第1の扉@佐藤研

第1の扉@佐藤研

飛鳥井雅有


 (『解釈』44巻8号、解釈学会、1998年8月)
 『嵯峨の通ひ』中の記事に、「中将入道」または「二条中将入道」という人物が登場する。これまで諸注釈で「藤原伊嗣」または「藤原経定」と解釈されていたが、本稿ではこの人物が「藤原経定」であることを様々な文献から検証した。そして、後嵯峨院治世での藤原経定の雅楽に関わる位置から、雅有がこの人物に教えを受けた体験を記すということの意味を見出した。

*序のある日記文芸―飛鳥井雅有の一特質―
 (日記文学研究会編『日記文学研究 第二集』、新典社、1997年12月)
 飛鳥井雅有の日記作品は簡略ながらも、類似の文章構成を持つ序文が付される。本稿では、こうした序の部分の分析を通して、作中人物雅有と日記作品作者雅有との意識の差異を考察した。

*飛鳥井雅有の芦屋隠棲―『仏道の記』の作品化について
 (桑原博史編『日本古典文学の諸相』、勉誠社、1997年1月)
 前稿に続く論考。『仏道の記』の芦屋隠棲場面について、虚構と認められる部分を明らかにし、それが文芸を下敷きにしたものであることを明らかにした。

*飛鳥井雅有の明石観月―『仏道の記』の作品化について―
 (『緑岡詞林』19号、青山学院大学日文院生の会、1995年3月)
 冒頭が欠落して伝わり『無名の記』とも称される『仏道の記』は、須磨・明石での観月場面、芦屋での仏道に心惹かれる場面、大和・伊勢を旅する歌中心の部分に分かれる。本稿では、(おそらく鎌倉からの)上洛から須磨・明石へと旅し、8月15日の観月を果たす場面について、虚構を織り交ぜながら、雅有の実体験を作品化した過程を明らかにする。

*日記文芸としての『最上の河路』―『嵯峨の通ひ』との関わりを中心として―
 (『日本伝統文化研究報告』、筑波大学文芸言語学系、1993年1月)
 飛鳥井雅有の日記作品中、『最上の河路』と記されるものについての考察。わずか17首の歌と詞書程度の説明を付す『最上の河路』は、雅有の家集『隣女和歌集』との重出状況から文永7または8年の記事内容であることがわかる。しかし、日記作品そのものとしての年次を明示するものはない。また、これに先立つ『嵯峨の通ひ』が文永6年の記事であることがわかるが、この作品の末部と対応するような記述が『最上の河路』に認められる。さらに書誌的な観点からも2つの作品のつながりが認められ、両作品が雅有の意識の中では一連の作品であるように構築されていることを論じた。


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