ヨーソロー!のひとりごつ

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マレーシアの木



 また、東南アジア諸国や太平洋地域の国々も、第二次大戦後、欧米及び日本から独立を果たしたばかりであったので、経済力に乏しく、外貨獲得手段として熱帯雨林の伐採(木材産業)を促進していく形になるのである。

 日本は、1950年代近場のフィリピンを中心に南洋材の貿易を開始したが、1960年代後半にフィリピンは輸出のピークを迎えたが、フィリピンの森林資源の枯渇が問題となり、フィリピン政府が規制をかけだしたので、それを補うかのように、1970年代からは日本の南洋材の貿易相手国は、マレーシア(サバ州中心)・インドネシアへとシフトしていくこととなるが、1980年代にはいりインドネシア政府もまた規制をかけていくことになったので、このころからマレーシア(サラワク州中心)が台頭してくるのである。そして、その頃が日本とマレーシアの関係が一番強くなってきた時期である。日本が使用する南洋材の9割がマレーシアと依存を強めていくのである。(また、この当時は日本が世界の熱帯木材貿易の世界半分を輸入している国家となった。)

 もちろん、マレーシアも木材に関して規制をかけてはいないわけではない。サバ州は森林資源の枯渇から1993年に丸太の貿易を禁止し、サラワク州も1988年ラワン原木(ベニア板の原料)輸出禁止といった政策をとっているものの、現在も日本最大の南洋材の輸入先となっている。


現在では、マレーシアの南洋材の輸入は確実に減ってきてはいるものの、それはパプアニューギニアにシフトしているからであって日本の南洋材の環境政策が発達したからではない。
 そして、日本は1999年からマレーシアの南洋材貿易1位の座をめざましい経済発展をしている中国に譲った。




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