2004年1月25日(日)

2004年1月25日(



山瀬功治。

1981年9月22日、北海道札幌市生まれ。

173cm、70㎏、A型、おとめ座。

中学時代にブラジルにサッカー留学。

帰国後、コンサドーレ札幌に入団。

Jデビュー戦、初ゴール。

その世代の代表に初召集後、定着。

2001年、Jリーグ新人王受賞。

そして・・・

2002年8月17日(おれの誕生日w)、 東京ヴェルディ戦中に右膝前十字靱帯断裂。全治6ヶ月以上。その後手術。

・・・


現在浦和レッズ所属。

MF。

おれが最も好きなサッカー選手の一人です。

そんな山瀬選手のこと。



『リカバーからチャレンジへ。

山瀬功治の2004年を予測するなら、そんなところだろうか。



浦和に移籍しての1年目の去年は、不完全燃焼だった。

満足感、充実感にはほど遠い。

リーグ戦出場試合数は24試合。

得点は6。

この数字だけでは、2003年の山瀬の姿は見えてこない。

リハビリを続けながら、タイトルを視野に入れた戦いで重要なキャストを演じる。

決して簡単な仕事ではなかった。



「海外でプレーしたい」という目標 を現実に近づけるために札幌から鳴り物入りで移籍。

靭帯断裂を負った右ヒザも連れてきた。

浦和には東京Vから移籍したエジムンドがおり、ハンス・オフト監督の構想では、攻撃的MFの「2番手」。

治療に専念するのが先決で、戦線加入は早くてもファーストステージ後半戦からと見込まれていた。

しかしリーグ開幕を前にエジムンドが退団。

一転、山瀬に熱い視線が注がれることになった。



もとより、闘志を前面に出すタイプではなく、プレーぶりは飄々。

トップの後方で創造性豊かなパスを出したかと思えば、前線を飛び越してフィニッシュを放つ。

フィニッシュ自体の能力は高く、中でも浮き玉の処理技術は、一級品だ。



2トップのフォローをしつつ、自ら相手ゴールを仕留める。

右ヒザをかばいながら、中央でバランスを取るオフト戦術を黙々とこなした。



引き過ぎず、前がかりにならずの按配が難しい。

02年シーズンにベテランの福田正博が負っていた役目。

ただ闇雲に前に向かうアタッカーに出来る仕事ではない。

万全ではないコンディションでも、ファーストステージ横浜FM戦の決勝ゴール、セカンドステージC大阪戦の先制ゴール、

ナビスコカップ決勝の先制ヘッドなど勝負どころでの、一仕事が光った。



ただ、シーズン通じてのシュート数は48本。

1試合平均は2本と、2トップに続く得点源にしては、物足りなさが残ったのも事実。

その不満も能力の高さを周囲が認めればこそだ。

「見る者には確かに物足りないかもしれないが、右ヒザをリカバーしながらのプレーだったことを忘れてはならない」とオフト前監督。

2トップと中盤の間にできるスペースを埋める難しい役割を考慮すれば、合格点という見方もできた。

一方で、「山瀬はこんなものではない」そんな声も聞こえてくる。

万全のコンディションで臨む04年は、月並みな表現をすれば真価を問われるシーズンになる。

Jリーグと、予選に続くオリンピック本大会。

クラブとU-23代表の往復が続くハードなシーズンは、念願の海外移籍へと続くステップになるはずだ。



所属の浦和では監督が代わり、チーム戦術も変わる。

より縦に速く、運動量を求めるのが、新監督のギド・ブッフバルト流。

攻撃的MFにも上下動を繰り返すダイナミックな動きとともに、ゴールへの積極的な絡みが、これまで以上に求められる。

新しい戦術を消化し、ポジションをものにすることが04年の第1歩だ。

併行してアテネへのチャレンジは最終段階だ。

待ち受けるのは激しいポジション争い。昨年来、松井大輔が確保しつつある攻撃的MFの「1席」を奪い取らなくてはならない。



ゴールへの素早いアプローチを旨にするU-23代表の戦術は、浦和のそれに近い。

ボランチに浦和の同僚、鈴木啓太がいることは、山瀬にとって追い風になるだろう。



松井の変幻自在なドリブルとキープ力は大きな武器だが、

山本昌邦監督は限られたスペースで決定的なプレーができる山瀬の能力をチーム作りの早い段階から買っている。

ゴールへとダイレクトに仕掛ける山瀬を指名する可能性は、十分にある。



シーズン当初はクラブとU-23代表の双方が仕事場になる。

そこでものを言うのは戦術理解度の高さだ。

「サッカーワイズがある」と太鼓判を押したのは、オフト前監督。

セカンドステージの途中、タイトルを視界に入れた際にも、内容に満足できない山瀬の表情が緩むことはなかった。

ゲームの流れを読み、バランスにも気配りできる頭脳は、1個のアタッカーのイメージを超えている。



「前にいくだけがすべてではない」と言い切る。

ただ、浦和、U-23代表でともに求められる役割が、ゴールへの絡みであることは間違いない。

それをバランスよくこなすことが、山瀬の流儀だ。



回復から挑戦へ。

リーグ戦の優勝候補に挙げられる浦和での活躍と、アテネでのパフォーマンスの両輪が、山瀬を世界へのレールで加速させる。



2004年。ブレイクの年と見て、まず間違いない。』



以上、週刊サッカーダイジェストから引用してしまいました(邪笑





『帰ってきた司令塔』山瀬功治から目が離せない。



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