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イルクーツク到着



シャワーのための宿泊。

いまはどうかしらないが、そのときの3等寝台は、シャワーのような設備は、なかった。車中3泊。温度は低く、湿気もなく、汗まみれということはなかったが、どこか薄汚さを身に感じていた。

そう、ホテルでゆっくり汗を流したいという気持ちは、おのずとわきあがっていた。

あさ。車掌は鼻歌まじりで、廊下を掃除している。いつにまして、ファミコンゲームのマリオおじさんに似た風体が、どこか飛び跳ねながら作業をすすめているように見えなくもなかった。

本音をいえば、イルクーツクで降りることなく、まっすぐモスクワをめざしたいところだが、ソ連の場合、そしていまのロシアもそうらしいが、旅程は簡単にかえられない。バウチャーというクーポンに、旅程で必要なチケット引換証などがすべてつまっていて、それを旅行社からもらわないとビザ自体がおりない仕組みだからだ。

当然、バウチャーの変更などできるわけがないし、できたとしても、法外なチャージがとられるだけだ。

イルクーツクの少し前の駅で、ホームなき駅におりると、向かい側にロシア号がはいってきた。

モスクワとウラジオストックをむすぶ看板列車。

いまは、ウラジオストックから乗ることができるようになったが、20年前は、ウラジオストックが軍港のため、外国人に開放されていなくて、日本人がシベリア鉄道に乗る場合、横浜から船に乗って、ナホトカにいき、そこから一泊の列車でハバロフスクまでいって、はじめて、このロシア号にのることができた。

その赤い車体が入線してきたとき、非常にうきうきしたのを、きのうのように覚えている。

ランチをたべるべく、食堂車へ。バイカル湖のほとりをはしりながら、なんともはや、その大きさに驚いた。

琵琶湖の40倍の広さ。

水深40メートルまで透き通って見えるその湖は、冬はコチコチに凍ってしまう。実をいうとイルクーツクの手前に難工事があって、しばらくの間、冬のみ凍てついたバイカル湖の上に線路をとおして列車を走らせたらしい。

それだけ極寒の地ということであり、第二次大戦後、シベリア抑留者の方々は、饒舌に尽くしがたい苦労をされてのだろうと思われた。

イルクーツクに着く。

スーパーマリオ車掌と握手をして、列車を降りる。

日本人6人。同じガイドがむかえにきて、インツーリストホテルにつれていかれる。

しかし、出迎えにきているはずのガイドがいない。

どうしたことか?


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