By the Light of the Magical Moon (Marc Bolan)

By the Light of the Magical Moon (Marc Bolan)

C2 マーク、ミッキーを自由にしてやれよ。



T.レックスはワールドツアーの合間に4日ぐらいの短時間でレコーディングをしていました。
費用が安いというばかりか、レコーディングがツアーステージの練習も兼ねていたのです。
すごい粗製乱造なのに、数々の傑作アルバムが生まれたのはある意味すごいですね。

スティーブ・カーリー(ペース)、ビル・レジェンド(ドラム)の二人は週給たったの50ポンド!!
加えて、いくらかのステージ代で雇われていました。バンドにもっと金が入ったら給料を上げるという約束も、マークの何千ポンドもする衣装代や、黄金のロールスロイスやコカイン優先で、決して守られることはありませんでした。

薄給に加え、1970年以降、マネージャーになったトニー・セクンダが与え続けたコカインのせいで、すっかりイカレていたマークに愛想をつかしてビルが脱退するのは1973年のことです。
スティーブ・カーリーはもっと我慢強く、「地下世界のダンディ」の数曲まで付き合っています。彼が未払い給金100ポンド貰ってバンドを去ったのは1976年のことです。

トニー・セクンダ・・イニシャルTS・・・はテレグラム・サムのモデルと言われている人物で、トゥモローなどの腕利きマネージャー兼麻薬の売人で、自身もジャンキーでした。テレグラム・サムはゲイの歌ではなくて、大事な人=ヤクの売人というわけです。
彼はEMIにマークの会社、T.レックス・ワックス・カンパニーを設立させたり、「Bang a Gong(Get it On)」をアメリカで(唯一)ヒットさせたりと敏腕ぶりを発揮します。
利用価値がなくなり、マークにあっさりクビになると、復讐に燃えて、ティラノザウルスをクビになったスティーブ・トゥック(!)のマネージャーになるのですが、ついぞ復讐は果たせませんでした。
スティーブ・トゥックはスターダムになんか全然興味がなかったので。

ミッキー・フィン・・彼には、ドケチのマークが珍しく印税を折半しているのです。しかし、ステージ出演料が払われることはありませんでした。それでも、ドラッグとアルコールのせいでまともにプレイできなくなってしまったミッキーにナイショでパーカッションを差し替えたり、1975年1月に解雇するまでかなり我慢しているので、マークにとっては得がたい相棒だったのではないでしょうか。解雇の理由もスティーブ・トゥックの場合と対照的に、表向きは方向性の違いということにしていますし。
ミッキーはいい奴なので、かなりマークに耐えていたと思いますけれど。

(1974年の低迷期には、「ボランズ・ジップ・ガン」の録音にスタジオに集まったのはマークと愛人グロリアのみ、というていたらくでした。)

以下はBravoというドイツのティーン雑誌の1972年の記事の抜粋です。マークファンの間では偏見に溢れたでたらめ、ということになっていますが、私はむしろ、すごく信憑性を感じます。

「マーク、ミッキーを自由にしてやれよ!」(by K.E.Siegfried, Bravo Magazine Nov 22, 1972)

私はマークと彼の曲が好きだし、彼の成功を妬んでもいない。しかし、気になることがある。
それは、批評家達がいみじくも指摘している、彼の傲慢さや、誇大妄想ではない。
許せないのは、彼の友人やミュージシャンに対する扱いだ。彼のミッキー・フィンに対する扱いだ。

1969年8月12日にマークがミッキーに会った時、マークはもう終わったも同然だった。彼はギターを売りたがっていたし、注文したばかりの食事代すら払えなかった。ミッキーも似たようなものだったが、彼らはついに、ビッグになった。・・マークが大将、という条件つきで。
マークが名声と金をほとんど独り占めし、ミッキーは相変わらず、マークの影だ。マークはビッグスターで、ミッキーは家来。
ファンは初めにミッキーに興味を持つというのを、マークは気づいていた。だからマークはミッキーを背景に置いたのだ。

こんなふうに:

4週間前、ミッキーにはイギリス映画の出演依頼があった。マークはそれに反対し、ミッキーは台本を読むことすら許されなかった。
Bravoのカメラマン、Wolfgang Heilemann がミッキーにロンドンでのフォト・セッションを申し込んだ。
マークはそれに反対し、撮影日には彼は忙しいと答えた。その日はミッキーは一日中、家で音楽を聴いていたのに。

一年前のブレーメンにて。Bravo は、マークやミッキー同様に、スティーブ・カーリーとビル・レジェンドの写真を撮りたかったが、マークが反対した。撮影にはマークとミッキーしか現れず、スティーブとビルは寝ていると
説明されたが、実際は二人とも撮影のあることを知らされていなかった。

私がスティーブとビルに話しかけることすら、マークには耐えられないのだ。スティーブとビルは単なる週払いの使用人だから。彼らには印税は払われず、マーク・ボランは彼らのインタビューを許さない。
マーク・ボランは言う。「この二人のミュージシャンはT.レックスとは関係ないんだ。T.レックスはマーク・ボランなんだ。」
6月以来、マークにはマネージャーも、広報も、レコード会社もない。マークが全部一人でやっているからだ。
4月に彼は最後のマネージャー、トニー・セクンダを解雇している。(訳注:その後、トニー・ハワードが最後までマネージャーをすることになります。)6月には広報のBPファロンと別れている。(訳注:その後、キース・アルサムが引き継ぎます)
ロンドンのマークのオフィスはミッキーの恋人のチリータ(訳注:トニー・セクンダの元妻)が仕切っているが、彼女には権限がない。
誰も信用しないマークが監視しているからだ。彼の周りのスタッフも同様に。
マーク・ボランは誰も信用しない。彼は誰かが彼で楽に金儲けをするのが怖いのだ。彼のミュージシャン、レコード会社、プロモーター、写真家が。

春にレコード会社との契約が切れたとき、マークは世界中のレコード会社とコンタクトし、もっとも金になる会社と契約した。
会社同士を競わせる、マークの手法だ。
最近のT.レックスの英国ツアーでは、彼は妻のジューンに、街頭で売られている非公式なボランのポスターの調査をさせた。
彼は警官を呼び、パンフレットを広げ、こう言った。
「マーク・ボランが許可した公式ポスターは、コンサート会場で売られているものだけさ。」
(訳注:このあたりはボランががめついというより、肖像権が確立された2000年代には当然という気がします。)

音楽についても、マーク・ボランの意見しか通らない。
私はパリで、T.レックスの次のアルバム(訳注:「タンクス」)のレコーディングを見ていた。
マークが詩とコードを書き、みんなに何をすべきか告げる。
曲は2・3回リハーサルをしてレコーディングされる。
ベーシック・トラックが終わると、ミッキー、スティーブ、ビルはミキシング・ルームのソファに座っている。
一方、マークはギターを弾き、歌う。プロデューサーのトニーヴィスコンティは何もせずにミキシング・デスクにいるだけ。
テープがいいか、サウンドが正しいか・・全てマークが決める。
マークはT.レックス・ワックス・カンパニーの社長でもあるのだし。
ほとんど病的とさえいえる、確固たる自信を持ってマークは宣言する。「ヒット・チャートとは俺様のことさ。」

だけど、どのぐらいの間?ファンや評論家たちが、彼の歌はどんどん単調でつまらなくなってきたと言っているのに。
パリで聞いた曲も、私には既出の曲のコピーに聞こえた。
マーク・ボランは高い玉座から降りたほうがいい。彼は言う。「ミッキーは曲が書けないし、歌えない。」
それはファンが決めることだろ。ミッキーにチャンスを与えてやれよ、マーク。

そんなことありえないけどね。マークが支配するのだから。他のメンバーの食事時間も休憩も帰宅時間も。
みんなマークに黙って従い、T.レックスは何も変わらない。
ミッキーは一人でマークと対峙するほど強い人間じゃない。マークと口論するぐらいなら謝っちゃうタイプなのだ。
ミッキーは優しくて、夢見がちで、いつも陽気な奴さ。
彼はもっと強くなったほうがいいのかも知れない。マークには忠告する人間が必要なのだ。」







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