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なんだか夏らしい入道雲をちいとも観れない毎日ですが みなさま、体調崩されてませんか。 今日は素敵なイベントのお知らせです。 【結晶写真撮影見学会&夏休み上映会】 白鳥監督の「ストーンエイジ」に、実際に結晶写真をリアルタイムで観察できる「結晶写真見学会」。そして、吹き替え版でより、わかりやすくなった映画「WATER」など、もりだくさんの内容です。 真夏に、澄んだ水の神秘に迫ってみませんか? 日 時 8月8日(土)11:00~ 参加費(通し券) 月刊「LOVE & THANKS」年間購読会員 3.000円 一般 5.000円 中学生以下 無料 【ストーンエイジ】 聞こえてきませんか?心の声が…今を生きる若者に投げかけられるスピリチュアル・ヒーリング・メッセージ。 元・引きこもりの青年が、ある出会いをきっかけに真剣に生きることとは何か、真正面から取り組み始める…。見終わった後、思わず周りの人に「ありがとう」と声をかけたくなる映画です。 当日、サプライズがあるかもしれません…。お楽しみに。 ★サプライズの種明かし★ 当日は、白鳥哲監督がストーンエイジと腫瘍が波動カウンセリングなどで消えた、ご自身体験をお話いただけます。 詳しくはこちら http://www.hado.com/event/200908/ihm-natu-20090808.html お申し込みは、 日 時 8月8日(土)11:00~ 参加費(パーツ) 月刊「LOVE & THANKS」年間購読会員 1.000円 一般 1.500円 中学生以下 無料 水を氷結させ、水の結晶が成長していく姿を実際にご覧いただけます。 どんな結晶と出会えるかお楽しみに! お子様の夏休みの自由研究にもオススメです。 日 時 8月8日(土)14:00~16:00 参加費(パーツ) 月刊「LOVE & THANKS」年間購読会員 1.500円 一般 2.500円 中学生以下 無料 ロシア発の水の神秘に迫るドキュメンタリー映画「WATER」。水に関する極めて興味深いエピソードを交えながら、インタビューに答える形でノーベル受賞者を含む一流の科学者や宗教者が出演し、江本勝もその中に名を連ねています。 専門的研究分野や所属している宗教はそれぞれに異なるにも関わらず、彼らの主張には共通点があります。それは「水は情報を記憶する」ということと、「人の意識が水に変化を与える」ということです。最新の水の神秘に迫ってみませんか? 日 時 8月8日(土)16:00~ 参加費(パーツ) 月刊「LOVE & THANKS」年間購読会員 1.000円 一般 1.500円 中学生以下 無料 【日 時】 2009年8月8日(土)11:00~ 【参加費】上記の各項目をご覧ください。 【場 所】IHMセミナールーム 東京都台東区柳橋1-1-11 イーストサイドビル1F TEL:03-3863-0211 下記のフォームよりお申込ください。なお、参加費が必要なイベントは、当日ご持参ください。 【申し込みメールアドレス】 yoshida@hado.com (株)アイ・エイチ・エム 【問い合わせ】 TEL 03-3863-0219 【主 催】 (株)アイ・エイチ・エム 〒111-0052 東京都台東区柳橋1-1-11 イーストサイドビル1F
2009.08.06
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こんにちは。すっごく、すっごく、すっごく・・・・。またも約1年ぶりの日記です。東京に来てからの日々は毎日どんどん加速して変化しつづけ、あれやこれや・・・という間に。さてさて今はご縁があり、水の結晶写真でもおなじみの江本勝さんの会社にて波動測定器を使ったカウンセリングをさせていただいております。水の結晶写真?いろいろな水を凍らせて顕微鏡で撮影し、写真撮影をして世界初の写真集。1999年、水からの伝言シリーズが始まりです。これはお水に「きれいだよ」という言葉を見せて撮った写真とのこと。ああ、美しいな。結晶の数々を見ながら、心からそう思いました。そしてこの世界はあると。どんな世界も自分が信じた世界はあり、人が生まれてきた意味とは自分が得た体験を通してどう感じたか。体験を通してどんな感情を得たのか。それが全てだと感じています。素敵なイベントのお知らせです。「水の結晶写真」が発売されてから今年がちょうど10周年。新しい水の評価法として各方面で注目され、健康や環境問題に関心のある方たちだけではなく、言葉の大切さを伝える教材として『水からの伝言』の波紋は世界中にひろがっているようです。 全世界30カ国翻訳・26万部突破とのことで、10周年を記念したイベントが7月5日(日)10:00~新橋にあるヤクルトホールにて行われます。詳しくはこちら ↓愛感謝美人アンチエイジングの顔として、テレビ・雑誌などで注目の「顔トレエクササイズ」で有名な歯科医師宝田恭子さんや女優としての顔だけでなく、スキューバダイビングの世界大会での記録も持つ高樹沙耶さん改め益戸育江さんなどゲストも多彩です。何より2006年ロシアで製作された水の神秘に迫る衝撃のドキュメンタリー映画 ”WATER"。水に関する興味深いエピソードを交えながら、インタビューに答える形でノーベル賞受賞者を含む一流の科学者や宗教者が出演していて、江本勝もその中に名を連ねています。そして水に関するさまざまな研究成果や知見、信仰、哲学思想が語られていきます。何度観ても毎回新たな学びや気付きのある、素敵な作品です。ご興味のある方は是非メッセージをくださいね。特別価格でご用意いたします素敵な時間になりますよう・・・。
2009.06.09
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暑さにやられて、しばらく日記がとどこおっておりました(嘘です)。あついっ!!東京というところはほんとに夏が暑いです。といっても、ここ数日は全国的に梅雨が吹っ飛んだかのような猛暑続きだったようですけれど。仙台で暮らしてきた私には東京で迎える夏にちょっぴりびびっていたりしてます。仙台も夏は暑いですよ、もちろん!でも夜はぐっと冷え込むのです。だから、冷房なしでは生きていけないかのような東京とは違い「眠れない・・・」ような暑さになる日がほんとに少ないんですね。窓を開ければ涼しい風が入ってきてちゃんと朝までぐっすりと。なんと幸せな環境なのでしょう。でも東北って雪が多いよね・・。そんなことも言われますが実は仙台って皆さんが思っているほど、あまり雪が降らないのです。そして降ったとしてもあまり積もらないんですね。適度に街中に緑があって近くに海も山もある。適度にひらけていて、都会にも近い。恵まれて育ってきたんだな。そんなことを改めて思います。それはでも温室で育ってきたということでもある。生まれてきた時から家族や自然にも大切に守られて激しい競争の中に置き去りにされることもなくさして怖い思いもすることなく暖かい場所できれいなものを観て勉強していいところにいけば安全だよ。そうして今度は会社に守られて・・・なんだかんだいろんなことがあったといっても生死の境をうろつくようなことがあるわけでなく死活問題があるわけでもなくある意味のんきに自分の生まれてきた意味ってなんだろ。そんなこと考えて旅に出ていろんな人に会いに行って本を読んだりただ体験してその気になったりだけどそれって単なる平和ボケだったんだなぁと今も半分以上ぼけていますけど感じています。もちろん大病を抱えている人が素晴らしいとか倒産したり身近な人の壮絶な死、あるいは自分の死に掛けた経験があるそれがいいといっているわけではありません。だけど暑いところに住めば涼しい環境がありがたく感じられるように手足を怪我すれば普通に動かせることがなんて素敵なんだと感じられるように自分が痛むと相手の痛みがわかる。幼稚園からカトリックの学校に通っていた私には神様がとても近い存在でありました。奉仕活動は学校行事としてあって筋ジストロフィー(全身の筋肉の力が次第に弱くなっていく病気)の方々のもとへ行ってその生活ぶりを見せていただいてり手足の不自由な方々の描いた絵葉書を購入して支援したりそんないわゆるボランティア活動はとても多かったように思うのです。それでもやっぱり他人ごとでしかなかったと。そして厳しい状況に置かれたことのない自分はやはり甘い人生を送っていたなぁなどと今頃になって思ったり。いま雨が降って涼しい風が吹いています。今日は気持ちよく眠れそう。ほんとに幸せだな~。そんなことを思ったら日記に書きたくなりました。おやすみなさい・・・・☆
2008.07.06
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満月のこの日、ひとつの大きな契約がとれました。私にとってとても大きな出来事でした。秘書という仕事をしていた頃「段取り」「根回し」。仕事で大切なこととして、細心の注意を払いそのことを徹底してきました。出来る限り丸く収まるようにみんなが気持ちよくなるようにそんなことにばかり注意を払って気を遣って気を遣って・・・。今回の仕事も初めはそうでした。仕事に携わる人の人間関係に気を遣いあっちの顔もたてなきゃいけないしこっちの気分を害しないようにしなきゃ。自分が新たに参入するのだからと最初は顔色を伺ってばかりいました。でもそんなことしてると時間ばかりかかってしまうのですよね。師匠の英ちゃんに言われました。「そんなことばかりしていると救える命も救えないよ。」・・・・。トップと話をするのに間にたくさんの仲介者がいる。人から人へと話が伝わる上で自分の思いはねじまげられていきます。間に立つ人の都合もあったりする。普通、とか常識では、とかこれは慎重にしなければならないとかそんな話ばかりでほんとに進んでいかないんですね。そして私もそれが当然なんだと思っていました。だから説得しようとしてしまっていました。「なんで下からいくの?直接トップと話せばいいじゃない」あっさり師匠に言われ。丸く収めようとする自分の心のなかにみんなが納得する形でとかみんながいい気持ちになるようにとか聞こえはいいけれど結局のところ嫌われたくなかったのだと思います。もっと自分を信じてごらん。その思い、トップに伝わらないわけがないよ。彼はちゃんと人を見抜けるよ。自分を信じるかぁ・・・。会ってくれなくてもともとなんだ。会ってくれたらラッキーだっ!そんなことをつぶやきながらドキドキしつつも間をすっとばしてトップに直接アポイントとるとあっさり会ってもらえました。私の思いはやはりねじまがっており、違ったかたちでトップに届いておりました。そこで話をしていくうちに誤解は解けていったのです。そのことを間に立った人にはやはりなじられました。「そんなことする人初めてだ」「普通じゃない」等々・・・。かたくなになっておりました。今までの私だったら「やばい・・・」となるところだったけど、「大切なことは何?」ずっと自分の心にむかってつぶやいておりました。相手が気に入るような、満足するかたちにもっていく。何故?何のために?何故私は相手に気に入られようとする?その部分にばかり焦点があたってしまうと形にばかり囚われてしまう。それは契約や法律といった作られた心のないものに人の心が左右されてしまうのと一緒。決まりだから。シンプルにストレートに行く筈のものがまがってしまう。自分の自己満足のために私を待っている人たちの思いが後回しにされている。それでも今度はトップの方が私を交えて話をしたときにきちんと向き合ってくださり辛抱強く話しをされ、そして彼の気持ちが変化していったのです。「自分が拘っていたのは大事の前の小事だった。大切なことを見失うところだった」と。「これからの時代に必要な人はこういう人なんだよ」そんなことをトップの方におっしゃっていただけて正直いろいろとへこんでいた私は本当にありがたく、嬉しくて涙が出そうになりました。英ちゃんにその話をするとトップにとっても私という第三者が入ることでその人に言いたかったことが言えたんだと思うよと。その意味でも君は必要だったんだって。間の人はトップの片腕とも言えるひと。トップの一番の信望者でもあり、長いつきあい。だからこそ言えなくなっていることもあるのだと思う。そしてだからこそ伝えたかったことがあったのだろう。私という新しい風が入ってきたことで澱んでいたものが流れたのかもしれない。その場に、その瞬間に居合わせられたこと、トップの想い態度そのひとつひとつがとっても素敵な学びになったねそんなことを言われました。またひとつ強くなった気がいたします・・・。
2008.06.19
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オフコースが大好きだった頃、友人と一度コンサートに行ったことがあった。高校生だったかな。今回はん~十年ぶりになるかな(⌒▽⌒ゞ。代々木体育館に初めて入ったけど、いや~っ、ちょー満員っ!みんな今でも小田さんのこと大好きなんだな~なんてあらためて感動したりして。照明もすっごくセンス良くて凄いなーなんて思ったけれど曲を聴きながら歌詞に涙していた多感な十代の頃とはあきらかに違う自分がいて(当然だけど)ずっと、なんだか心地よい子守唄を聴いているような気分でいた。結構皆さんスタンディングで盛り上がってるなか、それこそ小田さんの曲聴いて涙してる子もいたなかでちょっぴり居眠りなんぞしながらもあの頃のことを懐かしく思い出しておりました。恋に友情に部活に小さな毎日のあれやこれやに真剣だったあの頃。なんだかとっても幸せな気分になって・・・。You Tubu で「たしかなこと」を見つけましたのでプレゼント。明治安田生命のCMソングです。笑顔の子供たちや幸せそうな夫婦の写真が流れていてCM好きな人も多いと思います。たしかなこと自分のこと大切にして 誰かのことそっと想うみたいに 切ないときひとりでいないで 遠く遠く離れていかないで疑うより信じていたい たとえ心の傷は消えなくてもなくしたもの探しにいこう いつか いつの日か見つかるはず私の好きなフレーズ。私の周りにも、自分が後回しになってしまう人のなんと多いことか。目の前の恐怖・・・それは世間体だったり常識と言われるものだったりあるいは親や友人、子供のためだったり。だけどそうして大切な自分の気持ちに嘘をついてごまかして生きてしまってどんどん自分が辛くなっている人がほんとにたくさんいる。自己犠牲。だけどそこからはほんとは何も生まれてこない。誰も幸せにならないんだけど。なかなかそう思い切れずに空回りして。誰もわかってくれないと孤独になって。自分も傷ついて大切な人も傷つけてボロボロになってしまっている。時を越えて君を愛せるか ほんとうに君を守れるか空を見て考えてた 君のために 今何ができるか忘れないで どんな時も きっとそばにいるからそのために僕らは この場所で同じ風に吹かれて 同じ時を生きてるんだいちばん大切なことは 特別なことではなくありふれた日々の中で 君を今の気持ちのまゝで 見つめていること小田さんが優しく、優しくうたいかけてくれています。
2008.06.18
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日曜日の読売新聞仙台圏にヘリから降りて救助隊員に連れられてるおかん・・・。無事でほんと、何よりでしたです。
2008.06.16
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日記の続きです。その前に。たくさんの方からメールや電話をたくさんいただきました。心配してくださった皆さま、本当にありがとうございました。母、無事に帰ってきましたです♪前の日記でお母んが震源地方面に旅行に行ったと書きました。そう、お母んは震度6強のその場所にいたのですっ。そこは国の国定公園にも指定されている「世界谷地」という原生の花園があるところ。何度もTVで取り上げられた、栗原市になります。今の季節は「ニッコウキスゲ」。世界谷地の大群落は全国的にも有名らしく、この時期は湿原全体が黄色い花で咲き乱れ訪れる人も多い。宿泊した「栗駒山荘」を出、湿原へ向かう前にバスでいわかがみ平へ。ここからの景色が素晴らしいとか。その後バスから降り、湿原に入る前の最後のトイレタイム。栗駒レストハウスへと岩ごつごつの坂道を登っているときに地震にあったそう。「どーんっ!」という音とともに自分が飛びあがり、そのまま前に倒れたらしい。何が起きたかわからなかったって。 そのまま起きようにも自分で起き上がれず、友だちが起こしてくれたそう。 そのときひざ小僧に痛みを感じ、みたらちょっぴり怪我してたみたい。 お母んがいた場所は地すべりなどの大きな地震の被害が見えなかったのでほんとに何が起きたのかみんなわからなかったようです。栗駒は活火山なので、火山が爆発したんだとかそりゃあもうみんなてんでにいろいろ言ってたそう。その後みんな携帯でメールやら電話やら。最初の1時間半くらいは全然つながらなかったようだけどそれでも今は携帯があってほんとに便利な世の中だなあとつくづく。道路が寸断されてしまったため、 ヘリの救助が来るまでバスの中で待機することになったそう。なんと6時間。栗駒は風も強かったりすぐ霧が発生したりするので上空のヘリはなかなか近寄れないのだとか。みんなヘリが上空に来るたびにめいっぱい手を振ったり声を出したり・・・。がっ、いい加減待ちくたびれて諦めた時にようやくヘリコプター到着。ヘリに乗せられて15分。余談ですがお母んが乗ったヘリ、なんと「なまはげ号」だったそう。はでな色づかいでへりになまはげと書いてあるのが上空に飛んでいる時から見えていたとか。「なまはげだ~」なんて会話になっていたようです。ご存知ですか?あの、悪い子はおらんか~とか言いながら家々を廻る秋田の鬼、あの「なまはげ」です!秋田県からの応援ヘリだったのですね。もう一機は「白鳥号」。これは新潟県だったらしいです。ヘリに「なまはげ」号とかそんな名前がつくんだな~なんて感心しつつ。なまはげ号には座席がなく、結構変な姿勢でヘリにしがみついていたらしい。苦痛だったといってました。ちなみに白鳥号には座席があったらしい。乗せられるのもなかなか大変なんですね。そしてヘリは花山に到着。そこからバスに乗って仙台に戻ってきた。それでも今もTVでは行方不明者や避難所で夜を明かす人たちのことを報じています。あるいは私も所在がわからない母を心配しながら夜を明かしていたかもしれない。あるいは怪我して搬送された病院に、父と一緒にかけつける・・・ということになっていたかもしれないのです。当日にこうしてちゃんと帰ってこれたこと、ほんとに、本当にありがたいです。 そのツアーで、前日はメーカーの水の工場見学に行っていて、そのとき一人一人にミネラルウォーターが2本ずつ配られてたそう。ちゃんと水がみんなに与えられていた。また行きに産地直送みたいな野菜が売られていて、きゅうりやらトマトやらを友人たちが買い込んでいた。野菜は重いから買わなかったという母は、昨日お土産にお饅頭を買っていた。みんなでそれをお昼に食べたらしい。 今日の夕刊には、道路の陥没やつぶれた宿なんかが生々しくでかでかと載っている。陥没した道路は、ちょうど10分前に通り過ぎてたらしい。 ちゃんと守られているんだな~って改めて。 私もちゃんと何事もなく仙台に辿り着いていた。これ、もし今日出る予定だったら東京から出られてない。私は仙台に帰るようになっていたんだなぁなんて。とにもかくにも興奮して喋りまくる母の話をこうして家で聞けてほんとによかったです。TVでは避難場所でパンを配られている方などの映像が映し出されています。皆さまが1日も早く暖かな我が家に戻れますことを心からお祈りしています。
2008.06.15
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明日の父の日にあわせて昨晩仙台に戻っておりました。春に入院した父。けれど私にはそのことを知らせてくれませんでした。無用な心配をかけないように・・・という思いもあったでしょうけれど親の反対を押して出て行った娘に対してまだちょっと拗ねているみたい。なんで今回は友人にはほとんど会わず。というつもりだったけどやっぱり仲良しの友人宅に前泊してた。そう。なんで、今朝の地震、体験させていただきました~っ!彼女のマンションは仙台市中心部。なのでもちろん揺れましたけど壊れたものもなく。ただ、長かったです。久しぶりの友人との会話。夜中までいてくれた友人たちが帰った後も彼女と遅くまで・・・・というか明け方までトーキンぐぅだった。だから実は地震が来たときなかなか目があけられなかった。「うそ~、地震かよぉ。も少し寝かせてくれよぉぉぉぉぉ。」なんてわけのわからないことを思いながらしばし起き上がれなかったんだけれど・・・。ちょっと長いではないの!でっ、「あれっ・・・?」ようやくのそのそ置きだしてふらふらしながらリビングへ。友だちも置きだしてTVつけてたけど2人ともはっきり言って「ぼーっ。」ぼー、ぼー、ぼー。この非常時になんとものんきな話です。すみません。とりあえず部屋を一周してみる。本や絵なんか、倒れてはいるけれど、壊れているものとりあえずなし。よかった。だんだん意識がはっきりしてくる。父や旅行に出ている母の携帯に電話してみる。やっぱりつながらず・・・。とかいってるうちに父は外出したらしく、コールがなっても出ない。結局姉経由で無事であること、会社に出たことを確認。しかあしっ・・・。実は母が昨日からお友達と一泊旅行に出てた。しかも場所が震源地方面。一度電話がかかってきたのでとりあえず生きてるものの、その後電池切れになったらしくまったくかからない。ふんとに。ま、心配しても仕方ないので、これから実家に帰ります。出身が仙台であることを知ってるみなさまからの心配メール&電話がたくさんあり、ありがたく感謝感謝です。ほとんどの方に仙台入りを話してなかったのでまさか地震にあってたとは・・・って感じでしたけどね。それでも今日仙台に行こうとしてたら行けなかったから、神様がちゃんと親の元に帰れるようにしてくれたのだな~と改めて感じています。すべて予定通りなんですね。予知夢のジュセリーノさんは大阪に地震があるとみていたらしいですけどみんなの念が北上したか・・・なんてことはないね。みなさまのお知り合いが怪我などされておりませんように。私の友人たちはみなさん被害に遭われた方はいらっしゃいませんでした。それでも多くの被害に遭われたみなさまがこれ以上の被害にあわれませんように・・・。亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
2008.06.14
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本日、英ちゃんの初講演会【自分を生きる~思う気持ちは言葉を超えて~】なんとか無事修了いたしました。んっ?無事ってなんだろ・・・?講演を聴きにいらしてくださった方。身内ばかりじゃないかしらん・・・なんて極めてお気楽気分でしたが、蓋をあけてみたら実は初めてお会いする方がほとんどで。誰だかわからない、身も知らぬ人間のしかも初挑戦というつたない講演会にいらしてくださった皆様このような素敵な機会を与えてくださった主催してくださったスタッフの皆様、本当にありがとうございました。いやぁ人前で話をするってほんとに大変なこと。身内だけにドキドキ。ふっと自分がテーブルコーディネート教室を始めて行った日のことなど思い出したりなんかして・・。英ちゃんは日々の仕事が多忙すぎて疲れきってて前日も帰宅後ぶっ倒れ状態だったためぶっつけ本番でそのままいっちゃっておりましたが(笑)、私は当時若かったし(それは今でもだわん)小心者で、人前で失敗することが恥ずべきことに感じ、相手につまらないと思われたくなくて、原稿をなんども修正し、仕事を終えた夜中に何度も声に出して練習し、それでも生徒さんを前に冷や汗たらたら、どっ緊張、うそんこ笑顔の下はアドレナリン大洪水だったなぁ~っ。でも、良かったと思われてしまうと次からも失敗できなくなるのですよね。常にいいものを作り上げなければ良かったと思われたい失敗できない・・・そんな思いが自分自身を追い込んで実は教室をやっている時は辛くて辛くて仕方がなかったのでした。大好きで楽しくてそれを伝えることに幸せを感じていた筈なのに完璧でなければいけないのだと勝手に自分に無理難題を課してしまい、複雑で難しく出来上がった人間を演じてしまっていた自分。ほんとはでこぼこなままの不完全な人間そのままの自分で精一杯いらしてくださった皆さんに向き合えばよかったのだ。とっ、今はそんな背伸びをしていた自分が微笑ましく・・・恐れず失敗していけばいいのですよね。転んだ分だけ立ち上がり方を学べる。早く起き上がれる。そのうち転びそうになることに気づく。転ばない自分になる。たくさん転んだ分だけ上手く歩いていけるようになる。新しいことをする。それはほんとに多くの学びを与えてくださいます。新しい自分と出会う。新たな挑戦を与えられる。ほんとうに有難いことだなと心から感謝しつつ・・・。講演会後の懇親会もわきあいあいと楽しい時間となり、たくさんの素敵な方々とお知りあいになれて幸せでした。皆様の貴重な話も聞かせていただけて。その中で深く心に刻まれたのは「憎しみ」「恨み」を超えられた青年のこと。幼い頃からの不幸のどんぞこと思われるような日々。恨みに思っていた筈の別れた父との再会。その父に触れ、父の深い愛情、生き方をその背中にみながらその思いを手放していったという彼。恨み。この負の感情ほど強く深く大きいものはない。その想いをバネにしてより強く、大きくなってやる、成功を手に入れてやる。そんな思いを胸にのしあがってきた人を何人かみたけれど。ビジネス等で成功したかに見えるその方たちは、でもいまだ「恨む」という感情をなかなか手放せないでいた。「もうこんな思いはしたくない」この強い思いが彼らを駆り立て、地位や名誉、権力への憧れを募らせる。自分の歩んできた道のりが辛いもの、後悔するものから抜け出せないでいた。過去の思いが未来への不安へとつながり未来のためだけに今を通り過ぎていくひとたち。彼は16年もの想いをまだ完全に消化出来ていないとは言っていた。それでもかれは「赦す」ということを学んでいる。過去の想いを手放す。自分の執着を手放せたとき嫌だと思っていた相手の中に見えていなかった深い深い愛というものを見つけることが出来た。憎んでいた面。それも父の中の一面。その反対側を見つめた時、憎い思いが深い分だけ愛する想いも深いのかもしれない。陰と陽。それはどちらもおなじもの。手放しただけ彼はたくさんの宝物を受け取れる。より強くよりしなやかにより美しく・・・・。
2008.06.08
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今日は講演会のお知らせです。彼である「英ちゃん」が縁あって講演をすることになりした。バングラデシュのストリートチルドレン(特に迫害を受けている娼婦の子供達)の社会復帰を目指した活動を支援するチャリティ講演会です。期日も迫ってはおりますがご興味のある方はどうぞ。楽しい時間になりますよう・・。。┏━━━━━━━━━★ *↓↓講演会の詳細↓↓* ★━━━━━━━━━━━┓[日時] 6月8日(日曜日)開始PM3:00~5:00[場所] 東京都武蔵野市吉祥寺本町3-10-13アトリエオアシス[最寄り駅] JR 井の頭線 吉祥寺駅 南口出口 徒歩10分[主催] ワールドチャリティーアソシエーション[Tel] 0422-23-2567[E-mail] wca2003@sanga.co.jp<会場のご案内>吉祥寺南口より、井の頭通りを三鷹方向(旧リバイタルの方向)に向かうと7分ほどで、右手にスーパー紀ノ国屋が見えてきます。紀ノ国屋の次の角を右折して2軒目、ラ・ポール吉祥寺の奥の一戸建てがアトリエオアシスです。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━★*チャリティーの主旨* ★━━━━━━━━━━━━━┓[今回のチャリティーで集まったお金で援助する人々・団体]・NGO 「エクマットラ」更生センター 担当渡辺大樹さんバングラデシュのストリートチルドレン(特に迫害を受けている娼婦の子供達)の社会復帰を目指した活動です。現在は、「自分という人間が存在した事で一人でも多くの子供達が可能性を感じ、自由に未来を夢見る事が出来たら」という思いのもと、ストリートチルドレンの中でもさらに迫害を受けている娼婦の子供達に教育と医療と遊びの場を提供する活動をされています。《今回のチャリティーの趣旨》2007年11月15日にバングラデシュを直撃した超大型サイクロン「シドル」は各地に非常に大きな爪あとを残していきました。今回のチャリティーカラオケ&食事会で集まった資金は全額バングラデシュ南部サイクロン被災地救援活動を行う「エクマットラ」にあてられます。※以下エクマットラ振込み先になります。ご厚意のある方はご協力よろしくお願いします。〈振込先〉三井住友銀行 あざみ野支店店番号 573 口座番号 6660026エクマットラ ダイヒョウ ワタナベヒロキ<以前にエクマットラを支援した活動風景は下記アドレスをご覧ください>http://www.e-utopia.info/oasis/utopia/wca/wca_page/wca_093.html┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛┏━━━━━━━━━━━━★講演者紹介 ★━━━━━━━━━━━━━━┓講演者:吉村英樹 博士【自分を生きる~思う気持ちは言葉を超えて~】『素直に生きる』誤解されても、叩かれても、けなされても、たとえ独りぼっちになったとしても、野武士になって自分のことを大切にしてみる・・・そう思って実際に生きてみると、世間様から総スカンをくらって本当に独りぼっちになって立ち尽くしてしまい、寂しくて寂しくて仕方がなかったあの頃が、今では本当に愛おしいです。『大切なものは何ですか?』体験してしまった自分のこの感覚だけは疑えないんです。体験は、私のそれまでの認識を根底から覆し、感覚ごとまるで別人のような自分へと導いてくれました。イライラして喧嘩ばかりで、毎日生きにくくて仕方のなかった自分や、どうしていいか分からず、葛藤に押し潰されそうになってた自分、また、人騒がせのくだらない生き方に、生きることを終わってしまいたいばかりだった自分からは想像も出来ないくらい変化してしまいました。そんな今の私の思いを初めてお伝えさせて頂く機会を与えて頂きました。みなさんに出会えることを楽しみにしています。ありがとうございました。┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┛
2008.06.05
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・・・を見つけたという話ではない、残念ながら(わかってるってねそんなこと)。人はみな「ダイヤモンドの原石」だというお話です。日々の生活の中で毎日はっぴーはっぴーという気持ちでいられる方はなかなか少ないですよね。毎日晴れたり、曇ったり・・・。自分と似た考えの人、自分が好きなもの、そういう状態の中にいられると人は幸せを感じられます。自分を理解してくれる人好きだと思える人自分と似た感性の持ち主のことは大好きなものです。ところが自分の行動に対して意見を言われる、障害がある、叱られる、叩かれる、拒否、否定、なんだとかかんだとか・・・そういう状態に、やはり人は弱いものです。私もそう。結構凹みます。実は人ごみが苦手なので人がたくさんいたり、PARTYなんかで大勢にあったりするだけでもどーっと疲れてしまいます。笑顔もだんだんひきつって固まっていったりもして・・・。それから自分を売り込んでいく・・・つまり営業とか。いろんな出会いの中で自分のことを気に入ってくださったり受入れてくださったりという中で仕事をするのはいいのですが自分をなかなか受入れてくださらない方不信感を抱いていらっしゃる方に自分の思いを伝えていかなければならなかったりするとすぐ面倒くさくなったり止めたくなったりしてしまいます。別の言い方をすると『カルマ』と言いますよね。でもそれは、自分が出来ることつまり既に出来ていることの中での繰り返し。そこに成長はないのですよね。つまり、前世と同じ課題を今も超えられないまま悩んでる。苦手だと思うこと、面倒くさいこと、苦手なこと、やりたくないこと、嫌い、いやだな~と感じることに一度本気で向き合ってみる、そしてそんな自分の思いを超えてみる。そこに自分自身の成長がある。なぜなら超えた先にはそれが出来る自分、嫌なことに影響されなくなった自分がいるから。誰でも初めてのことは不得手でだから上手に出来ないし不安だし緊張するし嫌なものです。慣れてるものは楽ちんだし上手に出来るし出来る自分を知っている。でもその中(ぬるま湯)にいつまでもいていいのか・・・・・。ぬるま湯はいつかは冷えて、上がる機会を失ってしまいます。お仕事もカウンセラーをしている私のお師匠であり彼の「ひでちゃん」はいつも言います。何で嫌だと感じるままの自分でいるの?君を待っている人がいるんだよ。助けてほしい人がいるんだ。その人たちのために自分のその想いを超えてごらん・・・。人はみいんなダイヤの原石だよ。光り輝くものをみんなが内に秘めている。だけど原石なんだから削ったり磨いたりしなくちゃ光らない。その工程は打たれたりする。無理やりに思えることもたくさんある。凹むし傷ついた気もすると思う。だけど磨かれなければずっと原石のままなんだ。そのままでいいよ・・・。そんな『癒しごっこ』は一見優しいように見える。だけどほんとはちっとも相手を受入れようとも理解しようともしていない。誰のことも救わない。ただ穏便にことなかれ主義でいるだけなんだ。傷つきたくないから波風たてずにその場をやりすごしているだけ。削られもしない磨かれもしない原石のまま。原石は磨かれて整えられてはじめて美しいダイヤモンドになって光り輝くんだよ・・・。凹むとよくもう原石のままでいいよ。そんなことをぼやいておりますが人は叩かれたり叱られたり傷ついたり涙したりしながら美しいダイヤへと変わっていく。自分を磨いてくれる人(苦手な人、嫌いな人)ほどほんとは有難い人なんですよね。彼は「身体を弛める」という仕事もしています。まるで畑違いの仕事だったのに縁あってそのような仕事をすることになった。慣れない人の身体を揉み解すという仕事はかなりの重労働で身体もくたくたになるし最初は腱鞘炎にもなってました。人には決して言わない人だけど私には「親指が痛いんや(関西人なんで)」と言ってました。「少し休ませればいいのに・・・」。そんなことを言うと休めてしまってはまた戻ってしまう。やり続ければ痛まない指になるんだよ。痛まない自分に出会えるんだ。その痛みさえ超えられた自分がその先にいるんだよ。そんなことを言っておりました。なんでそこまでしなきゃならないのか、そこまでする必要があるのか、ほんとにアホな奴。なあんてことを思いながら、だけどほんとはそこまで出来る彼がとてもうらやましかった。やり始めればいつか終わる。出来ないことも、やり続ければいつかうまくなる自分がそにいる。それは、いつも背中合わせ。叱られる自分とは、知らない自分。別な言い方をすれば、まだまだ成長できる自分でもある。苦手な人も苦手な仕事も自分が嫌だと思うこともホントはただの勘違い。そのことに向き合ってそれを乗り超えれば勘違いをしていた自分に気づき影響を受けなくなる自分に出会える。苦手じゃない自分、出来る自分と出会っていける。そのひとつひとつが磨かれていく工程。そうして削られて磨かれて私たちは美しいダイヤモンドに生まれ変わる・・・。その時、その輝きは、神様と同じものだったということに初めて気づけるのです。
2008.05.26
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あなたは人ひとりの命の重さ(グラムではない)って考えたことがありますか・・・。友人が自分の過去のことを話してくれました。いわゆるお金持ちの家に生まれた彼女は幼い頃に誘拐されたことがあったそう。お父様の会社の倒産による一家離散になって親戚に預けられたことも。優秀だった彼女は苦労して工学系の大学の二部に入りそこから研究室へ。エリート達の中で、女性であること、二部から入ったことで先生にも仲間にも、ずいぶんいじめられたとか。そして、同じ研究室にいたやはりいじめにあっていた女性が自殺するという場面に遭遇する。彼女は教授に罪をなすりつけられたけれど、教授が辞めるとなると、研究室にいる人たちみんなが困ることになると考え、死んだ人には申し訳ないけれど、死んだ人より今生きている人を守らなければと警察にはいじめがあったことは伏せ、もう1人とともに研究室をやめることになった。その後も他の大学でいくつもの論文を教授の出世のために取り上げられたりしたけれど研究室に入れてくれた恩があるからとずいぶん我慢の日々を続けたよう。ずいぶん裏街道を見せられてきた。辛い思いをずいぶんしてきた。年齢的にも教授を目指すには随分遅れをとっているのだと私にはやりたいことがいっぱいあるのだとあせっているのも感じた。学校という狭い世界。他の業界でもこんなことがまかり通っていたりするけれど彼女は自分が受けてきた思いの中で研究職に就こうとする女性達を守りたい、こんな思いをするしなくて済むように、観なくていいものを見せたくない、だから自分は偉くならなきゃいけないのだと言っていた。やりたいことがいっぱいあって情熱に燃えていた。だけど・・・聴きながら私は彼女の話に違和感を感じていた。彼女は確かに辛い思いをたくさんしているのだけれどそこには常にかけひき・とりひきがある。幼い頃から彼女は大人たちの都合でいつも翻弄されてきたのだろう。仕方ないんだ。そう思わなければきっと生きてはいけなかった。どんなにか嘆き悲しみ苦しみそうして立ち上がってきたことか。私と同じ思いをする人を増やしちゃいけない。えらくならなければ。誰にもうむを言わせないようにならなければ。きっとそんなことを思って。教授だってそうだろう。学んでいる時は純粋な気持ちから。そしていろんな社会のゆがみの中で何度も押しつぶされそうになって。自分の理想の世界を作るには勝ち残っていかなければならない、そう思ったかもしれない。自分の権威があがっていくのに反して衰えていく自分と対峙したときこのままではいけない、自分はまだやることがあるのだ、もっと自由になる地位までいかなければ。若い生徒の力を借りることで自分がまず上に立つ。今は我慢してもらって、でも恩恵は後で与えればいいじゃないか。何よりも自分がその立場にならなければ、何者も浮かばれないさ。そんなことを思っていたかもしれない。あるいは復讐心もなかったとはいえない。恨みなどのパワーもとても大きな力となる。それが自分の生きる支えになってきた人も多いことだろう。だけど。うらみは結局うらみしかうみださない。やったりやられたり。その輪廻から永久に抜け出すことはできないのだ。亡くなった人より今生きている人を守らなきゃ。ほんとにそうなのだろうか。死を選ぶほど苦しんだ彼女の思いはうやむやにしてしまっていいものだろうか。3.40人の生活を守るほうが大切よ。彼らは研究室がなくなってしまったら路頭に迷うことになる。せっかく苦労して入ったのに、遣りたいことがあったのに彼女のせいでそれがパアになったらずっと彼女を恨み続けると。そう彼女は言っていた。確かにその時はそうだろう。倒産する人だって、リストラされる人だって、事故にあう人だって泥棒や火事にあう人だって、果ては無差別殺人にあった人だって、みんなそんなこと予期している訳じゃない。そのために生きていた訳でももちろんない。だけどそういった予期せぬ出来事は起こる。じゃあそういった人が大勢であるならばそういった不正を黙ってていいのか。世の中に本当に悪い人なんていない。そう私は思っている。いわゆる「悪」といわれるものに手を染めてしまった人だって生まれた時から悪人になろうとしていたわけじゃないだろう。大人になってからだってニュースに取り上げられている人たちがみんな最初からそんなことをしようと考えていたわけじゃないはずだ。何かが狂ってしまった。どこかで・・・。でも、だから仕方がないそういうものではないはずではないか。自殺者が出るようなそんな陰湿ないじめがあったことを例え一度は隠し通せたからといってそれでは同じことが繰り返される。その時また大勢のために・・・そういってうやむやにしてしまうのか。会社で過酷な労働を強いられて死んでしまった人がいてもそれは会社の存続のために仕方がないことなのか。そうではないはず。だからこそ、そうしたことが今たくさん明るみに出て今での社会のゆがみがあらわになって問題視されている。それでもやっぱりそれは仕方がないのだと思ってしまう人がいる。1人の人のいのちも大勢の人のいのちも同じ大切なもののはず。人数で比べられるものではない。くさいものに蓋をして見えないようにしたところでそこに存在していることには変わりない。それはあらゆる形にかわりながらまた現れ、繰り返されることになる。確かにその時辞めさせられた人は恨みに思う人もいるだろう。だけど自殺者が出たことをうやむやにしたまま生きて苦しむ人だっているだろう。その研究室に残ったことが幸せであるなんて決して断言なんか出来ない。どんな不運に思える出来事も後からみれば素晴らしいギフトであったと思えることなんかいくらでもある。仕方ないんだ。これでいいんだ。そうして心がゆがめられていくのではないだろうか。戦争を体験した大人たちは飢えに苦しみ別離に泣き敗北を味わいながら立ち上がってきた。その苦しみは想像に絶する。会社を退職される上司が酒を酌み交わしながら何度もつぶやいていたことを思い出す。俺達は間違っていたんだ。自分達が苦しんだこんな思いを自分の子供達には経験させたくないと必死で生きてきた。それこそ身を削って働き子供達に食べものを与え害敵から守ってきた。暑くないよう、寒くないよう、冷たい雨にあたらぬよう暑い日差しをよけれるよう勉強させていい大学にあげてしなくていい苦労はせずにすむように同じ思いをあじあわなくていいように大切に大事に守ってきたんだと。だけど違っていた。大人になるには苦労しなくちゃならないんだ。かわいい子ほど旅させて、どんな外敵からもどんなアクシデントがあっても強く、たくましく、ちゃんと自分1人で立てるようにしてやるのが本当の愛情だったんだ。今のゆがんでしまった世界を作ったのは俺達なんだ。何者からも守ってあげることだけが愛情じゃないのだと私も思うのです。くさいものから遠ざけてみなくていいようにしてあげるのではなくそのくさいものにちゃんと向き合ってそれは間違っているのだと立ち向かっていけるような自分がその出来事にぶれない精神を育ててあげることが何より大切なのではないのかとそんな風に感じています。戦争で手足がなくなってしまった子供たちが社会で生きていけるような寺子屋を作りたいの。だから私、偉くならなくちゃ。お金持ちにならなくちゃ・・・。権力を持たなくても自分がお金を持たなくてもその情熱とまっすぐな心があれば人を動かすことが出来るよ。人は愛による力が一番大きいのだから。今は彼女にこの言葉は通じない。物質社会の今この現代では、そんなのありえないと言う人も多いだろう。そんなの綺麗ごとだ!そんなおしかりも受けそう。確かにそうかもしれません。それでも・・・。前の日記にも書いたけれど作られた常識や価値観によって、純粋な思いは捻じ曲げられゆがめられている。仕方ないんだ。この言葉によってどれだけの純粋な思いが消え去ってしまったのか。だけど今のこの状態はもう終わりが近づいている。分離の社会は終末を迎えている。もっと酷いことが続いて、そしてそれは終わりを迎える。今そのことに気づき始めて立ち上がる人がほんとに増えてきている。大切なことはなんですか・・・。だからきっと彼女もいつか気づくはず。そのとききっと伝わるはず。そう信じているし、それを伝えていく役割は私も担っているのだと感じている。愛をもって。人が生きていること。それは魂の成長のために今を体験しているだけなのだから。
2008.05.24
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毎日ほんとにたくさんの方との素敵な出会いがあり、感じることがたくさんあり、みなさんにお伝えしたいな~と思いながらめまぐるしい日々の中で、つい日記が滞りがちであります。朝の激しい雨で今日の満月は見られないかな・・・ちょっぴり残念に思ってましたけれど、昼から雨も止み、夜にはほんとにきれいなお月さまと出会えましたね。友人にも「今日は満月だよ~っ」とメールしたらきれいな満月写真を贈ってくださった人もいました。遠く離れていても、同じ満月を眺め、きれいだなと同じ思いに馳せている・・・。とっても幸せなことですよね。今日も素敵な出会いがありました。竹の研究40年の日下英元先生。白髪交じりで、眉毛も長くて、でもにこにこと常に笑ってらっしゃるので目が三日月になってます。まるで余生を楽しんでおられるような(失礼、まだそんなお歳ではありませんね)そんなあらゆることを包んでしまうような穏やかさを醸し出しておられました。日下先生が研究開発された「バンブリアン」や「バンブソルト」などをカウンセリングや施療を行っている「彼」が、彼の施術である「御申杖」療法とともに併用して実際に使っています。「彼」の元にはたくさんの重病患者さんから身体のだるさ、アトピーなどで苦しんでいる方がいらっしゃり、その効果を見てはおりましたが、日下先生にお会いするのは初めてです。東大法学部在学中、近い将来デフレの時代が来る!そう直感し、デフレ経済時代を乗り切った江戸時代の「江戸三大改革」の研究を始めたそう。その過程において「本草学」という本とであう。その中に「竹は癇癪(今でいうストレス)と瘍瘡(今でいう癌)に効く」というくだりをみつけ、以来竹にのめりこんでいったそう。竹、特に孟宗竹の成長力はほんとに凄くて、1日に1m以上のびる。ところがある時期突然成長が止まり、同時に横にも太らなくなる。これはアブシジン酸という成長抑制ホルモンの働きによるもの。ご存知ですか?成長するって、酸化作用。行きつくところは老化。酸化作用は、成長・老化・腐敗・微生物の増殖がひきおこされる。つまり人は生まれてから酸化しつづけていることになるのですよね。それに対して成長の抑制とは還元作用そのもの!還元作用は、錆びさせない・老化させない・蘇生させる・成長を停止させる・微生物の増殖を停止させる・・・という働き。だから竹のものすごい成長力を抑制する強力な還元作用を竹自身が持っているのではないか。そう思われたようです。竹エキスを研究開発し、自分自身が実験台となってエキスを飲むうち眼鏡がいらなくなったり肌が若返ったりそんなことがどんどん起きてきた。彼の元へくるいろんな病気の方の症状が驚くほどに改善されていったよう。喘息アトピー花粉症リウマチ糖尿病癌膠原病パーキンソン病などなど。人間の病気の原因は老化による機能低下とストレス。そして、何より意識。病気には必ず原因がある。そして、ストレスも含め、病気になっているのは自分自身だということ。そこにちゃんと向き合わなければ病気は治っていかない。もし一時的に治っても、また病気はくりかえされる。そんなことをおっしゃっていました。私もそれをつくづく感じています。この現代社会を生きていくというのはなんとストレスの多いことか。環境にあわせるために自由な、素直な心を閉ざしそういうものだと教え込まれた何処にも根拠のない「常識」というものに縛られ自分を見失いその結果病気になって苦しんでいる方がほんとに多い。でもその心の苦しみから自分が解き放たれた時余命を宣告されたような方の病でも治ってしまうことがあるのです。友人にもひどいアトピーが、ステロイドや病院の治療をやめ自分自身の病、心の病にちゃんと向き合っていった時、完全に克服した人がいます。バリバリと第一線で活躍していた方が余命半年と医者に宣告され延命治療や一切の治療をやめ、残された半年をせいいっぱい生きると決めてからいつのまにかその病がなくなってしまい10年以上たった今でもこうして元気に生きてるよそういって笑っている方もいます。昔はそれは「奇跡」なんだと思ってました。でも今はその出来事がよくわかるようになってきました。病に冒された自分自身とちゃんと向き合う。被害者意識をやめ誰のせいでもなく何かにただ依存するのでもなく今生きていること、生かされているそのことに本当の意味で感謝できたときその人が病気である必要がなくなるのかもしれません。もちろん、では病気になる人が悪くって病気にならなければいいのか。そういう「善い、悪い」の話ではありません。その人が病になることでその人自身だけではなく、周りの人にも気づきや学びがあるのです。人がこの世に生きるということはたくさんの苦しみがあります。それは病という形をとるかもしれない。家族関係かもしれない。貧困戦争愛権力それぞれの人にそれぞれたくさんの学びがあり、誰が好くて誰が悪いわけじゃない。ただ体験するだけ。そしてそこから気づき、学ぶ場べる場が今ここにある。それだけなのだと思っています。
2008.05.20
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先日HADOカウンセラーと四魂カウンセラーの資格をいただきました。少しずつですが今の自分で誰かの役にたてる・・・そんな機会が増えてきていることを感じています。ところで「HADO」って何よ・・・?と思われている方もいらっしゃいますよね。そのことについては、またおいおいお話していきたいと思います。とりあえず「聴くこと」について、続きを・・・。先日の日記で、12パターンの「非受容」の言葉について書きましたが、この、「非受容」の言葉が何故好ましくないのでしょうか。命令するような言い方やあからさまな反対、批判のようなものは何となくわかるとしても「その通りだね」とか「他人がなんと言っても、お前は素敵な娘だと思うよ」などという同意や賞賛することが何故いけないのか・・・。普通、相談を持ちかけられた場合相談された側は相談する側が自分に対して有効な解決策を示してくれるだろうと期待しているのではないかと考えがちです。だから知恵のある人、包容力のある人、面倒見のよい人なら、誰でも相手に何かしらの忠告や同意、激励や質問をし、「この人に相談してよかった!」そう思って欲しいと考えます。また、「あの人なら何かよい知恵を授けてくれるかも」実際にやっぱり相談する側は期待して相談にくるものだとも思います。ところがいざ聞き手から「非受容」の言葉を聞かされるときの話し手の心の動きはどうなるのでしょう?「学校なんか大嫌い」子供が言ったとき。親が「そんなこと言うもんじゃない」といえば子供は「私の気持ちをわかってくれない」と感じる場合が多い。「そんなこともあるさ。がんばって行ってればいいこともあるよ」といえば「真剣に受け止めてくれない」と感じたり「私の考え方がよくないと言っている」などと感じたりする可能性も高い。そうなると「これ以上話したって仕方がない」「自分は信用されてない」「理解してもらえない」という否定的な気持ちが出てくる。子供がこう感じたとき、親子のコミュニケーションは簡単に断たれてしまう。私たちはつい何らかの解決策を見出そうとし、その内容を分析し前例やなじみのある解決策に手を伸ばそうとします。そして聞くことと判断することのあいだを行ったり来たりしながら、相手と自分自身の意識の距離を広げてしまうのです。相手の話をきき、それに応じているつもりが相手は否定的な思いを抱いているかもしれないなんて・・・。でも、自分が相談者となってだれかに話をした時「わかってもらえてない」そう感じたことは少なくないのではないでしょうか。さらに「非受容」の言葉の問題点は話し手を受入れるのではなく変えようとする意思を示してしまう点にもあります。何らかの問題を抱えている人は自分を変えようとする聞き手の意志を感じたり批判や攻撃の危険性を感じたとき、受入れられてない感じを持つと共に、防御の姿勢にもなりがちです。そのことに力をつかい、自分自身や問題自体を見つめることが出来なくなってしまう・・・。☆お知らせです。以前の日記に中丸薫さん講演会についての書かせていただきましたが来週5月19日、月曜日福岡県北九州市で中丸薫北九州特別講演会が開催されるそうです。中丸薫 北九州特別講演会●会 場 ウエルとばた 多目的ホール(JR戸畑駅横)●日 時 2008年 5月19日(月) 開場 午後6時00分 開演午後7時00分~9時00●チケット 前売り 8000円 当日 8500円お振込み領収書を券の代わりとさせていただきます。振込み先;西日本シティー銀行 産業医大出張所 口座 普通 0021425 中丸薫講演会事務局●お問合せ・申し込み先 大田 TEL 090-9651-3431E-mail; ru3vt5@bma.biglobe.ne.jp九州地方のみなさま、また九州へお出かけ予定のみなさま、お時間ありましたらどうぞおでかけくださいませ。ビックリ(◎o◎)な話いろいろ聴けると思いますよん・・・・♪
2008.05.15
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今日は私のフラワーセラピー仲間であり「サルサ」の先生でもあるHIROKOちゃんのスタジオに行ってきました。もちろん「サルサ」なんて初体験!しかもしばらく運動らしい運動していない私。そんなんで行っていいのか・・・(;¬_¬);って感じ。それでも沖縄の友達が東京に来ていてしかも彼女と会ったことはないけどマイミク(ミクシイのことね)になっているというので、是非会わせたいな~と。自分の姿が鏡ばりの部屋であらわになるのはちと、いやかな~り気がひけたんだけど( ̄∇ ̄;)まっ、でもHIROKOの踊ってるとこ、観たいし・・・。歌舞伎座すぐにある彼女のスタジオでは今日はちょうど7月の発表会に向けての練習が主で初心者の私はちょっとお邪魔かしらん・・・て感じ。それでもHIROKO先生はとっても優しくそして楽しませてくれました。美人の彼女が踊りながら微笑んでくれると女の私でもつい惚れてしまいそうになる。これは男性はみな一緒に踊りたいだろぉな~なんてすっかりオヤジな気分(笑)♪サルサ初体験の私は簡単なステップとターンを教えてもらったのだが感激したのはHIROKOのエスコートの上手さだった。社交ダンスでも何でも男女ペアになって踊るのは、男性のリード(つまりエスコート)の上手さが決め手だというけれど、初心者の私はなおさらである。つまり、私でも何だかよくわからないうちにHIROKOのリードで踊らされていたのである(笑)!何が違うのか・・・・。HIROKOのリードはとってもわかりやすいのだ。だから自然と身体が前へ行ったり後ろへ行ったり回りたくなくても回っている(⌒▽⌒ゞこれ、やっぱり人によって全く違ってくるんだよねぇ。ところで、「エスコート」って言葉、何気なく使っているけれど、本来の意味、ご存知ですか? 日本ではエスコートというと、高級レストランやホテルのデートをソツなくこなしたり、凝った演出で女性を喜ばせたり……というイメージがあるけれど、本来はもっとシンプルなこと。辞書を調べてみると、「付き添うこと、特に、帰途やパーティーなどで男性が女性に同伴すること。」(集英社、国語辞典)とか、「護衛、護送、(女性に対する)同伴の男性」(研究社、英和辞典抜粋)とあります。そもそもの意味は、「要人や女性が外出する際の護衛」。転じて「社交的な場に同伴する異性の相手」という意味もうまれたよう。意味は使い方で変わるけれと、「相手の女性に危険のないよう、心地よく楽しい時間をすごせるようにリードすること」というニュアンスでしょうか。要は「相手や周囲に対する気配り」。相手がどんな状態かどうして欲しいのかそれを感じられる心だったりするのかもしれません。相手を気持ちよくさせてあげられる、そんな気配り上手なHIROKOちゃんに学ばされるところがたくさんありました♪ありがと~ね~・・・☆
2008.05.09
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相手の思いそのままに「聴く」。それってどういうことなのでしょうか・・・・。映画やテレビの一場面で犬を連れた少年が原っぱや土手なんかで1人ぼーっとしているシーンなどがあります。お母さんに叱られた友達と喧嘩したそうした孤独なシーン。家に帰れない一人ぼっちになっている少年の側ででも犬は側で子供の顔をじっと見上げている。「この世に少年しかいない」という目でみつめているのだ。そんな犬を相手に子供はぽつりぽつりと語り始める。自分の思いを分かってくれない。自分がどんなに今孤独なのか。わかってくれるのはおまえだけだね。もちろん犬が何か言ったわけではない。分かるよって頷いたわけでもない。大丈夫だよとも言ってくれてないし君は素敵!とも最高!とも言ってくれない叱りもしないけれど励ましの言葉をくれてもいない犬。それでも少年にとって全身全霊を傾けて聞いてくれ、自分を受入れてくれた。苦しんでいる自分と共にそこにいてくれた。犬はそんな存在であったのだ。こんなにも自分に対して忠誠と愛情を注ぎこの世でいちばん大事な存在として扱ってくれる犬。聴くそれはひたすら共感をもって聞くこと。批判しない同情しない教えようとしない評価しないほめようとしない誰かと話しているとき、多くの人が相手を受入れようという姿勢をみせる。しかし聞き手はえてして自分の中の感情に流されあるいはその感情に気付かないまま、受容の姿勢を見失いがちになる。「そんなことないよ」「あなたは素敵よ」たとえそんな励ましの言葉を投げかけたとしても自分を否定して自分がほんとにダメな人間だと思っていたとしたら話してはその言葉に違和感を感じたり受入れてもらえていないそんなことを感じてしまったりするのだ。他者を受容するそれはなかなか簡単にはいかないものだ。「受容」とは相手のいうことを「肯定」することとは異なる。子供が「勉強したくないっ!」と言う。あなたが「したくなければいいよ」と言えば肯定したことになる。「そんなこと言わずにやりなさい」と言えば命令。「そんなこと言わずにがんばって」と言えば励まし。これは全て「受容」にはなっていない。つまり「非受容」。受容は「おまえは勉強がしたくないんだね」と応じることなのである。受容とは相手の言うことを認めること、肯定することではなく、非受容の言葉を返さないことといえる。アメリカの著名な心理学者トマス・ゴードンによると「非受容」の姿勢は12の型があるそう。1.命令・指示 「そんなことしちゃだめよ」 「ぜひ手伝ってもらいたいな」 「これ、がんばってみたら」2.注意・脅迫 「いまやっておかないと後悔するよ」 「そういうことすると、どうなるかわかってるわね」 「もう一度そんな言葉づかいをしたら、出て行ってもらうぞ」3.訓戒・説教 「これはやっておくべきことだと思うよ」 「責任を感じるなら、それを果たさなくては」 「やめておいたほうが君のためだよ」4.忠告・解決策などを提案 「私なら、彼に説得してみるけど」 「これがいちばんよい解決方法だと思うよ」 「意地を張ってないで、あなたの方から誤ってみたら」5.講義・講釈・論理の展開 「私の体験からいえば・・・だね」 「お母さんの子供のころには、もっと家の手伝いをしたわよ」 「あなたは気付いていないかもしれないけれど、・・・なものなのよ」6.判断・評価・批判・反対・非難 「そんな計画には賛成できないな」 「そな考え方で通用するものじゃないよ」 「何を馬鹿なこと言っているの!」7.賞賛・同意 「さすが頭がいいね」 「その通りだと思うよ」 「他人がなんと言おうと、おまえは素敵な娘だよ」8.悪口をいう・馬鹿にする・辱める 「そういうのは愚か者のすることです」 「だらしのない人間はこれだから困る」 「これでよく恥ずかしくないね」9.解釈・分析・診断 「それはあなたの妬みからきた思いでしょ」 「君の悪い面が出た結果だと思うね」 「本当はあの子と仲良くしたいと思っているんでしょ」10.激励・理解・同情 「大丈夫、ちゃんとうまくいくから」 「一晩寝れば、悩みなんか忘れちゃうよ」 「お母さんも学校なんか行かなくてもいいと思ってたの」11.探る・質問・尋問 「誰がそんなこと言ったの」 「それで君は、何をしたんだね」 「いつものことに気づいたの?」12.中止・撤退・注意をほかへそらす・笑いにまぎらす 「こんな話をしててもしょうがない。まず行動することだよ」 「悪口いわれるのが嫌だったら、耳栓でも買ってやるよ」 「そういえば、彼は最近どうしているの?」さて、あなたにもし子供がいたらこうした「非受容」の言葉で会話の大半が成り立っていませんか。ところでなんで「非受容」の言葉が好ましくないのでしょう???長くなったのでまたつづく・・・・。
2008.05.08
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そうそう、前にカラーセラピストの試験が終わったと日記に書きましたがなんとか無事合格しておりますっセラピストとしてゆっくりのんびりと歩みだしております。カウンセリングの勉強をしていた時も難しいと感じたのがカウンセリングの第一段階、「傾聴」、つまり「聴く」ということです。そりゃ、当たり前だろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ。そう思われる方も多いことでしょう。私たちは常に音のある世界で生きています。耳を澄ませば・・・明け方の東京は、かなり強い風がびゅーびゅーと唸り声をあげています。テレビをつけていらっしゃる方もラジオをつけていらっしゃる方もCDを聴いていらっしゃる方もいるかもしれません。これ、自然に入ってくる音を「聞いている」感じです。いわゆるBGM。流れる音楽にじっくりと耳を傾けているかもしれませんし、ほとんど流しているだけの状態かもしれません。意識を傾けないと聞こえているようで聞こえていない状態にもなります。この明け方に誰かと話をされている方は少ないかな。夫婦の会話でありがちな仕事先から帰宅した夫を待ち構えていた奥様が弾丸のように今日の出来事を話している。夫はろくに返事もなく・・・。「ちょっと聞いてるのっ!」「聞いてるよ」「じゃっ、なんと言ったのよ」「・・・・」こんな感じで、聞こえている筈の音は、意識の中に入り込むことなく通り過ぎていったりします。次に通常行っている「聞く」。相手の話を聞いている時にそのことに対して自分の中で考える聞き方。この人は何を言いたいのだろう・・。私はそうは思わないな。そうそう、私もそういう出来事があった!相手が話す内容に対して相手に質問したり自分の意見を言ったり、あるいは共感していたりしながら聞いている。これは相手の考えを自分の中に取り入れている聞き方になります。人間は常に頭の中で常にぐるぐると考えているものです。今日のおやつは何かな。宿題やってない!あの人嫌いっ。眠いな・・・・。常に常に考えているので例えば瞑想しようとしてもすぐに思考がやってきて「無」になろうとするのに邪魔をしてくれたりします。なので相手の話を聞いている時も常に自分の中の思考が動いているのです。でもこの、自分の中の「思考」はあくまでも「わたし」の中の考えであって今話している「あなた」の考えではないんですよね。だから話している意味を解釈しようとしたり疑問を感じたりまたは自分のことと置き換えている時それは既に自分の考えになっていたり判断しようとしている、その行為は「相手そのもの」ではなくなっています。では相手の思いそのままに「聴く」とはどんな聴き方なのでしょう・・・・?眠たくなったのでまた次回。(今から寝るんかっ!)
2008.05.06
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ブログをリンクさせていただいている「LUCA」さんの日記に『「キレイごとだけでは生きていけない」と言うが、キレイごとだけで生きていける』という桜井章一氏の著書の中の言葉について書かれていた。ちょうど先日の親友との会話の中でそのようなことを話していた。私は今の彼とお付き合い始めた当初「相手の言葉を操作している」とよく言われた。それは自分がこう言えば相手がこう返してくるだろうと意識的、あるいは無意識にでも想定し、自分が傷つかないよう、欲しい答えを返してもらえるような聞き方を投げかけているというのだ。常に相手と会話をしながらもその会話を先回りして考えている、自分を守る方向に常に意識を向けていると。けれどそれは決して自分の本音ではないし、相手に作り上げた自分を見せている。作り上げた自分に対する相手との付き合いは結局虚構の世界でしかないのだと。その話をした時親友に言われた。それは違う。そんなのキレイごとだ。人が生きていく、生活していく上で本音と建て前をわけるのは当然のこと。物事を円滑に、スムーズに行うために必要なことであり、それは相手のためにもなるのだと。まさにキレイごとでは生きていけないのだと・・・。その時私は自分の思いを上手く伝えられなかったのだが、では「キレイごと」とは何か。「キレイごと」、つまり「理想」。理想通りに行きたくても現実の様々な障害にあい、妥協せざるを得なくなったり物事を円滑にしようとして建て前だけで人間関係を成り立たせようとするから自分との関係も人との関係も希薄になっていく。それが今の世の中の現実を作っているのではないか。確かに円滑にすることは大切なことである。それも事実。けれど、その一方で大切なものが置き去りになっていくということも事実。心と心が触れ合わない今の人間関係というのは関係が深まらず壊れてしまうものになっている。失敗するということも許されないことになってしまっている。円滑にしなければならないから・・・。キレイごとだけでは生きていけないそれも事実。キレイごとだけで生きていけるそれも事実。でもそれはどちらも一方からの見方なのかもしれません。両方から見つめる視座を自分が体験することで得られることだと思います。そのために今この三次元社会を生きているということでしょうか。
2008.05.03
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今日は親友が誕生日を祝ってくれました。東京初バースディというだけでなく、私にとってとても大切な年でもあり。親友は私がいろんなところに行って学んで来たこと、あれやこれやといろんな事を始めることにいつも100%の信頼をもって話を聞いてくれました。あなたがすることだからどんなことも応援するよ。いつもそう言ってくれるのです。その言葉がどんなに心強かったか。私の始めることが自分の中の不安や恐怖となり、いつも「否定」というカタチでしか愛情表現出来なかった親の代わりに行っておいで、楽しんでおいで。大丈夫だよ。いつもそう言ってくれました。まるで「親」です(笑)♪さて、テーブルコーディネートの教室を主宰していた頃の私をよく知っている親友が選んでくれたのは国の有形文化財にも指定されている北浦和にある『二木屋』。一度行った時に私が喜びそうだと思ったそう。その思いが何より嬉しい。もと政治家の建物を増改築したそうですが、古きよき昭和の日本家屋です。想像以上に広い建物でお庭がよく見えます。ちょうど『端午の節句』の室礼となっていて、段飾りも見ることが出来てラッキーです♪お料理も季節にあわせたお料理でやはり「端午」らしく、菖蒲の葉を使い、ナスを花にみたててました。写真が暗くていまいちよく分かりませんね(^_^;)真ん中の突っ立っているように見えているのが菖蒲の葉です。盛り付け、器、味付け。どれも素晴らしかったのですが、やはり何よりサービスが良かった!事前に話してはいなかったものの、シャンパンを頼んだので何かの記念日かと聞かれ誕生日だと話したらちょこっとお赤飯が♪また箸置きを主役のみ急遽小さな花束に変更してくださり。こうしたちょっとした心遣いがやっぱり嬉しいものです。さて、美味しい食事と美酒、楽しい会話ですっかり幸せ気分になっていたのですがふと気になったのが親友の最後の言葉。カウンセリングという仕事は、いろんな人に出会う。あなたが傷付くことになるんじゃないかと心配だと別れ際そんな言葉を。心配してもらえることに感謝しつつ、ちょっと守りに入って来たかな~・・・なんて勝手なことを子供は考えておりました。心配してくれてありがとねっ。言いたいことはとってもとってもよく分かる。それでも不安も恐怖も自分自身が作り出すものだと。傷つくと思えることも自分の人生で魂の成長に必要なことであれば起こりえる。でもそれは体験という素敵なギフトとなる。自分に起こる出来事はすべて乗り越えられないことはないのだとそうして乗り越えた後になってこの苦しみには大きな意味があったのだとわかる。それを力に生き抜くことができる。そしてその度ごとに強くなれるのだとそんなことを感じています。といいつつ、ぶぅぶぅ言いたくなったらどうかまた話をきいてね~ん・・・・。
2008.04.30
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今日は東京で生活を始めてはじめての誕生日を迎えています。仙台ではこの時期いつも晴れていたけれど、東京は恵みの雨。今まで春の陽気のままに気持ちもウキウキ気分で過ごしていましたが、今年はしっとりと穏やかな気持ちになれています。大人になったかな(すでに十分年齢は大人ですけど)それにしても東京の4月は結構雨が多いような・・・。先日海外のコンサル会社のマーケティング調査のインタビューを受けるというお仕事がありました。私を含めて10名、いろいろな職種の方に共通の質問やそれぞれの専門についての質問を受けました。ヨーロッパの有名企業を何社もクライエントにもつそのコンサル会社では日本を含め先進8カ国でこのマーケティング調査を行うそう。つまり共通項目では1つの質問につき80通りの回答を得ることが出来るわけです。きちんとした金額をいただいたのですが、これを世界中で行っているのかと思うと、コンサル会社でもやはり大手は市場調査にもかなりの金額を払うのだな~なんて変なところで感心していました(⌒▽⌒ゞ誕生日を明後日に控えた状態でのこのお仕事は自分がどのような価値観のもとにどのような考えでいるのか、きちんと言葉にするという作業が出来、より自分自身をクリアに、そして明確にすることが出来たように思います。価値観、伝統、五感、情報、環境、世の中のスピード、社会における男と女の役割、男女関係の質、グローバリゼーション、環境問題、科学とテクノロジー、安全と危険、未来、等々・・・・。お話をいただいた時は軽い気持ちで受けたのですが簡単な質問の内容をインタビュー前夜に聞き、正直私ではどう考えても役不足だろうと困りましたが時すでに遅く(前夜ですし・・笑)、それでも質問される毎にぼんやりとしたあいまいなだったが自分自身の中で一つ一つ確かな自分の思いと変わっていったように思います。自分の人生観を意識していく。それはこれからの自分自身を生きるために大切な作業だと思います。とてもいいタイミングでの出来事。ありがとうございます。
2008.04.27
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ある方とお会いして話をしている時にある情報が作為されているという話になった。「あれは嘘なんだよ・・・・・・・・」正直その話を聞いた時は多少なりともショックは受けた。それはほんとに素敵なものでみんなの夢を形にしたようなものだったから。多くの人がそれを知って感動し、共感し、希望を持ったから。嘘。私に話してくれた本人もそのことを知った時には憤り、作為した本人とは付き合いもあったためにその怒りをぶつけ、そして決裂したのだとおっしゃっていた。世の中にそんな話は五万とある。きつねとたぬきの化かしあいのようにそんなことを続けているから互いを信じられなくなり、世の中を信じられなくなり、周りは敵ばかりになっている人って多いのだと思います。それでも話をしているうちにふと思いました。その人は初めから騙したかったんだろうかと。創ろうと思ったときは純粋な気持ちで出来上がったときは感動しこれを見た人は喜ぶだろうとそう思ったんじゃなかろうかと。またはこれくらいいいか。そんな軽い気持ちで始まったものが思いもよらない反響を呼んでどんどん広がっていって後に引けない状況になった。そんなことからかもしれない。だけど。嘘はいけない。人を騙すな。そんなふうに周りを敵や偽物ばかりだと疑心暗鬼に捕らわれて生きるよりそれが嘘だとしてもそれを観た時純粋に美しいな、きれいだなと感動したりこういう世界ってほんとにあるんだなと自分が信じられたりそのことが大切なんじゃないだろうかと。金八先生の歌ではないけれど信じられぬと嘆くよりも大いに騙されて生きる方が幸せなんじゃないかなと。その話を聞いた後でもやっぱり私はその作り物だとされているものは美しく感じられます。そしてやはり多くの人が感動しているという事実があります。例えそのものが作り出されたものだとしても出来上がったものは人々の感動を呼んでいる。それは本当はそういった世界があるだろうと人の心の奥底にみんなが持っているからではないかと思うのです。そういう意味でそれはやはり多くの人を感動させることが出来るつまり本物と言えるのではなでしょうか。大切なことは、受け取った自分がそれをみてどう感じどう思ったか大切なことはそのことだけではないのでしょうか。
2008.04.21
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昔の同僚が亡くなったとの訃報が入ったのはつい3日前だった。その日の朝通勤途中に交通事故にあったのだと知らせてくれた友人のメールに書かれてあった・・・。えっ・・・・・?一瞬何を言ってるのか分からなかった。それはあまりに突然だったから。そして当然のごとく、そんなことはもちろん予期していなかったから。そして今日は彼の葬儀だった。まだ30代という若さ。子供もまだ小さい。身内でない私でさえなかなか受入れることが出来ないこと。家族は今どんな思いでいるのかと思うととてもせつない思いでいっぱいになる。幼い子供たちは父がいなくなるという試練を乗り越えて彼らは強くなっていくのでしょうけれどその死を受け入れ、その出来事が感謝に変わるにはまだまだたくさんの思いを乗り越えていかなければならないだろう。彼はどうであったのか。今生で遣り残したことはなかったか。せめて愛する家族にさよならの一言を言いたかったのではないだろうか。テレビドラマのように例え10分でもロストタイムがもらえたらどんなにいいか。別れはほんとに突然やってくることがある。老いを感じ、やがてはやってくるであろう死を思う時もあるしまたは病と闘いながら、やがて迫りくる死を意識できる時もあるけれど何の前触れもなくあっけなく訪れることって実は特別なことではなかったりする。「限りあるいのち」けれど人はそのことを忘れてしまう。明日も明後日もその次も永遠に時は続くかのように何かことが起きないと大切な限りある今この一瞬を大切に生きることを忘れてしまうのだ。大人になってからの知人の突然の死は二度目だった。彼の訃報を聞いた時思い出したのはそのことだった。星になった人ブログを書き始めた頃ちょうど一周忌でその思いを綴っていた。散りぬべきとき知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれこの歌は戦乱の世に生まれた細川ガラシャ夫人の時世の句として伝えられているもの。「生きて人質になるか、死を選ぶか」の人生の選択に迫られた彼女がの散り時、引き際の美学としてよく引用されている。まるで美しく咲き散っていく桜の花のよう。それでも人生の選択についてこうして自分に近い人の突然の死を突きつけられたとき生かされている自分を振り返らせられる。この限りある「いのち」。今この瞬間にいのちつきても私は満足だったと言えるだろうか。精一杯生きていたと言えるだろうか。自分の人生、私はなんのために生きているのか・・・・。
2008.04.12
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本日、カラーセラピーの終了試験が終わりました。結果は・・・(^_^;)まっ、結果は結果ってことで(笑)。いやいや、がんばりましたよ~。夜中と明け方、詰め込みですっ(学生時代から進歩なし)ですから今日は一日頭がぼーっとしています(だめじゃん!)終了試験を受けるにあたり、実際のセラピーの症例を何例か提出するのですが、普段授業でロールプレイをするのと、やはり実践は違うものです。みんなにはよく動揺なんぞ全く感じられないと言われるのですが、本人は毎度いっぱいいっぱいでかなりのパニックを心の中で起こしながらやっておりました。感じたことは常に自分自身にフィードバックしていくこと。相手を世界観を感じ相手に関心をもち、共感できていたか。誘導してなかったか。評論家になっていなかったか。相手の気持ちに寄り添えてたか・・・。聴き上手になる。それは相手がセラピストを信頼し心を開いてくれることになるのですよね。簡単そうで一番難しいのかもしれません。セラピーをしていて思うのですがクライアントの方ほとんどがどうしてもセラピストに依存してきます。なんとかしてくれるに違いない。それでもどんなに素晴らしいことを言われたとしても自分自身が納得しなければ心に入り込むものでなければ何の意味もなさないのですよね。答えは自分自身の中にある。そこに如何に気付いてもらえるか。頼られると何か答えなきゃいけない気になってしまい、そこがまだまだ悩めるところです。それでもこうしたすべての経験が私を成長させてくれるのですよね。協力してくださった皆様、ほんとにありがとうございました!そしてこれからもよろしくです・・・。合否が出れば、あ、違った、合格すれば晴れて「カラーセラピスト」。セラピスト人生、始まったばかりです☆
2008.04.02
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先日の日記に書いた続きです。千変万化し、とらえきれない人のこころ。わからないからこそ、私たちは悩み傷つき遠回りし、喜んだりも悲しんだりもしてきました。それが人生さ。そう言いきれたらなんて素敵でしょう。分からないからこそ、出会いを大切にもし、いろんな人との出会いの中で自分を成長させることが出来た・・・。とはいえ、やっぱり人の心が分かればどんなに人間関係がスムーズになるだろう。そう考えずにはいられません。さてさてこの「四魂の窓」。先日の日記に書いた問い、覚えてますか?あなたはどちらかというと「ドライ」ですか「ウエット」ですか?あなたはどちらかというと「クール」ですか「ホット」ですか?これは伝わってくるものから本質を掴むというものです。人は話す内容を超えて何かを伝えている。それは話している人すら意識していないこともしばしばあるようです。その「何が伝わってくるか」に注意を払うことで自分の人を見分ける力をさらに深めていくというもの。それは上記のたった二つの観点から相手を感じることによって可能になる、この「人の見方」が四魂の窓なのです。先ほどの問いの回答です。「ドライ=合理的」で「ホット=情熱的」なら「勇」ベース。行動する・・・達成的傾聴ーできるかどうか。使えるかどうか。「ドライ=合理的」で「クール=冷静」なら「智」ベース。考える・・・評価的傾聴ーわかるかどうか。優れているかどうか。「ウェット=情緒的」で「ホット=情熱的」なら「愛」ベース。尽くす・・・献身的傾聴ー好きかどうか。何をしてあげられるか。「ウェット=情緒的」で「クール=冷静」なら「親」ベース。調和する・・・親和的傾聴ー関係あるかどうか。自分の役割は何か。いかがでしたか~ん???さて、それぞれどんな世界観があるのでしょう・・・。「勇」の世界観人 生- 物事を前進させるために行動する人生(達成)価値観- 達成本位・・・行動すること、達成することが大切聴き方- できるかどうか人の批判-単細胞、無茶をする、残酷思 考- やってみないとわからない不 安- 誰もついてこない、孤独だ心の秘密-(邪魔をされると)潰してやる、このやろう使 命- 大儀のために前進し、切り拓いていく使命 「智」の世界観人 生- 自分なりの美意識を貫き興味を探求する人生(興味)価値観- 興味本位・・・美しいこと、理解できること、面白いことが大切聴き方- 理解できるかどうか、美しいかどうか人の批判-冷たい、理屈ばっかり、考えてばかりで行動しない、臆病思 考- 失敗したくない、無駄なことしたくない、他の方法がある不 安- 能力がない、底が知れる、馬鹿だと思われたくない心の秘密-(理屈に合わないと)なんて無駄な、センスがない使 命- 物事の心理を探求する尊い使命「愛」の世界観人 生- 互いに必要とされ幸せを求める人生(相愛)価値観- 愛情本位・・・気持ちが通じるかどうかが大切聴き方- 何をしてあげられるか、好きか嫌いか、気に入るかどうか人の批判-自分勝手、迷惑をかける、暑苦しい、話が長い思 考- 何をしてあげられるだろうか?不 安- 嫌われている、必要とされていない心の秘密-(わかってもらえないと)許せない、同じ空気を吸いたくない使 命- 人を育て癒し、無償の愛を与える使命「親」の世界観人 生- 自分を律し周囲に平和を創る人生(平和)価値観- 関係本位・・・調和を保つこと、関係を保つことが大切聴き方- 自分の役割は何か、関係あるかどうか、皆の役に立つか人の批判-自分がない、何を考えているのかわからない思 考- タイミングは?用意周到、段取り不 安- 仲間はずれにされるかも、皆の役にたっていないかも心の秘密-(場を乱されると)空気を読めよ、気を利かせろよ使 命- 皆の和合のために貢献する使命そしてさらに自分がどの魂が強いかで、他の魂が強い人にたいする見方も変わってくるのです。「勇」は「智」を理屈だけで行動しない「愛」を感情的に判断「親」を妥協する「智」は「勇」を考えなしで行動する「愛」を情に流される「親」をポリシーがない「愛」は「勇」を思いやりがない「智」を理屈が多い「親」を本当は冷たい「親」は「勇」を和を乱す「智」を独りよがりな「愛」を好き嫌いの激しいただ、人の心はやっぱり単純ではなく・・。本当の自分を隠している「隠れ○○」な人もいるよう。幼い頃の親との関わり、社会に出てからの自分の役割。いろんな体験、経験から自分を防衛するようになり、本来の自分を隠してしまうそれが生きるコツになってしまっていたりもします。その封印をとき、本来の自分を別な魂で隠すのではなく自分の中の魂を認め、他の魂を鍛えて成長させ表現していくことが出来るようになる、四つの魂を見分け、統御できるようになっていく、つまり「四魂の窓」を超えていけると本当の意味で自由に人生に関われるようになり、より豊かな人生を歩んでいけるよう。ふだんの私たちは自分の価値観や心情に捕らわれおぼれているかもしれません。「人は自分と同じように見ている」と。自分と異なる、特に対極にいる人たちとは摩擦を起こしがちであり受入れがたく違和感があり遠ざけてしまいがち。けれどそれは自分の世界からのみ物を見がちな私たちに違う世界があること、それは自分の選択肢を広げる力を与えてくれるともいえるのですよね。家庭や仕事における人間関係の対立、価値観や好みの対立、さらには国を超えた政治や経済の対立、宗教の対立そして世界の歴史上では民族レベルで復習の連鎖が果てしなく続いているこれらの対立と復讐の連の源の一つが人間のもつ異なる魂の葛藤、この魂の違いが心の垣根を作り出しているかもしれません。もし人の魂やその奥にある人生の使命を互いに掴み共有できるようになったら私たちにはこれらの対立を超えることが出来る第一歩を踏み出せるのかもしれない。そんなことを今回の講師であり、以下の本の著者である出口光さんはおっしゃってました。詳しくはなかなか奥が深くて面白いです。
2008.03.28
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「人」ってなんだろう・・。小さい頃からそんなことを思ってきました。私は何故いま生きているのか何のために何故ここでこの家族のもとに・・・。人生を探求する。楽しいことも嬉しいことも辛いことも寂しいことも目の前の現実から決して逃げないこと。どんな日々も楽しむこと。答えを探す旅。今、たくさんの素晴らしい方々との出会いの中で多くの気づきと学びがあります。ほんとにたくさんの人が悩んだり傷ついたりあるいは自分の使命のもとに人生を力強く生きている私には何がしたいのだろう。私には何が出来るのだろう。そんなことを考えながら、日々勉強をしております。そんな中で出会ったものの一つ、それが「四魂の窓」。これは一霊四魂という考え方。なんとこの由来は、古事記・日本書紀にまで遡るそう。私たちの心、すなわち霊魂は一霊と四魂とから成り立っています。一霊とは直霊。直霊の霊ともいい、魂の内奥にある最も純粋にして至善、至美の霊魂です。いわゆる「良心」といわれるものが、この直霊の働きのこと。四魂とは、荒魂、和魂、幸魂、奇魂の四魂。人の霊魂の中にはこの四つの魂が働いて、荒魂は勇、和魂は親、幸魂は愛、奇魂は智を受け持っているそう。この魂の構造が、実は米国の心理学の主流であるパーソナリティ理論の5因子論、人間の性格はこの五つでとらえられることが出来るという考え方ですが、外向性温厚性良心性情緒安定性知性と酷似しているようなのです。心理学の世界で分けられた基本的性格や私たちが好きな例えば「姓名判断」「血液型占い」「動物占い」等‥は基本的性格が決定づけられてしまえば変化、発展していきません。あなたはこういう人です。そう決定づけられてしまったら、一生そのままの性格を背負って生きることになるのです。でも、人の性格って、果たしてそんなものでしょうか?血液型も星座も干支も、大別すればそのグループに当てはまるのかもしれません。それでもその考えは生年月日があればあるいは血液型を知ればその人を全く知らなくとも判定出来てしまうのです。そんなものでしょうか?私が企業で働いていた時一時期自分のグループ10人が、たった1人を除いて全員O型だったことがありました。じゃあその人たちはみんな同じか?いやいや、その性格たるや1人も似てはおらず、物事の受け取り方も違ければ一つの課題への取り組み方も全く違うし大雑把な人もいればめちゃめちゃ細かい人もおり、先頭きって進んでいくのが大好きな人もいればそんな人を冷ややかに見つめる醒めた人もいらっしゃいました。グループで行動するのが好きな人、1人で動くのが好きな人。机がきれいで整理整頓されてる人。いつも物を探している人。要件を手短に話せる人、まわりくどすぎて結局何を言ってるのか分からないような人。ほんとにいろいろいろいろ、いろいろです。それでも人は相手のことを知りたがり、何かで人を判断したいと思うのですよね。この四魂の考え方は自分の心にはこのすべてを併せ持ち、今はそのうちのいずれかか強く表に出ている。けれど、人生の中であらゆる学び、気づきを得て自分自身を成長させていくことでこのすべてが磨かれ、成長し、発展していく・・・性格、考え方はいかようにでも変わっていくもの。そして、人の本質は相手ときちんと向かい合い、その人を見つめていくことで見えてくるもの。そこに大きく惹かれました。さて、今現在の自分の性格。この四魂のうち、どの部分が表に強く出ているか簡単に分かる方法があるのです。それがあなたはどちらかというと「ドライ」ですか「ウエット」ですか?あなたはどちらかというと「クール」ですか「ホット」ですか?この二つの質問です。もちろん簡単に・・・ですから、実際の判断はもっと細かい質問に答えていくんですけど、この質問だけでも結構わかってきます。もちろんみんなどっちもあるとは思います。それでも「自分はどっちが強いかな・・。」そんな風に考えてみてください。「四魂の窓」は4種の四魂をもった人たちが、お互いをどのように見ているかを示したもの。自分はいつもどのように人を観ているんだろう・・。その傾向がわかるのです。これがなかなか面白い!人にはそれぞれの天命があり、それを実行するように特定の世界観で世の中を観るように動かされている。一人ひとりの果たす役割が違うために、お互いの特長が欠点として映り、お互いを否定しているそうです。もしも相手が持つ特有の聴き方を知り、そこから相手がどのような世界に住んでいるのかを掴むことができれば、相手が自分の話をどのように聴き、どのように批判するかの傾向を掴むことができますね。その解説はまたこんど。自分はどっちだろう。あの人はどうだろう・・・。ちょっぴり考えてみてくださいねん♪
2008.03.24
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『ガイアに響け はだかの魂 』雑誌アネモネ主催の「地球交響曲第6番」上映会&「山根麻以+ Visions 」のスペシャル Live に行って来ました。ガイアシンフォニーの~ 全ての存在は響き合っている ~「音を観て、光を聴く」旅も心に優しくて存在そのものが美しいのだと感じられてとても良かったけれど初めて聞いた「山根麻以」、ほんとに、本当に大・大・大感動なLIVEでした!最初からもうずっと涙が溢れてきて私はずっと泣きっぱなし。こんなに心がふるえ、胸がいっぱいのLiveは初めて!!!強く、優しい彼女の歌声やステージで舞ってる姿をみていたらそれこそ「卑弥呼」がいた時代、こうして人々を導いていた女性指導者ってこんな感じなんだろぉなぁ~なんて思ってしまいました。ほんと、神々しかったです。とってもとってもお薦めです・・・。ふつうの唄ひとりの朝 風が吹く朝心に雨のおちる朝どこに居ても誰と居ても何故こんなに君はひとりそんな日には体残して夢のなかへ旅に出かけよう昔行ったあの森のみちゆれるこもれびみどりの風ひとみとじてその両腕で自分のこと抱きしめてみてずっとずっと抱きしめていて自分のこと愛してあげて君の中に神様はある君に出会うのを待っているその人はいつも君をみていた君を君だけをみつめていたそして君をただ愛していた君を君のまま愛していたその人は愛 愛こそが君踊れ光り 愛こそが君おそれないで悲しまないで忘れないで愛こそが君君がここにいるから夢は動きはじめる君が君でいるから愛が今おりてくる愛は命 愛はよろこび永遠の唄 ふつうの唄愛は命 愛はよろこび永遠は今
2008.03.16
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仙台に帰ってました。久しぶりの・・とはいえ、3ケ月ぶりではありますが、ただ今仙台は建設ラッシュ。駅前・・・というか隣に夏オープン予定のパルコも随分出来上がってきたり市内いたるところに建てられているホテルもマンションもちゃくちゃくとその姿を現し始めておりました。懐かしい仙台でありましたがいつか私の知らない街になっていくんだな・・・。そんなことを感じて少しだけ寂しい気持ちにもなりました。それでも急遽帰った割には多くの友人と会うことが出来、話のなりゆきからアセンションについてなんかも話したりしました。今、みんなの意識の中に少しずつ芽生えてきている思いなのかもしれません。今この時代に生きている私たちは みんなアセンションに向かっていく使命を持っている。 それには1人1人、みんなの気持ちが変わっていくことが必要だったりします。 みんなで次の時代に向かう。 1人も落ちこぼれることなく。 それには自分を信じる・・ということが 何より大切。 自分を信じられないと 結局は何かに頼ろうとしてしまう。 世間一般の考え方だったり 当たり障りのない生き方だったり。 けれどそれは自分を大切にしてないことになる。 自分の中で違和感を感じていたとしても 他の何かと照らし合わせて 自分の思いを変えてしまっている。 だからどんなことも他人任せになってしまうし、 聞いた話も心に深く落ちてはこない。 忘れてしまうということになる。 私も今自分を信じることとの戦いですわ。 ずっと自分を卑下して 自分を大切にしてこなかったから・・・。 今ようやく歩き出したけれど、自分をみつめていくのは結構しんどくて涙もいっぱい出てくる日々です。 それでもほとんど明け方までしゃべったりして嬉しい寝不足の日々にそして1人じゃないということそれがどれだけ自分自身を暖めてくれるのか・・・そんなことを感じた数日間となりました。母とも遅くまで話をしました。母はまだ私が東京に行ったことを喜んではおらず、自分たちを置いて出て行ったそんな風に感じています。親としての子供への夢、希望・・・・。それはとても身勝手な思いであり子供の人格など考えてはおらず未来に対する不安や恐怖の中で今を生きているものではありますがそれでももし私がこんな娘でなかったならごく世間一般的な生活を良しとし、毎日の生活の中で何かがおかしい、こんな筈じゃないとか思いながらも日々のあれやこれやで自分自身を紛らわすことが出来る人だったら母にとってはよかったのかもしれないなそんなことを考えなくもなかったりします。もちろん私が母を選んで生まれてきたように母も私を選び今生でこのような体験をすることを学びとしてきたはずだからこれでいいのだと私はそのことから逃げるのではなくきちんと向き合っていくことが大切なのだとそんなことを思いながらいろいろと話をしてきました。離れてしまうと通じ合えなくなってしまうことってありますね。誤解が誤解をよんでしまったり他の人からの話でねじれてしまったりそれでも泣きながらでも随分話をして少し気持ちが通じ合えたように感じました。次回戻った時また振り出しに戻ってるかもしれないけれど・・(^o^;母はずっと寂しかったのだと思います。誰しもが「幸せになりたい」という思いがある。その幸せというはかりが目の前に物質化されたものは手にとってわかりやすいものだからそれに憧れるしそれは一時自分を満足させてもくれるしそれが素敵に見えることだってある。本当の幸せ自分に近ければ近いほど伝えるのは難しい。それでも愛をもって少しずつ伝えていこうそんなことを思っています。
2008.03.14
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例によっていつものごとくまた彼と言い合いをしておりました。それは能登半島にある老舗旅館「加賀屋」のおかみさんを特集していたテレビを見ていたときのこと。つまんないことながら「能登半島って何県だっけ?」それはそんな単純な会話から始まったのでした。「石川県だよ」「えっ、石川は内陸だろ?富山だろう」「いやいや、富山は石川の北隣だよ。石川は福井と富山の間。能登は石川県だよ」「いやいや違うって」「いやいやそうだって」この会話をしばし続け、ぜんぜんわかってくれない彼に対し「じゃあ日本地図持ってきたら?」私はこの会話に疲れておりどうでもいいから会話を終わらせたかったのでした。私の言うことを信じないなら地図でもネットでも見れば正しいことがわかる。その時彼は言ったのでした「なんで鬼の首とったようになるの?」はあっ?何言ってんの・・・「俺は間違えているんじゃない。勘違いしてるんや。」どう違うんじゃ・・・( ̄。 ̄ )その時は彼の言っている意味が全くわからず、じゃあ私はどう返事をすればよかったんだとそういう言い合いをしていたのでした。どうしても納得がいかなかった私は翌日またその話をいたしました。どうすればよかったのか。だってこれは個人的意見の相違とかではなく明らかに正誤で解決出来ることじゃないのかと。私の回答の、何が問題なの・・・・?。君はいつも決着をつけようとしているんだ。いい悪い正しい正しくない間違っている間違ってないそうしていっつも正しい人と間違っている人を作りだしているそれは前に君が言っていた「世界の平和は家庭の食卓から・・・・」(これは正しくは私が言った言葉ではもちろんなく、岡山で自然食の民宿『わら』を経営しながら自然食の素晴らしさについて全国各地で講演されている船越さんが話されてたことで要約すると、家庭の夫婦の言い合いも、世界で今起こっている戦争も正当性の押し付けだ・・・という話です)まさにそのことじゃないのかと。どっちが正しい、正しくない。全てをそうして決着つけようとすると自分が不自由になっていくよ。例えばご両親だってこれからもっと年老いていく。どんどん訳がわからなくなっていくしものもこぼすし理屈が通らなくなる。正しいことを求めていたらどんどん嫌いになっていくよ。そうだった。私は自分が正しい、あんたは間違っている。自分の正しさを押し出すのではなく受け入れるそこでいつも自分の中で葛藤していたのでした。こんなことも・・・。どんなことも全てはそこにいきつくのねん。あー、それにしても些細な日常の、そんなところに常に課題は潜んでいたのですよ。むずかしーっす・・・(x_x;)。
2008.03.04
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中丸薫さん、ご存知でしょうか。国際政治評論家という肩書きになっています。最近かなり短期間に何冊もの本を執筆なされ、本屋さんでも横積みされているので存知の方も多いことと思いますが、明治天皇のお孫さんとして中国で生まれその後数奇な運命のもと世界180カ国以上を回り金融王ロスチャイルド、ロックフェラー、フセイン、ハリウッド女優他数多くの世界のトップリーダー、著名人を歴訪しインタビューするというジャーナリストとして大活躍をされた方です。各界のリーダーたちとの出会いを通して「生まれた環境や立場に違いがあろうと、すべての人々の心の奥底には共通した平和の願いがある」そう実感され、「真の世界平和とは、この地球上に住む私たち一人ひとりの心に平和の願いが宿ったとき初めて実現される」と確信されたそうです。「一人ひとりが、太陽のように調和ある゛まろやかな心゛を輝かせ、共に真の人間復興を基とした世界平和に向けてたちあがってほしい」という願いのもとに『太陽の会』を発足し、講演会や研修会などを行っています。今回の講演会は第一部では世界経済について第二部では世界の移り変わりの中でこれからの私たちの心のありようについて語られてました。その中で心に残ったメッセージは「手放す」ということでした。明治天皇の孫という立場またジャーナリストとして世界中を飛び回って活躍されていた中丸さんには何の不自由もない生活だったことと思います。それでも自分が2012年のアセンションに向かってさまざまなメッセージを伝える使命があるのだと知った時今までの自分に違和感を感じたのだそうです。ジャーナリストとして忙しく動き回る今の状態では大切なことを伝えていく時間がない。そう思われてマスコミを通じて活動するという今までの一切を辞め家も売り払い自費でアメリカに渡り、活動を始めたのだそうです。マスコミが欲しがる情報を発信してお金を得るのではなく自分が伝えたいことを伝えられるようにしたのだそう・・・。それからは裏方の仕事や底辺と言われているような仕事も自ら積極的に行ったのだそうです。本当の世界平和を伝えていくには人の痛みがわかる人間にならないと出来ないそのようなことをおっしゃっていました。生まれた時から身分高く何の不自由もなく過ごして来られた方が表舞台ではなく裏方にまわられるというのは言葉で言うのは簡単ですがなかなか出来ることではないと思います。それでも今までの生活に執着することなく手放すことによって自由になり初めて自分を生きることができるのですね。仕事を辞めさせられたと言ってパニックになる人がいるけれどどんなことも魂の成長させるための体験なのだとそんな話をされていました。どんなこともそういった観点から見ることが出来れば全ての出来事には悪いことなどなく全てのことに意味があるのですよね。私も今までの執着を手放してみました。みせかけの安定・安心の生活を手放し親からも今までの友人たちからも離れてみました。リセットしてみよう。そうして本当の自分自身を生きてみようそこには自由でとても身軽になった自分がいます。リセットしたことはけれどなくした訳ではないんですよね。全てのことが自分の肥やしとなって成長につながっていくのだと思います。自分を信じること。小学校のPTA会長をしていた知人と話していた時彼は周りのみんなと上手くやっていくことが大切なのだと話していました。学校給食で出る牛乳の話をしていたのですが、牛乳などの乳製品を消化吸収するためにはラクターゼと言う酵素が必要です。残念ながらほとんどの哺乳動物や日本人は離乳後、消化酵素ラクターゼの活性が低下するという性質を持っているそうです。なので、牛乳などを飲むと乳糖の処理ができず、『乳糖不耐症』の原因になる事がわかっています。さらには、カルシウムの排泄が促進される。つまり、口からたくさんカルシウムを摂っているつもりでも、排泄される量のほうが多くなり、体内のカルシウム量が、実は牛乳を飲むことによってそれ以前より少なくなる事がわかっているそうです。このことについてはいろいろ反論もあるかとは思います。けれど、自分の信念があっても突出してしまうと、例えば子供がいじめにあったりつまはじきにされるのは困る何で学校で飲ませるんだ!と怒りながらも仕方ないことなのだと自分の信念を曲げてしまう。私が知っている何人もの方はたとえ変人扱いされても自分が正しいと思うことを貫き通されてる方もたくさんいました。子供の頃は大変な親を持ったなあと思ったけれど大人になってこの親でよかったって思うそう言っている人もいます。知人とは昔自己啓発セミナーで出会いました。自分自身の意識や脳力を高め、自己(自分)に対して自分で向上していく、向上心を養っていくようなセミナーに出ていてもそうした未来に向けて自分で作り上げた不安や恐怖の中から抜け出すのはほんとに難しいのだなあと改めて感じました。ほんとうは恐れや不安は自分が作り出しているもの。未来はこうなると勝手に創造し、創造するからその出来事が引き寄せられてくる。それも執着の一つなんですよね。あなたが執着しているものは何ですか・・・。
2008.03.03
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今カウンセラー&セラピストの資格を取るべくいろいろな勉強をしています。勉強していて何より大きな収穫は自分自身を知っていけるということだと思います。昨晩も彼と私のカウンセラーとしての仕事の話をしていてあまりにあっけらかんとどんどんやればいい♪上手くいかない筈はないよ・・・なんてことを言うので腹が立ってたんです(笑)!そして上手くいくことを自分自身が一番望んでいるはずなのに私は彼に上手くいくはずがないのだと言うことをあーでもない、こーでもないとひたすら言い続けていたんです( ̄∇ ̄;)。ずっとそれは小さい頃からずっとそうでした。上手くいくはずがないんだ小さい頃からとても好奇心の旺盛な子供だったように思います。いろんなことに興味があっていろんなことをやってみたくてけれどそのたびに自分に制限がかかっていたのですね。一流の大学に入る一流の会社に入る名声を得る高学歴・高収入の人と結婚する親にとっての幸せはそこにつきていました。だからそれ以外のことは幸せな道ではなかったのですね。テーブルコーディネートのお仕事をしている時もいつもつねに言われ続けましたそんなことしたって上手くいくはずがないそんなことしても無駄だとそんな親に反発しいつも言い合いしていました。それでもやはり親に愛されたいという心理が働いていたのですね。親の望むよい子であろうと無意識にしていました。そうすれば愛される潜在意識の私はそんなことを感じていたのだと思います。二足のわらじを履いていたのもいつも帰る場所を確保していたそれは何処かで自分には出来る筈がないんだ安全、安定してこそ自分のやりたいことが出来るのだとだからテーブルの仕事が広がっていくことに実は何処かで不安を感じていました。クライアントから望まれれば望まれるほどにそこから逃げたくなっていったのです。やり続けるごとに成功している人をみては自分の才能のなさに失望したり勝手に限界を作って嫌になっていって・・。テーブルの勉強を始めようとした頃にお付き合いしていた彼にも言われました奥さんは専業主婦で自分をサポートしてほしい表舞台には出て欲しくないという考えの彼もそんなのは才能がある人がやるもんだやっても無駄だよ・・・会社勤めをしていた頃与えられた仕事をこなしながら私は常に自分が役に立つ人間であろうと努めてきたように思います。会社にとって必要な自分でいようといつも自分を追い込んで。カウンセリングの勉強の中でカラーグラスを使ったセラピーの勉強もしています。ユング心理学が基になっているのですがガラスに12色の色がついた三角形のグラス片をトレイに並べてもらい心の奥底を表現してもらうのです。箱庭療法やアートセラピーのようなものです。ロールプレイをしながら私は自分の傾向に気づいてきました。どうしてもバランスが気になってしまうのです。色のバランス置く位置置く数美しさ・・・いつもそこから抜け出せないでいるのでした。他の人がいろんな色を使っているのをみて綺麗だなって思ってもいざ自分が使おうとするとそんなことにだけ意識がいってしまうのですね。そこから抜け出せるといいですね。きっと大きく飛躍していけますよ。先生にそう言われてああまた自分はその渦の中にいたのだと気づき・・・。彼と言い合いしたあと顔も洗わずそのままホットカーペットでぬくぬく寝てしまい( ̄∇ ̄;)先ほど顔を洗いながら自分に制限をかけている自分自身と対話してました。そこにあるのは何なのかありもしない不安におびえ自分をこんな人間なのだと決めている自分自身いつもそのことに反発し人には無限の可能性があるのだと思いながらも自分が一番その可能性を否定していること。ずっとダメだダメだといわれ続けていたのでやったらいいよそう言われることが逆に不安に思ってしまう自分面白いね。人は目覚めた朝3時~5時くらいが啓示を受け取りやすいと聞いたことがあります別にどこからも声が聞こえた訳ではありませんが(笑)今自分がとても素直になっているのを感じています。自分が勝手に作り出した不安や恐怖というものをとりさってただ素直に目の前で起こる全ての出来事をギフトとして受け取っていこう・・・そんな気持ちになれています。朝ってやっぱりいいねっ☆
2008.02.29
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リンクを貼ってくださってるみなさま、お久しぶりです。そして初めてブログを覗いてくださったかた、はじめまして♪ブログを書かなくなってからずいぶん時がたちました。その間本当にいろいろな出来事があり・・今わたしは 東京で暮らしています。書きたいことはたくさんあったのだけれど自分がどこを向いてどう歩いているのか、どう歩いていきたいのかたくさんたくさん悩み言葉に紡ぐのが難しくなっておりました。本来の自分のなるとは人が生きるという意味は今この時代にこの日本という場所で自分が生きているということはどういうことなのだろう・・・。ずいぶんとスピリチュアルな世界も垣間見たくさんの精神本も読みワークショップにも参加しました。自己啓発にも参加したりいわゆるビジネスで成功していると言われる方にも会いました。そうしてたくさんのいろいろな方とお会いする中で壮絶な人生を歩まれている方も日常の生活に日々追われている方も病の方も聖人君主のような方も家庭の主婦もビジネスマンもみんな一緒でそれぞれに傷つき 悩み 時に自分を磨き時に挫折しそんな日々こそが美しく目的がわからなくてもわかっても人は何処かへ向かって歩き続けているのだとその日々にこそ喜びがあり楽しみもありそして美しいのだと感じました。自分で作り出した不安から脱し私は私らしく生きてみよう。誰かが作り出した世界の中で生きるのではなく自分の人生を自由に描いてみよう。守られ、支えられてきた暖かな家の扉を開けようやく自分自身の足で歩き出したのです。本当の自分になるために人生を本気で楽しむために・・・。今日は2月7日、新月です。旧暦では、「立春」に一番近い新月の日を1月1日としていたそうです。新しいことを始めるのに今日はなんと素敵な日なのでしょう♪だから今日からまたブログをはじめます。私が出会ってきた素敵な人たち素敵なもの素敵な本そんな世の中にたっくさんある輝いている素敵たちを自分の中にしまっておくのはもったいない。どんどんみなさんに発信していきたい。私がその情報に出会って喜んだように誰かが何処かで待っているかもしれませんもんね♪誰かの気持ちがほっと緩みますように誰かの気持ちがウキウキしてきますようにそんなことを願いながら・・・・。ブログ再開です。これからどうぞ宜しくお願いいたします。
2008.02.07
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昨年女神山でであった「kazesan」こと写真家「桝野正博」さんの初写真集!「あめつちのしづかなる日」手元に届いたその小さな写真集はひとつひとつが違う表情をもつ布貼りで出来ているなんと手作り感いっぱいで、あたたかな写真集なんでしょう!ほんとにいつまでも少年のような「kazesan」にぴったりだ。ページをめくると幼い頃に原っぱに寝っ転がって遊んでいた、青臭い草の香り柔らかで少し暖かい土の感触そんな記憶がよみがえってくる待ちに待った写真集。私の友人みんなに「みてみて!」って言いたいからお嫁にいくあなたにお誕生日のあなたにそして大好きなあなたに・・・・・
2006.09.28
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お仕事で東京に来たついでに、急に思い立って予定を変更し、御嶽にやって来ました。6月に同窓会で来たときは予定が詰まりすぎてて神社にお詣りすら出来ず…だったので、まずは御嶽神社へ。もう夕方だったので爽やかな風が吹いていて、心が穏やかな気持ちになっていく来て良かった…。夕食後に、宿坊オーナーであり、御嶽神社元神職の橋本さん(やりたいこといっぱいあるからと昨年神職を辞められたとか(^o^;)による瞑想指導とクリスタルボールの演奏を聴く。この振動、身体の細胞が喜んでる感じがいつもする、ほんとに幸せ気分になれる不思議な楽器。多分この場所は私にあっているのでしょう。とても気持ちがすっきりと晴れやかになれるのです。瞑想、呼吸指導を受け、ぶれていた自分の芯が整ったきがします。ほんとに自分がしたいことって何なのか、ずっと自分探ししてるのに見つからない。どうやって見つけていくのでしょう…もし何の制約もなかったら、自由だったら、心配することが何もなかったら、何がしたい?それがほんとにしたいことなんじゃないかな。そうして自分に問いかけていってみたら…。足りない物があると自分にどんどん足していくのではなく、ほんとはいらない物をどんどん捨てていけば、残ったものが自分に本当に必要なものなんだよね…。それで生きていかねばならないと自分を縛る必要なんかないんじゃないかな。現実を生きる自分と別な自分を持っていてもいんじゃない?そうほんとは自分でもわかっていた現実的じゃない、しがらみがある、食べていけない、他人の目がある、そんなことで自分で自分に勝手に制約をつけていた私。やっぱりここに来て良かった…なんか霧が晴れた気持ちになる。さ、明日は滝業。もう寝なきゃ。あっ、もう今日になってしまった(>_
2006.08.05
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昨日父の手術が無事終わりました・・・。大学病院で行なわれたのですが、仙台では始めての方法。東京からその手の権威の先生がいらっしゃり、モニターを使った講義もまじえ、なんと6時間近くもかかってました。学生さんなど多くの見学者も加わった、まさにモルモット状態での手術。まあ、初めてというのはやはりいつも以上に緊張感を持って行なわれますから成功率はやっぱり高いものですよね。患者さんは大変だけれど完璧にちかい手術だったらしく、とりあえずよかった。先日父の仕事仲間が亡くなりました。私も幼い頃から良く知っていて、母などは毎日のように会っている親しいご近所さんでした。だからもちろん私も小父さんが具合悪いことを知っていた。いたけれど・・・小父さんは亡くなる数日前に検査入院から自宅に戻ってきていた。だから亡くなったと一報が入ったときにはえっ、誰が・・・?そんな感じ。だって検査して帰ってきたんじゃない。あっけないとはこういうことを言うのでしょうか・・・。お通夜の席。小母さんがとても小さく小さくみえた。「お父さんがねぇ、お父さんはねぇ・・・。」しょっちゅう会話の中に出てくる小母さんの、小父さんを呼ぶ声がよみがえってくる。何処にいくのも一緒の、ほんとに仲の良い夫婦だった・・・。お寺は仏国寺でした。小父さんの遺影の背後には雲にのった観音さまがたくさんいらっしゃった。なんだかそのまま極楽浄土に連れて行ったくださりそうで、2人でここにお墓を決めたのだそう。雲にのって極楽浄土に向かう小父さんを想像してちょっと微笑んでしまった。小父さんきっとほんとに幸せな人生だったね。お家で一人ぼっちの小母さんだけどこれからも母が一緒にいますからね。たくさんの方の弔問を受けている小父さん街中から少し離れたこの場所にみんなが集ってくれて幸せね。そんなことを考えつつ、でもその時の私は参列している父のことが気がかりだった。父はどんなことを考えているのだろう。表情には決して表さない父だけれど同じ年代の古くから知っている友人の死。週明けには入院して手術することが決まっていた矢先だけに、どんなにかショックだろうと。それでも自分の今生での人生も終わりが見え隠れしてきた今、周りの人を見送りながら自分の人生というものをゆっくりと振り返る時間をもらった父はやっぱり幸せなんだな。そんなことを思う。手術前に私は父から書類を渡されていた。「もし万が一何かあったときには開封しなさい。遺言の一部とかが入っている。無事退院してきたら返してもらうから。」書類を受取りながらそんなこと考えたくないっ・・・などという年齢ではなくなっている自分が少し恨めしくもあった。こういう時ほんとはどんな言葉を言えばいいのだろう。どんな顔をすべきなのかな。どうすべきかわからないまま小さくはいと返事をして受取るあぁ、何もわからないままにこの歳になってしまった私。ずっと子供のままでいられればよかったのに・・現実逃避したい気持ちにちょっぴりなる。でも・・・次女に生まれしかも女である私が(ちょっと男女差別的な発言ですけど)何故かそういう一切を取り仕切ることになるそういう役割を私は持っているのですね。手術前の医師からの説明も母と一緒に聞く。「あなたがいるから安心だわ」そんなことを母に言われるけれどほんとは何にもわかっちゃいないのだ。いないけれど私がしっかりしなくっちゃ・・・・とだけとりあえず思う。どうしっかりかはでもさっぱりわかっていないこんなんでいいのかな。ほんとは誰かに「ど~ぞ宜しくお願いしますっ!」とおじぎしてバトンを渡したいところだけれどこれは私の学びなのですね、かみさま。そうして悩みつつも少しずつ心の準備をさせてもらえている。それってなんと幸せでありがたいことか。日々感謝の毎日を過ごしています。
2006.07.21
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昨日もつぶやいてみましたがっなんだかだい~ぶ、だい~ぶ、あいてしまいました・・・。4月半ばに北陸に旅行したあと、岩手や東京や・・・の他にお仕事で台湾にも行ってました。仙台でイベントを行なう・・・なんて話も(これは前からあったのですが)本格的に内容を詰めていくことになったり実家に戻ったことで24時間を自分ひとりで使うことが出来なくなり家族が入院して手術する・・・なんてことにもなりました。両親の今生の人生の中で少し終わりが見え隠れしてきてだから家族とご飯食べてお茶飲んでおやつもつまんでTVを一緒に観ながら話をすることも片付けたりすることも・・・私のこなさなければならない業務のようになりなんだか日々バタバタでPCの前に座るより寝たい。そんな毎日を過ごしてました。その間もまたたくさんの素敵な方々にお会いしました。そしていただいたたくさんの気づきと学びの中ででも心の整理をする間もなくあ゛~っ・・・・て感じ( ̄∇ ̄;)さて、台湾でのことを少し。半分お仕事で行ったのですが(いつも半分な私(笑)台湾で働いている日本の方に何人もお会いいたしました。初めて行った台湾は映画の「三丁目の夕日」チックな街つまり、戦後復興に沸く、ゴミゴミして、でも人情に溢れたこれからという勢いのある街・・・みたいな印象。でもこんな茶目っ気のある町でもあります。台湾の方は世界一の親日派と言われているようですけれどほんとにそんな感じでした。おそらく台湾語(主流は北京語のようです)しか離せないであろうタクシーの運転手さんは知ってる単語で一生懸命コミュニケーションをとろうとしてくれます。「SOGO(ソゴー)」とか言って(^0^ゞ車を走らせながら日本語で書かれている観光マップを広げて(危ないっちゅ~のね~)単語を並べて一生懸命何か言えることはないかとさがす姿はちょっとした感動ものでもありましたマップをぐるぐる回しながら路上に立っている私に「どうしましたか?」なぁんて日本語で話しかけてくださる方もいらしたし・・・。フカヒレの姿煮とか小龍包とか美味しいものもたくさん食べて(いや食べ過ぎて)消化不良で苦しんだりもしていた(懲りない奴・・)楽しい旅行ではありましたけれどその旅行中考えさせられたのは家族という形態についてでした何人もの、台湾で働く日本人の方にお会いしたのですが単身赴任で働いている方がとても多いのです。その多くは子供の教育がネックで母と子供が日本に帰国・・・というパターンでした。「寂しい・・・」そうつぶやくお父さんたちを見ているとなんだかやるせなくなるものがありました。自分は何のために働いているのかそんなこと思っちゃうよな~・・・なんて駐在員の奥様ともお話をいたしました。「帰りたいの」台湾は自由な国・・・というかやや大雑把というかいい加減というか物事をきっちりやりたい人にはいらいらしてしまうことが多々ありそうですけれどアバウトな人には結構楽しい国なのかな~ここで何年も働いてた日本人の方はもう日本で働けないっなんておっしゃる方も多いよう。でも生活習慣や物事の考え方善悪の判断だって一人ひとり違うように国でも大きくことなってくる「これ作ったの~」なんてお惣菜やら菓子などたずさえてとなり近所の家にずかずかと上がりこむのが昔のご近所づきあいみたいでフランクでいいと感じる人もいればプライベートも何もあったもんじゃないとふつふつとストレスとして溜め込む人ともちろん国の違いだけではないですけれどそんな日々のあれことを、乗り越えられるかどうか楽しめるかどうかで気持ちも全く違うのですよね寂しそうな笑みを浮かべる彼女をみてこの人はいつか1人で日本へ帰ってしまうのだろうかご主人を置いて・・・ふとそんなことを思ってしまった。家族のありよう。どうであるべき・・・というのはないのだろうけれど離れ離れはやっぱり寂しいな。いつか子供が大人へと成長して巣立っていくまでは一緒でありたい今の日本では難しいのでしょうか先日NHKの特集で「食育」のことを放映していたのですけれど朝ごはんが「チョコバナナ」だけとか「カップラーメン&(多分栄養がなさそうだからと考えたのでしょう)サプリメント」とか「たこ焼き」そんな家族のなんと多いことか(◎o◎)!好きなものだけ食べるとか家族みんなが同じ食卓に集っても、それぞれが食べたいものを食べるという親子ばらばらな食事とか観ているうちにとっても哀しくなってきてしまいました好きも嫌いも一緒の食事をいろんな話をしながら味わえるそれって贅沢なことになっているのかもしれませんね。家族。みなさんは家族って何だと思いますか・・・・?
2006.06.27
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ご無沙汰いたしております・・・・。あまりにご無沙汰すぎて、日記を書くのがおっそろしくなってた私。相変わらず日々あちらこちらと飛んで歩っていていつもたくさんの学びをいただいていたのですけれどなんかいろんなことがありすぎちゃって喉元でだんごのような状態になっちょりました。出そうで出ない・・・って感じ(^o^;でもって「まっ、いっかぁ・・・」な性格も手伝ってこんなにのびのびになってしまっていたのでありました。しかぁしっ!「しばらく気になってたんだけど、ブログが更新されてないので、何かあったのかと心配しています。忙しいだけならいいんだけど…。入院でもしてたら…とか考えちゃって。」たまに会う友人や、個人的にメールくださる方もいらしたりして「最近忙しいのぉ~?」なぁんて優しい言葉をかけてはいただいていたもののてへへぇ~( ̄▽ ̄)なんてごまかしていた私。とうとう病人になったのではないか・・・と心配してくれる友人まで出てしまったのでした( ̄ロ ̄lll)!「きっと心配している人いると思うよ。元気だってだけでも書きなさい!メッ(-"-;)」うぇ~んっっっっ、ごめんなさいです。私はいつもと変わらず元気です。心配くださった皆様、ありがとう&ごめんなさい。なまけものの私をどうぞ許して~そうして気にかけてくれる友人達に感謝しつつまたつらつらと日記を書いていこうと思ってます。どうぞ宜しくお願いします(_ _)。
2006.06.26
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お仕事で金沢へ。金沢に行くのはなんと大学の卒業旅行以来だから、1○年ぶりのこと。ちょうど金曜日なので、そのまま旅行することに。金沢といえば、魂に響く美しき写真を撮る「kazesan」が白山に住んでいる。「あいたい・・・」お仕事の話が来たとき真っ先に思ったこと。でも。最近ぐっと年をとったように感じる父や能登に行きたいと言っていた母を連れて行ってあげたいな・・・と思い立ちなんと!車で仙台から行ってしまいました・・・。走行距離1300キロ!いや~、長かったっ。旅行前から思うことはただひとつ。無事で笑顔で「楽しかったね」そう家に帰ってきて絶対言おう!居眠り常習犯の私は東京へ車で何度か行ってたこともあるのですけれど睡魔に襲われて死ぬかスピードの出すぎで事故るかどっちがいいんだろう・・・そう真剣に悩むくらい、すぐに眠くなってしまうのです。でも今回は不思議なことに天使とご先祖と神さまにいっぱいいっぱいお願いをして休憩ではレイキを身体に取り入れていたせいかそれとも魅力がなくなったのか(なんのじゃっ)睡魔に襲われなかった(*^▽^*)!とても良いお天気にも恵まれ車窓から眺める景色のなんと美しいこと。見慣れた蔵王連邦も荘厳な面持ちで鎮座する館山連邦の美しさにも感激。そんな時間をもてたことに感謝しつつやや(やや?)ハイスピードにて金沢に到着!ホテルで両親と別れ私はお仕事へ。あ~、とりあえずここまで事故らなくてよかった・・・。この町並み、わかりますか?金沢の茶屋街です。なんと!!!夜のお茶屋さんに行ってしまいました・・・・。お茶屋さんってお茶を飲むところではもちろんなく、そう、芸妓さんを呼んで遊ぶところです。TVでしか観たことな~いっ。一見さんお断りのところに、初体験ですっ。行き先を聞いていなかったのでタクシーを降りてびっくり!だったのですが更に後ろから本物の芸妓さんが来たのでまたまたびっくり!ほんものだっ!ちょっとドキドキから始まったのですが早速に篠笛など聴かせてくれます。昔の造りの中でおしろいの匂いや香がほのかに香る空間でしっとりと流れる篠笛の音。そのまま時代をさかのぼっていってしまいそうな・・・。続いて三味線の音にあわせて、芸妓さんが舞ってくれます。首から真っ白に塗られたお化粧。目じりの紅がなんとも艶やかな色気を放つ。今まで感じたことがなかったけれどこうして舞っている芸妓さんはなんと妖しげな美しさを放っているのでしょう。はかなげなどこかもの悲しい美しさ。これってぱっちりお目々の洋風美人ではない控えめな日本人の顔がやっぱり日本髪には映えるしより一層美しく色っぽいことも発見!匂い立つってこういうことなのかしらん。そう、これってきっと日本女性独特のものかもしれません。そんなことを感じなから太鼓なんかのお遊びを。太鼓を叩きながら思ったこと。ここにも大切な日本の文化があるんだなということ。遊びといっても琴・三弦・舞・謡曲・茶の湯から和歌・俳諧に及ぶまでお客さんも芸妓さんもともに幅広く高い教養と技能が要求されるよう。江戸時代の華やかで粋な社交界。昔この世界に入っていった女性たち。今と違って職業に選択の自由などなかったでしょうからみな背中に重い荷物をしょっていたのでしょうか。それでもおかあさんからたくさんの芸事を教えてもらい自分の才能に気づき華やかな表の世界で芸を磨きこの世界で頂上を目指し花開いた女性もいたでしょう。ここで生きるしか道がないと生きているけど死んでいた女性もいたかもしれません愛を求めて激しく哀しい愛をつらぬいた女性もいたことでしょう華やかな世界の表側。ほんの少しだけど、垣間見れて楽しかった。こうして北陸旅の第一夜、金沢の夜はふけていったのでした・・・。
2006.05.12
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ひさしぶりに13うさぎさんや、うさぎさんと一緒に「まくろび庵」を営業している「わこうちゃん」とデート。あ、ちっともブログがupされないうさぎさんですが、元気ですっ(笑)!仙台以北(車だと1時間半くらいかな~っ)の色麻町に1.彫刻家でもあるご主人が作る、めちゃめちゃ美味しいお豆腐やさんがあってそれを食べに行く!2.LOHASな生活を実践しているRちゃん家に行って、庭に生えてるハーブや山菜を摘んで食べる!3.めちゃめちゃ濃いぃ仲間と朝まで盛り上がる!等々の目的でお出かけいたしました~っ。Rちゃん家はほんとにいろんな草花がある。「魔女」のようにハーブや山菜に詳しいうさぎさんが庭に飛んでって収穫した今夜のおかずたちっ♪菜の花のおひたし、セージのてんぷら、うどのサラダ、ふきやつくしの炒め物、その他これでもかあってくらいお料理として食卓にのぼっていきます。有機野菜を作っていらっしゃる地元の方もいらっしゃって、こんな美味しい山菜おこわも作って持ってきてくださった!いぃ~っぱいあった料理もあっという間に胃袋へと消えていきます・・。美味しい料理を食べながらいろんな話で盛り上がる。私は地元の有機野菜作りのお母さんと東北大卒という優秀な頭脳をもちながら破天荒な芸術家のご主人と結婚し、ただ今めちゃんこ(あっ、古い?)美味なお豆腐やさんのおかみさんになっている方といろんな話で盛り上がる。夫婦でバラバラな生活をしているけれど根本的な価値観が一致しているから尊敬出来るし夫婦でいられるそう。もっとも印象的だった話題は子育てについてだった。「私たちはね、子供に勉強しろって言ったことがないのよでも、ただ一つ、いつも言っていたことがあるの。それはね、あなたは世界中でたった1人なんだってこと」生まれたときから子供にも人権がある。だからいつも一人の人間として対等に付き合ってきた。幼いうちはなんでも周りと同じでありたいと思う。けれど、自分は他でもない、自分自身なのだとずっと言いつづけてきたのだと。その代わり忘れ物しても届けたことないし、中学校からはお弁当も自分で作らせてきた。高校以降は「学校行きたくない」なんて子供が言おうものなら、「あ~ら、じゃあ学校なんてやめちゃいなさい、学費がういて助かるわぁ。家でいっくらでも仕事あるわよ~っ」なんて言ってきたそう(^_^;)学校行かないなんて言わなくなったって(笑)子供・・・と言っても、もう私と同じくらいの年齢。その頃って、いい学校、いい会社に入ることがイコールいい人間であるなんて言われていた時代に個人を尊重した育て方をしてきた人がいるなんて・・・。衝撃。なんと素敵な生き方なのだろう。これから将来を担っていく子供たちに高くともその土地で作られたものをお金を出してあえて食べる。それがこれからの日本の生きる道だと伝えていきたいそうおっしゃっていた。またまた素敵な人に出会いたくさんのエッセンスをいただいたすっごく幸せな1日でした・・・・
2006.05.04
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bottle55番 キリスト。「豊かさ」 おかしい・・・。今までの私ではありえない、強い色を放つレッド。いつも涼やかな色、優しい色が大好きな私には珍しく強い個性の色・・。何故か強く惹かれたボトルです。「あなたが選ぶ色があなた自身なのです」オーラソーマは簡単にいえばカラーセラピーの一種。でっ、カラーセラピーとは何かというと、日常生活の中に「色」を取り入れて、身体やこころに安らぎを与え、バランスのとれた健康な状態を取り戻そうというヒーリングの方法とか。カラーセラピーについていうと、実は歴史も古く、古代エジプトや古代中国の時代から様々な形で「色」を使った治療が行われたという記録が残っているのだそう。 オーラソーマは、占星術やユダヤの秘教カバラ、中国の易、タロットなどの神秘の世界と深く関わっていて、その神秘の部分が、自分が知らなかった部分、今まで抑圧していた部分、もっと奥深い部分という、目には見えないけれど自分の人生に大きな影響を与えている部分に触れるのを助けてくれる。不思議なことに、自分が好きだと思う色、大切だと感じた色には、自分自身に関するあらゆる情報が含まれている。 このオーラソーマの目的は、ひとりひとりを本当の「やすらぎ」に導くこと。カウンセリングで導き出された自分に必要なカラーボトル、つまり「色」を毎日の生活の中に取り入れることによって、心身ともにリラックスした状態をクリエイトしていく。それがオーラソーマのカラーセラピー。 私がオーラソーマを初めて使ったのは今から5年前、1人暮らしを始めようと物件を探していたときでした。その時手にした色はMaha Chohan無意識のうちに感じているプレッシャーから自分を解放することができるようになる。自分の持ってきた思い込みによる古いパターンを手放し、自由を手に入れることができるようになる。すべてのものには「流れ」があり、あなた自身もその「流れ」に乗っているのだと実感し、信頼することができるようになるでしょう。 まさに後押しされているようなボトルが私の手元に届きました。今回東京にて会いたかった「ともちゃん」のところで久しぶりにオーラソーマを購入。それがこの55番でした。ともちゃん曰くこのボトルを使うことで私の中で「覚醒」が促されるらしい。友人から今年は大きく変化することになるよ、どうかそれを楽しんで・・・と、妖しげなことを言われていた私。より深く自分の内面に入り込んでいくことになるのかな。まっ、どんな日々も楽しんでいきたい。そう思っている、今日この頃です・・。
2006.05.02
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腰が痛いです・・・。新月の昨日引越をはじめきょういっぱいたぁ~っぷりかかってお引越完了。ふぅ~っ。とはいえ、引越先にはこんなに荷物があったのか・・・と思うほど大量の荷物がどっさりあります(^_^;)部屋から見える銀杏並木。ようやく新緑が芽生え始めました。これからが私の1番好きな若葉の季節です。街中に住んでいたわりには並木通りに面していたり裏が公園だったり図書館が近かったり・・・5年間住んでいたこの場所は大好きな場所でした。引越すことを決意して自分が納得するまで、ずいぶん探しまわりました。そしてこの場所をみつけ、自分のお城が出来たな~って毎日楽しかったっけ。1人暮らしですから当たり前なのですけれどぜぇんぶ自分が大好きなものに囲まれて好きな絵を飾っても花を好きなようにアレンジしてもう~ん、似合うっ!なんて一人悦にいっておりました(^。^) 楽しかったな~。ふと引越した頃のことを思い出します・・・引越当時、お掃除も炊事もその他もろもろいろんなことが楽しくて仕方がなかった日々でしたのに身体が気持ちと違う反応をしていたという不思議なことがありました。その当時忙しい日々での月1度の東京での勉強。とにかく身体も心も疲れていてよく気功を取り入れたマッサージをしてくださるところに通っていました。引越しして一月後。マッサージしてくださる先生が言ったのです。「何かあった?」「えっ・・・?何もないですよ」「そんな筈ないわよ、身体がこんなに冷えているもの」え~、なんだろう・・・。楽しい毎日だと顕在意識では思っていましたので私には先生の言う意味がわかりませんでした。「う~ん、よく判らないですけど変化したと言えば、1人暮らしを始めたくらいかな~・・・」「それよ!」「え~、なんででしょう!毎日楽しいですよぉ~?」先生曰く人の体温は自分ひとりのエネルギーではないのだそう。家族と暮らしている人は家族みんなからエネルギーをもらって自分の身体を温めている。1人暮らしを始めたばかりだと今までみんなからもらっていたエネルギー分を自分ひとりでつくりあげなければいけない。だから身体が冷えるのだと・・・。そういわれているうちに何故か涙が出てきて止まらなくなってしまいました。自分で生活したい。親元にいると甘えてしまう私はでも何処かでそういう自分が嫌でした。私は何かが欠けているのではないか。みんな自立してやっているいつまでも親に甘えていちゃいけないんだ。ここにいると私は自分がダメになってしまう・・・そんなことを思い始めた1人暮らし。ちゃんとできるじゃん!これからは自分で生きていくんだわ。バカなわたし。ちっとも気付かないで、表面的な楽しさにうかれていたけれどちゃんと身体はわかっていたんだ・・・・。どれだけ家族の人に深い愛情を与えられ、支えられて守られていたかということを。それを知るために私はやっぱりあの時期に一人で暮らすことが必要だったのだと思います。まっ、そのうちそんな気持ちも忘れちゃう、ダメな私なんですけどね~(笑)家具も何にもなくなった部屋で窓から見える銀杏並木を眺めながら五年前の小さな出来事を思い出しました。たくさんの気づきとたくさんの思い出と・・・ありがとう。
2006.04.29
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もうすぐ新月です。4月28日 4:44 牡牛座自分の誕生日にうかれてて(笑)みなさまにお知らせするのが遅くなっちゃいましたぁ~^^新月はお月さまが新しい始まりにとてもパワーが強い日。その日に願い事をすると夢が叶いやすくなるのです。さらに月が新月になる星座によって月が威力を発揮する願い事が違ってくるよう・・・。さて、今回の牡牛座の新月は自分の欲求を自覚し、存在価値を確立することがテーマのよう。お金、官能的喜び、満足、忍耐、自分の存在価値を認める、解放する、頑固さ物質的快適さや快感、自然との調和、信頼性、独占欲も支配します。また、身体面では咳/のど・あご・首/甲状腺/声と声帯に関する健康を願うといいそうです。ージャン・スピラー著『[魂の願い]新月のソウルメイキング』より穏やかな忍耐力をもらたらすので、長続きすること、時間と共にその価値が増すようなことをすると良いのだそう。また、五感が研ぎ澄まされ、感覚的な快楽や美的なものに敏感になります。他者を変えるのではなく、自分を変えられるように、自分を信じながら書くこと。新月に入ってから8時間以内、つまり本日お昼食べてちょっとひと休み・・・くらいまでが一番パワーが強いです。でも書けなかったら48時間以内でしたら新月パワーは続いてます手書きで2個以上10個以内で自分がワクワクすることをすでにその願いが叶ったようにかくことあなたの夢を 月のパワーに託して楽しんで書いてくださいねっ☆今日はいよいよお引越し。5年間という時間をここで過ごせたことにとっても感謝しています。生活スタイルもインテリアも何もかも・・・自分が思ったように自由に描いて楽しんできた生活でしたでもそこから卒業していく私。新月の今日この日に新しい生活を・・・・楽しんで行こうと思います。
2006.04.28
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誕生日です。昨晩朝の目覚めのために私の大好きな花屋さんに花束をつくっていただきましたたくさんの方に心のこもった素敵なメッセージをいただき感動で涙と(ちょっと笑いもあったりして)最高に幸せなお誕生日をむかえることができました。この地球で何億人という中で私と出会いたくさんの学びと気づきをくださったみなさま出会ってくださってほんとにほんとにありがとう☆心からの感謝をこめて・・・-http://www.angel.ne.jp/~michela/LaLuce/index.html-
2006.04.27
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今年は4月に入ってから暖かい日が少なくてせっかくの桜もお花見弁当・・・という気分にはなかなかなりません。今日は久しぶりに暖かなお天気。待ってましたとばかりにお弁当もって公園へ。柔らかな風にのって舞う桜の花びらがとってもきれいで幸せな気持ちになります。私の足元に飛んできました(*^.^*)明日は誕生日です。友人のTOMOちゃんから素敵な本のGIFTが届きました。その名も「愛と怖れ-愛は怖れをサバ折りにする。」(ジェラルド・G・ジャンスキー著)えっと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・さ、サバ折り・・・?私はプロレスラーにでもなった方がいいのかしらん?みたいなよくわからない題名であります。でもTOMOちゃん大絶賛のお薦め本!愛は怖れを手放すことから恥じまる。 「やっぱり怖れていたことが現実になった」といってホッとする矛盾。 人は無意識に愛を怖れ、みずから遠ざける。 五官を通して知覚されたものだけが「現実」ではない。 私たちの感情には「愛」と「怖れ」のふたつしか存在しない。 ・・・・・などなど心にグッときたこの本を愛に飢えてる(笑)私にプレゼントしてくれた~( ̄∇ ̄;)お互いに「愛」いっぱいの人になり、「愛」いっぱいの人生を送って行こうね!は~いっ♪まずは・・・・怖れを手放すこと。人はいつか離れて行ってしまうもの・・・ それは幸せになることへの怖れでもあり、離れてしまうことへの怖れは相手を所有したいという気持ちにつながっている今頃気づいたのですけれど所有したいという気持ちになる自分が私は怖かったのかもしれません。でも少しずつ成長していく中でその思いは少しずつ手放せている自分もみつけました。人と人との出会いは必然のもの。どんなささいな触れ合いでも出会ったということはそこから気づきと学びを得ているのだと。そして相手との学びが終わったら自然と離れていくものなのだと・・・。離れてしまうということが辛かった時期もあったけれど今はそういう別れも喜びへと変わってきた気がします。だってそれって新しい自分に変わる時ですものね・・・。まっ・・・今年は「目指せ、素直な女☆」ってことで。サバ折りのプロレス技も鮮やかに決めつつ(そ~いう本ではないよねっ?)かわいい女になってみよう。そんなことを思う今日この頃。あさっては新月。そんなこともお願いしてみよっかな。
2006.04.26
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三浦海岸に行きました・・・。海を眺めるのはほんとに久しぶり。穏やかでやわらかな日差し。浜辺まで降りていってほんの少し波と戯れる。静かな優しいひととき。しっかりもののお姉さんのような友人「和美さん」に誘われて古武道とエネルギーワークをする「知性の天使」の顔(知性の天使って、きっとこんな顔はだと思うんだな~・・・)をもつ「raywingさん」のところへ。レイキ講習会です。駅から講習会場まで歩いていく途中に浜辺が広がっていて、浜辺によせる静かな波の音を聴いているだけで心が解きほぐされていく気がしてきます。彼は部屋からこの景色が見えるところに住んでいるのですが、(あ~、うらやましい・・・。)ふと見ると、ものすごいたくさんの海鳥が波間に浮かんでいてそれはそれはほんとにたくさんの海鳥で、みんな慌てて撮影タイムへ。あっ、この写真はHozumaさんが撮ってくださいました、ありがと~ございますっふと『ものすごい数の動物の群れなどを見たときそこには天使がいる』という、「天使のオラクルカード」でおなじみのドリーン・バーチュ博士のことばを思い出す。そう、あの日は多分たくさんの天使があの場所にいた気がします。レイキってよくは分らないけれど彼から受けたとき「風」を感じた気がします。決して押しつけのないでも、強さのある風。もう一人の「レイコ」さんは彼女から滲み出るおおらかな暖かさ。駅で初めて会ったときちょっと一目ぼれ(*^o^*)!柔らかで優しい、楽しくって、そして暖かいものに包まれた、そんな素敵な時間を過ごしました。和美さん誘ってくださってありがとう。やさしいやさしい、優しい時間・・・・・・・・。
2006.04.22
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仙台もようやく桜がきれいに咲きました!早速、お花見ランチと夜桜見学に・・・・。とはいえ、中国からの「黄砂」の影響か、残念ながら昼間も青空に映える桜!ではありません。おまけに寒い!例年桜が咲く頃になると、何故か仙台はぐっと冷え込んだりするのでしっかりダウン持参です。お花見会場にお昼時間には少し早めに到着。桜が美しく見える場所を確保しつつ、友人が来るまで桜の木の下での読書タイム。私はこの時間がとても好き。読書しながら、結構うつらうつらしているのですが、この寝ているんだかいないんだか・・・という、夢うつつの状態が別世界に入り込んでいるようでなんともいえず心地よいのです。さて、今日の居眠りのお供はタデウス・ゴラス 著 「なまけもののさとり方」。こういう日にぴったりな感じがしませんか(笑)?この本の一番いいところは、うすいところ!ではなく 「今のあなたのままで、できる限り愛しなさい」 「あるがままを愛しなさい」今の自分にとっての一番の課題を、優しく諭してくれているのです。あなたはどこに行っても、あなた自身と共にいるより仕方ありません。 禅でよく言われるように、 「あなたが今いるところに平安を見つけられなかったら、どこにさまよって行けば平安は見つかるのでしょう?」 この宇宙には、どこへ行こうと今、あなたがいるところと同じような場所しか、存在しないのです。 そして、あなたが変わってゆくべき方向とは、自分自身を、ありのままの自分を、アンプのボリュームをあげていくように、深く掘り下げてゆくことなのです。どんなことをしていようとも、 そうしている自分をそのまま丸ごと、愛してあげて下さい。愛せない自分も 愛せない自分のまま、嫌っている自分そのままに愛してあげてください・・・いかなる思考も物も出来事も拒否しない・・・かぁ。う~ん、自分でそうしようと思っても、なかなか感情が働いてしまうな~。まず、あなたのネガティブな感情を愛してあげるところから始めて下さい。 退屈だったり、鈍感だったり、絶望的だったりする自分を愛するのですこれは少し優しいかな。しょ~がないな~・・・的な愛し方をすればいいんだね。出来の悪い子ほどかわいいって親の気持ちかな。そんなことを考えつつ、うつらうつら・・・。さくらの精がうんうん唸っている私の意識を優しく溶かしてくれます。そのままの怠け者の自分でいてねって・・・夜。まだ満開ではないけれど桜を待ちわびていた人たちで公園はにぎわっています。静かに桜も眺めるもよし。みんなでわいわい騒ぐもよし。どんな場所にもどんな気持ちにもさくらは不思議とマッチする。花びらひとつひとつは優しくてはかなげな色なのに夜空に浮かび上がるさくらのなんとあでやかでうつくしいこと。優しい、けれど潔い強い花。今年も来れてよかったな・・・。
2006.04.19
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先日体験した「トランスフォーメーションゲーム」で最後の方向を指し示す言葉が『創り出されたもの全ての中で愛よりも力のあるものはない』と言う言葉であった存在そのものが「慈愛」のガンダーリのHPで見つけた祈りです。☆*.。.・*・.。.*☆*.。.・*・.。.*☆*.。.・*・.。.*☆この祈りは、前にも聞いた事がありました・・・でも又今心に響いてきたので、皆さんにもおすそ分けさせていただきますね・・・共にいき、共に苦しみ、共に喜びを分かち合う仲間に・・・既に出会っている方も、まだ見ぬ友にも・・・ガンダーリより以下転載です。グリフィンの祈り~~~~~~~ 作者不詳 アメリカのとある病院に、兵士が書き付けていったもの 。 (これはおそらくヴェトナム戦争に参加した兵士が書いたのだろうと言われています。しかも病院の壁にです。) 戦争という地獄を体験した、ヴェトナム帰還兵は、精神的、肉体的に大きなダメージを受け、全米の路上生活者の八割を占め、自殺者は十万人にも上ります。 枯葉剤による戦争の後遺症は、30年たった今でも、ヴェトナムの人々や、アメリカの兵士とその子孫にまでひどい影響を及ぼしています。 多くの人の人生を破壊し、環境も破壊したのです。 兵士がいったいどんな気持ちでこれを書いたのか・・・。 深い感銘があります。 ------------------------------------------------------------大きなことを成し遂げるために、力を与えて欲しいと神に求めたのに、 謙虚を学ぶようにと、弱さを授かった 偉大なことができるように健康を求めたのに、 より良きことをするようにと、病気をたまわった 幸せになろうと富を求めたのに、 賢明であるようにと、貧困を授かった 世の人々の賞賛を得ようとして、成功を求めたのに、 得意にならないようにと、失敗を授かった 求めたものは1つとして与えられなかったが、 願いはすべて聞き届けられた 神の意にそわぬものであるにもかかわらず、 心の中の言い表せない祈りは、 すべて叶えられた 私は最も豊かに祝福されたのだ
2006.04.10
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年が明けてからというものいろいろな出来事が立て続けに起こって日々の生活をするのに手一杯となっていた。相変わらずいろいろなところに出掛けていたしサプライズな出来事もたくさんあったのだけれど・・・日記に書く前に次の出来事が待ち受けていて「あぁっ・・・」とか思いつつどんどん時は流れておりました・゜゜・(>_
2006.04.05
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本日 3/29 19:15から新月が始まりました。春分を迎えて最初の 牡羊座 の新月です。牡羊座は新たな始まりの星座。新しいことをお願いするのにはGOOD!年に一度のとってもパワフルな月のよ~です☆春は始まりの季節。新しい自分との出会いをお願いしてみるのもいいですよね。新たな始まり、自分を見つめる、純粋さ・本物、 自己発見、独立、勇気、戦士の気質、悪癖を絶つ 関連のある身体の部分・症状は にきび、目、頭・顔・頭皮・脳、頭痛、めまい [魂の願い]新月のソウルメイキング ジャン・スピラー (著), 東川 恭子 (翻訳) より7時から8時間以内ということは・・・明日朝3時までに書くとよりパワーがありますね。お気に入りのペンや紙を用意してうきうきな気分で手書きしてみてくださいませ。お願いごとは2件~10件で、自分主体で書きましょう。あなたの願い、きっと叶います。そう信じることが、何より大事っ・・・・。
2006.03.29
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トランスフォーメーションゲーム。それってなあに?という方のために簡単に。北スコットランドにあるフィンドホーンで 体験的学習プログラムの一環として25年前に創られたこのゲームは 『人生はスピリチュアルな旅』という考えがベースになっています。 人生で起きる全ての状況はそれぞれの人にとって意味がある。 人生は、それ自体がスピリチュアルな教えを実践していくための ミステリースクール(霊性を育成する学校)なのだと。 このゲームを行ったのは昨年「御嶽山」にて出会ったお仲間2人。荻窪で「ナチュラルアップ・スペース スプリング」という体と心のケアのお店を開いています。彼女が撮るといつも写真に虹が入る繊細で一途なヒーラーの和美さん。そして物静かで鋭い知性と豊かな包容力にあふれた鈴木さん。今回のゲームのファシリテートです。ゲームはファシリテーターの誘導のもとにそれぞれがセットした目標に向け、人生そのものを表した盤上のサイコロをふり、様々なカードを引くという 偶発性の中で展開していきます。駒が止まったらカードを引いて、書かれているメッセージをもとに自分の体験をシェアしていきます。サイコロを振って、出た目の数進んでカードを引くのですからどんなカードを引くかなんてもちろん分からないのだけれど、引くカードが、ほんっとに不思議と目標に対する課題や問題点、そして、与えられているのに気づいていないギフトの中身を明らかにしてくれるのです。今回のこのゲーム。実はゲームを行うということがパタパタと決まったためか、私はゲームが始まる時になっても目的を明確にすることが出来なかった。そんな状態でもいいのか・・・( ̄◇ ̄;)!よかったよ~です(笑)決めていた人もいない人もゲームを始めるときに何度か自分に問いながら一緒にゲームをする人、ファシリテーターに助けられて自分が何を意図して今を生きているのかちゃんと見つけることが出来るんです。この日は3人でゲームを楽しんだのですが噂に聞いていたとおり、ほんとにその人にぴったりのカードが現れる。それにしても、やっぱり不思議で仕方がない。何でだろ~。不思議だな~・・・。この日私をサポートしてくれる守護天使は「Creativity(創造性)」。そして「Freedom(自由)」。まただ。数秘術他いろいろな場面で私はいつもこの「Create」という言葉とご対面する。そして私はいつもこの言葉に悩まされていた。コーディネーターなどというまさしく創造的な仕事をしながらもいつも何処かそんな自分を否定してしまう。自分の何処が創造的なのだと。そしてジレンマに陥る。それでも繰り返し私の前に現れるこの言葉。そして付属して現れた「自由」。ゲーム中「気づきのカード」を受け取ったりするのだけれど、今回私はおっそろしい程ほんとにたくさんの気づきを得ました。肉体レベルだけで多分30枚くらい。こんなにいらないっ・・・てくらい(笑)!そうして自分を否定し続ける私に「これもあるじゃない」「あれもあるじゃない」まさにそんな気づきを得たのですね。肉体レベルから霊性のレベルへ、段階をおって自分を変容させていくのだけれど一緒にゲームを楽しんでくれた「ガンダーリ」やお坊さんの「まっちゃん」は周りの人にたくさんのギフトを与えながら恐ろしいほどスムースに段階をあがっていくのだ。いや~、私、あまりに気づかなければならないことが多すぎて(笑)今回は肉体レベルを脱しないかと思いました。自分の前に現れたカードや参加者みんなのシェアを聞きながらなんだかとても楽しくなっていました。ゲームを終えるとき手元に残されていたカード。これからの方向性。「あなたは創造的な瞬間を十二分にまで楽しみながら人生を生きています」嘘みたい(゜∇゜ ;)・・・自分自身を受け入れ喜びに満ち溢れて生きるそう意図した私。あまりにゲームの目的にぴったりでみんなで笑ってしまいました!ゲームの終わりにお家に一緒に帰ってくれる天使を引く。現れた天使は「Humor」。もっとおちゃめに楽しんで生きようよ♪そう囁かれたようで嬉しくなちゃった☆すごくすごく楽しくてみんなの愛をいっぱい感じてほんとに幸せな時間を過ごせました。ありがとう。心からの感謝をみいんなに。
2006.03.28
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明日から東京です。今回の一番の目的は「トランスフォーメーションゲーム」。数年前に北スコットランドにあるスピリチュアル・コミュニティ「フィンドホーン」の存在を知ってから気づきと自己変容のためのこのゲームの存在が気になってました。でも、自分でも気づかなかった抑圧された感情が湧き出てくる・・・知りたいことでもあり、でも知りたくないことでもあり。昨年末友人がこのゲームをやって自分がより明確になった・・・というようなことを言ってて。「私もやりたいな~」そうは思っていたけれどこんなに早くその日が来るとは正直思っていなかった。というわけで・・・どんな気づきと癒しがあるのかしら。楽しみに行ってきます☆
2006.03.20
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