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好き嫌いと仕事の出来は違う、それがプロだとしますと、たとえば昨今アニメーターさんが自分のかかわっていた作品の批判をツイッターでした、ということで炎上していましたが、そこは何か違う気がしました。 というか「ファンが見るかもしれないんだから気を悪くさせないために自分のかかわった作品は絶賛か沈黙しか許さない」ってのも妙な話で。公式でない、個人のツイートである以上感想は個人のものだし。 むしろ、それをあげつらって「こんなこと言ってるスタッフがいますよ!ご注進!ご注進!」ってまるで安い時代劇の小悪党のように触れ回っているまとめサイトを作った人間が、その作品に興味がなく、単に対立煽り、炎上放火魔であるとしたら? アニメーターはスタッフロールに名前が出る以上、自分がかかわっていた作品を明かしてはいけないという守秘義務もないから、個人の感想は個人のもの。炎上の火種になった「○○より××の仕事がやりたい!」みたいなのは願望であって批判じゃないしなあ・・・ 好きな人しかその作品にかかわるべきじゃない、ってのはそりゃ同人とかアマチュアの世界だし。「関係者はファンの気分を害するような発言をするな」といいつつ、その普通は目立たない個人の感想を大きく取り上げ、知らなかったファンの目に入るように炎上させる連中がその作品を一番バカにしている気がする。 なにしろガンダムシリーズを徹底的に批判していたのが冨野監督だったり、日本のアニメ業界をくそみそに批判してたのが宮崎監督だったりw。
2014.11.30
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「みんなやってる」という言葉で相手の水準がわかる。 たとえばある芸人が自分の過去話で万引きしたことを「笑い話として」トークしていたことがあった。他にも関西系お笑い芸人が学校でえげつないいじめをしていたこと笑い話として話したり。もっと身近な話だと、店の外に出たら雨が降っていたから傘立ての他人のビニール傘を勝手にぱくっていくとか。ネットでの暴言や差別的発言とか。 これらは「みんなやってる」という意識がそうさせている。けど、本当に「みんな」なのかは別。むしろ、そういう人間の集まったコミュニティーにいるから他の人間もやっていると勘違いしやすい。 前に伊集院光がラジオで「たとえば自分はよそ様の店などから万引きはしたことはない。けど、親の財布からよく金をくすねていた。だから、自分にとって万引きは悪で親の財布から金をパクるのはみんなやっていることとして話してしまう、けど、当たり前だけどどっちも悪いこと」と語っていましたが。結局自分がやっているかどうかが許す基準になっちゃうんだよなあ。 「みんなやっている」という言葉で、その人の常識レベルがわかる。ネットでもやたらに他人の自作自演を疑う人間は自分もそういう経験があるんだろう。だから疑う。さもしいかぎりだ。
2014.11.27
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CGアニメ映画「楽園追放」を見てつくづく思ったのは「手書きアニメのなんと万能なことか」という。たとえば、ロボットの腕が銃撃で破片をまき散らして吹き飛ぶシーン、これ、カット的には1秒程度の描写。一般のTVアニメであれば3コマ打ちとして基本8枚の絵で表現されます。しかし、これをCGで作るとしたら結構手間がかかる。まず基本モデルに壊れたモデル、破片のモデル、エフェクト、ロボの動き、腕の吹き飛ぶモーションなど・・・ 一瞬のカットですが仕込みが大変で手間がかかる。よく「CGは一度作れば使いまわしがきく」ということをまるで「楽である」かのように語る人がいますが、実際使いまわしが本当にできる部分というのは意外と少なくて。というか、使いまわせる部分を作るのが大変、ということ。普通のレベルのアニメーターさんなら数時間で描けるカットの動きを不自然じゃない、というレベルまで持ってくるだけで仕込みから計算して数か月かかる、なんていうこともあります。そして、サザエさんのような長期作品でない、昨今の1クールアニメでは素材を使いまわして効率化を図れる前に放送が終わってしまう。 前にアニメーターさんと話をしたときに、3DCGが普及を始めたころ、「将来的に手書きアニメーターは淘汰されるのじゃないか」と思っていたけど、結局その頃より仕事が増えた、という話を聞きました。特にCGと2Dキャラの合成など以前より労力がかかる仕事が増えたり。 映画「楽園追放」でも「ああ・・・このカットのこの動き、手間がかかってるけど手書きだったらすごく楽なんだろうなあ」と感じるところも多々ありました。もちろん、CGならではの大量の敵が画面をぐりぐり回しながら暴れまくるなど手書きではむつかしいところもありますが。 3Dアニメが進化するほど、手書きアニメのすごさを思い知らされます。
2014.11.26
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たとえば、昔は雑誌でライターが書いた記事を編集部で「これはうちの雑誌には載せられない」と言われたら基本は没にするか、あるいは編集側の意向に沿った文面に書き直すしか世に発表する方法がなかったわけで。 しかし今はネットがある、世間に公表するだけなら最低限の知識でタダで世間の人が読めるようになる。これは漫画だろうと小説であろうと動画であろうと、基本「没のない世界」。 で、没がない世界というのは玉石混合、というより石の方が遥かに多い状態。であるが世の中には「玉より石が好き」という人もいて。決して大きな人数じゃなくても、大向こう受けするものでなくても見てくれる人がいたり。 プロとして、お金をもらって生活の糧にする作品の発表ということを考えなければ、誰でも世界に情報を発信できる。素人の撮ったYoutubeの動画が世界中で何百万アクセスなど、ネットのない時代は考えられなかったことで。 逆に言えば「俺のこの最高傑作を、頭の固い編集部の連中に潰された!」という言い訳ができない世界でもあり。実際世に出してみるまでは世間の評判などわからないからなあ。
2014.11.25
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全編CGによるセルルック劇場アニメ「楽園追放」を友達と見てきました。ストーリー的なことは他の映画感想サイトにお任せするとして、ゲームのCGを仕事でやっている人間としてはやはり絵的なものを注目してしまうわけで。 で、いろんな意味で「手書きっぽいアニメをCGで作るのはものすごく大変だったんだな」と。バトルのようにカメラアングルがぐりぐり高速で変わる場合、意外と人間の目はごまかせるのですが、会話シーンのような場合、特に日本のアニメの手法である「必要な部分以外、絵を動かさない」というのが徹底されていて、CGだからもっとコマ数をとれるにもかかわらず3コマ打ちでテレビアニメっぽい動きをやっていたからこそ、他のCGアニメにありがちな「止め絵だとセルアニメっぽいんだけど動きを見るとヌルヌル全体が動いて違和感」のようなことがなく。このあたりは未だにハードの性能競争で「フレーム補間が多ければ、細かく動けば動くほどクオリティーが高い」扱いされるゲーム業界にずっと疑問を持っていた自分としても納得で。 それとCGの違和感をなくす、ということで言えば、とにかくヒロインキャラの表情を露骨にいろいろ動かしていたこと。CGアニメだと張り付いたような決まった形の絵が多くなることも多いだけに、これも大変だったろうなと。ただし、口パクの時は動くのは口だけ、みたいな手書きアニメっぽさは徹底していましたが。 この映画の批評で「ここまでできるなら今後3Dに手書きが淘汰されるのも時間の問題」という話がありましたが、私はむしろ「ここまでやるのにはコストが2Dアニメに比べて膨大にかかってしまう(この映画も5年かかっている)からこそ、手書きのアニメってすごいんだなあ」と感じたり。ディティールの細かいメカや自動車など無機物の描写などでは昨今はTVアニメでもCGが主流ですが、キャラに関して言えばかえって手間がかかってしまう、だから悪い意味でも手書きアニメの製作費の低さがある限り、CGに全部置き換わるのは当分ないだろうなと。 アメリカのディズニーは一部を除いて手書きアニメ部門を相当前に捨て、CGに完全移行しましたが、あれも高コストかけて世界で公開するアニメだからこそできる。アルペジオのような成功例はあるにせよ、日本の1クール作品で小さい市場だとなかなかむつかしいのではないかと思いますが。 いずれにせよ内容は「美少女、メカ、アクションのサービス満点でわかりやすい直球作品」で大変面白かったので、興味のある方はぜひ。
2014.11.24
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日本ではアメリカのような競技としてのプロゲーマーはなかなか定着しないけど、ニコニコ動画などの実況動画には人気がある、ってことを考えると、ゲームに求めるものが違うのかもしれない、と思ったり。そういう意味ではウメハラさんのようなテクニックを見せつけ、技を競う競技プレイヤーの試合を見る土壌より、下手くそでも面白おかしくゲームをプレイするゲームセンターCXの有野課長の方が有名であるのもうなづけるなあ。実際、人気実況主にはメーカーが公式にゲームの紹介動画を依頼してるし。これってスポンサーが付いたってことでもあり。 そういう意味ではプロゲーマー、って定義が日本ではスポーツ選手よりタレントやお笑い芸人を求めているのかもしれない。
2014.11.22
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最近のゲームは「難しい」というより「量が多い」 これは自分も感じます。ボリュームが多すぎるというか。たとえば某アクションゲームでも使用キャラが10人以上とか。格闘ゲームなんかも30人超えとか。選べる車種が1000台以上とか、遊ぶ側の選択肢が多すぎて、しかも一回クリアだけではまだやり残した要素がたくさんあるよ的な構成であったりするので、エンディングまで到達しても消化不良なモヤモヤが残ったり。クリア後に使えるようになるキャラや要素がたっぷりあると「え?まだ全部楽しんでなかったの?」みたいな。 おなか一杯、というより、同じ料理をフルコースでテイストを変えて出されてしまったような。 全部食べ切る必要はない、飽きたらやめればいいと思っています。けど、作る側から見ると「もっとユーザーを楽しませよう」が結局使われないことの方が多かったりするんだよなあ。ときどきゲームあおり系のサイトでで「○時間でクリア可能な低ボリューム」みたいな煽りがあるけど、本のページ数で面白さが変わる訳じゃないし、大ボリュームでも開始数時間で飽きてしまったらそれじゃ意味がないし。 ちなみに私が大好きなゲームにカプコンの「ゴーストトリック」があるのですが、あれは見事に一回のクリアで「やりきった!」と拍手したくなるようなタイプのゲームでした。基本が一本道の推理パズルに近いので一度クリアしたらすべてなぞがとけているのですが、わずか6時間程度でも本当に密度が濃い楽しさでしたねえ。
2014.11.22
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昨今の事件でつい悩んでしまったこと。栃木で大量の犬の死骸が発見され、遺体遺棄した犯人が捕まりました。が、その罪状が「動物愛護法違反」と「廃棄物投棄」の2つの罪状であることに大きな矛盾を感じたり。 罪状で犯人は「処分のため100万円もらったが焼却処分できず遺棄した」ということですが、この場合、あくまで罪にあたるのか、という部分が非常にあいまいになる。 同じ動物であっても犬や猫は許されないがカエルや蛇、ゴキブリや蚊は殺すことをなぜ許されるのか?上の犯人ももし、遺棄せず焼却炉で燃やしていたら「動物愛護法」にはひっかからないのか、とか。犬をあくまで「廃棄物」として定義した逮捕理由が動物愛護とは別のベクトルの考え方であったり。 もっといえば「漁師などが取った魚でも形が悪かったり商品にならないものは海にボンボコ捨ててるけど、それは上の遺棄と何が違うのか?といったものだったり。 こういう人間を許せない!と思えないのは、世の中には「動物を殺すことを生業にしている」職業がたくさんある。そして、そこの善悪に明確な差はなく、結局「印象」でしか判断しようがない、というお話であり。 たとえばペットショップでは売れずに大きくなってしまった犬や猫を大量に殺処分しています。その場合は上の動物愛護法の適用外な理由はなんなのか?など・・・ 「動物愛護法違反」と「廃棄物投棄」の2つの罪状がならんだこの事件に何とも言えない割り切りにくい感情が生まれまして。
2014.11.21
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以前、ゲームの開発現場でプログラマーさんの作ったツールがうまく動かないことがあって。製作者のプログラマーさんに調べてもらったところ、最近マイクロソフトがアップデートしたOSの不具合による影響らしくて。 で、問題はここからで、プログラマーさん曰く「Windowsのアップデートは自動更新にしないのが常識でしょ?」と・・・ え?自動更新するのが常識だと思ってた・・・
2014.11.20
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先日、文化放送のラジオで聞いた仕事に関する言葉で「仕事で何か問題があるとき、個人の能力不足で考えてはいけない。必要なのはシステムの欠陥をなおすこと」というのがあって。 たとえば自分の仕事場でもよくあるのですが、ヒューマンエラーが多い理由が煩雑なシステムであったり、手軽なチェック方法がないことであったり。 これらはコストを支払っても改善すればトラブルが減らせる。個人の能力の問題であってもそれを回避するシステムを作ることはできる。そして、そのシステムは他者にも恩恵があり、結果として全体効率があがる。 ミスをした人間を叱責することではヒューマンエラーを起こさない確約にはならない。それは問題点を指摘しただけで解決法を提示したことにはならない。 そのラジオでも語られていましたが、新人にどうもミスが多い、簡単なことを間違える、と思って調べたところ、あらゆる煩雑な雑務を大量に一人に押し付けていたことが発覚したとか。一つ一つは簡単な作業でも多くの案件を一人で抱えればミスも出やすくなる訳で。
2014.11.20
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長いレポートですが、その中から最後をリンクします復活してしまったヨーゲン ネットで過激なヘイトスピーチを繰り返し、在日外国人の犯罪を叩いていた人間が、自分も違法コピーやら妻に対するDVなどのもっと直接的な犯罪者だった、という。なんとも救われないお話。 なんだろう?記者の指摘にもあるけど「一番大事な部分がネットで仕入れた曖昧な噂」でしかない、という情けなさと、大げさに正義を語る自分の足元が腐っている矛盾というか。読んでいて徒労感がはんぱない。 ヘイトスピーチというのは「面白い」。後ろ盾や権威がなくても過激であれば過激であるほど世間を騒がせ、反応があり、注目されやすい。しかし、それは自分が「差別されない側」という安全圏にいるからできる。「○○人を殺せ!」などという言葉をその本国で言えない。内弁慶の発露でしかなく。 しかし、これを面白がっているとそれこそ自家中毒になる。自分の過激な意見を支持していた、と思っていたら、単に珍しい昆虫を見ていたのと同じ視線であったというなさけなさというか。気が付いたら周りがはなれていく、そういうものでもあり。
2014.11.19
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テレビで放送された「シャーロックホームズ」の映画で、画面の上に「ついに黒幕登場!」のような雰囲気ぶち壊しのテロップが出ていてこれはひどいと話題になっていましたが。 これに関してたとえば映画本編に本来CMが入る、ということ自体、映像を作った側にとっては勝手に編集されるようなもので、それが特に盛り上がっているシーンで「続きはCMのあとで」みたいなことをされるのは積み上げてきた興奮や感動をぶち壊しにされる行為でもあるというお話でもあり。 かといって地上波テレビ放送で映画をタダで見られるのはスポンサーのCMがあるからであり、それが嫌ならDVDレンタルなり映画専用の有料放送を見るのが正しい住み分けで。 最初のテロップもある意味わかったうえでの「嫌がらせ」なんだろうなと。バラエティー番組で海外出典のドキュメント映像が流れているところにワイプでスタジオの出演者の顔が表示されるのは、ある種のコピーガードのひとつでもある(放送される映像の出所をはっきりさせる)という意味もあるそうです。 こういった「意図的に映像を汚す行為」は視聴者が「無料」というのが本来の映像作品の持つ力をすべて受けられないようにするためのものなんだろうなと。基本プレイ無料のゲームみたいなもので。 たかが数百円で借りられる映画をタダで見る、というのはこういうことなんでしょうねえ。もっとも、それで映画そのものの評価が下がるようであれば作り手はたまったものじゃないでしょうけど。
2014.11.18
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ゲームの業界ではよくあるのですが、たまたまある新規ソフトがスマッシュヒットしかし、それで勘違いして前作の数倍の予算をかけて作ったけど、前作の半分も売れない、などという現象。 この場合、スマッシュヒットした理由が「びっくり箱的な需要だった」ことがよくあげられます。それまで業界にありそうでなかったから、ユーザーが食いついた、しかし、びっくり箱はあくまで「何が入っているかわからないから」価値があったわけで。 だから、その箱の中の飛び出すおもちゃの品質をよくしたりしても、もう初見のインパクトにはかなわない。お客さんも何が入っているかわかっているびっくり箱には興味がない。 で、開発する側としては、なぜかその理由を「箱の中身のクオリティー」に求めてしまう。飛び出すおもちゃをよりリアルに、より手間と金をかけて作ればより売れると思ってしまう。 ほとんどのお客は「驚き」は求めても「究極」など求めていない 前作より圧倒的に金をかけて作って、見た目のクオリティーも高いけど半分も売れなかった、ってのは、作り手として間違った方向に力を入れていたと認めなきゃいけないんだろうなあ。
2014.11.16
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実家のマンガ好きな母親が、最近「寄生獣」を読み始めたようで。 で、昔からマンガ好きな人には有名な作品だし、母も当然知っているかと思ったら、曰く「昔、一度読もうと思ったんだけど一巻の出だしで人が喰われるシーンがきつくて結局読まなかった」との話。なるほど、たしかに顔がバカっと割れて人間の頭を一口で喰うシーンは自分も最初衝撃的でしたし。 で、読むきっかけになったのは、作者の岩明均先生の現在の連載作品「ヒストリエ」に嵌ったからだそうで。歴史マンガ好きな母なので、ヒストリエを読んだ後に同作者の短編「雪の峠・剣の舞」を読み、さらにそこから「七夕の国」と辿って、作者の代表作でもある「寄生獣」にたどり着いたと。 作者の作品を何作も経験しているので耐性ができているから、今は寄生獣も落ち着いてじっくり読めるようになったとの話。 こうして考えると、漫画に限らずあらゆる表現には刺激があって、その刺激に耐性のない人にはどんなに面白い、名作と呼ばれる作品であってもきつく感じる。下手すると「こういうものはけしからん!発売を中止しろ」的な意見を言ったり。 ダークファンタジーの名作である「ベルゼルク」やアニメなどで話題の「進撃の巨人」もバイオレンスに対する耐性がない人にとっては拒絶反応が出る。でも、それを乗り越えて「おもしろい!」からこんなに多くのファンが付いているのだし。 そういう意味ではマンガ「さよなら絶望先生」にあったポロロッカ現象(知識興味の逆流)も悪くないなと感じました。どんなタイミングで、どういう順番で読もうと名作漫画であることに変わりはないし。むしろマニアが「最近アニメ化でニワカが増えてむかつく、俺なんて連載一回目からリアルタイムで見ている」みたいなのは何の意味もないのだろうなと。
2014.11.15
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自分の働いている業界に対して外野から言われることがのですが「好きでやってる仕事なんだから我慢しろ。文句があるならやめちまえ」 って乱暴な意見。いや、仕事が好きなのと社会人として労働者として法律で定められている権利を求めるのは違うから。 どうにも「ゲームとかアニメとか漫画家とか、趣味の延長(一方的な思い込み)のような仕事の奴は過労、貧困、不安定でもいいだろ」的な意見を聞くと、毎日の生活のために仕事してるのはどの業種だって同じなのに、って思います。 っていうか、そういう夢のない仕事であっても「甘えるな」って言う人間もいますからねえ。日付跨いで帰宅が日常の人間のどこが「甘えている」というのか・・・
2014.11.12
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一昔前に「次世代の乗り物」として直立移動する「セグウェイ」というのがありましたよね。その何ともシュールな乗り物にある意味お笑い的なイメージしかなかったのですが。 でも、あれって自転車に乗れない高齢者にとっての移動手段としたら相当有効ですよね。操作が楽でスピードがそこそこ出て、歩道を使える。バッテリーがどの程度持つのかわかりませんが、バスなど公共交通の発達していない田舎のような場所だと年寄りが市街地まで出る手段というのが相当限られてしまう。 日本では現行法だと公道が走れないみたいですがあの「小走り程度」の速度でそこそこ移動距離が長ければ、活用需要はかなりありそうだなあ。 少なくとも高齢者がよろよろしながら自転車に乗るより安全そうだし。
2014.11.09
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たとえば「結婚や身内の死亡届の手続きをどこに申請するものか」とか「ローンなどお金を銀行に借りる方法、利子の計算方式」さらにいえば「会社が倒産などで生活保護をどこに申し込むか」「引っ越しの際の転居届」「年金や社会保険に関するシステム」「パスポートの取り方」「実印の印鑑証明の必要性」「裁判の起し方」など、実社会に出た際に必要となる情報って、義務教育で教えるべきじゃないかと思う。 上の項目って多くの人がその状態に直面して慌てて、みたいなケースがほとんど。でも、少なくとも公民の時間に国会議員の定数なんかを覚えるよりよほど必要な知識じゃないかと。 実社会で必要になる知識を知らないってのは搾取の対象にもなりやすい。大して理解せずリボ払いで商品を買う、あるいはえげつない複利がつく金融業者にお金を借りるようなことにもなる。 義務教育だからこそ、最低限社会で身を守る知識を教えてほしいんだけど・・・
2014.11.08
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自分とおなじ主張をしない奴は日本人じゃない、って輩を愛国系まとめサイトなどでみかける。「日本人はこういうことをしない」「日本人なら普通こう考えるだろ」「こういうことをする奴は在日」 彼らがなぜ「日本人」という称号にこだわるのか?それはきっと「生まれながらに持っている苦労せずに手に入れた特権」だとでも思っているのだろう。しかし、そんなものは食品の産地表示と同じで腐っていれば魚沼産コシヒカリも大間のマグロも等しく相手にされない。相手にされないどころか外国産の食品を買ったら「国産の(腐った)俺たちを買わない奴らは日本人じゃない」なんて言われても勘違いしてるとしか。 気持ちが悪いのはこの手の人間の言う「日本人」というのは賛同者、同調者のみであるということ。そして、ヘイトスピーチなど過激なことを言う人間はどの世界でも異端であり、全体数からいえばわずかな数にすぎない。つまり、この手の「日本人じゃない」発言は大多数の日本人の否定になっている。そういう矛盾に気がつかないのか。 他国の自国民に対する差別が悪くて自分たちの差別は正しい、などという民族論を本気で言っている人の思考がまったくわからない。論理矛盾は本人たちは絶対にわかっているはず。しかし、それを無視できる無神経さがあるからこそ、過激な発言や行動ができるんだろうなあ。
2014.11.07
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先日、文化放送のラジオを聞いていた時のこと。番組のコーナーごとにアシスタント役の女性が番組提供の紹介「このコーナーは○○株式会社の提供でお送りします」という部分を何度も間違えて読んでしまう。 普段、読み慣れている部分のはずなのにその日の放送ではそこを都合4度も引っかかるという。DJからもつっこまれていましたが、こういうことってあって。裏に入る、とでもいうのでしょうか。 普段、何事もなくこなせることを、その日に限って歯車がうまくかみ合わない。落ち着いてやり直そうとするけどイップスになるのか、コーナー終わりでの提供読みでも、さらに別のコーナーでの提供読みまでひっかかる。聞いている側にも焦りが伝わってくるようでハラハラしました。 なんだろう。上手くいかないときってありますねえ。
2014.11.06
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たとえば、昔は砂糖というのもが貴重品で、その少量を生かすために様々な代用品や工夫を凝らして料理人が悪戦苦闘した。が、現在は大して高い値段を出さなくても砂糖は買える。 また技術革新によってより純度の高い素材であったり、あるいは昔はある食材の「雑味」でしかなかったものを取り除くことでより味がクリアになったり。品種改良で苦みやエグみが強かった野菜が食べやすくなったり。 もっといえば冷蔵庫の普及で昔は生の魚とかそういったものが腐らないために加工していたのをしなくて調理に新鮮な状態で使えたり。 美食漫画で「昔の料理は素材本来の味を~」の言葉を凌駕する美味しさが再現できている。しかも、昔は一部の金持ちしか食べられなかったものがコンビニにも並んでいる。代表例だとアイスクリームなんかがそうです。また、昔は本格的に豆から挽いたコーヒーを飲むには専門的な喫茶店か、あるいは家庭で趣味でゴリゴリやって自らいれるものだったのがコンビニのレジ横から100円でその場でドリップされたものを飲める。 少なくとも「昔より美味しく、安く、手軽になった」ことだけでも食べ物は一般庶民の感覚で確実に昔より美味しくなっている、というお話。むしろ素材本来の味って物足りないケースも多いので。
2014.11.02
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カンニング竹山が日本独自の盛り上がりをみせるハロウィンに違和感 「なにがおもしろいの?」 なにがおもしろいのかわからない、という場合、それは面白さを感じない側が特に参加をしていないのに文句を言う筋合いはない、と思うのですが。 わかりやすく言うと、たとえばカンニングのコントはつまらない、という人が喜んで聞いているファンに対して「あんなもの喜んでいる奴らはダメだ。すぐにやめろ」と言うのと大差はない。この場合、ファンとしてみればその野次は不快でしかない。特にこの手の嗜好イベントは全員が楽しむ必要はないし。 どうして渋谷に仮装してみんな集まってワーワーやっているのか、理由がわからない、というのは、興味のない人間が別にわかる必要はない。コミケだって何十万人も集まるけど、もっと多くの人は「なんであんな素人の漫画イベントに集まるのかわけがわからない」人が大半のはず。すべての趣味や嗜好に通じる。 で、上の発言の根源は結局「自分の認めないものが世間で取り上げられ、ちやほやされている、ように感じるのが腹立たしい」以外の意見のなにものでもなくて。そこで起きた道路混雑やマナー違反の問題は別の話。 そうやってきちんと分けて考えないと「なんかムカつく」レベルの単純な思考で新しい文化を平気で壊す。ハロウィンが日本に定着するか、あるいは一時的ブームで終わるかはだれの責任でもないし、たれのプライドを傷つけるわけでもない。それこそ地元の祭りと同じで参加したい人が仮装して参加すればいい。
2014.11.01
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