全32件 (32件中 1-32件目)
1
新型コロナウィルスは政治や経済、国民生活に大きな影響を与えた。この危機を正しく乗り越えたなら、日本の政治経済は復活を果たして、国民生活は豊かになるだろうと予感した。しかし、それは今までの延長線上ではなしえることはできない。このままでは、経済成長はますますじり貧になり、多くの国民生活は苦しくなる。アメリカや中国に依存して、日本の尊厳の回復と自立は難しくなる。一匹のカエルが鍋に飛び込み、温泉気分に浸っているうちに、完全に茹で上がってしまうという、笑うに笑えない現象が実際に起きてしまう。私がコロナ後に疑問に思っていることは次のことである。・消費増税は必要なことなの。生活困難者をいじめる事ではないの。・国民一人当たり約800万円の借金があるということは本当なの。・日本経済は貿易黒字で成り立っているという話は本当なの。(実は内需が85%だった)・もう20年以上もデフレから脱却できないのは、政治の責任ではないの。・民間活力導入、外資参入、規制緩和、自由化、グローバル化を進めて、本当に国民は豊かになるの。多国籍企業が儲かるだけではないの。・医療、介護、教育、保険分野まで民営化を推進して、効率化するというのは問題はないの。・外国人労働者を増やして、派遣労働者や介護、警備、建設関係などの賃金を減少させて、はたして国民生活は豊かになるの。・財政均衡化、プライマリーバランスの均衡は、国民の生活を豊かにするの。・新自由主義のほころびがはっきりしているのに、政府の諮問機関の委員にそれを主張している人たちばかりが入っているのはなぜなの。例えば増税論者ばかりを入れているなど。・そういう人たちは、MMT(現代貨幣理論)の批判ばかりしているが、まともな反論できないのはなぜなの。・食料の自給を放棄していて日本の食の安全保障は大丈夫なの。・中国の尖閣諸島への侵略に対して、日本が防衛力を発揮しないのはなぜなの。・中国に名だたる企業が進出して、高度な技術を提供することにはならないの。・日本企業13000社が中国に進出しているがうまくやっていけるの。・中国資本による北海道の土地の買い占めなどを野放しにしていてもいいの。・政治家、経済界には親中派が多いが、将来の日本の国益にかなうことなの。・中国の千人計画を文部科学省は一切把握していないというが大丈夫なの。・日本の教育研究費、開発費を削減してばかりでは、お先真っ暗にならないの。・F1品種、遺伝子組み換え、ゲノム編集食品の輸入は国民の健康を損なうものではないの。・それを諸外国が禁止しているのに、日本だけが輸入を推進していて大丈夫なの。・自然災害多いのに、国土強靭化対策に計画的に取り組まないのはなぜなの。・公共インフラが老朽化して取り換え時期に来ているというのに、放置していていいの。そのほかまだまだありますがこれくらいにしておきます。これらの解決のためには、私たち国民の一人一人が、日本の現状、国民の生活、日本の安全保障、外交政策を正しく理解することだと思う。事実を正しく知れば知るほど、問題点が見えてくる。問題点が見えてくれば、どうすればよいかを考えることができる。事実を知るためには、新聞やテレビのニュース番組ばかり見ていてもだめだと思う。それは真実を伝えてくれないからである。都合の悪いことは報道しない。または捻じ曲げて伝える。間違っている。内容があまりにも薄っぺらい。これをまともに信じていると我々が馬鹿を見る。子孫がかわいそうだ。現在かろうじて、真実を伝えてくれているものがある。インターネットのYou Tubeで配信されている報道である。討論会である。この人たちは生命をかけて真実を伝えようとしている。仮に日本の治安維持法の時代や独裁国家に住んでいたら、すぐに逮捕されるだろうと思う。その証拠に取り上げた番組がいつの間にか勝手に削除されることが起きている。真実を伝えられては困る人が裏にいるということだ。日本や世界の政治、経済活動、外交などで真実を伝えてくれているジャーナリスト、政治家が存在していることはかすかな光明だと思う。私が現在把握している人だけで20名ぐらいはいる。またその人たちを応援している人が50万人ぐらいは存在していると聞いている。例えば、sakura so tvなどの討論番組を手掛かりにして、どんな人が真実を伝えてくれているのかぐらいは把握しておきたいものです。すべてはそこから始まるのです。事実に向き合うということは、こういう風に活用していくことが望ましいと考えています。
2020.07.31
コメント(0)
現在中国は1000人計画を進めているそうだ。自民党の有村治子議員の国会質問を聞いて初めて知った。この計画は、世界からノーベル賞級の学者や技術者を世界中から1本釣りして、中国のために働いてもらう計画のことです。そのための報酬は破格です。毎月500万円の給料だそうです。それ以外にボーナスに相当するものもある。配偶者や子女の面倒も手厚く見るそうです。年間にしてみると一人の研究者に1億円ぐらいは投資するのだろうと思われます。そのほか研究のための予算を十分に付ける。実験器具や設備の制約を無くするのだそうです。これが大きいのです。自由に予算の制約なしに研究に没頭できるのです。中国に移住しても国内にとどまっていてもよい。その代わり成果をだすことが求められます。中国の国益に応えることが求められます。厳格な守秘義務が課されており、どなたがそれに該当しているかはよく分からないそうです。日本の文部科学省は一切把握していないと言っています。極秘に行われている。このような破格の待遇で1本釣りをされると、日本のように歳出削減を推し進め、教育費や研究開発費などの削減を推進している国からは、優秀な研究者や学者が中国に流失してしまうリスクが高まってきます。日本だけではありません。世界中の優秀な頭脳が中国に集まってしまうということになってしまう。先端科学技術が中国に吸い取られてしまうということになるのです。日本でスーパーコンピューターを開発している優れたベンチャー企業があります。スーパーコンピューターは巨大な機械が動いているイメージがありますが、これをどんどん小型化する研究を行っているのです。スーパーコンピューターを稼働させると高温の熱が発生するそうです。この熱を下げる技術を研究し開発して会社です。コンピーター自体の開発とこの技術が結びつくと、スーパーコンピューターはあっという間に小型化される。そして性能が飛躍的に高まる。京レベルの演算機能が瞬時で可能になるそうです。今まで3日も1週間もかけて行っていた分析があっという間に終わってしまう。こういう先端技術が欲しいのだと思います。それ以外にもいろいろあります。それに加えて、5G、6Gの大容量のデータ転送時代に入ると、私たち人間の生活は飛躍的に変わっていくでしょう。通信、医療、食料、輸送、移動、国防、経済のすべての分野が短期間のうちに変わってしまうのです。食料などは工場生産で十分賄えるという人も出てきています。にわかには信じがたいことですが、その可能性は高いでしょう。自動運転もすぐに可能になります。物流や移動もドローンを利用した乗り物に変わる可能性があります。中国はこれらの先端技術を自国に取り組むために、自国で研究者を教育するよりも他国に依存する方がよいと考えているのです。そのためにあらゆる手段をとっているのです。こうした優れた研究者が中国にヘットハンティングされてしまうと、開発された高度な技術は中国のものになってしまう。これは中国の政治の動向を見ていると、とても危険のように思えます。特に軍事に転用されるととても恐ろしいことになります。今まで人類が築き上げてきた、自由や民主主義を抑圧するために利用される可能性があるからです。こういう科学技術を保護して、日本から流失させないということは、国家として取り組む必要があるのではないでしょうか。さらに先進国からも流失させてはならないと思います。以前民主党政権の時、スーパーコンピーターの予算の削減をめぐって、「ナンバーワンにならなければならない理由は何ですか。ナンバー2ではなぜダメなのですか」と迫った政治家がいました。こういう話を中国が聞くと喜ぶでしょう。そういう技術者や研究者をまとめて面倒を見ることを国是としているのですから。日本の技術者や研究者にしても、国が保護しないのならば、中国で研究を続けますというのが自然の流れとなります。1年に1億ぐらいですと10年分の年収をすぐに稼ぎ出してしまう。日本の安全保障のためには、先端科学技術、国防、食料、経済、教育、医療、年金、介護などは、いくらお金がかかろうが政府が責任を持って国と国民生活を守る必要があると思います。国民を豊かにするための政治が行われているのか、あらゆる政策は将来の国民生活が豊かになっていくためのものになっているのか、絶えず検証しなければなりません。これが国家の存在意義なのではないのでしょうか。それを発揮しなければならない。規制緩和、自由化、民営化、グローバル化の名のもとに、それらを野放しにしたり、加担することは大変危険です。このままでは住みよい日本を子孫に残してあげることは難しいと思います。私たち一人一人が政治に関心を持ち、政治家に働きかけないと取り返しのつかないことになります。国民主権の国に住んでいるという自覚を持つ必要があると思います。中国のすすめている1000人計画を知って危機感を持っています。事実を観察するという態度は、症状を克服するためにだけではなく、こういう方面でも大いに活用していきたいと思います。
2020.07.30
コメント(0)
私は森田理論とかかわって34年になります。今振り返ってみると、学習内容を自分なりに考えて文章にするという作業を続けてきた。一つ一つを取り上げてみるとたいしたことはないが、チリと積もれば山となった。学習内容をジャンル別に分けて、自分なりのテキストができればという気持ちだった。項目としては、不安と欲望、生の欲望、自覚、かくあるべし、あるがまま、劣等感、人間関係、人のために尽くす、治るとは、実践と行動、変化対応、リズム感、目標や夢、入院森田療法、集談会、神経質性格、用語集、神経症の発生、両面観、感情の法則、まとめの仕方、うつ状態、完全主義、純な心、バランス、精神拮抗作用、自己否定と自己肯定、二人の自分、雑事、凡事徹底、思想の矛盾、自己受容、比較するという事、無所住心、私メッセージ、見つめる、感じを高める。長所を活かす、メモの活用、体験記、努力即幸福、唯我独尊、森田理論全体像、認識の誤り、事実唯真などがある。学習したことは、該当項目の中で整理するという気持ちだった。それぞれ項目に学習した内容がまとめてある。自分の考えが書いてある。発見誌の切り抜き記事などが張り付けてある。コツは学習した日付を書いていると後々役に立った。さらに学習内容が載っている本の題名と該当のページの記載があるとよい。講話を聴いた場所や講師の名前が書いてあるとよい。これがあると後で確認するときに役に立つ。特に森田全集第5巻では、上記にあげた項目の話が縦横無尽に出てくるので必須である。例えば、5巻のどこに精神拮抗作用の説明があるのか、すぐに取り出せるようになるとよい。今考えると、学習内容を整理、分類する作業が欠かせなかったのだなと感じている。つまりインデックスを作り、学習内容の交通整理をしながら学習を進めていくということが、非常に大切だということです。森田理論学習は、見出し作りに始まり、それを増やしながら、整理整頓する作業のことだ。森田の達人言われている人は、ほとんど整理名人なのだと思われます。学習内容が積み重なり、頭の中が整理されてくるのです。そうすると森田理論のキーワードの横のつながりが出てきます。この作業を続けていくと、森田理論の核心部分が自然に見えてきた。これは森田理論全体像として説明しているものです。4つの柱があります。この内容は何度も投稿しているとおりです。森田理論学習は全体像を俯瞰しながら、個々の重要項目を深耕していくという流れになっていくと思います。そうすると、森田理論が自分の生活に応用できるようになるのです。表面的な学習ではこんな現象は起きないと思います。整理していないと、学習にのめりこむたびに、知識が増えるが、混迷の度合いを深めていくのではないかと思います。森田理論には詳しいが、生活は依然として停滞しているのは、大きな苦しみをもたらします。この作業をしていなかったとしたらと思うとゾッとする。頭の中に様々な情報や考え方が入ってくると、キャパオーバーを起こして、混乱するのではないかと思う。多分その場ではよい話を聞いたと思っても、あとで思うと何も残らない。さらに自分の体験に引き寄せて考えることができないので、生活に変化が起きない。ミニ体験発表、体験発表、学習会の講師役、派遣講師などの役目を果たすために、しぶしぶ始めた事だったが、今ではこの資料が大変な宝物になった。長らく集談会に参加している人で、学習内容のまとめのようなものはほとんど残っていないというのは残念なことだと思う。主体的に取り組むようにしてもらいたいと思う。
2020.07.29
コメント(0)
森田先生のお話です。医者の診断について我々が大学を出て、助手時代の時に3、4年たった時、最も得意の時代であって、診断が非常によく当たる。かえって先生よりも、テキパキと確診ができる。しだいに年をとり・経験を積むに従って、診断が軽々しくできなくなった。それは多くの例外に当たった経験から、診断に迷いができる事と、患者に対する同情から、悪い場合の予後が、簡単に言えなくなるのである。私共も、自分の子供が亡くなって後は、患者に対する同情が深くなって、治らぬ病気や死ぬるものも、これをありのままに言うことができなくなった。病気のよい方面ばかりを見つけて、何とかして治るように、死なないようにと、いつまでも欲目で見るようになる。診断や予後が不明瞭になってきた。すなわち医者という単なる職業や、学問ではなくて、我身になって考えるという人間味ができたのである。(森田全集 第5巻 380ページ)この部分は「純な心」と人情の関係を説明されていると考えます。森田理論の「純な心」を大切にする考え方はとても大事です。「純な心」は、むずかしい言葉ですが、最初に思い浮かんだ素直な感情、直観のことです。初一念とも言います。普通この感情はすぐに流れ去り、続いて「かくあるべし」を含んだ、初二念、初三念という感情が湧き出てきます。初一念の感情を無視して、初二念、初三念の感情に振り回されると、事実を無視することになります。それが葛藤や苦悩を生み出す原因になっているというのが森田理論の考え方です。森田では「純な心」から出発する態度を身に着けることが目標となります。感情の事実を大切にすることですから、これを身につけることは大変意味があります。しかし、これを直接相手に伝えていくというやり方は、時と場合によっては問題になるということです。自分にとっては素直な感情に反発しないで受け入れるのでよいのですが、それを相手にそのまま伝えることはまずいのです。事実をそのまま伝えて、相手にダメージを与えるようなことを平気で言うというのは、人間性に問題があるという事だと思います。初一念の感情を相手に伝えるときは、相手の身になって考えてみることが必要になります。相手が心に大きな痛手を負うかもしれないと予想される時は、初一念は封印しなければならないということです。そんな時は、何もしゃべらず、相手に寄り添ってあげるというスタンスで十分です。相手がそれほどでもないときは、私メッセージを使って、自分の気持ちや考え方を伝えるという手法を用いることが重要です。これは自分の気持ちを相手に伝えるだけで、相手に「かくあるべし」を押し付けることではありません。相手の考え方、実践や行動を尊重した付き合い方になります。
2020.07.28
コメント(0)
佐藤健志氏のお話です。不真面目というのは、広辞苑を引くと、「真面目でないさま、物事に熱心に取り組まないさま」と書いてあります。他方、「真面目」の定義は「真剣な態度・顔つき、本気」とある。そこで「真剣」の定義を見ると、「まじめ、本気、真実」とある。真面目とはつまり真剣なことで、真剣とはつまり真面目なことですから、全くの堂々巡りになる。これを突破するヒントは、「真剣」をめぐるもう一つの定義にあります。それは、(木刀・竹刀などに対して)本物の刀剣、本身とある。本物の刀剣と、木刀・竹刀などの違いは何か。簡単に言ってしまえば、斬られたときのダメージの大きさです。「真剣」とは、「物事の結果が、自分にとって切実、ないし痛切な意味合いを持つ」ことと規定できる。「物事に真剣に取り組む」とは、「結果次第で、自分の利益・不利益が大きく左右されるという姿勢で物事に関わる」ということを意味するのです。(平和主義は貧困化への道 佐藤健志 kkベストセラーズ 351ページより要旨引用)私が不真面目さと真面目の違いを取り上げたのは、森田理論の「かくあるべし」の態度との類似性を感知したからである。真面目な人は、理想主義、完全主義、完璧主義、目標達成主義、コントロール至上主義に陥りやすい。高い理想を追い求め、ストイックになってしまう。努力精進しているだけならよいのですが、どうしても行き過ぎてしまう。自己否定や他人否定、事実や現実否定に陥りやすい。これは森田理論で、「思想の矛盾」といわれているものですが、これが葛藤や苦悩を作り出し、神経症を作り出す大きな原因となっているのです。こうなりますと、論理的思考性で突っ走り、純粋な理想主義を観念の世界で確立してしまい、後々大変な問題を背負うことになるのです。真面目で頭の良い人ほどその罠にはまってしまう。こうなりますと、葛藤や苦悩を持たない動物のほうがよほど幸せな生き方ができるのではないかと思ってしまいます。真面目に生きる、「真剣に生きる」の反対は、「不真面目に生きる」ということです。ちゃらんぽらんな生き方をするということです。反感を買う人が多いと思います。言葉の響きが悪いので、言い換えましょう。理想主義、完全主義、完璧主義、目標達成主義、コントロール至上主義を捨てた生き方を選択することです。「かくあるべし」を中心とした考え方を放棄して、事実の世界に自分の立ち位置をしっかりと固めて生きていくことです。そこを出発点にして、課題、目標、夢や希望を追っていくことです。佐藤健志さんは、課題、目標の立て方が間違っていたらどうなるかを説明しておられます。日本の防衛は日米安保でアメリカに依存し、経済ではまだまだ発展が見込まれている中国に向いている。政治や経済や外交の基本的目標として、経世済民という視点がすっかり抜け落ちて、支配層が「今だけ、金だけ、自分たちだけ」という日本の進むべき道に問題はないのかと問題提起されています。このことは日本の進むべき道を探る上で極めて大切な論点となります。私が主張したいのは、その問題を議論するにあたっては、事実、現実、現状、日本や世界の歴史をきちんと踏まえて、そこを出発点にしなければ何も始まらないのではないかということです。森田でいう事実の観察、事実に真剣に向き合う態度があいまいであるということは、ますます自分たちを生きづらくさせているのです。
2020.07.27
コメント(0)
私は森田理論学習に取り組む人は3年計画をお勧めしている。この3年間は寝食を惜しむぐらいに取り組んでいけば、素晴らしい宝物を手にすることができる。1年目は基礎編、2年目は応用編、そして3年目は実践編へと進む。今日はその中の実践編の内容のあらましを紹介してみたい。1、実践力、行動力を身につける。2、「無所住心」態度を身につける。3、リズム感のある生活を作り上げる。4、ものそのものになりきる態度を身につける。5、変化対応力を身につける。6、「生の欲望の発揮」を優先する態度を身につける。7、自分、他人、物、時間、お金の価値を最大限に引き出す。8、最初に湧き上がってきた感情、いわゆる「純な心」から出発する。9、不安と欲望の調和。バランスを身につける。10、事実、現実、現状を受け入れる態度を養成する。11、ありのままの自分から出発する。自分にも他人にも「かくあるべし」を押し付けない。12、他人の仕打ち、他人の欠点、弱点、ミス、失敗を許す。13、森田の達人の観察して、自分の生活に取り入れる。私はこれらを深耕して1冊の本としてまとめています。こんなに取り組む課題があるのかとびっくりされるかもしれませんが、最初から全部に取り組むことは、お勧めしていません。またその必要もありません。1つか2つを選択することです。そして選択したことを徹底していくことが効果を高めます。富士登山には、吉田口、御殿場口、富士宮口、砂走口の4つのルートあります。それぞれ往復距離、登山時間、混雑度合い、疲労度が違います。しかし注目していただきたいのは、どこコースを選択しようが、あきらめないで登山を続けると誰でも富士山頂にたどり着くということです。富士山頂にたどり着き、達成感と自信をつかむことが大切です。私が尊敬している学習仲間は4と7を選択しました。どんな小さなことでも「ものそのものになりきり」心を込めて取り組めば、無限の楽しみがあるということが分かります。7は「物の性を尽くす」ということです。この2つに取り組むことで、「森田の達人」の域にまで到達されました。とても魅力のある生き方をされており、周囲の人に与える影響度合いが高い人です。私は1から入りました。その中でも「一人一芸」に注目して取り組みました。アルトサックス、ドジョウ掬い、腹話術、浪曲奇術、獅子舞、しば天踊り、カラオケなどです。そのおかげで忌憚のない人間関係が大きく広がりました。また老人ホームの慰問や地域のイベントなどで引っ張りだこになりました。ただ現在はコロナウィルスの関係で自粛中です。行動に弾みがつき、生きていく自信のようなものが生まれてきました。気が付くと神経症に関わっている時間がとても少なくなりました。つまり神経症を克服することができたのです。
2020.07.26
コメント(0)
先日逆転人生という番組でおいしいコーヒーの入れ方を紹介していました。1、コーヒーは豆で買い、家で挽く。粉で買うと酸素に触れて、すぐに酸化して劣化する。2、お湯と豆の重さを正確に測る。お湯300gに対して、豆は18gとする。コーヒーの味が薄いときは細かく挽く。濃い場合は荒く挽く。3、抽出器具の全体をお湯で温める。そのお湯はすべて捨てる。4、引き立てのコーヒーをドリッパーに入れて平らにならす。5、お湯を入れるのは3回に分ける。60g、60g、180gとする。6、蒸らしは真ん中からまんべんなく行う。ゆすって混ぜ合わせる。お湯と粉を均等に混ぜ合わせる。真ん中にお湯を入れると壁に向かって盛り上がる。最後に壁に向かってお湯を注ぐ。3回目はお湯を入れるスピードを上げる。これらを実践するだけでコーヒーは香り豊かでおいしくなる。紹介してくださった方は、2014年バリスタ世界大会でアジアで初めて優勝した井崎英典さんです。バリスタ世界大会は、年一回行われる。いかに香ばしくて、おいしいコーヒーを入れるかを競い合う世界大会である。今までコーヒー文化のないアジアでは優勝者はいなかった。井崎さんはアジアで初めての優勝者となった。バリスタ世界大会では、審査員5名ぐらいの前で、おいしさ、抽出技術、プレゼンで争われる。井崎さんは、コーヒーのバイヤーで経験、知識、技術の豊富な丸山健太郎さんの下で技術を磨いた。この方はバリスタ日本代表を何人も送り出している人だった。コーヒーの風味というのは、果物の風味に例えられる。ナッツ味、オレンジ味などである。オレンジ味といっても何種類もあるのだ。その数は100種類ぐらいある。バリスタ世界大会に出場する人たちは、試飲しただけですぐに言い当てるという。井崎さんは、その技術を磨き上げて、2013年意気揚々と世界大会に出場したが、その時は予選敗退している。その時、優勝したアメリカ人から衝撃的なプレゼンの言葉を聞いた。彼が言うには、「私はコーヒーに関わる全ての人を代表してこの場にいます」というのだ。生産地、生産者、バイヤー、流通業者、抽出器具、抽出方法や技術、消費者のすべてと付き合いがあり、その人たちの願いや思いを背負って参加しているといったのだ。その人たちとチームを組んで世界一のコーヒーを入れているというのだ。この言葉に自分の欠けているものがすぐに分かったという。井崎さんは、この言葉に触発されて、いったん丸山さんの元を離れることにした。「守離破」でいえば、「守」から「離」に向かって進み始めたのである。早速中米コスタリカに飛んだ。そこでエンリケ・ナヴァロという若い生産者に出会った。その方は、おいしいコーヒー作りに情熱を傾けている人だった。共同出荷をやめて、借金して自前の小型生産処理機械を導入して、直販に活路を求めていた。この人とタッグを組んでコーヒー豆を作ることから始めた。普通常識的にはコーヒー豆は水でかき混ぜて果肉を完全に取り除く。ところが実を残したまま天日干しをすると、イチゴのような酸味が生まれる。豆の表面の粘膜を残して天日干しをすると、シロップのようなよい香りが生まれる。いろいろと試行錯誤して最高のコーヒー豆を作ることに情熱を傾けた。このようにしてアメリカの優勝者のような一気通貫を完成させていった。再び丸山氏の協力を得て、チームバリスタ井崎が出来上がった。多くの人の協力があったのだ。自分でも何か自信のようなものが生まれてきたという。そして予選通過者の6名の中で頂点に立つことができたのだ。優勝の時の写真を見ると、エンリケさん家族、丸山先生、両親などとともに20名近いスタッフに囲まれていた。一人では優勝できなかったということだ。多少苦くても、えぐさが残っても、コーヒーが飲めればいいじゃないですかと思えばそこで改良や改善しようとはしなくなります。つまりそこで成長が止まってしまいます。これが問題なのです。たかがコーヒー、されどコーヒーだと思います。深耕しようと思えば、奥がとてつもなく深い事に気が付く。一つのことを突き進めていくと、その先に普遍的な真理を見つけることができるということです。王貞治さんやイチロー選手が一生懸命に打撃理論について説明します。それを見て、木の棒を振り回すような話に、何の意味があるのだという人もいる。ところ真剣に耳を傾けていると、人生の普遍的な真理について語っているように見えるのです。一つのことに愚直に取り組んできた人は、同じような得も言われぬ地点に到達することができるのだと思います。それがまた多くの人に共感と感動をもたらすということです。
2020.07.25
コメント(0)
日本のリーダーたちのに責任は重大である。リーダーとは、政治家、財界人、官僚、政治や経済の学者などである。その人たちがどんな目標を掲げているかで、その国の国民の生活が大きく左右される。日本のリーダーたちは経世済民という哲学を持って、国家国民のために粉骨砕身努力を惜しまない人でないと国民はみじめなことになる。出世、名誉、私利私欲を第一目標にしている人では困る。リーダーの役目は、ジャングルでいえば一番高い木に登って、みんなが進むべき方向を指し示すことが求められる。責任は重大である。間違った方法に誘導すると、国家は衰退し、国民の生活は苦しくなる。そして外国に侵略されてしまう。自由も民主主義もなくなってしまう。「今だけ、金だけ。自分たちだけ」という態度で、政治や経済などのかじ取りをされてはならないと思う。現在の日本のリーダーたちを見ていると、経世済民という哲学がなく、目先の利益確保ばかりにフォーカスし、自立した日本国家を作り上げるという決意は感じられない。そういう人たちが日本のかじ取りをしているということは、私たちの生活や私たちの子孫がみじめな生活を強要されるということなのである。現在の日本が取り組むべき課題は山積している。まずはデフレ経済の脱却である。国民の貧困化はデフレの経済対策を推し進めてきた結果である。増税、規制緩和、民営化、自由化、グローバル化の推進は、国民を豊かにしてきたのか。小さな政府を目指して、国土強靭化の放棄、公共投資の削減、移民の拡大、医療、教育、保険などの民営化などは果たして許されるものなのか。工場移転による国内産業の空洞化を放置してもよいのか。外国による軍事力行使、知的財産の侵略、サイバー攻撃などの対策を取らなくてもよいのか。自由と民主主義を否定している国にすり寄っていくことが国益にかなう事なのか。日本の市場開放に対して、外国の言いなりになっていてもよいのか。自分たちの保身、出世、利益確保、名誉欲のために、政治や経済を利用してもいいのか。この中で今日は2点だけ指摘しておきたい。まず外交政策である。日本の国土や水源が奪い取られようとしている。相手のなすがまま、指をくわえてみているだけでよいのか。それよりも国会議員の大半が見ぬふりをして、むしろ媚びへつらっているのはどうしたものか。外国が軍備を増強して脅しにかかっている中で、日本はアメリカに依存してしのげることができるのか。対等な軍事力を持たないと、まともな交渉はできないということが分からないのだろうか。私は原爆二世だが、そうかといって核兵器絶対反対の立場に立つと、日本がまともに外国と対等の交渉ができなくなってしまうと考えざるを得ない。つぎに食糧の自給の問題がある。食料を輸入に頼っていて、国民の飢えは心配ないのか。実際2007年から2008年に食糧危機が起こりました。このとき、15の食料の輸出国が、輸出禁止や輸出制限をしました。その時、日本が売ってくれと言っても応じてくれなかったのです。売ってくれても法外の売値を押し付けてきたのです。世界の人口は年間8000万人ずつ増加しています。だから食糧危機は必ずやってきます。先進国の自給率を見ると、フランス140%、アメリカ110%、ドイツ95%、イギリス70%、日本は40%です。食料自給を放棄させると、その国の国土、資源、知的財産を簡単に奪い取ることができると考えられているのです。食料の自給はその国の安全保障にかかわる重大なことなのです。儲からない、効率が悪いからといって、切り捨ててもよいという短絡的な考え方をとってはいけないのです。アメリカの多国籍企業は、F1品種、遺伝子組み換え作物、ゲノム編集の種を作り出した。今や植物のDNAを自由自在に操作しているのである。これは人類が経験したことのない未知の世界です。どんな危険が潜んでいるのか現時点ではわからないのです。この受け入れに寛容なのは日本が唯一の国となっている。遺伝子操作の食料が人類にどんな影響をおぼすのかは未知数なので、日本人をその実験場として活用することになっているそうだ。そんな実験が日本でなされて、奇形児などが生まれてきた場合、誰がどう責任を取ろうとするのだろうか。アメリカやヨーロッパでは、危機感を持って対応しているのに、どうして日本のリーダーたちは無視するのか。つまり日本のリーダーたちに、経世済民の哲学がなく、「今だけ、金だけ、自分たちだけ」という考えで政治や経済を動かしているために、外国に振り回されて、主体性のなさが露呈されているのである。将来の日本と国民がどうなろうとも、自分たちが知った事ではないという考え方なのである。森田理論は最終的には人生観の確立の理論である。世界に類を見ない素晴らしい内容・思想を持っている。しかし現実には、神経症を治すための精神療法として扱ったために、森田理論の世界的な普及が停滞してしまったと思う。日本国も同じように、リーダーたちが、日本の自立と経世済民のかじ取りを最終的な目標としない限り、「迷いの内の是非は、是非共に非なり」という結果になることは火を見るよりも明らかである。私たちは、まずは、事実を自分の目で確かめるという森田理論の原点に立ちたいものだ。
2020.07.24
コメント(0)
神経質性格の人は自己内省力があります。自分の欠点、弱み、ミス、失敗を反省する力があるということです。その事実を認めて、これから先の実践・行動に活かすことができると、それらを経験することは決してマイナスにはなりません。むしろ人間としての器が一回り大きくるきっかけとなります。身体的なハンディキャップを持ちながら、懸命に生きている人には感動を覚えます。またミスや失敗を繰り返しながらも、態勢を整えて、目的、目標、夢を見失わないで挑戦し続ける人も心から応援したくなります。ところが実際には、これらを認めて受け入れることができない人が後を絶ちません。整形美容で容姿の改造に取り組む人がいます。神経質性格を忌み嫌って性格改造に取り組む人もいます。たった1回のミスや失敗も許されないと自分で自分を追い込んで、実践・行動が停滞したままになっている人もいます。つまり自分の独りよがりの先入観、決めつけ、森田でいう「かくあるべし」で現実否定が習慣となっているのです。この傾向が自分だけに向けられるのでしたらまだましですが、他者にも向けられますので困ります。この呪縛から解き放されるためにできることはないのでしょうか。その一つとして自分や他人のいいとこ探しを提案いたします。というのは、人間には良いところと悪いところが半々ずつあるというバランス理論から考えると、悪いところばかりに注目することは片手落ちではないかと考えているからです。生活の発見会の会員の人で、妻の誕生日に、感謝と長所の言葉を100個ほど色紙に書いてプレゼントした人がいました。妻は涙を流して喜んでくれたということです。自分を評価されたことがあまりなかった人にとっては、大変うれしい出来事に違いありません。人に評価されないときは、自分で自分をほめてあげたいものです。マラソンで銅メタルをとった有森裕子さんは、インタビューに答えて「初めて自分で自分をほめてあげたいと思う」と言いました。自分をけなしたり、否定ばかりしている人にとっては、にわかには信じがたい言葉ではあります。でも少し強引に、無理やりでも自分を評価してあげないと、いつまでも自己嫌悪、自己否定に陥ってしまうのではないかと思います。この際、欠点、弱み、ミス、失敗は寛容な気持ちで見逃してあげて、小さな長所や強み、持っているもの、小さな成功体験をおおきくクローズアップして自信を持たせてあげましょう。その方がよほど意味がある事ではないでしょうか。人生は過去の過ちを後悔して生きるよりも、それらを乗り越えるための努力を積み重ねる。そうすれば、神様はミス、失敗、弱点、欠点は見逃してくれるのではないでしょうか。ちなみに私自身自分のいいとこ探しを書き出してみました。20個は見つかりましたが、どうもそれ以上は見つかりませんでした。でも内心ではまだまだあるのではないかと思っている次第です。無理やりにでも見つけようとする姿勢が大切なのだと思っています。
2020.07.23
コメント(0)
経済という言葉は、経世済民という言葉からきているそうだ。経世済民とは、世の中をよく治め、人々を苦しみから救うという意味だという。つまり経済は、国民を豊かにすることを目指しているのである。今の日本人は豊かになっているのだろうか。豊かになるというのは、生活が豊かになる、生活が楽になる、ゆとりのある生活ができる。それとともに、家族を思いやる気持ち、他人を思いやる気持ち、社会を大切にする気持ちが生まれてくる。多くの人が自分の課題、夢、希望に向かって努力している状態をいうのではないだろうか。現代社会はどうか。年収が200万円以下の貧困層が1000万人を超える時代である。命をつないでいくのが精いっぱいで、結婚して家族を持つことさえままならない。共同体が破壊されて、助け合うよりは、疑心暗鬼の中で孤立して生きている。これは経済のかじ取りを担ってきた日本政府、財務省、経済界、御用学者などが、増税、緊縮財政、規制緩和、自由化、民営化、グローバル化を推進してきた結果だと思う。この人たちは自分の出世、利権、利潤の最大化を優先してきた。「今だけ、金だけ、自分たちだけ」のために、国民の豊かな生活を実現することを放棄してきたといわざるを得ない。この政策が1997年頃から今に至るまでずっと引き継がれてきた。経済がマイナス成長の国は日本以外には見当たらない。世界第2位の経済大国として復活した日本が、そのままGDPが伸びていたとすれば、日本は物質面でも、精神的でも世界をリードする国になっていたかと思うと残念でならない。新型コロナウィルスは、大変な惨禍をもたらした。しかし、その政府の対応を巡って、政治や経済、外交問題、日本の自立に関心を抱く国民が出てきた。特に自民党の国会議員の中にそういう人が出てきたことは心強い。事実を直視して、問題点は何なのかを見極めようとしているのである。何を隠そう私もその一人だ。今までは、どちらかというと無関心だった。このままでは経済的にも政治的にも落ちぶれて、アメリカや中国の属国になるかもしれない。精神的にも従属させられてしまうかもしれない。太鼓持ちのような国になるかもしれない。そういう危機感が強くなった。you tubeや書籍で実情の把握に懸命に取り組んでいる。いまや森田理論学習から政治経済、外交政策などの学習にシフトしてきた感じだ。現在政治、経済、外交、日本の自立に関心を持っている日本人は約50万人程度だそうだ。それは日本にはまだ自由と民主主義が担保されているからだ。まだ日本は言論の自由が残されているのがせめてもの救いだと思う。しかしその真実を知ろうとしなければ宝の持ち腐れになるだけだ。世界には事実を知らないでただ貧困に喘いでいる人たちが大勢いる。真実に関心を持つ人を増やしていくことが私たちに与えられた使命だと思う。
2020.07.22
コメント(0)
経済の討論番組で「マクロ経済では・・・」「ミクロ経済では・・・」ではという言葉を聞かれたことがあると思います。経済学をかじったことがある人はすぐに分かるかもしれませんが、一般には何のことかさっぱりわかりません。これは森田理論学習にも関係することではないかと思いますので説明してみたいと思います。ミクロ経済の世界は個人や個々の企業の経済活動のことを言います。マクロ経済は個々の経済活動ではなく、国レベルでの経済活動のことをいます。普通は個人や個々の企業が正しい行動をとれば、それが集約された国は豊かになって栄えていくように思えます。ところが事実は違うことが起きるというのが真実なのです。不思議です。どうしてそんなことが起きるのでしょうか。例えば、今の日本は景気が悪いです。作った商品が売れないのです。すると一般的に給料や賞与が下がってきます。そして生活が苦しくなります。生活が苦しくなると、一般的に物を買わなくなります。消費を抑制するようになります。不急不要の物は我慢するようになります。また少しでもゆとりがあれば、将来の不安に備えて貯蓄に励むようになります。個々の企業は、物を作っても売れないので、生産を抑制するようになります。人件費を削減するためにリストラを行います。有休資産を売り払います。工場を閉めたり、事業そのものから撤退する企業も出てきます。あるいは日本から海外に移転するようになります。投資しないで、余裕資金が出てくると内部留保として貯蓄に励みます。これらは、個人や企業が生き残るためには、きわめて当然の行為です。そうしないと最悪、個人は破産し、企業は倒産してしまいます。ところが日本中の人や企業がそのようなことをすれば、国の経済全体としては、どんどん縮小してきます。デフレスパイラルに陥ってしまうのです。デフレというのは生産しても、需要がないので物が売れない世界なのです。するとますます国民の所得はどんどん減ってくる世界です。デフレになると、GDPが伸びなくなります。今の日本がそうです。生産、消費、所得が軒並み低下して、国民の生活水準がどんどん悪化してくるのです。精神交互作用で神経症が悪化していくパターンとよく似ています。ミクロ経済では国民や企業のすべてが合理的に見える経済活動を行っているのです。それが積み重なった結果、日本全体(いわゆるマクロ経済)で考えると、国レベルでの需要の縮小を招き、その結果国民の生活をますます苦しめるという結果を招いてしまうのです。何とも皮肉なことです。個人や個々の企業がこの方向しか進むべき道はないと選択したことが、ますます日本を弱体化している。このままの状態では、現在550兆円あるGDPが、400兆円、300兆円台に減少して、国民は貧困に苦しめられるようになるのではないかといわれています。その時点で経済大国とは言えなくなってしまいます。弱小国に成り下がってします。国民にゆとりがなくなり、精神的にも追い詰められていくのが問題です。私はこの話を聞いたとき、森田理論学習のすすめ方のことを思いました。森田には特殊用語がたくさん出てまいります。あるがまま、事実唯真、生の欲望、精神交互作用、精神拮抗作用、不即不離、無所住心、純な心、なりきる、かくあるべし、事実本位、物事本位、気分本位、理知本位、感じを高める、変化対応力、努力即幸福、リズム感、バランス感覚、思想の矛盾、不安常住などです。これらが理解できないと森田の神髄に触れることはできません。それは正しい学習方法です。ところが手あたり次第学習して、果たして症状から解放されるのか。人生観を確立して生き方が変化してくるのか。これは難しい問題です。私の見るところ、森田理論の詳しい人が必ずしも、症状を克服しているとはいえない。人生観を確立しているとも思えない。知識を増やして森田に詳しくなることが、結果として混乱を招いているのではないか。それは経済学でいう「マクロ経済」の視点が、すっぽりと抜け落ちているからかもしれない。森田理論学習の目的は何かをしっかりと見極めて、それを見失わないようにして学習に取り組む必要があるのではないか。その意味で私は「森田理論の全体像」を俯瞰しながら、森田理論学習に取り組むことを提案しているのです。この視点が抜け落ちると、弊害が出てくる。つまり森田理論学習も、ミクロの視点とマクロの視点のバランスを考慮することが欠かせないという結論に至っているわけです。
2020.07.21
コメント(0)
森田先生の父親は、教育熱心であったようだ。9歳の時に、古文真実や、11歳歳の時に豪求という漢文の本を詰め込まれた。その後、父親は教える事を全くやめて、放任してしまった。それで14歳まで遊んだ。その後高知中学に進学したが、卒業間際までは成績が振るわなかった。中学卒業ごろからやっと上向きだした。母の訓育は、だいたい放任であったけれども、決して甘やかすようなことはなかった。私が何か不平をいう時には、母はいつも、下を見よ下を見よ、可哀相なものの事を思えと教えた。偉くなれといわれたことは、あまり覚えがない。(森田全集 第5巻 351ページ)森田正馬は、4歳頃から読み書きができたため。教員をしていた父親がスパルタ教育をしていたのである。漢文の暗記ができなくて深夜に及ぶこともあった。フラフラ眠りだすと、父は外へ連れ出して、眠気を吹き飛ばしてまで、勉強をさせていた。正馬は、こんな無謀なことは教育上、全く有害無益なことだと回想している。父親は、正馬の成績が伸びないとみると、一転して放任してしまったそうだ。それで正馬は、1年か2年はぶらぶらと過ごして14歳で高知中学に入学した。それは父親が進学させることを渋ったからである。中学の成績表を見ると最下位に近かったようだ。それが、第五高等学校、東京帝国大学医学部に進学したというのは驚きである。好奇心が強く、負けん気が強く、執着性気質という神経質性格が、正馬の向上心に火をつけたようです。それにしても父親の子供に対する接し方は、その後の人生に影響を与えていることがよく分かる。父親は子供のそばにいて、子供の興味や関心のありかを観察して、好奇心を刺激し続ける。自分の考え方や行動を押し付けてはうまくはいかない。かえって反発されて、親子関係が断絶する。そして、「もうかってにしろ」と突き放してしまうと、さらに子供の成長に悪影響を与えてしまう。母親は子供が、不平や不満を言うのを叶えてやるということはなかったようである。下の人を見て耐える、我慢することを教えていたようです。これは「かくあるべし」を振りかざして、事実、現実、現状を否定する態度をいさめていたのではないかと思う。そして現実をそのまま受け入れて、問題ある現実を少しでも改善できるように努力しなさいという事を身をもって示していたのではないかと思われます。森田の考え方のかなめの一つに「かくあるべし」を少なくして、「事実本位」の態度で生きるというのがありますが、それを母親から受け継いでいるものと思われます。
2020.07.20
コメント(0)
新型コロナウィルスは大変な傷跡を残したが、私にとっては日本の自立の問題、政治や経済の方向性について関心を高めるきっかけとなった。特に、日本の政治、国防、食料、経済、国土の保全、教育、医療、年金については、外国に頼るのではなく、日本人が自立して自ら守りぬくという決意を固める時だと感じている。北海道の土地と農産物は合法的に中国に買われているという。もうすでに北海道の土地の10分の1は中国人のものになっているという。日本政府が北海道の振興策を打ち出せないときに、中国が手を差し伸べてきたので、首長がもろ手を挙げて追随した結果である。自分たちの生活を守るためのまっとうな政策が、振り返ってみると、日本の国土と自治を明け渡すことに加担していたということだ。内部から浸食されて、そのうち気が付いたら日本ではあるが、実態は中国の属国となっていたということになるのではないか。このままの状態が進行すれば、日本の国体が維持できなくなるのではないか。今後GDPが550兆円から300兆円台に落ち込んでいくと、アジアの小国としてひっそりと生きていくことになる。日本人の所得はどんどん減少して、貧困層が国民の3分の1を超えるという時代がすぐそこまでやってきている。ちなみに貧困層とは年収200万円以下である。第2次安倍内閣が発足したときに、GDPを600兆円まで上げますと公約していたことは何だったのか。実現していれば、ここまで国民が貧困で苦しむことはなかったはずだ。香港で国家安全維持法が成立した。アメリカ、イギリス、オーストラリア、カナダ、東南アジア、アフリカの一部の国は、猛抗議をしている。そんな中で、日本は逆に中国との友好関係をアピールしている。与野党の国会議員のほとんど、経済界のリーダーたちは、親中派といわれる人たちなのである。でも考えてみてほしい。日本の防衛は全面的にアメリカに依存し、経済面では中国にすり寄って、できるだけ利潤を上げる。そのような二股外交が許されるのだろうか。優柔不断な態度は、どちらの国からも、相手にされなくなるのではないだろうか。いや、自己中心むき出しの態度は、世界中の国からつまはじきにされるような気がしている。日本は貿易で金を稼がないと経済を維持できないというが、それは多国籍企業の言い分である。日本はもともと内需が85%で経済を回してきた国である。原点に回帰して、内需中心の経済政策で国民生活は豊かに転換できるのではないか。そのためには政府が音頭を取り、内需振興策をとるための政策転換が必要である。国民の生活を豊かにするという目標を達成するために政府がやるべき課題は多い。食料の自給、国防、経済、国土保全、医療、介護、教育、年金、産業の育成などである。特に地震や水害の多い我が国は、常に国土強靭化に取り組む必要がある。それ以外にも道路、トンネル、橋梁、鉄道網、空港、発電所、送電線網、電波塔、通信ネットワーク、ガスパイプライン、上下水道網、建築物、工場、機械・設備、運輸車両など社会インフラの整備も老朽が進んでおり手を付けるべきである。政府が主導して行うことに意味がある。こうしてみると、日本人としての生き方を確立していないというのが問題だと思う。自分の立場が確立していないので、対症療法で何とかその場を乗り切ることばかりを考えている。私たちが神経症に陥り、不安を無くしたりやわらげる事ばかり考えているようなものです。神経症に陥った人は、神経症の成り立ちを理解して、そのうえで正しい方向で努力していく必要があるのだ。薬物療法で一時的に不安を和らげたとしても、その場限りである。精神療法で一旦は治ったかのように見えても、根が張ったような状態なのでまた再発してしまう。失意の人生で幕引きということになる。政治や経済の問題も同じなんですね。以上は、you tubeで配信されている、水島総さんの「チャンネルtv桜」の討論番組を参考にしています。現在チャンネル登録して視聴している人が50万人おられるという。この番組が、さまざまな圧力を受けながら、国民に真実を伝えておられることにたいして敬意を表したい。このネット番組が無くならないことを願うばかりである。このような討論番組の視聴者が100万人、200万人、500万人、1000万人へと増えていくことを願っている。日本人の10人に1人が政治、経済、外交、日本の安全保障、日本人の自立について関心を持つようになった時に日本の再生が始まるのだと思う。正しい事実を見る目を養い、世論が高まることが日本再生には欠かせないと考えている。
2020.07.19
コメント(0)
定年退職する時、自分のやって見たいことを20個ぐらいは用意しておくことが大切だと聞いたことがあります。そうしないと、退屈だ、暇だなと感じるようになる。そうなった時点で、規則正しい生活が失われている。精神は緊張状態から、弛緩状態に変化しており、これを立て直そうとすることは難しくなる。それを防止するために、定年後に取り組むべき趣味のようなものを20個程度は用意しておくことが不可欠だというものだ。今日はこの問題を考えてみた。私は定年を迎えたとき、規則正しい生活を維持したいと思った。そのためには、仕事をすることがよいのではないかと思った。マンションの管理人の仕事を選んだ。この仕事は残業がない。階段を上り下りして運動になる。自分で仕事の段取りができる。多少の収入にはなる。冷暖房完備でトイレ付きの部屋が使用できる。受付時間は自由なことがある程度できる。一人でやる仕事なので人間関係のわずらわしさがない。そして、この仕事のおかげで生活のリズムができたことが大きい。土日祝日を除いて、毎日芯になる活動を持っていることは大変重要だと思っている。私の場合はそれが仕事だったわけだ。生活にゆとりがある人は、別に仕事でなくても構わないと思う。例えば主婦の人は、3度の食事の準備、洗濯、掃除、整理整頓、ペットの世話、観葉植物の手入れ、家庭菜園の世話などが毎日決まった時間に行われているとすれば、芯を持っているということになる。男性でも、曜日ごとに違ってもよいが、その日ごとに芯になる行動を確立しているということが極めて大切になる。それを持っていると、迷いがなくなり精神が安定してくる。そういう生活が3か月なり、1年続くということが、緊張感のある生活につながる。要は、毎日行き当たりばったりで、気の向くまま、風の吹くまま、根無し草のような生活を繰り返しているとすれば問題が出てくる。ある釣り好きの人が定年退職して、毎日磯釣りを楽しんでいた。ところが、3か月もすると、飽きてしまって興味を失った。ゴルフが何よりも楽しみだと言っていた人が、そればかりできるようになると、ポカリと心の中に穴が開いたようだという。これらは余暇で楽しんでいるうちは、生活の活性化に役立っていたのだが、それが主役になると、途端に興味や関心がなくなるということだと思う。毎日芯になる仕事や行動を確立しておくことは、生活のリズムを作り、精神を活性化させるために欠かせない。そのうえで、人生を彩るのは、興味や関心のあるものをいくつ持っているかという事だと思う。これらをたくさん持っていれば、人生の楽しみはいくらでも出てくる。今の私でいえば、読書、株式投資の研究、カラオケ、家庭菜園、サックスの練習、一人一芸の練習、老人ホームの慰問活動、このブログへの投稿、草花の手入れなどである。これらはメインではないが、生活のアクセントとして大いに役立っている。料理でいえば、隠し味、スパイスとして絶妙な味を引き出してくれているようなものだ。そういう態度を持って生活することが肝心だと思う。
2020.07.18
コメント(0)
「新版 神経質問答」に、平常心是道についての説明がある。森田先生が、弁護士をしている心悸亢進発作の患者を診察された。その人は10余年来禅をやり、公案を100も通過したとの事である。「平常心是道」というのは、この人からはじめて聞きました。この人がいうのに、家で座禅をするときには、すぐ「平常心是道」になるが、電車の中で発作の起こった時にはどうしても平常心にはなれないとのことである。この人に対して森田先生は次のように説明されました。「平常心」という文字から察すれば、それは「自然の心」という意味ではなかろうか。死は恐ろしい、電車の中で今にも死にはしないかと思うときは、当然不安である。そのあるがままの心が、すなわち平常心ではあるまいか。電車の中でその恐怖心そのままになりきって、逃げだしたり、交番や病院に駆け込んだりしないで、ジッと忍受していれば、そのまま発作は経過して苦悩は霧散霧消する。これが「平常心是道」であって、そのとき心悸亢進発作はたちまちに全治すると教えましたけれども、その人は残念ながら私のいうことがよく理解できなかったのであります。神経症は器質的な病気ではない。不安、恐怖、違和感、不快感にとらわれて、精神交互作用により蟻地獄に陥った状態である。精神的な葛藤や苦痛は相当なものである。ある意味器質的な病気よりもきつい。薬物は不安を軽減する効果はあるが、不安などを根こそぎ取り去ることはできない。神経症に陥ると前後不覚となりあわてふためく。私は神経症を治すためには森田理論の学習をお勧めしたい。森田理論は、基本的に仲間とともに学習していく。一人で学習していても、どこで認識の誤りを起こしているのか自覚することは難しい。仲間と学習することで、認識の誤りに気付くことができる。次に森田理論は系統立てて学習することが有効です。まずは基礎的な学習です。これに1年ぐらいかける。神経症とは何か、神経症の成り立ち、神経質の性格特徴、感情の法則、行動の原則、認識の誤りです。基礎的な学習が終わりましたら、森田理論を俯瞰する学習に取り組みます。私の学習経験から言えることは、森田の考え方を十分に理解するためには、森田理論の全体像、森田理論の枠組みを理解することが有効でした。これは遊園地などの巨大迷路に入るときに、丘の上からおおよその脱出ルートを把握しておくようなものです。森田理論は大きな4つの柱から成り立っています。「生の欲望の発揮」「欲望と不安の関係」「かくあるべしの発生と苦悩の始まり」「事実本位の生活態度の養成」です。本格的な学習に取り組む前に、4つの相互の関係性を理解しておくということです。その関係性を図示したものがありますから、それを手元に置いて、学習しているところを絶えず認識していることが大切です。そうしないと森に入って、個々の木のことはよく知っているが、森田理論で症状を治すということはどういうことなのか、あるいは神経質性格を活かして生活するとはどういうことなのかが全く見えてこない。つまり森田のキーワードはよく分かっても応用や活用ができないという弊害が現れてくるのです。実にもったいないことになるのです。森田理論全体像が理解できれば、次は本格的に4つの柱を深耕していきます。また森田にはキーワードがたくさんありますので、それらを学習して肉付けしていく。これらは応用編の学習という位置づけに当たります。応用編は2年目に取り組む課題として推奨しています。ポップ、ステップ、ジャンプのステップに当たります。そして3年目は、森田理論を生活面に応用・活用するという課題に取り組むようにするのです。私はおおむね3年計画で取り組むことを推奨しております。3年というのは長いようですが、人生90年時代といわれていますから、わずかな期間だと思います。
2020.07.17
コメント(0)
森田の合宿学習会に参加された方が紹介されている言葉である。合宿学習会のなかで、周囲の状況に気が回らずぼんやりしている時など、「神経質が足りない」という言葉が、冗談めかして飛び交っていた。「気にするな」「神経質になるな」とさんざん言われ、自分でもそう思ってきた私にとっては、実に新鮮に響き、励ましの言葉と受けとめた。この言葉は、「生の欲望」の強い神経質的資質を肯定的に捉えている。だからネガティブな方面ばかりでなくポジティブな方面へ、内面的、部分的なものだけではなく、外部の環境を含め全体に神経を働かせよと、言っているのだ。確かに日常的な行為・行動の際に、全体的な視点から目配りをすることで、自らの小さな「とらわれ」を離れ、他者への思いやりが生じてくる。(生活の発見誌 6月号 15ページより引用)神経質性格が持っているプラスの側面を意識して、それを大切にして活用していきましょうということである。普通は神経質性格は発揚性気質の人と比較すると、劣っていると思っている。神経質性格を忌み嫌い、少しでも発揚性気質に性格改造したいなどと考える。そういう思いを断ち切り、持って生まれた神経質性格のままで生きていこうと決意を固めることは、かなりハードルが高いのである。この認識の誤りを自覚するためには、森田理論学習が役立つ。「神経質性格の特徴」という単元の学習をすると、性格にはプラスとマイナス面があるということが分かる。マイナス面はそのままにして、プラス面に光をあてて生活していく方が賢明な生き方であると理解することができる。こういう見方ができようになることのメリットは計り知れない。森田とかかわりがないと、いつまでも神経質性格を忌み嫌うことになる。特に小さいことによく気が付く、感性が豊かである。失敗に学ぶことができる。粘り強い。意欲的である。これらを認識して、活用法を開発していくと、素晴らしい人生になることが分かる。そのノウハウは先輩会員や森田理論が懇切丁寧に教えてくれている。最初はモノマネから入るとよいと思う。弾みがついてくると、自分独自のやり方も付け加えて、どんどん発展させていけばよいのである。その過程で問題点、課題、夢、希望が生まれてくる。そういうものを一つでもつかまえた人の人生は光り輝いている。人生90年時代、自信を持って悔いのない人生を全うできると思う。森田に関わった人はすべてそうあってほしいものだ。
2020.07.16
コメント(2)
文化庁メディア芸術祭漫画部門で賞をもらわれた漫画である。描いた人は素人の漫画家、田中宏明氏である。内容は、北海道小樽の小児精神外科医の高橋義男さんの医療活動を取り扱っている。実際には高橋医師の下で奇跡の生還を果たした家族のありのままの生活を描いている。すべてドキュメンタリーである。高橋医師は、脳に障害を持って生まれた子供たちにリスクを冒しながら、可能性のある手術を提案し、同意があれば難手術を引きける。手術が終わった後も、その子供たちを暖かく寄り添い、社会に出るまで面倒を見ている。診察室には感謝の手紙、子供たちの写真でいっぱい張り付けてあった。涙なしでは見られない。実はこの漫画を描いた田中さんの次男は水頭症で生まれてきた。髄液が脳内に充満して脳を圧迫していた。放置すれば知的障害、精神障害、運動障害を引き起こす。さらに早死を招いてしまう。これには髄液を抜くポンプを一生涯取り付けるシャント手術がある。手術自体は比較的容易だという。しかし不具合が起こりやすくメンテなどの手間がかかる。もう一つは内視鏡手術がある。脳に内視鏡を入れて、髄液の通り道を作る手術だ。これは難手術になる。成功する確率は格段に落ちる。脳内の血管や神経を傷つけると、重い後遺症が残る。もし手術に失敗すれば即死につながる。田中さんは内視鏡手術を選択して、高橋医師もそれを引き受けた。幸い手術は成功して、後遺症も残らなかった。現在田中さんの次男は17歳になるが、普通の人と同じような生活ができるようになった。高橋医師は薬害ヤコブ訴訟の原告団を応援して、国や製薬会社と戦った。そのせいで、手術設備のある病院を追われることになった。復帰を願う嘆願書が5万通も集まったが、すぐには覆らなかった。田中さんもその扱いに疑問を抱き、自分が趣味で取り組んでいた漫画で、高橋医師のことを知ってもらいたいと決意した。これが大反響を起こしたのだ。漫画の中に裂脳症で生まれてきた子供のありのままの生活を描いた作品があった。裂脳症とは脳が半分しかない病気である。きわめて重篤な病気である。放置すると植物人間としてしか生きてはいけない。高橋医師は髄液を抜けば、脳が成長してくることにかすかな望みを持っていた。そして手術後、刺激を与え続けて状況が少しでも好転することに期待を寄せていた。両親も奇異な目で見られることに耐えながら、懸命に刺激を与え続けた。その成果が出た。その子は現在27歳になる。車いすでの生活です。言葉はしゃべれません。ところが脳が成長して、人の話が理解できるようになった。自ら考えることができるようになった。自分の気持ちは端末に手で打ち込んで伝えている。言葉を理解することも、自分の気持ちも伝えることができないといわれていた子供がここまでできるようになったのです。そして今では家族と笑いながら生活している。高橋医師の口癖は、「思い切ってチャレンジしてみませんか」という言葉だそうだ。そしてその子が社会に出るまでは、いつも気にかけて見守っている医者だった。他人に「かくあるべし」を押し付けることの多い私にとっては衝撃的な話であった。何度も涙が止まらなく出るという番組であった。以上、逆転人生より紹介しました。
2020.07.15
コメント(0)
山野井房一郎さんが入院中の時、戸村さんという人がいた。その戸村さんが、あるとき婆やから、庭にある2坪ばかりのニラ畑から、おみおつけに入れるニラをとってくるように頼まれました。戸村さんは、婆やに、「何に入れてくるんだい」と聞いている。40過ぎの大人がいちいち聞くことがとみておりました。婆やは、直径50~60センチもある浅い大きなザルを出してきて「じゃこれに入れてきてください」と言いました。戸村さんは、「ヨシ、とってくるぞ」といって大きなザルを持って駆け出していきました。しばらくして「婆やとってきたぞ」というので見ましたら、ザルに山盛りにしてあります。婆やは、それを見まして、びっくりしまして、「お父っつあん、みんなとってきたのかい」とききましたら、「めんどくさいから全部とってきちゃったよ」と平気で言います。これには婆やも驚きまして、「お父っつあんはまあ、大変なことをしてくれたものだ」「あんたはしばらく入院だね」というわけです。(生活の発見誌 6月号24ページ)戸村さんは九段下でビリヤード屋を経営しながら遊んで暮らしているような人だったそうだ。たぶん子供のころから、過保護に育てられたのだと思われます。山野井さんは、子供などはあまり大事にしすぎると、何にもできない子供になると指摘されています。少々時間がかかっても、子供ができることを、親が先取りしてしまうと、こんな子供になりますよという見本のような人だった。学校を卒業すると、親から離れて自立して生きていくことになりますが、これでは精神的にも経済的にも親から自立することはできません。子供ができたら、過保護、過干渉、放任、ネグレクトはご法度です。基本的には、子供のそばにいて、子供の自立心が育っているのを見守る態度が欠かせません。一生親に依存する生き方は思い悩むこともなく、安楽な人生に見えますが、砂を噛むような味気ない人生になります。婆やは味噌汁に入れるニラをとってきてくれと頼んだのに、ザルいっぱいに摘み取ったのはどう考えたらよいのでしょうか。これはお使い根性の仕事だと思います。言われたことをこなせばよい。少々やりすぎたとしても文句をいわれる筋合いのものではない。むしろ「よくやった」と誉めてもらえるかもしれないと思っている。物事本位になっていない。普通お使い根性の仕事は、言われたことをイヤイヤこなすというものです。この場合は、エネルギーが有り余っているので、行動に弾みがついて暴走しているのです。制御がきかないところは、双極性障害者の行動とよく似ている。森田では気分がいくら拒否しても、必要なことを必要なだけ手掛けることを大事にしています。手掛けた行動に、弾みがついて、のめりこんでいくことは問題が生じます。反対に、気分が乗らなければ、全く行動する気にもならないというのも困ったものです。どちらの方向に行っても、問題になります。こういう人は、森田の「欲望と不安」の単元をよく学習してもらいたいと思います。そして、生の欲望の発揮が暴走しないように、不安を活用して、欲望を制御して、調和を目指していく方向に転換してもらいたいと思います。
2020.07.14
コメント(0)
児童精神科医の原田聰志先生が子供の成長にとって大切なことを2点あげておられます。治療の難しい子供は、自分のやってみたいこと、好きなこと、興味のある事が乏しい子供たちです。森田先生は「生の欲望」というものを強調しましたが、そのような欲望の乏しい子供たちです。また、家族内の複雑な問題、家族の理解や協力が得られにくい事例も困難になります。家が安心安全な場所でなかったり、家族が協力してくれなければ、子ども達も不安を抱えながら行動することは大変なのだろうと思います。反対に、良くなる事例は、家族の協力が得られやすい事例でもあります。つまり、親が子供のことを深く考え、一緒に何とかしていこうという姿勢がみられる事例です。子ども達は、やはり家族に支えてもらうことによって不安を乗り越えることができ、安心が得られるのだと思います。(生活の発見誌 6月号 13ページより引用)最初の問題ですが、子供が小さいうちは、誰でも好奇心が旺盛だと思います。それなのに、成長するにしたがって、興味や関心が薄くなっていく子供たちが出てくる。それは親が過保護、過干渉になってしまい、子供が親に依存するようになる。あるいは親の言いなりになって、親の思惑に振り回されるようになる。こうなると好奇心のかけらは親によってことごとく摘み取られてしまうことになります。そのような育て方をされた子供たちが大人になると、自分の欲望が分からない。自立できない。自己主張ができない。意欲的になれない。生きている意味が見いだせない。好奇心がないように見える子供たちは、性格的な問題もあるでしょうが、大局的な視点から見ると親の子供に対する接し方にあるように思われます。親は子供の好奇心を刺激して、いろいろなことに挑戦させることが務めだと思われます。次の問題ですが、特に男性に多いのが、仕事や付き合い、趣味などにのめりこんで、子供との接触時間が少ない場合があります。中には子育ては奥さんにまかせっきりという場合もあります。これでは子供はまともに育たない。花や野菜などでも、肥料や水やり、手入れが欠かせません。特に男の子の場合は、父親を手本にして成長していく場合が多いのです。それなのにいつも父親が家にいない。これでは困ったときに相談することもできない。精神的にはとても不安な状態です。何を言わなくても父親が子供のそばにいる時間をできるだけ多く作ることはとても大切です。問題児になった時、「子供のことはお前に任せていたのに、どんな教育をしてきたのだ」と奥さんを責める父親がいます。これは問題です。父親が子育てを放棄したからこそ、子供たちが不安定になり、問題児になってしまったという認識が欠けています。子供ができたら、せめて中学に入るまでは、家族でいつも団体行動をするという姿勢が大事だと思われます。そのために父親は、仕事、付き合い、趣味はある程度犠牲にする必要があります。
2020.07.13
コメント(0)
6月の生活の発見誌に、「持病のある夫が新型ウィルスに感染しないか、重症にならないか不安です。よきアドバイスをお願いします」というのがあった。この方の夫は、約1年の透析を経て、腎臓移植をされたそうだ。現在免疫抑制剤を使っておられる。そのほか、糖尿病もあり、血圧も高いという。かなり厳しい状態にあります。新型コロナウィルスは、持病を持った人やお年寄りなどには容赦なく襲いかかります。夫のことが心配で、気がかりなのはよく分かります。不安になると、森田の言葉である「あるがまま」「不安常住」「前を謀らず、後ろを慮らず」などを、頭の中で何度も復唱されているという。しかし不安は収まりません。このような状況の中で、どうするのがよいのか考えてみました。「対応しなければならないこと」と「対応してはならないこと」を区別することが大事だと思います。まず「対応してはいけないこと」から考えてみましょう。不安な気持ちを無くしてしまおうとすることです。森田を学習している人なら、不安を取り除こうとすれば、精神交互作用で蟻地獄の底に落ちてしまうことはよくご存じだと思います。そういう場合は、精神科医に相談して、不安を少し和らげる薬を処方してもらうことだと思います。少し気持ちが楽になるだけでも、だいぶ違います。また、不眠が続くのであれば、睡眠導入剤なども必要になるかもしれません。しかし薬物療法は松葉杖のようなもので不安を完全に取り去るものではありません。このことはしっかりと認識しておくことが大切です。今は不安が極限状態にあります。つらいと思います。でも不安はあるがままに受け入れて持ちこたえるしかありません。持ちこたえているうちに、不安は変化していくという事を思い出してもらいたい。楽になるかどうかは分かりませんが、少なくとも不安は時間の経過とともに変化していく。一般的には不安は薄まり軽くなります。そのことを信じて淡々と日々の生活を積み重ねていくことです。つらくて自分の頭の中が壊れてしまうような気持ちでしょうが、森田ではその方法がベストであると教えてくれています。次に「対応しなくてはいけないこと」を考えてみましよう。病気のご主人はとてもつらい心境に置かれていると思います。精神と身体の両方面で投げやりになっておられるかと思います。そんな時に奥さんが、近くにいてあげるだけでもどんなにか助かっていると思います。病院への付き添い、家での介護、食事の準備、掃除洗濯、快適な住空間づくりなどは精魂込めて取り組むことだと思います。また日常茶飯事に取り組むことで、不安に振り回されるという悪循環は軽減させることができます。以上2点を心掛けて生活していくことだと思います。すると、2年先、5年先で振り返ってみたときに、森田を活かしてなんとか乗り切ったという充実感がこみあげてくるだろうと思います。誰にとっても人生は山あり谷ありです。今は波が沈み込んでいますが、沈み込んだ波は必ず浮上してくるのが自然の法則です。自然の流れに身をゆだねて生活していくことが一番安楽な道となります。後で振り返ってみたときに、なんと中身の濃い味わい深い人生だったことかと感謝できるようになるのではないでしょうか。
2020.07.12
コメント(0)
広島東洋カープの堂林翔太選手が自分の好きな言葉を紹介していた。乗り越えた壁は、自分を守る盾になる。これは高校生の時に同級生から聞いた言葉だそうだ。堂林選手は、2012年、144試合に出場して14本のホームランを打っている。その後低迷して、今期はファーストでのレギラー争いに加わっている。精神面では毎年護摩行に参加している。技術面では、新井貴浩氏のアドバイスを取り入れてヘッドを前に変えた。最近の試合では大きなあたりを飛ばしているので今期は期待している。さてこの言葉ですが、株式投資の世界では、上値抵抗線というものがあって、いいところまで行くのだが、その抵抗線に到達すると、いつもそこを突破できないで下がり始める。それが何度も繰り返される。ところが、何かをきっかけにして、その上値抵抗線を突破してしまうことが起こる。すると、今まで上値抵抗線は下値支持線に変わってしまうというものです。下値支持線というのは、そこまで下がっても、そこから逆に反発するという抵抗線です。同じ場所にある境界線でも意味が全く違います。堂林選手の好きな言葉はこのことを言っているのだと思う。何度チャレンジしても失敗続きで跳ね返される。自分の能力では無理だ。自分は何をやっても失敗ばかりだ。世の中は自分に対して冷たいことばかりする。投げやりになって、それに向き合うこともしなくなる。普通はそういう人が多いと思います。ところが、何回失敗しても、何回跳ね返されても、手を変え品を変えてあきらめない人もいます。そしてついには、どうにもならないと思っていた壁を乗り越えてしまう。するとそれが自信になる。チャレンジすればできるという前向きな気持ちも生まれてくる。さらに次の目標に向かう足がかりができる。つまり乗り越えた地点が出発点に変わるのである。エベレスト登山でいうと、ベースキャンプが上に向かって移動したという事です。乗り越えるべき壁は、神様から与えられたギフトのようなものだと思います。簡単に乗り越えられるような壁は、壁とは言えません。努力しないと乗り越えることができないような壁を持っている人は幸せな人です。神様は自分に乗り越えられないような課題は与えないと聞いたことがあります。チャレンジをあきらめて楽な道を選ぶことも可能ですが、人生の醍醐味を味わうことができません。神経症で苦しみ、のたうち回っている人は、きっと乗り越えることができる課題を与えられているのだと思います。その途中で森田理論に出会いました。これを深耕して、神経症を克服していきましょう。さらに、森田理論は神経質性格者の生き方を提示してくれていますので、それも併せて学習して身に着けていきたいものです。
2020.07.11
コメント(0)
森田先生のお話です。すべて世の中の事業でも商売でも、学問的研究にしても、これに成功するか失敗を重ねるかは、我々の純な心・自然な心で直観的に判断する方がよく的中するものである。直観力で思い出すことがあります。社会保険労務士試験を受けたときのことです。5つの選択肢の中から正解を選ぶというのが70問ありました。すぐに正解が分かるものは非常に少ない。最終的に正解の候補を2つぐらいに絞っても、最後にどちらかが分からない。ここで直観力に頼ることになります。迷った末に直観力に頼っているので、合格の基準点といわれている42問を超えているかどうかは全く読めないのです。合格発表は1か月以上も空いているので、不安な日々を過ごすことになります。ところが直観力というのは、よく当たっていたのです。しかし直観力が十分に働いてくれるためには、それ相当の学習が必要だと思いました。何しろこの試験は合格者を6%ぐらいに抑え込むことを目的としています。勘で当たるというようなわけにはいきません。過去問や模擬試験などを繰り返していく必要があるのです。合格するための学習時間は1000時間といわれていました。すると警察犬がにおいで犯人を特定するという現象がありますが、そんな状態が訪れるのです。はっきりと断定はできないけれども、どうもこれが正解ではないかとかぎ分けることができるようになるのです。私たちは行動するにあたり、それを思いとどまらせようとする考えが同時に湧き起こります。森田では精神拮抗作用が働くようになっているといいます。神経質性格の人は、石橋を叩いて安全が確認できないと、石橋を渡ろうとしない。そして、渡れない理由を頭の中で様々に考えていきます。終いには手も足も出ないという事になります。あれこれと思い悩まないで、直観力をもとに素早く行動するために必要なことは何でしょうか。私は雑多な社会経験を積み重ねることが大切だと思います。子供のころからいろんなことを体験していく。失敗やうまくいかないことを経験していくと後で役に立つ。では大人になった人はどうすればよいのでしょうか。緊張感を持った生活を心掛けることが大事だと思います。森田でいう「無所住心」を心掛けることです。昼間活動している時は、昆虫が触角を伸ばしてアンテナを張って、いろんな情報に敏感に反応している。人間でいえば、そろりそろりと忍び足で歩いているのではない。両手を大きく振って走っている状態です。こうなると気づきがドンドン増えてくるのです。しだいに直観力が鍛えられてくるのです。これを宝物にして大事に扱うことが大切です。
2020.07.10
コメント(0)
森田先生のところに入院していた人で陸軍大尉の人がいた。読書恐怖という神経症のために、職を辞し、その後根岸病院の看護人をされていた人である。森田先生は、一番残念なことは、神経症のために職業を捨てる人です。病気が治ってのち、あとから取り返しがつかない。神経症の患者で、私のところへ診察を受けに来る人には、私は職業を辞めさせない。これは私の大きな人助けだと思っている。普通の医者は、この同じ患者に対して、必ず休学させたり、職を辞めさせたりするのが常である。(森田全集第5巻 341ページより引用)私も対人恐怖症で苦しいときなどに仕事を辞めて楽になりたいと思った。しかし、家族の生活がかかっていたので、辞めることができなかった。毎日針の筵に座っているようで、苦しかった。仕事は上の空で、イージーミスも多かった。疑心暗鬼で、人間関係も悪く、見るからに暗い顔をしていた。ただ、今考えると、超低空飛行ではあったが、墜落はしなかった。これが肝心だ。大きな意味があると思う。一旦墜落してしまうと、再度飛び立つのに莫大なエネルギーを使う事を後で知った。下手をすると永遠に飛び立つことができなくなる。そんな時、集談会の仲間たちが、親身になって私の話を聞いてくれた。私の場合は1か月に一回では少なかった。毎土曜日に読書会があったので、そこで相談するのを励みにしていた。今はメールなどがあるので、可能な限り利用されたらよいと思う。この時ほど仲間のありがたさを感じたことはなかった。ピンチになればなるほど、寄り添ってくれる人がいることで救われる。そこで心に残り、役に立った言葉があった。・今は波のどん底にいるが、波は必ず上昇してくる。それまでみんなで支えていくから、安心してほしい。・こんな非常事態なときに、仕事を辞めるとか、離婚するとか、死んでしまおうなどという重大な結論を出してはいけない。それは難局を乗り越えるまで封印しておくこと。・時間を味方につけよう。時間の経過がきっとあなたを助けてくれるはずだ。それを信じて我慢して待とう。・今のあなたは「月給鳥」になりなさい。家族が生活するエサを獲りに行くという目的は忘れないようにしなさい。その目的が果たされれば十分です。神経質者はまじめで責任感が強いので、それでも普通の時の6割ぐらいはできています。それだけできれば合格点ではありませんか。国家試験だって、6割できればおおむね合格ですよ。人に助けられて、なんとか仕事を辞めることも、離婚することも、自殺することもなかった。紆余曲折があったが、今となっては、懐かしい思い出にすぎない。神経症で蟻地獄の底にいるときに、人生の将来を左右する重大な決断をすることは、気分本位の態度以外の何物でもないと思う。後で取り返しのつかないことをしたと後悔するようになる。
2020.07.09
コメント(0)
職業の数は約12000種類ほどあると聞いた。選択の幅が無限にあるという事だ。これだけあると、できるだけ自分の興味のあるものや得意な分野の職業に就きたいと思うのが人情である。しかし選択肢が無限であるために、ああでもない、こうでもないと試行錯誤を繰り返しているうちに、ついに定職につかなかったという人も増えている。アルバイトや派遣社員で食いつないで、そのうちやりたいことが見つかったら、それを生涯をかけた仕事にしたいという気持ちが強いのである。しかし現実にはそんな仕事が見つからない。あっても技術や資格が障害となって今一歩踏み出せない。森田先生は仕事の選択についてどう考えておられたのだろうか。興味は実行により、得意は熟練し、成功することにより、しだいに後から分かってくるものであるといわれている。興味があるもの、得意なものを選んでいるうちは、何をやってもたいしたことはできない。また、仕事は周囲の状況から運命によって決まることが多いともいわれている。つまり最初から完璧に職業を決めることはできないといわれている。興味、関心、課題、目標、やる気、意欲などは、一心不乱に仕事に打ち込むことによって自然に生まれてくる。得意分野、才能、自信、工夫、改善は小さな成功体験を積み重ねるうちに、自然に獲得できるものである。最初からあるものではなく、実行によって生まれてくるものである。これらから言えることは、頭の中で取捨選択に時間を費やしているのはもったいないという事になる。ヨーロッパなどでは、モラトリアムと言って学校を卒業した後、いろんな職業体験をする期間が社会的に認知されているという。そのうち興味があるものが見つかると、その方面に進むことになる。有名な一流企業に入る、安定した公務員になるなどを最終目標にすると、いったん採用されてしまうと、やれやれ第一目標を達成したという気持ちになり、その後の伸びしろはなくなってしまうのではなかろうか。プロ野球の選手を見ていると、ドラフトにかかる事を最大の目標にしていると、大成することは難しい。反対にドラフトにかかることは、プロとして生活するための出発点にやっと立つことができた。これからはライバルたちを押しのけて、絶対に1軍メンバーに入り、レギラーをとると決意して、努力精進した人は大成する。それでもごく一部の人ではあるが。こうしてみると職業選択は、向き不向きも確かにある。好き嫌いも確かにある。だから慎重に見極めるのも納得できる。そうすべきである。しかし基本的には、生まれた時代、生まれた国、家庭の状況、社会状況に左右されることが多い。という事は、頭の中でシュミレーションを繰り返すのではなく、ある程度のところで妥協して早く仕事を始めた方がよいと思う。間違っていても途中で軌道修正は可能なのだから。肝心なことは、仮に選択した仕事にどれだけ心を入れ込んで取り組むかにかかっている。イヤイヤ仕方なく始めた仕事であっても、そのうち興味や関心が持てて、さらに意欲がみなぎってくるかどうかが問題である。そうなれば、自分の仕事に愛着が生まれ、人の役にも立ち、生きがいを持てるようになる。職業選択に力を入れる割合を3ぐらいにして、残りの7は、選択した仕事にいかに情熱を傾けるかにシフトした方が賢明であると思う。
2020.07.08
コメント(0)
私はつい最近まで、デフレは物の値段が下がるのでよいことではないかと思っていた、100円均に行けば最低限の生活必需品が手に入る。これは喜ばしいことだ。またデフレはお金の価値が商品価格に対して高くなっていく。さらに自動車や住宅ローンなどの金利がどんどん下がっていく。これも庶民の生活にとってはプラスに働いているのではないかと思っていた。それは40年前に家を購入したときの金利が、5.5%だったので、最初のころは元本返済より金利返済が多くて、私は金利返済のために働いているのかと腹立たしく思っていたからである。これらはすべて認識の誤りであったことが、政治や経済の学習をして初めて理解できた。私が現役で働いていた1970年代から80年代を思い出してみた。銀行預金は最大で7%ぐらいだった。貯金を複利で運用すれば、10年で倍になった。その分個人も企業も借り入れ需要が多く、インフレが続いていた。当然ローンの金利も高かったのだ。見落としてならないのは、そうした状況の中でGDPが拡大して、日本が世界第2位の経済大国になったことだ。経済大国になっていく過程でどんなことが起きていたのか。まず働いている人は毎年1万円を超えるベースアップがあった。給料がうなぎのぼりだったのだ。私が就職したころは、初任給が5万円弱だったが、80年代に入ると初任給は20万円を超えるのが当たり前になっていた。これが約20年という短期間のうちに起きた。ボーナスもこんなにもらっていいのだろうかというほどもらっていた。さらに社員旅行はとても派手だった。私は海外旅行に3回行った。ほとんど会社の出費だった。ところがバブルが崩壊した1990年代に入ると一転してデフレに突入した。商品が急に売れなくなり、同業他社との間で生き残りをかけた、熾烈な競争に巻き込まれた。負け組企業は給与カット、ボーナス削減に追い込まれた。リストラ、退職勧奨、出向、合併、倒産が相次いだ。派遣社員が大幅に増えた。1990年代後半には、山一證券、北海道拓殖銀行まで倒産した。生き残った社員も過大なノルマを課せられて、人間関係も軋轢を生むことが多くなった。これ以降、現在までデフレが続いている。デフレというのは商品の価格が下がるが、それ以上に国民経済が悪循環を繰り返していたのだ。所得が少なく生活が苦しい。共稼ぎしないと家計が維持できない状況なのだ。これがデフレの実態です。商品の価格が安くなったといっても、所得が少ないのでおいそれと買うこともできない。多少の余裕資金は将来に備えて貯金するしかない。破産すれば自己責任だといわるので、自己防衛するしかない。この時に政府の経済対策が極めて重要になる。デフレは供給に対して、需要が少ないという状態です。こういう時は、政府が公共工事、インフラ整備、社会保障、教育、医療、農林水産、国防などに投資して需給ギャップを埋めていく必要がある。民間を下支えしていく必要がある。デフレ下では民間主導で需給ギャップを埋めることはできないのである。ところが1997年の橋本内閣から現在の安倍政権まで、デフレを助長する政策ばかりを敢行してきた。その主な柱は消費税増税と緊縮財政の推進である。プライマリーバランス・財政均衡化を最大の目標としてきたのです。デフレ脱却に向かってかじ取りをすべき時に、増税を行い規制緩和を推進してきた。民営化により政府支出をどんどん削る政策を推進してきたのです。デフレに陥って経済成長が止まって早30年近くが経ちました。政府がマネタリーベースを拡大しても、インフレにならないことを日本政府が証明した。新型コロナウィルスの蔓延をきっかけにして、国民の多くが政治や経済政策の誤りに気付いてしまった。デフレ脱却のための道筋をやっと見つけることができたと思うのです。さらに政治や経済の学習を深めて、物申す国民に変身したいと思います。今や政治家を動かし、政治・経済や日本の自立を推進するべき時期が訪れたといっても過言ではありません。
2020.07.07
コメント(0)
森田全集第5巻の中に、森田先生が「不問療法」について説明されている部分がある。最近驚いた実例は、静岡県の人で、30余歳の人である。胃アトニーが、主症状で、そのほか15年以来の反芻癖(一度食べたものが、胃から上がってくる癖)があり、これが自分では非常に煩わしい。胃アトニーは、1週間ほどで治ったが、その後、日記で、反芻癖はどうすれば治るかと、質問したから「どうもしかたがない」と赤字で答えておいた。それから、いつ治ったかは、本人も気づかなかったが、3週間後には、いつの間にか、全く治っていた。これは療法上の術語で、不問療法という。知らぬふりして、放ったらかして置くことである。医者としては、不親切で、無責任に思われるから、実際には、素人が考えたよりも、なかなか難しいものである。「しかたがない」という事は、僕の根治法の内に「須らく往生せよ」と言ってあることに相当するものである。(森田全集第5巻 334ページ)神経症で苦しんでいる人は、直接神経症に働きかけて、その不安、恐怖、違和感、不快感を取り除こうとしてはならない。そんなことをすれば、精神交互作用で、どんどん症状は悪化するというものである。苦しいだろうが、とらわれたままにしていると、症状は軽くなっていくというのが森田理論の考え方なのである。しかし神経症の苦しみから逃れたいと思っている人にとっては、酷な言葉である。最初から、「森田は不問療法です」といえば、森田療法で神経症を克服したいと思う人はいなくなると思う。それでなくても、薬物療法や認知行動療法など様々な精神療法が存在している。不問療法というのは、森田理論の神髄に精通した人はすぐに分かりますが、初心者に対して説明する言葉ではないと考えています。森田先生も不親切で、無責任だといわれている。私は「森田療法で神経症は治りますよ」と言うことにしている。実際その通りなのです。ただし正攻法をとっていない。回り道という別の方法で治すという方法をとっています。即効的ではありませんが、いったんコツを掴めば再発することがありません。神経症を治すためには、生活の発見会などの自助組織に参加することをお勧めしています。そして系統立てたテキストがありますので、仲間と一緒に森田理論の学習をお勧めします。これは一人で取り組むよりも、仲間と一緒の方が取り組みやすいと思います。そして森田理論を、少しずつ生活の中に応用・活用していきましょう。そうすれば、神経症が克服できます。さらに、神経質性格を活かした人生観も同時に手に入れることができます。そのための援助は先輩会員や仲間が親身になって行っています。
2020.07.06
コメント(0)
左端は自宅で収穫した梅をつけています。左から2番目はブランデーに漬けています。ホワイトリカーよりおいしいようです。右端はラッキョウ漬けです。酒のつまみにもいいですよ。夏過ぎから梅酒を飲んで梅を食べるのが待ち遠しいです。このころになると友達が押し寄せます。直ぐに無くなります。次の写真は今日の夕食用の収穫野菜です。今畑では、キューリ、ミニトマト、黒豆、シシトウ、ピーマン、ナス、イチゴ、カボチャ、サトイモ、サツマイモなどがすくすくと育っています。畑で真っ赤に熟れたミニトマトはとても甘いです。露地のイチゴが今頃実をつけるのは初めて知りました。家庭菜園と加工食品づくりは本当に楽しいものです。まだの人はぜひ取り組んでみてくださいね。今日は60キロ離れた田舎にバイクで移動しました。その間往復3時間半ずっとカラオケに合わせて大声で歌いました。風も気持ちよかった。それと沿道の人たちが思い思いにアジサイを育てておられていやされました。その数20件以上でした。7月に入っても真っ盛りという感じです。自分たちの趣味が多くの人に癒し効果を与えられているというのはいいものですね。
2020.07.05
コメント(0)
情熱大陸で東京八王子市で「探究学舎」という塾の教師をされている人が紹介されていた。現在その塾では400人が学んでいる。8年目に入るという。特別授業を企画するとすぐに定員オーバーになる。その塾の教師は宝槻泰伸さんという人だ。1981年生まれ。高校は1年で中退した。しかし、お父さんの指導で、京都大学を卒業されている。この塾は成績アップ、目標校への合格のための塾ではない。今までの学校教育では考えられない塾だった。主に小学生、中学生に対して、好奇心に火をつける。驚きと感動を与えることを目的としている。既存の教材は一切使わない。教材は6人の教師が切磋琢磨しながら作る。教育のディズニーランドを目指しているといわれていた。体を動かしながら、みんなで楽しく遊んでいるといった雰囲気だった。能力開発ではなく、興味開発を行っている塾なのだ。学力を上げる、受験に成功する。有名大学に合格する。それがその後の人生にどんな意味があるのですかという発想から出発している。興味開発、感動体験させれば、そこから子供たちはどんどん成長していくという発想なのだ。自分の力で自然に知識を深めていくようになる。カリキュラムはない。好きな科目を選んで受講する。1科目90分だ。紹介されていた科目を列挙してみよう。元素編、DNA編、生命進化論、人体医療編、人類進化論、戦国英雄編、経済金融編、算数発明編、算数図形編、言葉編、君ならどう戦う編など。難しいテーマでも工夫すれば、子供たちに好奇心の種を蒔くことができる。元素編では、まずかるた取りから始めた。取り掛かりである。次にベンゼン(C6H6)の分子構造をみんなに考えさせる。原子と原子同士をつなぐとっ手が全員に用意されていた。原子の穴のすべてがとっ手で塞がらないとベンゼンにはならない。いろんなものができたが、みんな試行錯誤だ。作ってみたもののなかなかベンゼンの分子構造にはならない。ベンゼンの分子構造は見事な円形になっていた。子供たちは興味津々である。そこから話は宇宙に飛んだ。宇宙では赤色超巨星の超新星爆発によってさまざまな元素が生まれている。それが宇宙に拡散してこの地球も作られている。私たちの体もこの元素からできている。その話をもっとリアルに体験してもらうために、プラネタリュームに連れて行く。東京都府中市の郷土の森博物館にプラネタリュームがある。そこでいま生まれつつある星、死にゆく星を説明する。もちろん説明する教材は手作りのものを使う。最後は死にゆく星の大爆発が再現される。子供たちの表情はみんな生き生きしている。学習して新しい知識を得ることの楽しみをみんなが享受している。ここで学んだ女の子は原子に興味を持ち、いつの間にか元素をすべて暗記していた。また歴史に興味を持った男の子は、自ら立派な歴史絵巻を作っていた。それが二人とも小学校低学年の子供たちなのです。学習することに興味や関心をもった子供たちの将来がとても楽しみである。森田でも好奇心の発揮、興味や関心の発生、いかに好きなことを見つけるかというのは大きなテーマとなっています。その方法は新たに開発しなければなりません。最近無気力、無関心、無感動な人が増加していますので、特にその必要性を感じます。森田理論学習は楽しい。時間を忘れるほど夢中になれる。その方法は何か。ゲーム感覚で取り組んでいるうちに、森田の全貌を理解して、人生観を確立していた。そして自立して森田理論をさらに発展させていた。受け身の学習ではなく、積極的にかかわり、生活に応用していくことが肝心なのです。そういう人をたくさん作りだして、この世に送り出すのが私たち先輩の務めではなかろうか。
2020.07.05
コメント(0)
形外会の香取会長の話です。森田先生は熱海で旅館の経営もされていて、そこでのことです。先生もお疲れの時には、時々横になられるし、先生は「僕も毎年8月には、よく仕事がいやになって、遊び事ばかりする事があるよ」とおっしゃる。私の入院中には、先生は盛んに診察をなさるし、時々出てきては、患者に話をしたり、叱ったりなさる。そんなところばかり見ているから、先生は人間離れしていて、疲れる事を知らないかと思ったのでした。今度初めて、先生でも、やはりできない時はできない。できる時はできる、という事が分かりました。(森田全集第5巻 320ページより引用)森田先生は、起きて活動している時間帯は、精神を張り詰めて緊張状態に保ちなさいと指導されています。代表的な言葉では「無所住心」「ものそのものになる」という事です。そうすると、精神が活動的になり、次々と豊かな感情が生まれてくる。気づき、アイデア、工夫などもどんどん発生してくるといわれています。神経症で苦しんでいる時は、実践や行動がおろそかになっているので、そのことを特に強調されているのだと思います。これは生活信条としては基本中の基本なのですが、実際には難しい。というよりも、実践・行動力が回復して、そのまま調子に乗っていてはいけないという事だと思う。それは、身体や精神の働きには波があり、その波が上昇したり下降している。分かりやすい例でいうと、交感神経と副交感神経です。昼間は交感神経が盛んに活動しています。しかし食事をした後や夜間は副交感神経が優位になります。このバランスを上手に取ることが大切です。取り損ねると自律神経失調症で苦しむことになります。ここでは、上下する波に合わせながら生活することが肝心なのです。バランスをとるという事で考えると、神経症で苦しんでいる時は、精神が弛緩状態にありますので、実践や行動面に力を入れることで、バランスを回復していくという事になります。いったんバランスが回復してくると、サーカスの綱渡りのようにバランスを維持することを心掛けることが肝心だと思います。緊張と弛緩のバランスを心掛けるという事です。いずれにしても、「過ぎたるは及ばざるが如し」ということだと思われます。
2020.07.04
コメント(0)
今年のサラリーマン川柳から私のお気に入りを紹介したい。これを見ると世相を感じますね。大いに楽しんでください。たばこ辞め それでも妻に 煙たがられ健康は アプリとサプリで 管理する欲しいのは 100年安心 妻の愛「今日残業」 送ると妻から 1いいねAIに 引き継ぎするのが 大仕事欠点を 個性と言い張る 新社員AIを 部長と呼ぶ日が すぐそこに二次会を 断るつもりが 誘われずシメシメと 増税前に 無駄遣い「早よ 帰れ!」言ってる上司が 帰らないAIに 営業スマイル 審査されハイハイが とても上手な 孫と部下紙減らせ その指示が まず紙で来る役に立つ 昔は上司 いまスマホこの脂肪 筋肉だったら ラガーマン
2020.07.03
コメント(0)
先日繁華街でスナックのママをされている人からお酒の作り方の講習を受けた。基本を理解して、その通りに作ってみることの大切さがよく分かった。自己流で作るよりも、その方がよりお酒がおいしくなるようだ。まず焼酎の水割りである。氷をコップからあふれるぐらいまで入れる。2個から3個コップからはみ出しているぐらいがちょうどよい。焼酎の量は指3本を横にしたところが目安だ。約4センチぐらいだった。濃いのがよいという人には心持増やす。薄いのがよいといわれたら心持少なく入れる。ミネラルウォーターはコップ8分目までにする。コップになみなみと注いではいけない。マドラーを底まで入れて下の氷を1回持ち上げる。これで完成である。ウィスキーの水割りも同じである。ハイボールはミネラルウォータの代わりに、炭酸水を入れる。これもマドラーを底まで入れて、氷を持ち上げるようにして混ぜ合わせる。1回だけで、何回も繰り返してはいけない。レモンサワーを作る場合は、レモン汁の原液を入れる。アルコールの入ったレモンを入れてはいけない。酎ハイを作るときは、黒霧島や二階堂のような焼酎は使わない。甲類の焼酎で作るのが鉄則である。ロックの場合は、高さの低いコップを使う。氷は適度に入れる。焼酎のロックは指3本までにする。低いコップには、段差がある場合が多い。そのラインまでで抑える。要望があればお客様の好みに調整する。ウィスキーのロックは指2本と覚えておけばよろしい。焼酎のお湯割りは芋かソバかお客の好みを聞く。お湯はケルトンで沸かしたものを別の容器に移して70度ぐらいまで冷やしたものを使う。その時の水はミネラルウォーターを使うのがよいが、浄水器のついたものなら水道の水でも構わない。入れ方としては、必ずお湯を先に入れる。その後お客様の要望に応じて、黒霧島か二階堂を注ぐ。比率は焼酎6対お湯4ぐらい。濃いのがよいという人と薄くしてくれという人がいるので一概には言えない。コップに7割程度入れるのが普通である。この場合、決してマドラーで混ぜ合わせたりしてはいけない。焼酎を入れ終わったらそのまま出す。お客様にコップを押して出したりしてはいけない。きちんとコースターの上に丁寧に置いてあげる。グラスは必ず下の方を持つ。ちなみにワインの場合も、必ずワイングラスの下を持つ。ワインを入れるときはワイングラスを置いた状態で注ぐ。量は斜め横から見てワインが見えるかどうかというのがよいそうだ。なみなみと注ぐものではない。日本酒の場合は電子レンジを使うそうだ。約50秒でちょうどよい。サーバーで入れる生ビールの場合、別途講習が必要という事だった。特にホースの洗浄が肝心だ。毎日30分ぐらいかけて洗浄することが欠かせない。そうしないと雑菌が繁殖する。入れ方はジョッキを斜めにしてビール注ぐ。8分目まで注いだら泡で蓋をするイメージだそうだ。そう難しくはないそうだ。講習を受けてみると餅屋は餅屋であることがよく分かった。やはりその道で生活している人のやり方はとても参考になった。これをきっかけにして洋酒の作り方にも挑戦してみたいと思うようになった。
2020.07.02
コメント(0)
私たちは森田理論学習によって、欲望と不安のバランスを維持しながら生活していくことが重要であると学びました。不安を取り去ることを第一目的とするのではなく、生の欲望の発揮を第一目的とする。ただし欲望を暴走させてしまうことはまずい。その際、不安を活用して、欲望を制御していく生き方を目指していくことが肝心です。森田理論は、このようなバランスのとり方を教えてくれました。これは日本の経済政策についても同じことがいえることが分かりました。経済動向を見ると、インフレ基調とデフレ基調が繰り返されています。インフレ基調というのは、供給に対して需要が大きいという状況です。日本の高度経済成長期がまさにそうでした。家電、自動車、住宅などが飛ぶように売れ、生産が追いつかない状態でした。物価は上昇し、金利も高止まりしていました。国民所得が増えて、1億総中流家庭といわれていました。金利も高く10年間金融機関にお金を預けていると、元金は2倍になっていました。今考えると信じられないようですが、1970年代80年代はまさにそうでした。ところが1990年代になると、急にデフレ基調に大転換しました。潮目が変わったのです。需要が激減し、物価が下がる時代に突入しました。物を作っても売れない。モノ余りといわれる時代に突入したのです。この状況は2020年の現在でも続いています。もう30年にわたりデフレ状況が続いているのです。100均などもできて、物が安くなったと喜んでいたのですが、それ以上に景気が悪化して、企業の倒産、吸収合併、リストラ、所得の減少などが問題になりました。この間、失われた国民一人当たりの所得は6500万円に上るという試算もあります。つまり国民生活が貧困化してきたのです。物価が安くなっても、所得が下がり続けてばかりでは生活できなくなります。夫婦が二人してめいっぱい働かないと、子供も作れない時代になりました。政府による経済政策というのは、時代認識を正しく行うことが大切であると思います。現在インフレ基調にあると判断すれば、増税、公共事業を削減し、国債発行を抑え、社会保障費削減などで景気の暴走を抑える政策を実施する必要があります。そうしないと、どんどんインフレが進行して生活が苦しくなります。しかし現在デフレ基調にあると判断すれば、まるきり反対の経済政策を行う必要があります。減税を行う。国土強靭化の公共事業を拡大する。赤字国債を発行する。社会保障費を増額する。つまり政府支出を増やして、景気を刺激する政策を矢継ぎ早に打つ必要があります。個人や企業はできませんから、政府主導で行う必要があります。現在はデフレですから、減税や積極的に財政出動する政策を行うべき時なのです。ところが1997年の橋本政権誕生のころから、増税と緊縮財政のオンパレードになっているのです。第二次安倍内閣の1年目を除いて、いまだ政策転換は行われていません。つまりインフレの時代に行うべき政策を、デフレ下の今行っているのです。これが国民生活を窮地に追いやっている最大の原因です。現在日本のGDPは550兆円ぐらいですが、デフレ基調の時代認識と経済対策を行っていたならば、GDPは1000兆円をこえていたのではないかという人もいます。世界第2位の経済大国であり続けたわけです。そうなっていたら、日本と日本の国民は豊かであり続けることができたのです。しかし、実際には消費税の増税と緊縮財政策をとりました。そして規制緩和、自由化、民営化、グローバル化の推進です。デフレ下においてインフレ時に行う政策を推進しているのです。麻生財務大臣も、総理大臣の時はプライマリーバランスは一時棚上げにするといわれていました。経済の立て直しを優先するといわれていました。いつの間にか、財務省、経済界、御用学者の影響を受けて考え方が変わってしまったのです。政府による経済政策のかじ取りの間違いは国民生活の悪化に直結します。また国力の弱体化を招きます。日本の経済が弱体化してしまうと、発言力もなくなります。勢いを取り戻すのは時間がかかりますが、落ち込むのはあっという間です。その時点で慌てふためいても後の祭りです。新型コロナウィルスの影響を受けて、GDPが100兆円、150兆円と減少してきた場合、政治の責任は極めて大きいといわざるを得ません。3割は減るといわれていますので300兆円台に落ち込むことが高い確率で現実のものとなります。GDPの減少は、国民所得の減少です。そうなれば国民の生活はますます苦しくなります。懸命に頑張っておられる国会議員の人もおられますが、いかんせん少数派です。是正するためには、世論の高まりがすべてだと思います。国民が政治や経済の動向から目をそらさないようにしたいものです。そのためにはSNSやyou tubeなどで、正確な情報をつかむことを忘れないようにしたいものです。例えば、sakura so TVというyou tubeを活用した討論番組などを視聴されることをお勧めします。今国民のなすことは、行動を起こすのではなく、政治、経済、外交政策、日本の自立などの真実を知るという面に力を入れる時だと思います。政治や経済に無関心という姿勢が、自分たちの生活を苦しくさせ、私たちの子孫にそのつけを先送りしていくのだということを忘れてはならないと考えています。
2020.07.01
コメント(0)
全32件 (32件中 1-32件目)
1