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先日の集談会で生活の発見会の会員になると毎月送付されてくる「SEIKATSUNO Hakken」(通称生活の発見誌)の体験記を読み合わせして感想を述べ合った。なお調査の結果、神経症の体験記は好評でよく読まれていることが分かっている。私は、1年に2回か3回は、理論学習の時間に体験発表を組み込むことを提案している。すると、発表する人もそれを機会に自分を振り返ってみることができる。このまとめは森田理論学習をしている人にとっては必要不可欠なものである。発表後にみなさんの感想やアドバイスを聞くこともできる。これも励みになるのである。これを初心者のうちは1年に1回ぐらいは取り組んでもらいたいものだ。きっと成長している自分を発見できるだろう。「まとめ」のしかたは、すでにこのブログで紹介している。しかし現実は喜んで体験発表する人がほとんどいない。そこで次善の策として、発見誌に掲載されている「体験記」を読み合わせて、感想を述べ合うことをお勧めする。今回取り上げた方は、神経症が悪化して、ひきこもりになった人だった。その人が森田療法に出合い、森田の協力医の治療やカウンセリングを受けながら、集談会に参加して、立ち直りの過程がとても分かりやすく書かれていた。今は介護の仕事をされて、集談会では世話活動もされている人だった。ひきこもりの時期から比べると、雲泥の違いが見てとれた。その人の言葉で印象に残っていることを紹介してみたい。「戦線恐々としながらアルバイトを始めます。常に森田の考え方を意識しながら働きました。そうすると今まで欠点だったものが長所になっていく不思議な感覚におそわれました」「私が森田で学んだことは次のようなことでした。臆病な人間は大胆な人間になる必要はない。慎重な人間になればよい。仕事や作業に時間のかかる人は早い仕事をする必要はない。丁寧な仕事をすればいい」これに対しての私の感想です。この方は元々、ご自分の細かいことにとらわれていく神経質性格を毛嫌いしていたようだ。ところが森田理論学習の中で、神経質性格には二面性があるということに気づかれた。かっこよく言えば自覚を深められた。一種の悟りを得られたのです。つまり、小さなことが気になるというのは、気苦労が絶えないという面が確かにあるが、感性が鋭いということでもある。普通の人が気がつかないこともどんどん気がつく。観察力や分析力に優れている。芸術作品もより深く鑑賞できる貴重な性格です。忌み嫌っていた性格の中に、何物にも代えがたい長所があることに気がついた。これは生き方を変えるような発見だと思います。自分はこの神経質性格のプラスの面を活かして、勝負していけばいいのではないか。そうだ。この際短所は横において、自分の置かれた境遇の中で、長所や強み、自分の存在、自分の持っている能力に磨きをかけて生きていこうと決意を固められた。それが上記の言葉になったのではないか。この言葉は何気ない言葉ですが至言です。森田理論学習をしていると、あるときハット悟りを得るときがあります。それは他人から教えてもらったことではなく、自らつかみとったものです。これが積み重なっていくのですから、森田理論学習は生涯学習になっていくのです。何気ない日常生活の中で、小さな発見や気づきに素直に喜べるような習慣が定着してくると、神経症の苦しみはどんどんと遠のいていきます。そして神経質性格に感謝することができるようになります。そんな自分を生んでくれた両親に親しみを覚えるようになります。
2020.02.29
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このブログは朝6時20分に投稿している。すでに1か月前に予約した原稿が自動的にアップされるようになっている。私は1か月前にはこんなことを考えていたのだなと読み返している。先日うれしいプライベイトメールが届いた。その方は毎朝6時20分に投稿している私のブログを見るために、目覚まし時計を6時20分にセットされているらしい。毎日一番に拝見するのが習慣となりましたということだった。投稿記事については、よい記事もあるが、これはという記事もあるということだった。ただ、森田を神経症治療の範疇を超えて、「森田人間学」の立場からとらえておられることに共感ができるということでした。これからも羽目を外して大いに楽しませてくださいという内容だった。まあ人それぞれ考えていることが違うので納得できる。辛口批評ができるということは、自分に引き寄せて考えられていることだから、その人にとってはこのブログは刺激を与える役割を果たしているのかなと感じた。それよりも、その人の生活習慣を変えてしまったというところが気に入った。多分このブログを朝一番に読もうという気がなかったら、起床時間は不規則になっていたかもしれないと感じた次第です。7時になって起床したり、それ以降に延びていたかもしれない。そうすると、規則正しい生活のリズムが作れない。一日の最初から不安定な生活になってしまう。リズム感のない生活は、自律神経の活動に変調をきたす。体調面で不調になりやすい。朝の起床時間をなるべく早くして、一定に保つことは大切なのです。また朝の時間は意欲に満ちており、特に精神的活動をするものにとっては貴重な時間帯である。昔の人は「朝起きは三文の得がある」といった。これをむざむざ寝て過ごすことは、森田理論でいう「物の性を尽くす」つまり、「時間の性を尽くす」という観点から見るとまるっきり反対のことをしていることにならないかと思う。つまり宝の持ち腐れになっているのである。
2020.02.28
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私はカラオケが好きだ。その中に「浪花恋しぐれ」という歌がある。歌詞に若干の違和感がありました。春団治という落語家は、芸のために女房を泣かす。酒もあおるし、女も泣かす。多分博打もやるのだろう。それらはすべて優れた芸人になるため必要な投資だという。つまり金を湯水のように使い、本能のままに生活しているような人だ。それを正当化してやまない。これに応えて奥さんが次のように言う。そばに私がついていなければ何もできない人やから泣きはしません、つらくとも。あんたが日本一の落語家になるためやったら、うちはどんな苦労にも耐えてみせます。このようなことは外国では考えられないことだ。なにしろ、俺についてこいと我が道を進んでいると、奥さんはすぐに回れ右をしてしまうという。男性がそんな気持ちで生きていると、奥さんはさっさと荷物をまとめて出ていってしまう。これは日本人の理想の夫婦愛を唄った曲のように思える。春団治は日本一の落語家になるという大きな夢を持っている。その夢を実現するために、奥さんはどんな苦労にも耐えて、夫を支えていくと決意を持っている。男性にとっては、どんなことをしても奥さんがしりぬぐいをしてくれるので、たまらないだろう。奥さんはさぞかし大変な思いをして生活されているのかと思いきや、旦那を支えていくことが生きがいになっているという。このような人間関係は問題はないのだろうか。見方を変えると共依存の関係である。春団治は本能のままに生活して、問題を起こしても、「それがどうした、文句があるか」と開き直っている。どんな問題を起こしても、奥さんが解決してくれる。しかし奥さんがいなくなれば、何もできない。ここが問題だ。完全に頼り切って、わがままのし放題なので、もう一人では生きていけなくなっている。過保護で育てられた子供が、自立して生きていく力を身につけることなく、親の財産を当てにして生きているようなものだ。経済的にも精神的にも親に支配されているような状態だ。奥さんがかいがいしく世話をすればするほど、春団治は依存体質から抜けられなくなる。大きな夢を持っているとはいえ、精神的に不安定になることはないのだろうか。自分で何もできないということは、自信喪失、無力感、自己嫌悪、自己否定に陥ることはないだろうか。少なくとも自己肯定感は生まれてこない。こういう人が日本一の噺家になれるとは到底思えない。春団治は有名な噺家になったそうだが、きわめて稀なケースであろう。神経質性格なら、むしろ神経症に陥る可能性が高い。人間は生まれ落ちると、親に全面的に依存している。しかしいずれ依存体質から抜け出して、自立して生きていくことを宿命づけられた生き物ではなかろうか。大人になっても依存体質が抜けられないことは大きな問題だ。奥さんは旦那の世話をやくことが、生きがいになっている。もし春団治がいなくなれば、自分の生きがいもなくなってしまう。生きがいや課題や夢や希望がないことほど寂しい人生はない。むしろ春団治が自分でしでかした不始末は、自分で解決しなさいと突き放すことが必要だったのではないか。金魚の糞みたいにいつまでもくっついていてはうっとうしい。私をたよりにしないで、自分の力で日常生活を維持してください。その時に私が役に立つときは極力協力させてもらいます。今後何から何まで世話をやきずぎることは、差し控えさせていただきます。そして私は私なりに日常生活、課題や問題点、趣味、夢や目標に向かって挑戦していきます。これからは、つきず離れずの人間関係でいきます。そのような夫婦関係に戻していくことが大切なのではなかろうか。実は樹木希林さんはこのような夫婦関係を保っておられましたね。
2020.02.27
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「生の欲望」は、一つではなく多方面に拡がっていると思う。またそれに取り組む意気込み、熱意に温度差がある。私の場合でいえば、まず仕事がある。この目的は生活費を稼ぐことを第一目的としている。したがって職場での人間関係づくりを第一目的としているわけではない。またやりがいがある仕事か、そうでない仕事かは二の次である。ものそのものになって取り組んでいれば、興味や関心、気づきや発見があって仕事が面白くなるが、それは後で振り返ってみた場合のことであって、決してそれを第一目的としているわけではない。つまりイヤイヤ、仕方なしに取り組んでいるのだ。意気込みや熱意は30%ぐらいのものだ。ことさら力んで取り組むものではないと思っている。ホドホドでよいのではないか。次に発見会活動がある。今年で34年目を迎える。対人恐怖症で苦しんでいたころは、藁をもすがる思いで参加していた。そのころの意気込みは100%だった。現在は、人生観を深耕する学習会に参加していると思っている。そのために生涯学習として取り組んでいる。決して離れることはないと思う。離れれば自分の人生に悔いを残すことになるだろう。力みがなくなり、今の意気込みは60%ぐらいかと思う。このブログの投稿はどうか。よく毎日投稿して大変でしょうと言われる。これに投入している時間は、毎日1時間30分である。それこそ朝飯前である。ほとんど負担の感じはない。習慣となっているので、毎日1本の記事を書かないと気持ちが悪い。でも何を投稿するかは、いつも気にかけて探している。意気込みは60%ぐらい。特に意欲をかき立てることはない。またそれでは長続きしないだろう。日常茶飯事を丁寧に行うこと。凡事徹底のことだ。身の周り、衣食住、掃除、後片付け、植物の世話などだ。日記をつける。そして規則正しい生活を送ること。ウォーキングやスクワットなどの運動を心がける。これらはすでに習慣となっている。外れるとまた元に戻そうとする力が自然に湧いてくる。意気込みは40%ぐらい。習慣化しているので淡々とこなすだけだ。次に興味があり自然に手が出るものがある。まずカラオケ。you tubeの伴奏で毎日30分は練習している。一人一芸の練習。毎日練習しているものとしてアルトサックスは30分。どじょう掬いとしばてん踊りは各1回ずつ。皿回しとけん玉も毎日している。その他腹話術の口上、田中角栄の物まねも毎日練習している。読書も毎日2時間から3時間程度はしている。ネット麻雀も運試しを兼ねて半荘一回は毎日している。これらは毎日していないと能力が落ちてしまう。楽しみにしていて、スケジュール通り毎日決まった時間に行う。楽しいことが多く、意気込みはほぼ100%である。それに付随して、獅子舞、浪曲奇術などは上演の日程が決まると1週間前から練習している。それと、自家用野菜作りが楽しみだ。花や果樹の手入れも好きだ。梅酒、らっきょう漬などの加工食品も毎年手掛けている。音楽会や落語が好きで情報誌を見てチェックしている。気に入ったものはどんどん出かけていって見ている。テレビ番組は、よいものは録画して後で見ることにしている。プロフェッショナル、サイエンス、情熱大陸、人生の楽園、なんでも鑑定団、球辞苑などだ。民放放送はCMをカットしてみるだけでも時間の有効活用につながる。意気込みとしては50%ぐらいか。こうしてみると生の欲望を一つに決めていないことが分かる。欲望はいろんな方面に展開されており、一つのことにあまりにものめることは問題があると思う。ここでもバランス、調和、不即不離という森田の考え方が応用されていることが分かる。
2020.02.26
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約束の時間に遅れてやってきて、「実は渋滞に巻き込まれてしまいまして、遅れてしまいました。自宅はゆとりを持って出たのですが」などという人がいる。事実はその通りなのかもしれない。あるいは、本人が嘘をついていいわけをしているのかもしれない。真相はよく分からないが、約束の時間に遅れてきたことは事実である。相手は、「それは大変でしたね」といってくれるかもしれない。そうなると、相手は遅れてきたことを許してくれたと安心するかもしれない。でもこのような対応は相手にしてみれば、なんか釈然としない。それはなぜか。それは相手が自分の行為を正当化しようとしていることに対して、無意識の反発を感じるからではなかろうか。遅れたのは、自分のせいではありません。交通渋滞が招いた結果です。だから私は悪くないんですと自分を正当化しようとしている。相手に与えた損害や迷惑に対しては無頓着なのだ。ですから、弁解や言い訳を付け加えてくどくどと説明することは、相手に嫌悪感をもたらすのです。「遅れまして、誠にすみません」の後で、自分を正当化しようとすると、相手の心の中に、この人間はいつも弁解やいいわけをする人なのだなという先入観を与えてしまう。拡大して、この人は人間性に問題がある。信用できない人だなと思われてしまう。これが商売などでは以後の交渉に大きな影響を与えてしまう。まだ指摘してくれればよいのだ。普通はすっと離れていく人のほうが多い。遅れてくる人を観察してみると、平気でドタキャンをすることがある。宴会や旅行や研修会が迫ったという頃になって、急に断りの電話がかかってくる。どうも参加する意欲がなくなりましてとは、まず言わない。ありとあらゆる理由を付け加えて説明される。「どうも風邪を引いたみたいなんです」「親戚の葬式が入りました」「急な打ち合わせに出席する必要が出てきました」「子どもに熱が出ました」「その日は別の用事が入っていました。参加したいのはやまやまなのですが、今回はどうしてもいけそうにありません」「その日は遺産分割の会合を開くことになりました」思いつく限りの理由を並べ立てて、ドタキャンを正当化しようとしている。本人はうまい理由を考え付いて、ドタキャンに成功したと喜んでいるのだろう。10のうち2つや3つは事実かもしれない。でもそのほとんどは嘘だということは、相手にとっては大体察しがついている。過去のその人の行動を振り返ってみれば大体読めるのである。同じようなことを何度も繰り返している。それが習慣になっているのです。カエルの面に小便のようなもので、心の痛みを感じる感性が麻痺しているのです。だから過去にそんな行動をとった人は、まともに信用しない方がよい。参加の意向を示しても、ドタキャンを想定して受け付けるとショックは少なくて済む。普通ドタキャンされた人は、理由が何であれ、苦々しく思うものだ。宿泊、食事、交通の手配、予算計画などをすぐに変更しないといけないのだ。当日になると変更できない。お金は後で払いますからといわれても、「はい分かりました」とすんなり納得できないのだ。そんなことはお構いなしに、自分の都合を優先してしまうその態度が許せないという気持ちになるのだと思う。弁解やいいわけをすることが常態化している人は、森田理論の「純な心」の学習をお勧めしたい。森田先生の逸話がある。うさぎ小屋の掃除をしていた人が、突然侵入してきた猛犬にうさぎをかみ殺された。その時、自分は悪くない。入口の作り方が悪いなどと弁解された。それを聞いた森田先生は烈火のごとく叱られた。弁解や言い訳は、事実に素直に向き合う態度を養成していることから考えると決して看過できない。神経症の治療からはますます遠ざかっていくことを指摘されたのだと思う。弁解やいいわけが常態化していると、事実本位の生活態度を身に着けることは永遠にできないと思う。
2020.02.25
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五木寛之さんは、日本が戦争に負けて、13歳の時、朝鮮半島から引き揚げてこられました。その体験から多くのことを学ばれたそうです。昭和20年8月15日、天皇陛下の玉音放送がある前から、ごく一部の人たちは、ここにいては危ないといち早く察知して、さっさと列車に乗って、ソウルの方に南下していきました。政府の要人やその家族、利口なグループは、荷物をまとめて、なるべく早く日本に帰ることを考えていたのです。ところがほとんどの人は、その時、政府からのラジオ放送を信じていたのです。政府は、「治安は維持される。一般人は軽挙妄動することなく現地に留まるように」という放送を繰り返して流していました。取り残されたのは、政府の言うことを信じていれば間違いないと、愚直に信じていた日本人だった。五木さんもそうだったのです。するとすぐにソ連軍が侵攻してきました。日本が敗戦を認めた後に侵攻してきて、すべての財産を奪いました。難民となり、なかにはシベリアに連れて行って強制労働させられる人もいました。極寒のシベリアで粗末な食事で過酷な労働を強いられました。無念のうちに亡くなる人もたくさんいました。これが変化に対応し損ねた人の紛れもない実態です。五木寛之さんは次のように語っておられます。国という権威は何でもできる。人間の命を、紙切れ一枚で戦地に引っ張り出すこともできるし、植民地に残された国民が、悲惨な状況に陥ることが分かっていても、大丈夫だといって放置する。私は、その後、国によりかからないで、自分の感覚というか、勘をセンサーにして生きていく覚悟を決めました。むしろ指示される方向とは別な道はないかと、自分で考えるような癖がつきました。いま政府が、「人生100年時代構想」の提言をしていますが、それを鵜呑みにして、踊らされるのではなく、「百歳人生」とは、自分の人生の幸せを構築するための、長いスパンを、天から与えられた一種のモラトリアム、と考えたほうがよいのではないかと思う。(百歳人生を生きるヒント 五木寛之 日経プレミアシリーズ参照)五木寛之さんは大切なことを言われていると思います。変化に即座に対応するような生き方を身につけたほうがよい。変化に対応していくためには、自分から積極的に情報収集をする必要がある。そうしないと自分の身の破滅をおびき寄せることになってしまう。そのために、普段からそこに起こっている事象をよく観察する習慣を身に着けることだ。もし変化の兆しを感じたら、直ちに行動を開始する。もたもたしていてはならない。むしろ仮説をたてて、変化を先取りするような気持ちを持つ方がよい。他人からもたらされた情報をそのまま鵜呑みにしてはならない。もし信じるのならば、自分の目でしっかりと確かめて、必ずその裏付けをとるようにする。森田先生の言われていることと同じです。政府の行っている施策についても同様です。特に補助金のついた施策はよく考えてみる必要があります。政府が誘導したいほうに補助金がつくのです。甘い蜜ほど毒がある。減反政策がそうでした。米を作らなくてもそれなりのお金が出る。最初は農家の人は喜びました。汗水たらさなくても収入になるからです。その結果、米作りに対する農家の情熱を根こそぎ奪い取ってしまいました。成果を上げた後で、減反政策は打ち切られました。農家は困っています。現在、米価低迷、後継ぎ不足、高齢化、農業機械の高騰で米作りに情熱を持って取り組んでいる人はほとんどいません。農村では、耕作放棄地の拡大、後継ぎ不足、過疎、限界集落の問題で苦しんでいます。共同体、コミュニティの崩壊を招き、夜になると、イノシシ、猿、熊の天国となっているのです。中山間地でも夜間に一人で出歩くということは、とても危険な状態になっています。食料を輸入に依存している国は極めて危険です。現在日本人は外国からの輸入食品に頼っています。しかし世界の人口が90億人を超えて、さらに開発途上国の生活レベルが上がってきた時には、食料の奪い合いが全世界で起きることが予想されています。その時、食料は高騰し、またお金を積んでも売ってくれないという事態が想定されます。今は飽食三昧の日本人ですが、そのうちすぐに戦時中の食糧難と同じような辛苦に直面することが予見されます。食料不足が起きたとき、政府は責任を持ってくれるでしょうか。多分、その時政府は言うでしょう。自己責任の世界ですからと。ご自分とご家族の食料を、自らの力で調達するのが当然ではないですかと。現に家庭菜園などで食料を自給自足している人がいるではありませんか。実際にはそういう人は困ってはいませんよと。そういう将来が確実に予想されるのに、変化が見えないということは恐ろしいことだと思います。人生100年時代への対応ですが、身体の健康と増進、経済的な自立計画、精神的な安定、人間関係の持ち方、やりがいや生きがいづくりが大切になると思います。これらのリスクは、あらかじめ分かっているわけですから、その対策を50代ぐらいから立てて、実行する必要があると思います。不安は安心のための用心であるということです。この点、神経質性格者は、創造性、好奇心、分析力が旺盛ですので、リスク管理を早めに立てて将来に備えることができるのではないでしょうか。さらに集談会でもそういう問題について、問題提起をして普段から話し合うことが大切だと思います。集談会はそういう問題も含めて有効活用する必要があります。それが森田を生活のために活用するということになるのです。そうすればマンネリに陥り、集談会に参加することが苦痛ということはなくなると思います。
2020.02.24
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1月号の生活の発見誌に、集談会に参加し森田理論学習を続けてよくなる人の特徴が紹介されていた。1、森田に触れて「私だけではない(なかった)と思う人。そう思える人は、森田をさらに学び体験を深めていくと、やがて「私は私でよい」と思うようになる。2、やりたいこと、やるべきことのある人の方が、やりたいことがない、わからない人よりも、よくなりやすい。3、ただ治してもらおうというスタンスの人は、むずかしい。集談会で言えば、手伝いをしたり、役を担ったり、人のために手を貸すことのできる人ほど良くなる。4、回避ばかりする人より、恐怖突入できる人のほうが良くなる。森田では、必要に迫られて恐怖突入する。これを自分の場合に当てはめて振り返ってみた。集談会に参加し始めたころ、神経症を抱えている人がたくさんおられて、仲間意識を感じた。この会に参加することで居心地のよさを感じた。だから30年以上も続いている。特に丁寧に森田を生活に応用して、実践・行動に目が向いている人の生き方に感銘を受けた。神経質性格の学習で、性格には二面性があり、プラスの面を評価して、活用していくことを学んだ。自分の持っている神経質性格に磨きをかけることで、バランスを維持していこうと思っている。森田先生の多彩な宴会芸の話を聞いて、自分でもアルトサックスの演奏、どじょう掬い、獅子舞、浪曲奇術などの一人一芸に取り組んだ。これが人間関係の改善、生活の幅を大きく広げてくれた。入会して6か月目から図書係をはじめいろんな役目を引き受けてきた。これが集談会に留まるきっかけとなった。後で振り返ってみれば、森田から離れなかった。離れられなかった。今考えると、この効果は絶大であったことに気づいた。また、集談会での世話活動の経験は、会社でもすんなりと応用することができた。さらに、集談会、支部活動の中で良好な人間関係をたくさん築くこともできた。私は回避性人格障害だと思っている。すべての項目が当てはまる。人間関係では嫌な場面に遭遇すると、すぐに逃げ出したくなる。最近は、逆に逃げてもいいんだと思っている。逃げて大事に至らなかった事例をたくさん見てきたからである。基本的に、大きな問題から逃げている自分を責めなくなった。かえってうまく逃げ通した自分を、「よく逃げ通した」と認めることができるようになった。これで精神的には、自分の中に住みついている相反する二人の自分が折り合いをつけているのだと思う。また最近は必要最低限のことからは、なんとか踏みとどまることができるようになった。逃げても許せる自分がいるので、かえって必要なことからは逃げないで行動できているのではないかと思っている。やることに二の足を踏むときは、考えられる問題点を思いつく限りメモするようにしている。そして、問題点を一つ一つつぶしていくことを実践している。すると面白くなってくる。弾みがついてくるのである。対人関係では、挨拶だけは丁寧にしようと思っている。あとは、必要な話だけを手短にするようにしている。さし障りのない付き合いで十分だと思っている。浅い付き合いの人間関係もありだ。つまり、森田理論でいう「不即不離」の人間関係作りを心がけているのだ。これを人間関係に活用しない手はないと思うようになっている。
2020.02.23
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私が所属しているNPO法人生活の発見会は50年の節目を迎える。そこで、「私が伝えたい森田」(次世代へのメッセージ)という原稿を募集するそうだ。400字から3000字で、12月末まで受け付けるそうだ。これはぜひとも参加したい。なおこれは、会員向けとして発見誌に掲載するそうだ。本来なら、森田を知らない人に、森田で救われた人からのギフトとして企画してもらいたかった。私は、会員になって33年になるが、どんなメリットがあったのか、簡単に振り返ってみた。私は森田理論の学習の自助組織NPO法人生活の発見会の会員になって33年になります。私が抱えていた問題は、対人恐怖症でした。家族、友達、同級生、会社の人間関係に問題を抱えていました。他人の言動に振り回されて、いつも不安でおどおどしていました。他人が自分のことを非難、否定することに耐えられませんでした。基本的には、いやな場面、予期不安が発生すると逃避する道を歩んでいました。また、自分より弱い人を見ると、けんかを吹っかけるような有様でした。いつも他人の言動に振り回されて、毎日針の筵に座っているような状態でした。逃げ回っていると、その瞬間だけはすこし楽になりましたが、その後後悔し、自己嫌悪に陥っていました。生きることが苦痛で、生きていても仕方がないと思っていました。長谷川洋三先生の「森田式精神健康法」の本の裏側に生活の発見会のことが書いてあり、藁にすがる思いで入会しました。そして集談会に参加し始めました。参加者の方が自分の悩みをよく聞いてくださり、励ましてくださいました。ここには私と同じ悩みを抱えた仲間がいるという実感が持てました。私の場合、最初のうちは毎週土曜日に悩みを聞いてくださる方がいて助かりました。6か月経った頃、図書係という世話活動をすることになりました。それからいろんな役割をいただき、丁寧に取り組みました。代表幹事、集談会の運営、忘年会や新年会の企画や実施、一日学習会の企画や実施、支部研修会の企画や実施、全国総会の出席などです。これらに真剣に取り組んでいると、症状ばかりにかかわっている状態から抜けだすことができました。また、世話係の仕事は、会社の仕事にも応用できるようになりました。仕事に追われていた状態から、仕事を追っていけるようになりました。同僚や上司からも仕事ぶりを高く評価されるようになりました。趣味やボランティア活動にも参加するようになり、生活は一変しました。これは集談会に継続的に参加したおかげだと思っております。生活は見違えるように改善できましたが、対人恐怖症の克服は時間がかかりました。今は治らずして治ったなと感じています。根っこのようなものは、今も残っているのですが、これを完全に取り除いてしまうと自分が自分でなくなってしまうと考えるようになりました。生活が後退しない程度に治れば十分ではないのかと考えるようになりました。必要最低限の付き合いだけは、どんなに気が進まなくてもこなしていくという感じです。必要のない付き合いは、今まで通り逃げ回ってもOKと思っています。これは森田理論の「不即不離」という考え方が役に立ちました。普通の人間関係は。その時、その場の必要に応じて一時的に引っ付いたり、離れたりしているという考えです。少ない濃密な人間関係を目指すのではなく、広く薄い人間関係作りを目指す考え方です。私はとりあえず年賀状を500人に出す目標を掲げて取り組んでみました。実際には300人程度で終わりましたが、いろんな人と知り合いになれたことは確かです。集談会の仲間、親戚、同級生、友達、職場の仲間、以前勤めていた会社の仲間、資格試験の仲間、老人ホーム慰問仲間、カラオケの仲間、麻雀の仲間、一人一芸の趣味の仲間、町内会、田舎の近所の人たちと薄くて広い人間関係作りに努めました。すると、精神的に楽になりました。孤立して孤独な人生という考えはなくなりました。そして何か困ったときは、その中から適切な人に相談に乗ってもらえるようになりました。集談会でも自分の参加している集談会のみならず、近隣の集談会、支部単位の集談会、全国で知り合った仲間、精神科医、臨床心理士の人たちとも交流を始めました。これはいくら一人で考えても難しかっただろうと思います。生活の発見会の会員になり、仲間と交流を深めて、さらに森田理論学習で人間関係のコツを習得した結果だと思っています。生活の発見会の会員の中には、満天の空にキラキラと輝く星のような方がたくさんいらっしゃいます。その星を見つけて親しくお話することはとても大きな楽しみになっています。神経症を抱えている人、さらに人間関係で問題を抱えている人、生きづらさを抱えている人、適応不安で押しつぶされそうな人はぜひ私たちと一緒に活動を始めませんか。ご自分のこれからの人生の指針をつかむことができると確信しています。
2020.02.22
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集談会では学校の先生をされている方の参加者がいらっしゃいます。教室で大勢の児童や生徒を前にしての仕事はストレスが多いのだと思います。特に対人緊張の強い人は、出勤することさえままならないのかもしれません。問題は誰にも相談することなく、孤立しておられること人が多いということです。こういう方のために、生活の発見誌1月号にEPA(従業員支援プログラム)の紹介がありました。通称イープと言います。心の問題で相談したいことができたとき、配布されている教職員互助会「メンタルヘルス・ポケットブック」相談券を使うと3回、自己負担なしで相談ができるそうです。それでも解決しないときは、前述の「ポケットブック」に記載されているフリーダイヤルに電話して、手続きすると、さらに5回面接相談を継続できます。年間合計で8回、年度を跨げは連続して16回、臨床心理士との面談が自己負担なしでできるそうです。本来カウンセリングは臨床心理士さんによっても異なりますが、おおむね1万円程度はかかります。これは無料ですから気軽に利用できそうですね。もちろん守秘義務は守られます。心の問題を抱えた教職員の方は一度問い合わせてみてください。(生活の発見誌 77ページより要旨引用)どういう臨床心理士さんがよいのかということですが、私は森田理論に詳しい臨床心理士さんをお勧めいたします。日本森田療法学会、NPO法人生活の発見会、公益財団法人メンタルヘルス岡本記念財団などにかかわっておられる方は特に意識が高いです。臨床心理士に森田療法をプラスしてネットなどで検索すれば適切な人が見つかるでしょう。集談会に参加されている人は、長らく参加されている人に聞けば、適切な人を紹介してくださるでしょう。精神科医も含めて、そういう情報はたくさん蓄積しています。一般企業の場合は、2008年に施行された「労働契約法」によって、心の健康への配慮は努力義務ではなく、法的義務として取り組むこととされました。しかし、実際にはメンタルヘルスのケアの専門家を置く企業は15パーセントにすぎません。そこで、次善の策として、外部の心理専門家と提携して、「外部従業員支援プログラム」(EPA)を活用している企業が増加しています。今後ますます増加してくるものと思われます。カウンセリングを考えておられる方は、会社の実情を一度調べてみてください。
2020.02.21
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1月号の生活の発見誌に私がいつもお世話になっている臨床心理士さんの投稿があった。とても役に立つ記事なので要旨を紹介したい。今から800年前、山口県の壇ノ浦で、源義経は平家一門を完全に攻め滅ぼしてしまいました。平家一門を完全に討つだけではなく、幼少の安徳天皇まで殺害しました。普通でしたら、源一門はめでたしめでたしというところですが、実際には兄弟による骨肉の争いが起きました。義経は兄の頼朝との覇権争いに巻き込まれたのです。頼朝にとっては、平家一門滅亡の瞬間から、義経は必要な人材ではなくなったどころか、むしろ朝廷の権力者と繋がり、自分を脅かす邪魔な存在となってしまったのです。覇権争いに敗れた義経は、奥州の方まで逃げ延びざるを得なくなりました。どうしてそのようなことが起きたのか。平家一門を討つという共通の目的があるうちは、兄弟が一致団結して行動することができました。その目的を完全に達成してしまうと、目的を見失ったのです。そして、今度は兄弟同士で誰が権力者になるのかという目的にすり替わってしまったのです。昨日までの仲のよかった兄弟は、今日の敵となったのです。仲のよい兄弟といえども、骨肉の醜い争いをするようになるのです。戦いにおいて、勝ち過ぎは災いの元です。敵を完全完璧に叩き潰してしまうと、その瞬間から別の災いが起こってきます。敵を完璧に崩壊などせず、むしろ弱った敵に塩を送るくらいの度量、度胸、戦略性があったほうが何事もうまく収まるものです。と臨床心理士さんは指摘されています。不安、恐怖、違和感、不快感への対応も同じことが言えます。森田理論学習では、それらは欲望が存在するから発生したものです。私たちは人間は欲望をなくすることができないわけですから、不都合だからといって、それらを排除することはできません。欲望が大きければ大きいほど、それらも欲望に比例して大きくなるという特徴があります。それらは、注射針を刺されるように心に痛みを与えますが、欲望が暴走しないように制御機能を果たしています。大切な役割を果たしています。だから進化の過程で、淘汰されなかったのです。欲望は不安などを活用して、調整する必要があるのです。神経症に陥ると、ことさら不安などに意識や注意を向けて、霧散霧消しようと格闘しています。それらを完全になくしてしまおうと考えることは、水車小屋に飛び込んでいったドンキホーテのようなピエロを演じているのです。完全に方向性を見誤っているのです。森田理論学習をしていないと、全くそのからくりは見えてこないでしょう。不安への対応は2つに分かれます。将来に明るい展望が見えるものと他人に役に立つ不安は、不安解消のために立ち向かうことです。放置していると、自分や他人に災いが及びます。それ以外の不安は、不安の役割を踏まえて、それを持ちこたえたまま、本来の欲望をしっかりと見据えて、欲望の達成にエネルギーを投入することなのです。神経症的な不安というのは主にこちらの方に入ります。そのバランスがとれていれば、欲望が暴走して、自分や他人、他国に惨禍を撒き散らかすことはなくなるのです。不安を完全に取り除くという努力は、百害あって一利なしと心得ておきましょう。
2020.02.20
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森田理論では不安から気分本位になってすぐに逃げることを戒めています。私の人生を振り返ってみると、対人恐怖症でしなければならない仕事から逃避してきました。定年退職してから、そんな場面が次から次へと夢の中に現れて、後悔で苦しんでいます。自分はなんと無為の人生を送ってきたことかと自己嫌悪しています。ところが株式投資(スイングトレード)で少なからず成果を上げている人が次のような話をされました。尚、投資とトレードは全く違うそうですが、ここでは厳密に区別していません。短期の株式トレードの世界で一番重要なことは、思惑が外れた場合に、すぐに手じまいをすることだ。つまり、ある程度の損を確定させて資金を引きげることだ。つまり、なりふり構わずに、ある程度の損失を確定させてすぐに逃げることだ。株をやっている人は、誰でも損切りをすることは嫌なものです。そこで、手じまいしないでそのまま持ち続ける人がいる。そういう人のほうが多い。そのうち状況が変わり、自分の思惑通りに好転することを期待しているのである。たしかに、好転してくることもある。でも、全部がそうなるとは限らない。そんな戦略だと、仮に1回でも大きく下げ続けたら、命取りになることがある。たとえば100万円の資金が50万円以上に目減りしたら、取り返すことができますか。身動きできなくなり、世間でいう塩漬け株の所有者となってしまうのである。一般の人でもこの塩漬け株をいつまでも持ち続けている人が実に多い。これが仮にいつもマイナス2万の損切りができる人は、必要経費を支払ったという感覚になれる。短期のトレードでは、まず失敗した時に勇気を持って撤退する習慣を身に着けることである。90%の人が株式投資で失敗をして、撤退を余儀なくされているのは、自分の失敗を認めて、すぐに逃げるという行動を起こさないからだといっても過言ではない。そういえば古代中国の兵法の中に、「三十六計、逃げるに如かず」ということわざがあります。不利な状況になったら、すぐに逃げるという方法が最も大切であるという意味です。安全なところまで逃げて、体制をととのえ、対策を練りなおして、再度攻めていくということです。逃げてはいけないと自分や味方を鼓舞し続けることは、時として再起不能に陥ることもあるのです。私たちはあまりにも気分本位になってやるべきことから逃げるとダメだと思っていないでしょうか。気分本位で逃避するのはダメだという「かくあるべし」を自分に押し付けているようなものです。その方向は益々自分を、後悔、自己嫌悪、自己否定の道へと追いやります。ですからすべての面で機械的に逃避することはだめだと決めつけてしまうことは問題なのです。逃げることと逃げないで立ち向かうことは、その時、その場の状況に応じて臨機応変に対応することが大切であるということだと思います。そして両方を使い分ける知恵を身に着けることです。身体に危険が迫っている。財産が危険にさらされている。津波や土砂災害の危険性がある。二次災害が起こるかもしれない。と感じたら、着の身着のままで逃げなくてはならない。逃げないで傍観していると、たちまち身の破滅を招いてしまう。後悔してもしきれない状況に追い込まれます。仕事や勉強はどうか。これらは最初から好きでやっている人はいない。でも、生きていくうえで、イヤイヤ仕方なしにでも取り組まなければいけないものである。気分本位で、手をつけないこともできるが、そうすると将来に明るい見通しが立たない。また、イヤイヤ仕方なしに取り組んでいると、弾みがついて、生きがいが生まれてくるという側面を無視してはならないと思う。最後に日常茶飯事はどうか。これはスボラをこいて、手を抜いてはならない部分である。自分のできることを、安易に他人に依存していると、生きがいや精気まですべてを奪い取られてしまう。森田でも日常茶飯事だけは、気分本位に陥ってはならないと指摘している。こうしてみてくると、すぐに逃げなくてはいけないのに、逃げずに傍観し続けている人がいる。また、逃げてはいけないのに、気分本位になって、逃げることが習慣になっている人もいる。あべこべになっているのである。この習慣はすぐに是正していかなくてはならないと思う。
2020.02.19
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森田先生が土佐へ犬神憑の調査に出張したのは、ある日、呉先生が、「今教室に、60円ばかり旅費が残っている。誰か行きたいものはないか」と聞かれたことがきっかけだった。ニコニコしながら先生の顔を見ていると、「森田君、どうです」と言われた。「待ってました」とばかりに、「もしさしつかえない事なら、ぜひお願いしたいものです」と答えた。もちろんその時には、私にはどこへ行って何を調べるかということは見当はつかない。まずその機会を取り込んでおいて、しかる後にユルユル考案するつもりである。これがもし、自分が何を調査し、その金をいかに使うかということを考えて、しかる後にイエスと答えようとするから、最寄り間に合うはずもなく、後になって、あの時に、引き受けておけばよかったと残念がるのである。(森田全集第5巻 535ページより要旨引用)チャンスの神様は前髪はあるが、後ろ髪はない。チャンスというのは前から掴まえないと、捕まえることはできないのである。イエスかノーか迷ったときは、断然イエスと答えること。断然イエスと引き受けた後には、もはやのっびきならぬ、背水の陣です。運命を切り開く心がけのある人は、自分でこの境遇を作りださなければならない。そうすれば必ずできない事もでき、無理が通って、道理も引っ込むようになります。中国の思想家である列子は、「時を得るものは栄え、時を失うものは滅ぶ」言っています。今がチャンスだと思ったら、機敏に行動するほうが得策である。チャンスにすぐに動くことができないと、自分の身を滅ぼしてしまうことになるといっているのです。列子はそこまで言っているのです。つまりいつまで経っても、生きがいなんて持つことができない。チャンスを逃さないために必要なものは何でしょうか。3000m級の山を越えていく渡り鳥が参考になります。こんな高い山を越えることは、自力だけでは無理です。うまく上昇気流を捉えて、その気流に乗って山を越えていくのです。ところが、渡り鳥にとって都合のよい上昇気流が、いつも吹いているわけではありません。その間、上昇気流が吹きだすのを、じっと待っているわけではありません。自分の力で高い山を超えようとしては失敗し、また試みては失敗するといったことを何度も繰り返しているのです。試行錯誤を繰り返しているうちに、あるとき急に思っても見ないチャンスが巡ってくるのです。そのチャンスを上手にとらえて、一気に山を越えていくのです。渡り鳥は普段からチャンスを鵜の目鷹の目で観察しているのです。そしてチャンスがくれば、躊躇しないで確実にものにしている。過去に山越えをした経験があるのか、あるいは成功するという確かな信念があるのか、何度失敗してもひるみません。最初から、先入観で考えると、こんなことはとても無理だと判断してしまうかもしれません。でもグズグスしていると、すぐにそのチャンスは通り過ぎてしまうのです。次のチャンスは二度と訪れることはないといったことも十分にあり得ることです。森田先生は、のっぴきならない状況に自分を追い込んでしまう。背水の陣を作りだして、そこから目線を上にあげて行動を開始することの重要性を説明されているのだと思います。自分で作りだしたチャンスには、前進する力が次々に湧いてくるようになるのだと思います。
2020.02.18
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織田信長は桶狭間の戦で今川義元に勝ちました。その時の今川義元の軍勢は25000人といわれています。それに対して織田軍は4000人でした。軍勢では6倍強の差がありました。多勢に無勢、普通でしたら、今川軍の勝利は間違いないところです。ところが実際の事実は大どんでん返しが待っていたのです。最近の相撲でいえば炎鵬という小兵力士が、200キロ近い大きな力士に勝ったようなものです。しかも幕内で勝ちこしている。舞の海以来の痛快な出来事です。なにしろ大人と中学生くらいの体格の差があるのですから、どう見ても勝ち目はなさそうに見えます。普通でしたら相撲も柔道と同じように、体重別にしてくれと言いたくなるところです。炎鵬のその不利な事実を受け入れたうえで、果敢に勝負に向かう姿勢にとても好感が持てます。炎鵬は小さい体を活かして俊敏な動きで相手をかく乱すること、奇襲作戦を仕掛けること、相手の足を抱えて相手の動きを止めることに専念しているように見えます。織田信長もその不利な状況を認めたうえで、果敢に戦う道を選びました。すぐにあきらめたり、降参しないで、命をかけて闘う道を選択したのです。普通の人はこの段階で躓いてしまうのではないでしょうか。不利な事実を認めると、注意や意識は、勝つためにはどんな戦略を用いるかに移ります。まず敵の目をかく乱するために25000人の兵力を分散させることを考えました。自軍の兵力のないところに、たくさんの幟を立てたのです。つまり自分のいる場所の陽動作戦をとったのです。次に、信長は、今川軍の動向を探るために密偵を放しました。今川軍に隙が生まれる瞬間がないか情報収集させたのです。するとある密偵から、「今、今川軍は桶狭間という山の中で休息をとっている。兵は酒を飲んだり昼寝をしたりしている」という情報が入りました。「今が千際一隅のチャンスだ」と判断した信長は、すぐに奇襲攻撃をかけました。これが世に言う「桶狭間の戦い」です。チャンスを逃さずに即座に行動できた実行力にすごさを感じます。この行動によって、信長は奇跡的に今川軍に勝利し、天下人になる芽が出てきたのです。困難な状況から安易に逃げない。腹を据えて覚悟を持つ。不利な状況を受けいれた上で、どうすれば今の状況を変えることができるのかと考える。その戦略をいくつも考える。そしてこれはと思った戦略をいくつか選択する。最後に選択した戦略を果敢に実行に移す。このような生活態度の養成は、森田理論の学習で学びました。あとは、着実に実行していく勇気の問題になります。これが事実本位の生き方となります。
2020.02.17
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昨日は区民文化センターにて出合い・ふれあいフェスティバルがありました。写真はその時の一コマです。子供たちのダンスですが、みんな上手につま先を立てて踊っていました。練習するとすごいことが出来るものだと思いました。私たちは紙芝居祭りに招かれて、呼び込みと紙芝居に合わせてサックス演奏をしました。今は紙芝居といっても、一部見物人参加型になっています。また、狂言の舞と組み合わせた紙芝居には驚きました。今はどこの公民館もあらゆる活動を行っていますね。習い事でこれはないというものを探すことが難しいですね。私が興味を覚えたのは、ダップダンスとオカリナです。機会があれば挑戦してみたいと思いました。
2020.02.16
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樹木希林さんは次のような持論があるといわれています。女の適性というものがあるとすれば、やっぱり身体を目いっぱい動かすと、女の嫌なものが出ないで済むなと、考えているの。私の場合、子育ての時に、仕事で忙しかったので、女の嫌なものを出す暇がなかったというのはありがたいことだった。ゆとりのある人は、いやな醜い面が出ますよ。私の子育ては、とにかく、どんなに忙しくても、「手ずくりのご飯だけはきちんと食べさせる」ことだったの。子供をこういうふうに育てなければということを考えるゆとりがないのよ。娘になにかを買ってあげたという記憶もないのよ。基本的に女というのは、余計なことを考える時間があると、余計なことをしてしまうと思うの。生きるのに精いっぱいという人が、だいたい見事な人生を送りますね。(一切なりゆき 樹木希林 文藝春秋 149ページより引用)これを見るとゆとりある生活は理想のように思えますが、あまりにも短絡的かもしれません。専業主婦というのはよほど注意する必要がありそうですね。でもこれは別に女性だけではないと思います。男性もそうです。特に定年退職して一日中テレビのモリをしているような人は要注意です。「小人閑居して不善をなす」ということです。普通の人は、日常茶飯事、勉強や仕事、趣味、夢や目標、他人との付き合い、地域活動などで忙しいのです。それらに真剣に取り組んでいないとどうなるか。まず、注意や意識が自分の言動の方に向けられてきます。本来外向き、物事本位になるべき注意や意識が、自分を厳しく監視して、批判するようになるのです。そして自己嫌悪、自己否定に陥ってしまいます。次に、子どもや他人の言動に向けられます。やるべきことに手をつけていないと、言葉を使って観念優先の世界に入り込んでしまいます。現実、現状、事実を軽視して、「かくあるべし」で価値判断して、その考えを子どもに押し付けることになってしまいます。過保護、過干渉、挙句の果ては無関心、放任状態になります。そうならないためには、まずは日常茶飯事に真剣に取り組むことだと思います。これが基本となる必要があります。毎日同じ時間に同じことを無意識にこなしている状態です。規則正しい生活のことです。さらに、これをものそのものになって行うことです。毎日の繰り返しの中で、小さな気づきや発見、喜びやうれしさが生まれてくればしめたものです。ものそのものになって行動していると、自然発生的に出てくるものです。私は、これを「凡事徹底」という言葉にして大切にしています。
2020.02.16
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樹木希林さんは61歳で右目を失明。62歳で乳がんの手術を受ける。その後ガンが全身に転移。70歳の時、「わが母の記」で第36回日本アカデミー賞最優秀主演女優賞を受賞。その受賞スピーチで全身がんであることを公表。その後も「あん」「万引き家族」などの映画に出演。72歳で第39回日本アカデミー賞優秀主演女優賞の受賞。75歳で大腿骨を骨折して緊急入院。9月自宅で家族に看取られながら死去。普通は片眼を失い、ガンになった時点で生きる力がかなり失われるのではなかろうか。全身にがんが転移した時点で、仕事を放り投げて、失意のうちに治療に専念する人が多いのではなかろうか。樹木希林さんはこの14年間はどんな気持ちで生きてこられたのであろうか。樹木希林さんは、「逃げたってがんは追いかけてくるんだから、やっつけようとすれば、自分の身体もへたばっちゃう。だから逃げることもせず、やっつけもできないからそのまんまいるっていう感じです」樹木希林さんは、「病というものを駄目として、健康であることをいいとするだけなら、こんなつまらない人生はないだろう」と言われる。「物事には善の面もあれば、悪の面もあると私は思うのです。その二つの側面を過不足なく受け入れることができたら、本当の意味で人間はたくましくなります」ガンになって、いろんな賞をいただいたけれども、うらやましがられることがなかった。ガンになったせいで亡くなるまでの準備ができた。ガンになったおかげで、人生についてより深く考えることができた。樹木希林さんはガンになってもユーモアを心がけておられた。夫の内田裕也さんが、ここ最近会うたびに、「体調が悪い」とうるさくてしようがない。でも私が、「それは辛いわね。わかるわよ。私なんか全身がんだもの」というと、グチがピタッと収まるんですよ。娘さんの也哉子さんによると、「母はいつもユーモアがありました。ユーモアって、たぶん、心のゆとりじゃないですか。たぶん母は、元気な時もそうだったけど、人生が少ないと思ったからこそ、より強く心のゆとりを持って、おかしみを常に携えて、何事にも向き合っていきたいっていう、なんか自分のなかで、そういう精神が決まっていたようでした。それは本当にブレなかったですね」これは岡山の伊丹仁朗先生が行われている、ユーモアスピーチにつながる話ですね。ガンで意気消沈していても、痛みがあっても、周囲の人を笑わせるユーモア小話のネタ集めをする。それがガンを捕食するナチュラルキラー細胞を活性化させるのです。樹木希林さんもガン発病後14年間生きながらえ、数々の映画に出演され、多くの人に感動を与えることができたのは、ユーモア精神が後押ししていたのかもしれません。神経症の人も苦しいときは苦虫をつぶしたような表情をしておられます。それがよくなると、血色がよくなり、笑顔でダジャレなどが出てきます。自分の失敗談などをおもしろおかしく小話にまとめて公開できるようになると、もう症状からは抜け出ていると判断できます。自分が苦しいときに、そんなことができるかという人がいますが、実際に試して、検証してみては如何でしょうか。
2020.02.15
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樹木希林さんは、道路にごみが落ちていたらすぐに拾う。ヒッチハイクをしている人がいたらすぐに乗せる。困っている人がいたら、自分がどんなに急いでいても、「どうしたの」と聞く。何かに出くわしたときに、よく考えもしないで、とっさに自分のできることをやってしまう。娘の也哉子さんからしてみると心配で仕方がない。それがすごく嫌だった。だって怖いでしょ。ヒッチハイクでも、見ず知らずのおじさんを平気で乗せちゃうんですよ。近所で兄弟が大げんかをしていると、窓から覗いていた母はすぐに現場に行く。そして、樹木希林さんは、殴っているお兄ちゃんを後ろから抱きしめて、「そうだね。分かるよ。あんたの気持ちはよく分かるよ。つらかったんだね」などと言う。普通、けんかの仲裁は、「何やってるんですか」とか、「やめなさい」とかいうじゃないですか。でも、樹木希林さんは、殴っているほうを抱きしめた。見ず知らずのおばさんが突然現れて、「あなたの怒りは私の中にもある」と言われたら、けんかなんかできなくなってしまう。現に2人とも、きょとんとしてけんかを止めてしまいました。也哉子さんは、母が亡くなって、おせっかいな存在がいなくなってしまうと、母がしていたことは人間が生きていく中で、大切にしなければいけないことだったのかもしれないと思うようになりました。(この世を生き切り醍醐味 樹木希林 朝日新書 参照)そういうところは森田先生とそっくりだった。形外先生言行録の小熊虎之助氏のエピソードを紹介しよう。私の妻は、私の宅に先生が土産に持ってこられた桃の皮をむくに、ナイフを使っているのを認められて、早速先生のお叱りを受けた。水蜜桃は指先でむくべきものである。先生は他家へお客に来ておられても、叱るのに遠慮がなかった。先生の言行には、いつも遠慮のない子供らしさがあった。子どものような無邪気さがあった。子どものようにごまかしがなかった。だから私の妻は、先生に叱られてもかえって笑っていた。これは先生の人徳の一つであろう。樹木希林さんも森田先生も、ともすると反発を買うような言動の連続であった。しかし、事実は反対である。多くの人を引き付けてやまないのである。これは人柄という面もあるだろう。私が感じるのは、「かくあるべし」押し付けているのではなく、人情から出発されているからである。たとえば、賭博をやっていた父親を子供が警察に訴えたという話しが紹介されている。その子は、「悪事を憎む」という教えを忠実に守っている素晴らしい子供かと思いきや、森田先生はいくら父親が問題行動をしていても、子供は親をかばうのが当たり前である。その子は低能か意思薄弱児だといわれている。人情から出発しなればならないといわれているのだ。この2つは紙一重のところがあり、まかり間違えば総スカンを食らう。その人になりきり、何とかしたい、役に立ちたいという執念のようなものが必要なのだと思う。相手は圧倒的な包容力に度肝を抜かして、たちまちファンになってしまうのだろう。価値評価や自己顕示欲があるとすぐに正体がばれてしまうのである。
2020.02.14
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樹木希林さんは果てしない物欲は人間をダメにすると考えられていたようである。それを自ら実践し、子育てにも応用されていたのが素晴らしい。娘の也哉子さんが言われるには、自分の子供から「周りの友達がみんな持っているから、どうしても欲しい」と言われると、「子どもに寂しい思いはさせたくない」と考えて普通親は買ってあげるのです。樹木希林さんからしたらそんなことはばかばかしいことなんですね。文房具一つにしてもそうなのです。也哉子さんが小学生のころ、自分の文房具はキャラクターのプリントのない地味なものばかりだった。友達はみんなかわいい文房具を持っていて、「今度交換しようね」などと話している。私は1度もそういう輪に入れてもらえないのです。私は嫌で嫌で、本当に母のことを恨みました。この件について母は、「キャラクター付きの文房具なんてセンスが悪いじゃないの」という。「え、あんなかっこ悪いものをあなたはいいと思うの」「うあ、私にはそのセンスはありえない。私がお金出すんだから、私の好きなモノしか買いません」母が妥協して買い与えるということは皆無でした。小学校の制服が新しくなった時のこと。「古い型を着ていてもいい」と言われたのですが、みんな替えるのです。タータンチェックのスカートで、チェックの幅と色が少し変わったぐらいだから、そんなに大きな変化ではないのです。その時は母は私に言いました。「そんなものは買わなくてもいい」「着倒すまでその制服を着なさい。そんなに欲しいのなら、お年玉を貯めて自分で買いなさい」そこで私は、自分で頑張ってお金を貯めて、やっと新しい制服を買いました。洋服一つ、日用品一つにしても、そんな感じなのです。子供のころは、母のストイックさには本当に嫌気がさしていました。そうかといって母はケチでそうしているのではないのです。初めて洋服を買ってもらったのが、中学に入ったお祝いの時です。「冠婚葬祭に行けるような、キチットしたスーツみたいなのが必要だよね」私が洋服屋さんで、「ああ、あれもいいな。これもいいな。ジャケットとパンツ。ジャケットに合わすスカート。で、ワンピース」とかで悩んでいたら、母は、「じゃあ、それ全部ください」といって、全部買ってくれたの。もう、あの時のことは忘れないです。その太っ腹にびっくりしちゃって。その時に買った服ね。今でも着ているのですよ。母も時々、「あれ、ちょっと貸して」と言って、紺のジャケットなんか、しょっちゅう二人で着てた。30年使っているから、元は十分に取っているのですが。「ウチは貧乏なのかな」と思っていたから、衝撃が強かったのです。森田では物の性を尽くす、己の性を尽くす、他人の性を尽くす、時間の性を尽くす、お金の性を尽くすと言います。これは元々それぞれが持っている能力や価値を最大限に活用していくという考え方です。「もったいないから、むやみに新しいものを買わない」ということではありません。風呂の残り湯はすぐに捨てるのではなく、雑巾がけに使い、打ち水に使う。植物にかける。役に立つ限りはトントン活用していくという考え方です。つまり生き方の問題なのです。樹木希林さんが、森田理論を学習されたわけでもないのに、そういう境地に達しておられたという事に驚かされます。
2020.02.13
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ダイコンはこれで終わりです。畑に置いているといつでも収穫できました。大根おろしとおでんが最高でした。ニンジンは小さいものしか取れませんでした。これはニンジンリンゴジュースとして使います。ニンジンやホウレンソウは発芽が悪いようです。現在はタマネギ、イチゴ、キャベツがすくすくと育っています。3月の下旬は、ジャガイモ、ダイコンを植えます。昨日は発酵鶏糞をたくさん撒いて管理機で耕してきました。チューリップの球根もたくさん植えたのでこれから先楽しみです。近所の人に聞くとイノシシが野菜畑を荒らしまわっているそうです。我が家の畑はまだ目をつけていないのでしょう。そのうち防護柵が必要になるかもしれません。
2020.02.12
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樹木希林さんはCMの仕事で、海外ロケも結構あったそうです。そんな時、中学生の娘の也哉子さんを連れて行くことがあった。学校は1週間でも10日でも休ませるのだそうです。也哉子さんは、「そんなに学校を休んでいいの」と言うと、「当たり前じゃない。こっちの方がよっぽど人生経験になるわよ」と言っていた。先生があわてて、「ここまで休むと、あとが大変ですよ」と言っても、「こっちの方が大事です。もっと自由に休める学校にしなさい」と先生に反発していた。自分の信念を貫き通す、物申す女優だったのです。実に爽快です。それどころか、樹木希林さんは、学校での勉強は軽く見ていたフシがある。也哉子さんは、「勉強しなさい」などと言うことは一度も聞いたことがなかった。言われない分怖ろしくなるんですよね。高校受験の時に、「みんな塾に行っているのに、私だけ行っていない」ってお願いして、熟に通わせてもらったりしました。母は、「学校で習っていることができないんだったら、どこへ行っても一緒よ」とか言うんです。自分が好きなことはとことん追求して、自分で見て、体験することが最も大事と言ってたんです。この点も森田先生の考え方とよく似ていると思います。森田先生は観念的な教育が肥大化することで、神経症が発生するのだとみていたようです。人類が築き上げてきた文化遺産を学習することは、決して責められるものではありません。ただ、それが唯一無二の教育にしてしまうことはたいへんな問題になるのだと思います。頭で理解すると同時に、自分で体験して、身体を通して体得することが重要なのだと思います。人生90年時代を生きていくために大切なこととはなんでしょう。一つは健康で丈夫な身体を作り上げること。そしていずれは親から、経済的にも、精神的にも自立して生きていけるようになること。さらに、基本的生活習慣、社会のルールや人間関係を学ぶ。最終的には自分のやりたいことを見つけていく。困難に出合っても、それを自ら乗り越えていく能力を身につけていく。これらが20歳ぐらいまでに、確立できれば、人生の荒波に向かって船を漕ぎ出すことができるでしょう。このために学校教育が果たしている役割はごくわずかです。それ以外の、人間教育が大変重要です。野外活動、家庭教育、幼児教育、体験学習、地域活動、社会教育、職業教育、人間教育、森田理論学習などです。学校教育は学習のすべてではありません。これらの中の一分野と考えるべきです。私は適応不安を感じている人に、森田理論学習をお勧めしたいと思います。森田理論は、どう生きていけばよいのかと霧なかで方向性を見失っている人には必須だと思います。また対人関係の距離の持ち方の分からない人、自分の取り組むべき課題を持ちたい人にとっても役立つ理論です。それを同じ悩みを抱えている仲間とともに学習して、生活に応用していればこんなに心強いことはありません。私は、樹木希林さんのエピソードを紹介しているうちに、「樹木希林から見た森田理論」という本を書きたくなった。森田理論はご存知ないのに、我々よりも森田理論を活用しておられるのである。特に、自己主張、人間関係の築き方、人を育てる、日常茶飯事を大切にする、ガンとの共生、死との向き合い方、人生観、人生の楽しみ方などは大変参考になる。大した女優さんだった。
2020.02.12
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樹木希林さんがでていたCMに、「お正月を写そう」というのがありました。当初のセリフは、「美しい人はより美しく、美しくない人も美しく写ります」だったそうだ。樹木希林さんは、「それはおかしくないですか。どうして美しくない人が美しく写のですか」と聞いたそうです。「写真を修正でもするのですか」と。そして「そうでない人はそれなりに写ります」に変更を申し入れたそうです。「それなりに」という言葉は、相手を思いやる気持ちのはいった言葉だそうです。最初は担当者が渋ったそうですが、最終的には樹木希林さんの意見が採用されたそうです。それが思いもかけない有名なCMになったとのことです。樹木希林さんは、ドラマや映画でも、台本のセリフに違和感をもつと、セリフの修正の提案を積極的にしていたそうです。監督の演技指導についても、自分の意見を述べていたそうです。他の俳優さんは、監督の言うことに、「はい、分かりました」と素直だったそうです。娘の也哉子さんによると、友達を家に連れてくると、母は平気で友達を叱る人だったそうだ。だから、友達を連れてきたりすると、友達が叱られるのではないかとヒヤヒヤしていました。もう、それは容赦ないですから。こういうところは森田先生とそっくりですね。樹木希林さんはその弊害をよく分かっておられたのだと思います。自分の考えや主張を素直に口に出すという信条は、時として対手と摩擦を引き起こす。ところかまわず自分の言いたいことを言う変なおばさん。人間関係がぎくしゃくしてくる。だから対策を立てておく必要がある。それが森田理論でいうところの、「不即不離」だと感じるのです。一旦自分の思ったことを口にするけれども、その後は深追いをしないでさっと引く。相手がその後どういう結論を出そうが、それに対して自分は関知しない。いつまでもひっつきすぎてはまずい。だから引っ付いてはすぐに距離をおく。「私はこうしたほうがよいと思うけど、あとは自分で考えなさいよ」と突き放す。夫の内田裕也さんとは、45年間ずっと別居をしていた。一つ屋根の下で暮らしたのは3ヵ月ぐらいだったという。この夫婦は一緒にいると何かにつけて対立する。内田さんも自己主張が強い人で、しかも自由奔放に生きている人だった。そういう夫婦が一つ屋根の下で暮らしていくことは大変なことですよ。いつも言い合いをする。殴り合いの喧嘩ですよ。それも前歯が折れるような喧嘩です。普通はこういう対立的な人間関係になるとすぐに離婚してしまうでしょう。実際に内田さんが勝手に離婚届を出したことがあった。樹木希林さんもやれやれとほっとされるかと思いきや、離婚訴訟に持ち込んだ。そして離婚を破棄させてしまった。人間が二人いれば、意見の相違は必ず生じます。それが人間の人間たるゆえんだと思います。それがなくなれば支配と服従の人間関係になってしまう。その人間が何とか折り合いをつけて生きていこうとすれば、「不即不離」を身につけておけばよい。合わせる場面では、二人で協調歩調をとる。刺激を与えあう。大いに助け合う。二人で大いに楽しむ。いがみ合うときは、その人とは距離を置く。遠巻きに眺めておく。でも全く無関心では困る。自由放任でもまずい。アンテナを張って情報収集だけは怠らないようにする。これが森田理論が教えてくれている究極の人間関係なのだ。樹木希林さんは、ベタベタ、ピッタリの人間関係は、自由が束縛されて窮屈じゃありませんか。それを目指している人は何か魂胆があるのですよ。「そういうやり方ではうまくいきませんよ」と教えてくれているような気がします。
2020.02.11
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最近樹木希林さんの本を読んでいると、森田先生の生まれ変わりの人ではないかと思うようになった。これから何回かに分けて紹介しょう。娘の也哉子さんが、「お母さんって愚痴を言うのを聞いたことがないね」とよく言っていたという。これに対して樹木希林さんは、「そうですね、こうすればよかったのに」とは言わないですね。「ああ、そうなっちゃた。さいですか」って。「さいですか」というのは、「そうでごさいますか」という意味ですが、樹木希林さんの口癖だったようです。理不尽なことやイヤなことがあっても、その事実を一応認めるということですね。「じゃあ、そこからこうしていくか」っていう感じですね。起こったことの原因は、全部自分にあると思ってればね、愚痴は出ないのよ。愚痴を言わないことは、立派ではあるけれども、あんまり自分に関心がないということでもあんのね。立派だというのは、自分はこうあらねばならないという縛りがないということなの。自分に関心がないということは、自分をぞんざいにに扱っているということなの。物事には必ず表と裏があるから、なんだかそこだけ誉めちゃダメなのよ。でもやはり、愚痴とか、かくあるべきとか、そんなのがない方が楽しいですね。(この世を生き切る醍醐味 樹木希林 朝日新書 152ページより要旨引用)樹木希林さんは私たちの目指している事実本位の生き方を実践しておられた方です。「かくあるべし」を他人に押し付けることはない。ただし自分の意見というのはしっかり持っておられる。それを相手に話すけれども、強制はしない。私の意見を参考にして後は自分で考えなさいと言うことなのだ。自分をぞんざいに扱っているということですが、人間は誰でも欲望を持っています。欲望に向かって、気分本位になりがちな自分を諫めて、努力していくのがまっとうな人間の生き方だと思います。つらいこと、億劫なことはしない。刹那的、享楽的な快楽を追い求める。その時の嫌な気分に流されて生きていく。問題点や課題、夢や希望にチャレンジしていくと、うまくいかなくて愚痴が出てくるものなんですよ。そうした愚痴を乗り越えて現実を受け入れることがないと、努力即幸福という心境には至りません。樹木希林さんの「この世を生き切る醍醐味」「一切なりゆき」という本は森田理論を深めるために、とても役に立つ本だと思います。この中からテーマを選んで読み合わせをして、集談会で意見交換をしてみたいと思っています。
2020.02.10
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樹木希林さんのお話です。私ね、自分の身体は自分のものだと考えていたんですよ。とんでもない。これ、借りものなんだっていうふうに思えるようになってきました。親から産んでもらったこの体をお借りしているんだ、と。そこにね、私というなんだかよくわからない性格のものが入っているんだ、と。ところが、その借りものをさあ、若い頃からずっとわがもの顔で使ってきたわけじゃない。ちよっとぞんざいに扱いすぎたかなぁ。今頃になって気づいてさ、「ごめんなさいねぇ」って謝っても、もう遅いわねぇっていう感じかな。家や土地っていうのもさ、なんか自分で買ったんだから、自分のものだと思っちゃうじゃない。でも、これって、地球から借りているものなんだよね。・・・突き詰めて考えてみれば、地球からお借りしているものなんだっていうふうに思ったの。その時にスコーンとね、「これが欲しい」「あれが欲しい」っていうのがなくなっちった。病気してからね、病気をして死に至ったと時にね、持っていかれないわけだから。それでなんか腑に落ちた。物欲がね、スッとなくなっちゃいましたね。これだけたくさんのガンを持ってると、「いつかは死ぬ」じゃなくて、「いつでも死ぬ」、という感覚なんですよ。それに関しては「あっ、ごくろうさま。お借りしていたものをお返しいたします」という感覚でいるからね、すごく楽なんですよね。(この世を生き切る醍醐味 樹木希林 朝日新書 195ページより引用)私もこの考え方を支持しています。自分の身体の中に、私という魂というか、心というか、意識というかそういうものが入りこんでいるのではないか。もちろん証拠を見せろと言われたらお手上げです。でもそういう仮説を持って生活をすることのメリットは大きいものがあります。肉体が死を迎えたときに、魂が肉体から離脱して、元にいたところに帰っていくのではないか。それが間違っていても、何もダメージを受けることはありません。そう信じて生活するということは、自分の身体との向き合い方が変わってきます。自分の身体は、レンターカー、賃貸住宅、市民菜園を借りているようなことになります。あるいはリース契約をして、自動車、コピー機、パソコン、建設機械を借りているようなものです。所有者は自分ではありません。自分は使用者という存在です。乱暴に扱うと、傷がついたり、故障します。そうなると損害賠償をしなくてはならなくなります。反対に人様のものを一時的に預かり、利用させてもらっているのだと考えれば、傷をつけないように丁寧に扱うようになります。自分の魂が身体を借りてこの世でやりたいことをやらせてもらっているのだと考えれば、自分の身体をいとおしむことにつながります。自然に感謝の気持ちが湧いてきます。家庭菜園でいえば、お借りしたときよりも、より豊かな土壌に作り換えてお返しをしたとすると、貸した人は感謝すると思います。出来ればまたこの人に貸してあげたい。人間の身体も同じです。病気をしないように、食事に気を配る。酒を飲みすぎないようにする。ストレッチや運動を心がける。笑いを心がける。規則正しい生活を心がけ、睡眠を十分にとる。絶えずメンテナンスをして、身体も精神面も健康体を心がける。そういう人には、条件の良いところでもっとその能力を開花させてあげたいと思うのではないでしょうか。そういう考え方をしていると、身の周りのものに感謝してあるものをできるだけ有効に活かしていきたいと思うようになります。
2020.02.09
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生活の発見誌の1月号の「お悩み相談」に、イヤな出来事があるとすぐに逃げてしまう。どうしたら踏みとどまることができるのかという記事があった。これは私の人生そのものであったので、一言投稿させていただきたい。私は今まで嫌なことから逃げてばかりの人生でした。人から能なしヤロウのダメ人間と烙印を押されているような気がしていました。自分なんか生きていてもいいことなんかは何もない。過去の無様な姿が夢に現れて、後悔でうなされることもありました。すぐに逃げてしまう自分が嫌で嫌で仕方がなかったのです。何も成し遂げられないまま、失意の人生で終わってしまうのか。自己嫌悪、自己否定の塊だったのです。嫌なことから逃げずに立ち向かっていかなければ、ダメ人間だと信じて疑いませんでした。そういう理想を掲げれば掲げるほど、現実とのギャップで自分がみじめに思えてきます。最近歳をとってきたせいか、少し客観的に考えることができるようになりました。不安や危険を感じて、一目散に逃げたからこそ、今こうして生きている面もあるのではないか。うまく逃げ回った自分を批判しないで、評価してあげてもいいのではないか。逃げ回るとマイナス面も多いが、プラス面もあるのではないか。たとえば、猛烈な台風がやってくるとの情報が入れば、ベランダのものを家の中に入れる。窓ガラスが壊れて飛び散らないように飛散フィルムを貼る。浸水して来たらマンションの4階以上に非難する。危険を察知して、実際に手を打ち、逃げ道を確保しておくことは大切なことなのではないか。アフリカのサバンナでも危険を感じて先に逃げている動物の方が生き延びている確率が高い。力の劣る動物が、逃げることを忘れて、力の強い動物と闘えばすぐに死んでしまう。野球選手でもプロから誘われたにもかかわらず、実業団のチームを選択する人もいる。プロに入っても4~5年でクビなる人が多いのだ。自由契約になってしまえばたちまち生活難に陥る。それに引き換え、実業団の選手は定年まで勤められる可能性があるし、生涯年収で見るとどちらがよいとは簡単には言えない。会社でも先頭に立って活躍しているうちはよいが、一旦評価が下がった人はみじめだった。課長や部長でも成果が上がらなければ、リストラ、出向、退職勧奨、窓際族となっていった。そんな道を敬遠して平社員に近い人が、定年まで勤めあげて、満額の退職金をもらっていた。精神的にはつらい経験が少なく、仕事以外の活動も楽しむことができた。まじめに仕事に取り組んでいたと思えないような人が、家族の生活を守るという責任を果たしていた。つまり、消極的でやる気のなさそうな、どちらかというと逃げていた人生だからこそ、仕事に在りつき、大病にならず、精神的にも比較的安定していた面もある。逃げてしまうという悩みを持っている人は、人生は如何なるときにも逃げてはいけないという「かくあるべし」で苦しんでいるのではなかろうか。たしかに逃げてばかりだと、味気ない人生になってしまうという面もある。でも逃げたからこそ命がつながっている面もある。両面があるのに、後悔でいたたたまれないという人は、一方的にダメ人間と決めつけて、自己嫌悪している。一人相撲をとって苦しんでいるのだ。その姿はそばで見ていると滑稽だ。私は、自分は「イヤなことがあるとすぐに逃げるという特徴を持った人間だ」と認めてしまうことが大事だと思う。それが良いとか悪いとかの価値評価を下していることが問題なのではなかろうか。そんな自分に、逃げ回って社会の荒波をかいぐぐり、よくぞここまで生き残ったものだ。あんたはえらいと褒めてやってもいいのではないか。
2020.02.08
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私は通販サイトで少し大きめのテレビを買ったことがあります。最初は近くの量販店で購入しようと思っていたのですが、通販番組を見ているうちに、気持ちが動いたのです。通販サイトでは商品を購入したときのメリットをこれでもかというぐらいに説明します。テレビでいえば大型画面の迫力、臨場感、画素数、音響、厚み、録画機能などです。健康器具、美容器具、調理器具などでは、これらを使っていない場合の、デメリットについてモデルを使って実際の画像を流しています。これらの番組を見ていると、もうそろそろ買い替えようと思っている人は、気持ちが動いてきます。買い替える必要のない人の気持ちまで高ぶらせてしまうのです。しかし、車の車検も近づいているし、家のローン、子どもの教育費もある。今は我慢しておこうとストップがかかります。普通はここで購入に待ったがかかります。これに対して、通販番組では、下取り値引きの提案を行います。そして不要になったテレビはそのまま回収してくれるというのです。さらに、設置費用は無料、配送料も無料と言います。5つもスピーカーがついたテレビ台もサービスでつけてくれるというのです。分割払いの月々の支払いも可能であるという。その時の金利手数料は通販会社が持ちますという。さらに今回は限りの特典として、録画機もお付けしますなどと言う。ただし今回の台数は100台限りとさせていただきます。今から30分間オペレーターを増員してお電話お待ちしていますなどと言う。これは買いたいという感情が湧き起こっても、実際に購入するわけではないということを分かっているのだと思います。そこで理性が購入を決断しやすいようにこれでもかと後押しする話をしているのです。最初は是が非でも購入したいとは思っていなかったのですが、欲しいという感情を発生させて、実際に購入を決断させる手法には恐れ入りました。実際届いた商品は満足のいくものでした。価格は家電量販店とあまり変わりませんでしたが、その他のサービスが至れり尽くせりという感じで納得しました。次に電化製品が寿命を迎えたとき、購入先の一つとして考えてみようという気になりました。これは森田理論で学習したことを、そのまま応用しているのではないかと思います。森田先生曰く。我々の日常生活は、実際において、まず第一に、時と場合における「感じ」から心が発動し、種々の欲望が起こる時に、それに対して、理知により、理想に従いて、自分の行動を調整していくのである。すなわち第一が「感じ」で、次に理想が働くのである。これを反対に、理想を第一にして、それから感じを出そうとするのは間違いである。(森田全集第5巻 405ページ)この森田理論の考え方は、ただ理論として学ぶだけではなく応用していくべきだと思います。自分の場合も、感情が湧き出て、理性で調整しながら、積極的な行動へと進んでいます。また他人をその気にさせて、行動に駆り立てるための基礎理論でもあると思います。私たちが自助グループの会員を増加させようとするとき、あるいは集談会の参加者を増やしたいと考えるときも、この考え方を基にして、膨らませて取り組む必要があると考えています。最初に「感じ」を刺激していくというプロセスを大切にする必要があると思う。それから行動を具体的に起こしていく道をいろいろと提案していくことです。この順序を逆にしてはうまくいかない。そして実際に具体化して丁寧に取り組んでいくことも大切である。
2020.02.07
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私は1か月に一回程度は60キロ離れた田舎に帰っている。部屋の掃除、維持管理、草刈り、家庭菜園のためである。車での移動時間は1時間30分である。この時間を何とか有効に使いたいと考えていた。今までは好きなCDをかけていた。最近、自分がカラオケでよく歌う曲があるので、それをyou tubeのカラオケに合わせて録音することを思いついた。そして制作にかかった。半日かけて完成した。自分の歌声も立派な伴奏も入ったオリジナルカラオケが出来上がった。あやめ雨情、片恋酒、夫婦鏡、安芸の宮島、薩摩の女、細雪、おしどり、倖せさがして、長良川艶歌、そんな女のひとりごと、大阪すずめ、津軽の花、木曽路の女、さよなら列車、君がすべてさ、星影のワルツ、夕焼け雲、あこがれのハワイ航路、夢追い酒、足手まといである。たくさんあるので基本的に1番だけとした。曲によっては2番まで入れた。運転中は、これに合わせて、次から次へと唄っている。すると田舎へ帰るのが苦にならなくなった。むしろ楽しみになってきた。実に気持ちがよい。少し疲れると、自分の歌声を聴いて、違和感があるところはないかチェックしている。少し工夫するだけで、今まで億劫に思っていたことが、こんなに楽しく変化するのかと不思議な気持ちがしている。ちなみにカラオケは毎日練習しないと、野球の打率と同じで気がつかないうちに歌唱力が落ちてくるように思う。カラオケ仲間も同じことを言っていた。仲間がいると競争心が出てくる。気がつくと、みんなそれぞれの持ち歌をyou tubeで毎日練習する習慣がついたようだ。最初はどうだろうかと思っていた人も、とても上手に歌えるようになった。実は私がそうだった。カラオケは食わず嫌いの一品だったのだ。それが今やカラオケなしの生活は考えられなくなった。最初に誘ってくれた人に大変感謝している。毎日練習していると、声も出てくるようになる。自分に合う曲、合わない曲、好きな曲、難しい曲も選別できるようになる。カラオケに行くと、みんなどこで覚えたのだろうと思うほど、たくさんの曲を知っている。その歌声に刺激されて、また新しい曲に挑戦するようになる。楽しい交流もできるし、明るく前向きになってきたように思う。カラオケは男性2人、女性2人の組み合わせが一番楽しい。それ以上の人数だと、次に唄うまでの時間が長すぎてストレスとなることが分かった。男性ばかりだと刺激が少なく単調で盛り上がりに欠けるようだ。健康を兼ねて月2回はカラオケを楽しんでいきたい。
2020.02.06
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不安へのとらわれから脱出する具体的な方法を考えてみたいと思います。これからの話は、玄侑宗久氏の「禅的生活」からの引用です。興味のある方は52ページあたりをお読みください。たとえば今、眼を閉じて焼きそばを思い浮かべていただきたい。人によってさまざまだろうが、多くの人は焼きそばの載った皿や鉄板を上から見たように思い浮かべたのではないだろうか。そして一部の人だけが、その焼きそばの置いてある部屋の様子、テーブルの大きさやテーブルクロスの柄、場合によっては部屋の内部装飾や何人かの人の顔まで想像したかもしれない。上から見たように思い浮かべた人は、じつは焼きそばのことを「考えた」のである。やがてその中に入れる具のことなど考え出すかもしれない。一方、焼きそばのある風景全体を思い浮かべた人は、イメージの世界に遊んだのであり、別の言葉でいえば「瞑想」したということになる。瞑想とは、ふだん意識から独立している無意識の脳機能を意識によってコントロールする方法であり、基本的には意識が拡散した状態を保持することから始まる。たとえば意識が右の拳1ヵ所に集中すると、我々はすぐに何かを考えはじめることもできるが、意識を両手の拳に均等に分散してみていただきたい。その状態では理性的な思考がストップしていることに気づくだろう。慣れてきたら両手両足の4ヵ所意識を分散したまま集中することも可能になる。「瞑想」してみると分かるが、その時目に見える何物をも言語化していないし、なんらかの価値判断もしていない。焼きそばの例でいえば、、思い浮かべた部屋も綺麗でもないし汚いわけでもなく、ただ「ありのまま」に浮かんで見えているに過ぎない。つまり価値判断がなされていないからこそ、全体が浮かんでくるのである。見えている人の顔にしても、好きとか嫌いとか特別な怨みがあったりすれば、焼きそばも、テーブルクロスもすぐに見えなくなってしまう。「考える」とは「今ここ」からいなくなることなのである。「瞑想」においてすべてが見れるのは、好き嫌いや価値判断を離れているからなのである。「瞑想」とは大局的に物事が見えている状態であり、そこではあらゆる「考え」や価値観から解放されているのである。言葉を使って思索しているのは、大脳の前頭前野である。新しいものを創造するときはとても重宝なものである。これは大いに活用したほうがよい。ところが神経症の原因となる、不安や恐怖などに注意を固定して、闘いを挑むことは、たちまち葛藤や苦悩を抱え込んでしまうことになる。これは考える能力を持った人間の宿命である。この場合は、大脳の前頭前野を使って考えること、価値判断を下すことがマイナスに作用してしまうのである。そこで、禅では、人間に葛藤や苦悩をもたらす思考をなくする方法として、「瞑想」という手法を使っておられるのだと思う。不安や恐怖から逃れる方法として、過度な注意の集中を避けて、大局的な立場から物事を見つめるというのはその通りなのかなと感じる。最近はマインドフルネスや気功の話をよく聞くようになった。余計なことをしないで、眼を閉じて、呼吸に注意を向けたり、今現在の感覚に注意をむけるという方法と似ているのかなと感じた。
2020.02.05
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私たち人間は五感でチャッチしたものをそのままに味わっているわけではありません。その時々に湧き起こる感情に一喜一憂しているだけなら、犬や猫などの動物と同じです。感情の事実そのものになりきっているわけですから、悩みや葛藤は生まれません。最終的にはその情報を大脳の前頭前野に送って、情報処理を行っているのです。情報処理とはかっこいいものですが、是非善悪の価値評価を下しているのです。それに基づいて行動を選択しているのです。価値判断するためには物差しが必要です。その物差しは人によって微妙に違っています。それは生まれ持った性格、資質、生育環境、家庭環境、家庭教育、時代環境、学校や社会教育などに左右されます。誰でも自分が下した是非善悪の価値評価は絶対に間違いないと思っています。それは自分が独自に正しい判断していると思っていますが、実際には様々な影響を受けているのです。これらの条件が違えば価値評価はいとも簡単に裏返ってしまうというものなのです。たとえば戦時中は、国家に洗脳されて、自分の命はお国のために差し出すのが当たり前という価値観を植え付けられていました。ゼロ戦や人間魚雷のようなものに乗って、敵艦に体当たりするようなこともできたのです。今考えると間違った価値観ですが、その当時は絶対に正しいという確信めいた価値観だったのです。その不安定で変化してしまう価値観を絶対的なものとして崇め奉り、自分や他人に押し付ける態度を森田では「かくあるべし」の弊害として説明しています。森田先生曰く。「この善し悪しとか苦楽という事は、事実と言葉との間に非常な相違がある。この苦楽の評価の拘泥をを超越して、ただ現実における、我々の「生命の躍動」そのものになりきって行く事ができれば、大学卒業程度のものであろうか。「善悪不離・苦楽共存」というのもこのことである。(森田全集第5巻 653ページより引用)森田先生は、安易な価値評価、価値判断を現実に当てはめようとする態度は問題である。価値評価への拘泥から解き放されて、事実に寄り添う生活態度の養成が重要である。いかようにも変化しうる価値判断を優先して、事実を「かくあるべし」に従属させるような生活態度を強く否定されているのだと思われます。これが森田理論の眼目なのです。事実を認めて、事実の立場から出発して、生の欲望の発揮に邁進することが肝心です。明日はこの安易な価値評価を乗り越えるためのヒントを考えてみたいと思います。
2020.02.04
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臨済宗の住職、玄侑宗久氏のお話です。「うすら寒い」とか「うすらバカ」などという言葉は、どちらかというと否定的な言葉である。しかし、禅宗ではこの「うすら」というのは大変重要な言葉である。これは森田理論の核心に迫る言葉であるので紹介してみたい。「うすらぼんやりと」と見るとどんなことが起きるのか。試しに、目の前に人差し指をたてた手を置いていただきたい。距離は30センチくらいだろうか。手の長さに自然に任せればよい。その上で、普通にその指を見てください、といえばおそらく指に焦点を合わせるだろうから、当然指は1本に見えるはずである。それでは次に、その指を含んだ景色全体を「うすらぼんやり」と眺めていただきたい。しばらく「うすらぼんやり」していると、指が2本に見えてこないだろうか。これはもともと左右の目に見えている2つの像が、「うすらぼんやり」することで統合されずに見えている状態であるから、別に驚くほどのことはない。しかもその指の像は、よく見ると向こう側の物を透かして半透明になっていると気づくだろう。また試しにその状態を保ったまま、腹を立てよう、あるいは不安を感じようとしてみてほしい。あなたがもしちゃんと「うすらぼんやり」しているなら、それが無理であることに気づくだろう。感情に伴った身体状況が得られないから、感情は定着できないのである。しかもその「うすらぼんやり」状況で、あなたの体がリラックスしていることにも気づくはずである。いわば生命力が最大になっている。なんと人間は、「うすらぼんやり」で生命力が最大になるという厄介な生き物だったのである。「うすらぼんやり」には価値判断もなく、好き嫌いもない。どうやら理解したり表現したりする世界ではなく、ただ味わうだけの世界なのだ。(禅的生活 玄侑宗久 ちくま新書 48ページより抜粋して引用)私は早速指をたてて実験してみた。たしかに玄侑宗久氏のいうような現象が起きる。うすらぼんやりと眺めていると、意識の集中は起きない。ぼやけているから固定できないのだ。意識の集中が起きないということは、いわば大脳の前頭前野が活動を休止している状態だ。いいとか悪いとか、好きとか嫌いだとか、正しいとか間違いだとかという価値評価のない世界に入り込んだ感じだ。この状態では腹を立てたり、不安や恐怖を感じようとしても不可能である。つまり神経症の原因となる、不安、恐怖、違和感、不快感などは発生しないのである。「うすらぼんやり」の反対は、「はっきり、しっかりと精神を集中させて眺める」ということだろう。一点に神経を集中させている状態である。自分の気にしていることに対して注意の固定が起きる。その時、周りのことは全く見えていない状態である。こういう条件が整ったときに、大脳の前頭前野がたちまち活動を開始する。大脳の前頭前野は、その人が今までの人生の中で経験、習得した確信的な思考パーターンによって、価値評価を下していくのである。いつもネガティブで否定的な思考パターンを身につけた人は、それなりの価値判断を下すのだ。これは本来の思考力、創造力、問題解決力、分析力を担ってる前頭前野の活用方法を間違えているとしか思えない。森田理論ではとらわれたときはそれにとらわれていればよいという。ただし、気になる一点にとらわれすぎるのは、百害あって一利なしという考えである。とらわれる対象が時間の経過とともに、どんどんと変化していくことを想定している。気になることや解決すべきもので、何とかなるものはどんどんと処理していく。どうにもならないものや自分の手に負えないものは、そのまま積み残していくという考え方なのだ。飛行機に乗り遅れた人を、親切に待ってあげるようなことはしなくてもよいという考えだ。時間がたてば解決することもあるし、どうにもならないこともたくさんある。放置しておくことは、後ろ髪を引かれる思いがするだろうが、そのままに放置しておくしかないものもある。苦しみや悲しみはつぎつぎと目の前に現れてくる。それでも小川の水はさらさらとさらさらと流れいく。生命力が最大となるというのは、とらわれて淀みを発生させるのではなく、いつもさらさらと勢いよく流れている小川のごとくである。それが生命力を最大に発揮させる自然な人間の営みなのである。
2020.02.03
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今日も野口健さんのお話です。2005年1月にケニアの国立公園に行かれたそうです。アフリカの野生動物は弱肉強食の世界に生きている。音にもにおいにも敏感。厳しい目をして必死に生きていた。帰国すると、我が家の飼い猫が、おなかをさらけ出しゴロゴロとノドを鳴らして全く緊張感がない。「お前、違うだろう」と怒ってみたものの、その本能を失った猫殿と山を下り緊張感のない私の姿が重なって見えた。ヒマラヤは感覚の世界だ。登山中にいちいち理屈で物事を考えていたら遭難してしまう。1ヵ月間もヒマラヤにいると、雪崩や落石、氷河などの崩壊の危険に絶えずさらされているためか、音に敏感になる。また湿度や温度など、微妙な変化まで全身の毛穴や肺胞で感じとれる。厳しい環境の中で生き延びるために五感が研ぎ澄まされていく。どれも危険を素早く察知するためだ。ヒマラヤにいる時の自分の表情を写真で見て、その眼光の鋭さに驚いたことがある。まさしくアフリカで見た野生動物と同じ目をしていた。人はなぜ、あえて危険な冒険に魅せられるのか。時に五感をフルに働かせ、生き延びることだけに必死になりたいのかもしれない。人間も動物だって同じことだ。(自然と国家と人間と 野口健 日経プレミアシリーズ 16ページより引用)ガスの元栓、玄関の鍵、エアコンなどの切り忘れなどの確認行為で苦しむ人たちは、自分の五感が信頼できないといわれます。五感よりも理屈で納得しなければ落ち着かない。気が狂いそうになるということだと思います。五感よりも、頭で納得する体質が頑固に身についてしまっているのです。野口さんによると、そういう人は緊張感のない生活をされているということになります。精神が弛緩状態に陥って、本能的で気分本位の怠惰な生活を送っている可能性がある。自分では決してそんなことはないと思っても、ヒマラヤに行けば実感として分かるそうだ。またその日食いつなぐことに必死に生きている開発途上国の人たちを見ていると、第一目つきが違う。眼光鋭く、うつろで憔悴した目つきをした人はいない。それはその人の置かれた境遇や環境によるものです。身の危険を感じることがない。食べることに困らない。安心・安全で不安やストレスのない世界に身を置いていると誰でも五感は鈍化してきます。感性や感受性が廃用性萎縮現象を起こしてしまうのである。有り余る時間を、刹那的で刺激的な快楽の追及で穴埋めしようとしている現代人は、緊張感がなくなり、五感は正常に機能しなくなっているのだろう。それを理屈で納得させてすっきりさせる手もあるのだが、ちょっと無理があると思う。いったん納得しても、またそれを打ち消すような不安が生まれてくるからである。そうかといって、我々はヒマラヤで登山をするわけにはいかない。開発途上国で暮らすことなど考えられない。ではどうするのか。それは森田理論が教えてくれている。それは、今この瞬間に集中して、ものそのものになって生活することである。日常生活に丁寧に取り組むことだ。まずは食べること。食材を自分で作る。買いだしをする。下ごしらえをする。料理をする。味わう。後片付けをする。加工食品を作る。あとは洗濯、清掃、整理整頓などである。凡事徹底に取り組む。そんな生活の中から、興味や関心、工夫や発見が見つかり、ささやかな幸せを感じる。つまり感性が活性化される。特に神経質者の場合は顕著であると思う。何だそんなことかと思われる人がおられるかもしれない。それより理屈で納得させてくれと言われるかもしれない。それも大切だが、それよりも緊張感のある生活を取り戻すことがより効果があると思います。すると五感が再び活動を開始してくれるようになるでしょう。森田理論の学習でも、納得ができるまで深耕しようとするその態度は立派であるが、理論の生活への応用や活用とのバランスが崩れている人は要注意であると考えている。
2020.02.02
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登山家の野口健さんのお話です。毎年5月下旬になればヒマラヤは雨季がやってくる。曇りの日が多くなる。雪崩が多くなり、遭難する確率が高くなってくるのです。そうなると、欧米から来た登山家は、早々にあきらめて帰国する。日本や韓国の登山隊は簡単にはあきらめない。事態が好転しなくなって、日本隊は無念のまま撤退する。韓国隊は「なにがなんでも登頂する」と、悪天候の中を突っ込み、遭難者を出す。韓国人登山家に、「何で韓国隊は悪天候の中を突っ込むのか」と聞いたら、「我々は国を背負っている。登らないと国に帰れない」と答えたという。つまり、「目標達成至上主義」という「かくあるべし」にとらわれて、勇気ある撤退ができないのだ。「必ずエベレストに上るぞ」と決意して、アタックしても成功率は3割しかない。後の7割は途中で撤退、ないしは遭難で失敗に終わっている。勇気ある撤退ができないで、雪崩に巻き込まれる、酸素不足、凍傷などにかかるとすぐに死に直結する。そうなれば2度とチャンスはやってこない。ヒマラヤにはカチカチに凍った遭難者の遺体がたくさん放置してあるという。登山家として世界的に有名だった植村直己さんが、厳冬のマッキンリーで消息を絶った。雪洞の中で発見された日記には、「なにがなんでもマッキンリーに登るぞ」と書いてあったそうだ。「凍傷にやられた」と追い詰められていく様子が克明に記録されていたにもかかわらず、植村氏は頂上を目指し、行方不明になった。野口健さんや植村さんの奥さんは、「自滅だと思います」と語っている。どうして、世界的に有名な登山家である植村さんが「なにがなんでもマッキンリーに登る」と日記に書いていたのか。植村さんは、マッキンリーに挑戦する前に、冬季エベレスト、南極大陸横断と立て続けに結果を出せないでいた。すると、それまで応援してくれていたスポンサー契約が打ち切られた。さらにマスコミから評価されるどころか、無謀な挑戦とこき下ろされるようになった。追い詰められた植村さんは、「なにがなんでも結果を出して信頼を取り戻す」という気持ちになっていたのではないか。スポンサーやマスコミからは結果至上主義を押し付けられた。それを後押しするように、自分自身にも結果のみを求める「かくあるべし」を押し付けていった。不死身ではない人間がこのような「かくあるべし」に立ち向かっては勝ち目がないのは自明の事実である。「かくあるべし」が一人の世界的に評価の高かった登山家の命を奪ってしまったのだ。(自然と国家と人間と 野口健 日経プレミヤシリーズ参照)
2020.02.01
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