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「先人の苦労を知る」ために経験として昔の道具を一時体験的に使ってみるのはいい経験になるかもしれないが、すでにもっと効率の良い、簡易な機械や仕組みがあるにもかかわらずそれを根性論で使わないのは先人の苦労に対する冒涜だと思う。 昔の人だって好きで苦労してたんじゃない。ましてや「自分の若いころにはこんな便利なものはなかった。今の若い奴は楽をして悔しいから」という理由に無理やり精神性を宿したら、それこそ徒労でしかない。 だいたい、苦労すると精神が鍛えられるのではない。苦労しすぎて精神が摩耗したり歪んだりした人の方がおおいよ。 苦労に耐えることに慣れすぎると、現状を我慢で肯定する思考に陥りやすい。こうなると進化も進歩も止まってしまう。
2014.07.31
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たとえばのお話。 エヴァンゲリオンで有名になったアニメ監督の庵野秀明さん。彼はマンガ「アオイホノオ」でも書かれているように、学生のころからアニメーションや特撮に執拗なまでのこだわりを持ち、また、その奇怪な風貌と行動ですさまじい才能を持つが学内でも奇人変人扱いされていたそうで。 で、のちに彼はすごい作品を作ることで大成し、その学生時代の奇行(?)も伝説化される。ああいう人間だからすごいものを作れるんだと。 しかし、もし彼が何か世間を騒がす犯罪を犯していたら?上の行動はすべて「昔からああいうおかしなやつだからあんな犯罪を犯した」と、犯人の犯罪の動機として取り上げられる。 おかしな話である。わかりやすい例だと30年前、当時のオタクという存在の世間的印象を作り上げた宮崎事件。当時彼の部屋には大量のアニメのビデオテープがあったことが猟奇殺人の犯人の異常性とあいまって取り上げられた。同時に当時まだマイナーであった「オタク」とよばれるマンガやアニメを好きな人間をたたく材料になった。 世間的に大成すれば奇行も「伝説」になる。アニメーターに限らず、漫画家でもゲーム製作者でも、そういう伝説をもっている人はたくさんいて、「だからこの人はすごい」的な話になりやすい。 しかし、同じ行為であっても、あるいはその人がひとたび何か世間を騒がす犯罪を犯せば、その行動が「自分たちとは違う人間」という安心感を得るために奇行として報道される。ああいう人間だから犯罪を犯したと。 昨今の猟奇殺人報道を見ていると、メディアだけでなくオタクの側にも「ああいう人間と自分は違う」という姿勢が見えて疑問を持つ。あるいは逆に「これはマスコミの策略だ。オタクは絶対にこういう行動はしない」的な盲信があったり。 オタクすべてが悪い人間ではないように、オタクすべてがいい人間なのでもない。個人の犯罪である以上、どちらもジャンルとか全体論で語るのがおかしな話になる。 そして何より影響されたメディアを愛好する人間やそれを作る人間に罪はない。 だから、似たような犯罪が起きたから、という理由での表現規制というのはおかしな話なのであって。
2014.07.30
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ドラマ「アオイホノオ」の感想をネットで見かけることが多くなったのですが、その中でどうしても納得いかない感想、というか、ドラマに対してではなくクリエイター論として語っている方の感想に「あのころはすべてを好きなものに打ち込む才能ある若者が大勢いた、ビデオも資料もパソコンもない時代の若者ほどクリエイティブな魂を持っていた。昨今はああいう才能が出ないのは見た目ばかりの安易な萌えに走り、クリエイターの魂がなくなったからだ」 ・・・違うよ。あの当時も庵野さんみたいな人は「狂ってる」人だよ。本当に突然変異みたいな人。そういう才能がそうそういた訳じゃない。 自分も年代は違えどゲームがまだマニアックな時代から個人的趣味として制作していた世代だけど、あのころの情熱も、今のコミケなどで同人ソフトなどを作っている学生さんなどもまったく違いはない。いや、技術的情報が広まった分、自分の世代よりより熱をもって作っている人が増えていると思う(あの当時はパソコンが高価で情熱があっても挫折せざるおえない人が多かった) だから、あの当時の狂気に近い人を結果を出した人だけ後からピックアップして「彼らに比べて今の連中には魂が~」論を見るとイラっとします。というか、たとえばニコニコ動画などに代表される新しい発表するメディアができ、その中からプロになる若い世代が今後確実に増える。自分たちが何年も苦労して作ったレベルのものを数か月で追い越してしまう才能がいくらでも出てくる。技術の進化がそれを加速させる。 その作り手としての魂の炎の色は昔から変わらない。異常な熱量を作品に叩き込む狂気がすごいものを作る。 そして、それは作らない、作ることをあきらめた観客が安易な「才能論」で語れるほど軽い世界ではない。
2014.07.28
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原作も大好きな島本和彦先生の自伝的青春オタク学生マンガ「アオイホノオ」のTVドラマ版を見ていまして。これがまた非常に面白い!原作のくどくて暑苦しくて、それでいて大笑いしつつ、自分の過去を見ているような痛さ。 特に、やたらに自信のある主人公が同じ大学でとんでもない才能に打ちのめされ、それでも自我を保とうとのた打ち回る姿は「ああ、この根拠のない自信こそがアオイホノオなんだろうな」と。 たとえばクラスでちょっと絵が上手い、ちょっと勉強ができる、といった天狗鼻を根こそぎへし折られるのがこういう専門的学校に入った時であり。自分と同年代ですでに10歩も20歩も先に行っている人間がいる。自分の才能だと思っていたのはいったいなんなんだと! ですが、こういう経験はだれでもあり、徹底的にボコボコにされて、それでも再起動できる人間がクリエイターという人種になれるのだろうなと。というか、自分は絶対にかなわない、と打ちのめされても作品が作りたくなる、やめられない。 そこで投げてしまうか、ボロボロのプライドを必死にすがっていくか、が大きな分岐点で。 もちろん、それで幸せになれるかどうかはわからない。そういうものに早々に見切りをつけて普通の会社に就職し、安定した収入を得て趣味と割り切って楽しんでいる人もいる。というか、そっちの比率の方が圧倒的に多いはず。 ただ、この「アオイホノオ」というマンガをゲラゲラ笑えない、それこそ布団の中で身悶えするような青春を送った人の方が、私は好きです。
2014.07.28
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一人暮らしをする際に親によく言われた言葉。「口に入るものと、命にかかわることと、信用にかかわることだけはある程度金をかけなくてはだめだ」 これは今思うと至言だなあ。どれも自分の人生にかかわる。そして、取り返しがつかないことになる。 中国の食肉工場問題も、外資系企業が「なるべく安く」を求めた結果であり、また同時にどんなに厳しいマニュアルを作成しても、現場レベルでそのマニュアルを無視すれば上の人間は問題が発覚するまで「厳しいチェックをして安全です」と思い込める。工場の抜き打ち審査、というのが事前にばれていてその日だけマニュアル通りの製造を行い、審査官が帰った後はいつもの雑な作業工程を行ったり。 え?この食べ物がたったこれだけの価格で?!というのは、こういうことでもあり。革命的な技術が発見されない限り、安さのツケは働く人の人件費か材料の値段を下げるしかない。で、モノの値段というのは「安全を買う」ことでもあり。特に最初の言葉にある3つは普段意識しないけど、何かあったらとりかえしがつかない被害が出る。 コストダウンのしわ寄せはこういった他人の安全にも無頓着になる。というか自炊ならともかく外食でのデフレ状況は「こんな安い金でまともなものを食えると思うな!」ってことで。
2014.07.25
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なんだかパクられた絵師の方がぱくり元が「この絵にはレイヤー60枚使っている、だからこれは自分の絵だ」という言い訳に「絵のレイヤー、これは290枚も使ってるよ!」という言葉だけが独り歩きして、なぜか絵描きの間で絵のレイヤー枚数論争になっていて笑ったのですが。 このように、自分で絵を描く人というのはそれぞれ「自分の型」を持っています。たとえば美少女絵であっても下絵は紙に描く人、直接画面に描き始める人。色塗りも影を後から付ける人、反対にだいたいのシルエットを入れてそこから細部を削るようにする人、瞳の書き方、髪の毛の塗り方、特殊効果の入れ方、色の濃淡・・・ あらゆることが過去の自分の経験(本などの知識も含む)から独自に構築したやり方で描いている。だから、これだけ個性が出るし思い入れもある。結果は「一枚の絵」だけど、そこには様々なものが詰まっている。 私は上のレイヤー騒動で思ったのは「そうそう!絵描きって自分のやり方が正義だし、もっといい方法を見つけたら簡単に宗旨替えできるのもいいよね」と。絵を描く技法は誰に迷惑かけるのでもない。己のやりたいようにやればいいし、他人が自分と違うからといって気にすることはない。皆に合わせて均一な表現を求められるアニメーターさんの世界であっても方法論や手順が人によって全く違ったりしますから。 己の中にしか正解がない、それが「自分の絵を描く」ということなんだし。
2014.07.23
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昨今あった幼女誘拐事件でメディアが執拗に「オタクの犯行」を強調するのはけしからん!オタク以外のDQNがやってもこういう報道はされない、こういうことから本来事件とは関係ない無意味な差別が生まれる。犯罪は個人の罪でアニメもマンガも何の関係もない! ってツイッターでまっとうな書いてた人が、普段は在日外国人は犯罪者的ヘイト文を書き散らしている人間であることにげんなり。ツイッターの履歴を読んでみたら、何か犯罪があるごとに「在日の仕業」とか何の根拠もなく断言している。 自分が言っていることは同じ無意味な差別の温床になることを何もわかっていないのだろうな。 自分もオタクだけど、オタクすべてがいい人だと思っていない。自分の好きなものに固執するあまり独善的になり、他人に多大な迷惑をかけて遁走する人間なんてコミケでよく見かける。もっとも、それ以上に親切で、思いやりがある人をたくさん見ている。 ましてや国籍なんて自分で選んで生まれたわけじゃない。自分もたまたま日本人の両親の間に生まれただけで、たまたま日本に住んでいるだけだ。日本人だから、という理由で犯罪もしない訳ではない。 オタク差別も人種差別も根本は同じ「自分とは違う」と都合の悪いグループから距離を置いて安心するための方便でしかない。
2014.07.22
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夏のコミケが近づいてきまして。カタログを書店で買ったのですが。いつも楽しみにしているマンガレポート(コミケに関する当日の感想などを投稿するコーナー)のなかで「コミケではお金で手に入らないものが多い」 というすばらしいマンガに思わず膝を叩いた自分。 そうなんですよね。コミケってお金じゃ解決できないものが多いのが魅力の一つでもあり。たとえばサークル参加も抽選なので、大手でも落選する場合があります。また、ほしい本があっても変えない場合もある、一般参加では長い行列に並ばないと入れない。どんなにいい画材やPCを手に入れても基本的な画力は訓練しなければ上手くならないし、うまい絵だから売れる同人誌が作れるわけでもない。委託販売などをしていないサークルも多いので、ここでしか買えない本もたくさんある。そういったものは一期一会なので次の機会があるかどうかわからない。暑い、寒いはあれだけの人数の中ではどうにもならない。 あらゆる意味で「不自由な」イベント。しかし、だからこそ「お金じゃ買えない価値がある」と。 コミケでは個人のわがままを金の力で解決、という一般的なお客様商売と違って自分に周りが合わせてくれることが本当にできない。「そんなのいつまでもアナログなやり方しないでネットで販売すりゃいいじゃん」と思っている人は、おそらくあの場所の高揚感や祭りを楽しむ感覚は伝わりにくいと思う。 便利なことだけが楽しさではない、ということでもあり。だからコミケにはあれだけの人が集まり、こんなに長く続いている。単にエロ本の巨大市場としか見ていない人がいることが残念でもあり。 とはいえ、ほしい本を躊躇なく買うだけの軍資金は必要なので、みなさん、余裕をもってコミケを楽しみましょう。
2014.07.21
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ここしばらくBlogの更新がなかったのは夏コミにむけてソフト開発の影響で。 で、一週間近く毎晩3,4時までひたすら動画の色塗りをしたアニメカットがようやく完成・・・たった1カットで150枚以上使っているという、まさにアニメータの珠吉さま渾身のカットです。 しかし、この150枚という枚数、実際はセルの重ね合わせ差分であったり、ループ用に切れていたりと一概には言えないのですが、単純計算だと5秒程度で終わってしまう。 「アニメーションというのはトンネル工事に似ている。コツコツ何年もかけ、山を貫いたとして車で通り過ぎるのはほんの数分」 という言葉がありますが。実際、それが毎週30分のアニメとしてこの国では年間に100本以上放送される。しかも、クオリティーは年々上がっている。アメリカなどではずでに手書きアニメが淘汰されつつある現在、いまだにCG以上のクオリティーをもって作られ続ける、そして多くのファンがいるこの国は本当にアニメ、マンガ、ゲームといったオタク向けコンテンツが充実しているなと。 本当にこの情熱は世界に誇ってよい、しかし、それを国が自分たちの都合のいい表現規制をしようとする。「子供たちの教育によいアニメや漫画を」って思っているなら、そういう人間が身銭を切って作ればいい。他人の作っているものに口を出すな。 こういうのは自分たちが物を作れない人間がその成果や権威、他人の苦労の成果物だけを「クールジャパン」などと称して自分の手柄のようにふるまいたいのだろうな。そう考えるとこの一枚の動画を作る、ということを経験するのが、そういう仕事にかかわっている方々に尊敬と、敬意と、そして、自分もがんばろう、って思えます。 「作り手がどんな苦労をしたとして、そんなものは評価に値しない、作品は結果がすべてだ」 その通りだと思う。ただ、この言葉を言っていいのは「自分の作ったものに対して厳しい目を持つ人だけだ」と考えている自分。 外野で自分が何も損をしない人間が中の方針をどうこうしよう、などというのは「おこがましいことだと思わんかね?byブラックジャック 本間先生」
2014.07.19
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3Dプリンター:わいせつデータをメール頒布 警視庁逮捕 え?と思ってしまいましたが。これっていったいどうして罪になるのですかね? たとえば、その手の販売店に行けばリアルな女性のアレをかたどったモノなどは売られている。それは実際のものでない偽物であるから許される。 その考え方だと、さらにその上3Dデータという架空の造形物のデータであること。警察はそんな間抜けな造形物の鋳型も取り締まろうというのか、という、頭が悪いとしか思えない。だいたい、それによってどんな「社会的被害が出ているのか?」がまったくわからない。誰にも被害が出ていない個人の嗜好の範疇であれば、文句を言われる筋合いはないはず。 で、この逮捕の理由って結局Hなマンガを取り締まれ、って連中の発想と同じで「(自分の理解できないことは)風紀を乱す」という発想でしかない。そもそも3Dプリンターの最大の魅力は「自分で何でも作れる」じゃないのか?3Dプリンターのデータでダビデ像を作ったら股間がリアルだから上と同じ理由で捕まるのか? 線引きがあいまいである以上、個人の嗜好を法律で取り締まりようがない。である以上、どんな人間も逮捕できる。 社会の健全化といいつつ、恐ろしく低レベルなことに警察権力が顔を突っ込む。実にバカバカしい。
2014.07.15
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「世の中、計算とか数学では割り切れないことの方が多いんだ!」と言っている人が、単に自分が計算が苦手なだけであることがある。 職人の長年の経験と勘、だと思っていたことが、食材の分量とそれに対する調味料の配合比率、手順をあわせたら誰にでもできることだったり。苦労して何年もかけて会得した包丁の技術を、機械のスライサーがそれ以上の精度で素早く調理してしまったり。 思うのは、長年の感とか経験というのはその都度状況対処のレパートリーやそこから発展性があることだと思う。安定して均一な商品を作ることに対しては逆に機械化とかマニュアル化、自動化した方が上をいかれてしまうケースが多い。それを「職人芸」として誇りに思っていると危険であると。 職人の世界、というと聞こえはいいが、職人じゃない人間に機械を使って同等の品質のものをあっさり作られてしまうケースをよく見かける。そうなったら「手作りの味わい」的な言葉に逃げるしかなくなってしまう。 自分の今やっている仕事(ゲーム作り)なんて、ハードの高性能化ですぐに自動化にとってかわられてしまう世界だからなあ・・・
2014.07.15
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某ブラック企業で世間を騒がせている会社の社長が「お金じゃなく社会に貢献することが社員としての生きがいや誇りにつながっている」と妄言を吐いていましたが。 少なくともきつい仕事であっても収入が大きい仕事、というのは働いている側に誇りとか、仕事に対するやりがいを与えます。しかし、反対に厳しい環境、残業代が出ない長時間労働、圧倒的人数が足りない状況での低賃金でしかも病気などになった際の何の保証もないバイト扱いでは、いったい何に生きがいや誇りを見出せというのか? 「お客様の笑顔のために」であったら、その客に店の混雑が人手不足でこなしきれず、死んだ目で対応している外食チェーン店の店員などを見るにつけ、誇りもクソもあったもんじゃないなと。「仕事なんて選ばなければいくらでもある」というのは「どんな条件でも拒否権がない奴隷になれば仕事はいくらでもある」ってことじゃないと思いますが。
2014.07.13
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同人の商業的感覚について思ったこと。 今回のニトロプラスの一件で「このやり方(部数制限)を他の出版社などが右に倣えで真似されると作り手も意欲を損ねる」とか「200部限定されるとたとえば大手の本が転売屋に買い占められて手に入れにくくなる」とか「とらのあななどの委託販売を委縮させることはひいては日本のアニメや漫画の表現を委縮させることにつながる」という意見に違和感を持った自分。 なんだか言っていることがすべて「自分たち(同人側)がお客様意識になっている」というか。 さまざまな考え方があると思うのですが、私は2次著作同人というのは「とてもじゃないけど同人側が自分たちの権利を主張できる立場ではない」と思ってます。ではどうして昔からこの行為がメーカーなどから温情で見過ごされてきたか?それはこういう草の根的なファンの行動が作品の人気に寄与される、と認めていたからでもある。 だけど、それにたいして別の方向から、たとえば創作性の薄いグッズ、一部データをそのままコピーしただけの商品、正式な窓口があるにもかかわらず、そこを通さない公式に近いスタッフ関係者の本などで見過ごせない利益を上げているサークルの衣をかぶった業者、その同人誌をスキャンし、画像を並べただけのアフェリエイトサイトが多数存在すること。 さらには転売屋に代表されるファン活動とはかけ離れた、利益を得るためにのみ動く連中の跋扈、またファン活動の暴走による原典作品そのもののイメージを低下させる行為など、特にネットでその手の悪評が広がりやすくなった現在、見過ごすことはできない、そういうことだと思います。 同人のお客様意識問題はコミケでもカタログで以前から口を酸っぱくして警告されていますが、「自分が人気サークルの同人誌を買えなかった=サークルの怠慢」のような考えを持つのは同人がどういう立場か理解していない一般の人まで買えるようなものになってしまったことでもあり。 繰り返し書きたいですが、日本のコンテンツメーカーは一部を除いて同人活動を「正式には認めていません」だからこそ、先に描いたようなお客様意識で不満をメーカーの悪評につなげるような行為は失礼なのです。 幸い、多くのメーカーは同人を黙認してくれています。が、この黙認はたとえばコミケ準備会に「うちの会社のゲームソフトでコミケのイベント会場で活動をさせないでください」と警告があったら、準備会側は従わざるおえません。それは横暴でもなんでもない、本来の権利者の権利なのです。著作権というのはそれだけ作った側に強い権利が与えられている性質のものです。 ましてや「転売屋に買い占められるから~」のくだりは、どこまで自分たちに都合のいい、ずうずうしい意見なのか考えてほしい。無許可で、個人制作で、部数が限られている同人誌は一般商品と違って手に入らなくて「ふつう」なのだ。
2014.07.13
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多様性がない文化は衰退する、というお話。 たとえば最近はアニメの本数が多すぎる、そのため作画が途中で荒れたり、ひどいときには放送に間に合わないケースまである。アニメ会社はもっと本数を絞って一本に予算を集中させるべき という意見。 これには2つの無理がある。まずアニメ会社は基本、自社制作でない限りクライアント(出版社であったり、メディアを持っている会社であったり)から提示された予算でアニメを作る。当然、その予算はその作品にしか使えない。別の作品のアニメーターに回したりはできない。 もう一つ。アニメのクオリティーとは動画枚数とか、豪華な声優とか、CGをたくさん使った、といったものでは決められない。作画がすごいけど駄作など過去にたくさんある。予算を集中させて動画の枚数を倍にしてぬるぬる動いたらいいアニメになるか?そういう話ではない。オタクにとってクオリティが高いかどうか、ってのは結局放送で見た後にしか判断できない。つまり、作る側も制作前に「クオリティーの高いものだけ作れ」ができない。オリジナル作品は特にそうなる。だれが放送前にガルパンやまどかがあそこまでヒットすると予想できたか? 以前にも書きましたが、ピラミッドと同じで高い頂点を作るには底辺の広さが絶対に必要です。その上澄みだけ集めてそれ以外は切り捨てろ、になったら、結局多様性も発展性もあったものじゃない。昔はメジャーマンガ雑誌の作品しかアニメ化できなかった時代と、今のように聞いたこともないマイナー作品が放送される時代、どっちが選択肢や見る側の嗜好にあっているか? 少なくとも昔よりアニメの平均的な作画水準は極端に上がっている。こんな状況で「昨今のアニメの質は低い」と嘆いているとしたら、それは自分の脳が都合よく過去を美化しているだけだ。少なくとも私はここ一年でも「ああ、素晴らしい作品に出会えて本当に良かった!」と思える作品が10本はある。どれも個性的な作品でこれこそ多様性の恩恵だ。 単純に数を絞って質を上げる、ってことができない世界なんです。
2014.07.12
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ウナギが絶滅危惧種として扱われる、という記事を読んで思ったこと。 たとえば、昔捕鯨が日本で盛んだったころ、捕鯨反対運動がなかったらおそらく日本人はクジラを絶滅させていたと思う。現実にあの当時、一部の種のクジラは絶滅危機にあった。もちろん、日本だけが捕鯨をしていたわけではない。しかし、当時非常に大きな需要国であったとは確かである。 ウナギの減少がこれだけ騒がれているにもかかわらず、相変わらずスーパーには安いウナギのパックが並んでいる。同じことはマグロでも、アナゴでも、それこそ取りつくされるまで終わらない。 日本の漁業関係者もバカではない。マンガ「築地魚河岸3代目」にあったが、秋田のハタハタが一時期取りすぎで数が少なくなった時、ハタハタ漁を一時期禁漁にして水産資源回復を待った。同じことはホタルイカやサクラエビなど、各所で一回の量制限を行い、長く漁が続けられるようにしている。また、天然ではなく、養殖というのも立派な水産資源回復に寄与している。 ちなみに新谷かおるさんの商社をテーマにしたマンガ「エラン」でもあったが、過去に日本の商社は海外でエビを大量に仕入れるため、現地の漁師に漁船や網などを買うお金を融資し、大量にエビを取らせて買い取る。結果、3種類のエビが絶滅した、ということがあったそうで。 この絶滅したエビとウナギに差はほとんどない。海外から安く大量にウナギが入ってくる、ということは、どこかで種を絶滅させるほど取りつくしているということ。
2014.07.11
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同人関係の話題で最近「2次創作はどこまでOKなのかわからない、そこを明確にしてほしい」という意見をネットで見るようになりました。が、これは昔からはっきり明確な基準があります。 それは「権利者が許すかどうか」です。 はあ?それがわからないからこまってるんじゃないか!という方もいるかと思いますが、実はこれが本当にすべてなんです。どこかの会社は許しているからほかも大丈夫、などということはない、いや、同じ会社であってもこういう同人は許すけどこういうのはダメ、と、個別に権利者は自由に選択できる。そして、そこに「横暴」という言葉は存在しない。権利者の一存ですべて決定される。自分もそうあるべきだと思う。たとえば最近だと艦これは同人誌に関しては比較的寛容ですが、規約の中に「プレイヤーに選択肢があるゲームはダメ」であると明記されています。こういう使い分けができる。東方のように基本同人はすべてOK,というスタンスもある。 そして何より、企業がサークルに待ったをかけるというのは、現行では相当に個人の趣味を逸脱した行為でなければ発生しえない。むしろ作る側が「これぐらいは大丈夫」などという基準を求めてはいけない。 例のニトロプラスの一件でわかったこと。同人というのが随分メジャーになったのは昔から同人をやっている人間にとってはうれしいことだけど、ちょっとでも権利者がこの手のことを言うと「自分たちの権利が脅かされる」と過剰に攻撃する人が一定数いる、ということ。 どんなに大きくなろうと、2次創作は基本、他人の家の庭先で遊ばせてもらっている、そして、いつ家主の心変わりで追い出されても文句を言えない、その覚悟がある人だけ2次創作同人をやってください。それが嫌なら、自分が権利者になれる、オリジナル同人をするべきです。世間的認知がない作品を個人で売る、というのがどれだけ大変なことであるかわかると思うし、2次創作がどれだけ「下駄を履かせてもらっている」かを知ることができると思います。
2014.07.10
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前に自衛隊の訓練教官をしている人の話で「最近の若い奴らは根性がない、自衛隊で精神を鍛えなおすべき」って意見があるけど、今でも厳しい訓練に耐えられず辞める人間が多いんだけど、そのひとをどうするの?」 という話を聞いて笑ってしまいました。 もっとも、「自衛隊で精神を鍛える」なんて言っている人間がその厳しい訓練を経験していると思えないし、たとえば自分もその対象になったら絶対反対すると思う。人生の一定期間を強制的に奪われ、精神を鍛える、という名目の無意味な訓練に明け暮れる行為の愚かしさは、今だ徴兵制のある国で経済活動をどれだけ阻害しているか。 何より恐ろしいのは未だに太平洋戦争時代の精神論ですべてを解決できる思想がこの国では生きていること。それで破たんし、歴史上類を見ない被害で国を滅ぼした経験が戦後70年も経つともうすっかり風化してしまうということなんだろうな。 若者の貴重な青春の数年間を徴兵で無駄にするより、搾取じゃない経済活動にちゃんと組み入れることが大切だと思うけど。
2014.07.09
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「マンガやゲームやアニメであろうと嫌らしい内容である創作物を許せば子供に悪影響を与える」という主張は、そういう文化がない国よりずっと性犯罪率が日本は低いこと、さらにこの国も昭和30~40年のいわゆる「3丁目の夕日」時代に比べるとずっとその手の犯罪率が低いことを指摘しても、上の主張を叫ぶ人は絶対に認めないと思う。 つい最近の産経新聞のコラムでも、児童ポルノ法案可決の際にマンガやアニメは対象外だったことに対して「だが現実には、幼児を性的対象とするような「作品」が氾濫している。架空の創作物であれば何でも許されるのか」という主張に「許されるにきまってるだろ!何百人虐殺しようと原発を爆発させようと誰にも被害が出ない、それが架空であり創作なんだ」と 要は「自分の趣味に合わないものを他人にも見せたくない」という独善的な考え方で。そういうマンガを見たいくない人のために売り場をゾーニングする、というのは認めたい。けど、そういうものを作りたい、ほしいという人を認めないというのは、それこそ「産経新聞というメディアはおれの主張と違う、だから、販売も流通も許さない」と言っているのとおなじだと気が付いていないのだろうな。 趣味には様々な価値観があり、それを個人の嗜好で選べるからこそ多様性がある、にもかかわらず、そんな根本的なことを法律で規制したいというのは自分の首を絞める縄を自分で編んでいるようなもので。特に、言論とか表現の自由を奪われたら何もできなくなる新聞社が言っていい言葉とは思えない。それは太平洋戦争で実際に経験したはずなのだが。
2014.07.06
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ゲーム会社のニトロプラスが自社のゲームの2次創作作品、いわゆる同人に関して様々な決まりを決定しました。 わかりやすく説明すると 200部以下なら問題なし。 10万円以下の売り上げであれば許す、それ以上の場合は連絡を というもの。詳しくは各自で確認していただければですが。 で、自分の意見ですが「この200部というのは非常に明確なライン、というのは、コミケでも200部以下の売り上げサークルが全体の過半数(以前のコミケカタログでのアンケートより)そしてなにより、同人誌を売って黒字が出る販売部数というのは交通費やサークル参加費など考えるとだいたい200部以上出さないと。ということで趣味でやっているか、利益が出る営利活動かという差がはっきり出るラインだと思っています。 誤解してほしくないのは、同人活動というのは他の会社の場合、基本認められていません。あくまで「黙認」です。しかし、昨今この親告罪であることを利用した業者による一般流通と変わらない商品展開、たとえば公式のイラストレーターを使ったキャライラスト画集やグッズなどが「同人である」という隠れ蓑で横行しています。前々回のコミケでも有名アニメのほぼ公式といっていい参加メンバーの絵を集めた同人誌が販売取りやめになったり。 同人という文化が昔の、それこそ一部マニアだけの狭い市場であったならともかく、ネットを使った一般流通とほぼ変わらない取引ができた場合、それをどうコントロールするか?そして、ニトロプラスは「あくまでファン活動である、という条件を付けるかわりに公式に認める」というかなり踏み込んだ決断だと思います。 上記案件に対してネットでニロトプラスを非難している意見を見ましたが、それは違う。同人文化の「ファンの交友の場であるすそ野を広げる」という部分はきっちり守っています。そして、それ以上の商業的利益を上げよう、という人にはきっちり筋を通せ、というお話で。 むしろ、公式に2次創作同人をできる、ということが破格のサービスなんだけど・・・気が付いていないとしたら本来の著作権意識にヲタクが恐ろしく鈍感になっていると思う。
2014.07.05
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自分が最初にゲームっぽいゲームを作ったのは確か小学4年生ぐらいのころ、当時のパソコン雑誌に掲載されていた「砦の攻防」というプログラムを、内容もわからずただリスト通りに打ち込んで動かした経験だと思います。 小学4年生と言ったらプログラム教育はおろか英語すらまともに知らない、本当に文字の羅列をただ入力していたころで。で、その原体験が今のゲーム開発に従事するきっかけになったと思います。 ゲームを作りたい 上の文章を読んで思ったのは「ゲームを作る才能があるとしたら、プログラム技術でも、優秀なアイデアマンでもなく、単純に自分の持っているもので何とか形にする、最初から最後まで通しで作る才能」だと思ってます。 特にプロじゃない、同人などでゲームを作っている人はそれこそ学生にもたくさんいる。そういう人が必ずプログラム言語で作っているかというとそうでもない。ノベルゲームであればNスクリプト、シューティングであればシューティングビルダー、RPGであればRPGツクールなど。音楽もフリーの素材があるし。 この文章を書いている人を見ると、ゲームを作るためにはプログラムを知らなければいけない、そこで躓いている、というか。それはあまりにもったいない。初心者がいきなりC言語などに手を出せばまず画面にキャラの絵を表示させ、パットで左右に動かす、ところまで作るだけで挫折する場合がある。しかし、上の各種ツールを使えば数時間で基礎的なものができる。あとはその中にあるデータを「自分好みに」書き換える。どちらがゲームを作っている楽しみが味わえるかといったら、断然後者である。 間違っちゃいけないのは「ゲームを作りたい」という欲求の根源は、あくまでモニターの上で自分のやりたい表現ができること。そのためになるべく最短ルートで、もっとも楽で、もっとも熱が冷めないうちに具現化すること。 ちなみに「いや!そうじゃない!自分の作りたい表現は既存のツールでは再現できないんだ!」という段階になって、初めて本格的なプログラム言語を勉強するのが正しいと思う。それは一流のプロスポーツ選手になって初めてウエアや道具にこだわるのと同じ。 それに既存のツールで出来ないようなゲームシステムを、プログラムを何も知らない初心者がいきなり作れるわけない。作れないのは「何が足りないのか」がわかっていないから。 何より、私もそうだったけど最初は失敗します。絶対。途中で投げ出してしまった制作物なんて何本あったか。が、その投げ出した失敗経験をそのまま放置すると単に「過去の自分の汚点、無駄な努力、根性なし」と、ネガティブな考えに陥りますが、その失敗した経験値は確実に累積しています。で、「もう一度」となった時に必ず役に立つ。自分の身の丈を知る、ということなのですが。 だから私も趣味で同人ソフトを作っている場合、その「身の丈に合った」ところしかやらない。で、足りない部分を他の方(原画氏のとく村長さま、アニメーターの珠吉さま、アニメスタジオさま、フリーのツール)にやっていただいて、自分の作りたいものをコツコツ作っています。 次回のコミケで3年ぶりに新作が出せます。同人に限らず、ゲーム作りとはそういうものじゃないかと。
2014.07.02
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そういえばWカップに限らずだけど、スポーツの国際試合などで負けた側の選手が悔しそうにしていないと「負けたのにへらへらしやがって!」みたいな叩かれ方されるの、あれ、なんなのだろう? 少なくともTVの前で娯楽、暇つぶしに見ている人間なんかよりその競技に真剣な選手であるし、その選手が負けた後に見せる表情は泣いていようがにやついていようが、怒っていようが、本音の顔でしかなく。それを自分たち視聴者の納得できる悔しがり方の演技をしてでも見せろ、という傲慢としか。 少なくともエアコンの効いたリビングで酒飲みついでに見ている人間が「国を代表している以上、死んでも勝て!負けたら腹を切れ!」なんて勇ましいことを言っているのを聞くと「うわあ・・・」と思ってしまう。自分は実生活でそんな覚悟ないから言える言葉なんだろうなと。
2014.07.01
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