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ジャズの異才・菊地成孔が語る表現、若者、SNS この中で若者論は置いておくとして、一つ同意したのは>物事に打ち込むには、沈黙が必要で、ため込む時間がいるという言葉。これと同じことを学生時代に当時の絵の先生に言われたのですが「物を作るというのは弓矢の弓をぐーっと引くことで、その時間にどれだけ力を貯めこみ、撃つ方向性を見定め、タイミングを計るかが重要。それは地味でつらくて苦しい時間だけど、大きく強く引いた矢は遠くまで届くし、狙いを定めた矢はきちんと的に突き刺さる。自分に体力がなければ大きな弓が引けないし、コントロールできない。発表というのはその矢を解き放つ一瞬でしかなく、その瞬間のために作り手は長い時間と労力をかけている。下手な鉄砲数うちゃあたる、ってことわざがあるけど、課題提出と同じで実際はいい加減に撃っているとどこにも突き刺さらない。かといっていつまでも撃たなければどんな努力も無駄になる。今作っている未完成なものの自慢は語るな。完成品を発表してすべてを語る資格が出る。世の中、我慢できずに未完成で投げ出した連中のいう「名作になったであろう作品」などいくらでもあるが、それらは全く評価の対象にならない、矢を放つ前にあきらめてしまったものだから」 という。 結局世の中の創作物の輝きはその矢を射れたものだけに与えられるもので、そのために作り手は作りたいものへの感情を小出しにしたり、今作っているものを他人の批評を恐れてふらつかせたりせず、いろいろため込む時期感が必要なんだなと。
2014.08.31
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夏のコミケでうれしかったこととしまして、まずサークル会場準備の時に自分が「この人たちすごい」と以前Blogで取り上げさせていただいたサークルさんがわざわざ新作ソフトを持ってご挨拶に来ていただいて。恐縮するやらうれしいやら。先方様もたった2人で超絶アクションゲームを作ってらっしゃる人気サークルさんで、お話をしていると少人数で作っている苦労や、それによってできるこだわりとか「うんうん!そうですよね!」と。また、こちらのアニメノベルも続編楽しみにしていただいていたようで、ありがたや。 他にもわざわざ続編を待っていてくれた方が多く、それは本当にありがたい。普通、オリジナルで3年も前に前作作ったゲームなんて忘れている。のに憶えてくれていた、サークルチェックして買いに来てくれたというだけで涙が出ます。 本業でゲーム作りをしていますと、こういった「直接買い手の目を見て物を渡し、対価をいただく」という行為はまずありえません。開発者はデータを納品してそれで終了。あとは発売後にネットやアンケートで感想を見る、ぐらいで。 そういう意味ではやっぱりコミケの面白さってサークル参加に限らず結局は人とのつながりだなあと。たとえば自分の大好きなサークルさんの新刊を買う時に「いつも楽しみにしてます」と一声かけるだけで本当に嬉しそうにしてくれる。珍しいジャンルで自分の趣味にビビビっと合ったサークルさんと「このジャンルいいですよね」から始まる会話とか。 あまり長話されると迷惑だと思いますが、同人誌って本来「同好の志を持った人間同士の集まりで作った本」であり、コミケはそういう人が集まる場所であったはずで。 施設や参加者が多くなっても準備会がいまだに「全員が参加者である」という理念を捨てないことを理解しないといけない。単に本を売る側、買う側になったらそれこそ「俺は客だぞ!」という輩が場をめちゃくちゃ荒らしてしまう。 単に本が欲しい人はそれこそネット通販でも、とらのあなでも利用すればいい。それだけじゃないから皆が暑い中あんなに大勢、全国から集まるイベントなんだし。
2014.08.29
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今の漫画家やアニメーター、ゲーム屋は生まれた時からアニメやゲームが豊富にある時代で育ったからダメだ、黎明期の人間はそういうものがないから読書とか映画とかラジオとかさまざまな別ジャンルから影響を受けているから表現に幅がある。 って意見を見たけど、黎明期って当たり前だけどほかに参考になるものがないからそちらから影響受けるしかないんだよ。別に意識してたわけじゃないし、すでに30年前の漫画家やアニメーターに対しても同じようなことが言われていた。 人間、何に影響受けるかなんてわからない。若いころに世界中を回っていろんな体験をした、あるいは学生時代、映画を年間100本以上見た、と自慢しているけど実際仕事に全く役に立っていない人だってたくさんいるように。 アオイホノオ世代、1980年代に青春を迎えたオタク世代が、すでに50歳近くになっている。その世代ではすでにパロディーや名作と呼ばれるアニメ、マンガが身の回りにあった世代。そしてそういうものの影響を受けて作られた作品の影響を受けてさらに新しい人が創作をしている訳で。 そして何より勘違いしてほしくないのは、今の世代は昔よりはるかに他のジャンルを見る機会がある。気軽に触れる機会があるから、マンガしか読まない、アニメしか見ない、ゲームしかやらない、なんて人間の方が少ないよ。 むしろ一般人なんかよりずっと刺激を求めて貪欲にいろんなものを見聞きし、体験していると思う。そうじゃなければ埋もれてしまう業界だし、現に昔に比べて数が増えた分、アニメもマンガもゲームもジャンルが広がっている。一昔前のミリタリーオタより、艦これで興味を持った人間が情報が多い分、そういう人より圧倒的に知識が多い&新しいこととかもある。 豊かであるというのは選択肢が豊富であるということ。それしかなかった黎明期に比べてなんと今が充実していることだろうか。
2014.08.28
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コピーライター糸井重里さんがツイッターで福島県の桃の話をしたら、それに対して「放射能汚染食品のプロパガンダ」「殺人未遂」みたいないわれのない誹謗中傷の攻撃をされたことに関して。 で、思うのは福島編の中で風評被害に関してたとえば農家の人が逐次測定し、規定量を超えていないから安全である、としても「万が一」ということを考える人はいる。しかし、そういう人にとっての「万が一」というのはいったい何を基準にしているのか?ということ。 「福島の食べ物は危険だ」という人は、どうして福島産というものにだけこだわるのか?福島の県の形というのは人間が決めたもので、たとえば原発から放射性物質が空中に飛散したとしてその県の形にだけ広がるわけじゃない。同じ福島でも広く、距離的には隣接他県より原発のあった場所から直線距離で遠い場所もある。 で、上の糸井重里さんを攻撃していたツイッターを書いている人の他の書き込みを読むとわかるのですが、科学的知識のない単なる偏見のオンパレード。「そのモモが安全である証拠があるのか!」って、出荷前に農協が検査して合格判定を出しているからこうして店頭に並んでいることは無視しているか、あるいは知らないのか。 この桃に限らず、世の中には「信用できない」と叫びつつ、その疑う根拠が信用できない人が大声を上げたがる。食品の安全に限らず「この電車は事故を起こさない」と信用しているから公共の乗り物に乗っているんだし、「水道の水を飲んでもおなかが痛くならない」と信用しているから飲んでいる。そういう人はこれらもいちいち自らチェックしているのか?していないだろう? 食べたくない人に無理に福島の物を食べさせる気はない。安全性が気になる、というのであれば避けていい。それは個人の自由。しかし、きちんと現地でそういうことがないように地道に調査、検査して「安全である」という結果を出した人間を何の根拠も科学的知識もなくただ「福島という名前がついている=信用できない」とわめいている人間がいたら、そういう人間こそよほど信用できない。現地の人に対する偏見からの冒涜であり。それがどれだけ間抜けな論理であるかという証拠は、たとえば視点をぐっと引き上げると海外では原発事故があったということで「日本の食品は危険」ってとらえているんだぜ?でも北海道も沖縄も全部含めて日本産になりますから、この手の風評がどれだけいい加減かわかる。 マンガ「そばもん」の中にもあったのですが「県境なんて人間が決めたもの。自然には関係ない」
2014.08.26
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「オリジナリティー」とはなんだろうと考えたお話。現在、TVで劇場版のエヴァが数週に分けて放送されていますが。 この作品に対して漫画家の田中ユタカ先生がツイッターで「エヴァンゲリオン」ってつまり日本のアニメの面白さの記憶の塊なんだと思います。すべて引用です。それはオリジナリティのなさということではなく、まったく逆で、それこそが本物のオリジナリティなのです。オリジナリティとは膨大な引用であり、つまり歴史です。 #エヴァンゲリオン と語られていてなるほどなあと思ったり。 確かにエヴァの設定やキャラ、メカ、宗教的イメージなど、過去のマンガやアニメからいろんなものを如実に影響受けている。けど、それら全て引用で構成すると全くのオリジナルになれる。 よくちょっとでも似ていると「○○のパクリ」みたいなことを賢しらに言って悦に入る人がいますけど、そういう人間はオリジナルは作れない、なぜなら自分も必ず何かの影響を受けて育っている以上、何にも似ていないもので面白さは作れない。むしろ「他人がやっている、パクリだといわれるかもしれない」という安いプライドが邪魔して面白いと思っているものを避けたとしたら?それは単なる不純物でしかない。 ドラマ「アオイホノオ」でも、課題の映像制作物でアニメを作ろうと意気込んだがオリジナリティーのある決定打が思いつかず、煮詰まった主人公がアニメショップで流れているOPアニメの映像をみていたところ、そこに後のエヴァなどを作るガイナックスのメンバーもやってきて「この映像のここがすごい」と映像の評論になっている、その姿を主人公は嘲笑する(・・・こいつらダメだ。単なるアニメ好きだ。映像を作る側じゃない、見る側の人間だよ・・・こいつらが作ったとしても単なるパクリしか作れない。それじゃあダメだ) しかし、その結果は、発表会当日、主人公はまったく手を付けられず課題提出を放棄。反対に庵野率いるグループは今も伝説になっているすさまじい映像を作ってくる。口だけではなく、手を動かし続けた人間であったという。その差に落胆する主人公。 まさに「作ったもの勝ち、作れたもの勝ち」の世界で。頭の中でこねくりまわして結局何も作れなかった主人公のみじめな姿は笑いと共に物を作る人間にとっての恐怖すら感じました。 最初のオリジナリティーの話に戻りますが、結局作ったものには完全コピーでない以上、何らかのオリジナリティーが宿るわけで、「○○のパクリ」という批評を恐れて作れなかった場合はパクリにすらなれない、そういう話かもしれないなあと。
2014.08.24
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たとえば、 夏コミで完成した「HIJK!」という同人アニメノベルは、よく「これ、どうやって作ったんですか?」と聞かれることがありますが、「時間をかけたから」としか言いようがなくて。 まず開発ツールは古いフォトショップCS,フリーのノベルツール「Live Maker」しか使っていません。一枚絵のイラスト部分はとく村長さまに、アニメーションの原画はアニメーターの珠吉さまに、動画は外注を受けているアニメーションスタジオ様に。音楽は配布OKのフリー音楽集から。 で、自分のやった作業はそれ以外。シナリオ、スクリプト、背景絵、アニメーション動画一枚一枚の着色、編集、UI,CD焼き、当日の売り子 上の作業を見ていただければわかると思いますが、特別なことは何一つしていない。アニメーションに至っても、きちんとお金と契約を守れば「プロの仕事として」引き受けてくれる会社はある。お金は本業の貯金から支払える金額をあてた。 自分で描けない部分、できない部分は他の方にお願いし、自分の出来そうな部分、その他面倒な部分を引き受ける。本業がありながら休日や会社からの帰宅後はほぼ毎日それら作業にあてられた5年でもあり。でも、苦労とは思わなかった、苦労と思っていたら絶対にやめていたはずだし。現実自分の書いたシナリオやキャラがゲームになるのは楽しかった。 一つ言えること。「上のやり方で誰でもできる」とは絶対に言わないし、出来ないのが普通であって。でも、できた人間に対してやってもいない人間が自分の想像力不足から「こんなのはたいしたことじゃない」と言ったらグーで殴ってもいい。それはこの同人ソフトに限らず、他の創作物、いや、プロスポーツ選手やあらゆるプロフェッショナルの仕事をしている人も皆同じで。 作品の面白い、つまらないを批評するな、というのではなく、自分の出来ないことが他人にはできた、という敬意と、他人の仕事に対しての尊敬は持っていたい。現に自分だけではなく、コミケにはプロでないのに趣味ですごいゲームを作る人がたくさんいて、そういう人の熱気にほだされて自分も作り手側になる人が多い。 失敗しても経験値は貯まる。経験値が貯まれば次にその落とし穴には落ちないよう成長できる。趣味なんだから失敗しても誰に咎められるわけじゃない。一人でだめならできない部分を他人に頼るのもいい。 地道にコツコツ5年やってれば、出来はともかく誰でも何らかの成果はある。他人の作ったものをただ斜めに叩くだけの5年よりはよほどマシな人生だと思うよ。
2014.08.22
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何年も給料が上がらない会社で毎日サービス残業を4時間もするような人は、恨まれたりしても定時に退社して自宅近所のコンビニで4時間バイトした方がよほど高給取りに慣れる。 という話を聞いてなるほどなあと思ったり。結局、残業代が出ない仕事というのは本来こういう単純な労働単価の思考すら奪ってしまう。時給800円だったとして一日3200円、ひと月20日であれば6万円以上の給与アップになる。 会社で副業禁止であるなら、その分の残業代は出せよ。と思うんだよなあ。
2014.08.21
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今回のコミケである意味一番話題をさらったのは演歌歌手:小林幸子さんがサークル参加、というやつで。で、どうなることかと思ったら実に誠実&模範的な行動に賞賛の嵐。さすがデビュー後なかなか芽が出ず、15年も下積みで地方の営業回りを経験した方はいろんな意味でわかっているな、という。 で、その中で気になった意見。これは小林幸子さんのサークルが、というのではなく、ツイッターで彼女の行動があまりにもプロフェッショナルであることに対して「小林幸子さんはすばらしい、それに比べて他の大手サークルはなんだ」「あの回転の良さはプロ、他の大手サークルも見習え」というもの。 ・・・あれ?それって買い手側に「お客様意識」が出ていませんか? 大手サークルであっても、基本は素人がその日だけ店番に立ってやっているケースがほとんど。慣れない会計にまごつくこともあるだろうし、あいさつ回りや買い出しにサークル主が出ていることもあるし、ついつい久々に会う仲間と話し込んでしまったりするのは「趣味として参加している」イベントである以上、別にとがめられることではなく。列の誘導トラブルや売り切れ問題などはあの混雑した会場ではどこでも起きる。むしろあまりに小林幸子さんを持ち上げるために他の大手サークルを「買い手側の利益のために貶めるような発言」をするのは違うと思う。コミケの理念にもあるように全員が参加者、対等の立場でありあの空間(時間)を好きなように楽しむ権利があります。 彼女を見て「すごいな、自分たちも見習いたい」と思うのはよいと思う、けど、買い手側が「(自分の利益のために)プロの仕事をお前ら見習え」ってのは違うと思う。むしろ、参加者全員があの規範的なコミケ参加者の行動を一人一人が見習うべきで。 特に彼女のCDを買うため徹夜とか、転売目的で開場前から並んでいるような基本的ルールを破っている連中にそういう戯言はいわれたくはありません。 まずは小林幸子さんに最大の賞賛を。そして、自分も含めて参加者全員が彼女のように振舞っていれば、コミケで起きるトラブルの大半はなくなるんだけどなあ。
2014.08.20
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中古のマニアグッズ販売店まんだらけの顔写真問題でこの件とは別に思い出したのが、まんだらけにおける盗品マンガ原稿大量販売騒動。 当時倒産したさくら出版という出版社に預けられたていた漫画家の生原稿が大量にまんだらけに売られた問題で。作家も有名作家のものも多く、少なくとも「マンガの生原稿が第三者から売られるなんてことは異常」であるにもかかわらす買い取り、販売した問題です。 まんだらけ側は「善意の第3者」であるという立場で漫画家側に返還を拒否したようですが結局漫画家側に無償返還することになりました。この件に限らず、まんだらけの販売物には首をひねるような、たとえば先週まで放送されていたアニメの原画とか、関係者しか入手できない設定資料原画などが多く出展されています。 最初の生原稿のような明らかに「出所がおかしいもの」をプレミア値がつくという理由で買い取り、販売する会社でもあります。だいたい、ワンフェスなどでディーラーが一日版権で許される人気フィギュアを「中古品として」ワンフェスのわずか数日後に店頭に並べて販売(おそらく転売屋経由)など、「中古である」という隠れ蓑で相当あこぎなやり方をしている。個人ディーラーは一日版権を取るのに多くの審査を経て、たった一日しか販売できないのですが。 万引き犯人写真公開事件とは別問題で思い出したので。
2014.08.19
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多くの日本人にとっては戦争の悲惨さ=太平洋戦争 のイメージになると思います。で、戦争は悲惨だ、悲劇だ、2度と繰り返してはならない、という考え方は、私は太平洋戦争で日本が徹底的に負けたことだから、だと思っています。 それは他国でもあって、たとえば太平洋戦争で勝利したアメリカでは、戦後いわゆるあの戦争を勇敢な冒険活劇的に撮った映画やドラマなどがたくさんあった。のですが、その後のベトナム戦争でアメリカは負け戦になります(いまだにあれは戦略的撤退といっている人もいますが、結果は明らかに敗戦となると思います)。で、ベトナム戦争の映画ではいわゆる「戦争は悲惨」系のものがほとんど。日本でも日露戦争はあれだけ凄惨な犠牲があったにもかかわらず勝ち戦であったことで、当時多くの美談、英雄譚、流行歌などが作られました。 結局、戦争って勝ち戦になれば英雄譚になり、負け戦であれば悲劇的ドラマとされやすい、でも、ベトナムもイラクも、それこそもっと以前の戦争もやっていることは凄惨な殺し合いであることには変わりはない。 怖いな、と思うのはよく「今の世代は戦争を知らないから戦争の恐ろしさがわからない」って意見がありますけど、実際に戦争経験者が多くいた時代にも終戦から3,40年も経てば軍隊経験をまるで英雄譚のように語る人も出てきたり、あのころは食べるものにも不自由した、苦労が多かった、それに比べて今の世代は~と、不幸であった時代さえ美化する。のど元過ぎれば、ってやつなのでしょうが。 負けた戦争が「悲惨な戦争」なのではない、ということを覚えておかないと。
2014.08.19
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ドラマ「アオイホノオ」第5話は、原作でも名場面だと個人的に思っている部分で、笑えるようで涙が出そうな、そんな心に迫るお話でした。 自信満々でマンガの原稿を東京の出版社に持ち込む主人公。しかし、編集者からはダメ出しすらされない、まるで相手にされない反応。それまで上から目線でマンガ業界やプロの漫画家を語っていたが、自信の実力はそのスタートラインにすら立てていない事に気が付いたみじめさ。その帰り道、オールナイトで上映されていた映画「ロッキー」を見る・・・それまで「あしたのジョー」のパクリ、みたいな斜め上からの感想しか持っていなかった主人公に、東京で徹底的に自信を失わされた主人公と画面内のボロボロのロッキーの姿が重なって涙が止まらない。「何かに似てるとか、そういう見方をしていたから・・・こんな素晴らしい映画の本質が見抜けなかったんだ・・・」 本当にグサグサ刺さります。若いころの自分の根拠のない天狗鼻を徹底的に現実が打ちのめす。その後、ドラマではさらに彼を打ちひしぐ悲劇、みている側にとっては喜劇が襲うのですが。 いや~このドラマは本当にいい!濃いキャスティングや80年代オタク文化のマニアックな要素でカモフラージュされていますが、本気でモノつくりをした経験のある人間であれば必ず経験したであろう挫折感や、自分の無能感に対するやり場のない憤りがえぐりだされ「もうやめてくれ!勘弁してやってくれ!」と言いたくなるような。 実際、こういった挫折経験が元で夢を諦めてしまう人が現実ではほとんどです。が、漫画家である島本和彦先生はこの原作を描けている。当時みっともない姿をさらしながら、それでも粉々の夢の残滓をかき集め、何度も立ち直る。それが出来た理由は何なのか? 青春ドラマの普遍的な「憧れと現実」というテーマのコントラストがすばらしい!
2014.08.18
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コミケ86、無事終了しました。ただいま帰宅直後です。 おかげさまでHIJK!は知人用に残しておいた分以外ほぼ完売です!やった!いやはや、どうなるかと思ったのですが、冬コミの在庫も兼ねて多めに作ったのが結局吐けてしまい、身軽に帰れるのがこんなにうれしいとは・・・ 特に今作は前作の続編、しかも3年前の続編というオリジナル同人としてはほとんど忘れられていてもおかしくない状況なのですが、多くの前作を買われた方がいらっしゃって、本当に涙が出るほど。 改めまして足かけ5年お付き合いいただいた原画のとく村長さま、アニメ原画の珠吉さまに感謝と共に、買ってくださったみなさま、ありがとうございました。 と、いうわけでまずはご報告。5年分の肩の荷がようやく本当にいい形でおりました。 同人で、しかもオリジナルで、アニメーションがある長編ノベルを作る、ということは本業がある人間でも「可能です」 という立証をここにしました。もう、これに対しては胸を張って言える言葉にできるんじゃないかと。
2014.08.17
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HIJK!後編のジャケットです。前編も含めると足掛け5年がかりになってしまいましたが。オリジナルのノベルです。18禁です。 3日目の西う-41b 「Fanta」にて。いやはや、ようやく完成しました。といっても今、CDを焼いているところですが。 改めまして絵師のとく村長さま、アニメーターの珠吉さまに感謝。オリジナルって手間がかかるんですけど完成したときは喜びも大きいです。 では、当日ぜひ。
2014.08.15
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まんだらけの万引き犯人の顔を期限内に盗品を返さないと公開する、という件に関して。結局警察からの申し入れを受けて中止したみたいですが。 このことに付随してイヤーな気持ちになったのが、早くもモザイクのかかった画像にタレントや有名人の顔を張り付けたコラージュ画像が面白画像としてネットに出ていること。もちろん、作り主はわからない。この手の下品な遊びをする人間はたくさんいる。 結局、単に騒ぐためのおもちゃの材料が欲しいだけの人間がいるということ。そういう人間が他人の人権とか、もしたまたま似た顔の人間である人への風評被害とか、私刑のおそろしさ、逆に警察の対応の矛盾などはどうでもよくて。 個人的に「権限のない人間の私刑をゆるしたらそれはいじめと変わらない。昨今の違法捜査問題などで警察は信用できないけど、その警察よりさらにいい加減なネット世論やデマをバンバン流しているまとめサイトにPV稼ぎの材料にされるため。そういう情報に信用性などもっとあてにならない」と思っています。 ちょっと前も某耳の聞こえないとされた音楽家の顔写真を使ったコラージュ画像が大量に出回りましたが、要は下種な遊びの素材をよこせ、であって、その手の連中を喜ばせる、ろくなもんじゃない。たとえばこの手のことを許したら自分の個人的に嫌いな人間の写真を「こいつは万引き犯です」と脚色つけて匿名掲示板などで公開すれば簡単にネット炎上させてその人を無実であっても社会的に追い込むことができる。ネット炎上っていつもそうですが、捜査しているようで裏を取っていないことが多い。単に同姓同名というだけで風評被害受けた人、企業などが過去にたくさんある。 マスゴミ などと既存メディアを非難しつつ、まとめサイトがPVのためにもっといい加減な情報ソースを無責任に世間に広めている害悪のことには無頓着。そういう連中に餌を与えることが「捜査協力」とも思えない。 単に正義の鉄槌の名のもとに、娯楽として遠慮なくぶっ叩ける相手が欲しい。警察の捜査力の問題とか、万引きされる側の苦悩など関係ない、下種な面白さ優先です。 ■ちなみに、交番などにある「この顔見たら110番」の顔写真の人間をみつけたとして、一般人が何もしていないにもかかわらずいきなり捕まえることは法律で禁止されています。万引きなど現行犯以外で第3者を拘束する権利はありません。
2014.08.14
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「若者を徴兵制で精神を鍛えよう」と言っている大人の傲慢ってすげえなと思う。 こういうことを声高に言っている大人でも、年齢的に考えて実際に軍隊での訓練経験はない人間(太平洋戦争での学徒動員兵としても90歳以上)。自分が経験のない軍隊生活でどうして若者を育てられるというのか。 また、上の言葉の一番の傲慢は、自分は「精神が鍛えられた大人だ」と信じて疑わないこと。精神論なんて個人の主観でいくらでもお手盛りできる。自分の人生上の苦労しか見えないから自分は苦労した、立派な人間であると。数値化できる基準などない。若者が都合よく我慢をすること=上の世代にとって使いやすい人間を作ること、ぐらいに思っているんじゃないだろうか。 「給与が低くて仕事がきつい、病気などになっても何の保障もない、ブラック企業に入りたがる若者がいないから今の若者は苦労から逃げるからダメだ」といっているようなものだ。 今の若者は頭がいい人が多いし、その手の情報はきちんと入手し、人生を選択している。生まれた時からバブル崩壊以降、好景気を経験したこともない、正社員になることが「勝ち組」あつかいされるほど厳しい社会を生きている。 そもそも若者の貴重な数年を精神論のために徴兵という行為で無意味に過ごさせる。だったらお前ら賛成派の大人のもやるんだろうな?精神を鍛えるのは若者ばかりではない。 どうせ自分のことになったら反対するんだろう。そんな奴らの精神論など腐っているとしか思えない。
2014.08.13
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テレビ朝日が視聴者から映像を集めるタイプの番組で「映像の権利はテレビ局側のものになります、何かあったらその責任は投稿者の責任になります」という都合のいい規約にたいして突っ込んでいた、ゴシップ系まとめサイトがあるけど・・・ 普段、ネット上の画像や情報を無断で自分たちのサイトでアフェリエイト稼ぎの手段にしていながら、何かあっても「それはリンク先の情報の問題だから検証せず紹介した自分たちに責任はありません」で逃げる連中が同じことを言っていることに気が付いていないんだろうな。 テレビ局の映像やアニメ、漫画の画像を無断で平気で使う分際でいい加減なものだ
2014.08.12
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アオイホノオ関連でとてもよい文章をご紹介『アオイホノオ』のリアリティ うん。これは至言であり、自分が今、プロとしてまがりなりにもゲーム業界にいられる人間である理由の一つだと思っています。 ドラマ内で主人公がすごい課題を作ってやろうと意気込むのですが、勢いばかり空回りして締切に絶対に間に合わない、そうなって出した結論は「今回は辞退する、完璧なものを作らないのはクリエイターとしてダメだ」と、自分の実力のなさを正当化する完璧主義発言をします。このドラマの面白いところは、このシーンが実に「面白く」しかし、過去に経験した人間にとって胸をかきむしらんばかりに感情を揺さぶるシーンなのです。 作品を完成させる、締切に間に合わせる、というのは私は内容の出来不出来以上にプロとして大切なことだと思っています。で、当たり前ですが、その完成品を世に出して始めて評価の対象になる。良し悪しを批評できる。 よく既存のアニメや漫画について「この作者、才能がない」という人がいますが、少なくとも商業作品を作っている、完成品を世間に見せている、それで生活しているというだけで「プロとして才能」があります。だいたい、幼いころに漫画家になりたかった、アニメを作りたかった、小説家になりたかった・・・そういうのをあきらめた人間にプロの才能を計る能力があるとはとても思えない。プロ野球選手を野球未経験者が「あいつは才能がない」と言うような与太話で。 上の話に戻りますが、原作の島本和彦先生はこの作品内でそれこそみっともない、かっこ悪い学生として自分を描いています。が、のちに漫画家としてデビューし、こうして30年以上もプロ漫画家をしている。そういう昔の自分を客観的に笑える「立場」の人間であり、それができなかった人間の方がはるかに多い、ということを見ている側は心に置くべきで。 「完璧でなくとも完成させる」というのは、それほどモノつくりを生業とする仕事に大切です。クオリティーはその土台ができた人間のみ語れる言葉です。 よく「作り手がそんなに偉いのか!」なんて言う人がいますけど、どの分野でもその道のプロというのは一般人の桁違いの努力をしている。それに対して才能論を上から目線で語るのは、それこそ大御所漫画家にダメだしするドラマの焔モユルの盛大な勘違いを見るような、恥ずかしさで身悶えする行為であるし。
2014.08.11
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ゲームの難易度調整というのは難しいなと思ったこと。 以前、あるゲームの続編を作った際に前作で「操作が簡単でサクサク敵を倒す爽快感」が売りのゲームであったのですが、アンケートで「単純、敵が頭が悪くて簡単すぎる、歯ごたえがない」という意見もちらほら。 で、次回作ではただ単に同じボタンを押しているだけでは反撃されてしまったり、操作にもうひと手間かけないと技がつながらない(そのかわりそれができると更に技がつながる)、やみくもに進むだけじゃなくて考えないとやられてしまう、という思考や難易度調整にしました。 そしたら、今度は「小難しくなった」「以前のような気持ち良さがなくなった」「敵が強すぎ、バランスが悪い」的な意見が・・・ これって難しい問題です。ゲームって基本は「自分に課題を与え、その課題を乗り越えることが面白さ」だと思うので、それこそ同じボタンを押し続ければエンディングまで行ってしまうようなのはつまらない。しかし、そのハードルが高すぎると遊びが苦痛、苦行になる。 そしてアクションゲームは特に個人の能力がバラバラで基準がわかりにくい。 やはり難易度が自分で選択できるゲームがプレイヤーの要望にあっているのかなあ? 個人的には「ここ、もうちょっとこうだったら・・・」と不満が出るぐらいの難易度が最高ですね。あまりに快適だと接待プレイやらされている感が強くなるので。
2014.08.11
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90年代のアーケードゲームを題材にしたマンガ「ハイスコアガール」で、マンガ内に使用されている実在ゲームの使用許可を得ずに使用していた件に関して。 不思議に思ったのは、他メーカーの権利許可は得ているということ。カプコンやナムコ、セガといった大手からはむしろ逆にコラボとか、関連アイテムを製作など好意的な関係であるにもかかわらず、なぜかSNKだけ未許可である。 と、同時にSNKも京都アニメーションの「氷菓」内でキャラコスプレをするのを許可している。そういうことを許さない会社ではない、ということ。 で、ここで一番考えられるのは「使用の際の金額交渉の折り合いがつかなかった」んじゃないかと。たとえばSNK側に打診し、SNK側から利用に対して金銭を要求されたことに担当が驚いたとか。 これ、意外とあるんです。たとえばアニメの本を作る場合などで他のアニメスタジオは宣伝にもなるという理由で放送分のアニメの画像であれば事前にチェックと許可を得れば使っていいとなっているケースが多い、のですが、あるスタジオは1画像いくら、みたいな規約があって、無料に慣れすぎた編集者が驚く、みたいな。 で、上の件に戻ると、最初からお金を払う計画がなくて(他社がそうであったこともあり)、なんやかんやしているうちに原稿を載せなきゃならず、ええいままよ!で、掲載。その後特にお咎めなしだったのでなあなあで済ませられると思っていたら、TVアニメ化という話でアニメ会社からSNKに連絡がいって「そんなの聞いてないぞ!」 みたいな。まあ、これは私の妄想なのであてにはならないですが。 出版の世界って、権利をたくさん持っているにもかかわらず他人の権利にもいい加減な人が多い。それこそ漫画家の原稿をなくすとか、契約書も結んでいない関連書籍を他社が勝手に出版とか。 そこがアメリカのようにがちがちになりずぎない、いいところでもあるのですが(同人なんか最たる例です)少なくとも今回に関してはSNKの説明によれば、幾度も交渉はしているようで。それでだめだったことを考えるとスクエニ側の失態、と考えるのが普通です。 嫌な考え方は「せっかく面白いマンガでみんな楽しみにしているのにSNKはクソ」みたいな人。そうじゃない。あの時代のゲームシーンを彩るゲームを扱った作品だけに、その辺はきっちりしてほしかったというお話。著作権は親告罪である以上、その相手を尊重しなければどんな素晴らしい作品を作ったとしても一方的に負け戦になる。そして、権利者権限を最大限使った側を責められるいわれはない。「お前の財布の金を勝手に借りて酒や料理を皆にふるまったから。みんな盛り上がっているところを無粋なマネするんじゃない」みたいなことを平気で言う人が多いからなあ・・・
2014.08.07
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よく、ある人気作品が別メディアで映像展開などの時に「イメージと違う」的な意見が必ず出ますが、このイメージというのはいったい誰にとっての作品イメージなのか?という問題について。 私は結局「その作品を作ることを「許された人」のイメージがすべてだと思っています。だから、原作と違うとしてもその作品を作ることを許された人間のイメージがそれであれば、そして、原典作者が許しているのであれば「イメージ通り」になるという。そしてあとは見る側の好き嫌いでしかなく、自分のイメージと違うから「監督のひとりよがり、オ○ニー作品だ!」というのもおかしな話で。むしろ作り手じゃない視聴者の側の人間にとっては「完成したものを見るしかない、今更修正させられない、与えられる他人のイメージを見ることしかできない」存在です。 だから、そこからは個人の趣味嗜好の問題。原作ファンには評判が悪いけど初見で見たファンには好評の作品などたくさんある。むしろアニメ化などで初めてその作品を知った人間にとって原典がおかしく感じることさえある。 それこそ自分のイメージと違うと感じたなら、同人で2次創作をすればいい。自分の脳内を正確にトレースできるのは自分だけで、それを見ず知らずの人間に「俺の脳内にあわせろ!」ってのが不可能な話。「素人がそんな物作れるわけがない!」という意見には「じゃあそういう人がプロでも大変な自分の思い通りのイメージを伝えられる手段があるわけがない」と。 それに視聴者には「気に入らない作品は見ない」という、もっとも効果的で手軽な選択肢があるので。
2014.08.05
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最近ドラマ「アオイホノオ」の話題が続きますが。 この作品の主人公の世代というのは、自分より一世代前、80年代のオタクの描写です。家庭にビデオデッキもない、リアルタイム視聴がすべて、情報も極端に少ない。 で、自分が90年代オタクというやつで、各家庭に普通にビデオデッキがあり、マンガやアニメが単に「子供の見るもの」という作品以外が続々と出てきた、ゲームも急速に発展した時代。でも、社会的認知はいまだに低く、宮崎事件の残滓を色濃く引きずっていた時代といいましょうか。 これが2000年以降、いわゆるエヴァンゲリオン以降世代と呼ばれる頃になると各家庭にパソコンが普及し、インターネットでの情報のやり取り、アニメの世界もすでにデジタル技術がガンガン入ってきて、深夜アニメと呼ばれるアニメが花盛りになる世代(それまでアニメは夕方かゴールデン、日曜朝など子供の見られる放送時間帯が普通だった)2ちゃんねるなどネットメディアでの情報交換や討論などもオタク界隈ではよくやられるようになる。 で、新しいメディア(ニコニコ動画とか、ツイッターなど)の今に至る、ということで、すでにアオイホノオの世代から30年以上の時代の変化がある、そこで手に入れた最大の武器は「生まれた時にアニメや漫画、ゲームが普通である年齢層が社会の中心的役割を果たす」社会になったこと。これは大きい。いい年してアニメやゲームなんて・・・と、卒業をある意味社会的に強要されていた社会ではない。何より、自分がそれで育った世代が大人になるということは自然と理解がある人間が増えるということ。 一部の物好き、変わり者であった世代に比べて、どれだけ恵まれていることだろうか。 だから、「オタクジャンルに関しては昔の方がよかった、熱があった」みたいなことは思いません。
2014.08.04
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私が卑怯だと思う意見の出し方に、責任がある立場でありながら「自分はいいんだけどこう考える人もいるから自粛した方がいいんじゃないの?」というものの言い方をする人。 この言葉には3種類の責任逃れがある。まず「自分はいいんだけど」と、自分としては肯定を装っている。理解があるふりをしている。しかし、「○○と思う人もいるから」と、その反対理由を架空想定の人間の意見の意見を使って代弁している。さらに、「自粛」という形を引き出そうとする。 自分は一切の責任を取らず、何かあった場合「あの時に自分は言ったのですが」という逃げが打てる。さらにはこういう意見を出すというのは元々この人は反対の立場である、しかし、それを表立っては言わず、「こういう人の意見もあるかもしれない」とあくまで架空の人間の立場を代弁するふりをしている。 冷静に考えれば読み取れるのですが、その架空の反対意見を出している人は「存在しない」のです。そういう架空の意見に左右されてはいけない。それが表現規制ならなおさらで。 前に産経新聞で上の通りの意見でのマンガやアニメの表現規制論があったので。この社説を書いた人、自分たちも表現の自由の中で生かされている職業でありながら卑怯極まったな、と思ったり。
2014.08.03
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日本はとかく「とりあえずの謝罪を強要される国」だなと。 たとえばアニメ「サイコパス」においてよく似た事件が発生したため第4話が放送できなくなる、ということがありまして。で、監督が「放送できなくなるような作品を作ってしまい申し訳ない」と・・・ これって謝罪が必要なんでしょうか?少なくとも同じ事件があったとしても時期がずれていたらそんなことはなかったはず。同種のことは先の震災で放送できなくなった映画とか、アニメなどでもありましたが。 日本はとりあえず謝る、というのが普通になっている国です。たとえば電車が自殺のような人身事故で遅れている場合、放送でかならずおわびがある。しかし、遅れた理由に鉄道会社の非はない。とうぜん、放送している人も「形式として」謝っているにすぎない。 「こっちに非がないけどとりあえず謝っておけ」という謝罪は、本当に誰が、だれに向けて、何のためにやっているのかわからないよなあ・・・ 責任はなくても誰かを土下座させたらひとまず丸く収まる気がする。そういう考え方は大嫌いで。
2014.08.02
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5年ぐらい前の小学生へのアンケートで「自分のゲーム機をもっている」という子供の比率が男女共に9割近くであった。 ということは、程度はともかくむしろゲームをやったことがない子供の方が稀である、という結論になる。ゲームという遊びは子供にとって常識であり。同じことはマンガもアニメも、ネットですら起きている。 にもかかわらず、いまだに何か若年層の犯罪が起きるとそれらの理由のように語られることが多い。 おかしな話で、たとえば最近60歳以上の高齢者の暴力事件が増えている。逆に青少年犯罪件数は人口の少なさもあって減っている。そういう時に「ゲームのおかげで子供たちが健全になった」とは絶対に言われない。 忘れちゃいけないこと。個人の犯罪の責任は、所属、性別、趣味、国籍、年齢関係はないし、連帯責任は適用されない。オタクの中にまっとうな人間もおかしなやつもいる。だが、ルールを守っている、何もしていない人間を叩いたりしていい理由にはならない。 鉄道マニアが電車の進行妨害をした、というニュースで叩いているのを見るが、それをやっていない鉄道マニアの方が多いうえに、鉄道雑誌でも昔から「そういう行為は鉄道ファンの敵だ」ということを再三再四言っている。 だからこそ余計に、ジャンルひとくくりで語るのは危険であり。
2014.08.01
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