心の叫び~~モントレーの山奥から

心の叫び~~モントレーの山奥から

2011.04.15
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奇跡は起こる            2805字
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 私は一昨年まで26年間、バリバリの大工だった。58歳だった。ロス、シアトル、サンフランシスコ、サクラメント、モントレーで茶室、床の間、障子、すし屋の改造に飛び回った。ニューヨークですし屋の改造、オレゴンの日本のある大学に茶室を造った事もある。
 お客さんの言う通りに、命令通りにやった。二日、三日の徹夜仕事も平気だった。だいぶ無理もした。疲れるから、疲れを取るためにビールを水代わりに飲んだ。   60歳までには自分の家を建てたいと17,8年前に買ってあったモントレーの山の中の土地34000坪に、嫁はんと二人で電柱を立て、電気のメーターボックスの配線を済ませ、コンクリートの基礎も骨組みも仕事の合間にやった。新しい屋根も、下地の壁も出来た。もう一息だ。仕上がった新しい家を頭に描きながら、頑張った。山の中腹をブルドーザーで押した高台だから見晴らしは最高だ。もうすぐウィンドウを入れようとウィンドウを見て歩いていた。その翌日、関節がはれて歩けなくなった。二,三日したら直るだろうと寝ていたが一向に直らない。          
 とうとう20数年ぶりに医者に行った。即、強制入院させられた。          
血圧、222、関節炎、痛風、心臓肥大。もうこれで、私の人生は終わりと思った。                親父が57歳で死亡、お爺さんが61歳で死亡、男の血筋は短命なので、私は60歳だろうと、うすうす自分の寿命を決めていたから直さらだ。私の死後の子供や、嫁はんの姿が頭の中でテレビのドラマのように展開していた。
 有り金も、ほとんど、家の建築に注ぎこんでもうない。「もうこれで終わりか?もうこれで終わりか俺も人生も」。この言葉が私の頭の中だけじゃなく、両手両足、体中に詰まっているみたいだった。こんな言葉が詰まった人間の体を絵に書いたらどんな絵になるだろうかと、気違いみたいな事、暗い事ばかりを考えている毎日だった。この世とバイバイのこともいろいろ考えた。空気銃を撫でまわしたりもした。やはり勇気がなかった。ただ、ベッドに横になってなんとなく本の活字を追っている毎日だった。
 毎日おもろうない、と思いながら過ごしているうちに、短い人生だから、充実した日を送ろうと考え始めた。そんな時に、へたくその文章の本を見つけた。それが何十万部も売れているべストセラーと書いてある。飲んベーの大工の私にもこれぐらいの文章は書けると思い始めた。「働いたらだめ」と医者から宣告された私にもなんとか机に座って字は書ける。
 胸の奥にあった不可能の夢「私の放浪記」、を作文みたいに書き始めた。 去年の正月、サンフランシスコの日本語新聞の新年文芸コンクールに、「喜界島のオバさん」と題名をつけて2400字の文に纏めて便箋紙に書いて生まれて初めて応募した。それがなんと三位に入賞してしまった。奇跡が起きたのだ。表現する言葉もあまり知らない飲んベーの大工が初じめて書いた、初めて応募した作文がエッセイとして三位に入賞したのだ。両足の関節が腫れあがって、便所へ行くのも痛さで泣きながらの日々だった。ベッドで寝転がって新聞を見ていたら三位入賞の活字を見つけたとたん、5メートルも離れている電話へ行って、友達に喜びの電話をしている。どうして歩いて行ったかも覚えていない。「病は気から」という言葉を証明した瞬間だった。
 およそ10ヶ月の間に1500字から2000字の私の放浪の人生をエッセイふうに75編書いた。  その中から8編を選んで、サンフランシスコ、ロス、シアトルの日本語新聞社の今年の新年文芸コンクールに応募した。結果は、一度に4新聞社に5編も入賞してしまった。大相撲のひと場所での5勝3敗とは値打ちが違う。フリムン徳さんの人生でたった1回の勝負の場所である。シアトルの新聞社には一位と佳作でダブル入賞までしてしまった。また奇跡が起きた。またウヤフジが奇跡を起こしてくれた。応募してから毎晩ウヤフジに祈った。入賞発表の日を過ぎても新聞が配達されるまで祈った。私は思う、力を出し切って、あとは結果を待つだけではだめと思う。力を出し切ったあとはウヤフジに祈らんとアカン。祈り続ける事や。ウヤフジが助けてくれるのや。   これだけの入賞に私は有頂天になって知り合いに電話を書けめくって知らせた。嫁はんは傍で「電話賃が高こうつく、人に自慢したらアカン」と手を引っ張ってる。私は感激やだから、嬉しい事は人に自慢したいのや。喜び、楽しみはおおくの人と分け合ったら最高に嬉しい。それをできない人は寂しい人と思う。
 そんな嬉しい日々の一月が終わり二月に入ってすぐ、東京の文芸社から、合格通知みたいな、表彰状みたいな、私の人生で読んだこともないような素晴らしい名文の手紙が来た。
私が「本にしてくれ」と送っていた75編のエッセイを是非本にしたいというのだ。「大工の書いたエッセイが本になる」「不可能の夢、放浪記を書いて本にする」。これが実現しそうや。人生を諦めないでよかった。一変に体の調子がよくなった。膝の痛みも楽になった。     でも共同出版には金がかかると言う。未完成の家に有り金はつぎ込み、身体障害者年金生活の私にはそんな金は作れない。                          
 だから嫁はんは、文芸社からの名文の手紙を額に入れて壁に下げただけで、もう私の人生は充分と言う。そうかなあとも思った。でも夜になるとウヤフジに、本になるように祈り続けた。諦めきれなかった。   その名文を東京にいる二人の喜界島の同級生と、大阪の妹にファックスした。そしたらすぐに返事がきた。喜界島の同級生からカンパしてもらって出版しようと言う。妹も協力してあげるという。私は本にしたい気持ちはあったけど、「私の遊びに人の金まで借りては出版したくない」と断った。同級生の一人が「波に乗った時がチャンス」と発破をかけてきた。どうにかして金を集めると言う。
 ここで喜界島の同級生パワーが渦を巻くように猛スピードで動き出した。たちまち四人の同級生で86万円の金を作って、文芸社へ第一回目の支払いをしてしまった。残りも妹らとで作ると言う。喜界島の同級生の助け合いのパワーをまざまざと見せ付けられた。ヤマチュ〔大和人〕のクラス会、アメリカ人のクラス会とは一味も二味も違う。喜界島の同級生(クラス会)は、親友であり家族なのだ。これを妹の大阪生まれの息子は「喜界島パワー炸裂」と呼んでいる。うまい事言いよる。あれよあれよと言う間に「喜界島の同級生パワー」によって私の胸の奥にあった「放浪記を本にしたい、不可能な夢」は実現する事になった。諦めたらアカン、人間夢は持つべし。喜界島の同級生パワーを起こしてくれたのも、助け神に巡り合わせたのも、私はウヤフジのお蔭と思っている。
 私は今度の事を通じて、「どんなに重大な事が起きても、諦めずに、自分の置かれたその状態の中で自分のできることを見つけて、最大の努力をして、あらゆる方法で、できるだけ多くの人に当たって、最後に祈り続けたら、ウヤフジが奇跡を起こしてくれる」と思う。
 ウヤフジはいつでも、どこでも私達を見守ってくれている。ついに第3版増刷にまでなった。
ウヤフジとは奄美、沖縄地方で言う”ご先祖様”のことである。
  フリムン徳さん





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Last updated  2011.04.15 21:13:09
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うぬつっつ@ Re:「男の名前で生きていきます」(12/24) 久しぶりに徳さんが夢に出てきてブログ見…
フリムン徳さん@ Re:「男の名前で生きていきます」(12/24) 禿げ1723さん、おおきに、ありがとう…

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