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皆さんの町では、大雨、いかがですか?ここ府中でも、あっちこっちで被害が発生しています。特に、幹線道路沿いの崖崩れが多いです。 ここは府中の街からR486を6km強西へ進んだ場所ですが、この辺りではR486は芦田川の谷あいを走っています。 目崎町から父石町へ入る道は、道幅も狭く、大きなトレーラー同士がすれ違う時など、かなりの緊迫感があります。それに、芦田川の対岸を走る「右岸線」が出来るまでは、切り立った崖から落石でもあると、すぐに通行止め。全く、市民の心配の素でした。 今回の大雨で、目崎から、うやまへ上がる道路の路肩が崩落し、4時間ほど、通行止めになりました。私は、丁度その時、町へ出る必要がなかったのでラッキーでしたが、旦那は配達のためしっかりと渋滞に引っかかってきました。以前なら、通行止めだと、全く別のルートを迂回しなくては街へは出られませんでしたが、今は、右岸線に迂回すれば大丈夫なのです。 梅雨は、風光明媚な「四季」の副産物ですから、辛抱して、その被害に甘んじなくてはならないのかしら・・・・・
2010年07月15日
息子の所属する戸手高校サッカー部では、遠征費などを支援するため物品販売を行っている。明日、あさってがその物品の受け渡し日。保護者会の副会長を受けている我が家は、明日の土曜日、物品の受け渡しのお手伝いをする事になっている。 そんな中、な、なんと、スポーツマンカレー20個と言う大量注文をくれた実家の母は、例年なら、お中元は先手を打つ人。受渡日が決まっているので、「早目にね~」と言ってはいたが、ぢっと我慢していた。ところが、そうこうする内、お中元が届き始めたので、居ても立っても居られない。私の顔を見る度、まだかぁ~、まだかぁ~と尋ね始めた。 あまり待たせるのも申し訳ないので、受渡日を明日に控えた今日、思い切って学校へ電話して、顧問の先生に尋ねると、「いいですよ~。じゃぁ、引取りに来て下さい。」 かくして、実家の分、我が家の分、そして、優しい同級生達の分、締めて10万円弱の物品を引き取り、その帰り道、早々に各家に配送したのであった。めでたし、めでたし。
2010年07月09日
トヨタは少々遅れをとってしまった。世界の本田が、アポなしの母校訪問を決行。出来そうでなかなか出来ないことだ。それぞれのスケジュールもあるだろうが、母校訪問の情報が耳に入ったのは、駒野選手と本田選手くらい。 この町を流れる出口川の川岸には、W杯前から、 「がんばれ本田 圭佑」の横断幕が掲げられていたと言う。町に出る度、立ち寄って見ようと思うものの、忘れてばかりで、結局、いまだに耳からの情報だけで、足を運んで現物を拝見してはいないのであるが、母校訪問のついでに!?ゆかりのこの町をお忍びで訪問して、美味しい○○焼きに舌鼓を打ってもらえればなぁ・・・・・・。
2010年07月06日
普段言葉を荒げることのない、極めて穏やかな実家の母が怒り心頭に達して言った。「今日、灯油を買いに行ったらね、注いでくれた店員さん、満タンに入ったポリ缶を車に積んでくれるのかと思いきや、そのまま、そこを離れて行くのよ。で、積んで頂けない?と言ったら、「そこに書いてあるように、積み込みはしないことになっていますので。」って言うのよ。足腰の痛い者は、注ぎには来られないわね!って言っちゃった。」 確かに。どうなんだろう。灯油の値段が上がった。上がったら、店員さんの時間単価も上がって、買ったものを車に積み込むのに手を貸すことが出来なくなったのか。 母によると、以前行った時には、女の子がひどく大儀そう(億劫そう)に積んでくれたらしい。以前お店にいた年輩のおじさんなら、世間話の一つもしながら注ぎ、勿論積んで下さりもしたのだ。 灯油を積まなくて良ければ、時給が安くて済むのだろうか。逆に、積むと言うサービスで高い時給を求められるのだろうか。 自営業者である私は、被雇用者より雇用者の立場でものを言ってしまうが、もし私が被雇用者でも、きっと積んで差し上げると思うんだけどな。何トンもある鉄の塊ならどうにもならないけれどね。 仕事って何かな、と思う。仕事のやり方って、その人の生き方、ものの考え方が顕著に現れると思う。余計なことは出来るだけしないようにする人、しないではいられない人。どっちがどうとも言えないけれど、もし、雇うとしたら、後者がお得かな。でも、寄り道が多すぎて本線が脱線するようでは、それはそれで困りますよね・・・・。悩む。 だが、若者よ!アナタの存在意義は一体何処にあるのか、よく考えて深い人生を過ごして欲しい。
2007年12月06日
父さんは午前中、最後のPTA会長のお勤めとして、小学校の入学式へ出掛けた。ゴーストライターの書いたお祝いの言葉の原稿を持って・・・・。9時からの入学式。でも、思い返すと、9時過ぎに服装を整えた父さん、工場へ寄った様な。「え゛??いいの?」と思ったんだけど、ま、いいか。 10時半には仕事着に着替えて工場へ戻って来た。 そして私は、午後2時からの中学校の入学式のため、帰って昼食をとるので12時のチャイムがなってももう少し・・・と現場で頑張った。1時過ぎ、帰宅し、持ち帰った家具給食を平らげる。んまい、んまい。 義母に借りたスーツに着替えいざ中学校へ出発。 配られた紙に、1:20~1:40受付と書いてあったと、うろ覚え。ま、いっか。校庭に着くとかなりの数の車が停めてあり、誘導の人がいるだけで、入学式の参列者と思しき人はいない。体育館へ体を向けたその時、校舎3階の窓から一人の男性が大声で叫んだ。「生徒は急いで上がってきなさい!」 耕平は、その声に慌て、体育館に背を向け校舎の方へ走った。私は体育館へ歩を進めたが、仲良しの拓ちゃんの兄貴「洸ちゃん」にいざなわれ、耕平がこちらに戻って来た。体育館の前で一応受付をしなくてはならないのだ。やれやれ。しょっぱなから・・遅刻・・・かよ!! 耕平は二組あるうちの2組。出席番号が14番。並べて書くと「2・14」。これが耕平の誕生日なので、耕平、かなり喜んでいた。 滞りなく入学式も済み、クラス開き。なんと、席は教壇正面の一番前。秋の文化祭でウザウザして、中学の体育の先生に程よく叱られた実績を買われたのか??!! 晃子も時間をギリギリに、みる方だし、学校としては、どうやら「問題のある家庭」の部類に入りそう。トホホ・・・・・・。 それにしても、学ランを その身にまとった いでたちに 惚れ惚れ見とれる バカな親かな 娘がセーラー服を着た感激とは、一味違った喜びがありますな。これって、おじさんたちがセーラー服にときめくのと同じなのかな。萌えぇ~~~~~
2006年04月07日
隣組のお花見がありました。午前11時から午後3時前だったかな。結構楽しかった。 うちの組は16軒。去る3月のある日、交通安全の役員について、話し合いが持たれ、その時は、父さんが出てくれたんだけど、そこで一揉め有ったらしく、IさんとNさんが冷戦状態らしい。組内でそんな事があるのは不愉快だから、こういう集会をやめにしようと言う声があるらしいが、もめてる当事者同士の問題だし、他はそれなりに楽しくやればいいので、やめる必要なんて無いというのが私の意見。だって、楽しかったもん! お花見へ出動する前に、やっておきたい仕事が有ったので、工場へ出ようとすると、義母がそれを許さなかった。耕平の勉強机を片付けて位置を移動せねば、中学へ入ってからの勉学に支障をきたす、と仰る。でも、3歳児でもないのだから、本人に任せれば良いんじゃないの?と言うのが私の意見だけど、そこがそれ、嫁姑。決して弱い姑でない義母に押し切られる形で、私は家に留まりお片付けのお手伝い。「お手伝い」なんですよね。主体性がない。 向き不向きと言うけれど、確かに、主体性を持って取り組めることとそうでない事ってはっきりしてる。私は生涯掛けて「お片付け」に主体性を持つことを課題とすべき人間であることは、重々承知だけれど、差し当たって、先にこなさなくてはならない仕事を優先してしまい、最終的な意見は一つ。「ま、片付けなくても死ぬわけじゃないし・・・。」 でも、それって言い訳。だって、三度の食事だって、食べなきゃ死ぬわけじゃないし、仕事だって、しなきゃ死ぬわけじゃないんだよね・・・。自己嫌悪。 息子が卒業してしまった小学校のサッカークラブの試合へ入ってしまって、始まりの時間に帰ってきそうにも無い父さんに代わって、この前の事故の怪我に組からお見舞いを頂いた晃子が、皆さんにお礼を言うために出席。晃子曰く、飲み会に出るのは好き。酔っ払ったおじちゃんがわけの判らないことを言うのが面白いのだそうだ。 早いものでもう四月。すぐにゴールデンウイークだ。
2006年04月02日
彼此二、三ヶ月くらい前から、国道を隔てた御調川畔のガードレールや、木の枝など、あちこちにいかにも目を引くようなドピンクのリボンが、くくりつけてあるのに気付いていた。会社の前のフェンスにも、つい先ごろ、一本くくられていた。 そんな事が気になって気になってしょうがない私は、いつか、あのリボンを取ってやろうと目論んでいたが、実行する前にその正体がわかって良かった。どうやらあのリボンは、測量のための目印になっているらしい。国道を走っていると、測量チームがあのリボンの地点で、例の三脚を立て、例のレンズのようなものを覗き込んでいた。私が見つけていたリボンは、ガードレールにも、ほんの短く、地味に結んであったが、測量をしているその人たちのところのリボンは、可愛いなんてものじゃなく、ガードレールに、惜しげもなく二重三重に巻きつけて結んであり、さすがに目印と言うことに気付かずには居られなかった。 日本最初の日本地図を書いたのは、伊能忠敬という人だったか、歴史には疎くて恥ずかしいのだけれど、よほど根気のある人だったのだろう。そして、志がなければ絶対に出来ないことだ。信念と言うか、なんと言うか。さすがとしか言いようがない。 TOKIOが、太陽電池自動車で日本を一筆書きで周っているのを見て、晃子が伊能忠敬と同じだと言った。全く賛成は出来ないが、全く違うとも言えない意見だ。そういう考え方もあるのかと思った。 それにしても、二月の明日一日を残すのみ。そして三月は猿。じゃなく、去る。少年老い易く、学なり難しとは、本当によく言った言葉だ。因みに、私は少年ではないが、極めて老い易く、学もまったく成っていない。悲しい。
2006年02月27日
今夜は子供会の会合がある。仲良しの拓ちゃんのお母さんが、夜道の一人歩きは嫌だから、会合に行く時に誘ってほしい、と会社へ寄った。会合へ出るのは父さん。会合は7時からで、木曜日の今日はサッカーの練習が7時まである。耕平をサッカーから連れて帰る人に、拓ちゃんも一緒に連れて帰ってもらえるだろうかと彼女が言うので、任せなさい!と答えた。 おおよそ、会合などに遅れていくのは嫌いな人なので、父さんはサッカーを早めに終わって会合へ行くのだろうと、耕平を私が迎えに行こうと思った。彼女が帰った後、父さんに「私が迎えに行って耕平と拓ちゃんを連れて帰るから、会合の行き掛けには、拓ちゃんのお母さんに声を掛けてあげてね。」と言うと、「オレが連れて帰る。」と言う答え。珍しく遅れて行くつもりなんだと思った。 6時過ぎに父さんがサッカーの練習へ出かけ、7時直前、私はやっと出来上がった必送品の荷物を、慌てて軽トラに積み、クロネコの営業所へ走った。帰路は僅かに7時を過ぎていたが、さすがに気の付く父さんは、二人積めるライフで出かけたし、間違いなく、二人を積んで帰るものと信じていた。 会社へ戻り、確認のため家に電話すると父さんは今帰ったところと、義母。耕平と拓ちゃんは?と訊くと、耕平は父さんに遅れて入って来たが、拓ちゃんは積んで帰らなかったと言う。ナ、何でやねん???何やねんな!!それ!!! これほど意志の疎通のない夫婦があるだろうか。どこかの局で、「意志の疎通のない夫婦コンテスト」しないかなぁ。すれば絶対に一番に出場して、栄えある初回優勝は確実だと思うんだけどなぁ。 話はもとに戻り、拓ちゃんを探すため、すぐに学校へ行ったが、すでに姿はなかった。携帯も持って行かなかったのですぐに会社へユーターン。家に電話すると、拓ちゃんちへ確かめに行った耕平が、拓ちゃんが帰宅していたことを確認。 全く、耕平も耕平だ。いつも連れ立っているのに、クラブから帰りにお迎えのおばちゃんの姿がなくてもなんとも思わないんだから!! 私からもゴメンの電話を入れると、拓ちゃんのお母さんの同級生で、5年の女の子のお母さんが積んで帰ってくれたという。良かった。でも、私は私の責任を果たしてない。本当に申し訳ない。 なんだろ・・・。もっともっと意思疎通しなきゃ。父さん、怒りっぽいから、つい言葉少なになっちゃう。つい、分かっているものと勝手に思い込んじゃって、必要なことさえ伝えてなかった。幾ら怒鳴られても、無視されても、伝えるべきことは伝えなきゃ。まずは自分の責任をちゃんと果たさなきゃ。まず、そこからだ。 今夜は拓ちゃん、本当にゴメンね!!
2006年02月09日
娘の晃子は県立F高校1年1組。彼女は先月26日に起きた交通事故で左足を骨折。松葉杖生活を送っている。 今週月曜日から登校しているが、翌日火曜日から同じクラスのW君が、晃子と同様、松葉杖で登校している。彼は野球をやっていて、それが原因だかどうかは不詳だが、どちらかの膝を手術したらしい。 手術の直前、先週の火曜か水曜日には、娘のお見舞いに来てくれた。その後手術をして週が明けた火曜日から登校している。娘どころではないタフなヤツだ。ちなみに彼の父は、私の高校の同級生。負けず劣らず、「緩めない親」なのかな?! そんな訳で、今、娘のクラス37人中松葉杖人口は2人。なんと5.4%。非常に高い割合である。 蛇足だが、W君が手術を受けた病院は新しく、松葉杖も最新のタイプのようで、娘のものはかなり使い込んだもので、クラスメイトたちから、「現代モノ」「古代モノ」と呼び分けられているらしい。ちょっと替えてもらったら、身長差の加減で、まるで上りつくようだったと笑っていた。
2006年02月08日
流行なんて一切気にしない私。いつもわが道を行く。ただ、インフルエンザの流行だけは、本人の意志云々ではないので、そうは行かない。 今朝のミニコミ誌の発表では、市内の学校のうち、市の中心部にある第2中学校区が、今、流行の真っ只中らしい。先週18日~20日、第2中学の2年生が沖縄へ修学旅行に行ったとき、初日1人、2日目10人、最終日7人の計18人が、出先で病院に掛かったらしい。そして、その全員がタミフルを処方してもらって、事なきを得たとか。とりあえず良かった。なんと、最終日には満を持して、旅行団全員がマスク着用したとか。観たかったなぁ~、その光景。170人の生徒と引率者全員が、お揃いだかなんだか知らないけど、マスク着用ですよ。 ところで、昨日書いたICプレーヤーの件。我が家の夕食時の話題になったんだけど、みんな怒り心頭。父さん曰く、京都議定書に掛けてみろ、大問題だぞ!!だって。確かに!業者との癒着以外の何物でもないと、言ってのけた父さん。私もばあちゃんも晃子も同意見。結局、そういうものなのかなぁ。
2006年01月25日
とんどってご存知?この町では、隣組単位で、田んぼや広場に「とんど」を組んで、正月挙句に注連縄やお書き初めなどをくっ付けて炊き上げる風習があります。 とんどって何?と思われる方にまず説明。竹を組んで高い塔?を作り、それに藁を被せておしゃれをさせ、さらにその年の干支の張りぼてなどをあしらった建造物?!のことを言います。私たちの組は、田んぼを持っている家がないので、当然藁を持ち出す人がないので「竹とんど」。竹とんぼではないのでご注意! 町のコミュニティ紙では、毎年とんど大賞を決めたりするので、力を入れる組はとことん行きます。何年か前、心無い人が、みんなで作ったとんどに、点火前に火をつけ燃やしてしまったと言う事件がありました。これから毎年、こんな事件に頭を痛めるのか・・・と情けなくなったものでしたが、あれ以来、そういう事件は起きていません。安堵・・・・。 本当は14日(土)午後6時半点火の予定でしたが、あいにくの雨。それで15日午後3時に繰り延べ。私は街へ出かけていて、あいにく点火に立ち会うことが出来ませんでしたが、5時前に帰宅した時には、まだ、皆が火の回りで、井戸端会議の真っ最中。 ただ、義母の手前、帰宅していきなりとんどへというのも気が引けて、いきなり夕食の準備。そうこうする内、父さんが帰ってきて、ご婦人衆が寂しいとよと私に告げる。例年、とんどには顔を出さない義母に「たまには!」と勧め、じゃぁ、行ってみようかね、と重い腰を上げかけたところで、最悪のタイミング。返す言葉もない・・・。 結局、私がとんどへ出掛け、義母が夕食の準備の続き。本当に申し訳ない限り・・・・。 とりあえず、とんどの火に当たったので、きっと今年一年も無病息災をキープできる予定?!勿論個人の努力も惜しみませんが。 府中高校で、男子バレーの公式戦があったので、晃子に誘われるまま観戦に行きました。以前から、男バレのお手並みを拝見したいと思っていたので、実はとっても嬉しかった。晃子の憧れの彼氏(と勝手に思っている)のプレーも観ることができたし。 彼氏のうちは、どうやら一族郎党挙げてのバレー軍団らしく、お兄ちゃんは中四国地区選抜に入っているらしい。そのお兄ちゃんも応援に来ていた!ご両親とも、たまたま、階段で彼氏ご本人と交わす言葉でご家族と理解し、何気なく「同級生の母です。」なんて、言葉を交わしてしまった。 もの作りは進まなかったけれど、それなりに充実した一日でした。
2006年01月15日
大晦日にお笑いのグランプリをやっていた。名前は知らない。たくさんのお笑い芸人さんたちが出てきて、次々に芸をやる。話題賞だったか、オリエンタルラジオと言う二人組みが取った。♪デンデンデンデデンデデン 武勇伝 武勇伝~~♪と言うあれだ。私は結構好き。 いつも相方を足蹴にする「あっちゃん」の声が、誰かに似ていると思っていた。そして、やっと判った。RCCラジオの藤田弘之さんだ。 彼とは、おいたちの小箱や跳び箱収納の取材で二度ほど会って話をした事がある。それに、ラジオ好きの父さんが、仕事中殆どつけているラジオからその声が聞こえているので、すっかりおなじみのキャラだ。とても優しそうな人で、取材を受けて以来、毎年年賀状を下さる。今年の年賀状には「おいたちの小箱に歯が段々と並んでいます。」と手書きのコメントがあった。 昨日の日記にも書いたように、我が家では、今年賀状を書いている、今日も書いている。だから、オリラジのあっちゃんと声が似てますよね、とコメント書いた。 声が商売のアナウンサーにとって、声が誰かに似ていると言われるのはどうなんだろう。藤田さんは優しいので、きっとご立腹される事はないと思うけど、ちょっぴり不安を残したまま、私はその年賀状を投函した。
2006年01月04日
さて、これから組内の忘年会。結婚して以来毎年、参加しています。義母はああいう席があまり好きじゃなく、最初から若い衆!?にお任せでした。 私はあ~言う席は、結構嫌いじゃなく、つい過ぎてしまって、二日酔が恒例となってしまったので、ここ数年は、自粛のため、ちょいと早めに中座することにしています。 昔はカラオケもあって、結構、とことん賑やかしてたけど、ここ数年はそれはなし。カラオケが入ると、膝を交えての話がなかなか出来ないという声もあったためです。確かに・・・・・・。 というわけで、はてさて、今年の忘年会。私は二日酔を逃れる事ができるのでしょうか。「悪魔」が私の中に入ってきさえしなければ、大丈夫だと思うのですが・・・・・・。悪魔が・・・・
2005年12月03日
なんだか変なタイトル。 なかなか芯を付いていて面白い番組が始まった。晃子と一緒に観たんだけど、舞台はとある高校。この春から高校生になった晃子には、かなり響くと思うし、高校生の子供を持つ親として、私の心にも響くものがある。 頑なに心を閉ざす小谷信子をいじめられっ子から、英雄、人気者に仕立て上げようと言う企て。時の人、亀梨君扮する主人公桐谷君と、ドラゴン桜で主人公を好演した山下君扮する草野君が、ひょんなことから関わりあって、転向して来た信子をいじめから解き放ち、学校の中で人気者にプロデュースして行こうと決めた。 学校の風景描写として、いじめられた信子に救いの手を差し伸べようとするある女の子に、その子の入っているグループの別の子が「やめて。ずっと一緒にお弁当食べなきゃならなくなるわよ。」と戒める。 へぇ~~~、と思う。そういう感覚ってあるんだ。そう言えば、ちょっと前に読んだ晃子が持ってた漫画本の中にも、超短編だけど、孤立気味の女の子に手を差し伸べようとして、やっぱりやめとこ、みたいな話があった。逆に、一度グループに入ると、嫌だな、と思っても抜け出せないような雰囲気を感じてしまう。 そんな女の子って多いのかもしれない。私はどちらかと言うと、ずっと一匹狼タイプで、一人が寂しくない方だったから、はずす方じゃなくはずされる方だったんだろうな。自分では全然気が付いてなかった。 強欲堂という書店は、美男美女しか立ち読みが許されない。その経営者が忌野清志郎師匠。雰囲気、最高! 今篇の中で印象に残ったのは、桐谷家のママが飛行機事故で死んじゃったかも、と言う場面で、本人から携帯が掛かって来て無事と判明。一家(父・本人・弟)で大喜びしながら夕食を食べるんだけど、その時、お父さんが「でも、今、あの事故で家族を失い、悲しみにくれてる人がいるんだよな。」と呟く場面。何気ない一言だけど、桐谷君の心には何かが響いたみたい。我が家の二人も、そういうことに思いやれる人間になって欲しいな。 と言うわけで、結構これ、イケルかも。来週も観よっと!!
2005年10月15日
今日は子ども会行事でりんご狩りへ行って来ました。入園料600円。お弁当代420円。子供は子供会費で賄われるので、この他には、持ち帰りのりんご代とお土産代が掛かった位でした。 りんご狩りはご存知のように、リンゴ園へ入ってりんご食べ放題。でも、園から持ち帰る場合は買って帰るという方式。ナイロンの買い物袋に一杯入れておよそ3千円と見積もって下さいと言われた。なるほど・・・・・。 りんごの木にはりんごの実がたわわに実っている。きれいな赤色。背の高い木の一番上の方にも実っている。軽く手の届くところの実を一つもいで、貸して貰ったプラスティックのナイフで芯に向けて切り込みをいれて口に運ぶ。甘酸っぱい匂いが辺りに広がり、口の中は心地よい酸味と濃度の高い甘みで一杯になる。 耕平が持っ来たものを同じように一切れ、切り取って食べてみると、そちらの方が糖度が高かった。りんごを見る目が肥えているのか。 私がもいだ実と耕平がもいだ実を二人で食べたら、もうお腹がりんごで一杯になった。家で、皮をむぎ、8つに切り分けて頂く時には、5人家族だと、二切れありつけるものはたったの三人。うかうかしていれば、晃子が幾つも平らげて、不運にも一切れもありつけない時さえある。そういう状況の中では、例えば8切れ食べてもまだまだと思うのではないか。 しかし、手を伸ばせば幾つでももぎ取る事ができ、生存競争の不要な状況下では、一つ食べてしまうともう結構状態。まだまだ入園料の元さえ取れていなくても、まあ、仕方ないか、という気になる。これがみかんなら、あるいは「梨」なら、話は別かもしれないが。 こうして1時間半ほど、リンゴ園で過ごした後、私たちは公園へ場所を移動した。一面の芝生の中に池が設けられ、藤棚のように日よけが有る場所へ陣取った。ソフトボールに興じる者。バドミントン、遊具遊びなど、思い思いの過ごし方で3時間を過ごした。その間にお弁当も頂き、久しぶりの休日らしい休日を満喫した。 お母さん方は、弁当を食べた敷物の上で、四方山話に花を咲かせたが、体を動かしたい私は、男の子たちが遊んでいるソフトボールの輪へ割り込んだ。無性にボールを投げたい衝動に駆られたのだ。 しかし、実際に投げてみると、息子らがやっているように流暢には行かないのが現実。肩は四十肩で、稼動範囲はむやみに狭く、ボールを離すタイミングなんてでたらめで、3歳児のボール投げ状態。情けなくなってしまうけれど、くじけず練習していたら、何度かは会心の投球が出来た。 低学年の男の子たちが「おばちゃん遊んで!」と言って来るので、軟らかいぶつぶつの付いた直径15センチくらいのボールを投げ、プラスティックのバットで打たせてやった。ボールが大きいとは言いつつ、結構上手に当てるので感服した。捨てたものではない! やっぱり子供は外で元気に遊ぶのが本当の姿だ。液晶画面に見入って、指先の運動ばかりしていたのでは、日本の将来を背負ってはいけないぞ!! ボールが池に落ちると、待ってましたとばかりに耕平の出番。あいつは水が好きだ。ボールを拾うような恰好をしながら、実は水の中の生物を観察している。そこに沈んでいたパイプを拾い上げると、数匹のザリガニが出てきて、みんな狂喜乱舞していた。ザリガニは昔から子供たちのアイドルなのか? そんな耕平を見て、低学年の男の子たちも入水し始めた。私はズボンをぬらさぬ注意だけ促し、無理にとめようとは思わなかった。それが普通だと思うし、こんな時くらい、そうさせてあげたいと思った。 ズボンの裾をしっかりとぬらした子がいたので、脱いでパンツ一丁になりなさいといった。彼はどうしてもいやだというので、じゃぁ、芝生にうつぶせて、乾くまでじっとしてなさいというと、意外に言う事を聴いた。彼の隣であれこれと離しながら過ごすと、他の子たちが「おばちゃんボール投げて!」とピッチャーをせがんでくる。こんなに人気者でいられるのはこういう時しかないなぁ・・・とおかしかった。 子供たちにおばちゃん、おばちゃんと言われるのは結構楽しい。中には、我儘な子もいるが、筋を通して話をすると、ちゃんと納得して従ってくれる。子供だからとバカにせず、一人の人間として、目線を合わせればよい事なのだ。そして、だめなものはだめでも、話だけは聴く耳を持つこと。これが分かり合うための第一歩だと感じる。 帰り道にまつたけ村へ寄ってお土産を買った。三角のお揚げさんが二枚入ったものが147円。ばあちゃん、大喜びだった。見るからに美味しそうだね、と感想を頂いた。良かった。 末っ子のあなたが小学校を卒業してしまうと こんな風に小さい子供たちと ころころして遊ぶ事は なくなってしまうだろう それも一つの子離れなのかもしれない 少しずつ、少しずつ・・・・・ 明日も、明後日、その次も、 同じ朝がやってくると思っているけれど それは大きな間違いで 本当は昨日の朝と今日の朝は 目に見えないくらいだけれど違っていて 二人の間の距離は 目盛りではわからないくらいだけど離れ でもそれは決して間違いではなく 誰でもがそうである通りのことで 寂しいとか悲しいとか 嬉しいとか楽しいとか 決してそんな気持ちではなく 限りなく当たり前な気持ちで 遠くなっていくあなたとの距離を 見つめられる自分でいたい
2005年10月09日
今年は中休みの1年。娘がこの3月で中学を卒業し、息子は4月から小学6年。今年1年は中学校に我が家の子供がいない中休み。でも、8月末にキャリアウイークで二人の中学生を受け入れたことと、今週になって文化祭用品?!の注文(ひな壇に使うコンパネ)を頂いた関係で、文化祭を観に行く事になった。尤も、去年から、小中一貫教育の一環として、三中の隣の明郷小学校の4年から6年が出し物を持って発表に行くようになったので、それを見逃すわけにも行かず、10時から学校へ出掛けた。 学年別や選択科目別の発表はあったが、音楽部出身の私の最大の興味は、昼食直前、午前の部最後のプログラム、吹奏楽部の発表だった。 この4月、私の高校の音楽部で二級先輩だった今井先輩(チェロ)が、この地へ赴任しておいでた。高校であれだけ部活に熱心でいらっしゃっただけあって、今年は部員の数も(どういう手段であったかは定かでないが?!)かなり確保され、楽器も揃えられ、夏休みには吹奏楽コンクールへB部門ではあるが、子供たちを連れて行って下さった。昨年度までとは雲泥の差だ。 演奏を聴いて私は気持ちが高揚した。中低音がしっかりしている。先輩もチェロという中低音楽器だったからなのか?残念だったのはトランペットの完成度が極めて低かった事だ。 管楽器の基本は、兎に角、呼吸。車がガソリン無しには走れないのと同じように、管楽器は空気無しには絶対に鳴らない。このことは良く判っているようで、実は全然理解されていない。一番面白くないロングトーンという練習が、一番重要であるのは、このことに由来するのだ。兎に角息を吸って、息を吐く。すばやく吸って一定のスピードで吐く。ロングトーンを制するものは管楽器を制するといっても過言ではないっ!!!!! この子達はなかなか優れた耳を持っていると思った。伸ばす音でまずまずのハーモニーを響かせていた。先輩の指導が良いのか?中低音がしっかり支えてくれているので、不安定な高音も、かろうじて安心して聴ける音で響いてくる。 体がうずうずしてきた。関わりたくて仕方ない衝動に駆られた。個人指導やパート練習を、指導してみたい!!長らく私の中に眠っていた「音楽の虫」が目を覚まして、そろそろと活動を始めそうな予感だ。
2005年10月08日
絶対に聞き漏らしてはならじ!と、いつも、ポカばかりする私に似合わず、1時間ごとにチェックし続け、数分の遅刻はしたけれど、バッチリ、講演を聴いてしまった。そりゃ、聴き逃す訳には行かない。講演内容は「思春期の性」。進学相談どころではない!!??人生掛けた最重要項目。と言うのは言い過ぎ?! 話におい出たのは呉市在住の養護教員を退職された沢田 美代子先生。現在、広島性教育研究会の会長さん。遠く目に見て直感したのは「ヤワラちゃんが年取ったみたい。」隣で聴いてたクンちゃんに言うと、プッと吹いてた。 先生が勤務する工業高校に一本の電話が掛かってきたところから話は始まった。一人の女子高校生の母親からの電話。「どうしたらいいんですか?何とかしてください。」 涙声で声にならない。母親をこれほど錯乱させたのは高校3年の娘の妊娠だった。相手の男の子は先生の学校の生徒。三年で、二人は中学二年から交際をしていた。 一も二もなく、すぐに産婦人科を紹介したが、じきに「手遅れ」と電話があった。妊娠8ヶ月。もう中絶は出来ない。彼女は赤ん坊を産む事になった。 すぐに両人とそれぞれの保護者を呼んで話し合いが持たれた。二人に尋ねると4月6日に性交渉があったと言う。彼の家の彼の部屋で。二人の話に相違はなかった。男の子の母親が言った。「そんなはずないです。私は息子を信じています。」 信じるも何も、今、二人とも、性交があったと言ったじゃないか!先生はしかし、黙って母親の言葉を聞き流した。大切なのは当の二人だから。 話し合いがあって間もなく、女の子の父親は母親に、娘と三人でドライブに出掛けようと誘った。雪の降った山道のカーブをフルスピードでハンドルも切らず直進。13mの崖を車はダイブした。10代の婚外妊娠、私生児出産の恥を晒しながら生きるよりも、きっぱりと命を絶つことを心に決めていた。 大破した車とは裏腹に、車外に放り出された3人とお腹の赤ちゃん、四つのの命は、ふんわりと積もった軟らかい雪に受け止められた。 先生は彼女を両親と暮らさせるのは危険だと考え、産婦人科へ入院させた。 年が明け、1月5日、女の子は誰一人の立会いもなく、ひっそりと赤ん坊を出産した。激しい陣痛に声のひとつも上げることなく、耐えて、耐えて、耐えて、ひとつの命を産み落とした。彼女は生まれた赤ん坊の顔を見なかった。この手で育てる事のできないそのいたいけな顔を見てしまうと、悲しみが深くなってしまうだけだから。 人を愛する事はとても大切で、当たり前で、美しい事だ。けれど、その愛を表現する性行為と言う行動は、必ず新しい命の誕生の可能性を伴う。体を愛し合うことは、命を繋ぐことなのだ。 けれど、それを思わず、浅はかな情報に惑わされ、大切な事を忘れ、捨て去ってしまう若者たち。それはいつの時代も、変わることなく、繰り返される過ちだけれど、その繰り返しの上に、少しずつでも、賢く理性のある若者たちが、育ってくれる事を祈らずに居られない。
2005年10月03日
耕平が命を掛けていた羽高湖畔フェスティバルの釣り大会。去年は皆目坊主で、泣くに泣けない帰還となった。 夕べ、すっかり忘れていたスイミングクラブの反省会に遅々と参上し、二件目へ突入する同志?!を白タクで送り届けて帰宅したのが12時過ぎ。それから、試験発表中である娘と、お笑いオンエアバトルを見ながら、おいたちのビーズを作り、目標の20個を仕上たのが午前2時過ぎだった。 応接間のソファでうっかりうたた寝をし、お風呂に入って湯船でうたた寝。歯磨きをしてお布団に入ったのは3時を回っていた。あぁ、恐るべし不良母。 そんなわけで、朝6時からの受付のため家を出る耕平と父さんに気が付く好もなく、うとうとしてはまた眠り、ハッと目ざめたのはなんと8時過ぎ、いや、8時半も回っていたか。 実家の寺で月初めの盛運祈願祭をやるから、丁度日曜日なので出ておいで、と声が掛かっていた。言い出し難いので、昨日、行きそびれた健康祭りの健康チェックへ行って来ると理由を付け家を出た。 お寺へ行ってお経に会い、お祭りへ行った。健康チェックには脳年齢測定や、骨密度測定があった。数人の列の最後尾に付け、さぁ、測定!と思うと、担当者が「カードを出して下さい。」と仰る。そんなのないよ! よく聞くと、受付で番号カードを貰うらしい。すでに、午前中の順番は終了していて、12時半から午後の番号が配られると言う。そんなの待ってらんない!短気な私は会場を後にした。 芦田川右岸線というバイパスを通って帰ろうとしたとき、ウッドアリーナで中学の県総体女子バレーが行われているのをふと思い出した。・・・行ってみよう! 行ってみると、行われているのは準決勝だった。駅家中VS安佐南中。中学とは言っても、さすがに準決勝となると高校もたじたじのレベル。駅中が一セットとって2セット目の中盤まで、リードしていたが時間切れで会場を後にした。 去年はこの大会のため、3中の子供たちを連れて呉へ行ったんだよな、と思った。 12時半過ぎ、帰宅。耕平は釣りの梯子中でまだ帰ってなかった。 府中へ出る前に父さんだけが帰ってきた。リベンジを果たしたと豪語。なんでも、60センチアップを釣って優勝したらしい。その他、2位、3位、4位まで身内で固めたと言う。運がよいとこういうこともあるんだ。 優勝の商品は、困った事に釣竿。くっついていた懸賞の応募葉書にしっかりと記入して切手まで貼っている。「今日は当たりが良かったから、それも当たるかもね!」と茶化すと、父さん、真顔で否定。「いや、当たったんじゃなく、釣ったんだから、だめだね。」 今日の教訓信じる者こそ 救われる
2005年10月02日
去る9月4日にあった市民水泳大会で幕を閉じた今年のスイミングクラブの活動。空梅雨の6月半ばから通い詰めたプールサイドから遠ざかって2週間が過ぎた今日、総まとめの表彰式が行われた。 まずは、市民水泳大会での入賞を表彰。種目別3位までの選手に賞状とメダルが授与された。低学年では、自由型以外を泳げる子が少ないので、入賞者も多い。と言っても、入賞が簡単と言うのではなく、「泳げるようになれば」入賞のチャンスが広がると言うことだ。 次に皆勤賞、精勤賞の表彰。愚息はサッカー部と兼部なので、毎週木曜日の練習はサッカー優先でスイミングは欠席。論外であるが、改めて振り返ると、それ以外は殆ど休んではいない。全くタフなヤツである。 その次は金銀銅、各賞の表彰。圧巻なのは6年生の女子。13人を擁し、全員が受賞。クラブの定めた基準記録に基づいてのそれだが、かれこれ10年関わる中で、こんな学年に会った事がない。13人のうち、なんと、10人が金賞。残る3人も銀賞だった。愚息耕平は今年銅賞狙いで発進したが、この素晴らしい同級生の中にあって、奮闘する事を余儀なくされ、開けてみれば銀賞と言う栄誉に輝いていた。 誰もこの子達に論外に鞭打ったわけではない。ただひたすら、まずは一人ひとりが勤勉で、さらに、それぞれがひそかなライバル心を失うことなく、切磋琢磨に、自ら育ちあったと言うのが、最もふさわしい表現だろう。時には水に浸かっておしゃべりに夢中になることもあった。そんな時には「サボるな!!」とゲキも飛ばした。今となっては、それも懐かしい思い出のひとつだ。 去年までは、市民水泳大会の前日に行われていた表彰式を、今年から、2週間延ばした。毎年、9月第二土曜は参観日とバザーがあるので、学校行事に合わせ、第3土曜日に振った。翌日の試合に向け、表彰式の後は最後の仕上げにプールへ向かい、ひと泳ぎしてから最後にフィルター掃除をして終わっていたのも、懐かしい思い出だ。 今年はそれが無いので、ケーキを準備し「準優勝祝勝会」なるものを企てた。試合当日のビデオを見ながら話に花を咲かせた。愚息は頂いたファンタグレープの500mlペットをどのくらい残していたのか知らないが、座布団にこぼしていた。ったく、困ったやつである。 そうして、ビデオ鑑賞も終わった時、6年生がこれから役員さんの表彰をしますから、並んでください、と言う。ピンクの色画用紙で作った手書きの表彰状を手に手に並んでいる。名前を呼ばれたものが前に進んで受け取ると言う事になった。 全ての役員が表彰状を受け取った後、会長の粟根さんが、「主任コーチの豊田さんから一言お願いします。」と私に振った。聞いてないよ。けど、胸には一杯の感動が詰まっていて、それを言葉することは困難ではなかった。 まずはありがとう!大したことはしてないのに、育ったのは、君たち自身の力なのに、感謝状だなんて、恐縮だよ。 頑張れば報われれる。でも報われない時もある。水を掻いても掻いても進まない時、どんなにもがいてもゴールが近づかない時。そんな時に投げ出さないで、ちょっと休憩を入れたりしながら、頑張り通す術を「水泳」と言う競技を通して、身につけて欲しい、と話した。 どれだけの子が理解してくれたかわからないけれど、もし、彼ら、彼女らが私という人間に敬意を抱き、愛してくれるのであれば、私が愛する彼らには、より素晴らしい人生を生きて欲しいから、自らを助けるものは自らであり、素晴らしき仲間であることを、識って欲しいから、ちょっとかっこつけ過ぎだったけど、語ってしまった私だった。 素晴らしき明郷スイミングクラブの仲間に栄光あれ!!!!
2005年09月17日
大きな台風が近づいているらしい。夕べ遅く、東京は杉並区あたりで、浸水があったようだ。実家の父がその映像を見ながらポツリと言った。「お前んちの工場も、浸かっても良いようにしておけよ。」 心にずし~~んと響く一言だ。片付けてるうちに台風は過ぎてっちゃいます。マジで! 数日前、読売新聞の投書欄の担当者さんから電話があった。6日(火)投稿が掲載されるとのこと。ん、なかなか好調。先月も月初めに掲載されたし。嬉しくて父さんに言ったら、鋭い指摘が返ってきた。「お前、パソコンを使ってそんなんばっかりやってんじゃないのか?」 ・・・・・そ・・・それは・・・・・。 今日は月曜日。でも、もうスイミングの練習はない。清々したような、物足りないようなキモチ。胸に大きな穴がぽっかりと空いた感じ。もう来年はわが子も居ないので、プールサイドへ行く事はないだろう。 夕べの打ち上げの時、残るメンバーが、絶対、教えに来て下さいよ!と言ってくれた。嬉しいけど、行くとなると、父さんもばあちゃんもご機嫌良くないだろうな。もし行くとしたら、仕事も、家の事も、今年の比じゃなく、バッチリやっておかなきゃ許されないだろうな。 まぁ、来年は来年の風が吹くさ。今夜はそろそろ台風の風が吹き始めたかな。
2005年09月05日
総勢56名。中でも、6年女子13名は、粒ぞろいだった。決して、最初からそうだったわけではない。この子達の「友達力」が、この子達を育て上げた。愚息耕平は男子なので、その輪の中に入りこそしてはいなかったが、女子からの「耕ちゃん、耕ちゃん」と言う声援が、励みとなっていたことは確かである。そうして、切磋琢磨に練習を重ねた2ヵ月半の成果を持って、今日は優勝に向けてアクセルを全開した。 けれど、これだけの人数と実力を持ってしても、破れない壁があった。宿敵国府小学校スイミングクラブ。ジュニアオリンピックへ出場するレベルの6年生が男女各一人ずつ。この子達の活躍で、リレーは全て1位をさらわれてしまった。 我がクラブの課題は、と言うより、どのクラブにおいても、勝ちに行くためも最短の近道は、何と言っても男子選手を揃える事。女子の水泳人口に比べると、男子はサッカーや野球に取られるので、高学年になるほど選手層が薄い。そこが狙い目だ。 そんな状況下で、我が愚息耕平は、今日、最高の泳ぎを見せてくれた。サッカーと兼部し、二つのクラブの練習時間と釣りの時間?!を調整しながら過ごした最後の夏。第二次成長の兆しの見えるその細い体には、それなりに、しっかりとした筋肉が付き、肩幅も広くなって体全体が、がっちりとしてきた。 力強く泳ぐ姿がとても感動的で、「練習でこんな耕平、見た事ない。」と、嬉しく思う反面、練習の時、これくらい泳ぎこんでいれば、ひょっとして、もっと伸びたのかな・・・・、と欲張ってみたり。 でも、4年生の時、サッカーのレギュラーになったから、と一度はスイミングクラブへ入る事を拒んだ耕平を、私は既に受けていた副会長の役を盾に、無理やり引き止めたあの夏から3年目。見事に花開いた耕平の晴れ姿と、明郷スイミングクラブの部員のみんなの夏をやり遂げたすがすがしい笑顔に、乾杯!と、心から思い、拍手を贈った。
2005年09月04日
9月3日(日)の市民水泳大会に向け、月曜日から強化練習が始まった。今日で3日目。 明郷スイミングクラブに関わるのは、今、高1の娘が小学1年に上がった年から数えて、な、なんと今年で10年目。最初の年は、練習開始と前後して、会社で指を怪我して2ヶ月あまり入院。退院したのは8月末だったので、練習を見ることもほとんどなかった。 二年目に向けては、シーズンオフに当時、教えてに来て下さっていたYコーチの声掛けで、BGプールに月に二度、通って泳ぎを指導してもらった。本当は娘のコーチをして頂くことになっていたが、便乗して、私も教えてもらったというわけだ。その時に、まず指摘されたのが、平泳ぎのキックが「あおり足」になっているということだった。自分では判らないものである。勿論私は素人なので、何が正しく、何が間違っているかなんて判らなかったが、やっぱり、経験のある人には教えを請うものだなぁ、とつくづく思ったものである。 そんな時代から早10年が過ぎ、数年前から私の胸中にあったのは、学校のそれが屋外プールであるが故の悩みだった。背泳ぎの時の目標がない。子供たちは一生懸命にトップスピードで泳ぐのだが、壁が近づくと、腕や頭を打つので怖がってスピードを落としてしまう。試合は屋内プールなので、壁まで5mのところに旗が渡してある。けれど、それを見て練習していなければ、旗が見えてどのくらいで壁なのか、結局、行き当たりばったりである。 特に今年の6年女子は皆レベルが高いので、目標さえつかめれば、トップスピードでターンに入れる。それに、私にとっても今年が最後のお勤めだ。 そんなわけで、悲願であった5mの目標の旗(モノとしては工場から持ち出した黄色いPPバンド)を、今日取り付けた。胸のつかえが降りた感じ。一方は、中学プールと小学プールを隔てる鉄柵に縛りつけた壊れたモップの柄に紐で固定し、もう一方はプールサイド敷地のフェンスにくくりつけると言う、苦肉の策。でも、空行く雲を目標にするよりは当てになるはず。 さて、残すはあと3日。せっせと泳ぎこんで、心臓に一杯毛を生やすのだぞよ、子供たち!!!
2005年08月31日
6月半ばから頑張ってきた明郷小スイミングクラブ。月、木、土、日の週4日の練習。中には熱を出しながらも、欠かすことなく通い詰め、皆勤賞を手にしようとする子もいる。 息子は木曜の練習がサッカー部のそれとかぶるため、スイミングへは週三日の練習だった。皆勤賞は全然手が届かないけれど、これる練習には一度も欠けることなく、いや、二度欠けたかな、とは言え、決してサボることなく頑張って、今日の記録会での記録は4種目全て1分をきった。 6年男子で、50mの記録が1分をきるとかきらないというのは、決してハイレベルな世界ではない。例えば、同じ6年生のあやかちゃんは得意なバタフライが37秒台だ。女子でそれだから、男子は本当ならもっと上を行くはずだが、耕平の実力はバタフライ50mが50秒台。だけど、私が耕平を評価したいのは、「どうせ、その程度さ。」と言う投げやりな姿勢ではなく、目標を決めて、それに向けて精一杯に頑張って、何とかかんとか、それをクリアしたところだ。 それは、自分にはサッカーがある、と言う「自信」に基づいたものかもしれない。そう考えると、「自分にはこれ」と言うものを持つことは、とても大切なように思う。ただ、それに関しての自信がぐらついた時の踏ん張りが、とても重要な意味を持つだろう。 勉強、スポーツなど等、たくさんの取り組む課題があって、やたらと「レベル」が取り沙汰されるけれど、大切なのは、それに取り組む個々が、前向きに自分のこととして頑張れる事だ。 全世界的に見ると、たった一人の人間がどれだけ真剣に色々な事に取り組むかは、極めて小さな取るに足らない事象かもしれないが、それは例えて言うなら、宇宙的に観ると地球での地球規模の出来事は、大したことではないが、地球にとっては極めて一大事だと言うのと同じで、当事者?!にとってどうなのかが、一番重要だということだ。 不得意な事に投げやりな態度をとる子が、そのことに気付いて、自分を完成に近づけるため、敢えて、自分を厳しく鍛える気持ちを持つ日が、いつか来ればいいと思う。 それにしても、子供は育つ。私は、いつもそばにいて、ちょっと感想を述べたり、一言アドヴァイスをしたりするくらいだ。その他は、子供たちが子供たち同士で、切磋琢磨に磨きあい、励ましあいながら頑張っている。 それにしても、毎年の事ながら、記録会の後のうどんは本当においしかった。もう来年は食べられないと思うと、ちょっと涙が出た。長かった明郷スイミングクラブとのお付き合いも、一週間後の市民水泳大会で幕を閉じる。
2005年08月28日
6月半ばに始まったスイミングクラブの活動が早2ヶ月を超え、来週日曜が最終の記録回。バタ足もおぼつかなかった低学年の子供たちが、クロール25m楽々泳ぐようになり、さらに平泳ぎ、背泳ぎ、バタフライとマスターしていく。 子供たちってすごい。見よう見まねでやっているうちに、そこそこの型が出来、ちょっとしたコツを教えると、見違えるような泳ぎをやってのける。町には一つ、半公営のスイミングクラブがあり、屋内プールで年中無休の練習をやっている。今年の6年生は、総勢14人の内3人ほどそちらに通っているものの、半分以上は学校の夏だけのスイミングクラブで4種目をマスターしてきたし、エースの一人、あやちゃんは、全然習いに行かなくてもバタフライなんかぶっちぎりだ。 この子達を見ていると、つくづく、子供って友達との切磋琢磨で育つんだなぁ、と思う。我が子、耕平も然り。もともとは、水泳が億劫で、サッカーの方でレギュラーを取った時点で、スイミングはやめると言ったのを、無理やり引きとめたのだが、此処に来てやる気満々。エースの子達とは水を分けるが、セカンドエースの女子とは、何とかタイで泳ぐようになった。練習をサボるなんて事も一言だって言わない。兎に角元気。 耕平が最後の大会を終えたら、私もスイミングクラブを卒業となる。来年の夏は手持ち無沙汰になるかもしれない。
2005年08月21日
耕平にとっては最後の1年。スイミングクラブの日々が過ぎて行く。そして今日は中間記録会。6月半ばに始まった練習の中で、どれくらい記録を伸ばしているかを計測する会だ。 耕平の目標は6年男子銅賞。女子の中にはBGや、ビッグランと言った、有償のスイミングクラブに通うことなく、こうして学校のスイミングクラブだけで頑張って賞を手にする子は少なくない。実力があるってことだろうなぁ? けれど、男子の場合、中学年になると、野球とかサッカーとかに取られて、水泳を続ける子が極端に減って、競い合うと言う感覚がなくなると言う事もあるし、各賞のタイム設定が5秒ずつ女子よりもが高くしてあるので、男子の入賞者は例年稀少。今年も例に漏れず、耕平の他に2人の男子がいるが、一人は何とか50m完泳にたどり着いたところ、もう一人はクロールでの完泳がやっとと言うレベルだ。 その中で、耕平は「サッカーをやっているスポーツ少年」の名に掛けて、今日は隣の1コースで泳ぐ4年女子のひろかちゃんにだけは負けてはならじ!と、目を見張る力泳を見せた。 全ての種目で自己ベストとはいかなかったようだが、各25mの個人メドレーで1分50秒はなかなかのものだと思った。 来月4日に開かれる市民水泳大会では、どんな力泳を見せてくれるのか。その一週間前にはスイミング最終記録会がある。体調を崩さないよう、頑張って欲しい。 話は変わるが、お盆に琵琶湖へバスを釣りに行くことになった。「ノーリリースありがとう券」をゲットするのだ。在来種を危機にさらす外来種を減らすために、滋賀県が毎年行っている行事で、外来種500gを50円のお買い物券に換えてくれる。釣りをしてお小遣いを稼ぐことが出来、しかも、環境保全に貢献できるのだ。行き帰りの交通費や素泊まり雑魚寝の民宿とは言え、宿泊費などは掛かるが、何はさておき日本の誇る「琵琶湖」を守るためだ。腕によりを掛けて吊って差し上げようではないか!! ちなみに、晃子と私は釣りはどうでも良いので、近所の屋内プールで泳ぐ事にしています。
2005年08月07日
晩い梅雨の雨で練習が中止中止と泣かされた球技大会。今日はその当日。結局練習は3回だったのかな。他の町の中には結構力を入れて早くから取り組んだ町もあったらしく、結果が心配されたけれど、何とか準優勝。去年は女子のドッジボールと共に、恐るべしペアで最下位だったような記憶がありますが、今年はドッジボールの方はな、なんと優勝です。 反省会を兼ねた昼食のあと、ひとりずつ思いを言わせるのだけれど、女の子はみんな口を揃えて「去年は最下位だったけど、今年は優勝できて嬉しかった。」気にしてないような顔をしていても、やっぱりげっちょって言うのは悔しかったんだろうな。 最近は野球も平生の遊びの中で殆んどしなくなったので、3年生の子なんか、打ってもどっちに走ればよいのかわからなかったり、守備でボールをとっても、どこに投げればよいのか見当もつかなかったりする。友達同士での遊びが、ゲームとかカードとかに取って代わられて、結局野球なんて出来なくても、他の子と遊べる時代なんだってことなのかな。だとしたら、ゲームメーカーを恨んじゃうな。だって、野球が特殊技能なんてあまりに寂しいと思いません?? サッカー王国とか、野球王国なんてのは、殆んどの子供がその競技が出来るから、全体のレベルが上がるんだろうな。「底上げ」ってやつ。今の日本は、「やってもどうせプロになるわけでもないんだし。」みたいな感覚とか、「今更始めたって・・・・」みたいなキモチがあって、スポーツにそっぽを向いている人って多いんじゃないかな。 でも、それっておかしい。スポーツはスポーツをする事が究極の目的で、プロになる人はそのスポーツを極めた結果そうなっただけの話でしょ。 スポーツって大切。体を動かすことで健康維持につながると思うし、絶対必要だよ。へたくそだって構わない。やってみようとする意志がその人を強くもすると思うし。 ソフトボールの監督をして下さったお父さんと話した。「スポーツはやらなきゃいけませんよね。体も強くなるし、心も強くなるから。」 打ちのめされる事を知って、初めてその辛さに絶える力が付く。苦しみを知らないまま過ごしてしまうと、いつか挫折してしまった時、それを乗り越え再び立ち上がり前進できなくなってしまう。人生を投げ出してしまうかもしれない。そのときの予防注射のつもりで、あえて、しんどいことを子供たちには経験させたいと思う。 私は吹奏楽やオーケストラに打ち込んでいたけれど、それを否定せず、自由にやらせてくれた両親や家族に、今、本当に感謝している。あの頃経験したしんどさがなかったら、きっと今の私はなかっただろう。尤も、こんなに言うほど、たいした人間ではないけれど、温室に閉じ込めることなく、羽ばたかせてくれたことを本当にありがたいと思っている。 話は大きく変わりますが、たった今、昨日、今日二日間の町の夏祭りの最後のイベント、打ち上げ花火大会が始まったようです。遠くから「ドンドン」と川筋を伝って打ち上げ花火の音が響いてきました。晃子は花火の見えるところに住んでいる部活の同級生の家で、バーベキューをご馳走になって帰ってくるらしいです。夜道を自転車で帰るのは危ないから、父さんが軽トラで迎えに行くといってます。
2005年07月24日
先週末から土、日、月の3日連続の練習日は、女性の都合で水に入れなかった私。プールサイドからの指導は思うに任せず、やっぱり水に入って手取り足取りの指導がしたくてうずうずしていた。女性から解放された今日は日中も暑いどころではなく、一刻も早く水につからねば干上がってしまいそうな1日だった。 4時半頃からおいたちの筆耕を持って実家に行き、買い物と一軒集金をして帰った。買ったものを家に置き、会社に出ると現場がまだ動いている。ソフトボールの練習へ出るために退社した父さんの手前、知らん顔は出来ず中に入る。キリがついたのは6時。後も見ず学校へまっしぐら。家に帰った時水着を下に着たので上のシャツを脱いでシャワーへ直行。よ~し!と3コースに入って、早速子供たちを指導していると、不自然な視線を感じた。 子どもたちの一人が私に細った。「おばちゃん、肩に何か付いてるよ。」「・・・・・・」 そ、そう言えば、あまりに肩が凝ったので、夕べ両肩にサロンパスを貼ったのを忘れていた。やれやれ・・・・・・。全くトホホな43歳だ。
2005年07月21日
6日の滝開きもアウト。そして、今日の滝フェスティバルまでも、雨の影響で中止と相成ってしまった。滝の宿のおじさん、残念してるだろうなぁ。 午前9時半前、耕平は拓ちゃんと二人、滝まで歩いて行ったらしい。10時からのスイミングの練習は、今日は射的距離にはなかったみたいです。ところが、上がってみると誰もいない。いるのは滝の宿のおじちゃん一人だった。「あぁ、今日は中止だよ。こんなに水が多くちゃ、危なくていけないからね。」 がっくりと肩を落として帰る二人の姿が目に見える。滝から帰って耕平は工場で仕事をしていた私に電話を掛けてきた。「スイミング、行く?」「行くよ。滝、中止?」「うん。練習、連れて行って!早めに帰ってよ。」「了解!母さんの練習道具、入れといて!!」「オッケー!!!」 と言う事で、滝滑りが練習に変わり、プールでひたすら25メートルを往復することになった。 私は担当の3コースで今日は平泳ぎの特訓。丁度、小学校時代、平泳ぎを専門にやっていた「ともくん」が、寮生活をしてる中学校から帰省し、練習に来てくれていたので、お手本を見せてもらったら、かなり刺激になった。 6月末から入っている注文品で、すったもんだと言いながら、日にちをいただいていた商品が、いよいよ期限切れとなり、昨日、今日はそれに掛かりっきり。その割にはなかなか仕事が進まず、今日3時頃から父さんの手伝いを得てやっと目鼻がついた。明日は出荷できそう。 今まで初回、二回目と連続して雨で中止となっていた町別ソフトボールの練習試合が、またまた、雨にたたられそうなので、お昼ご飯をたべた耕平の顔が沈んでいる。「テルテルボーズでも作って、お祈りをしておけば?!」 ほんの冗談で言ったのに、マジでテルテルボーズ作製に取り掛かった。だけど、その甲斐もなく、やっぱり中止。梅雨はいつまで続くんでしょうか?気温が低くて過ごしやすくはあるんですがね。
2005年07月10日
耕平は長らくこの日を楽しみにしていた。毎年、地元の下川辺保育所の年長さんと、明郷小学校の6年生とが招かれて初ずベリを披露する「三郎の滝 滝開き」。なのに、待ちに待った6年生として迎えたこの日を前に、空梅雨、空梅雨と懸命に雨乞いをしたお陰で、来る日も来る日も雨、しかも豪雨が続いた。 昨日あたりから、久しぶりの太陽が顔をのぞかせたが、太陽光発電の発電量は一桁、しかも前半止まり。四捨五入すれば「ゼロ」だ。そんな中で迎えた当日。かろうじて傘の世話にならず登校はしたものの、降り続いた雨で滝の水量は恐ろしく増えていて、滑るなんてとんでもない。例年、小雨決行だったが、今年は前降りが違ったのであっさり中止と相成った。 あれでもと、すでに個人的に滑りに行った時に準備していた滝滑り用のズボンと、儀式に参列するための礼装?!の規定服の半ズボンをつめたスイミングバッグを持って行ったが、徒労に終わった。 帰ってきた耕平は紅白饅頭を差し出し、「また滑りに行くし!」とちょっと切なそうだった。来る10日の日曜日は早速滝フェスティバル。去年は優勝、特別賞などを地元の少年たちが総なめにしたので、今年もあわよくばと狙っている様子。 滝すべりコンテストは受付が10時から。リンクを入れておきますので、必ず、ご覧下さい。http://www.city.fuchu.hiroshima.jp/Contents/Contents.asp?CONTENTNO=1894http://www.city.fuchu.hiroshima.jp/Contents/Contents.asp?CONTENTNO=2065 耕平達は9時から行って並ぶとか。本気かよ!!ま、気の済むようにやって下さいまし。
2005年07月07日
去年の秋以来の水着姿。足は子供の隣に並ぶと異様な白さ。いわゆる「中年」の白さ、かな。チョイ、悲しい。でも、久々にクロール、バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎを満喫。って、通して25メートルも泳がないんだけどね。でも、格好するだけでもキモチイィ。スイミングって最高!! 今日は初級2の指導に当たったんだけど、バタ足は取り敢えず出来ても、手と息継ぎが続かない。で、手で掻きながら歩く練習もしたんだけど、なかなか定着しない。ま、一回やったからと言って、すぐ定着するようなら、誰でもオリンピック選手だ。 子供の一人に「わきの下」が黒いよ、と指摘された。昨日の晩、無駄下の処理を怠ったせい。中位のほくろがあるから、それの事かと思って話してると、視線は「脇毛」に集中してた。やれやれ。今夜は間違いなく処理しておこう。トホホ。 梅雨だけど雨の降らない毎日。助かるけど、困る。取り敢えず、市水じゃないから、取水制限ないけど、お米が育たないよ。きゅうりだって干からびちゃってる。この辺で雨乞いのタイコ踊りでもやりますか、って言う声、掛からないかしら・・・ さて、明日は、10時~11時半がスイミング、その後、古くからの付き合いの4家族で食事会。これ久々。その後、実家のお寺の報恩会。明日は現場の仕事は出来そうにありませんな。でも、エチュードが品切れ。今日一応15個、取り掛かってるけど、これから、おいたちの世話をしに実家へ出るので、組み立てられないしなぁ・・・・・。
2005年06月25日
年々懇親会への参加者が減る。皆、家庭が忙しいのだろう。ちょっと寂しい。だって、クラブで子供と関わるから、その親が誰か、逆に、親を見てどれがその人の子供か、わかるようになりたいから。でも、年々入れ替わるクラブ員。くまなく覚えるのなんて到底無理なのかもしれない。 その懇親会の後の片づけでの会話。公民館を借りての懇親会で、プラスティックのコップもあったけど、ビールはやっぱりガラスのコップが好いという声で、キッチンのガラスのコップをお借りした。それを洗いながら、幸せ談義である。 私の幸せは、ガラスのコップを洗剤で洗ってピカピカになった時の充実感だと言うと、彼女の幸せは食器にしろ衣類にしろ洗い物をする事だと言う。それぞれにこだわりがある。私はガラスのコップが曇っているのを許せないタイプ。だから、切り子の様に、細い細工の中に汚れが入って取れにくくなるのは嬉しくない。HOYAなんていう、全く何の飾りもなくひたすら透明なグラスが信条だ。 掃除は掃除機をかけるのが好き。特に、スリッパのウラにザラザラ感がある時、すかさず掃除機を掛けると、ゴミがバラバラと音を立てながら、掃除機に吸い込まれていく快感は最高だ。だから、結論から言うと、とことん汚れない限り掃除はしない、ってか?サイテー!?
2005年06月19日
通学していた当時からなんと26年ぶり?!母校の文化祭に触れることが出来ました。理事のお勤めから逃れる事ができず?!バザーの方に1時間半、いましたが、早めにお暇をもらって昼食のカレーを食し、製作を観たり、サッカー部の出し物(ダンス)を観て帰りました。 帰ってからは、青息吐息で、小学校のスイミングクラブのプール始め。今年もさらに強力に泳ぐぞ!と言う意気込みの子供たちに、ゲキを飛ばしまくったのでした。 ぶっちゃけ、夕べの夜更かしがちょいと業をしています。年には勝てませんのー!
2005年06月18日
来るシーズンを控え、今日は明郷スイミングクラブの役員会がある。年度で言うと最終の役員会。次は入部希望者全員での総会があり、その場で役員の改選。承諾を得れば新役員が始動することになる。 今年の6年生は部員がとても多くて保護者も熱心。年に一度の大会での子供たちの活躍のため、親の方も「しなきゃ!!」と言う気持ちで、役にも当たってきた。しかし、問題は道を譲る後進が居ないこと。「役」と言う言葉を恐れて、保護者はなかなか集まってくれない。 役に就いてする事と言えば、練習の計画、行事の企画進行、記録の整理など等。会議に出て座っておけばよいという向きのものではないが、わが子らの活動の手伝いだと思えば、ちょいと忙しい目をしても、何とかやらねば・・・・・・・、と頑張ってきた。でも、最近は、役を受けなきゃいけないのなら、子供をやめさせる、なんていう親御さんもいらっしゃる。そんなに嫌なのかしら。すっかり嫌われちゃってる感じ。悲しい。 積極的に生きることを教えたいので、「我が家」も大事だけど、我が家から外の世界をしっかりと経験しなくちゃ、と思う。それは親も、子も同じじゃないかな。 ところで、晃子の昨日の学校ネタは、なかなか面白かった。 下校しようとすると、同じクラスの男子が、スリッパがないと探していたので、数人で一緒に探してあげたのだとか。その時、一緒に探していた内の一人の男の子が帰りたそうにしていたので、晃子が「あと私たちで探すからいいよ。」と言ったが、最後まで付き合ってくれたらしい。 晃子が「悪かったね。何か予定があったんじゃないの?」と言うと、「いや、ちょっと腹減ってたものでね・・・。」そこで晃子が、スリッパを探してた当人に一言。「みんなで探して見つかったから、お礼にパンとは言わないけれど、飲み物、おごって!!」するとその子「そ、それはちょっと・・・・・。」そりゃそうだ。 晃子は全く遠慮のない子。だから、男子から「女子」と認識されない場合が多い。高校へ入ったら、キャラを変えようと思っていたらしいが、所詮それは無理な話だった。
2005年05月13日
地域と言うよりも、実家のお寺の行事に参加。世羅にある甲山ふれあいの里と言う自然公園にお花見に行ってきました。今回はばあちゃんも付き合ってくれました。ばあちゃん、結構お花見系が好きです。 ぶっちゃけ、桜は残り一分から二分といったところ。参道にはまだそこそこ残っていましたが、まさかそこに車を停めてと言うわけには行かず、公園の駐車場に停め公園に入り、あれでも標高が少しでも高ければと、一番奥のグランドまで歩きました。だけど、残っていた花びらはわずか。葉桜のお花見となりました。 でも、色鮮やかな若葉と踏ん張っている花びらとの競演も、なかなかおつなもので、花びらの散ったあとの「額」も、今回ほどしっかりと見つめたことがなかったので、とても勉強になりました。 ふれあいの里はバンガローやキャンプ場、宿泊施設も完備されていて、アウトドア好きには結構知られているところです。道沿いに小川が流れ、澄んだ水がちょろちょろと優しい水音を立てています。お手洗いで用をたすのも、鳥の声とか自然の音声が余計な音を消してくれるので、全く遠慮なし??!!やっぱり、人間、自然の中が一番ですな! 日差しも5月に入ってのようにきつくない。本当に「丁度好い」と言う言葉にぴったりの日和でした。そんな一日、晃子は部活、耕平はサッカーの試合、そして父さんは溝掃除のあと耕平の試合会場へ。 晃子は午前の部活が終わってお寺で留守番をしているおばちゃんのところへ行ってお花見弁当。父さんと耕平は私の愛情弁当。ばあちゃんと私はお花見会場でお花見弁当。それぞれの昼食も満喫。 夕方には、明日からの研修合宿の準備を終えた晃子を連れて、腕時計とケータイの購入。腕時計は一万円也。ケータイは結局DOKOMOになり、家族割りつきで2回線、月額6,130円の契約に落ち着きました。 会社で契約しているボーダフォンの扱いを今後どうするか。ボーダフォンは機種の在庫切れで、電話機代が高くつくのでやめにしましたが、晃子はもう少しお高い機種を希望していたようです。でも、「質素倹約っ!!!」と一喝。安くて電話が掛けられないのなら文句を言いなさい!と言いくるめました。 友達に「カッコいいでしょ。これいくらしたのよ!」なんて言って見せびらかしたいのでしょうね。「10年早いよ、晃子!!そんなのは自分で稼ぐようになってやりなさい。」と一刀両断に切ってしまいました。 つくづく、親の務めについて考え込む今日この頃です。
2005年04月24日
明日は、年に一度の組のお花見です。毎年、4月の第一日曜日と決まっていますが、過去数年は、続いて、花の盛りを過ぎていました。ところが、今年はたったの一輪も、まだ咲いていません。つぼみは固く、来週の日曜日でも十分に間に合いそう。 結婚して今年の4月20日で丸19年になりますが、かつて一度だけ、4月に入って雪が降ったのを覚えています。誰に言っても「そんなことあるはげ!」と笑い飛ばされますが、絶対に降ったのです。今年はそこまで行きませんが、この間、大雪が降りました。温暖化の進む地球においては、大変喜ばしい現象ではありますが、いわゆる一つの異常気象というべきものであれば、短絡的に喜んでばかりもいられません。 雨が降るらしいですが、どの道、降らなくってもお花のないお花見ですから。
2005年04月02日
さて、これから、公民館の主事さんの送別会です。メンバーは、同級生でトールペイントの指導者をしてるAちゃんと、何故か同級生で、電気屋のM君。それに私と主事さん。 主事さんは、未亡人のAちゃんと公民館に出入りしているM君(バツイチらしい)とを何とかくっつけようとしていらっしゃる様子。とは私が勝手に思うだけですが、Aちゃんもちょっと引き気味。ま、今日、どんな話しっぷりか、楽しみです。 オッと、6時半の集合時間に遅刻しちゃうぜ。では、乞うご期待!!!!!
2005年03月26日
さて、これから、公民館の主事さんの送別会です。メンバーは、同級生でトールペイントの指導者をしてるAちゃんと、何故か同級生で、電気屋のM君。それに私と主事さん。 主事さんは、未亡人のAちゃんと公民館に出入りしているM君とを何とかくっつけようとしていらっしゃる様子。とは私が勝手に思うだけですが、Aちゃんもちょっと引き気味。ま、今日、どんな話しっぷりか、楽しみです。 オッと、6時半の集合時間に遅刻しちゃうぜ。では、乞うご期待!!!!!
2005年03月26日
毎年、年末に配布され、年明けに回収される工業調査表。例年、忘れてばかりで回収に来られてすぐに提出した例(ためし)がない。配布、回収されるのは町内会長さん。いつもお世話になってばかりいるので、何度も足を運んで頂くのは、本当に申し訳ないと思ってきた。昨年の12月には、息子が昼食までご馳走になったので、今年は何が何でも一度で回収してもらわないと!!!と思っていた。 そして、回収が明日に迫った今日、ついに私は調査票の記入を済ませたのだっっっ!!!!って、それほど大げさに言うほどのことでもないが、私にとっては、すごいことだ。言葉に出来ないほど、いい加減な数値だが、書き込んだことには変わりはない。私だって、やれば出来る!そういう自信がついた。 あぁ、明日からは、さらに前向きに生きてゆけそうだ。 ところで、話は全く変わるが、「麒麟」と云う漫才コンビネタに晃子がはまっている。それは、「勇気を失った僕がいる。その隣に君がいる。その二人を包むオゾン層。」と云うもの。麒麟と云うコンビは向かって右の人の声が声優のようないい声。その落ち着いた声で、ことさらにしょうもないことを言うのが受けているらしい。よく笑う娘ではあるが、最近特に良く笑う。ひょっとして、入試を目の前に控え、壊れかけているのかもしれない。
2005年01月11日
朝9時に集会所へ集まって、今日は地域の老人会の面々と共に、しめ縄作りに挑戦。婦人会の方は昼食に、バラ寿司と鯛の吸い物でもてなして下さった。 私にとって、しめ縄作りは初めて。どうやって縄をなうのか、見当もつかない。通り一遍の説明を聞いたのでは分からない。おじいちゃん、おばあちゃんの見事な仕事振りを観て習うだけ。 右手を基準にして、束ねた藁を向うへ向うへ押すように綯う右縄。その反対に、右手を基準にして左手をこちらへこちらへと引くようにして縄を綯う左縄。それぞれ、二本を綯ってその二本を撚り、そこへ最後の一本を撚り足していく、と云うのが私なりの見解。ここにたどり着くまで、あれこれと試行錯誤し、貰った藁は読んで字のごとく「ヨレヨレ」。トホホ・・・・。 でも、自然の力とはすごい物で、プチッと切れてしまいそうな物だが、案外切れない。藁と云う物は丈夫なものだと思った。 そうして、撚り上げた右縄・左縄を左右に輪にして中心を止め、メガネを作って飾りをつける。メガネにしてみると、同じ様に藁を八本ずつ束ね、それを三本ずつ撚って作ったはずの縄が、左右でひどく太さが違う。でも、ここまできて、もう引き返せないので、こうなったら行け行けドンドン。ただ、長さの違いはそのままと云うわけには行かず、短いほうに揃えて仕上げた。長すぎた部分をほどく時の惜しさといったらなかったなぁ・・・・・・。折角の苦労が、と云う気持ち。でも、アンバランスよりまし・・・・、と思うほかない。 そうして出来たしめ縄を批評しながらの食事会。ひょんなことから「きつねにつままれる話」が飛び出した。 昔はこの辺りでもきつねにつままれた人があるようで、三郎の滝の上にある「矢谷池」まで、綺麗な道を歩いているような気持ちで山道を歩かされ、気が付いた時には服も靴もボロボロだったと言う話を聞いた。 実家の母からも、きつねにつままれた人の話を聞いたことがある。何でも、夜道でひどく美しい女性が「寒いでしょう。お風呂にお入りなさい。」と声を掛けてくれる。その時点でおかしいと気付くはずなのに、もう化かされているのだから何の不思議もなく、導かれるままお風呂に入る。よいお湯加減だと喜ぶ。ハタとわれに帰ると畑の野ツボに入っていた、と云う話だ。信じられないが本当にあった話らしい。 夜、寝る前に子供達とその話をした。二人とも、怖がっていたが最近はそんなことは無いのでしょう、と尋ねた。山が切り開かれ、きつねも住処を失って、生きるのが精一杯で、人間に悪さをするどころではない。ただ、きつねにつままれるということが、正気を失い、物事の判断がつかなくなるということであれば、例えば、インターネットで知り合った仲間で手に手を取って、大事な命を投げ出してしまうようなおかしな判断が下される今の時代、実はきつねは一人一人の心の中に住んでいて、時々そうやって人の心をそそのかすのかも知れない。 だから人は、自分のやっている事、これからやろうとすることを、じっと見つめ、よく考え、それで本当によいのか?間違ってないのか?自問自答しながら行動していくことで、自分の心に棲むきつねに化かされることなく生きなければならないね、と話して眠りに就いた。
2004年12月26日
今回で8回を数える事になった町民運動会。思えば今、中三の娘が生まれた年に町民グランドとそれに隣接する公園が出来、最初の内は毎年、確か3回目位からは二年に一度、町民運動会が開催されてきた。 主催は町内会。町民の自主的な参加によって成り立つ運動会なので、それぞれの家庭の都合もあり、不参加となる世帯も少なくはない。そういう背景もあり、準備段階で各隣組の組長が組内の各世帯を回り、参加不参加を確認の上、出場してもらえる競技を打診する。そうしてプログラムは記名された物が出来上がるのである。それをもとに当日の召集が行われる。 若い世代の「田舎離れ」で、「孫世代」の不足と云う現実に直面しているが、そうなると、出た孫に声を掛けて参加してもらい、何とか帳尻を合わせるという素晴らしい連携プレーが見られたりする。 そうは言っても急なことがあって不参加となる世帯も出てくる。そうすると、運動会にやって来ている小学生、中学生、高校生や、一般の皆さんに声を掛けると、皆、快くピンチヒッターを引き受けてくれるのである。 そのお陰で、順調に競技は進み、その中で、ナイスプレーに拍手喝さい、珍プレーに大爆笑と言った具合で、大いに盛り上がる事が出来るのである。 近年、高齢化が進み、「老人会向け」の競技の出場枠が不足した関係で、今年は新たに「玉入れ」が加わった。一般男女によるそれは一回3分。老人会のそれはなんと一回1分。あっという間だが、熱い戦いが繰り広げられた。 運動会の開催を諦め、祭りに切り替える町内もあるが、やはりスポーツを通して親睦を深める事は、他には変えられないものがある。何故なら、そのプレーの一つ一つに、それぞれの生き様が出ていて、それが人と人との親交を深めてくれるからだ。やはり秋はスポーツが一番!!再来年の運動会が今から待ち遠しい私である。
2004年11月07日
午後6時に集合して、2000個のボールドーナツを作りました。五つのコンロに別れ、粉を練る人、丸めて入れる人、回して揚げる人と云う分担。その後、ほぼ全体が揚がった頃から、パウダーシュガー(粉糖)をかけて袋詰め作業。当初は5個ずつの予定だったけれど、手が違うと大小があり、一応、量りを使って100gを基準に詰める事に。5個入りの袋もあれば6個入りも、7個入りまで出てくる始末。今回初めての試みだっただけに、ま、仕方ないね、でOK!! 9時まででほぼ作業は終わり明日の打ち合わせ。油に酔って倒れる人が出なかったので一安心。明朝の集合は8時40分。全部で195袋。朝から一気に販売する事になりましたが、一体どう展開するのでしょうか?楽しみ。
2004年10月08日
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