外資系経理マンのページ

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イルクーツク



「インツーリストのかたですか?」
「そうです。おむかえにあがりました。」

これが、インツーリスト。国営旅行社インツーリストとの最初の接触であった。

インツーリスト。

当時、ソ連国内の旅行は、このインツーリスト社がすべてを仕切っていた。外国人相手の旅行を扱う。

よけいなところをうろうろされたくない、というのがこの会社の趣旨だろうなと思った。

当時、日本にも東京事務所があり、六本木のいまのアーク森ビル近くにあって、ソ連旅行の相談にのってくれるなどしていた。

また、インツーリストは、直営のホテルをいたるところに持っていて、このあとイルクーツク、そしてハバロフスクでも、同名のホテルにとまる。

なんだか、静かで、たしかシベリアのパリとよばれていただけのことはあり、きれいな街だなと、ホテルまでの道程で思った。

ホテルは、列車で一緒だったHさんと同室だった。

基本的なホテルの機能は、東京でいうとビジネスホテルなみであった。しかし、バスタブの栓がない。お湯が満足にでない。バスタブの栓はなんとかなったが、どうもお湯の出の悪さは我慢せざるをえないようだった。

そう、当時のソ連の旅行では、これくらいのことは不自由くらいは、我慢せざるをえないことは、渡航前に読んだガイドブック、旅行記で織込済だったのだ。
ホテルの一階には、ベリョースカ。これは、外貨専門のみやげ物店で、マトリョーシカといわれる人形とかを売っている。また、おおきな都市には、街中にもあり、いまでいうコンビニのような品揃えであった。もちろん、ロシアの通貨ルーブルは使えない。円、ドルのみが使えた。そして、確実に高いが、街のお店で買うよりは品数は多かった。

トイレにはいるともう一つの洗礼が。

「おまえのはいてるGパン買うぞ。」

けっこう高値でいいよってきたロシア人。しかし、うったら、何をはけばいいのか?などと考えると同時に、やはり、ものがないのかな、と思った。もちろん、「ノーサンキュ」でその場を去った。

外に出ると、車の通りはそんなに多くない。中国でもそうだったが、トロリーバスという日本ではみかけなくなった、電車とバスの合いの子のような乗り物が、バスの合間に走っていた。

ふと気が付くと、ボンネット型のトラックが、煙りをふいてとまっている。運転手らしき男がでてきて、ボンネットの前のところに、十字のドライバーのような器具を差し込んで、ぐるぐる回している。そして、もうひとりが、運転席でエンジンをかけようとするが、エンジンがかかるようでかからない。

そのそばを、ロバが材木を積んだ荷車を引っ張って通りすぎていく。

当時、日本では米ソ冷戦とかいわれていた時期だが、はたして、これが大国ソ連なのか?印象的な遭遇ではあった。


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