MUSIC LAND -私の庭の花たち-

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「メビウスの輪」18

芥子

気がつくと、自分のベッドで寝ていた。

私はなぜここに居るの?

今はいつ?

カーテンから光が差し込んでるけど、

もう朝なのだろうか?

昨日は確か勤務先の高校に行って・・・。

思い出そうとしても、記憶が混乱してる。

断片的に、潮の香りや波の音を感じたような気もする。

でもそれは、おととい信吾と海に行ったせいかも?

自分で自分が怖くなる。

本当にもう一人の自分が居るのだろうか?

それは一体何者で、何をしてるの?

誰かに迷惑かけてないだろうか。

ひどく酔ったときでさえ、

記憶を失くしたことはなかったのに。

不安になってしまう。

両手を交差して、肩を抱きしめても

心の震えは静まらない。

心臓の鼓動が聞こえるほど。

呼吸も荒くなってきてしまったが、

深呼吸してから、ベッドにもぐりこむ。

このまま胎児のように

ぐっすり眠りたい。

夢さえみたくないのだ。

でも、このまま逃げてるわけにはいかないだろう。

また、もう一人の自分が現れて、

何をしでかすか分からない。

そんなの私じゃないと言いたいとこだけど、

同じ顔をした女性が

我が物顔して歩いてると思うと、ぞっとする。

自分が分裂してしまったようだ。

恩師の桜井先生のところに行こう。

信吾にはこれ以上迷惑をかけられない。

心配もかけたくないのだ。

今日はさいわい、勤務日ではないから、

大学病院にカウンセリングを受けに行こう。

予約もなしに受けられないと思うが、

いつまでも待つ覚悟だ。

桜井先生に電話をしたら、

昼休みに会ってくれると言う。

食事中に悪いと思いながらも、

そこしか空いてないというのだ。

早く会って、この不安な気持ちをどうにかして欲しい。

カウンセリングルームのドアをノックして入ると、

そこには桜井先生だけでなく、

信吾まで居るではないか。

桜井先生は両手を広げて迎えてくれた。

「待っていたよ。話は信吾君から聞いた。」

「何をですか?」

桜井先生が昨日のことをかいつまんで話してくれた。

私は千倉の海に昨日も行ってしまい、

信吾に連れ戻されたらしい。

途中、自分の記憶が戻ったみたいだが、

あまりよく覚えていない。

話を聞いて、うっすらと思い出してきたが。

これではアルツハイマーのように記憶まで失ってしまうのか?

自分が自分でなくなっていくようで、

足元が崩れていくような錯覚を覚えたと思ったら、

実際に貧血を起こしたらしい。

信吾に抱きかかえられて、気がついた。

「私はどうなってしまうのですか?」

桜井先生を問い詰めてしまった。

「今はどんな人格が現れるか様子を見よう。

そして、統一するかどうかを考えよう。」

「それじゃ、しばらくこのままなのですか?」

「焦ったらダメだよ。」

急に信吾の声が響く。

振り向くと、柔和な笑顔がそこにある。

前より優しく感じるのは気のせいだろうか。

同情なら要らない。

「このままじゃイヤなの。」

声を押し殺し、うつむいて答えた。

「そばに居るから、ゆっくり治療しよう。」

蛇の生殺しみたいだ。

信吾にそばに居て欲しいと思うけど、

優しくされればされるほど、居たたまれない。

信吾に悪いと思う気持ちと、

放っておいてと言いたくなる気持ちが交差する。

「一人にさせて欲しいの。」

とうとう信吾に言ってしまった。

こういうことは、二人だけより、

桜井先生がそばに居るときのほうが、

冷静に話し合えるかも。

そう考えられる私はまだまともなのか。

「こういうときだからこそ、そばに居たいんだ。」

「嬉しいけど、ありがた迷惑なの。」

冷たく言い放つ。

「そういう言い方はないだろう。

信吾君は心配してるんだから。」

仲を取り持つように、桜井先生が割り込んでくる。

もう、先生まで邪魔に感じるなんて、

やはり私はどうかしてる・・・。

「そうですね。でも、私は今、普通じゃないから、

信吾を傷つけてしまう。そばに居ないほうがいいのです。」

「そうだね。そうかもしれない。

信吾君、今はとにかくちょっと外に出ててくれないか?」

「俺は治療の邪魔だと言うことですか?」

「邪魔とは言わないが、患者の心を乱すから、

少し離れていたほうがいいと思う。」

患者と言われて、ハッとした。

私は精神科の患者なのだ。

改めて言われると、グサっとくる。

このまま狂ってしまうのだろうか?

呆然としている私の顔を

信吾が心配そうに覗き込む。

「大丈夫か? 本当にそばに居なくても平気なのか?」

「平気よ。桜井先生も居てくれるし。」

「そうか。じゃあとりあえず、外に出てるよ。

これからのことはまた話し合おう。」

「話すことはないわ。」

傲慢に言い捨てる私は自分でも信じられない。

「わかった。勝手にしろ。」

さすがの信吾も怒ったらしい。

でも、その方が私も気が楽だ。

「ケンカ別れはよしなさい。」

桜井先生が止めに入るが、

信吾はドアをバタンと閉めて出て行った。

ホッとした反面、やはり寂しい。

「どうしたというんだ?君らしくもない。」

桜井先生に穏やかに話しかけられると、

思わず涙がこぼれてしまった。

信吾に意地を張ってたのに、

糸がプツンと切れてしまったのだ。

「今は仕方ないな。信吾君もきっと分かってくれるよ。」

そうかな。これで信吾とも別れてしまうのだろうか。

急に寂しさがこみ上げてきて、

涙と共にあふれ出てしまった。

「泣いてもいいんだよ。」

背中をさすられてると、子供に戻った気がする。

泣きじゃくった挙句、

空き部屋のベッドに寝かせてもらった。

目が覚めたとき、話し声が聞こえた。

部屋の外で誰かが話してる。

「様子はどうですか?」

小声だが、心配そうな信吾の声だ。

「今は落ち着いてるよ。」

と桜井先生。

「俺はどうしたらいいのでしょうか?」

「今はそっとしておいてあげなさい。

私から連絡するまでは会わないほうがいいかもしれない。」

「そうですか。治療経過も教えて欲しいのですが。」

「プライバシーだからな。まあ、連絡したときは、

少し良くなってると思って欲しい。」

「分かりました。よろしくお願いします。」

去っていく足音。

信吾はまだ心配してくれてたのだ。

さっき怒って帰ったと思っていたのに。

ありがとう。嬉しいけど、

ますます申し訳なくなってしまった。

ノックして、桜井先生が入ってきた。

私は布団をかぶり、寝てる振りをした。

「本当は聞いていたんだろう?」

驚いて、布団から顔を出す。

「なんで分かったんですか?」

「布団をかぶるのが見えたのさ。」

いたずらっぽく笑う先生は、子供のように見えた。

「そうですか。信吾帰ったんじゃなかったんですね。」

「心配してたよ。でも、負担かけちゃいけないと

君を遠くから見守ることにしたようだ。」

「怒ったと思ってた。」

「少し怒ったみたいだけどね。」

笑って話してくれるので、安心できる。

今は桜井先生を信じて、治療に専念しよう。

良くなってきたら、また信吾に逢える。

それを励みに頑張ろう。

笑顔になった私を見て、

先生は察してくれたようだ。

「落ち着いたようだから、うちに帰りなさい。」

「はい。これからもよろしくお願いします。」

「これからは医師と患者との関係としてだな。

自分の心を見つめれば、勉強にもなると思う。

カウンセラーの仕事にも役立つかもしれない。

私も君の担当教授として、応援してるよ。」

「ありがとうございます。」

もうカウンセラーは続けられないかと思った。

まだ大丈夫なのだろうか?

「勤務先の高校には、少し事情は話した。

しばらく様子を見てくれるそうだ。

昨日のように、仕事を放棄しては困るそうだが。」

「そうですよね。」

でも、自分に自信が持てない。

声に力が無くなってるのを聞いて励ますつもりか、

「自分のカウンセリングをやってみないか?」

と急に肩を叩いて言われた。

「どういうことですか?」

「女子高生のカウンセリングに乗ってるときは、

自分と比較して、お互いの心を探ってみる。

乗ってないときは、自分の心を見つめ直してみるんだ。」

「そんなことできるのでしょうか?」

「やってみないと何事もわからないよ。」

「そうですよね。」

この桜井先生は重い話題も、明るく話してくれる。

だからこそ、先生のゼミを選んだのだ。

絶望してしまうような重い病気さえ、

希望の光を感じさせてくれる。

カウンセリングは希望を持たせることなのかも。

癒されるって、こういうことなのかな。

私もこんなカウンセラーになりたい。

切実に思ってしまった。

続き


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