■フタバの歴史・第8話



 平成1年8月5日の交通事故で、とてつもなく痛い思いをした僕はオートバイをやめ大人しくしていた。
ちょうど平成1年の暮れだったと思うが三島の知り合いの塾長さんと沼津で一杯飲んだ。

 『村松さん、個別やれば?絶対いいよ。うちもだめでもともとでやったんだけど、次から次に生徒がくる。講師が手一杯で、待って貰っている状態だよ…』

 『エリアも違うから本当の事を教えてくれるんだな…』と感謝していた。しかしやろうとは思っていなかった。『うちは一斉指導でやっているし…』と思っていたから。

 ところがある女性講師が『○△君が、なかなか出来ないので個別指導でみてやりたい…』と言ってきた。

 そこで僕は個別指導をやる事に決めてしまった。
『個別指導もやります』としたのが間違いだったと思う。
料金は1時間4000円。最高に組み込んだのが月に1000時間。400万円になった。講師の数は60人抱えた。一見いいように見えるのだが大きな問題点が孕んでいた。

 それは塾の一斉指導がいいのか、個別指導がいいのか分からなくなってしまって行った事だ。最初からいた生徒も『個別指導の方がいいのかな?』という不安定な感情を持ってしまった生徒も多々いた。

 しかし一旦始めたものをこちらの都合で一方的に止めるわけにはいかない。平成3年あたりからバブルもはじけ急速に個別指導をという声は減ってきた。僕自身も、先生の手配や面談などに費やす時間が多く、個別指導の限界を感じていた。そんな時に、一人のセールスマンが塾にやってきた。この人に出会わなければ…  続く  



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