キャット ミーチョ&ミーチャ 1/30oz 金貨 ペンダントトップ コイン シンプル K18 枠 新品 プレゼント ギフト 贈り物 誕生日 人気 おしゃれ かわいい アクセサリー 首飾り ネックレス ヘッド チャーム
October 25, 2023
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2006年頃会社に居た時の毎月の社内報全部と入社年度ごとの全員の顔写真と配属がのったアルバムを兼ねた会社の冊子を元夫に勝手に捨てられた。私はダイジにしていた。楽しかった青春。気がついたらもう無かった。捨てたと言う。捨てられたくない。捨てる場面さえ見ていない。「捨てた。もういらないだろ?」知らない間に私の大事なものを捨てた。同期も全部写っている後輩も全部写っている毎年のアルバム。毎月のいろいろな情報が載っている社内報の冊子。ワタシの大切なものを勝手に捨てたの!?と怒るところだけど怒る感情をむけたら元夫は倍の恐怖で仕返してくるそれはさらに悲しみや恐怖を生み出して苦しむから怒れない。こらえる。つらい。大事なものをどんどん奪った。大事な思い出や、ものを剥ぎ取っては捨てた。ワタシに制裁しようとするときにワタシが一番困るものや悲しむものを探して、そうするようになっていた。怒りながら家の中を探し始めたら背中が寒くなった。怒りに肩を震わせてはあはあ言いながら探して見つけたらバキバキに壊す場面を何度も見た。このブログにも載っているが、布を使ってミシンで作ったもの。ピンクの洋服とバックのセットも癇癪のようになり恫喝されながら見せつけるようにして手で切り裂かれた。その度にわたしは精神をすり減らして気力をはぎとられていった。勤めていたT社が好きだった。履歴書に書くソレは希望だった。ソレをなかったことにしようとしていた。同じグループのIKEさんがシリコンバレーに研修に行ったのでワタシも行きたい!と思っていた。それをGMさんにも話していた。だから会社の英語のクラスをうけていた。元夫からは僕と結婚したら僕の会社から外国に行くとしたら俺だ。少し滞在ができるいけるかもとだまされた。両親にも結婚の話をするときに名古屋?大丈夫?と言うので短期海外暮らしがあるかもとそれだけ期待されていると。あいつから聞いたままを、両親に言った。それはうそだった。断腸の思いで大好きな東京を離れたのにそんな現実は実際無かった。その後、何かもの食べることが苦しくなり寝ることができなくなった。何もできないどころか床をはいまわってしかうごかれなくなった。心臓がドキドキし身体がしびれて息がうまくできなくなった。体重が40キロを切って発作がずっとおこった。歩けない。床をはってトイレに行く。体が苦しい。病院で「あなたは重いうつ病にかかっている治療をしなければいけない。家族は呼べますか?」と言われて大声でウツデナハイ!!と叫んで泣き薬を飲まされて人体実験にされると本気で思って怖い!!!と号泣したりした。その思考。正常でクリアなジャッジは自分で不可能となっている異常になっていた。大学病院の先生が1週間に身内がしばらくつきそうようにといわれたのに元夫は最初の1回適当な感じできただけ。付き添いで来るはずがない。あるくことというより椅子に座っている姿勢も取れないので横になって点滴を打った。死にたいと言う気持ちも非常に強かったが。死にたかったら死ねと言うスタンスの元夫もいた。数ヶ月してあの時死にたかったと言ったら、死ねば良かったのにと言われた。ひとりでいった。身内のつきそいはありませんか?同行は?と聞かれて「頼んだけどあのひとは来ないですしいいんです」と答えた「旦那さんに手紙を書きましょうか」と名古屋市大病院の先生は言ってくれた。「いいです・・・」と言った無駄どころか無視されたり逆上されたりするだろう自分のDV原因で妻が鬱になっているのだから逃げたかったのだと思う。まだその時は病院の先生に夫がモラハラだDVだとはいえていなかった頭も混乱して情報が整理できず、何かを説明する気力もなかった仕事が無い水曜日の前日に「明日午前中お休みなら病院に送ってくれませんか。着いてきてくれませんか」と頼んだけど元夫は起きなかった。家で本当にぐっすり寝ていた。わたしは水曜日一人で病院に行った。その次の日に元夫が仕事を寝過ごした「お客さんに「妻がうつ病で病院に連れて行くから」っていってもいいか」と言われた。嘘を言おうとしていた。前日爆睡して寝ていてついてきてくれなかったのに。ワタシの大事な人の1人たりとも私が鬱になったと相談してくれたりしていないのに。買い物一つ頼まれてくれないのに。同行しようしていないのにソレにいいよって言うわけな産後うつのような若い夫婦が毎週いて毎回旦那さんが着いてきてくれていているひとがいたワタシも重症でも夫いない私の全然知らない人に、自分の寝坊を気軽に「妻が「うつ病」」だと嘘で使おうとしたなのにワタシの友人や身内に相談したりはしない妻が弱いというのを自分の仕事先の遅刻や寝過ごしの言い訳に使って実際は看病も家事の分担も助けてはくれなかった。妻が鬱で病院に連れて行くと言う嘘を言うのを了承できない大体、通院日はまえもってわかっているものだし「病院にきてほしい、いいよといったのに来てくれなかったのに???」とひとこと言ったらなんだとおおおおお!!と顔を真っ赤にして大声で叫び、逆上して身体を掴まれて振り回されたしばらく怒りが収まらなかった。粘着的に怒りが続いて恐ろしかった。ショックで動悸が激しく体が痺れてまた具合が悪くなった。前日大学病院への通院を無視されたうえ良いよとは言えなかった強い薬を飲んで半年して改善してきたときに元夫は「外で働いたこともないくせに!!!!」と私がさらに混乱する嘘を言いながら怒鳴りながら叫んで首根っこをつかんでわたしをぶんぶんと体を振り回したりした私が、働いたことがないならじゃあどこで結婚前に出会ったんだよ!?その気がなかった私に、仕事中にヘイ!ヘイ!と言いながらどんどんきたんだろうが?私の働いている課に出向で名古屋からきたんだろうが私がはたらいたことがない人間だと行ったことを撤回してくれなかった違う違う違うそれは現実ではない!!!と思ったけど本当にそうなのか、無能な人間だと思い込んで、よくわからなくなっていた。「外で一度もはたらいたことがない」ワタシに、「おまえは仕事ができなかったからおまえは辞めたんだ!」というような暗示もなんどもうけた今思い返したら事実は原子力が不景気に一時期なった時、同じ課の同期の男女とも他の世代が近い入社の人達も協力会社の人も(同期は、みな他に配属されてわたしをあわせてNくんと2人になった)同じグループのの名古屋の優秀な大学卒の一つ後輩すらも、別の部署に配属にされたあとも(細谷も名古屋に返された)「今井さん周りから引き留めがあって残した」本当に言葉で言われたんだ。だから頑張って欲しいと期待してると。下がギブアップするあのきびしいSつかさんについて行ったのは私ともう一人(いつも筋トレしている体力自慢の人がいた)だけですごいよ、○さんも課長も驚いているってGMが言ってました。課長が、本体からも強く引き留められたから1人残した期待していると言ってた。課には本当に私以外には技術系の女子は7年上入社の女性とわたしと2人だけになって誰もいなくなった。課長から「部の女子のリーダーになって引っ張ってほしい」と本当に言われた。そのことが誇りだったのに当時タイムリにその話元夫にしたことあるはずだけど事実を無かったことにする逆に元夫は引き留めに会うことがなく最初から決められた通りに、名古屋に返された私の若いときに仕事をしていたエリアにはセンスがあったり、人格が優れていたり優秀な人間が多くいた。人が多いぶんダメな人もいたかもだけど抜きに出ている人が。しかし、のちほど、元夫は名古屋では「まわりは「バカばっかり」」というようになっていた東京にはあいつより優秀な人が沢山居たと思うけど。人格的にもすごい人が。元夫はさっと名古屋にもどされたじゃないか宏の朝遅刻で有給が全部無くなっていたが、ところを心配してくれる人がいた電話を頼まれてよく当時1階まで行って電話してあげていた。元夫が起因する多くのことで、わたしが鬱やパニック障害になり頭も身体も動かずそれを過去にあった現実すら無かったことにして追い詰めようとしていた最後頃はもはや存在自体を無視された使い物にならなくなったから家事は「頼んでいない!!!!!!」そうです(結婚している間、仕事を外でフルでして1円ももらえない仕事の手伝いをしながらも家事は二人分していた!)自殺させたかったのだと思う普通の人間なら死んでいるけど死んでいないけどその時魂は死んでいた私が悪いんだろうかわたしがいけないんだろうか半分そう思わされてもいた#細谷#DV#虐待#トラウマ
October 7, 2023
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ここからいったいどういうふうにしていけばきおくがきえるのか起き抜けがおおい机を怒りって大声で奇声を上げてバンバン机を叩く元夫の手顔真っ赤にらむ顔頻繁にあった光景床に突き飛ばされる私足で蹴られてぐりぐり押さえつけられている自分#DV#証拠あり
September 29, 2023
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ワタシは積極的になんどもこられて上手いこといわれて最初は引き気味だったけどさいしゅうてきにいいよと自分で選んでしまった自分のせいだと思っていたけど先日ある人にそいつが出てこなければ現れなければそうなっていないんだから車の貰い事故みたいなもんじゃんそいつのせいだよ自分をせめてはダメだよと言ってくれたそんなふうにおこってくれた人がいた私はこんなふうになった自分を責めていた今も脳の病気も完治しない#DV
September 27, 2023
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前にも書いたけど2014年からこんなに経つが天気が悪い今日のような雨の日H氏に暴行を受けた肋骨が痛くなってキリキリしてそれであの場面が再生される振り上げたリモコンでH.H氏にガッガッガッ何度も殴られるという暴行恐ろしい場面その間、傷つけることや嫌な言葉、罵倒の数えきれないようなことを大声で連続して言われていた生きる価値のない人間ぐらいに下に見ていたんだろうそれがずっとその後の今までに暗い影がおちてくるその1ヶ月半後に家を出てそれから離婚した。そうなる前に、いつでも結婚してた時期のどこをきりとっで暴行、虐待をうけていたからその場で刑事告訴して積み重なった暴行や虐待、傷害罪刑務所で償ってもらって弁護士に頼んでマンションなどは向こうに出ていってもらったらよかったなぁ悔しい心身に、私だけがダメージを負ってその年のうちに、ワタシが選んだマンション、ワタシが買った、ガーテンワタシがお金を出した回る天井のシーリーンファンワタシが買ったエアコン、冷蔵庫そういうものを使わせて自分1人のマンションみたいにして既婚者の恋人に使わせてラブラブで半同棲みたいにしていた。サイコパスは、こりゃだめだとおもったら後始末も何もせずに次への切り替えが早いそう1週間以上ほぼ激痛で病院にいっていたら行ったひびがはいって折れていた(X線で)三菱病院でコルセットを勧められたのにオーバーにしないほうがいいとH氏をその時までも思いやりもなかったなんの感情もなかった今も痛いお天気が悪いとこれは年寄りになってもずっとこうなるのでしょうかH氏が潜在的にもう恐ろしい。結婚してすぐには、ご飯を一人前食べられなくなりお菓子も食べたいと思えなくなった。ストレスで。重いパニック障害になりそれを大学病院のプログラムで努力して治療し、たてなおそうとしようとするもDVはとまらず。そのあとまた精神状態が悪くなってご飯を食べられないどころか、ご飯を食べることが恐ろしくなり。この世界の何もかもが怖くなり人間が持つ生理的要求を行うことすらできなくなり(トイレにいくことも十メートルいどうが苦しい)お箸を洗うことすら命令を身体が効いてくれず。まったく睡眠が取れない状態になり起き上がれなくなり。缶に入った流動の栄養食を病院で出されて。それでもほそやめいぎの確定申告をしなければしなければしなければ、pcを開けて入力をしなければ納品書や請求書を作らなければと苦しみをとり立ち直っても立ち直ってもすぐやられ、こき使われ病気のサポートは無く孤独で、、先生に家族に話をしたいと言われてもなぜ無理をするですかあなたは脳の病気なんですよと言われても徹夜の仕事をさせられ思考回路がパンクしたままでわけがわからなくなり無理をさせられ家を出る半年ぐらいは使い物にならないから無視をされていた起き上がれなくても逃げる気力を振り絞った普通の人は生きていないと思うあいつは俺は異常だと言いながらサンドバッグにつまをしつづけて平然と生きてた今もそう
June 30, 2023
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山奥のカー製品のお店に行った帰りにH氏を怒らせたらしい私。助手席にいた私はH氏の手で、おでことはおを片手で掴まれて手とガラスに私のほおと、おでこが挟まれる感じになりガラスに顔や頭を何度も打ち付けらるという暴行をうけた壮絶だった10回以上はされた痛みがすごいがそのような行為をされる自分みじめで恥ずかしくてごめんなさいごめんなさいと言ったけどH氏脳をスルー耳に入らないごめんなさいと謝ったと言ったが「言っていない!あやまっていない!!!!聞いていない!!」と後で言われたカーとして聞こえてないのだろう屈辱的おまえ、わかってんのかーーっ!!!!今すぐ降りろ!!!いますくだと車の密室で絶叫叫ばれた山の中だった心臓の鼓動がドドドドドド恐怖で密室で絶叫されて手を出される目がウロウロして涙が出て山の中で車を降りた痛む痛みと恥ずかしさと恐ろしさ罵声を絶叫でそう言うことを繰り返して耐える力がだんだん削がれて神経がおかしくなり眠れなくなり食べられなくなった脳が萎縮したようになり、少しのものごとでも動揺して耐えられなくなった小さな決め事や判断もできず決められず苦しくなった
June 24, 2023
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深く心が傷つくまで酷い言葉を色々発されて身体には同時に痛みを受けて大声の罵声この繰り返し暴行の治療で、熱田イオンの上の階にある整骨院に通っていた。そこは保険が効く。重たい大きいテーブルで打ちつけて、転んだと嘘をついて通っていました。元夫氏にされました。本来現行犯逮捕されても良い暴行。傷害罪足と腰と打撲の何箇所も青あざ。辛かった痛かった痛めているところと青あざのところ。整骨院でラフにここと、ここと..と○がつけられている身体の図をもらっていた。転んだとかテーブルに打ちつけたとかくるしいうそ。全部本来は元夫の暴力による怪我。用紙は、とってある!!!わたしの..振る舞いが相手を怒らせた。おこらせないようにしたいのになおせなかった。「俺を怒らせるな」や「今度○○したら承知しないぞ」などが口癖。わたしの我慢や努力が足りないわたしには両親がまだ生きている父にいたっては、さんづけでわたしをよぶ。おまえとか、貴様とかその呼ばれ方、私にそういう呼び方したのは人生で元夫細谷宏だけ雨のように罵声浴びせるおまえー!!!!!〇〇しやがって!!!ととびかかってくるスイッチが一度入ったら言い訳やごめんねは通じない届かない深く傷つくまで言葉を発し、体に痛みを受けて耳で大声刻みつけられる言動を恐怖で支配していた元夫
June 24, 2023
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あと少しでとは思いますもう本当に疲れた潜在意識の中で根が深いこととても辛かったこと苦しかったことすごく痛かったこと自分が思っているより表に出てきている部分より無意識の中で現状で働きかける根が深くなってきたことバランスや折り合いがついていないこと望んでいた人生とは全然違ってしまって望んでいたものはほぼ今は何もないけれどこう有るべきとかこうすべきとか常識的なものから外れてしまったけれど大好きだった東京であのまま自立してひとりで仕事も評価をされていて思うがままに好きな場所で好きな世界感で色々な世界を見てあのまま生きていきたかったあいつが私を見つけたせいで本人は一度も働いたことがないくせにと虐待をして病気にしてわけがわからなくなっている私を、そう言って殴ったが事実ではない事実ではないことを事実のように信じて本気で虐待していた
June 23, 2023
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「どうして。わたしは変わらないのに」元夫「うっせー!!!!ひとは変わるんだ」出ていけ~!!!出ていけ!!!いつでていくんだ!?いつだ!?私はその時怒りにかられるような言動は何もしていなかった普通に食事を相手の分も作ってほかの家事もやって終わって座っていたあの時急に..思いついたように大声で叫びだしものをつかって何度もなぐられた出ていけ!出ていけ!愛していない!と叫んでいたあの日2014年2月初めその後1週間はがまんしても激痛で病院へ行った狂っている怖い行動。そのときの形相のようなものが脳裏にやきついてとれない通常は傷害罪、刑務所であると人から言われた虐待をされ虐待をうける間柄になっていたなぜ罪にしなかったか社会的信頼が生きる支柱家をでて狭くて暗いところでわたしは名古屋で、無職で、正規の仕事を探し始めるにはハンデしかない年齢でひとりぼっちになった鬱がひどくなり身体がなかなかうごかなかったその後、忘れていたらしいが共有されていたipadであいつの予定カレンダーが配信されてしまった私を追い出してはしゃいだ様子がわかったマンションにすぐに別の人を気持ち悪かったわたしはその年年末年始すら・・半年以上どこにもいっていなかったマンションの部屋に明かりがついていた鍵をもっているのに荷物もとりにはいれなくなった小学生のころから持っていた、他に変わりがないプラスチックの赤い板とか愛着のあるものもあとでとりに行きたいと思ったけどとりにいけなくなった。鍵は持っているのに。自分の登記もされているのに頭金も手付金も身内のお金も床を広げるお金も家の中のエアコンやシーリングファンもカーテンもその他・・私に出させたのに全部自分のものみたいに、怒りで出ていけ!!!!と恐ろしい声で叫んだ間違いなく無一文で追い出そうとされてしまった元夫は気が狂っている普通に見せているのは、生きているうえで社会のルールを学習したからであり犯罪をするのは自分に不益であると学んだからわたしにはどんな虐待をしても許されると学んだからサムイ日にパジャマ一枚でベランダで出されたりしたのだ人生は自己責任だというけれどあの人が私を見つけなければあんな生活は無かった私は最初ドライだっただけどもうプッシュだった。だけど自分の内側に入れば飽きてDVをしても全く普通の顔をして相手は平気になっていた私も平気に見せていたそうふるまっていただけで精神が傷んでいったがりがりに痩せてパニック障害になって治療や訓練に病院に通い、そのあと重い鬱になっても最後までやめることはなかった自分との関係性のせいだからとは言わず私は弱いから何故か知らないがそんな病気になって勤勉性が少なくなり厄介者だとされた本当は私は強い普通の大人なら衝動的に色々なあの場面を切り取れば死んでいるかもしれない自分へ向けられたひたすらの怒鳴り声隙間ない罵詈雑言と暴力自分が女性にDVをする、女子を傷つける人間だと分かっていながら何ヶ月もしないうちなすぐに次のパートナーをひきいれた。常に自分のことしか考えていないのだサイコパスそういう男がこの世に普通の顔をして生きているわたしは長いそういう生活を経て、異性を目が疑心暗鬼で怖くなってしまった
June 19, 2023
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朝、仕事に行く前に元夫氏が洗面所のところから突然に、怒り狂ってリビングにきてシャツのアイロンのかけ方が悪いとわたしの首元の手前に服につかみかかってぐぐぐぐぐっと手で振り回した。突然のこと大声で最初は「なんだこのアイロンのかけかたは適当にやりやがって!」ショックと驚き怖くてその場を収めたくてごめんねごめんねと私は言うのがけどいかりは収まらないその時シャツのポケットのところにぴーーーっとしわがはいっていた「本気でかけていない!!!!適当にしやがって!!!!!」→確かに私はよく、テレビをみながらアイロンをかけていたそれなら自分でかければ良いのではないか、暴力するほどのことなのかという冷静になれば普通の人が思うだろう感情は押し殺されるもっと怒られる。悪かったとおもったわたしは適当な人間なのがばれていると思ったB型で几帳面ではない人間です今もその時もごめんねといっても宏になかなかゆるしてもらえなかったそのことを今日、記憶が勝手にやってきたアイロンをかけていたらその時起こっているかのように声が聞こえてきた恐ろしかった
June 18, 2023
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思考が苦しくなり止まらなくなるときにここに書き殴っています。自分の場所女性に日常的に暴行や虐待をして苦しめた息子の妻にごめんなさいとか申し訳ないとか謝罪を言えない元夫やご家族幼稚園児の親御さんでも子供が他のだれかをたたいたりしたら謝る謝りに行ったりするのです離婚の時に「今までありがごうございました」と言われた朝、宏氏が突然怒り、堅いコンクリのような床にたたきつけられて後頭部を強く打ち付けた治療のいるけが中郷に住んでいたときだった。しんじられないサイズの大きなたんこぶができたり。後頭部がぶよぶよになった。生きてきて人生で一番強く頭をうちつけたそれは元夫からの暴行だった。激痛とショックで頭が真っ白。痛くてねたまま頭を手でおさえて床をぐるぐるした。痛み、真面目さ。男から暴力を受ける自分のみじめさはずかしさこのような暴行死ぬこともあるかもと恐怖生きてきて一番痛かったことぐらい言える頭が痛かったわたしはズタボロで仕事に出た1週間そのまま友人の家によせてもらった頭だけで無くてその時体にあざも沢山できていた。その後戻ってずっとまた夫の分までの家事を1人でやった。あれは名古屋に大きな水害が発生したときだった。その頃はまだメンタルが鬱になる前だった。あのときに速効病院にいくべきだった夫に暴力をされ、頭を強くうったと体にもあざが沢山ある病院の先生に伝えて脳の検査をすべきだった。診断書を書いてもらいそれをもって警察にいくべきだった傷害罪でうったえることもできたまだうつ病になるまえだった。まだ再生がきいた。30代前半だった。職歴も良かった。犬をつれて離婚して仕事をさがすべきだった。大好きだった東京に戻れた。当時若くてわからなかった。後から色々おもっても遅い。今まで息子のサンドバックになってくれてありがとう普通に子供を産み育てたかった30代、心の健康、心身の健康、住む場所、安定した会社、大好きだった東京。すべて喪失しました経済的DV、モラハラ発言、恐喝しながらの暴行家族ということで深夜に及ぶ作業でも私には1円も支払わないで済む多種多様な仕事無料でこき使い、ホソヤさんの自分の思い通りの仕事がわたしができてないと気軽にけったりつきとばしたりされていたエピソード記憶。音、空間、場面、言動2014年2月8日の夜に突然音(切り裂く怒号がずっと続き、私への怒りを表現するハァハァという呼吸)場面(目を見開いて顔をまっかにして向かってきた)手(手を使ってリモコンをふりあげた)頭(冷蔵庫のところで何度もずつきをうけた)大声で怒鳴りつけながらリモコンで14発なぐられ冷蔵庫のところで何度も頭突きをされたおーまーえーーはーーなーーーあ!!!!!!っと人間の人格を根本からそこなう罵倒をうけながら目を大きく開いて顔を真っ赤にして離婚したいんだけど山口にかえってくれないかな愛して居ないんだけど(好きだ好きだとずっと押されて返事をしていないのに周りに勝手につきあってるんだー♡と発表されてつきあって流されて結婚して私は東京の大企業の社員でもなくなりガリガリに痩せサンドバッグにしたら、パニック障害になり鬱になり使い勝手が悪くなり愛して居ないんだけどと暴行をして追い出した)その後一週間しても肋骨がいたくて名古屋三菱病院にいってレントゲンをとった。ヒビがはいっていた。全治1ヶ月。恐ろしくて恥ずかしくて何もしていないのに(テレビの話をしていたら突然目をカッとひらいてむかってきた)突然夫から執拗な暴行をうけたといえなかった。そのとき以外も打撲の後で青たんになり腰と膝の内側を痛めて青たんと赤たんが何カ所にもできどうしてもいたくて5日してから保健のきく整体にいった。青あざは10センチ以上あった。「転んでリビングの机でころんで」と保健が聞く熱田イオンの整体にだいぶ通っていた。整体で青たんといためているところに○をつけた身体の図をもらった。今ももっている。本当は夫から暴力をうけてこうなったと言えなかった。2人分家事(ワンオペ)と経済的負担と、何か少しの普通の人間としてのふるまいで、怒号を受け人格を傷つける言葉を言いながら暴行を受けた。虐待。派遣のお給料の時給がいいのに、二人分の生活費をだしているために口座にお金がいつも全然貯まらなかった。。当時ノートをつけるように言われた。わたしのほうが負担が日記のプレビュー多いのです。東京の企業をやめたのは相手の意向だったのに。自分の選択とはいえホソ○ヒロシさんの誘導がなければああならなかった。親会社の社員で、仕事は認められて、課の中で評価をうけていて人員が3割減らされたあとも私は上からの意向で残した。貰っていると課長や主任さんがはこれから期待していると話してくれた。ヒロシ氏の仕事はいくら手伝ってもお金をもらえなかった。毎年、名義の青色確定申告をさせたれるのですが、専従者給与は「誰がお前に給与をやるか!」入力が鬱の頭で毎日毎日できなくなって、今日こそ明日こそホ○ヤサンの確定申告の入力をしなければ確定申告をしなければとずっと後半苦しんでいた。週末ごとに徹夜で本用のイラストを20~30は描いたけど一円ももらえなかった「段取り改善」という本です。石川先生の本。イラスト細谷宏と書いてある。東京から名古屋に引っ越して環境になじみにくい相手に言われて安定した会社をやめたこと派遣の仕事のお給料で2人分の生活費をだしたハードディスクやマッサージチェアーやエアコンなど少しわたしの口座に貯金ができると相手ののぞむほしいものを買っていた。あとでふりかえるとかわされていた色々な容量オーバーでもパニック障害に大きな発作の発端は当時夫に暴行をうけて1週間ぐらいたってだけど鬱からきていたものだったと大学病院の先生がいっていた。結婚後1人分ご飯が食べられなくなった。どんどんやせていった。ものを食べることが苦しくなって、病院でタンパク質の入った栄養剤を半年飲んでいた。当時の写真はがりがり。暴行をうけたときの音声はmp3形式で最後の最後に録音した自分のメールアドレスに送って密葬している。恐ろしからきいたことない書き殴ったので文章がめちゃくちゃです。苦しいときにここは書き殴って良い自分の場所。#DV #ドメスティックバイオレンス
May 30, 2023
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オトコである元夫が暴力や虐待をしていたのは病気ではなく性別がオンナであり自分より力が小さく声が小さいワタシにでした。あの人は自分より力の弱い人にする卑怯なひとだったそしてそれをやっていないかのように振る舞っていた気に入らない状況や不機嫌な気分な時に私に向かって、傷つく言葉を言い、呼吸を荒くしながら立ち向かってきて大声を出しながら部屋中を追い回されひきずられて床にたたきつけらた服を裂かれた30分続くことも1時間続くことも。過去のパニック障害は日常的なDVによるうつからきていたと名古屋で、診断、いわれてしまったその前に元夫から「よわいからなったんだ」と言われたのでそう思いこみはじめていた弱いとは神経が弱いということかそういう面は生まれ育ってから結婚前は20代は無かったよ強いって最初はいってたじゃないですかあの夫との生活で様々なことが重なり許容範囲を超えコップの水があふれた俺のせい(DV)かもなんて言わないし、本当は気が付いているのに私を傷つけることばを発してふるまっておさえつけて自分の責任を回避する
April 25, 2023
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私の名前で登記されている場所を今は第三者が勝手につかっているマンション・・あの場所で繰り返される暴力と何度も「暴力をうけたいからここにいるんだろうなぜおまえはここにいるんだいつ出ていくのだ」あいつ叫ぶいつだ!脅しと暴力ともとれるようなことに虐待も受けて心神喪失になり限界まで追い込まれて精神の悪くなりつかいもんにならなくなり追い出されたいつだいつでていくんだと何度もの暴行をうけながら数回にわたって聞かれた暴力を受け怪我もして後遺症も今もあるいつなんだ?「3月に出ていきます」と口頭でいわされた考える力は欠損・・・引っ越ししたワンルームの部屋では無力で無気力で敷布団をもってくるのを忘れたが座布団2枚敷いた上に横になり勝手に時間がすぎ死にたいという言葉が頭がギリギリギリと回って。死にたいというと死ねばよかったのにと言う人だったんですから
January 21, 2022
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あの元夫と一緒に長く過ごして自分の思考や気持ちを見失ないそんな内面はださぬようにして支配されている元旦那のために外で正常を演技する。床を引きずり回されて体と気持ちがボロボロでも外に出すことは禁じられるあとから罰をうけそして年々ひどくなり、それを少しでも反乱に出すことは許されずワタシが大切にされていないような雰囲気を、他の人がいるときに数ミリでも出せば後で恐ろしい罰をうけたあの人と会う前は内側と外側は離れていなかった。わたしというわたしは、出来が悪い、本気でやってない、ダメな人間、お前はオレをを怒らせる人間だ。ヒトをおこらせる人間だ。誰がおまえにかねをやるか。劣等感でヒトが怖くなり、私のような人間が生きてていいのかということで心がいっぱいにり、さらに内面と外の世界がどんどん乖離し、その苦しさは言葉に出来ず態度にも出せず。叩かれる腫れる。キズ。あおたん。あかたん。隠す見えないところにアザ知り合いに足のあざを言われるぶつけた転んだと嘘をつく二の腕のあざ無邪気な知人に言われる動揺するかくす首を捻られて強く寝違えたようになる我慢する計算してないように衝動的に暴力をしていない。自分の立場が大丈夫なように最低限のところでコントロールもされている。二時間の虐待。体の痛みがチクチクとキリキリと小さな痛みがその空間で自分が子育てできるチャンス期間は心身の虐待で狂っていくソレと引き換えたものなんです
October 16, 2021
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リモコンで殴られた肋骨は、予後が悪く今も雨が降ったり、冷えたりすると突如キリキリっと痛くなってしまう。名古屋の三菱病院で肋骨にひびがはいっているといわれたのは2014年2月26日わすれない(明細は肋骨X-P(デジタル 電子媒体に保存:処方箋六種類)29歳から二人分の生活費を出すための派遣社員大好きだった東京を離れ、好きだった企業の正社員はあの人に説得されて。決めたのは自分だけどそうしたいそうしてほしいと言い続けたのは向こう。結婚のために自分が会社を辞めて名古屋に行った。子供が欲しかったから名古屋では派遣社員。もとエンジニアをしていたから普通のパートより時給は良かった。その派遣の御給料で夫と自分2人分の生活費。結構かつかつ。夫は正社員で私が働いていた会社の子会社でした。派遣の御給料から男性一人と自分の分の生活費を出すとかつかつで良いお洋服などは買えない。職場の実家から通っている女の子は実家に1,2万円いれてあとは自分のお金だと言っていた。私はその子よりやりくりが苦しかった。夫はわたしよりかなりたくさんもらっているのにその派遣社員の間、生活費を渡されたことはなかった。どちらの口座に残っていても(お金)二人のお金だろう???と言っていた。結婚してから最初は、名古屋の中川区の中郷というところに住んだ。最初、会社を辞め結婚して籍が入った。最初はわたしは失業給付をもらっていた。夫はお給料をもらっていた。食べ物とか必要なものを買うお金どうするのかなと思いながら、つきあっているときも常に割り勘だったので・・・・わたしは自分がもらう失業給付のなかから、二人分生活費を出して食料や生活に必要なものを買っていた。ううううーーーん・・・と思いながら。時々DVを受けながら。元夫はわたしをなじるときに大声で叫ぶこともよくあり響いていたけど確か角部屋だった。ワンコのエディが来て、エディが1歳になったときにはわたしを怒鳴る宏とわたしの間に入って縦になってくれ始めた。結婚している間、フルで私が二人分やっていました。家事比率100対0家賃は当時五万円台と光熱費はあちらモチ自分が男だったら超嬉しいと思う一人分のような安い家賃だけで家事を全部やってもらえて、生活費も出してもらえるのであちらの口座に貯金が貯まる夜10時に帰っても二人分作る洗濯する遅くまでひとりぼっちの犬を待たせているエディごめんねおそくかえってきて20時間とか30時間ぐらい残業をしてたりした派遣時給は良いでもあちらの方がうんとおきゅうりょうがあるざいけいにたまっていく私の派遣代の財布からふたりぶんの食費、生活雑貨、あの人のシャツのクリーニング代から色々かかる食費かつかつだからいつもいかに安く済ませるか考えた使い捨てのクイックルクリーナーなど使わない雑巾でふく手が荒れるそしてその自分の給料の残りでブランドバックとかなんて買えないいつも安い雑貨屋のバックや雑誌の付録周りに聞いたら共働きだから平日はご飯は自己処理で頼んだりするという。土日は旦那さんがご飯を作ってくれるそれを何度も言う無視されるきついというと家事は収入の少ない方がやるんだ!?意味がわからないけど激怒してそう言う わたしを殴りながらいうこともあったあのひとのお給料は財形に貯金していたから「俺の金」は貯まった俺の金だという言葉も何度も聞いた付き合う当時も、付き合うとは返事をしていないのに周りに先に付き合っているとみんなの前で先に言われた。えーー!?焦ってドキドキした付き合えない、かんがえていなかったと年末に実家から返事の電話したはずでもずるずるとうちにくるようになった彼氏もいないし、1番仲良くしていた女子が海外にいったばかりでさみしかった心の隙間があった田舎者が東京に出てきてよくわかっていなかった。オシが強いとおされた。当時東京のワタシの部屋でヒロシ暴れた。自分を見失い殴らられ部屋ぐちゃぐちゃになったボロボロで別れると言い数ヶ月たった。向こうはもう東京から名古屋の職場に異動していた。寒い日の週末の土曜日あの人と別れたとお昼休みに女子に言ってたら、そこの課の男子がご飯食べに行かないかと誘ってくれた。国立で初デートをした。バンドの練習にいって戻ってきたら家の外に待ってた。宏階段に座っていた。名古屋から来ていた情に流されたそのデートをした人は俺にしたらいいじゃんと言うてた。育ちがよくて背が高くて超おぼっちゃまでいい人だった。気がきく。優しい。今はもうおじさんでしょうね。バレンタインデーの時に二回ほど高級チョコをくれた。宏があんな風に家の前に現れたら強引でなければもうその人にしたと思う。今頃同期に聞いたら出世している。過去は変えられない。こうなりたい、こうしたい・・という思いがわたしにだってあった。手が届きそうだった自分の人生を搾取されて奪われた。自己責任なのかあの人が現れなければ27歳から15年、きっと自分の人生を生きれていた。過去の希望的観測は一番切ない。変えられない。たらればはない。つらい。
October 16, 2021
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文章は読めるようなものは書けない感情の書きなぐり場所です頭がたかだかおかしくなるから虐待や暴行を繰り返して来て精神や神経がめちゃくちゃになった当時、あの頃は傷害罪とか訴訟とか告訴とかも精神が耐えらなかった自殺したい死にたい辛い苦しいものを食べることも恐ろしい靴を履くことも髪を解くことも、歯を磨くことも恐ろしい人がこわい死にたい死んで楽になるんだ早く死ね自分早く死ねと思っていた頭の中を大きくしめて思考は全く異常な感じで怖くて怖くて食べれないと言う数年をへて食べることも箸を持つことも恐ろしくなり。自分の脳から立って歩くトイレに行くという命令だけでも聞いてもらえない。恐怖体重は30キロ代全部怖い鬱とわからずに半年間内科のお医者さんから食べ物が食べれなくなった老人が飲む栄養補助の缶に入った飲み物を出してもらってそれを飲んでいたタンパク質で少しカロリーかあってそれを半年間飲んだ缶の蓋を開ける動作も怖くて手が震えたりした食べられないと言うことを超えて食べるのも怖刀にもわからない。頭や心で繰り返す過去の虐待の場面。家を出る気力が少しついてからは証拠はたくさんもってきてた。ソレも心が耐えられなかった告訴は100えんでもいいけど虐待の内容を言いただ社会的なばつをうけさせるか冷蔵庫の前にたったときさっきわたしにあいつが冷蔵庫のところでプロレスのように頭突きを繰り返すふんふんふん!と息を吐きながら罵倒しながら顔を真っ赤にしながら私に頭突きを繰り返す場面が出てきた顔がアップになるおでこ痛い恐ろしい仕事はさせられてもできなければ体の痛みの罰を受ける、やれば何もない(お金はぜったいにおまえになどやらないと言ってた。誰がお前に給与をやるかあのひとの確定申告をするために確定申告のために領収書がいつも財布でぱんばんだった人に頼むと高いけど私ならただですむそのお金ももらえなかった源泉徴収で戻ってくる分を交渉した外でフルで働いたあと申告ガリガリギリギリ不眠すごくなり二時間と寝れなくなっていたその頭で徹夜でやる昼間は私は外で働いてその日昼間はひろしは寝ていた夜家で仕事をする自営業の同じ職場のイラストの人は少しでも手伝ったらちゃんと報酬をもらうと言っていた私はもらえないなあとぼんやりおもっていた口座におかねいつもない高いものを沢山買わされる自分の高いものは買ったことない高いエアコンわたしがはらっても自分が買ったみたいに人に自慢していたオデッセイのお金私も出したのに自分の家族に自分一人で買ったみたいに言っていた。私の欲しい車の希望は反映ゼロ。深夜する仕事を手伝う。頭が働かなくて数字や数値の計算ができない。辛かった。でもやろうとする自分うまくいかないと虐待を受ける寝ていない家事は全部私がする大切なエディの介護もある地獄だった全てが怖くなって来ていた人も怖いヒロシの好きな人の前では私を大事にしているふりをするわたしもニコニコしていないといけないわたしの他人への態度に対してもあとから不機嫌になりやられたりしていた心の暗い部分と外への態度が分離されて苦しかったインドのカーストせいどの1番下の方の住み込みのお手伝いさんの奴隷と同じだった彼女らもお金は渡されずうまくできないと主人から殴られて。DVの場面が再生される
October 16, 2021
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これはこうなんだと適当なことを確信があるかのような説得する最初はえ?て思うでもそうなんだ...と信じた素直だったんです信じた結果ほぼめちゃくちゃになった独身の時お付き合いしはじめに富士山に登ることを誘われ登った時に大変なことになった。上に登って山小屋で待つ時に寒い寒いといい風上にワタシが行き風除けになってあげたお金は一千円持てば良いという千円?でも誘ってくれて行ったことがある男子を信じる一千円もっていったら二人で暖かい一杯のうどんしか山小屋で食べられなくてお腹が空いた。用意が甘すぎた誘ってくれて段取りはされていないんです甘かった若かったから倒れたりしなかった宏は走り込んだせいでひざ痛めていた。帰りに膝が痛くて杖にしていた棒が曲がっていた痛そうにしている。庇ってしばらく肩をかしてあるく。それからワタシは登山が嫌いになった。もう降りられない下りの途中でどさんこの馬がまっていてソレで富士山を降りた。皆歩いているのに土産の馬に乗った。馬に乗れて良かったよと、あのひとを元気付けてワタシは言いましたまだあの頃わたくしの心は綺麗でした私は失敗した時は気休めやかばってもらったことない余計カブ刺されるお金がないからお金は車までワタシがとりにいった。最低最低
August 2, 2021
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30代後半妊娠がわかると同時にほぼ変なふうに流産していた。流産をしてから2年たってから悲しかった・・というわたしに「え?あれーかなしかったんだ」と言っていた。映画たのしかったね、かなしかったねというみたいなノリで。自分の子供になったかもしれない命もそういう風に思うの・・・しばらく鬱状態になりました妊娠がわかると同時にほぼ変なふうに流産していた。町の婦人科にかかったら大きい病院に紹介状を書くからすぐに行きなさいと言われた。その期間も暴力を一度受けたし(体を蹴られた)ストレスかもしれないし無関係かもしれない。年齢かもしれない。タイミングかもしれない。理由はわからない。パニック障害もその時も酷くて。切ない。悲しい。大きい病院で事実をつきつけられた。日帰り手術も必要で全身麻酔だからその場で日程とか家族に電話しましょう(大事なことだから)と言われその場の診察室で先生の前のいる時に今電話して日程を決めましょうって。動揺して電話をかけてうまく話せなかった。今病院にいる妊娠してたけど流産電話の向こうで私に怒鳴る元夫おい、今、何?仕事!してるんだけど..!!あとにしてくんないかなあーー!!!??夫の怒鳴り声が電話先に響くニンゲンじゃないからふつうの言動はしない電話の前にその日どこに行っているかは知っていた。Googleカレンダーで共有している。先生に言われて診察室についている電話から外線でかけていた。夫の声は電話先に響いた。先生がワタシが変わりましょうと電話をとった。夫に怒られて手が震えた流産したこと。上書きで怒鳴られたことがショックだった「お..おこられて...妊娠...が..流産が」先生「電話をかわりましょうか」すいませんお願いします手がぶるぶる震えた妊娠して流産の仕方の関係で手術も動揺している私をさらに大声で怒鳴る怒鳴られると悲しい感情も複雑にごちゃごちゃして何か分からなくなった。キチンと話せない。恥ずかしい。その場で日程をきめなければならなくて電話しなければいけない事情は関係なくなる。からだのかととか流産のこととか辛いとか悲しみよりも仕事中に電話してしまい悪いことをした話が何言っているかわからない話し方でわたしは恥ずかしいソレが1番になって起き変わってしまった何言ってんだか分からないんだけど!妊娠のことが..??怒鳴り声というか怒号....だった今でもいろんなあの人の言葉が突然脳内でさせる。声が大きくて。大声を出す前にだいたい大きく息をする。工事現場のおじさんの声などに今もビクッとするのが治らない。怖い。私は馬鹿だからどうしようもない。お前はどうしようもないそのように埋め込まれ続けた。結果、日帰り手術当日の病院での行動もおかしくなった。悲しいこと辛いことなのにこのことはたいしたことではないとされて私もそのように演技することになる。元夫。この時当事者でも、家族でもないようなふるまい。他人でももう少し優しい態度を取る。感情の共有感が持てない自分の内面に力ずくでいれた私だけに普通の人間ではない内面を見せてきていた。頭がいいから外の世界ではソレ用の自分を無意識に演じている仕事も頭が良いからサクッとこなすが、関わる内容次第ではめちゃくちゃな放り投げ方をされていた。普通の感受性でさらっと生きている人は周りの人は気がつかない。外に向ける顔がちがうから。続く..
August 1, 2021
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高校の時から今までずっと宮沢賢治が好き。今読んでも心がガタってなる。
December 3, 2020
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DV。虐待。何か起こっても怒らなくても「おまえが至らないからこうなったのだ」と断定し、それに伴う罰をうけた。不都合か不愉快や悲しみを被ったと感じたら衝動的にわたしを罰する。夜中にただ寝ていて突然起こされて布団をはがされ、布団を丸めて布団から転がり出されてワタシの悪いところを叫びながら蹴られたりする。手ではなく足で。寝ていて突然そういうことになる。そう言ったことを長年経ていたら神経や精神が悪くなっていきました。恫喝や体の痛み、身体への痛みの罰。自分が罰したことを、わたしが思い出したと感じると(あの人の思い込みだけである場合もある)思い出したことすらを封じ込むために怒り傷を深くすることをして、おしこめて真っ黒にさらにぬりつぶそうとする。四方八方から逃げ場がなくなる。エネルギーも取られてしまい逃げることもできなくなる。家を出た2ヶ月か前にリモコンで殴られたとき。10回以上でそれ以上分からない・・冷蔵庫のところで頭突きを何度もされる。なにがなんだかわからなくなる。病院にすぐ行く気力も無い、1週間そのままにしていた。だけど非常に痛かった。金山駅の近くの三菱病院にいく。レントゲンとりましょうと言われる。レントゲンを肋骨にひびが入っていると説明しながらいわれた。病院にいったことをそれを知ってもあのひとは普通にすごしている。ほんとに軽くあしらう。暴力による心のコントロールは洗脳というのだそう。暴力と大声でくりかえされる。罰されたあとに、ワタシは錯乱したような状態になって頭がおかしくなった日がありその醜態を密室で笑いながらスマホを回して動画をとられます。へへへと笑っていた。「醜いから撮ってやってるんだっっっっつ。醜いじゃないか?!」涙を流すと醜いと笑う。普通の人と違う。許してもらえない。逃げようとしても逆上し、身体を押さえつけられて引き戻された。場面がしょっちゅう日常に出てきて今も苦しい。向こうからの罰の内容。宏さんはここには書けないような言葉をワタシに叫んでる。叫ばれながら体にも痛みや場面がでてきてしまう。そして、私自身に、今でも罪悪感があって、よく自己懲罰意識が働く。都合が悪くなると先回りしてむりやりおかしな店じまいをされる。言いたいことや、事実をねじ伏せられる。違和感を感じる間も無いように間髪入れず合理的なような言動をする。倫理的に変でも。脳が、自身の判断ができなくなり大きなストレスがかかります。周りの人達の誰から見ても普段は自身を上手に演出できて魅力的に見せることができる。嘘を、事実のようにさらっと話す。事実でないことを事実のように見せる。あれだけのことをして日々平然と笑って過ごす。笑っているこの人と昨日のあの人とこの人は同じ人なのか頭が混乱する。違和感を人前で匂わせれば後でまた、バツをうける。思考を停止にもっていく。いっしょに中の人になったのだ。振り回して信じこませ信じ込む。いろいろと狂ったような罰を受けて精神が破綻していった。仕事が軌道に乗ると「おまえは昔から無能な人間だった」という種類の言葉を貰うようになる。自営業者には専従者給与というのがあって家族が実際に手伝ったり働いていればお給料を払えば節税にもなる。月末の振り込み作業ぐらいしかしていなくても奥さんにそうしているひといる。そうしてくれれば、わたしも太郎雲経営の決算書を年に一回作るのに沢山の雑費もレシートをかき集めてうたなくてすむ。だけどだめだった。だけど「誰がおまえに、専従者給与をやるか!!!!!」と言葉で言った。ワタシ口座にはそれまで今まで働いてきた分は全部なくなった。常にお金が無くて。コートはヤフーオークションで買った。安い布を買ってきてスカートを縫った。良い靴は買えなくてボロボロだった。わたしのしごとぶりではお給料をお金を払う資格がないと。段取り改善という本のイラストを徹夜徹夜で描いたけど一円ももらえなかった。家事は二人分常にわたしがする。毎日脱ぎ散らかした服を拾って洗濯する。私が鬱になっても洗濯物も私が二人分する。住み込みの家事代行。受けた罰のせいで、身体が痛いまま、または体にできているアザを隠したりしながら生きてた。体が動かなくなり頭が全く働かなくなった。それがなんなのかわからなくて。食べ物も何も食べられない。ガリガリになった。食べることも寝ることもまっくろい気持ちで何もかも怖くなった。内科で血液検査して栄養が足りていないと言われ食べ物が食べられないので老人が飲むタンパク質の缶の飲み物を何ヶ月も出された。栄養不足といわれ点滴を頻繁に受ける。何もたべられない。一年不眠が続く。3時間と続けてねれないけど鬱になっているという発想はなくわからないのです、気がつかないのです。わたしと、細谷宏さんとのことを誰かに相談するとか、診療内科に、病院に、行かなければいけないという発想すらもうおきなくなる。全ての音も目に入る映像もおえなくなった。人が怖くなった。自分はみんなに無能だからきらわれている。自分はホームレスになる。ホームレスになるという思考がはなれなくなった。ホームレスになるのだからホームレスの人にやさしくしようとおもっていた。金山駅のところのおばさんのホームレスの人のことを注意してみるようになった。物を食べることをうけられないところから、食べることが、怖くなった。全てが怖くなった。体がどんなに命令しても動かなくなった。洗面所で歯を磨くことやトイレにいくことすらなぜかとても恐ろしいことになる。恐ろしい真っ黒な気持ちに。そんな風になると宏に役立たずなのでさらに忌み嫌われる。計算などもできない。数字が頭で終えない。文字が読めない。なによりも、太郎雲経営の確定申告が出来ない!!!!嫌いなわたしが大事にしておいているものを大声でさけびながら探して顔を真っ赤にしていた。見つけては目の前で見せつけながら破壊するなど気が狂ってしまう。沢山のものを取り上げられた。だれが、おまえに、、、、!!!〇〇してやるか!体力も全て限界の時も疲れているならいいよ?とは言ってはもらえない。お前が、、、!!やるんだ。と。やらないと心を傷つける行動をとられる。「俺の方が、残業の時間がおおい。俺の方が稼いでいる、稼技が少ない方がやるんだ!!」共働きの職場の人は平日お互いが忙しい時は各々がやるよ?とか週末日曜日は旦那が作るのよとか耳に入る、聞かないようにしていた。家事は2人の中でわたしの仕事。そして当時生活費は特にやりとりはない。わたしの財布から、2人分食費や生活に必要なものを出していた。スーツのクリーニング代さえも出していた。わたしがあのひとのためにクリーニングを出してクリーニング屋さんに行き来するか、またはわたしがアイロンをかける。働いてもわたしの派遣のきゅうりょうで二人分の食費や生活の分を出すと、はわたしは自分の口座には一切たまらないしくみだった。稼ぎをあてにこんなにもされるなら、お給料も福利厚生も仕事内容もきぼうだった企業も辞め流ことがイカんことだと後で気がついた。当時20代後半で、オシに弱かったしわからなかった。友人とも別れ東京を離れて自分のところにきてくれとあいつはわたしに言ったのか。後で、「たた、勢いだったと言ってた」。ナンも考えてなかった。家庭を作りたい風な言動はナンも本当は考えてなくて、嘘だった、搾取するために騙したのかわたしは20代も、30代も、子供が好きだった。高額なものも今あるだろ?と、相手のニーズに合わてわたしが欲しくないものもいくつかも買わされる。今いくらある?今もってるだろ?そして10年以上経て家を出される最後ごろは、家事は頼んでいないーーーっ!!!かじをやってくれとだれもたのんでいないーー!!お前が勝手にやっていることだ。叫んでなぐられる。住み込み雑用家政婦、仕事が軌道に乗ったら精神が絞りカスになり、40過ぎておばさんになり宏専用のサンドバックはもうだめになってしまった。35を過ぎた時には、35を過ぎたババアがっ!!と身に覚えないいいがかりつけられながら突き飛ばされ、背中を何回か、けられた。古い家庭像の中にいるような、導火線が短かいおじさんなんかが家族のちゃぶ台かえして飛び交って投げたりするのとはまるきり異なるDV。頭が良くてかなり特殊な精神構造からくるパターンのDV。殺人する思考がないだけのサイコパスです。そんなことがあるとは想像できないような人物で、家族チームとなった内側の人は自分の内側として体と心に、恐怖をきざむ破壊行動をとっていく。その関係性に、努力して、改善のために試す時間のうちに、ひとりひとつの人生をすり減らし、生きる力がなくなり判断もおかしくなって。精神が破綻していきます。そんなことにならないためには..?結婚して五年目ぐらいに発症して大変つらくて、治りたくて死を意識するぐらいの発作で失神したり二年間美容院、歯医者にいけなかった。病院でもらうパニック障害の薬は妊娠したら奇形がでると説明された。発作が出てエディの散歩は門を出たところで引きかえしたことがあった。散歩に行けると思ってる犬をつれて玄関を出て。マンションの門の外に出てすぐ植え込みにしゃがんだ。植え込みによりかかりそれから発作がひどくなり倒れた。車がすぐくる歩道で失神してはエディが..。体がうごかなくなって目がみえなくなって視界がせまくなった。手にも力が入らないけど危ないからリードを離してはけない..離れないように痺れてる手だけを動かしエディ苦しい助けて、、、と泣いた。心配して顔近づけてくるエディ。ごめんね。涙が流れた。「ごめんね」という発声したくても、声も出なかった。目線がエディと同じだった。犬なのに人間の心配していた。記憶に残っている。パニック障害はどんどん悪くなりました。電車も乗れない、人がいる空間にいられない。なおりたくて通う病院を数年、何回かかえた。薬は妊娠すると奇形が生まれると言われた。あとに最後に正解の治療がうけられた。自分で探して順番が来るまで町医者に治療に通いカウンセリングを受けながら半年ちょっと待つ。名古屋の大学病院で最初の診断で沢山病院側の人たちちと、私一人にてパニック障害がなんだかわからない。10段階のうちレベル9だとつたえられた。#未来会議#太郎雲経営#細谷宏
May 8, 2019
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時間軸がバラバラで光景がでてくる。若い時のあの長い時間長い月日の精神的、身体的、経済的、苦痛。DVって、横文字にしてしまったライト響な言葉夢をみた。宏は叱責し叫んで叩き、蹴り、わたしはベランダに出された。あめがふり降り、そのあともっと最悪のことをする準備をあのひとはしていた。人生を終わらせる用意してた、今あそこにすっかり一緒に住んでいる新しいヒトと。今も夢をみる。実際に起こったこととごっちゃになっていた。冬、私はマンションのベランダに薄着で出されて鍵を閉められた。叫びながら叩きながらそういうことをした。薄手ジャージでベランダに出され鍵を閉められた。助けてと大きな声で言えなかった。自分が恥ずかしかった。暖かいリビングにいるあの人と冬の寒いベランダ出された私。どうしようもない。私が買ったシーリングファン、私が買った高かったエアコン、私が友人の奥さんと買いに行き、えらんでお金を払ってつけたカーテン、冷蔵庫。親と探して本棚にしている食器棚。働いてお金を払ってリビングをひろくした、浄水器をつけた。他にもたくさんある。きもちもはいっている。わたしにはあそこにお前のものは一つもないような風に言った。出て行けと殴られた私。長い期間にわたり、あの人から、身体に対して、神経がじわじわやられるろうな痛みを受け続けた。何かあれば、自分自身の体への痛みという罰を、あのひとから受ける経験を長くしてしまっまた自分。そして次の既婚者の愛人を季節も変わらない数ヶ月のうちにマンションに入れる。2014年。大切に思うこと胸にはある、、思い出があるというわたしの主張に・・そんなものはない!!!!うるさい、人は変わるんだ。叫びながらの殴打。骨にヒビが入るまでおれるまで。モノで殴られてヒビが入った骨。そして数ヶ月のうちにすぐにわたしがいた場所に既婚者の愛人をまねき入れてた。人生で信じていること全力で否定され。最悪。バッドエンディング。人は変わるだってどういうことだろう。生きていく糧になる良い思い出、たのしいおもいでもあるということをあの人は否定した。頭がおかしくなるめちゃくちゃなロジック。大声。向かってくる恐怖。身体への痛み。時間が経っても再生される。振りかぶってビンタを受けたときその時風呂上がり、冬なのにわたしは半袖Tシャツだった。テニスのラケットを打つような感じで大きく二発。往復顔を強く強くたたかれた。殴る時に掴まれた腕に三本指のあとがアザになっていた。向こうはなぐってハアハアいっていた。相手の手が大きい。鼻血がでた。ほおはいつまでも痛くジンジンして赤く腫れた。反対に、自分の心はしーーーんとなった。シーンとなってしばらくおいてから、わたしは走って家を出て駅前のビジネスホテルにとまった。そんななのに数日後に夜習い事に行くのです。現実を離れる時間。でも着替える時、腕の痣に気がついた友人から指摘される。その時まで腕の気がつかなかった。腕にくっきりした三本線が付いている。別の感じで心がビーーとなった。指つかんであとがついたんだな。あせって隠した指の形、三本線。でも見られた。大切にしているもの沢山壊す。わたしはリョーリが好きだった。ご飯は「頼んでない!」と。何度もめちゃくちゃにされた。節約を考えて栄養も考えて好きなものを考えて作ったご飯が部屋中にひっくり返りめちゃくちゃになった。誰も片付けないからわたしが床に散らばった食べ物を掃除する。その心の悲しみはどこへいくの。どこへいった。誰も引き受けてくれない悲しみ、自分で選択していたそういう悲しみ。なんで逃げなかったのか。10年以上。何事もなかったかのように演技していたのでしょう。何事もなかったかのようにしなければいけないことで現実に起っている出来事と2人以外との外の世界が乖離されていった。でも何事もなかったかのように後でなるんで脳が切り替えられてそれにあわせているけどそのどんどん乖離がひどくなっていく。アンガーコントロールの本とか、DV防止センタの印刷を渡したりお願いしたりしたけどあの人は自分の闇の部分を伏せてサンドバックに爆発させては感情の処理をすませる。友人からもらったお祝いの大事な食器が破壊され割れて台無しになった。お皿をあとで買い直しに行った。その時は買ってくれた。ミシンで塗って作ったバック、引き裂かれた。作った服引き裂いた。お金がなくなり工夫してつくった洋服。同じ階の奥さんにバッグと服お揃いで可愛いと誉めてもらったやつをあのひと、ビリビリにした。絶叫怒号で出て行けと鬱になってからは、ことごとくひつこく何度も言われる。その前までは出て行かないでその逆だった。自分にとってわたしが使いものにならなくなったのだ。オマエのものなどここに何もないふうに。おまえは外で一度も働いたこともないくせに。なんでうちはともばたらきじゃないの?等事実でないことを歪めた。頭が鬱で混乱している時に追い詰めることをされた。名古屋で私が働いていない期間のほうが少ない。休養しなさいと医者に言われてもすぐ働きに出た。虚言を言うあちらがそういえば私もそういう気持ちになり心が孤独で事実が、わけがわからなくなる。自分のためにわたしのことを下にして嘘をつくことがよくあった。または他人に「安請け合い」をし、そのためにわたしが親身に動く前提で、他人に対して勝手になんどもなんどもした。神様に助けてと何度も頼んだけれど叶わず、そして他の誰かに助けてと言えなかった過去の自分。おい、頼むから死んでくんないかなおまえみたいな人間がなんでいきてるんだなんでオマエはここにいるんだ!でてイケーー!でてイケーー!おい、いつでて行くんだ!いつだ。何日だ。何月何日だ。殴りながら蹴りながら頭突きをしながら。この光景が反復する2014年春家を出てからそれから一ヶ月もしないうちにたぶん新しい既婚者の愛人とを入れた。そのひとにたぶん全部自分のもののように見せた。日常的なDVを結婚している間続けて妻を、同じ春に今追い出したばかりだとか言わずに多分嘘をついたのだろう。どんなに大変な思いをしているか知らずに追い出した2014年からはイキイキしている。仕事が軌道に乗ったところで収入があり、私がえらんだ可愛いマンションを、えらんだ黄色のキッチンを、ひとりで、自分だけのもののように見せたのだろう。パニック障害になり、私一人で病院を沢山変えて大鬱になり大学病院に通い、あの人の役の望むレベルからは程遠い使い物にならなくなった妻を「おまえが弱いから病気になったんだ」夜逃げ同然で追い出し追い出され逃げ。出るときにあってしまったらどんな恐ろしいことをされた分からないからそうした。警察には家を出る日は言ってあった。警察は110番とは違う、直接のすぐ対応してくれる電話番号も教えてくれた。大変だった。心神の喪失状態だった。いろいろなことがあった。何故DVを受けていないふりをしなければいけなかったのか。世間に、妻に10年以上虐待していないふりをなぜずっとしていたのか。幸せ夫婦みたいに。外の世界に嘘をつき続けたのか。あの人は自分のしていることは、大したことがないと置き換えそれを私に反映させ続けたのか。それに付随する、細かい色々なことも枝葉のように発生し何事もなきように、わたしに被らせ任せられた。する側とされる側の心の闇。あの時に戻りたくないし、身体が受けるあの痛みや、怒号は二度と聞かなくてもいいのに、ふとしたスイッチで時間軸が歪んで、時々リアルに記憶が引き戻しされる。日常生活にに記憶が紐付けされるスイッチが多く溢れている。戻る時は苦しい。あの人がこのブログを読んだとしても、自分がかわいそうだと書いて何が楽しいんだと切り捨てるだけだろうし、自分の気持ちだけに繊細すぎるほど繊細で、私の今もある心の傷は分からないだろう。ワタシが告訴もせず、現行犯逮捕もしなくて、恐ろしい音声も写真も秘密で、夜逃げのようにいなくなり思いもおり、目の前から鬱陶しいものがいなくなったら、自分のしたことが更地になったようなさっぱりした感覚になった。わたしはマインドコントロールの歪んだ先に、向こうの思うままに最後までましてしまった。そしたら向こうの都合の良いような事実の置き換えが起こり、最初からいなかったかのように脳ミソの中おきかえたんだろう。逆上して蹴り、怒鳴り続け、人格の尊厳を損傷する言葉をいい、そしたら、わたしが頭がおかしくなってわーんと泣く動画をなんどもなんども、とった。録画された。そもそも自分のDVの証拠をとっているということ。普通に自分を演出して見せているが、普通でない。悔しい。家族が作りたかった。家庭、、そういう方に持っていく努力、向こうの心の闇を明るくするように努力を、ずっと続けてきたつもりだけど通用しなかった。無駄だった。吸い取られた。今を生きていてながらも過去の感情や痛みの記憶がチリチリと焦がす。
March 2, 2019
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過去の思い出の苦しさが今おこっているかのように雨のように降ってくることがある。「死ねばよかったのに!!ー!」「頼むから!死んでくんない!っっ」叫びながら暴力!元夫に叫びながら掴みかかられるヒトが自分。録画したテレビの内容を話した。ムシ?の居所が悪くその話は、ひろしの耳に入らなかった。そしてあの人は大声で突然叫んだ。突然爆発は起こる。起こってから長時間恐ろしいことが続く。ぎゃくたい。わたしの骨にヒビが入るまで、なんかいもなぐった。罰としてずぅーと、わたしがうけてきた、、体の痛みはなかったことにしているか。ズキ。ズシ。場面が、今の日常にも断片として入り込んでくる。「もうサーわかれたいんだけどっっ!!」ぼかっ。けり!リモコンでガッガッガッ。??????だいたい五発肋骨のあたりを殴られる自分。しばらく息をするのも痛い、深呼吸では超痛、病院へ行くと折れる手前でヒビが入っていると診断受ける。2ヶ月痛みと苦しみ。(わたしはなぜ負傷したかを言わず。どうすべきかを誤っていて、この時点でヒロシ傷害罪)愛とか情とか良い思い出とか一緒に大笑いした思い出、若かった20代中盤からの記憶。そういったもの人生に同じ時を過ごした思い出がある。反論され「そんなものは無い!!」わたしにはあるのに無い!と叫び蹴りあげる。うるさい!ひとは変わるんだ!!ひとは変わるんだ!!!怒号、叫んでいた。蹴られなから冷蔵庫の所まで追い詰められて頭突きを数回。目が座り、顔が真っ赤になっていて。怖くて足がガクガクになる。情とか思い出。優しさ。暮らし。ささやかな思いやり。、生きていくのに必要なもの、大切だと私がおもってきたもの。恐怖や怒りで塗り替えようとする。死ぬときはも持っていけるものは思い出。そのことを負の力を使って全身で宏否定してきた。死にたいと思いました。なんでうちは子供がいないんだ!!(あの人はわたしが流産した時もすごいふるまいだった。パニック障害のままでは妊娠中飲めない薬を飲み続けないために認知行動療法を受けて直した。苦しい時に離れなかった、助けた。何をしてもあの人には私が自分にしてくれることが足りないのだ。人生の全てをわたしに被せてくる)いつ出て行くんだ!おい、おい。いつだ。何月何日目だ。出て行け。いつ出て行くんだ!!怒号が響いて耳や脳や心に、体に、痛みをうける。おれはしってるんだぞ。何を知ってたというの。なにをしってるというの。何も知らないじゃない。結局何もわかってないじゃないですか...結婚生活最初ワガママも言わなかったし良い子にしていた。希望の職につけ希望の会社に入れて好きな人達がいて、お給料もお休みも良かった東京の会社を辞めて知らない土地に。名古屋にお嫁のために来てから以降はは宏との関係性を考えて考えすぎた。どうして暴力がおこるのか。自分を見失って目がすわり、怒りのために全力でキレて、暴力になるのか。数日すると無かったことのように振る舞うのか。どうしてそれに私もそれに従ってしまうのか。外でわたしがそのことで少しでも不利益があるような振る舞いをすると後から罰をうける。機嫌を損ねないために損ねないようにしていることすらわからないように自然に振る舞う。考えても勉強しても、本を読んでも調べても他人事ではなく私がDVを受けている当事者であるので神経の病気になった。心が蝕まれ恐ろしい内側のせかいとが分離していて、どっちかにいる。すごく働いた。身を粉に。いろいろ。メーターが振り切れるとわけがわからなくなりどんなことをしてでも相手を傷つけようとしてしまう・・・いったことがある。そしてその事実を言うだけで、そも対処をしない。サンドバックが一緒に住んでいて。サンドバッグがすり切れるまで毎回やりきる。サンドバッグはわたし。ワタシの靴が汚れているだけでさらに靴を踏みつけて歯を食いしばりながら俺から今すぐ離れろ!と睨みつける。嫌ならぼうりょくをしそうなら、自分が相手から離れるようなアンガーコントロール。それを15年間しようとしなかった。言われるがまま走って逃げて姿を隠しその場を立ち去るのはわたしだった。体をおさえつけられて暴力。虐待。人格を全力否定する言葉を叫び追ってくる。頭の中、心?精神?体?罪人としてあのひとに責められる。体もこころもおかしくなっていきました。客観的に自分に起こっていることが認識できなくなっていきました。無かったかのようにして外で見て来た楽しい話をしたり相手の不機嫌な時は空気を買えるように努力しました。渦中にいるので外から見ら怖い光景に気がつかないわたしもヘンだったのです。普通の人は、一度でもそんなことがあったら大変なことだよ。それをそんなに...という風にあとで友人に言われた。別人のように楽しい良い人になったりもするのです。だけど恐ろしい時間に対する耐性は付かず、耐える力がなくなり思考力が落ち、眠ることも食べることも考えることもすべて難しくなりました。捕まえられそうところを何度も振り払い全速力で裸足で階段を走り、降りてドアの外にわたし逃げてそれを追いかけてきて首根っこを捕まえられて家の中に引きずり戻され、怖くて心臓がドキドキうって、心が破裂しそうになってそしてまた階段を二段抜かしで降りて逃げてでも捕まえられて防音の効いたマンションの部屋に戻されて。わたし自身は血の気が引き。叫ぶような怒鳴り声でひどい言葉を言う。暴力をうける。外から見てわからないような身体位置に何回か蹴りを入れられる。後で何にもなかったように相手が振る舞うとそのときのことが夢のようにも感じてくる。たいしことでもないよ。ななんとかなるんだきっと?行けでて行けーーー!きさま!おまえ!本気じゃないだろうと。 結婚して八年ぐらい前は絶対にでて行けとは言わなかった。したことに涙したりして。思考力も活動量も落ちて相手が望むような動きがますますできなくなってきてからは本当の虐待のようなことになる。全く頭働かなくなりどうしてしまったんだろう。気が張っている状態キープできない。向こうから見たら反応が悪いしなまけているようにみえるから余計に事態が悪化していきました。キレたときの目の血走り、ほんき、狂気とおもいました。もうなにかの一ミリの狂いでワタシ死ぬ。体を掴んで振り回されて、襟元や首元を掴んで大声で叫んいる。わたしのことは許されることはない。ごめんなさい、ごめん、ごめん、ごめんなさいと、なきながらといっても耳に入っていない。謝れ!と五分後に言う。あやまった。あやまってる。何度も言ったと言っても。ウソだ!!言ってない!と言われる。心から言ってない。ともいう。イカリの都合の良いように事実を歪められる。頭がコントロールが効かなくなりおかしくなり、あの人が仕事にたいしてもわたしは本当に使い物にならなくなっていました。まわらなくても無理をして無理をした。発作が起こり息ができず体がしびれて動悸がマックスになり体からおかしくて苦しくて床をはってトイレまであるいたりしました。呼吸もできず息ができない。身体が苦しい。苦しい助けて。収まって顔をみると真っ青に顔がなっているた体重計に乗ったら体重が突如38キロで。身長156.体重38。あっという間にそんな体重になって。死ぬのではというほど体がおかしくトイレに間に合わなかったり。うつとおもっていなくて病院でたまたま指摘されました。そこ薬は、大学病院で。最初半錠から始まり、脳の薬を一度にマックスまであがりました。鬱が重症だったからです。初日は病院の長椅子にももう座る力が無くからだがくるしくよこになっていて別室にうつされて点滴をしました。ずっともうものを食べる力がまったくなくなっていた。なにかを食べたいとはまったくおもわくて食べられない。ずっと寝ることができない。お箸一つ洗うことが、恐ろしくて恐ろしくて辛くて辛くてできない。立って歩いて洗面所まで行くこともできない。でも、なみだをながしながらやりました。苦しくて、考えるのは、電車、車に、飛び込むこと、飛び降りること、飛び込むこと。このタイミングで飛び込もう、このタイミングで飛び降りようその反芻をし続けて、あなたは必ず来なさい、具合が悪ければ来なさい、市大病院の先生が励ましてくれした。DVとは言いませんでした。わたしが弱いからなったのだと自分も責めた。そのあと新薬がマックスから減薬になって3年かかって一錠にもどした状況でした。薬が効いたけど何か最新の新薬で、脳を無理やり調整したような感じで集中力はまったくない。笑いのツボがすごくひろくなり見た目は、大声で笑うひと、元気にみえるわたし。変わったね!なにか明るくなったね。と習い事の友達からいわれた。他者から見ると見た目は普通に見える。頭の中の混乱はそのまま。普通に振る舞うのが苦しくてもそう見えるようにするのが役目。今どんな感じ?(仕事を頼むときの言い方。かならず頭がおいづかずにぐちゃぐちゃになる)あのひとに聞かれるのか辛かった。相手の望む思ったレベルになければてきとつにやって!と、何かを大きな音でたたきつけてものをこわし暴れ、大声で怒鳴り酷い言葉を言ってた。徹夜で作った書類をビリビリに破かれてまた午前中やり直して寝ずに仕事にでた。頼みごとをすることのやる気になるのではなく恐怖で支配するモチベーションが負のものであるため。家事も結婚して忙しくても二人分わたしが、すべてずっと家事をする。深夜でも早朝でもDVと暴力。結婚してすぐの酷い暴行があった。コンクリに近い固いところに体と頭叩きつけられて、頭の後頭部を強打した。視界がカッとなって痛かった。打ち付けたときに頭がゴッといった。痛みは想像できかねるほど痛く。痛いという痛みというか激痛で気が遠くなった。血の気が引いた。視界が青くなった。4本指をそろえたサイズよりも大きなコブができた。そのとき、暴力の時の痣は赤いのや紫や。朝イチに相手の機嫌を読みめなかったわたし。なにか事実を勘違いして向こうがキレた。カウンセリングに行くと言ってくれた。すぐに辞めてしまった。そのときはまだ結婚して5年もたっていなかった。「彼はもう怒って来なくなった。自分と向き合えない。あなたは自分の言い分をいって資金もらって去るべきだ」東京にまた戻って働きたいそのカウンセラーに言った。では慰謝料を下さいといいなさい。それで東京にまた戻りたいといいなさい。。そのようにしないとあなたがだめになるよ。離れてまた新しい人生にしなさい」結婚って覚悟だと勝手に思っていたから。真面目だったからその人の言うことを聞かなかった。親身になってくれた人のアドバイス聞いて、その30代前半で切り替えていれば今みたいにならなかった。自分で自分を大切にしない自分にバチがあたった。その時一人暮らしの友達の家に一週間以上お世話になった。友達とその彼が私の話を聞いてくれた。アザもみせた。謝られ暴力を治す、と言った。それでそうなるといいねと戻りました。さみしくなってさっぱりと普通の喧嘩のような収まりで家出から戻った。そのときに「もどったんだ」って友達ひとこと言いました。結婚のことは本人で他人が責任をとれない。 その大人の友達は、他は何も言わなかった。そのあとはその友人にもDVの話をしなかった。暴力を男性から受けるような人間でそれを受け入れて結婚ているような自分が恥ずかしい。良い面を見たと思うときもあり、一緒にいるひとを悪く?思われたくない。自分で自分の心に蓋をした。「相手が気に触ることを言ったんだ。わたしも問題がある人間なんだ」と考えり、酷い人なのを見てないふりをしているどっちなのか心がブレていく。俺を頼むから怒らせるな!!!とよく言っていた。お前は俺を怒らせる名人だ!!スイッチが入ると大声でひどい言葉を言い続けて叫び続けて胸元を掴まれて、振り回される。首根っこをつかまれて床にたたきつけられる。先に寝ていて睡眠状態の時に、ふとんごと蹴り敷き布団と掛け布団を大きな力でひっぱり、私が布団から転がらされてだされてそして、あの人何か大声で叫んで蹴る。妻に対して後ろめたい時に自分を責めて攻めた感情、それすらもわたしに向かう。俺は病気だ。何度も自分で言う。でも治療に通えたりも知人、身内にも相談したりも向き合えない。サンドバッグになっている妻は世間に黙っているからそれで良しと甘えられていたのかもしれない。マンションを出たらそのマンションで既婚の方とすぐ暮らし始めた。家を出る前の二年はずっと家庭内では無視をされた。無視は辛い。あのひとにとってつかいものにならなくなったので家庭内の中でも居ないかのように振る舞う時が多く、気が向いた20分の1ぐらいのせかいで、普通の旦那さんの言動をするときもある。暴力の仕方は、雑になり悪化した。手より足が多くなった。蹴りあげられる。腰や、太ももや、背中や、腕。外から見てなるべく分からないところをされる。妻は家事は夫婦分やり外で働いて食費を出し、夫の仕事は喜んで手伝わなければならない。人間扱いされていなかった。逃げる判断力もなにもあまりなかった。ばらんすがくちゃぐちゃ。一番上に書いたように肋骨が。離婚したいんだけど!と叫びながら殴られた大きく振りかぶり鼻血が出るほどに往復ビンタだったりした日は、一日ビジネスホテルにとまった。正月の4日に。日常的な暴力。裁判やら告訴やらする元気は全然なくて息するだけ必死で出た。人といるときも元気なふりもできなくなり外の色も音も景色も頭に入ってこないようになっていた。義理のお母さんにお別れと思って二月に遊びに来た時に親切にした。義理のお母さんは具体的には知らない。こうこうねーとむすこのこともわたしのことも褒めてくれた。あのこはあなたのこと大好きだとおもうのよー。あのこがごめんねと言っていた。(わたしのことをアノヒトもうあまり好きでは無いのです、、私はもう、つかいものにならないから。)心で言いました。何でお前いるの?おまえみたいな人間がなんでいきてるの?それが宏の私への思い。うちのお母さんが来た時は、母を嫌い酷い仕打ちをした。わたしと母を無視をし怒った。そのときに、母は娘とその夫の関係性を知らずに正座して、頭を下げて、娘を妻としてみてあげてください。というようなことを頼んだ。だけどはぁー???と言う顔をしました。その数年前にわたし実家に帰った時があった。食べられずに体もおかしくて心がいっぱいで会話ができなかった。苦しくて会話も成立せずに過ごしていた。ほとんど口をききませんでした。あなたどうしたの?と何回も聞かれても言葉がでてこなかった。母がお洒落な習字を一緒にしよう。年賀状用だよ。金粉とばしたら綺麗でしょ。そのときに涙が止まらずなんで泣きよるんかな?どうしたの?と聞かれた。言葉が一言も出なくてわーんと、めちゃくちゃに泣きました。元気出してー。ほらー。どうしたんかね。ふぁいとふぁいと。と。でもなにもまた言えず泣いた。だから何かおかしいから、母が来たとき頼んでくれた。連日私の頭を連日おかしくして、無視と暴力と経済的締め上げとで自殺させたいかもだけど死んだら本当に悲しいふりをするだろう。実際悲しんで後悔するだろう。でもたぶん自分がしてきたことは過小評価するだろう。殴打。足で蹴られ、転がされてふくらはぎ痛めて。心のバランスがもうガタガタの。人生辛いとき以外、ほのぼのしていたかった。結婚というものは、素朴で働き者で可愛い奥さんが良かった。子供が欲しかった。実際起こっている二人の関係性の恐ろしい出来事と、それをうけいれないような笑っている違う時間。どんどん乖離していく。大切な20台後半から30代から40代半分台無しになった今も恐ろしい場面が勝手に浮かんでは自分を苦しめる。最後頃はリミッターの触れかたと執拗さが強烈になった。叫び声が部屋中に響く。どんどんどんどん逃げ込んだ奥の部屋にみずを流し込まれたことがある。お風呂で水をくんではドアの下から水を流す。ザバーザバーと流す。何をしているの?この人はなにをしているの?ドアを力づくで、鍵をあけて入っていくると捕まれて、私自身が水をかけられる。叫びながらわたしのスマホを固いところにガンガン打ち付け、その後水につけた。部屋にあるものでわたしが大切にしていそうなものを大声を出しながら壊される。何をしているの?今何をされているの?頭がマッシロになり、2日後ぐらいから体がしびれたり息がくるしくなったりつらくてつらくてうごかなくなり考えることなくり。夜中にねようと、2時間ぐらいでガバっと起きてベランダに出た。おかしくなって急になきだしてずっとずっとあなたはわたしにひどいことをしているとてもひどいことをしていると、言い続けて泣いたりした。だらだらと泣きとまらずに言葉もとまらない。そうするとあははははは、、、と、バカにして笑いながら動画を撮り、写メをとられる。泣いているお前が醜いから撮るんだ!!ほら!!ほら!!事実じゃないか!!!!!!!!みろこれ!これみろ!恫喝しながら画面をこちらにむける。おまえが、醜いから撮ってやるんだ異様な世界歪んで殴られて傷、多数の打撲、筋を違える。肋骨が今もたまに冷えれば痛くなりそのイタイせいでその場面を思い出す当時夫殴られ痛くて寝られないので病院にきましたとは言わない。衝撃が処理できなくて言えないのです。助けてと言えない。現実感も自分でない。あまりに酷いことを叫び、耳で聞き、何度も同時に頭突きをされつつ痛みと叫び声に近い大きな声とで、脳に刻まれていて宏の怒鳴り声が脳内で、反復されている状態。自分に起こったことが処理不可能になるのです。結婚して五年目ぐらいすぎまでは。自分は強いと思ってかいかぶり、メンタルに変調はなかった。だけどだんだんおかしくなっていった。心のバランスが崩れるのが、二、三日後。痺れて体調が悪くなり体も動かなくなる。寝起きがおかしくなり実際に聞こえてはいない怒鳴り声が聞こえたりする。どんな恐ろしいことが次ぎは怒るんだろう。肋骨、何日化しても痛くて仕方なくビョイウンに。先生にコルセットしましょう?と言われて、オーバーだから良いといってしまう。「当てつけ。わざわざそんなものをつけて」そう言われると考えて、コルセットをしなかったせいか忘れていたころにいまも肋骨がそこがキリリとする度々足の打棒腰の打撲でも病院に行ってテーブルでつまずいた等嘘をつきました。次の日ではなく四日後ぐらいに激痛とれないために病院に行った。紫と赤の痣が。膝の裏側をひねり、太ももに10センチぐらいの青タンができ、膝の下にも青タンができ、7箇所ぐらい右足が痛い時に本当に痛くて伸ばせず、足を宏に、ひねられていて、少し引きずっていたら「ねえ、ねえ、それ当てつけ?本当にいたいの?ふつうに歩けるでしょ?何でそんな風に歩くの」と言う。イタくてら超痛い。変な色の青タンや赤い変な内出血が膝の横のところに大きくできて。膝の裏と、面が、変な色になっている。ひねったところは、ウン!!ウン!!て、大声で唸りながら宏さんが何度も蹴った。恐ろしい場面。掴んで、服のそでは引き裂かれて。現在進行形でいたみがあるところをイタイということ相手に言ったりそういう片鱗をつたえることは、自分自身、そうだ、、、あてつけだ。わたしはイヤミな人間だとそういう気がしてくる、痛くないように振る舞うようにした。宏の暴力で怪我をしているというのに「わざと足を引きずるの?」と言う異常な関係性「あなたのせいだ、蹴ったのは、痛いのは!」とは言いませんぴーーーーと、脳波が振り切れた状態周りの人や宏にわたしが身体の痛みがあるのはバレないようにしないといけない。普通に歩かないければ。あなたのせいで身体に傷をがある。これを言ってはいけない。言うとまた、その場でも、誰かそこにいたら、家に帰ってからでも、100パーセントキレて倍以上、怖い思いをする。イタイ?イタイカビョーインいく?ごめんね腕を掴まれて顔殴られて。三本指の字がうでにくっきりあるときにフラでティーシャツを来た時に、はっきりみえて自分で周りにも隠す。捻られて筋をかなり違えて整体に行ったときにあざだらけでもわたしは嘘をつく。夫に殴られましたというはずがないという前提です。悪い箇所というか「打撲」として青タンが出来ている箇所に○を書かれました。その場所に打撲があることに妥当な嘘をつきました。元旦那もその前提。警察についには14年目にしてから別れる年に内容を相談に行った。DV傷害罪告訴はしませんか。と警察の人は言った。マンションにも警察来た。しませんと言ってしまう身に起こったことで頭、脳の中が飽和状態で、ピーーーーーーーとなっている状態で。混乱して、「そんなのはいいです」泣くだけになってしまった。虐待ような事が頻繁にある関係性とは誰にも知られないようにしなければいけなくて、本音を書くなんてつらくて悲しくて。心の底から、助けてと大声で、言えなかった。一ミリとて人前でなんだかちょっとしんどい、辛いんですという空気を出してしまったら察しておい!!!さっきの態度は何だ!!!!とやられるのです。昔馴染みの同僚が奥さんを連れて来てその夫婦の旦那さんが奥さんを大切にしているところに呼ばれて集まって楽しく皆に気を使って感じよく楽しく過ごしていたその後でもなぜか、皆と別れてから意味もなくわたしはDVを受ける。恐ろしいことが起きる。スイッチが入る。リミッターがふれる。二人以外の外の世界には、絶対に楽しそうに夫婦仲良さそうにしていなければならない。宏が気分次第で優しいことを言ったりする。コロコロ変わる。警察にただ行っただけでもその自分が恐ろしかった。普通の弱い人間です。警察なんて怖い。わたしの人生全体の可能性や、頭の中を、体調をぐちゃぐちゃにし続けて反省せずわかりもせず。悔しい。あちらの家族の人からは誰からもわたしの両親にも、謝られていない。息子が暴力を日常的にしていたことを。虐待を。2011年完全に心のバランスが崩れて頭の中がぴーーーーーとなって何もかもわからなくなった。病院で後で時間とれますか?と言われ。ものすごく頭が良い先生と二時間話して苦しくて苦しくて詳しくは覚えていないのですが大学病院の先生にあなたは鬱です。鬱にかかっていらっしゃるので、パニック障害のプログラムの受け直しは、通うのが今は難しいですと。そう言われても鬱?!!?てなんのこと?と。その場でわーーーと、泣いてわけがわからず怖い怖い!!こわい!!怖いっ!!!大声で連発しました。食べることも寝ることも動くことも座っていることもできなかった。とにかく苦しかった。ずっと何かの発作が起こっているかのように体が苦しく、五メートル歩いて、ものを取りに行くのも恐怖となった。脳の中がエラー。鬱が重篤で、起き上がれもせず。お医者様に家族に説明するので一緒に話し聞いてもらえますか?と言われても夫は助けてくれなかった。当たり前。歩くのがやっとで家で寝ていても通院に協力してももらえなかった。夫のDVがある暴力があるとは一度も先生に言わなかった。市大病院には、家族ときている人は待合室にたくさんいた。ウツでだめそうな人に家族が付き添っていた。絶対に来なさいと先生に言われた日に病院に向かうときには宏は家でぐっすり長々と寝ていた。家族ではないんだな。病院どうだった?とか大丈夫とか。気休めは言わない。その頃体に症状が出て苦しすぎて自殺への反芻がすごかった。死への反芻がすごかった。死の危険と間違うような発作が何度も起きて廊下やキッチンの床をはっていました。死ねばいいと思われていた。死ねばよかったのにとといってた。もっともっと追い詰めるようなことをされていた。他人事のように、そして外の人に自分の都合の良いように宏は嘘をつき、そしてわたし自身一番辛い時に助けてはもらえなかった。新薬の薬を大量処方まで増えて。からだか動くようになった。笑うと止まらなくなるような、無理やり気分を上げるかのようなやる気が出る不思議な薬。マイナスのことが考えられなくなる。あなたはうつ病です。最初に言われたときに。通常の全体の診療時間が終わってから、後で診察したいので残ってくださいと言われ多様な感じだつまた。待っている間にもう起き上がれなかったので横になっていたら別室のベッドがあるところに看護婦さんが寝かせてくれた。点滴をうちました。上に書いたけど、怖い!怖い!連発して。うつ病じゃない!!!!うつ病じゃない!と自分ではたぶん言っていました。大声で泣いた。こういった新しい薬があってあなたは治る為に、薬を飲まなければいけない・・。「薬をのまされて実験台にされる!!」と本気で思って泣いた。新しい薬で実験台にされると思って何回も断った。薬が効くまで数週間かかるというそのやつ。その前に、もうただ皿を洗うだけのことが針山に崖から飛び込みなさいと今言われているかのようにつらくなりました。だけど、市大病院の薬、ききはじめた。薬がすごくてマイナスなことが考えられなくなる。細かいことまで楽しくなる。多分脳の中を?無理やり、底上げして。四年ほどかかった。大学病院の先生のところに通い、ヨウカイという状態になりました。出会わなければ好きだった職場で働けていただほう。20代は一人暮らしをして、働いて趣味のダイビングをしてバンドをして演劇を見て、海外旅行にいっていた。仲間もいて、皆のことが大好きで楽しかった。むかし自力で立っていたことを忘れさせようということを宏に何度もされた。何度もそうされた。会社時代の思い出のもの勝手に捨てられた。上に書いた、病院でのメンタルの治療に入ってから混乱している私に、外で働いたことがないくせに!とかおかしな事実でないことまで言っていた。外で働いたことがない人間が。と。事実でないことを言う。付き合う時に何ヶ月も交際を言われて付き合い始めて望まれてと思って会社も辞めてほしいって。すごく躊躇して会社を辞めれなくて生活もどうなるのかなと思っていたりしたけど「辞めるって言えないの?」という風な「もうやめるって言った?」若い頃のあの人だった。辞めたのは自身の選択で自己責任はわかってる。自分の身に起こって居た恐ろしい出来事がだんだん混乱から取れてきたような。一歩でも一ミリでもで大怪我か、死んで居たような場面がたくさんあった。家庭の生活の上では何もせず本当に全てに手がかかり、わたしは鬱になる前は生活苦から病院にも二年以上行けず、靴も上着も一枚も買わなかった。冬の上着パニック障害でもいけるパートのところに行って、同じものをずっと着ていて30後半から神経が、完全におかしくなってエラーを起こした。宏は朝起きれなかった。起こすためにわたしは職場から彼の会社のフレックスギリギリによく電話をかけた。会社に時々行かれなくて、毎年有給は宏はそれで全て無くなっていた。宏が急に仕事を退職した時。仕事のストレスがあるのだと感じていた。やめたらもしかしたらいろんなことが解消されるのかと。だから、それでもいいよと。資格のお勉強応援するよと。無職の人の妻の時期が始まった。結婚してし派遣の生活費から夫婦二人分の生活費を払っていた財布が別だったから。家事はぜんぶみずえがやる。わたしが出す二人分の生活費より安い家賃のところにすんでいた。給料が少ないワタシのほうがアウト率が大きい。けど当時はわたしもきにしていなかった。だけどどっちがどっちの貯金とかかんけーないと宏が常日毎いってた。当時、財布が別で自分の派遣代で二人分の買い物をいつもしていた。自分でできた貯金は、宏に説得されて、全部マンション関係に差し出して、わたし貯金がゼロになっていた。逃げられない。この資格を取ったら俺は年収〇〇〇〇万になる!と言っていた。そんな資格があるの。うまくいくかな?そんなもんあるのかな無職で。勉強を始めました。心から応援した。生活のリズムもあちらの自由でした。深夜に勉強して昼間寝る。夜食のおにぎりを作り、お茶を入れたり受験生の母のようになった。気をつかった。先が見えないけど尽くした、それしかないから応援した。面接のときもこうしようああしようとうまくいくように祈っていろんなことを言った。だけど仕事が軌道に乗ったから、役立たずになったやつを追い出しました。厄介者になりました。1,2か月を待たず既婚者の若い愛人をパートナーにしました。わたしば自分から出たかのように振る舞いました。裁判にも告訴もしませんでした。そんなもん元旦那、傷害罪だよ!?と誰かに言われた。名前を、ペンで書くのも精一杯。無職で何もなく、一人で小さい狭いアパートを借りました。荷を出した。今頭金を用意すればこれだけたすかると言われ、自分の貯金口座をゼロにしました。わたしの身内に10年以内に返すと言ったマンションの身内に頼んだ頭金は、おまえが住んだんから関係ないといちました。頼まれて親に借りた。新しいところに行ったら新しいマンションにいったら暴力をやめるよといわれて言ってた。30歳前後でしんしだ。「本当?」と聞いて。ヒロシに頼まれて身内に頭金を借りられるように電話した。二人で住むところで頭金を用意したら倍以上あとで返済が楽になると具体的に行っていた。すぐに虐待を受けた。具体的にその時の映像が浮かび、心がその度に傷つく。約束したのに。マンションに来たらって..て泣くと。カネカネ言いやがってー!そんなに金が欲しいか?ほら、ほら。財布にはいっている札をくしゃくしゃにつかんでわたしのほおにあててリビングのドアの扉にわたしの頭を押さえつけられた。向こうは忘れているだろう。自分のためにお金を借りて逃げるべきだったのだ。2003年。結婚して何年モカは生活費などももらわずにわたしは働いて二人分の生活費を全部出していた。わたしの派遣のお給料は良くも悪くはなかった。ちゃんとした企業の正社員の夫よりははるかに安い。安いけどとうじ二人分の生活費を出し、とうじお金のやりとりはなかった。家事も全部していた。今思えば夫のいた会社の親会社に勤めていたのに。ずっとわたしが働くのならなぜ東京から結婚するために、仕事をやめてきてくれとヒロシは言ったのか。仕事を辞めることを迷っていたら何度も何度もまだ辞めるっていってないの?と言ってた。なぜやめてきて欲しいと言ったのか。やめて名古屋に来て半年経って、、あっ、働かないと。と思った。わたし無職だがご飯を作るが食費なども何ももらっていなくてわたしは自分の貯金を下ろしていた。覚えていないだろう。だけど中郷に住んでいたとうじ、わたしに二人分の生活費、現金を渡した記憶もないだろう。二人分の生活費はわたしの財布から出していてすぐ派遣で働き始めてからは派遣のお給料でふたりぶんだしていた。そういうことだった。毎月いくらも渡した記憶がないだろう。わたしが二人分払って安いアパートに住んでいるのだからヒロシの口座に現金がたまる。「俺の分の頭金」とマンションを買う時に言っていた。経済的DV,それで相手の口座にお金が貯まる。どっちがどっちの金とかかんけいないだろ?と言っていた。そんなにかねがほしいならなーーー!!と大声できれていっていた。そしてさらに後から仕事をやめたらマンションが買えなくなると思ってさ!と言っていた。「サラリーマンを辞めるつもりでマンションを買ったと」?騙されたのだ。わたしの身内に、わたしは、あの人のいる時に電話をかけて旦那さんが10年以内に返すと言ってるから..といった。それは向こうがそういったから。沢山こうなったらこうなるんだ。と説得させられるけど半分は嘘だった。それをだんだんわかってきた。現実がそんなに都合が良いわけがない、現実を歪めて自分の良い方に解釈する病気。配偶者にそれを全てを道連れにする。だけどその別の日はまた、良い人なのです。いったことやしたことをすぐ忘れるのです。わからなくなり神経がおかしくなりました。家庭ではなく事務所に小さく住んでいる形となり深夜まで気を使う。心壊れていきました。何か暗いものに蝕まれていく。なお、繰り返し、壊れて暗いものが刺さっているところをこじ開けては、宏の闇が、わたしに向かい罵倒し絶叫し、体のうには痛みを受けてまた真っ黒なもの刻まれていく。時間が経てば薄れては来るのかというと、恐ろしい場面が鮮明に突然に出て来る。過去に怖かったことが出て来て。寝起きとかに鮮明にでて覚醒する。悪夢を良く見る。夢でも全人格を否定する酷いことを言って体をふりまわされおさえつけられけられ、なぐられつかまれている。相手のために全てを用意し完璧でなくてはいけない。気を抜いてしまうと感情の爆発をうけとる。普通にしてしまう気を抜いてします。かかってきた携帯電話を遅れてとると、携帯を折る。叫び怒鳴り見せつけながらガンガンガンガンとたたきつけたり折ったり水につける、こっちをみて、笑う、そして狂ったように怒る。歯止めはきかない。止まらない。新しい機種に変えるときの理由。DVの関係性が、結婚生活のスタートから最後まで続いておわるらせることは、、、ただ、わたしがでて行けと何度もいわれるがまま、ちゃんと時期も告げつつ、しかし夜逃げのようにして離れたことだった。ない力を振り絞って。大人同士、虐待をやり続ける相手も罪ならば、逃げられるのに逃げず受け続けず自分を傷つけていったわたしも罪なのです。双方の共依存関係は。最後に破綻するまで。バカな自分のバカな顛末
July 25, 2018
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人のせいにするなと言う。相手のことが原因でわたしに起こることも全て自己責任だという。お前の自己責任だと怒鳴られる。私の身体に何かしら暴力をする。 バカだから、なんでも信じて無理なこと苦しいこともなんでも、夫にこうやれと言われればYESと言ってきた。断ることは恐ろしかった。苦しい辛いことをさせられ辛いというと、最初に良いと言ったんだから自己責任だと言い返される。そしてうまくいってもわたしには報酬は何一つない、嬉しくなるだろう、助けになるだろうと思って頑張っても何もない。家事も全部やって当たり前。生活費は、わたしが二人分出していた期間も多くあった。 例えば、何も買うこともできない。機嫌が良いとして年に一度でも相手に買ってもらうと後でそれは必ず破壊鼓動につながってしまったのであきらめた。恐ろしい形相で、おい、あれ、何処やったー!!!!と叫びながら探して切り裂くのです。部屋の中がぐちゃぐちゃになる。物が散乱し、壊れた。 相手の役に立ったという満足感だけだ。俺の役にたっただろうと。向こうの意向のレベルまで達して無いと、永遠に感じられる長い時間を大きな音をたてて怒鳴り続け暴れ、床を引き摺り回されたり人格を否定することを言う。頭の整理ができないまままた、次、頑張って無理をしてしまう、がんばる。 頑張るためモチベーションは、夫の希望のラインに達してなかったら失敗したら酷い目にあうというマイナスのものも含まれる。エネルギーが枯渇していく。頭脳の面でももう働かない頭で無理なラインが引かれる。 弱い気持ちになってしまったら、それを先回りして余計に苦しくなることを言う。 頭がいいから先回りして心をざくざくに傷つけることを言う。 ごめんねとか俺のせいもあるかもとか優しい言葉とか気休めはない。 苦しい方向に言葉や暴力で突き落とされる。自己責任と言われる。辛い苦しいと思ってその苦しさがなくなることはなく10年以上経ても厚く積もっただけだった。暴力の場面の繰り返しの蓄積の混乱した記憶。 足で、私の背中や足を蹴って人からわからないところにアザを作られる。 信じられないような厳しい言葉を常に言う。 違和感があるのはいつも当事者意識はないこと。混乱に混乱が上塗りされていつもひとりで孤独だった。 知り合いがいなく、知らない土地にきて、孤独、寂しいと思わないで済むよう努力をした。 いろいろなことや苦しみや私のことは自分には関係なく、あの人の問題は、小さなことでも重大なことで二人のことで、自分のことのように背負わせる。でも、その流れに逆らわず、そうしてないと余計私は苦しむことになる。 知らないうちにいつもあの人の問題やあの人の成果、希望する結果を、自分ことのように勘違いする。 自分の責務に感じて自分の責任としてしまって苦しかった。 家庭内での暴力の連鎖とかそういうものを読んだり聞いたりして自分で決めてた。普通の状態でなくなってコントロールできなくなっている様子を見てはその中でできないと。同時にずっと希望を持っていた。 状況は、密室でどんどん悪くなり、外の知ってる人がいるときのふるまいと、そうでないときの二つの顔の差が開いていく。裏の顔が独裁者のように支配的になっていった。 支配する側とされる側の共依存の状態。 私が不用意な発言をしたとして、そばに知り合いの人がいなくなるとものすごい顔で睨みつけ、歯を食いしばってすごいことを言っていた。しかし、人が来ると何もなかったようにわたしは振舞わなければいけない。 二月に突然、何もない理由で爆発し、大声で色々言いつずけ、そして出ていけと何度も叫び、何回も叩かれ殴られた。冷蔵庫のところで私の顔をおさえつけて、おまえは、やられたいんだろう、やられたいから逃げないんだ!!!!!! なんでここにお前いるの!?いつでてくの?もーさ、別れたいんだけど..なんでうちには子供がいないの?とかいろいろ。 頭突きをする。 ずっと絶叫していた。叫んでいた。そうしますと返事した。 いつ、でていくんだ! 3月にすると言ってそうした。 それが決定打ではなくなんどもなんどもあったことだったけど限界というよりそれを超えて麻痺していた。 疲れた。心の闇深すぎるのに、ばかみたいに、いつか嵐がやむ。普通の家の中や子供を私は夢みていた。そしてある日、相手が突然普通の人になるようなそういう夢をわたしはみていた。 そこを、えぐってつくようなことをそのとき言った。 これこれしないなら今すぐでていけ、別れたいと頻繁に言うようになったのは、それは私が心の病気になった時から言い始めるようになった。 たくさんの恐ろしいことをされ、具合がその度に悪くなり、体が動かなくなりわたしは使い物にならなくなり、逃げずらい状態になってから。 わたしがメンタルと体調が元気な時は、真逆だった。 弱いものには徹底的に強くなる人。 放った言葉、言われた言葉が生きてしまう。 家庭内での暴力の連鎖というのは言われている。幼少時に、人格形成される段階で守られている居場所として機能するはずの家庭の中での暴力的なことを、そういうのを見ることは虐待となるらしい。安心できる場所である場所がそうではなくなる家庭機能不全。 エディに対しても、かばってあの人に吠えると追いかけてどなって蹴り上げて、その時目が血走っていた。震えてエディは漏らしていた。そんなことをするけど世話もぜんぜんしないのだけどあの人はとてもエディが好きだった。好きなだけどときどきそうなる。 治った、治すと言うけどもダメだったけど、うん、なおったらいいなとほんとに思ってた。 いくらある?お前の親はいくら出せる?と聞いて、二人の家なんだよ?と。全てのわたしの貯金を出させてマンションを買ったあとに、経済状態が悪くなり、怒涛のように過ぎた、30代後。リミッターがふり切れやすくなり家の中がぐちゃぐちゃになった。カッとなってバシッと手が出るといくとかそういうのではない、振り切れたままの状態でひつこくとにかく何もかもを抑え込もうとその時間が続いていく。 引きずられて床に体を叩きつけられる。服がさける、暴れる。私の大事なものは目の前で、凄い勢いで探して壊す。 友人との思い出がある大事なものを出してきて破壊する。お金は財布をひっくり返してわたしのアルバイト代も取り上げる。クレジットカードは使わせないと全部折る。携帯電話は折る。泣くと悲劇のヒロインと言う。泣いてしまったら携帯レンズを向けて動画を笑いながら撮ろうとする。動画をとりながら、ニヤニヤ笑っている。「お前が醜いからだ、おかしいから撮る」という。追い込まれて頭が混乱して泣く、、と、動画を撮る??そんなおかしなことをする人とは誰も思わないようなひどいことばかりだった。 どんな傷つくことでもして、その時を絶対的に勝って、収めようとする。「俺を怒らせることをした」「俺を怒らせるな」と言う。俺を怒らせるなといっても、外のストレスがわたしに全て向く時もおおくあり、何が導火線がも最後頃は分からなくなっていた。 そして、生きる価値がないのにお前みたいなものがなんで生きてるの?ぐらいのことは言われていた。 サンドバッグのような対象になっていました。 精神が弱ってきたら、余計に強くなり支配的になってたまに気が狂ったような虐待になった。誰も見ていない密室の中で暴力の陰湿さも悪化していった。そして別の日には優しくなる。混乱して病んだ。ココロが壊れた。しんどかった。たまたまの大学病院で病気を見つけてもらった、わたしは混乱でもう自分がわからなかった。 病院の先生には理由や原因を絶対に言わず病院に通った。離れるという覚悟がわたしにないうちは情があったうちはよく知らない人に、二人のことを話すのは嫌だった。治療した。そしてそこの病院にはもう通えなくなると思い先生にご挨拶をして紹介状を書いてもらった。治療の最後に先生にあなたは強い人ですよ、と言われて涙がだらだらと出た。あのひとは私が病気になったら「もともと弱かったんだろ」という言葉を言った、弱い人間だからそうなると私に言ったのだ。それ旦那さんが言うことばなの?と混乱した頭で遠くで思った。そう思い込ませてあの人は自分が助かろうとしていた、罪悪感から。あの人はしぶんが、罪悪感を持たずに済むために、やってきたことは一ミリも振り返らず、「弱い人間だから私が病気になったんだ」とはっきりといった。虐待の最中は本当にわたしに死ねばいいと本気で思っていたと思う。またはここまでパートナーを追い詰めたらほぼ、そうなる可能性があるだろう。 自分のあふれる負の感情や欲望のままに突き進む。 常に自分の救済や、自分が楽をするために私に乗っかって世間体を作る。 お正月一月四日に二発、ほおを打たれた。立ったまま、たたいた後にテニスすぶりの後のように、手がなっていてはあはあ、といきをしていた。ほっぺが真っ赤に耳が痛く、晴れ、鼻にヒリヒリずーんと痛みがきて鼻血がつーーーーーとでました。 わたしはそのまま逃げて、その日はビジネスホテルに泊まった。だけどまた戻ってしまった。 耳で聞いた、生きる価値も、命も否定されたひどい言葉。蘇ろうものなら全力で否定しても、消えなくて消えないけど記憶をはやく遠くにやってしまいたい。人生が悔しくて悔しくて。 ひどい人です。仕事が軌道に乗ったら、新しい若い愛人を読んでさらに追い詰めて、戻れないように居られないようにされました。 資格を取るために、生活がむちゃくちゃでも無職になった人に、試験中あれだけ親身に寄り添い、生きるエネルギー切れの中で無理をしつつ続けたし、周りに愚痴も言わなかったし生活の超苦しさも誰かに相談することもできませんでした。 #細谷宏 #中小企業診断士
October 1, 2014
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人が立つ土台の足場は、暮らす家庭、家族にもあってその足場が狂ってぐらぐらしていると上手に立ちにくくて、ぐらぐらしてくる。ぐらぐらしているのにぐらぐらしてないふりする。 相手に社会では見せない裏側のスイッチがあってそれが私に対して入る。 それに連動してぐらぐらの苦しい面が作られてきた。 誰にも見せられるA面と、誰にも見せないB面の切り替えはだんだん下手になって。 翌日にはなかったことにする、秘密にしておきたいこと、わたしも隠さなければならないことだと考えていた。
December 8, 2013
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これ袖のないワンピや、チュートップ型の服、、に羽織るのに最適。 大好きな夏にまた着るわ、、 シースルーボタンダウンシャツ:naning9 ナンニング9 正規販売 新着【smtb-m】【マラソン201307_送料無料】【RCPfashion】【RCP】ACODESIGNロングTシャツ 韓国ファッション 通販
October 25, 2013
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最近は、クレドポーて下地でしたが、なかなかお高いのでこれに浮気してみた。なかなかこってりしてグッドです。 【BBクリーム が CCクリーム にリニューアル】\TV紹介/楽天総合ランキング2位獲得プレミアム CCクリーム (SPF30PA++)TV・雑誌で大人気 ccクリーム★【マラソン201310_送料無料】【マラソン201310_最安値挑戦】【RCP】
October 22, 2013
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夕方自宅に帰ってきて少し疲れていましたので横になったらそのまま爆睡、、。 近所に定食やを見つけて定食を頼む。大盛り炊きたてごはんに、わらじトンカツ(名古屋名物)、小鉢色々を大分、お時間をかけて食べて美味しかったー、、と言うところで夫から携帯で目が覚めました。もうすぐ帰るってー。 なーんて、わけで夢で腹一杯食べたけど(食べるだけの夢でした)現実は腹ペコ。 さっ、今から晩飯作ろってか。夢で食べたのに。
April 27, 2013
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April 27, 2013
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今週の始めは超さむく、冬の断末の〆的なかんじでキュッ!って恐ろしくさむかった。 それの合間に、寒さの中に少し生暖かい空気の日も入り込んでいりみだれてくる切り替えの時期。 昨晩、バイト的仕事で外出中に黒い小さな虫が飛んでくるのが視界に入ったので 反射的に手に持っていたパンフレットでパシっとうち落とした。 下に沈んだ。数秒はまったく動かず。でも突然パっと動き出した。 あ、歩いたと思って意識を向けたら、また、ひっくり帰って動かなくなった。 そして10秒ぐらいでまた、ぱっと起きた。そして普通にそしてどこかに行ってしまった。さよならーー。 1分間ぐらいの虫との対話・・・虫も出てくる春でございます。虫苦手ですよ。ああムシニガテ。ムシ。 押し花カード。ささっと作った。これは押し花をはっただけで密封していないので早く色があせる。 早くどこかにお嫁に出さなくては・・のサンキューカード。
February 28, 2013
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イチゴパックを半分冷凍しといたので風呂あがりにとけかかりを美味しくしゃりしゃり。 ヒロシちゃんの珍しいタバコ
February 26, 2013
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名古屋の1年の中で一番寒いのは2月だと思います。さぶいーー。手伝い仕事に半日入った場所で食べたランチメニューの板?に書かれたお花の装飾が可愛かった。ランチ内容は名古屋駅駅前の施設の地下で皆がセミナーの前とかに急ぎで食べるような立地なので値段と内容はいまいちでした。いまいちの中にも、このような可愛いものがあるとうれしいです。ベランダのささやかな鉢も今は土ばっかりで春を待つ。色とりどりのお花~~大好き。南国にすめばそれが日常だけど四季があるからこそ区切りを感じて生きていて、めりはりがある気がする。
February 22, 2013
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うう楽天ブログ書きにくい・・・。時代にあっていない。やっぱり、た、、だだから・・?デザインテーマでも変えたら何とかなるかと思ってさっき変えました。何も考えずデザインパーツをクリックしただけ。がなんともなりませんでした。伊勢行ってきましたー。日取りを選んで開運旅!AM8:30名古屋ステーション集合。6名。JR快速みえ、。伊勢までGO。一応指定席。立ちがあるのではないか・・?と、心配して指定席にしていたけどすいていた。座れるかどうかの心配はなかった。私も伊勢に行くのに始めてJRで行った。名古屋の人はだいたい近鉄を使う。快速みえもなかなか良かったのでお勧めですー。電車にのってすぐおやつタイムに。色々もらって朝飯がわりにおやつ満載。11時ごろには到着!!外宮の入り口。お天気は暗いけど光差している。 外宮の荒祭宮など参拝。こっちを向いているけど友人たちの顔は星で塗りました。伊勢の神様は、どこもかしこもお名前が素敵です。亀石です。パワフルらしく、みな手をかざす人気の石でした。木なんかも触ったりどこもかしこもパワースポット。外宮終わって、タクシーで「とうふや」さんに行きました。タクシーで、外の雨が激しくなり、きゃーとか言っていたら、タクシーのおじさんが「今日は日取りもいいし、これはみそぎの雨だね」とさすが、縁起の良いことをいう。タクシーのおじさんが、「梅沢富雄」に似ていたことに、みな同意してくれつつ、お店に入りました。とうふやはお手頃で素敵なお店です。座敷席でまったり。お昼はこちら一人一本頼んだ豆腐田楽おいちかった。右向こう側に団塊世代なかんじのおばさまたちの席から、わーっはっは、わはっは、って、ずっと大笑いでかなり楽しそうなかんじだった。お酒が入っているのか・・みたいな。でも会話の内容は聞いてみるとあまり内容がない・・・・でも楽しいんだ。笑う門には福来るですわねー。「私達も2、30年後ぐらいはああいったかんじかしら」「未来予想図的な。楽しそうでいいじゃなーい」とうふやにいる間はかなりの雨でした。みそぎは続く・・?と思われたが内宮の入り口では止んだ。そして、内宮へ!!順にお参り!!途中休憩所に入ったら、またざざぶりー。変なタイミングの雨女は誰!?状態になりました。わ、、わたしだったかな・・・?と小声で言う。「屋根のあるところに入ると雨になるからやすんじゃだめなんだよー、きっと。」と○んちゃんが。・・えっ。お参りのあとはまたグルメー。豚捨のコロッケやらー、なんやらー。帰りの伊勢駅。帰りの電車もかなり楽しかった。帰り電車の快速みえ号はガラガラーでガタンゴトン、専用車両のようになり電車女子開運旅は終わっていった!いいことありますわっ!!うん、さっそくありましたわ!!2月の始めの伊勢は寒いので防寒にとっても注意がいります。帰りの「いせし」駅。
February 12, 2013
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紅白を見ています。華やか、面白い、、。そしてゴーンと鐘の音がもうすぐきます。 良いコト沢山ある来年に。 年内にのせるつもりだった花系のハナシが半端になりましたので自分ようにすこし載せておきます。 押花です。来年も作ります。 それからお花です↙ このビオラは神戸ビオラといいます。可愛かっ。 11月に友人と行った沖縄のお花。 あー、今はあんまり花がない。
December 31, 2012
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