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calling 封神演義番外編18
この音が聞こえる?
この声が聞こえる?
この光が聞こえる?
-calling-
その『名』を。
人が誰かを呼ぶときの、あの音に色が付いていたらどうだろうか。
きっと。
嫌いな相手を呼ぶときは酷く濁った嫌な色で、
好きな相手を呼ぶときにはもっとずっと、綺麗な色になるだろう。
まぁ、こんな想像に根拠などないが。
名前には意味がある。
風の中、ふいに呼ばれた気がして少年は立ち止まる。幼い妹が着物の端を握りしめ、不思議そうな顔で見上げていたが、それを見返して笑ってやることもせずに。
ざわざわと緑がうねる。雲が尾を引きながら、筋状に伸びてゆく。
「にーさま」
我に返った。見下ろせばそこに、泣き出す寸前の顔がある。
「ごめんごめん。帰ろうか」
途端、満面の笑みを浮かべる幼子に苦笑しながら、懐かれるままに家路を辿る。
「仕事中でしょう!」
すぱーんっ!
やたら響きの良いハリセンを振ったのは周国宰相、その人である。そして勢いの侭に椅子から転げ落ちたのは、外見だけは若すぎる軍師。
「ちったぁ年寄りをいたわらんかい!」
「あなたがもう少し老けたならそうしましょう」
「ぬぬぬ、老け顔の若年寄には言われたくないのう!」
「太公望」
周公旦は深々と嘆息する。
「その書簡に書かれているのは、貴方自身が提案した件ですが?」
「だーかーら、」
「うおーい、太公望ー…げ」
「良いところに、武王」
弟に睨まれた国王であるところの兄は、即座に踵を返した。
「さいならー」
「待ちなさい!」
置いていかれてしまった軍師は頭は掻きつつ、起こされ損だと一人ごちる。手元には修正を書き記した書類。後は軍議にかけた上で、認可を貰うだけである。
「後は任す」
書き置きを残してとっとと逃げ出すことにした。
長い髪が頬にかかって鬱陶しい。人ではない証を隠す術を身につけたものの、取り立てて誰に会うこともなく日々は過ぎていく。風に乗った呼気が一つ。
切らずに伸ばし続けている髪に時折嫌気が差すが、師が誉めてくれるのは満更でもなく、鋏を入れる決心も付かないままにこうして長くなる。その内、背の低い己のことだから地面に届くくらいにはなるかもしれない。師匠や、師と仲の良いあの仙女のように。
突風に巻き込まれたら窒息死できるんじゃないのか。
昏く、瞳は空を見つめる。斜の掛かった視界がふと晴れる、こともある。
誰かが其処で呼んでいるような気がした。
たとえそれがアナタにとってただの記号でも
山に向かって頭を垂れる。地に掌をついて祈る。この儀式には一体どのような意味があるのだろう。何時からか少年は疑問を持つ。
時折夢を見る。何かが滅びていく世界に自分はいて、そこで誰かと争っている。それなのに不思議と憎しみの心ではなく。感情の色は酷く透き通った「何か」であるのだと、それだけが判る。
奇妙な夢だった。
一人きりは淋しいのだと。本当は。
『彼』はまだ名を知らない。
紅い色も蒼い色も黒い色さえも、未だ見ぬものである。
「楊ぜん」
その相手は決まって髪を引きながら己の名を呼ぶ。色が良い、と彼は公言して憚らない。もしも気に入っているという理由がそれだけなら、かなりへこむところだが。
木陰で座っていたため、小柄な相手を珍しく見上げることになる。
「何かご用ですか」
「…用がなければ呼びに来ぬと思っておるだろう、おぬし」
「違うんですか」
「違わぬ」
ああやっぱりね。と、それなりに長くなった付き合いの中で学習した楊ぜんは空を仰いだ。この相手に期待する方がおかしいのだ。
勢い良く座り込むと、太公望の裾の長い道服が空を泳ぐ。撥ねる様子が着ている主に何とも似ていて奇妙に可笑しな心地がした。言えば怒られるのは目に見えているが。
「何を笑っておる」
こちらの肩に頭を乗せ、ごそごそ動きながら太公望が口を開く。別に、と説得力の無いまま笑いながら返し、状況を静観する。これはもしかしなくても。
「用というのは」
「枕になれ」
楊ぜんは本日二度目の科白を胸中で呟いた。
やっぱりね。
「呂望」
父上、母上、兄様。
「にーさま」
あの声は小さかった妹の。
「太公望と名乗るが良い」
元始天尊様?
「望ちゃん」
普賢。
「駄目っスよう御主人っ」
四不象。
「太公望!」
太乙、道徳、玉鼎…
「太公望殿」
武成王。
「よぅ、スース」
天化。
「桃ですよっ、お師匠さまっ」
武吉。
「っら、行くぞ太公望」
姫発…武王。
「どうかされましたか太公望」
周公旦。
「お前の目指す先を、私が現実に興す様を夢に見たかったよ」
無駄だろう。おぬしは嫌になるくらい現実的な男だから。
「だからこれが『夢』だ」
まったく。
「我が侭ばかり言ってすまない」
それはお互い様だと言うておろうが。
「太公望」
何だ。
「楽しかったぞ」
……………………そうか。
(もう届かない音が撥ねる)
「太公望師叔」
幾分か涼しくなってきた空気に、楊ぜんは眠りこける軍師を起こしにかかった。うにうにと意味不明の音を紡ぐ少年の姿形をした道士は、一向に覚醒する気配を見せない。
まいったな、と髪を掻き上げてその掌に体重をかける。重心がずれた拍子に小さな頭は膝の上まで転がった。の、くせに目覚めようとはしない。良い根性だ。
ふと見下ろせば、前髪の隙間から額が見え、常よりも幼い表情がそこにある。
……どうしたものか。視線を宙に遊ばせてしなくても良い思考を遊ばせてしまう。
普段であれば一撃を放たれた上に速攻で逃げられていそうな距離で。
「師叔」
名を、呼ぶ。
「お望みとあらば寝台までお運び致しますが?」
「やめんかいダアホ」
どうせそんなことだろうと思ったけど。
すぐに起き上がるだろうという予想は珍しく裏切られ、大して重くもない体重は己の足に掛かったまま。
表情を隠すかのように、大きな手袋に顔を埋めた状態で太公望は口を開いた。
「夢を見た」
『夢』の夢を見た。
「そう、ですか」
「ああ」
答えて体を起こした。背後からではその顔は見えず。
「師叔」
「何だ、楊ぜん」
「いえ、別に」
「そうか」
「はい」
影が伸びていく。
崑崙山の岩場に吹く風は、時折人の声のような音を立てる。そのせいだと思った。
「――――――」
本当は誰も自分を必要としていないのだと。どこにも自分の居場所など無いと。
だからこれは幻聴。
そうしてどこまでも染みるような蒼に目を細めていた。
どうしたってあの青色にはなれないのに。
「戻るぞ、楊ぜん」
立ち上がったところでようやく太公望は相手を振り返った。
「どうした」
「ああ、いえ」
同じく立ち上がり、定位置になった楊ぜんの顔を見上げて太公望は首を傾げる。この部下が口ごもるのはどちらかと言えば珍しい部類に入ると思うのだが。
「楊ぜん?」
「何というか」
口元に手を当て、視線を泳がせている。何を言うつもりなのか。事と次第によっては懐から咄嗟に打神鞭を取り出せるよう、体に言い聞かせた。
「幸せかなぁって」
「はぁ?」
作戦変更。いや、対処法変更。これは無駄だ。
「おぬし」
「はい」
「顔が目一杯笑っておるぞ」
「……………」
側にある声が紡ぐ言葉と、もう二度と聞くことの叶わない音階を。
耳を傍立てて荒れ狂う時空に研ぎ澄ませれば何時の日か。
何かが拾えるかも知れないと、儚い望みをほんの一欠片どこかへ伸ばして。
「師叔」
その音が好きだと。あの時聞いたのはこの声だったのか。
これは誰も知らない敢えて言うなら気に入っている理由とも言うべき言い訳。
(まさか、な。)
陽は西の山に沈み、月は東の山から顔を出す。
静かに響く風の音に。
この声は誰を呼ぶ声か。
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