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【追記】No.1そうそう、書き忘れてた。ただいま『クロニクルズ』はp.33です。ふと気づいたのだが、プロバイダのSo-netがblogを始めていたのであった。まだβ版のようだが、早速登録。いろいろ使い勝手を試してみましょう。chappiさん、御苦労様ですが、どこも同じ内容をアップしただけです。元は楽天広場から削除された場合のバックアップ用ミラーなんですが、本当は自宅サーバのblogをちゃんと機能させたいと思ってます。まだうっかりLANから「再構築」してしまうと、トラックバックなどがおかしくなるのです。 →幻泉館日録@So-net →幻泉館 blog 試運転中@自宅サーバ1961年の聖バレンタインデー直後にディランがラジオでロイ・オービソンの新曲「Running Scared」を聴いたころ、既にいわゆるフォークソングがラジオでよく流れていました。キングストン・トリオやブラザーズ・フォア。いわゆるモダン・フォークやカレッッジ・フォークの時代ですね。ディランにとっては小ぎれいにまとまりすぎていたようですが、それでもキングストン・トリオは好きだったそうです。 →モダンフォークの幕開け →The Offcial Kingsotn Trio →Official Web Site of the Brothers Fourブラザーズ・フォアの結成は1956年、キングストン・トリオは1957年、私が生まれたころに、カレッジフォークも生まれたのですね。そりゃ古いわ。ブラザーズ・フォアの「グリーン・フィールズ」が全米チャートを駆け登ったのは1960年なので、そのヒットのことをディランは言っているのでしょう。毎年来日して地方公演を行なっているので、おなじみのグループですね。しかし、「グリーン・リーブス・オブ・サマー(遥かなるアラモ)」なんてのはどうなんだろうなあ。 →TOP10 HITS OF LAST CENTURY 映画『アラモ』Remember the AlamoRemember the MaineRemember the Pearl Habor私は実に気持ち悪いのです。今は同様に"Remeber 911"が声高に叫ばれているのでしょうか。ディランにとっての「フォークソング」は、まだブレイクしつつあるぐらいのところ。当時はそんな雰囲気を持った流行歌が常に現われていたと言っています。 →Jody Reynolds "Endless Sleep"今はどのヒット曲もオールディーズのくくりに入れられてしまうので、ディランが言っていることがわかりにくいかもしれません。オービソンの場合はもっといろいろな要素がごたまぜになったチャンプルーでした。フォーク、カントリー、ロックンロール……。ささやくように歌い始め、フランキー・バリーのような裏声になったり、オリンピアの丘の上から歌っているようだったり。オペラやマリアッチまでディランは引き合いに出しています。オービソンは既に「Ooby Dooby」というヒットで人気があったけれど、今度のヒット曲はまったく違うものでした。He was now singing his compositions in three or four octaves that made you want to drive your car over a cliff.ディランの表現おもしろいですね。崖から跳んではいけませんわよ。
2004.11.30
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先日愕然としたことがあります。以前NHKのBSで放映した番組を録画しておいたビデオテープがおしゃかになっていたのです。え?もう?その番組がDVDになって発売されたので、仕方がない、買いましたよ。「伝説のフォークライブシリーズ ディレクターズカット版」です。インタビューはない方が好きです。全三巻で、高田渡さん、遠藤賢司さん、友部正人さん。それぞれおまけのように三上寛さん、友川かずきさん、なぎら健壱さんが入ってます。渡さんの場合は京都「磔磔」でのライブ。番組ナレーションは福岡風太さん。ビデオはこれが一番よく観たかな。何度も観た映像なのでライブの様子はだいたい覚えているのですが、番組より長いのが嬉しいです。またどっぷり。驚いたのは、1999年の放映だったということ。もう5年も経ってたんだ。定価が各3899円(悪税込)なんですが、既にあちこちで値引きして売ってます。NHK-BS「伝説のフォークライブ」シリーズVol.1「高田渡&三上寛」高田渡編1. 自転車にのって2. 長屋の路地に3. コーヒーブルース4. アイスクリーム5. 鮪に鰯6. 値上げ7. 行きたいところがあるんだ/いとうたかお8. 位置をかえてすわってみても/いとうたかお9. 夜汽車に乗って/シバ10. 淋しい気持ちで/シバ11. だんらん/律&イサト12. 今日はまるで日曜日/中川イサト13. その気になれば/中川イサト14. カムトゥマイベッドサイド/中川五郎15. ミスターボージャングル/中川五郎16. 鉱夫の祈り17. 生活の柄18. 明日はきっと/いとうたかお19. 魚釣りブルース20. Good night Irine三上寛編1. 夢は夜開く2. オートバイの失恋3. ひびけ電気釜!!4. パンティーストッキングのような空5. かけらVol.2「遠藤賢司&友川かずき」遠藤賢司編1. 寝図美よこれが太平洋だ2. 待ちすぎた僕はとても疲れてしまった3. カレーライス4. 地下鉄の駅へと急ぐ夏5. ボイジャー君6. プンプンプン7. 満足できるかな8. 踊ろよベイビー9. 外は雨だよ10. 東京ワッショイ11. 夢よ叫べ友川かずき編1. また来ん春2. 心優しきろくでなし3. ワルツ4. サーカス5. 空のさかな6. 生きているって言ってみろVol.3「友部正人&なぎら健壱」友部正人編1. 夢のカリフォルニア2. 大阪へやってきた3. もう春だね4. 街は裸で座り込んでいる5. はじめぼくはひとりだった6. 空が落ちてくる7. 夕暮れ8. にんじん9. 梅雨どきのブルース10. 夢のカリフォルニア11. もうずっと長い間12. どうして旅に出なかったんだ13. まるで正直者のように14. ある日ぼくらはおいしそうなおかしを見つけた15. おしゃべりなカラス16. 愛はぼくのとっておきの色17. 一本道なぎら健壱編1. ガソリンとマッチ2. 葛飾にバッタを見た3. 銭がなけりゃ4. 朝日楼5. 四月十日の詩6. 永遠のきずな
2004.11.29
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【追記】No.1ふと、PDAを買おうと思い立ってしまった。だいたいシステム手帳は使い切れない人間であった。電子手帳は欲しいと思わなかった。でも、なんとなくシャープのザウルスを買おうと思い立ってしまったのだ。だいたい、PDAって何なんだ?知らない。 →IT用語辞典 PDA [Personal Digital Assistance]ほぉ、そうなんだ、[Personal Digital Assistance]なんだ。これだけじゃPCと変わらないな。本当に携帯できるというところがポイントなんだろう。でも、この英語、変だな。「補助」じゃねえだろ、「補助」じゃ。で、リーダーズ英和を引いてみたら、やっぱりそうだわ。PDA→[personal digital assistant]ですな。上のサイト、辞典を名乗ってるのに、間違えてます。MacのOSがFreeBSDになった時も猛烈に欲しくなったのだが、それはなんとかこらえた。ザウルスがLinuxを搭載したという時もグラグラっときたが、もっとPCのスペックに近づいてくれないと使えないなと、やめたのだ。それが、ふとした拍子に、ザウルスの新製品に気づいてしまったのだ。Zaurus SL-C30004GBのHDDを内蔵して、画面は640*480のVGA……使える……。これで重量が300gを切って、おまけで「広辞苑」「ジーニアス英和・和英辞典」も付いている。実は以前SONYの極小PC、PCGなんたらというやつを使ったことがあるのだが、妙に横長な画面のおかげでドライバにバグはあるは、SONYタイマーが即働いてすぐにおしゃかになるわで、PC側からのアプローチはダメだろうと思っていたのだ。PDAがどこまでまともなPCに近づけるかというのを待っていた。Win機でないところも、スジが良いと思う。2ちゃんねら~だったら、「??━━━━(?∀?)━━━━?!!」って感じ?本体の実売価格は6万円台。なんとかギリギリの価格。ネックは通信費だな。と、少しだけストッパーが働いたのだが、私の欲望はすぐにSo-netで「bitWarp PDA」というコースを見つけ出してしまった。専用のカード型PHSを使って、通信費&接続料が時間無制限で月々2100円(悪税込)。既にSo-net会員なので、もう少しだけ安くなる。登録料&「bitWarp専用通信カード」の初期費用も、今なら半額以下。これは買うしかない。と、まんまと資本主義の魔手に操られ、購入を決定したのでありました。ちょっと早いけど、今年一年間の、自分への褒美ということで。早く来ないかな。う、長い追記だ。タイトルに偽りありで、ごめんなさいまし。雪の積もった通りをいろいろな人達が通り過ぎます。ニューヨークには常にとてもたくさんの物語があるはずなのですが、それはいつも渾然となって目の前に現われます。ここでディランは日付がわかるようなことを記しています。聖バレンタインデーがやってきて過ぎていったが、ディランはそれに気づかなかったそうです。ロマンスの時間なんかなかったと言っています。1961年2月15日。身体を温めようとカップにホットチョコレートを注ぎ、それからラジオのスイッチを入れます。僕はいつもラジオで何かを漁っていた。汽車や鐘と同様に、ラジオはいつも僕の生活のサウンドトラックだった。ダイヤルをあちこちに回すと、小さなスピーカーからロイ・オービソン(Roy Orbison)の声が炸裂した(blasted)。彼の新曲「Running Scared」が部屋の中で爆発した(exploded)。 →Roy Orbison Midi Filesその日聴いた「Running Scared」の他に、それ以前にフォークということでディランが聴いた曲の名前が並んでいます。「Big Bad John」 →Big Bad John「Michael Row the Boat Ashore」 →Michael, Row the Boat Ashore →こげよマイケル「A Hundred Pounds of Clay」 →gene mcdaniels →Jack's MIDI Music -A-意外な曲名が並んでいるような気がします。60年代のディランといえば、なんだかトンガリまくっているようなイメージがあるので。汽車や、鐘や、こういう曲もまた、ディランを作っていったんでしょうか。
2004.11.28
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【追記】No.2blogのスタイルというのが少し見えてきた。つまり、楽天日記で私が上に重ねていた追記は不要なのだ。どなたかが、一日に一つしか書けない楽天広場という言い方をしていたが、その意味がやっとわかった。ばらばらの内容をやたらに後から書き込む私のような場合は、blogの方が合っていようだ。ただ、blogの場合自分でサイトのデザインをする自由度は低い。お仕着せの方がかっこよくなるのだが、どれも似た感じになるのはしかたがないのだろう。そんなことに気を使わず、気軽に更新できるのが良いところか。自前サーバ試験運用blogは、三段カラムのスタイルをもらってきたのだが、日記(エントリー)内の画像を幅300ピクセル程度に抑えないと、表示が崩れてしまうようだ。幻泉館日録 自前サーバ 試験運用 blog【追記】No.1昨日(11/26)付日録の夕陽画像をよく見ると、左の方にモヤっと汚れがあります。これはレンズを交換しても同じ位置に現われるので、どうやらまた本体内部に汚れが付いてしまったようです。それで、PENTAX istDはまた修理(内部清掃だけど)に出しました。寂しいのぉ。雪景色のニューヨーク。通りの向こうには、鐘楼のある教会が見えます。鐘の音も、ディランの心が安らぐのだそうです。僕は鐘の音が聞こえると、いつも耳を澄ました。鉄の鐘、真鍮の鐘、銀の鐘……鐘は歌った。休日の日曜には、礼拝のために鳴った。誰かが亡くなったときに、結婚する時に、鐘が音を立てた。何でも特別なことがあると、鐘が鳴ったものだ。鐘の音が聞こえると、なんだか嬉しい気持ちがするものだ。僕はドアの呼び鈴や、ラジオで流れるNBCのチャイムの音まで好きだった。レイとクローイの部屋から見える教会の鐘は、今静かです。粉雪が舞うニューヨークの街を、ディランは詩的に綴っています。A blizzard was kidnapping the city, life spinning around on a drab canvas.Icy and cold.さて、ディランが好きだったNBCのチャイムがとても気になりますね。なにげなくgoogleで検索すると、そのものを説明しているページがありました。"This is the National Broadcasting Company, Bong Bong Bong." この「ボン、ボン、ボン」のことです。アメリカだと、誰もがいつか聞いたことのある、おなじみの「ボン、ボン、ボン」なんですね。ちゃんと音も聞けました。 →A History Of The NBC Chimesあはは、なかなか進みませんね。まだp.32です。
2004.11.27
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トラックバック試験のための書き込みです。すんません。【追記】No.1食事をしながら国会中継を見てしまった。首相の答弁の非道さに飯がまずくなってしまった、失敗。イラクで何人殺しても、まるで気にはならないらしい。「Movable Type」の設定はやはりちゃんとドメイン・ネームを設定しないと不都合が多過ぎる。LANからまともに見えなくなってしまうのだが、それで設置しなおしてみた。午後に外からトラックバックを試してみよう。どう見えるでしょうか。 →幻泉館本館 試験運用blog遅々として進みませんが、何も焦ることはありません。要するに何が書いてあるのか、などと問うなかれ。ボブ・ディランという人物が生きている、その一瞬一瞬が活写されているのですよ。ディランは回想から我に返ります。といっても、まだレイとクローイの部屋でニューヨークの雪景色を眺めているところから、まったく進んでいません。ディランはクリーム色のドレープ(カーテンのような覆い)まで歩くと、ネチャンブラインド(ひもで上げ下げや採光調節をする板すだれ)を巻き上げて、雪の大通りを見下ろします。ここの家具は上等なもので、手作りのものもあった。衣装箪笥は象眼細工が施されており、掛け金にも飾りがあった。本棚も床から天井まである、装飾的なもの。不規則な幾何学模様の付いた、長細い直方体のテーブル。There were electric plates ingeniusly placed in closet shelves.これが何のことだかわかりません。まさかホットプレートじゃありませんわね。う~ん?レイとクローイの部屋がどんなだったのかを詳細に思い出してくれているのですが、これは私にはとてもわかりにくい部分です。1960年ごろのニューヨークの生活実感というものが、まるでつかめないのです。台所は森のようだった。メグハッカ(pennyroyal)、クルマバソウ(woodruff)、リラの葉といったものの箱でいっぱいだった。流行というよりも、やっぱりちょっと変わった人達だったのだろうと思います。北部の血統だけれども南部生まれのコールという娘は、バスルームで物干しの綱を使うのが上手だった。僕(ディラン)のシャツもよくそこにぶら下がっていた。僕はいつも夜明け前にやってきてソファにすべりこんだ。血を求めて蒸気で動く鉄の馬、夜行列車のガタゴトいう音(rumbling and grumbling)に合わせて寝入ることが多かった。ディランは小さなころからよく列車を眺め、その音に親しんでいたので、列車を見たりその音が聞こえたりすると、安らぐのだそうです。心の故郷。あの不思議なジャケットを思い出します。 →Slow Train Coming (1979)私の場合も谷間の村を走る列車に郷愁を感じます。小さなころ谷川で泳いだ村。 →絵の中のぼくの村他の映画にも印象的な列車が出てきますね。主人公が鉄橋にぶらさがる『路傍の石』は、何度も映画化されています。『スタンド・バイ・ミー』も狙って作ってますなあ。お、翻訳の誤りを指摘しているサイトがあります。 →"The Body" (「スタンド・バイ・ミー」)の翻訳について
2004.11.26
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【追記】No.1自宅サーバでblogを運営する「Movable Type」の設定を少しいじってみた。ひっかかったのはサイトの「再構築」。たとえばスタイルシートをサーバに転送して上書きしても、デザインの表示に反映されない。「Movable Type」上で設定しなおして「再構築」しなければならないのだ。思えば、livedoorのblogは同じ作業を要求していた。Netscape/Mozillaだと、表示が少し崩れるようだ。スクリプト上ではLANのIPで、「Movable Type」ではドメインネームでという矛盾した設定でも、なんとか動きそうだ。今日の午後、外からアクセスして試してみることにしよう。 →あ、ダメですね。 LANのIPが出ちゃいます。 外から書き込みできない。ニューヨークで知り合いの家を泊まり歩いているころのことを回想しているディランに戻ります。窓から雪景色を眺めながら、小学生のころのことを思い出していました。今はニューヨークにいるんだ。周りには、きっと共産主義者も反共主義者もたくさんいることだろう。ファシストもたくさんいるんだろう。左翼の独裁者気取りの者(would-be)も、右翼の独裁者気取りの者も、たくさんいることだろう。あらゆるタイプの過激派がいる。第二次世界大戦によって啓蒙の時代が終わったのだと言われていた。でも、僕(ディラン)はまだその中にいた。そういうものに光明を感じた。ヴォルテール、ルソー、ジョン・ロック、モンテスキュー、ルター……。こういった予言者、革命家は、まるでうちの裏に住んでいる知り合いみたいだった。おもしろいなと思ったのは、ディランがこういった啓蒙思想家の名前を挙げていることよりも、こういった人の本を読んでいたということです。たとえば日本の高校生は、そこそこ優等生の部類なら今ここに挙げた人の名前をほとんど知っていると思います。でも、実際に彼らの著書を読んだかというと、逆にほとんど読んではいないのではないかと思います。貼り付けられたラベルを暗記しているだけではないでしょうか。これで日本の文化の浅さがわかるような気がします。まだp.30。できれば追記して読み進めたいと思います。『クロニクルズ』の追記は下に付けます。【メモ】「MovableType」は実に簡単に自前サーバにインストールできた。高機能である。これはいい。ただし、URLを明示的に書き込んで置かなければならないので、私の場合はLAN専用で使うのか、公開用にするのか二者択一となる。コメントやトラックバック機能が欲しいので公開用にすると、LANからでアクセスできなくなってしまうのだ。惜しいなあ。
2004.11.25
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【追記】No.1苺姉さんが学童疎開のことを書いているので思い出しました。前にも書いたと思うのですが、しつこく書きます。うちのおっ母さんは、食べ物を分けるのがとても上手です。どんな形状のものでも、それらしく均等に分けてしまいます。戦争末期に学童疎開の引率をしたからです。毎回食事の度に、飢えた子供たちの目の前で食べ物を分け与えていたのです。女学校を出て、戦争中だけあった東京都の教員養成所で促成栽培の教師となってすぐのことです。今の大学生諸君の年齢です。それはもう六十年近く前のことになりますが、母が子供たちにケーキを切り分けたりする度にその話をしてきたので、私は戦争といえば飢えを連想するのです。今日はピンボールで遊んでしまったこと以外に、CDが届いたので『クロニクルズ』はお休みします。届いたCDはですね、11月13日付日録 CHRONICLES #8 (Bob Dylan)で書いた『FOLKWAYS:A VISION SHARED』(1988年)です。ちょっと時間かかりましたね。失礼な言い方だけど、ディランは歌うまいわ、うん。3曲目の「DO RE MI」は、アレだ、渡さんが歌ってるやつだ。「銭がなけりゃ」。 ♪ 東京はいいところさ 眺めるには申し分ない~原曲だとこうなってます。 ♪ California is a garden of Eden, a paradise to live in or see →(IF YOU AIN'T GOT THE) DO RE MIU2の「JESUS CHRIST」、とってもいいです。「ホーボーの子守唄」を女性が歌うというのも、ちょっと不思議。実はその時一緒に、『Folkways: The Original Vison』というアルバムも注文したのです。これは、『FOLKWAYS:A VISION SHARED』で採り上げられた曲のオリジナルを集めたもの。もちろんガスリーとレッドベリーの歌です。レッドベリー本人が歌う「おやすみアイリーン」は、初めて聴きました。本家amazon.comでは、この2枚のアルバムが全曲試聴できます。お薦めよ。それで、ウッディ・ガスリーといえば、なんといっても「我が祖国」らしいんですが。 →This Land is Your Land →「我が祖国」すずききよし訳詞やっぱり「Land」は「国」なんだろうなあ。でも「nation」や「state」ではないので、抽象的な国家を歌うのではなくて、国土を、むしろ大地を歌っていると思いたい。「身捨つるほどの祖国」なんてものは要らない。前に書いたことをコピー&ペーストしておきます。-------------------------------------------------------- (2004年8月6日付日録)ホイットマンはアメリカを歌う。先住民や黒人を歌う。侵略と虐殺と差別の歴史。それでもホイットマンはアメリカを愛し、アメリカを誇らしげに歌うことができる。私はそんなふうに日本を歌うことができない。そんなふうにアイヌや朝鮮人を歌うことはできない。千本浜の夕陽を愛しているが、「反日」の言葉しか出てこない。「やさしいにっぽん人」よ、私は何よりもお前がダメだと思うのだ。 --------------------------------------------------------ところでマウンテン・ミュージックの映画があったなあと思い出して、検索してみた。あら、観たいと思っていた映画『Songcatcher』は日本版DVDが出たんだ。 →悪税込みで4935円か、ちょっと高いなあ。どうしよう。Folkways: A Vision Shared - A Tribute to Woody Guthrie & Leadbelly 1093円(悪税込)1. Sylvie - Sweet Honey in the Rock2. Pretty Boy Floyd - Bob Dylan3. Do-Re-Mi - John Mellencamp4. I Ain't Got No Home - Bruce Springsteen5. Jesus Christ - U26. Rock Island Line - Fishbone 7. East Texas Red - Arlo Guthrie 8. Philadelphia Lawyer - Willie Nelson 9. Hobo's Lullaby - Emmylou Harris 10. Bourgeois Blues - Taj Mahal 11. Gray Goose - Sweet Honey in the Rock 12. Goodnight Irene - Brian Wilson 13. Vigilante Man - Bruce Springsteen 14. This Land Is Your Land - Little RedFolkways: The Original Vision 1860円(悪税込)1. Sylvie - Anne Graham2. Pretty Boy Floyd - Woody Guthrie3. Do-Re-Mi - Woody Guthrie4. I Ain't Got No Home - Woody Guthrie5. Jesus Christ - Woody Guthrie6. Rock Island Line - Leadbelly 7. 4, 5, and 9 - Leadbelly 8. Will Geer Reading Guthrie - Will Geer 9. Hard Travelin' - Woody Guthrie 10. Fannin Street - Leadbelly 11. Philadelphia Lawyer - Woody Guthrie 12. Hobo's Lullaby - Woody Guthrie 13. Bourgeois Blues - Leadbelly 14. Grey Goose - Leadbelly15. Goodnight Irene - Leadbelly 16. Vigilante Man - Woody Guthrie 17. This Land Is Your Land - Woody Guthrie 18. Woody's Rag (Hard Work) - Woody Guthrie 19. Midnight Special - Leadbelly 20. We Shall Be Free - Woody Guthrie【メモ】自宅サーバでblog環境を構築するツールだが、今度は「MovableType」というのを見つけた。前回の「Blosxom」と同様にperlで動くらしい。SQLが必須というのが、なんだか本格的。導入を詳述しているサイトを見ながら、とりあえずダウンロード。http://www.movabletype.org/ああ、なるほど、売り物なんですね。アカウント無制限だと$99.95。5人までなら$69.95。「1 author and 3 weblogs」という制限付きなら無料なんです。あら、ダウンロードしようとしたら、TypeKeyを登録しろと言われてしまった。「Public name/nickname/handle」を決めて登録メンバーにならないといけないんですな。う~ん。とりあえずダウンロードは先に延ばすか。http://www.movabletype.jp/あらあら、ちゃんと日本語サイトがあるわ。限定個人ライセンス(無償)というやつだな。5ユーザー版悪税込で8820円。ユーザー数無制限版は悪税込みで1万2600円ですな。
2004.11.24
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【追記】No.1そう、貘さんがいたじゃないかと、chappiさんのレスで思い出しました。近頃は妙に渡さんといえば「自衛隊に入ろう」だと持ち上げる人がいるのだが、ちょっと違うように思います。少なくとも私にとっては、最初に出会った渡さんは「生活の柄」だったので、山之口貘さんとセットだったのです。まだベルウッドができる前にキングから出た『ごあいさつ』には、何曲も入ってましたね。「鮪に鰯」の原詩はここにありました。 →な~んちゃって通信追記で『クロニクルズ』を進めようと思ったのですが、ドタバタとしていて時間がとれませんでした。ピンボールのサンプル版で遊んだせいもあります。久しぶりに「中村正三郎のホットコーナー」を覗いたら、紹介していたのです。Windowsの時代になってからはPCでゲームなどやらないのですが、DOSの時代は機種に合ったピンボールでよく遊びました。アメリカのシェアウェアなんぞも買いました。LITTLEWING PINBALLというところは、いろいろなピンボールを出してるんですね。最新版のMONSTER FAIRでなくても、楽しそうです。 →ダウンロードページMONSTER FAIRは2980円ですが、1200円のゲームもありますね。時間制限があるようですが、とりあえずダウンロードして遊べます。極東で米ソの代理戦争が行なわれていたころ、アメリカではつい数年前に友軍だったロシアに対する脅威が声高に叫ばれていました。誰かがショットガンを突きつけている時に怖がるのと、現実ではないものを怖がるのは、まったく違うことだ。でも、この恐怖を本当だと受け取って、それを押しつけてくるやつが多かった。そして、簡単にこの空想の犠牲者になってしまうのだ。小学校の教師は、ディランの母親を教えたのと同じ教師だった。母親の時は若く、ディランの時には年をとっていた。アメリカ史の授業では、共産主義者(commies)は銃や爆弾だけではアメリカを壊すことはできないと教わった。アメリカ合州国憲法(the Constitution )を壊さなければならないのだ。でも、まったく同じことだった。空襲警報が鳴れば、机の下に顔を下に向けて寝ころばなければならない。筋肉一つ動かしてはならないし、物音一つ立ててもならない。まるでこうすれば、爆弾が落とされても助かるかのように。ディランの回想から、当時のアメリカ国民が、いかに共産主義者の攻撃を恐れていたのかうかがえます。同時に、アメリカ人が空襲や核兵器に対して無知であったこともわかります。このくだりを読んで、『アトミック・カフェ』(1982年)という映画を思い出しました。マイケル・ムーア監督のお師匠さんたちが作った映画です。冷戦下アメリカで流されたニュース映像や政府広報映像のコラージュです。まさにノー天気に核戦争を考えているのだなあとわかります。一般的なアメリカ人は原爆を落としておいて、その下でどんなことが起きたかということには無知なのです。 →『アトミック・カフェ』もっとも、アウシュビッツや広島長崎については教えても、南京のことは教えない日本であまり偉そうなことは言えません。アメリカの人種差別に関しては詳しいのに、日本の人種差別に目を向けないというのもありましたな。ほんのちょっとしか進んでません。p.30。ひさしぶりに丸一日お休みなので、追記できるかな。『クロニクルズ』の追記は下に付けます。
2004.11.23
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【お知らせ】幻泉館サーバ御利用の皆様下記時間帯はNTTの工事のため、一時停止します。11月26日(金) 04:00~06:00ほんの一瞬で済むこともありますが、午前中いっぱい停止してしまう場合もあるので御了承ください。【追記】No.1書斎の蛍光燈が点滅して鬱陶しいので取り外した。買って来なくては。スタンドがあるので別に困ることはないのだが、暗い部屋の中で中島みゆきを聴いている。そう、中島みゆきさん。少し前にamazonからクーポンが届いたのだ。「地上の星」の苦しそうな歌い方があまり好きではないので今回の新譜はどうしようと思っていたのだが、それで買うことにした。すべて昔の曲である。なんとなく「夜会」を観ているような気分になる。オリジナルより聴きやすいものが多いように思うが、凌いでいるかというと微妙なところだろう。「怜子」「信じ難いもの」「傾斜」といったあたりの選曲が嬉しい。よく間違えられるようだが、「怜子」と「玲子」はだいぶ意味が違う。「怜悧・伶俐」の「怜子・伶子」。「玲瓏」の「玲子」。「知」と「美」の選択である。と、レイコさんが言ってたなあ。1978年のアルバム『愛していると云ってくれ』。お元気ですかという語りで始まるこのアルバムが、やはり「中島みゆき」だなあと思ってしまう。「本当に泣いているんですか?」「教えてあげない。」詩人との対談を思い出す語りに続き、♪れ~い~こ~♪と歌い出すこの曲は凄かったなあ。「化粧」や「世情」も入っていた。「ネクラ」という流行語で片付けれられることが多かったけれど、あのころのそういう凄みが、今は乏しいように思う。中島みゆき『いまのきもち』 3150円(悪税込)1. あぶな坂2. わかれうた3. 怜子4. 信じ難いもの5. この空を飛べたら6. あわせ鏡7. 歌姫8. 傾斜9. 横恋慕10. この世に二人だけ11. はじめまして12. どこにいても13. 土用波 The trial reminds the whole world of what led to the formation of the Israeli state.アイヒマンの裁判は世界中に、イスラエル国家の成立を生み出すことになったものを思い出させる。これはナチスのユダヤ人殺戮を意味するのだと思います。こう書いた後、原文は2行アキ、やっと年号が出てきます。I was born in the spring of 1941。ヨーロッパでは既に第二次世界大戦の戦火の下にあり、アメリカもまもなく参戦することになる。世界が分断され、新しくこの世に生まれた者たちの顔にはいきなり混沌の拳が見舞われていた。すんません、元の語の雰囲気を生かそうとすると、よくわからなくなりますね。世界は変わろうとしていた。このころ生まれた者はみんな、旧世紀と新世紀をまたがって生きてきたのだ。ヒトラー、ムッソリーニ、スターリン、ローズヴェルト。似たような連中が現われることはもうなさそうな、そんな人たちが世界に屹立していた。みな独りで行動し、互いに無関心であり、承認されようともしなかった。みな人類の運命を支配しようとし、そして世界を瓦礫にしてしまった。アレキサンダー大王、ジュリアス・シーザー、ジンギス・カン、カール大帝、ナポレオンといった長く続く列に連なり、彼らは世界を切り刻んだ。ディランは第二次大戦時の列強指導者や、世界の英雄を批判します。論証不能な、こんな感覚がいいなと思います。やっぱりボブ・ディランはこういう人だったんだというのが嬉しいです。そうでなければ、「戦争の親玉」や「ハッティ・キャロルの寂しい死」を歌ったりしませんわな。そういえば、最近「戦争の親玉」がニュースに登場してました。コロラド州の高校で、「戦争の親玉」を歌った高校生がシークレットサービスに捜査されたというものだ。 →暗いニュースリンクディランの父親は小児麻痺にかかったことがあるので、戦争に行かなくて済んだそうです。でも、ポールおじさん、モーリスおじさん、ジャック、マックス、ルイス、ヴァーノンといった人達(たぶん叔父さん)は戦争に行きました。それぞれ、フィリピン、アンツィオ(イタリア)、シシリー、北アフリカ、フランス、ベルギーへ出征しました。そして、ガラクタをお土産に持ち帰りました。日本製の麦わらでできたシガレットケース(?)、ドイツ製のパン袋、イギリス製エナメルペイントのマグカップ、ドイツ製防塵ゴーグル、イギリスの戦闘用ナイフ、ドイツのルガー拳銃。これも順番どおりなのだと思います。ともて詳細な記憶です。1951年に、ディランは小学校に通っていました。その時に訓練されたのは、空襲警報がなった際に机の下に隠れることです。ロシア軍が爆撃するかもしれないから。いつなんどきロシア軍のパラシュート部隊が降下するかもしれないのだとも、教わったそうです。ほんの数年前に、ディランのおじさんたちが味方として共に戦った、あの同じロシア人が、です。もちろん日本のすぐ近くで戦争があったころです。例によって広辞苑の説明。----------------------------------------------------------ちょうせん‐せんそう【朝鮮戦争】大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国とが、第二次大戦後の米・ソの対立を背景として、1950年6月25日衝突し、それぞれアメリカ軍を主体とする国連軍と中国義勇軍の支援のもとに国際紛争にまで発展した戦争。53年7月休戦。朝鮮動乱。----------------------------------------------------------道草を食ったので、まだp.29です。【メモ】せっかく自前鯖があるのだからweblogサーバにならないかと思っていたら、perlで動く「Blosxom」というものがあるそうだ。読み方はblossomと同じ、「ブロッサム」ぐらいの感じ。本体はなるべく簡素化してあり、プラグインでトラックバックやXMLに対応するようだ。意外に簡単に設置できそう。問題は日本語文字コードの扱いかな。blosxom :: the zen of blogging Bloxom 本家blosxom::日本語訳 Bloxom 日本語訳hail2u.net blosxom starter kitということで、早速試してみました。ちゃんと動くのですが、LAN内から扱う時は外を経由することができないというのが、ネックになりますな。ルータの仕様だからしょうがない。iswebのようにcgiを使える外のサーバだったら問題なく動くだろうけど、それだったら楽天広場やgooやlivedoorがあるので、意味がない。さて、どうしようか。
2004.11.22
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【追記】No.4ミッシェル・ポルナレフの「シェリーに口づけ(Tout, Tout, Pour Ma Cherie)」(1971年)がヒットする少し前に、ミッシェル・デルペッシュという人が「ワイト・イズ・ワイト」という曲をヒットさせました。この人は日本では「青春に乾杯(Pour Un Flirt)」という曲が最大のヒット曲だと思うのですが、よくミッシェル・ポルナレフと間違われました。「ワイト・イズ・ワイト」、不思議な歌詞なんですよね。といっても、最初の英語の部分しかわかりませんが。ウッドストックではなく、ワイト島が原点である人達がいるんですね。 ♪ Wight is Wight ♪ Dylan is Dylan ♪ Wight is Wight ♪ Viva DonovanMichel Delpech Wight is wight(1969)【追記】No.3書き忘れました。もちろん「Rolling Stone」誌の「500 GREATEST SONGS OF ALL THE TIME」、略して「RS500」のことです。RANK #1にBob Dylanの"Like a Rolling Stone"が選ばれたよということですね。変な言い方ですが、神格化されがちなディランの曲も普通に流行歌なんだという感じが嬉しいです。このランキングは雑誌のオフィシャルサイトで見ることができます。 →The Rolling Stone: 500 GREATEST SONGS OF ALL THE TIME表の上下に並べ替えできるスイッチがありますから、お気に入りの歌手が何曲入ってるか、すぐにわかります。試聴できる曲が多いのが嬉しいですね。ディランは11曲入ってました。1 Like a Rolling Stone 196514 Blowin' in the Wind 196359 The Times They Are A-Changin’ 196468 Tangled Up in Blue 1975106 Mr. Tambourine Man 1965185 Desolation Row 1965190 Knocking on Heaven’s Door 1973203 Positively 4th Street 1965230 Just Like a Woman 1966364 Highway 61 Revisited 1965404 Visions of Johanna 1966私の好きなMy Back Pagesが入ってないなあ。ま、それは私がオレ様ベスト10を選べばいいだけの話ですね。【追記】No.2昨年のことになるのですが、正月三箇日を、新生フォークルを聴いて過ごしました。マーチンの音や和太鼓の重低音にひたってました。昔の曲ばかりではなくて、新曲もありました。御霊を送り、そして自らがこの世を去ろうとする佳曲が「感謝」。もうい一つ、「ライカはローリングストーン」という楽しい曲がありました。あ、去年のネット忘年会のころ書いてますね。 →2003年12月7付日録 新生フォークル「感謝」(2002年) この「ライカはローリングストーン」は、もちろん「ライク・ア・ローリングストーン」をパクったタイトルです。幸之助さんが実に器用にディランや拓郎さんの物真似をやったりして、ライブが本当に楽しそう。この歌では「ローリングストーン」が、「いつまでも変わらないとっても大切なもの」という意味で使われています。それが「ライカ」であったり、「マーチン」であったり、「カルチェ」であったり、「九州大学」であったりするわけです。最後は「ワイフ」が「僕のローリングストーン」となって終わる、温かい曲です。松山猛さんの作詞ですね。【追記】No.1オリジナルの「Like A Rolling Stone」は『ハイウェイ61再訪(Highway 61 Revisited)』(1965年)に入っています。例によってbobdylan.comで試聴できます。この曲名から、マジメな日本人は「A rolling stone gathers no moss.(転石苔を生ぜず)」という諺を思い出してしまうようですね。この諺、まるで逆の意味に取れるので、大混乱してしまいます。「転々と商売換えしては金はたまらない」が本来の意味で、「絶えず動いていれば苔がつかず新鮮である」というのがアメリカ型の意味だと習ったように記憶しています。何分大昔の話なのでうろ覚えですが。日本社会での世間様は、前者のイギリス型の意味の方が諺としてはしっくり来るでしょう。何事もちゃんと腰を据えて地道にやりなさいなという、ありがたいご教訓。ディランの「Like A Rolling Stone」は、もちろん「A Rolling Stone」を悪い意味で使っています。「昔あんたはいい服を着ていた」「一流校に行ってたね」「みんな言ってた 気を付けろ 落ちるぞ」「だれも宿無しの生活なんぞ教えてはくれず」 ♪ How does it feel ♪ How does it feel ♪ To be without a home ♪ Like a complete unknown ♪ Like a rolling stone? ♪ どんな気がする ♪ どんな気がする ♪ ひとりぼっちで ♪ かえりみちのないことは ♪ ぜんぜん知られぬ ♪ ころがる石のようなことは (片桐ユズル訳)ね、明らかに転落を意味してるんです。いきなり「a rolling stone」と言えば、やっぱり住所不定で定職のない人なんかを指すんです。根なし草とか、デラシネに近いんじゃないでしょうか。ところが日本の受験英語のおかげで、この「ローリング・ストーン」が良い意味で受け取られているように思うんです。昔はいい服を着て物乞いに施しをしてやっただろうに、今は次の飯をどうやって手に入れようか悩み、何も言わなくなってしまった、そんな「あんた」像ではないように思います。なんというかな、こんなになっちゃったけど心はロックだぜ、みたいな使い方かな。気持ちはわかるけど、かなり特殊だと思います。今日は『クロニクルズ』をお休みして、「Like A Rolling Stone」を少し。いえ、特になんだというわけではないのですが、何人かからおめでとうみたいなことを言われましたので。思えば、最初に買ったディランのレコードがこれだったんですよ。シングルでもアルバムでもなくて、CBSソニーが出していた「ポピュラー・コンパクト・シリーズ」。以前にも書きましたね。 →2003年10月6日付日録「花はどこへいった Where have all the flowers gone?」シングル盤が400円、LPが1800円の時代に、盤のサイズはシングル盤と同じなんですが、33回転でAB面に4曲から6曲程度詰め込んだシリーズです。アルバムから抽出した盤が多かったようですが、この『BOB DYLAN / LIVE AT ISLE OF WIGHT』はオリジナル編集です……かと思っていたら、後述アルバムからのピックアップでした。。このシリーズはLP盤と似たような作りのしっかりとしたジャケットに入って、600円ナリでした。アルバムのダイジェスト盤は、同じデザインでした。この盤はダイジェストなのにジャケ写真が違うんですよ。1970年に買ったのかなあ。もう少し後かもしれません。「風に吹かれて」「時代は変わる」は知っていましが、おなじみだったのはPP&Mによる演奏でした。きれいなのね。PP&Mに先行ヒットさせたのはディランを売り出す作戦だったそうなので、まあ私も見事にはまったわけです。さすがにボブ・ディランの弾き語りによる「風に吹かれて」は知っていましたが、エレキギター(死語か?)に持ち替えたディランは、まだ聴いたことがなかったと思います。それぐらいの感覚で買ったので、聴いた時には驚きました。これがボブ・ディラン?ぶっとびであります。ジャケットを見ても、ディランが抱えてるのはアコースティック・ギターなんですよ。A面1曲目、まさに「ライク・ア・ローリング・ストーン」が、その冒頭でありました。この曲自体は1965年にヒットチャート1位になった、ディラン最大のヒット曲です。なんとまあいいかげんに歌うんだろうと、びっくりしました。バックはザ・バンド。何度か聴いているうちに、どちらかというとこの音の方が70年代のベースになってしまいました。順番が違いますが、『セルフ・ポートレイト』(1970年)に入ってますね。例によってbobdylan.comで全曲試聴できます。本当はワイト島で最初に歌ったのは「She Belongs To Me」だそうです。当時のディランのお気に入りの曲ですね。BOB DYLAN : LIVE AT ISLE OF WIGHT ワイト島のボブ・ディラン(1970年)A-1 Like A Rolling StoneA-2 Minstrel BoyB-1 She Belongs To MeB-2 Mighty Quinn(Quinn, The Eskimo)
2004.11.21
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【追記】No.2東京新聞(11/20付統合版)文化欄は益岡賢さん「ファルージャからの問い」。米軍がファルージャ制圧作戦で行なった犯罪行為を挙げている。米軍が最初に標的とした場所の一つは病院だった。病院を占拠した米軍は、無抵抗の医者と患者の手足を縛り上げた(米CNN11/7)。明らかにジュネーブ条約違反なのだが、これは四月のファルージャ包囲の際に、犠牲者に関する最も信頼できる情報が病院から発信されていたからである。他にも国際人道法違反がいくつもある。ファルージャを逃れようとする人々を強制的に戦闘地域に連れ戻した。民間人を狙撃した。無差別爆撃を行なった。13日の時点でファルージャでの犠牲者数は千人を超え、ファルージャに閉じ込められた人々は、きれいな水も電気もなく、食料も医薬品の供給も受けられない絶望的な状況にある。これが、小泉首相が「成功させなければならない」と述べた作戦の実態である。★下に【追記】No.1があります。ヴァン・ロンクの友人でポール・クレイトンという人がいました。ディランによれば少なくとも30枚はレコードを出しているはずだが、あまり知られていないそうです。Dr. Paul Claytonということで、学者さんなんですね。あれ、違うか。googleで何人も違う人がヒットしてしまいます。この人だな。 →The Bob Dylan Who's Who: Clayton, Paulインテリで、学者で、詩人。民謡(Balladry)の知識がとても豊富なんだそうです。いきなりこんな記述があるということは、話は「Gaslight」で歌っているころのことなんでしょうね。それで、このポール・クレイトンがディランに紹介してくれたのがレイ・グーチ(Ray Gooch)とクローイ・キール(Chloe Kiel)。この部屋の持ち主はこの二人でした。この二人に関しては、googleで検索しても、この『クロニクルズ』の記述がひっかっかるだけですな。クローイは「ダフニスとクロエ」のクロエと同じ名前なので、女性です。レイとクローイはカップルなんでしょう。ディランはベッドから起き出て窓から外を見ます。下には白と灰色の通りが川に延びています。The air was bitter cold, always below zero, but the fire in my mind was never out, like a wind vane that was constantly spinning.「a wind vane」というのは風向計です。心の中では火が絶えず燃え続けていたという比喩に、くるくると動き続けている風向計をさらに加えるところがちょっと不思議です。「midafternoon」と言ってるので、もう午後3時過ぎ。部屋の主であるレイとクローイはいません。レイはディランより十歳ほど年上と書いてありますから、三十路に入ったぐらい。バージニアの出身で、年老いた狼のように痩身で喧嘩慣れした印象です。血筋は良家のようで、司教や将官、植民地総督まで先祖にいます。非国教徒で、非統合の南部ナショナリストだとありますが、その辺りの感じは今ひとつピンと来ません。昨日出てきた「連邦様式の建物」にが似合いそうな気がします。日本でいえば草莽の志士といった趣を持った人物でしょうか。当時ディランが歌っていたような伝説の中に出てきそうです。レイはアメリカの都市でのゴタゴタにはほとんど興味を示さず、本当の行動とは「コンゴにある」と言っていたそうです。旧ベルギー領のコンゴ民主共和国と旧仏領のコンゴ共和国が独立したのが1960年。レイは民族派だったのでしょう。クローイは金髪で薄茶色の目をしていて、人形のように不可解な笑みを浮かべているのですが、たぶんかなりかっこいい女性ですね。爪を黒く塗っていたというのはどうなんでしょう。八番街の「the Egyptian Garden」で「a hatcheck girl」をしていたそうです。ベリーダンスなんかを見せる店の、まあ受付みたいなものでしょう。雑誌『Cavalier」のモデルもしていたというのだから、やっぱりかっこいいんですね。二人は夫婦のようでもあり、兄妹のようでもあり、従兄妹のようでもあり、とにかく説明できないけど、一緒に暮らしていました。p.26が終わります。【追記】No.1クローイはちょっと変わった人だったようで、ディランに妙なことを言います。あんたアイシャドーを塗った方がいいよ、邪悪な目から逃れることができるから。え、誰の目?ジョー・ブロウ(Joe Blow)やジョウ・シュモウ(Joe Schmoe)の目。この二人の名前は、つまり俗物を個人名化して言っているようです。日本語で言えば、ミーちゃんハーちゃんといった感じ。ピンクレディじゃないですよ。さらにクローイは、この世はドラキュラに支配されているというのです。ドラキュラとは、印刷機を発明したグーテンベルクの息子。含蓄があるんだかないんだか、よくわからない会話です。そして、ディランはこんな会話がとても楽しかったと書いています。50年代のこんな文化はもう滅びる時が来ている。でも、宗教のように深く心に刻み込まれたフォークソングは、そんな目先の文化には揺るがないだろう。自分のねぐらがなかったので、ディランはこんなふうにビレッジ中を泊まり歩いていたのです。一晩や二晩泊めてもらうこともあれば、一週間以上泊めてもらうこともありました。ヴァン・ロンクのところに泊めてもらうことが一番多くて、レイとクローイのところが気に入っていたようです。そこはくつろげたということですね。レイはいい家の出身なので、サウスカロライナのキャムデン陸軍士官学校(Camden Military Academy)に学んだこともあるし、ウェイクフォレスト神学校にいたこともあるのですが、どうも放校処分になっていたようです。バイロン(Byron)の「ドンジュアン(Don Juan)」を引用したり、ロングフェロー(Longfellow)の物語詩「エヴァンジェリン(Evangeline)」を暗唱したり、確かにディランの好きそうな人です。レイは「a too-and-die factory」で働いていたと書いてありますが、金型工場ということでしょうか。その前にはサウスベンドのパン工場や、オマハの屠殺場と、いろいろな仕事を経験しながら、グリニッチ・ビレッジに流れついたのです。ディランがレイに屠殺場はどんなところだったか尋ねます。「アウシュビッツって聞いたことがあるかい?」これがレイの答えです。もちろん聞いたことはあった。聞いたことがないやつなんているのだろうか。ヨーロッパにあった死の収容所だ。ゲシュタポの長官アドルフ・アイヒマンが管理していたんだ。最近エルサレムで裁判が始まった。戦後に逃亡していたのだが、アルゼンチンのバス停でイスラエル人に捕まった。ディランは急にナチの蛮行とイスラエル国家による裁判のことを書き始めます。エルサレムでアイヒマンの裁判が始まったのは1961年2月11日、死刑が宣告されたのが1961年12月2日です。 →『ウィキペディア (Wikipedia)』アドルフ・アイヒマンp.28に入りました。
2004.11.20
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【追記】No.1ふと気づいたのだが、どうも管理工学研究所は、松茸のサポートをやめたのではないだろうか。日本語IME(入力ソフト)の話であります。DOSの時代にVZeditor+松茸という組み合わせで文章を書くようになった。あれはまだ80年代だったかしら。一太郎Ver.4で書いていたらPCがフリーズして、一晩の成果およそ四千字ほどが消えてしまったのだ。これに懲りて新松に乗り換え、松茸に馴染んだ。さらにワープロよりもエディターの方が軽いので、VZ+松茸になったのだ。日本語FEP(Front End Processor)という呼び方をしていたなあ。Windowsの時代になってからはWZeditor+松茸。WZは一つ前のバージョン(Ver.4)の方が軽いので、それを使い続けている。私は手書きだと四百字詰め原稿用紙5枚程度でもヒーヒー泣きが入るほど字を書くのが苦手なのだが、PCのキーボードを打つのなら、一晩で400字×20枚程度でもそれほど苦ではない。以前はそれで糊口を凌いでいたのだ。こうなると、松茸は手放せない。少しでも違う動作の入力ソフトだと、途端に入力速度が落ちるのだ。特にM$の日本語IMEとかいうのは使えない。それなのに、松茸はどうも生産終了品扱いになっているらしい。自動車を運転していて、じゃあ5分後にメガネ外しますよと言われた感じ。夜中に、急に心配になってしまった。そこでWnnに乗り換えようという結論になった。LinuxやBSDでおなじみのソフトだ。FreeWnnというのもあるが、その製品版のWnn7をオムロンが出していて、Linux機で作業をする時はこれを使っている。Wnn98というWindows版のWnnが出ていたはずだ。ところがオムロンのサイトに行ってみると、本来の対応OSは「Windows95/98/NT4.0」。あら、Wnnよ、お前もか……。うんぬ、困った。ちなみに、携帯電話の日本語入力には、このWnnを採用しているメーカーが増えているはずです。第一章「Markin' Up the Score」では、プロとして契約を結ぶところと、その少し前にニューヨークに出てきてグリニッチ・ビレッジで歌うところが描かれていました。年代記という意味のタイトルなのに、何年何月にこういうことがあったという編年体ではありません。とりあえずプロとして活動を始めた時に強烈に印象に残っていること、鮮やかに思い出すことから書き始めたのかもしれません。自信と希望に満ちた若者が第一章のボブ・ディランでした。登場する曲名や人名もさることながら、やはり文章そのものがやっぱりディランなのでわかりにくいところがあります。本人は曲を作る時ほど凝っていない素直な言い回しのつもりなのでしょうが、よく調べないと大誤読しそうです。いや、間違って読んだっていいんですよ。日本語の歌詞や文章だって、そんなに厳密に読み取ってはいませんよね。第二章は「The Lost Land」という題が付いています。ウッディ・ガスリーの「This Land Is Your Land」や、一神教(ユダヤ教/キリスト教/イスラム教)の「promised land」なんぞ思い浮かべながら、p.25に入っていきます。ベッドの中で身体を起こして、周囲を見回した。そこはベッドではなくてリビングのソファで、ヒーターからは湯気が上がっていた。いきなり回想記っぽいですね。本当にそういう目覚めがあったのでしょう。暖炉の上には、植民地時代のかつらを付けた肖像画がこちらを見つめています。引き出しの付いた楕円形のテーブル、手押し車のような椅子、小さな机、長椅子(カウチ)、フランス風の敷物……ディランはどこで寝ていたのでしょうか。ブラインドを通して光が差し込んでいます。その部屋はジントニックと木精と花の香りがしています。連邦様式の建物(a Federal style building)の最上階と書いてありますが、何だかわからないので辞書を引いてみます。リーダーズ英和辞典によると、「1790年ころから1830年ころの米国で流行した古典主義復興の様式」だそうです。なんとなくわかったような感じもしますが、一応googleで探してみると、なるほど、やっぱりこういう感じねとわかります。インターネットというのは、何よりもまず巨大な検索システムなんですね。 →ARCHITECTURAL STYLES of AMERICA / FEDERAL (1780-1820) →American Federal(Adam Style)c. 1780 - c. 1840 →Federal Style 1790-1830リーダーズ英和の定義と少し時期がずれている説明もありますが、だいたい見当がつきました。この建物は運河近くのベストリストリート(Vestry Street)にあって、ハドソン川も近くです。同じブロックにはブルズヘッドという居酒屋があって、ブース(John Wilkes Booth)がよく飲みに行っていたとディランは書いています。アメリカのブルータス、ジョン・ウィルクス・ブースと言われても、誰のことかわかりませんね。1865年4月14日に、リンカーン大統領を撃った人物です。 →A History of John Wilkes Boothディランはそこで悪酔いして、ブースの亡霊を見たことがあるそうです。で、これはいつのことを書いているのかしら。まだp.25が終わったところです。
2004.11.19
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【追記】No.2リンク先で延々と、ゴミがいかにゴミであるか論証してくださっています。御苦労様です。勝手に質問攻めにしてオレ様の質問に答えろとか、オレ様の約束に従えとか、そんなものは即刻削除していいのだということがよくわかりますな。つまり、嫌がらせのための嫌がらせですから。そういう輩は相手の反応が餌みたいなものなので、餌を与えてはいけません。楽天広場の女性住民が特に狙われているようですね。サイトの編集権は、まとわりついてきたストーカーのようなものにはありません。ネズミの糞以下のものを貼り付けられたら、さっさと削除してください。【追記】No.1ふと枕許を見ると、エリック・クラプトンの『アンプラグド』が転がっておりました。6曲目に入ってますな、「Nobody Knows You When You're Down and Out」。amazon.co.jpで調べてみると、邦題は「ノーバディ・ノウズ・ユー」になってます。もう少しどうにかならなかったんかい。日本盤はamazonで2325円(悪税込)。輸入盤はamazonで980円(悪税込)。もう少しどうにかならないんかい。本家amazon.comだと、この曲も試聴できます。Unplugged [LIVE] /Eric Claptonフォークロア・センターの奥にあるイジーの部屋で、ディランはいろいろな曲を教わります。The Country Gentlemenの「Girl Behind the Bar」を聴けとか、Charlie Pooleの「White House Blues」を弾いてみせて、これはThe Ramblersが演ったとおりの演奏で、ディランにぴったり合ってると言ったりします。 →The Country Gentlemen →Charie-Poole.com →Charlie Poole and the North Carolina Ramblers →「White House Blues」楽譜とMIDIファイルこのあたりをgoogleで検索して潜っていくとおもしろいですね。いくら時間があっても足りません。ある寒い日にディランがこんなふうにイジーの部屋で修業を積んでいると、あるいは遊んでいると、通りから大男が入ってきました。まるでロシア大使館から来たような風体の男は、上着の袖の雪を払い、手袋をはずしてカウンターに置くと、煉瓦造りの壁に掛けてあるギブソンのギターを見せてくれと言いました。センターでは楽器も売っていたのです。デイブ・ヴァン・ロンクでした。以前ディランが口もきけなかった、あこがれの歌手です。ロンクがギターを試し弾きして置くと、ディランは思いきって近づきます。お店の若造という立場ですから、ギターに手を置いて、ついでに尋ねます。「Gaslightで働くにはどうすればいいんですか。誰かご存知ですか?」馴れ馴れしくならないように気をつかってます。「門番の仕事をしたことある?」ぶっきらぼうにロンクが答えます。ディランはないと答え、歌を聞いてもらえないか尋ねます。快諾を得て歌ったのが、「Nobody Knows You When You're Down and Out」でした。 →http://www.theguitarguy.com/nobodykn.htmニーナ・シモン、エリック・クラプトン、ロッド・スチュワートとまあ、実にいろいろな人が歌っています。憂歌団の「ドツボ節」も同じ曲ですね。 →憂歌団「ドツボ節」の歌詞ディランの歌を気に入ってくれて、デイブはディランに名前やニューヨークに来てどのぐらいになるか聞いてきます。そして、自分の持ち時間の中で数曲歌わないかと言ってくれます。「The Gaslight」で歌えるというのは、大きなステップアップでした。フォークロア・センターを出て「Mills Tavern」というコーヒーハウスへ行くのですが、もう気もそぞろ。仲間のフラメンコギター奏者フアン・モレノ(Juan Moreno)が新しいコーヒーハウスができたぜと教えてくれるのですが、かろうじて耳に入ってくるだけです。フアンの唇が動いているのに、その声が聞こえてきません。自分は「The Gaslight」で認められるので、もう劣悪な環境のコーヒーハウスで歌う必要はなくなる。運命が姿を現したのだと、ディランの自信は並外れたものがありました。これでp.22。このページで第一章が終わりました。次は第二章「The Lost Land」です。
2004.11.18
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【追記】No.2イラクにおける戦争犠牲者数を示すバナーを貼って一週間が過ぎた。米軍のイラク軍事侵攻によって亡くなった民間人の数。イギリスの市民団体によるもので、根拠はマスコミに報じられた死者数である。実数よりもかなり少なめだし、大規模な殺戮があっても数字に反映されるまで時間がかかる。毎日バナーを貼っているが、表示する度に「IRAQ BODY COUNT」から数字の画像を読み込むので、古い日記に貼った画像も同じ数字になってしまう。初日、11月9日付日録にその数字が書いてある。《 Minimum:14272 》明けて11月17日になろうという深夜。《 Minimum:14400 》今もイラクでは米軍によって民間人が殺されているのだということを忘れないように、毎日貼り続けます。日本政府がそれを積極的に支持しているということを忘れないためにも。【追記】No.1「子供にはこういってやんな」amazonから荷が届いた。あれ、何だろう。すっかり忘れていたわ。『小さな恋のメロディ』のDVDが出たんだ。まだ開封していない。今度の休みに観よう。ビージーズの曲が印象的だったけど、エンディングはCSN&Yで「Teach Your Children」。ナッシュさんの曲ですね。温かくてきれいです。CSN&Yというと個性派のヤングや本命のスティルスという感じですが、実はC&Sかなあという気もします。デビッド・クロスビーとグレアム・ナッシュ、この二人はディランが「Cafe Wha?」で出会ったフレッド・ニールの影響が大きい、いわゆる「フレッド・ニールズ・チルドレン」なんですね。この「Teach Your Children」を、中山ラビさんが歌っていました。訳詞は故中山容さんです。題して「子供にはこういってやんな」。 ♪ 子供には こういってやんな ♪ 親父の地獄は ゆっくりと消えてく ♪ 夢がお前を育て 拾えば ♪ それがお前 その夢でつながってるのさラビさんの弾き語りにギター、バンジョー、男声コーラスが付いたライブバージョンが、『続関西フォークの歴史』に入っています。ディランは非常に複雑な現代社会に興味を持っていなかった。タイタニック号が沈む話や、ガルベストンの洪水、鋼鉄を駆るジョン・ヘンリー、西バージニア鉄道で人を撃つジョン・ハーディ、そんなものを歌った歌が好きだった。実際、当時はそんな歌が歌われていたのだ。ディランはイジーの部屋でこんなものを聴き漁る。イジーはちょっと変わった人物だったようで、ディランのことをあれこれと質問攻めにする。そして、それを日記に書き留めるのである。イジーに尋ねられて、ディランは一緒に暮らしていた母方の祖母のことを答える。高潔で優しい人だった。幸福とはどこかにいたる道にあるのではなくて、道が幸福なのだと教えてくれた。それから、人には親切にしろと教えてくれた。これからお前が出会う人は誰も皆、激しい闘いをしているのだから。イジーの闘いが何なのかは、わからなかった。社会的不公平や、飢えや、ホームレスといった問題にかかわるような人で、それを公言していた。エイブラハム・リンカーンとフレデリック・ダグラスを尊敬していた。究極の魚釣り物語『白鯨』が、彼の大好きなほら話だった。イジーはいつも借金取りや地主の命令に苦しめられていたが、そんなことではへこたれなかった。ワシントン広場でフォーク・コンサートが開けるように闘った。みんなイジーの味方をした。これでp.21に入りました。
2004.11.17
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【追記】No.2晴天好日。大菜園で柿の実の残りをすべて採ってくる。ただし、一つだけ残して。もう手の届かない場所に生ったものばかりなので、高枝切り鋏が大活躍。今日は70個ほど採れた。今年は大豊作で、特に今日まで残っていたものは実が大きくてきれいに熟している♪その後浜へ出て夕陽を眺める。いい日であった。が、まだ少し仕事をせにゃならんのです。はぁ。【追記】No.1あちこちで歌うようになったディランは、午後に「Cafe Wha?」へ行くことをやめます。その代わり、「フォークロア・センター(the Folklore Center)」に出入りするようになります。そこにはフォークソングに関係のある、ありとあらゆるものがありました。特にレコードと楽器が充実していたようで、若きディランはここでフォークやブルーズの知識を吸収したようです。フォークロア・センターでは、イジー・ヤング(Izzy Young)という人物と出会います。センターの主催者ですね。イジーはブルドーザーのようにやたらに声が大きくて、いつも何かしらガーガーとしゃべっていたそうです。ディランはレコードを聴きまくり、楽器を演奏し、イジーのタイプライターで詞を書きます。 →FOLKLORE CENTER →Izzy Young's Folklore Centergoogleで[イジー・ヤング]を検索すると、ニール・ヤング&クレイジー・ホースがヒットするので笑ってしまいました。イジーはコンサートも主催したので、そこでディランはいろいろなミュージシャンを見ることができました。「unmistakably authentic folk and blues artists」ですね。 →Clarence Ashley →Gus Cannon →Mance Lipscomb →Tom Paley →Eric Darling「秘伝のレコード」もたくさんあって、ディランは全部聴きたいと思いました。「フォリオ(folio)」もたくさんあったと書いてあるのは、楽譜のことでしょうか。船乗りのはやし歌(sea shanties)、南北戦争の歌(Civil War songs)、カウボーイの歌、挽歌、教会の歌、反ジムクロウ法の歌、組合の歌。それから民話の本、世界産業労働者組合の機関誌、女性の権利から飲酒の危険性にいたるまでのあらゆる政治パンフレット。フォーク・センターは、まさにディランの「私の大学」だったのかもしれません。そこにあった楽器はダルシマー(dulcimer)、5弦バンジョー、カズー、ブリキ製の小さな横笛(pennywhistle)、アコースティック・ギター、マンドリンが挙げてあります。p.19まで来ました。当時ディランが歌っていたのは「hard-core folk songs」というスタイルだそうです。たえずギターを大きな音でかきならしながら歌います。もっと歌がうまい歌手もいたけれど、自分は独りだけ際立っていたと言っています。フォークソングは「宇宙を探険する手段」であり、「言葉では言えないほど価値のある絵」だったと、力がこもっています。「僕には物事の内部にある本質が見えていた。」「僕はばらばらの破片を繋ぎ合わせることが簡単にできた。」すごい自負ですが、この物事というのは、曲のことを指しているようです。Columbus StockadePastures of PlentyBrother in KoreaIf I Lose, Let Me Loseこんな曲名が並んでいます。最初の二曲はウッディ・ガスリーが歌っていたり、PP&Mが歌っていたりするので、カントリーやフォークに近い曲なんでしょう。(いいかげんですまん)「他の歌手たちはたいてい歌よりも自分のことを伝えようとしたのだが、僕はそんなことは気にしなかった。」ディランはその歌自体を聞き手に伝えようとしていたのだ。意外な言葉だが、歌い手ボブ・ディランの真骨頂を示すものではないだろうか。帰りが遅かったので、ちょっとだけね。追記できるかな。p.18を読んでおります。
2004.11.16
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【追記】No.1 ♪ お湯をかける少女~♪というCMまで現われましたな。工藤夕貴さん。どうも斉藤由貴さんの「青春という名のラーメン」と混ざります。昨夜は地上波のテレビがつまらないので、チャンネルNECOで角川映画を二作連続見てしまいました。どちらもNHKの少年ドラマで扱われた素材で、大林宣彦監督。また浮世離れしてしまいました。寒いんで焼酎など飲んで、酔っ払った頭でもわっと見て、後はガーガー高イビキ。
2004.11.15
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【追記】No.2「ずるいこと」と書いてしまいましたが、「ワザ」ぐらいの感じかもしれません。その例として、リッチー・ヘヴンズ(Richie Havens)の例を挙げています。リッチーはいつもきれいな女の子を連れていて、その子にお金を集めさせていました。するとたくさん集まることにディランも気づいたのです。そこで、「Cafe Wha?」で知り合った見た目のきれいな子にお金を集めてもらったのです。ちょっと奇抜な格好で。お金の取り分に関してはごたごたとうるさいのですが、それでも独りで歌ってお金を集めるより、ずっと多かったそうです。彼女の格好は、こんな感じです。... wear a funny little bonnet, heavy black mascara, low laced blouse--looked almost naked from the waist up under a capelike coat.う~ん、やっぱりそういうものなのか。 →THE OFFICIAL SITE OF RICHIE HAVENS【追記】No.1ところで楓。。さんにそそのかされて、いきなりですが「KYON2 My Best 5」 No.1 「なんてったってアイドル」(1985年) No.2 「木枯しに抱かれて」(1986年) No.3 「The Stardust Memory」(1984年) No.4 「夜明けのMEW」(1986年) No.5 「ヤマトナデシコ七変化」(1984年)う~ん、時期が集中してますね。このころがアイドルとしての旬だったのかしら。筒美京平メロディと高見沢俊彦メロディか。「渚のはいから人魚」「スマイル・アゲイン」が次点。「まっ赤な女の子」「私の16才」ってのも悪くないです。 →小泉今日子 EPコレクションヴァン・ロンクは「The Gaslight(ガス灯)」というクラブで働いていました。「The Gaslight」は派手な横断幕が外に掲げてあるというのが、いまひとつイメージがわきません。ここは週給で支払ってくれた。お酒は出さないけど、持ち込み可。昼間は閉まっていて、夕方からだいたい六人ぐらいで一晩のステージをやったそうです。オーディションは一切なし。ディランは歌いたかったし、そうする必要がありました。この「The Gaslight」のステージにいるボブ・ディランの画像がありました。 →GASLIGHT CAFE 真ん中にディランが写ってるんですが、くわえてるのは葉っぱでしょうか?通りで出会ったヴァン・ロンクに声をかけそびれた時のことが書いてあります。ディランはヴァン・ロンクと一緒に演奏をしたかったのです。でも、行き過ぎる時にヴァン・ロンクの目の光を見ることができただけでした。「The Gaslight」以外のコーヒーハウスはかなり劣悪な環境だったそうです。もちろんマイクなんてものはありません。「pass the hat」と書いてあるのは、つまりステージを務めた者自身がお金を集めたのでしょう。大道芸を小屋の中でやってるようなものです。たぶんすべて場所で一度や二度は演奏したはずだと言っています。こういう薄汚れた暗い小屋には、タレントのスカウトは来ません。どうやら観光客相手の商売だったようです。投げ銭を期待して演奏していると、週末だったら、夕暮れから夜明けまで(from dusk 'til dawn)までで20ドルぐらい。ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結んだ時、ディランは100ドルを前払いで受け取りました。これはやはりなんとか一ヵ月暮らせるかという程度の金額みたいですね。。ウィークナイトは悲惨だったようです。客の数に比べて競争相手が多すぎた。したがって、生き残るためには多少ずるいこともしなければならなかったと書いているのには驚きました。ちょっと戻ったので、まだp.17であります。
2004.11.14
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【追記】No.3「ブッシュで良かったじゃないか、ケリーが大統領になったら日本はもっと大変だったろう」などとわけ知り顔で言う人がいます。まあ、床屋政談、どこかで聞きかじった知識を断片的に披露してくれます。そりゃ、ブッシュが落選していたら、当選した時に大喜びしていた、あのコイズミ君やザイカイは大変なことになっていたことでしょう。でも、コイズミ君やザイカイがそのまま日本ではありません。少なくとも、ブッシュでなければファルージャでの蛮行はなかったことでしょう。「誰がやっても同じ」なんてデマを流したがる人もいますな。選挙の結果で世界が大きく変わることがあるのだ。【追記】No.2ところでレーベルという言葉はちょっと気持ち悪いんですが、レイベルと書いたところで別に原音に忠実なわけでもなし、でもどうしてレコード会社だけラベルじゃなくてレーベルというのか不思議です。「label」がラベルとレーベルというように、意味によって言い分けられてるんですな。類義語のレッテルはオランダの「letter」が由来だそうです。作曲家のラヴェルは「Ravel」。英語だと「ravel」は「ほぐす」という意味です。反逆者は「rebel」。水準のレベルは「level」。並べるとかえって混乱しそうです。きわめてあいまいな使い方をしますが、「ラベリング理論」というのがありました。社会が標識を貼り付けることによって、貼り付けられた人がそのラベルに応えるような形で行動するようになってしまうという現象を指します。犯罪の発生、社会からの逸脱を説明するために用いられることがありました。ゴミはゴミだというように分類してしまうと、ゴミになります。ところがさらに細かく分類すると、資源として再利用できます。ゴミでなくなるのです。ネズミの糞ではいくらラベルを貼っても再利用できないわなあ。それでもネズミの糞なら有機物なんだから、土に還ることもあるかもしれない。憎悪を振りまくだけの悪意に満ちた言葉は、ネズミの糞以下で、本当に何の役にも立ちません。相手をしてやろうという奇特な方もいらっしゃるようですが、まったくかみ合わなくても、とにかく誰かに威張れるんだから、大喜びさせているだけですよ。あんなものに餌は与えないでください。【追記】No.1ボブ・ディランにも憧れのレーベルがあったというのは楽しい。「folkway」というのは「習俗」ぐらいの意味です。辞書を引くと、「同一社会集団の全員に共通な生活・思考・行動の様式」などと説明してありました。(研究社『リーダーズ英和辞典』)ディランが家にいるころ一所懸命聴いていたのは、「FOLKWAYS」というレーベルのレコードなんですね。今は「Smithsonian Folkways Recordings」となっています。あのスミソニアン博物館のスミソニアン協会が運営している、非営利レコード会社になってしまったのです。1949年にモーゼス・アッシュ(Moses Asch)という録音技師が、人間の生み出した世界中の音を記録しようとして始めたレコード会社が「FOLKWAYS」でした。1986年にアッシュが亡くなると存続の危機に陥ったのですが、この貴重な資料を保管するために、文化団体のスミソニアン協会が運営に乗り出したのだそうです。その窮状を知ってボブ・ディランが「FOLKWAYS」救済のために作ったアルバムがあります。ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)とレッドベリー(Leadbelly)へのトリビュート・アルバム『FOLKWAYS:A VISION SHARED』(1988年)です。ボブ・ディランの他に、ブルース・スプリングスティーンやU2が二人の曲を歌っています。私はこのアルバムを持っていなかったのですが、ふとamazon.co.jpで検索してみると、ちゃんと輸入盤がありました。悪税込みで1127円。これは買わないと。amazon.comのレビューでは、特に次の2曲がお薦めだそうです。"Jesus Christ"はamazon.co.jpで試聴できますよ。-----------------------------------------------------------Particularly exciting is a supercharged version of Leadbelly's "Rock Island Line" by Little Richard with Fishbone and U2's take on Guthrie's "Jesus Christ." --Ian Landau -----------------------------------------------------------Folkways: A Vision Shared- A Tribute to Woody Guthrie & Leadbelly 1. Sylvie2. Pretty Boy Floyd3. Do-Re-Mi4. I Ain't Got No Home5. Jesus Christ6. Rock Island Line7. East Texas Red8. Philadelphia Lawyer9. Hobo's Lullaby10. Bourgeois Blues11. Gray Goose12. Goodnight Irene13. Vigilante Man14. This Land Is Your Land Little Richard, Brian Wilson, Bob Dylan, Bruce Springsteen, Sweet Honey in the Rock, and U2洞窟のような賄い場で立ち食いをしてラジオから流れるリッキー・ネルソンの歌を聴きながら、ディランはリッキーと自分の身を比べてみる。だいたい同じぐらいの年齢で、たぶん似たようなものが好きなんだろうけど、なんとまあ違う環境にあることか。将来の関わりについてはまだ知る由もない。何よりも肝心なのは、リッキーが今もレコーディングをしていて、自分はまだそれをしていないということだ。ウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)がレコードを出している、あのフォークウェイズ(FOLKWAYS)からレコードを出したいものだなあ。ディランはボスであるフレッドにレコーディングのことを尋ねるのだが、フレッドはそんな話にはまるで乗り気でない。フレッドには歌い手としての何かが欠けていると、ディランは感じていた。それが何であるのかわからなかったのだが、デイブ・ヴァン・ロンク(Dave Van Ronk)に出会って、わかったと書いている。#5で会いたい歌手の最初に挙がっていた名前だ。デイブは当時のグリニッチ・ビレッジでは、ストリートの王者であったと、ディランは書いている。ディランは故郷にいる時からレコードでデイブの歌には親しんでおり、情熱的に吠え、そしてささやき、ブルーズからバラッドへ、バラードからブルーズへと切り替わるデイブのスタイル大好きだった。ディランのデビュー・レコードに入っている「朝日のあたる家(House Of The Risin' Sun)」のアレンジはデイブだと言われている。私のおなじみさんだと、ジャクソン・ブラウン(Jackson Browne)が歌っている「コカイン(Cocaine)」はデイブの曲だ。デイブは2002年2月に亡くなったが、ニューヨーク市では5月18日を「デイブ・ヴァン・ロンクの日(Dave Van Ronk Day)」として、コンサートを開催している。 →dave van ronk unauthorizedp.16に入ったあたりです。ところで思わぬ連載になっちまいましたが、これは翻訳でもダイジェストでもありませんよ~。ちらっと読んで、内容を少し紹介しているメモのようなもの。私の感想や調べたことが混じっております。これでボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』を読んだ気になってはいけません。
2004.11.13
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【追記】No.2NHK「夢・音楽館」のサイトを覗いてみると、リピートがあることがわかりました。見逃した方、特に番組冒頭の「トランジスタ・ラジオ」はお勧めですぞい!再放送 11月16日(火)総合 2:55~(月曜深夜)再放送 11月17日(水)BS2 2:45~(火曜深夜)1. トランジスタ・ラジオ / 忌野清志郎2. ひとりぼっちのアイツ / オリジナル・ラヴ3. ステップ! / 忌野清志郎&オリジナル・ラヴ4. 銀ジャケットの街男 / オリジナル・ラヴ5. JUMP / 忌野清志郎【追記】No.1いやあ、良かったわ、NHK「夢・音楽館」の忌野清志郎さん。なんといっても一曲目「トランジスタ・グラマー」、違う、「トランジスタ・ラジオ」。たっぷり5分近く。バックがやけに豪華だったので、思わず調べてしまいました。こういうメンバーだったのですね。忌野清志郎 & NICE MIDDLE with NEW BLUE DAY HORNS Vo. 忌野清志郎- NICE MIDDLE -G. 三宅伸治 Dr. 宮川 剛B. 中村きたろうKey. 厚見玲衣- NEW BLUE DAY HORNS -A.Sax 梅津和時T.Sax 片山広明Trump. 渡辺隆雄ギターの三宅伸治さんは今年の春一番で堪能してきました。 →春一番 第四日 手前味噌リンクでございます。ディランのボスとなったフレッド・リーチは、まったく野心など持ってないように見えた。二人は個人的な事情など語り合ったりはしなかった。He was very much like me, polite but not overly friendly (僕ととてもよく似ていて、ていねいではあるが、さほど愛想よくはなかった)そして一日の終わりには、小銭を渡して「さあ……これで困らないだろう。」本当に小銭だったみたいですね。それでも、ここ「Cafe Wha?」で働いていれば、食うのに困らないのがとてもありがたかったと書いてあります。ウクレレを弾いて裏声で歌うタイニイ・ティムと一緒に、ディランは賄い場で飯をかっこみます。脂っこいハンバーガーとフライド・ポテト。コックのノーバート(Norbert)が、缶に入ったポーク&ビーンズや、フライパンに入ったままのスパゲッティをくれます。あれ?ディラン、豚肉食べてるよ?食べないんじゃなかったっけ?崖を掘り抜いて作ったような雰囲気のキッチンの中で働きながら、ノーバートは、イタリアのベローナへロミオとジュリエットの墓を見に行くために貯金をしています。こういう描写がいいですなあ。ディランの文章はとてもうまいと思いますよ。ある日の午後、ディランがコップにがばがばとコーラを注ぎ込んでいると、ラジオからとてもいい声が聞こえてきました。リッキー・ネルソン(Ricky Nelson)が新曲「Travelin' Man」を歌っていたのです。ディランはここでリッキー・ネルソンを絶賛します。ことさらに奇をてらったりしない、本物の歌。ディランはずっとリッキーのファンだったし、今もそうだと書いています。でも、そういう歌はすたれているし、これからも栄えることがないのだろう。悲しそうにディランは続けます。 →Rick/Ricky Nelson's Official Website →リック・ネルソンこれでp.14に入りました。
2004.11.12
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【追記】No.3携帯にメールが届く。今夜のNHK総合TV「夢・音楽館」(23:15-23:45)はゲストが忌野清志郎さん。私の大好きな「トランジスタ・ラジオ」も歌ってくれるそうなので、早く帰らないと。教えてくれてありがとう。【追記】No.2パレスチナ自治政府ヤセル・アラファト議長の死亡が発表された。イスラエル軍に包囲されたまま晩年を過ごし、最後はフランス軍の病院で亡くなった。アラファトさんはずっと領土のない国家、パレスチナの代表だった。危篤が伝えられた時でも、喝采を上げるイスラエル人の姿が映されていた。しかし、それがすべてのイスラエル人であるはずもなく、映像に現われた人達の憎悪よりも、その映像を作って世界中に配信した者の心の醜さが印象的だった。アラファトさんが亡くなるとPLOは求心力を失うというのは、分裂を願う者がいて、それを宣伝しているである。たとえばイラクのように、元CIAのエージェントを代表に据えた傀儡政権作りが容易になる。そう簡単には行かないと思う。イスラエルとブッシュが本当に平和を建設するわけではないのだから。皮肉なことに、モスクの町ファルージャへの米軍の蛮行は、シーア派とスンニー派の枠を超えて反米感情を煽っている。アラファトさん、お疲れ様でした。【追記】No.1ディランが「Cafe Wha?」でハーモニカを吹いていた頃、プロとしてそのステージに上がっていた人々。Richard Pryor →Richard Pryor, a Comedy Legend's Official SiteWoody Allen →woodyallen.comJoan Rivers →JoanRivers.comLenny Bruce →LADIES AND GENTLEMEN LENNY BRUCEThe Journeymen →The Journeymen →Scott McKenzieKaren Dalton →Karen Dalton "Sweet Mother K.D." ( -1993) 同名のKaren Daltonという歌手がいるようですが、別人です。ディランがハーモニカを吹く仕事をもらった「Cafe Wha?」は、歌を聴くところというよりも、さまざまな芸人が登場するライブスポットだったようです。特に昼間は誰でも、なんでもあり。売れない芸人や素人が次々に登場します。コメディアン、腹話術師、詩人……。「a steal drum band」はスティールバンドと訳したりしますが、あのドラム缶から作るスティールドラムを演奏するバンドですね。「female impersonator」というのが何のことかわからなかったのですが、辞書を引くと「《ヴォードヴィルの》女装の男性俳優」と出ていました。ブロードウェイのヒット曲を歌うデュオ、帽子にウサギを仕込んだ手品師、客席で催眠術をかけるターバンを巻いた男。本当にめちゃくちゃです。午後8時以降はプロのステージです。Commedians like Richard Pryor, Woody Allen, Joan Rivers, Lenny Bruce and commercial floksingers like The Journeymenウッディ・アレンとレニー・ブルースの名前が並んでいるのに驚きました。そうなんだ。なんとなくダスティン・ホフマンが演じているレニー・ブルースと、『BRINING IT ALL BACK HOME』(1965年)の一曲目、「Subterranean Homesick Blues」のディランが重なります。ここでディランは、昼間の時間に出演していた悲しいた芸人たちのことを愛情込めて描写しているように見えます。ウクレレを演奏しながら少女のような裏声を出して歌うタイニイ・ティム(Tiny Tim)、一曲しか持ち歌のないザ・ブッチャー(The Butcher)。ティムからはタイムズ・スクェアに歌える場所があるということを教えてもらいます。「Tiny Tim」という名前はディケンズの『クリスマス・キャロル』に登場する名前から採ったのだと思いますが、さらにそれ以前からなにかいわくのある名前なのでしょうか。浅草出身の芸人さんと似たところがあるのかな。ディランは、自分は芸人だと思っているのかもしれません。歳をとったから温かい視線でほんのすれちがっただけの芸人を語れるのではなくて、最初からそんなふうに感じていたのだと思います。昨日、ディランが「Cafe Wha?」でハーモニカを吹いている写真のあるページへのリンクを張りましたが、ニールとディランの間に写っているカレン・ダルトン(Karen Dalton)の描写もありました。ディランはこの歌手とニューヨークに来る前に会ったことがあり、ずいぶん気に入っていたようです。ビリー・ホリデイ(Billie Holiday)のような声をしていて、ジミー・リード(Jimmy Reed)のようにギターを弾いていたと書いてあります。 →[Fred Neil]だいぶはしょって、p.12であります。
2004.11.11
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【追記】No.2東京新聞「大波小波」、今日の筆者は「(定年待ち)」氏。四方田犬彦『ハイスクール1968』、高平哲郎『ぼくたちの七〇年代』の類書として「ロッキング・オン」の橘川幸夫さんが書いた『風のアジテーション』を批判している。-------------------------------------------------------この手の本の常套だが、かつての粗野で貧乏で、だが純粋だった自分たちの青春を甘く捏造(ねつぞう)したあと、決まって現在の若者を取り巻く状況を批判的に素描してみせる。-------------------------------------------------------『風のアジテーション』がどんな本か知らないが、卑劣な匿名批評だなと思う。タイトルは《「あのころ」は良かったか》。-------------------------------------------------------同時代人として言わせてもらうが、「あのころ」は決してカッコよくなんかなかった。少なくとも個人の生活では、金と性欲に飢えていただけの幼稚な時代だった。そう言いきって葬り去った方が世のためではないのか。-------------------------------------------------------冗談じゃない。匿名批評(定年待ち)氏の70年代はそうだったかもしれない。そしてこの本もアマアマの回想録なのかもしれない。でも、あんたの70年代と一緒に、オレの70年代まで葬り去られてたまるものか。オレの外見はすっかり醜いおっさんになってしまったよ、でもな、匿名批評(定年待ち)氏のように精神まで醜いおっさんになったつもりはない。それは逆だ。そんなことどうでもいいじゃないかと日和りそうになると、オレは自分の原点を思い出す。他人様からどう思われようと気にはしないが、あのころのオレに軽蔑されたくない。【追記】No.1古典的な短編推理小説に、一つの殺人を隠すために無謀と見える軍事作戦を実行してしまう将軍の話があった。事実は小説をはるかに凌駕してしまい、今では気に入らない外国の為政者を「暗殺」するために空爆まで行なう。今回は幻のゲリラを消すと称して、町を殺戮している。人間の闘争本能で戦争を説明する御仁がいたが、それは誤りだ。動物はそんなことをしない。自分の身にひきつけて想像するだけ力のない、愚かな人間の行ないだ。ブッシュよ、小泉よ、殺すな。ディランがヒッチハイクでニューヨークに辿りついたのは厳冬まっただなか。この凍てつくメトロポリスに、知り合いは一人もいません。おそろしく無鉄砲ですが、ディランはニューヨークに着いて興奮しています。It wasn't money or love that I was looking for. (僕が探していたのは、金でも愛でもなかった。)なんだかレコードで歌を聴いていた歌手に会いたかったみたいなんです。ボブ君たら、やっぱり意外に普通。レコードで聴いていたという歌手たちの名前が並んでいます。Dave Van RonkPeggy SeegerEd McCurdyBrownie McGhee and Sonny TerryJosh WhiteThe New Lost City RamblersReverend Gary Davisそして、とりわけこの人に会いたかった。もちろんウッディ・ガスリー(Woody Guthrie)です。 →http://www.woodyguthrie.org/とりあえず、人に教えられた「Cafe Wha?」というクラブに向かいます。そこで昼間ショーをやっているフレディ・ニール(Freddy Neil)という歌手に会うといいと教えられていたのです。「Cafe Wha?」は洞窟のようなところで、天井が低くて明かりも乏しいのですが、広い学生食堂のようにテーブルと椅子が並んでいたそうです。正午開店、午前四時閉店。ディランは店を見つけて入っていきます。He couldn't have been nicer (ニールはこのうえもなくいい人だった。)懐かしい受験英語、仮定法過去完了でんがな。「Neil was the M.C. of the room」と書いてあるのは、クラブの司会進行役(master of ceremonies)だったということでしょうか。出演者を仕切っていたようです。何かやってみなと言われて、ディランはギターを弾き、歌を歌い、ハーモニカを吹きます。フレディ・ニール自身が出演している時にハーモニカを吹いてくれと、即決です。ディランは大喜びです。少なくともここなら寒い思いをしなくて済む。なんといっても真冬のニューヨーク、外は極寒なのです。この妙な名前のクラブは今も同じ場所にあるようです。 →Cafe Wha? Cafe Wha 115 MacDougal Street New York, NY 10001 →mapフレディ・ニールという名前はどこかで聞いたことがあるなあと思ったら、実は大物歌手でした。 →fredniel.com →[Fred Neil Discography]そう、映画『真夜中のカウボーイ(Midnight Cowboy 本当に犯罪的な邦題じゃ)』の主題歌、ニルソンが歌っていた「うわさの男(Everybody's Talkin')」はフレッド・ニール(Fred Neil)の曲でした。上記リンク先のディスコグラフィによれば、2001年7月9日、フロリダ州サマー・キーの自宅で亡くなっているのを発見されたそうです。享年64。彼の影響を受けた「フレッド・ニールズ・チルドレン」と称されるような人々も多いようですね。おなじみのメンバーですが、ディランは「ガスリーズ・チルドレン」です。フレッド・ニールのステージでディランがハーモニカを吹いている写真を見つけました。下の方にあります。 →[Fred Neil]Bob Dylan, Karen Dalton and Fred Neilat the Cafe Wha? Feb. 1961Photo by Fred W. McDarrahはい、p.10まで来ましたよ。
2004.11.10
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【追記】No.4イラク市民死者数のバナーですが、楽天広場の場合はGIF画像を使った「NON-JavaScript Version」を貼ることができます。デザインやサイズはいろいろ選べます。 【追記】No.3今日は亡き親父様の祥月命日なので、ちらりと墓参り。線香も上げないいいかげんなものだが、亡くなった人を思い出す日。湾岸戦争のころに死んだ。こんな日本を見なくて済んで良かったのかもしれない。貧乏人の一族なので、親父様は警察予備隊にいたこともある。まさか自衛隊がイラクに派兵されることになるとは、夢にも思わなかったことだろう。今の「IRAQ BODY COUNT」はMinimumで14272人。イギリスでマスコミに報道された、イラク市民の犠牲者数だ。実際はもっと多いはずだ。ブッシュよ、どこまで増やすつもりなんだ。ブッシュの再選で大喜びしてみせた日本の首相。アラブからは、まるでイスラエルのように見えたことだろう。【追記】No.2イラク攻撃での民間人死者数をカウントするバナーをトップに貼りました。米軍は民間人の死者数を数えていません。そこでマスコミに発表された数字を元に自分たちで犠牲者の数を数えているのが、「Iraq Body Count」です。下の画像をクリックすると、そのサイトにジャンプします。
2004.11.09
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【追記】No.3久しぶりに午後10時ごろからテレビ朝日系列の番組を見る。ゲストが石原都知事。嫌だなあ。なぜこの時期にこんな人物を呼ぶんだろう。いったい何を言わせようというのか。石原都知事が憲法前文を汚い言葉だと罵り、司会者古館伊知郎が同調する。これを太鼓持ちと言う。都知事をヨイショするために呼んだのか。電波芸者というのは、これよりもう少しましなものかもしれない。そうか、古館アナウンサーは石原都知事に期待しているのか。どっしり国政の方でがんばれと。おいおい、やめてくれよ。飯がまずくなったじゃないか。【追記】No.2「私は『真ん中』行っている」と小泉首相。おう、確かに、極右の「真ん中」行ってるぞ。【追記】No.1今朝の東京新聞一面トップは、陸上自衛隊の「中央即応連隊」構想。宇都宮駐屯地に新設する連隊で、海外派遣やテロ対処の実働部隊となる。指令部は朝霞駐屯地(東京都練馬区)。新設部隊の他に第一空挺団(パラシュート部隊・船橋市)、対テロ専門部隊の特殊作戦群(船橋市)、第一ヘリコプター団(木更津市)、第一〇一化学防護隊(さいたま市)を指揮下に置く。同時に国連平和維持活動(PKO)に派遣する隊員を教育する「国連平和教育活動センター」を駒門駐屯地(御殿場市)に新設する。まことに勇ましい話である。明らかに自衛のための軍隊ではない。既に現行憲法をはるかに超えて暴走を始めている。とりあえずこれに反対しているのは財務省。来年度防衛費の政府原案交渉では四万人の削減を主張する。主計局は一気に軍縮を狙っている。名プロデューサー、ジョン・ハモンドはディランのどこに未来を見いだしたのか。ジョンがディランに言ったことが書かれている。ジョンはディランのことを流行の最先端にいる新奇な鬼才といったようなものではなくて、長く連なっている伝統の中にいる者だと感じたのだ。ブルース、ジャズ、フォークと連なる伝統……もちろんこれは今の日本で「フォーク」と呼ばれているものとは違う。ディランは50年代末から60年代冒頭のアメリカ音楽シーンが、かなりお眠い状況だったと書いている。ポップスを流すラジオ番組は行き詰まっており、空虚な冗談でお茶を濁していた。「It was years before The Beatles, The Who or The Rolling Stones would breathe new life and excitement into it.」(それはビートルズやフーやローリングストーンズがポップス番組に新しい生命と興奮を吹き込むことになる、何年も前だったのだ。)ここでディランがこの3つのグループを並べているのは興味深い。つまり、ボブ・ディランはこの3つのグループの曲が流れるポップス番組はとても楽しかったと言ってるわけだから。当時のディランが歌っていたのは「hard-lipped folk songs with fire and brimstone servings」だった。公民権運動は終わっていなかった。私の部屋に貼ってある「SEPT. 19 - 1960」のライブのポスターには、料金の一部が有色人種の団体に寄付されると書いてある。自分の歌はポップス番組にはなじまないだろうし、歌を商業主義にゆだねたくもないと、ディランはジョンに言う。ジョンは、そんなことはさして重要なことではないと言う。ぶっきらぼうな物言いだが、目がきらきら輝いていたと、ディランはジョンを描写している。不世出の敏腕プロデューサーは、人間的魅力にあふれていたようだ。その直前に、ジョン・ハモンドはピート・シーガーをコロンビアに連れてきていた。ピートはジョンが発掘したわけではない。それ以前にウィーバーズで活躍していた。しかし、マッカーシズム、つまり「赤狩り」でやられ、ブラックリストに載せられたのだ。仕事がなくなった。ピートは干されたわけだが、歌を捨てなかった。今では好好爺といった印象のピートだが、彼は生涯を通じて気骨の人であります。「花はどこへいった」という反戦歌は、この赤狩りの時代に作られました。 →幻泉館日録 2003年10月6日花はどこへいった Where have all the flowers gone?日本でヒットした「小さな手」も原詞はとても具体的な主張をはっきり述べた、戦闘的な歌でした。これも赤狩りの時代に核軍縮の運動で歌っていたのです。 →幻泉館日録 2003年9月29日 ピート・シーガー「わたしが一番きれいだったとき」ジョン・ハモンドはピート・シーガーを救おうとしていたのだ。ジョンは憤然として言う。「ピートの祖先はメイフラワー号でやってきたんだ。バンカーヒルでも戦っているんだ。(バンカーヒルは独立戦争最初の本格的交戦があったとされているところ。)それなのに、あのくそったれどもはピートをブラックリストに載せるなんて。あいつらはタールを塗って鳥の羽くっつけてやらんといかん。」ずいぶん物騒な話だ。煮えたぎるタールを身体中に塗り付けて鳥の羽毛をまぶすというのは、KKKが黒人に行なったリンチを思い出す。独立戦争に由来するというので、アメリカ独特の私刑。辞書によっては鳥の羽を突き刺すと書いてあるのだが、刺してはいないようだ。 →文学の中のアメリカ生活誌(40) Lynching(私刑)まったく場違いなのだが、私はこのジョンの言葉で、『ジャイアンツ(Giant)』(1956年)でロック・ハドスンが演じた主人公を思い出した。人種的偏見に満ちた主人公が老いてからその信条と反するように、人種差別の言葉を投げかけた者と大立ち回りを演じる。ロック・ハドスンは喧嘩に負けるのだが、だからこそ英雄として屹立する。ジェームズ・ディーンの最後の映画という印象が強いけれど、主人公はこの小さな英雄なのだ。今のアメリカの危機は、『ジャイアンツ』の主人公のような健全な保守が見えなくなっているところにあるだろう。ロック・ハドスンが演じたテキサスの大牧場主ビック・ベネディクトは現代に生きていたら共和党支持者だろうが、きっとブッシュのことは大嫌いだと思うよ。もちろんジョン・ハモンドが共和党支持者だったということではありません。ジョンから才能を生かすんだよという忠告された後、ディランはその場で契約書にサインする。契約の中身なんぞろくに読んではいない。どんな契約書であっても喜んでサインしただろうと、ディランは書いている。これは40年以上前のできごとなのだ。御大ボブ・ディランも若者だった。最初のレコーディング契約のことを克明に覚えている。それだけ緊張しており、そしてとても嬉しかったのだろう。これでやっと本文4ページ分、p.6を読み終わりました。
2004.11.08
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【追記】No.2続けて幻泉館鯖のアクセスログなのだが、teacup.comから飛んでくる人も何人かいるようだった。懐かしフリー掲示板のteacupも、今はblogを始めたらしい。ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』を読んだよという方らしい。せっかくだからトラックバックを付けようとしたのだが、どうもうまくいかない。楽天のせいなのか、teacupのせいなのか、わかりません。loveminus0の“コーヒーをもう1杯”相変わらず「出産シーン」で検索して飛んでくるんだけど、何かあったのでしょうか?【追記】No.1幻泉館鯖のログを見ていると、時々不思議なことがある。今日は「search.msn.co.jp」で「出産シーン」という検索語で飛んできた人が何人もいた。う~む。なぜ「msn.co.jp」で「出産シーン」なのかわからない。う~む。さて、ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』に戻りましょう。2ページ目(ノンブルはp.4)で一段落を使って、ニューヨークの街が描写されています。いわゆる分詞構文が並び、リズムを作っています。外では風が吹き、叢雲が流れ、赤い街灯がともる通りには雪がうずまき……といった調子です。ウサギの毛の耳あてや、焼き栗や、マンホールからの蒸気ということで、冬の街の様子が思い浮かびます。ニューヨークの街に詳しければ、だいたい正確な時季がわかるように書いているのしょう。ディランはまだ自作曲が少なかったようですが、ルー・レヴィのリーズ音楽出版社と版権の契約を結びます。ディランへの先行投資です。書類にサインすることで、ディランは100ドルを前払いしてもらいます。1960年ごろの100ドル。今の金額に換算しても、そんなに大金というわけでもないと思います。一か月暮らせる程度の、当面の生活費といったところでしょうか。「and that was fine with me」とディランは書いています。ボブ・ディランの偉いところは、生活のためのアルバイトをしなかったことです。だから本当に着たきり雀。誰かしらに食わしてもらって、とにかく歌を歌う。それができたのだから、やっぱり天才だったんでしょう。事務所に戻ってディランは自分のギターを爪弾きます。乱雑な事務所の描写もいいですね。レコードやサイン入りブロマイドが散乱しています。音楽出版社ですが、芸能プロダクションをイメージすれば良いのでしょう。当時ルー・レヴィの会社に所属していた歌手の名前が挙げてあります。Jerry Vale →Jerry Vale collection リンク先で「ブルー・ベルベット」や「サンホセへの道」が聴けます。Al Martino →Al Martino Welcome!The Andrew Sisters →THE OFFICIAL WEB SITE ルー・レヴィの奥さんはこのメンバーの中にいるそうです。Nat King Cole →NAT KING COLE HOUR キャピタルレコードのサイトで「モナリザ」「ルート66」などが聴けます。Patti Page →Miss Patti Page なんと健在、現役バリバリ! 11月8日が誕生日だそうですが、幻子心母と同い年ですな。The Crew Cuts →The Crew Cuts カナダのコーラス・グループ。 「Sh-Boom」(1954年)ルーは葉巻をくわえたまま、オープンリールのデッキでディランの歌を録音します。ルー・レヴィがディランの面倒を見ることになったのは、非常に有能なスカウトであるジョン・ハモンド(John Hammond)に依頼されたからです。いわゆる敏腕プロデューサーですね。ディランをコロンビア・レコードに連れていったのもジョン・ハモンドです。このジョン・ハモンドが発掘してレコードを録音させた人達がまたすごいんですわ。Billie Holiday →The Official Site of Billie Holiday →The Unofficial BILLIE HOLIDAY Website ファンサイトの方では音源にリンクが張ってあります。Teddy Wilson →Wiki Pedia "Teddy Wilson"Charlie Christian →Legend of the Jazz GuitarCab Calloway →CCO Offcial HomepageBenny Goodman →Selected Artist Biography - "Benny Goodman"Count Basie →Count BasieLionel Hampton →Lionel Hampton: His Life and Legacyジョン・ハモンドはベシー・スミス(Bessie Smith 1895-1937)の最後のレコーディングの時に指揮を執ったとも書いてあります。まさに伝説的なスカウトなんですが、みんなジャズの人ですね。ディランの説明によれば、当時フォークはまだガラクタみたいなもので、小さなレーベルからしかレコードが出せなかったのだそうです。「But John was an extraordinary man.」そんな時代に、ジョン・ハモンドは大レコード会社コロンビアに、ディランのレコードを作らせてしまうわけです。世の中にはすごい人がいるものですな。おっと、googleで検索したら、解説ページがありました。http://www.pbs.org/wnet/americanmasters/database/hammond_j.htmlディランが挙げた名前以外に、Aretha Franklin, Pete Seeger, Bruce Springsteenといった名前が挙がってますね。もちろんBob Dylanも。同名のJohn Hammondという歌い手さんは、この超大物プロデューサーの息子さんです。お父さんはJohn Henry Hammondで、息子さんはJohn Paul Hammondです。
2004.11.07
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【追記】No.2ところでボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan "Chronicles: Volume One")日本語版はどこから出るのだろう。これは少し心配だ。ん、楽しみなのかな。私が今も腹を立てている翻訳本というのがあって、けっしてその出版社からは出してほしくないと思っているのだ。一社はソニー・マガジンズ。ポール・サモン著『メイキング・オブ・ブレードランナー』には、トンデモ訳大賞の銀賞を進呈したい。監訳の長谷川四郎さんという方には、恥という言葉をどこかから拾ってきていただきたい。もう一社は文藝春秋社。ノーム・チョムスキー著『9.11』の訳書には、トンデモ訳大賞の金賞を進呈したい。山崎淳さんという訳者は、そこまでチョムスキーが憎いのかと誉めてさしあげよう。もっとも、誰が信用できないかという基準には良かったですよ。もちろん翻訳本誉めてた人は、信用すべきではないということです。ボブ・ディランの自伝を、こういったいいかげんな翻訳で出してほしくないものだ。というのも、一見平易な言葉で書いてあるのだが、恥辱のトンデモ訳大賞金賞受賞者山崎淳のような人が訳すと、内容が本当にとんでもないものになってしまいそうだから。ちゃんとわかってる人が訳さないといかんでしょ。片桐ユズルさんが適当なのか、菅野ヘッケルさんが適当なのか、よくわかりません。ただ、その程度の水準でボブ・ディランを知っている人でないと、無理だと思いますよ。実はリットーミュージックから出た『THE BEATLES アンソロジー』も誤訳曲訳疑惑がたくさんあるのですが、まだ全然チェックしていないので、これは番外疑惑賞にとどめておきましょう。ボブ・ディラン自伝『クロニクルズ』、どこから訳書が出るか知りませんが、いいかげんな仕事したら、ただじゃおかんぜえ~。のんびりと原書を読みながら、楽しみにしておりますぞ。【追記】No.1映画のロケ地ガイドなのですが、ニューヨークをわかりやすく説明してくれているので、ここにメモしておきます。ニューヨーク ロケ地ガイドボブ・ディランの『クロニクルズ』をさっさと読み進めろという声もあるかもしれませんが、ここでちょっと思い出したことを書いておきます。私の心のベスト10に上位入賞するはずの映画に『ハリーとトント』(1974年)があります。ポール・マザースキー監督の作品です。たぶん『結婚しない女』(1978年)が評価が高いのだと思いますが、私の場合はなんてったって『ハリーとトント』です。マザースキーさんは役者としてハリウッドでデビューした人で、『暴力教室』(1955年)に出演していたりします。松田優作さんが出ていた映画じゃありませんよ。もっとずっと前の、いわゆる名画です。若きボブ・ディランが小さなスタジオで感激していた、あのビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツの「ロック・アラウンド・ザ・クロック」は、この『暴力教室』の主題歌です。役者を目指していた若き日のマザースキー監督が、役者や作家や音楽家の卵たちと青春の日々を送ったのがグリニッチ・ビレッジ。彼の自伝的映画がそのままのタイトルで『グリニッチ・ビレッジの青春』(1976年)です。『グリニッチ・ビレッジの青春』はチャンスをつかんだ青年がハリウッドに旅立つところで終わるのですが、後味はあまりよくありません。若者たちの個性も、エピソードも、悪くないと思うのですが、妙にほろ苦いのです。身につまされるところがあるのかな。主人公たちが真似をする台詞は『欲望という名の電車』だったでしょうか。似たようなことを、井の頭公園の野外ステージに深夜やったことがあります。私たちの場合はつかこうへいさんの芝居でした。『欲望という名の電車』が映画化された時の監督はエリア・カザンだったでしょうか。マッカーシーという名の議員がでっちあげた内容の演説で反共を煽ったのが1950年の初め。ハリウッドでも熾烈な「赤狩り」が行なわれ、エリア・カザンは映画界の仲間を密告しました。1952年4月に、エリア・カザンは八人の映画人を共産主義者であると指名しました。さらに、新聞紙上で密告を奨励しました。名作『エデンの東』の監督であるこの名匠は、この件で裏切り者の烙印を押され、それは終生消えることがありませんでした。1999年のアカデミー賞受賞式では、エリア・カザンの生涯功労賞を賞賛する者と反対する者に分かれました。半世紀近く経っても、まだ彼を許せない者が数多くいたのです。「エリア・カザンのやったこと」1930年生まれのポール・マザースキー監督は、50年代にグリニッチ・ビレッジの青春を送りました。1941年生まれのボブ・ディランはその十年後に、グリニッチ・ビレッジで青春を送り、そしてチャンスをつかんだのです。ところで、ボブ・ディランというとなんとなくアメリカ各地を放浪しながら歌を歌っていたような錯覚を抱いてしまいがちですが、それは虚像です。本人がそういう伝説作りに加担していたフシもあります。ウディ・ガスリーのイメージを自分に利用したという感じでしょうか。高校時代はバンドを作って流行のロックンロールを演奏し、大学を中退してグリニッチ・ビレッジに行き、これまた流行のフォークをやってライブスポット(コーヒー・ハウス)で歌う。ボブ・ディラン、なんだか意外に普通なんです。もちろん、彼の歌は非凡なものですよ。
2004.11.06
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【追記】No.2何の映像だったのか。イギリス(という国はないのだが)のブレア首相が大統領選の話をしている。周囲に「あれ?」と思わせておいて、最後に「アフガニスタンのカザル大統領は」と落とす。アフガニスタンでも大統領選があったのだ。周囲にかなりウケていて本人も御機嫌だったのだが、非常に不愉快な気分になった。つまり、本音の部分での、傲岸不遜さである。言葉の字面だけだと何の問題もないのだが、「な~んだアフガニスタンの話かよ」と、アフガニスタンの大統領選挙をオチにしてしまったことだ。話し手と聞き手の間に、暗黙の価値観がある。アメリカ(という国もないのだが)の大統領選挙の結果は一大事だが、アフガニスタンはね。その落差が笑いになる。他国を侵略して植民地を持っていた大国の傲慢さは、今もこんなふうに日常的に現われる。もちろん日本もそうだ。【追記】No.1テレビをつけると清志郎さんの声が。 ♪ 幸せになりたいけど ♪ ガンバリたくな~い通りをギター弾きながら忌野清志郎さんが歌って歩いてる。グロンサンのCMなんだ。この町、なんかよく知ってる風景みたい。どこだろ?気になって夜も眠れない。それでgoogle検索しました。CMのオフィシャルサイトがあるんですね。gronsan.comな~んだ、やっぱり☆☆☆☆か~。☆☆橋だ。ギターは1950年製ギブソン「J-20」なんですね。歌の楽譜までありました。ボブ・ディランの自伝『クロニクルズ』(Bob Dylan "CHRONICLES VOLUME ONE")なんだけど、読んだ先からどんどん忘れていって人の名前がわからなくなるので、ちょっとメモしておこう。既刊の第一巻(VOLUME ONE)は五章仕立て。第一章は「Markin'up the Score」。楽譜、つまり曲の値上げのことだと思うんだけど、評価かもしれない。最初に出てくる人がルー・レヴィ(Lou Levy)といって、リーズ音楽出版社(Leeds Music Publishing company)の社長さん。ウエスト・コースト・ジャズのピアノ弾きで同じ名前の人がいるんだけど、同一人物なのかしら。これがまずわからない。あ、あった。ピアニストのルー・レヴィは1928年生まれで2001年没。別人だ。こちらのルー・レヴィは1912年生まれで1995年没。ASCAP(American Society of Composers, Authors and Publishers)のホームページに人物紹介がありました。1930年代にティンパンアレーで仕事を始めたとありますね。プロデビューをする若きボブ・ディランが、このやり手のおっちゃんに連れられてタクシーで小さなスタジオに行きます。ビル・ヘイリー&ヒズ・コメッツが「ロック・アラウンド・ザ・クロック」を録音したスタジオです。実はロックンロール小僧だったディランが嬉しそうに書いてます。それからジャック・デンプシーがやってるレストランへ連れていってもらいます。なんだかおのぼりさんみたいね。ジャック・デンプシー(1895-1983)はもちろんボクシングの元ヘビー級チャンピオン。「クロニクル」のくせに何年のできごとか書いてないのでわかりませんが、ボブ・ディランとしてデビューする直前なんですから、60年代冒頭。もう結構いい歳になった元チャンピオンが、若きボブ君に向けて握り拳を突き出します。「重量級にしちゃ軽すぎるな。もう少し体重増やさないと。」ルー・レヴィが「こいつはボクサーじゃないんだよ」と誤解を解くのですが、なかなかいい出だしでしょ。300ページ近い本の、これでまだ最初の一ページ。メモになりませんな。人の名前がわからないのは、かえっていいかもしれない。いろいろ調べながらゆっくり楽しめます。
2004.11.05
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【追記】No.2PLOのアラファト議長が危篤状態らしい。イスラエル軍に包囲された官邸に幽閉されて長かった。それで衰弱したとの説もあるが、アメリカとイスラエルの政治的な意図によって「生かされていた」のである。アラファトさんはまさにPLOの象徴ともいうべき人。テロリストと非難され、日和見と非難され、それでもずっとPLOをまとめてきた。掛け替えのない人物だけに、亡くなった後のパレスチナが心配だ。パレスチナ問題とは、つまりイスラエル問題。ブッシュが始めた戦争でもっとも利益を得ているのは、このイスラエルである。【追記】No.1 ♪ 犬はよろこび 庭かけまわり米大統領選の結果が出て、わが国の首相と財界の反応は、こんなものでした。ただ、ブッシュ自身の支持基盤は意外に脆いなという印象を持ちました。楽天広場ではヒマなストーカーもはしゃいでいるようですが、そう長くは持たないことでしょう。終わらない歌というのがあります。いや、実際は終わるんですけど、なんだか止められなくなっちゃう歌。 ♪ 進め~ ジャイアントロボ ♪ 立て~ ジャイアントロボこれはテレビ番組「ジャイアントロボ」(1967年)の主題歌。この番組はあんまり見たことないし、主題歌も本当はよくわかってないんですけど、なんだかリフレインだけぐるぐる回って、いつまでも終わらない気がします。おなじみ山下毅雄さんですね。ロート製薬「パンシロン」のCMでは、これをネタにしていました。小さな娘を肩車して、お父さんが歌います。 ♪ パンシロンでパンパンパン ♪ パンシロンでパンパンパン天地総子さんが歌っていたオリジナル・バージョンではちゃんと終わります。 ♪ 胃腸も肝臓もいい感じ ♪ パンシロンでいい感じでも、お父さんはリフレインが回っちゃってるんです。 ♪ パンシロンでパンパンパン ♪ パンシロンでパンパンパンこればっかし。それで娘が「パパ、この歌いつまで続くの?」と尋ねるのです。お父さんを演じていたのは渥美清さん。娘は、幼い日の沢田聖子さんが演じていたのだそうです。昨年の大晦日、パックインミュージックPRESENTS「あのラジオ、あの歌、あの青春」に出演していた沢田さんです。
2004.11.04
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【追記】No.2昨日分日録のネタなのですが、手当たり次第に「風船は何色?」と質問してみました。圧倒的に「赤い」でした。一部が「青い」。「黄色」「緑」はいませんでした。不思議です。やっぱり「赤い風船」なんですね。【追記】No.1楽天広場の兄貴、穴沢ジョージさんが付けてくださったトラックバック先、すごいですよ。ありがとうございました。タイトルが「緊急フィル・スペクター『忘れたいのに』」で、モコ・ビーバー・オリーブのことが出てきます。コメントでのミドル英二さんとのやりとりが圧巻。逮捕されたフィル・スペクターは、これから裁判が始まるところらしいですね。保釈金が100万ドルとか。穴沢さん、誕生日おめでとうございます♪今日はどうも猫のひげのまるまる日。((c)夏見還さん)少しずつ何かがずれていてうまくいかない。出かけようと思ったら自動車のバッテリーが上がって動かない。チャージャーを発掘したけど、ダメ。そんなこんなで空回りした一日でした。宵の口に寝コケてしまったのは、まあ正解なんでしょう。でも夢見もあまりよくなかった。登場人物は楽天市場社長氏とライブドア社長氏。う。そ、そんな。吉田美奈子「夢で逢えたら」(1976年) ♪ 夢でもし逢えたら 素敵なことね ♪ あなたに逢えるまで 眠り続けたい ♪ あなたは私から 遠く離れているけど ♪ 逢いたくなったら まぶたを閉じるの作詞作曲が大瀧詠一さんなんですよね。最初からオールディーズの雰囲気をもった、とてもいい曲だなあと思います。吉田美奈子さんのアルバムでは、編曲が山下達郎さんで、ティン・パン・アレーの演奏。細野晴臣(b)、松任谷正隆(key)、林立夫(ds)、鈴木茂(g)。豪華です。ただ、美奈子さんが考えていた世界とは違うようですね。その翌年、1977年にシリア・ポールさんが歌ってますが、そちらが決定版という説も強いようです。シリア・ポールさんは、私にとっては「オリーブ」という名前の方がおなじみでした。60年代末にラジオ番組に「モコ・ビーバー・オリーブ」という三人組として出演していたのです。高橋基子さんがモコ、ビーバー(川口まさみ)はビーバー、シリア・ポールさんがオリーブです。三人の中では静かなお嬢さん役に近かったかな。ニッポン放送の「パンチ・パンチ・パンチ」。タイトルからわかるとおり、今はなき若者向け雑誌『平凡パンチ』がスポンサーでした。レコードも出していて、「海の底でうたう唄」はヒットしました。 ♪ 私達が逢ったのは ♪ 静かな海の底再発されたCDにこの曲が入っていなかったのは残念です。「夢で逢えたら」を検索してみたら、大橋恵理子さん(1982年)、北原佐和子さん(1984年)、森丘祥子さん(1991年)と、いろいろな方が歌っているようです。ヒットしたのは1996年のラッツ&スターかな。私の場合はやっぱり美奈子さん。語りはちょっと恥ずかしいです。 ☆ 今も私 枕をかかえて 眠っているの ☆ もしも もしも 逢えたなら ☆ その時は力いっぱい ☆ 私を抱きしめてね お願い ♪ 夢でもし逢えたら 素敵なことね ♪ あなたに逢えるまで 眠り続けたい吉田美奈子『FLAPPER』(1976年)
2004.11.03
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【追記】No.1そうなんだ。日本人は一人の日本人青年を見殺しにした。「だから行くなと言っていたのに」と、政府要人は露骨に不愉快そうな顔をしていた。「震災で大変なのに余計なことを」と、中越地震被災地宛て義捐金の募金箱に小銭を入れた人も思っていた。「自己責任」という言葉が、政治家から言われなくても心の中に浮かんでいた。そんな卑劣な言葉を国民の心に刷り込んだ政治家の勝ちだ。NHKは、奇跡的に助かった幼児の映像を延々と流していた。幼児を救い出したレスキュー隊の救助活動はまさに自らの生命を顧みない決死的なものだった。私たちは素直に感動する。でも、一人の青年を見殺しにした。「自業自得」などとうそぶく輩まで現われている。その輩は知識人でも論客でもないのだが、岡本おさみ&吉田拓郎の「知識」という歌が頭に浮かんだ。 ♪ 知識ばかりを 振りかざし ♪ 首が飛んでも 血も出まいもちろん血は流れる。青年が流した血を想像できない、そんな愚か者になってはいかんのだ。「赤い風船」というと。五つの赤い風船という不思議な名前のグループ名がありました。幻泉館御来館の方はおなじみ。アルベール・ラモリス監督の、これまた不思議な映画もありましたね。風船が演技しています。少年と風船の友情!『赤い風船』(1956年)お登紀さんを思い浮かべる人が多いのでしょうか。東大在学中にシャンソンコンクールで優勝して活動を始めた加藤登紀子さんは、1966年にレコード大賞新人賞を獲得します。その時の曲が「赤い風船」です。上記の映画の十年後。水木かおる作詞、小林亜星作曲の「赤い風船」は、この映画を下敷きにしていたのでしょうか。 ♪ 赤い風船 手にもって ♪ 走ったり ころんだり 笑ったり ♪ いつもひとりで たわむれている ♪ 可愛い坊やは 空が好き坊やは交通事故で死んでしまいます。それでも、青い空を赤い風船がゆらゆら。坊やを探しているのです。青い空に映えるということで、風船の色は赤いんでしょうね。私が真っ先に思い浮かべるのは浅田美代子さんの「赤い風船」(1973年)です。浅田美代子「赤い風船」作詞が安井かずみさん、作曲は筒美京平さん。美代ちゃんは音痴だということになってしまいましたが、レコードだとあそこまでではないように聞こえる……と思います。それまで少年とセットだった赤い風船が、少女とともに現われます。 ♪ あの娘はどこの娘 ♪ こんな夕暮れ ♪ しっかり握りしめた 赤い風船よでもやっぱり風船はするりと手を抜けて舞い上がってしまいます。この歌の場合、二番では隣の屋根に飛ぶんですがね。青い空ではなくて、夕暮れの赤い風船です。「隣の美代ちゃん」というイメージが鮮やかに残るという仕掛けでしょう。この曲はTBS系列でやっていた『時間ですよ』で美代ちゃんが歌ってました。拓郎さんがドラマに出るというので、その回を一所懸命見た覚えがあります。これがきっかけで二人は結婚することになったのですが、実に驚きました。
2004.11.02
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福岡の高校で教師が君が代をジャズ風アレンジで演奏したとして免職になったのは1979年のこと。あれは県立若松高校だったろうか。その二年前、1977年に文部省が告示した小学校・中学校学習指導要領には「国旗を掲揚し、国歌を齋唱させることが望ましい」と記載されていた。当時創刊された雑誌『80年代』は、「君が代ジャズ」を録音したソノシートを付録に付けた。「ジャズ」ということになっているが、スウィングやハードバップではなくて、キース・ジャレットのソロピアノのような演奏。ゆったりときれいな印象を受けた。このソノシートを探したのだが、今は出てこない。ジャズ風アレンジはかまわないと思うのだがなあ。むしろ「君が代」の普及に役立つんでないかい。じみへんは"Star-Spangled Banner"をばりばり演奏してたぜ。はふはふ牛肉食い与党幹事長が「星影のワルツ」を歌う時のように斉唱する方が、音楽に対する冒涜のような気もする。このニュース触れるのはよそうと思っていたのだが、やっぱり書いておこう。一月ほど前の「前進できぬ駒はない!」中で、米長邦雄永世棋聖に対する危惧を少しだけ書いた。それがやはりニュースになってしまった。永世棋聖は東京都教育委員として園遊会に招待され、発言していた。「日本中の学校で国旗を掲げ国家を斉唱させるのが私の仕事であります。頑張っております。」東京都教育委員の仕事は「日本中の学校で国旗を掲げ国家を斉唱させる」ことではない。永世棋聖よりも、そして極右の都知事よりもずっとリベラルな感覚、考え方の持ち主である今上天皇は、その頑張りを誉めなかった。「やはりあのう、あれですね、強制になるということでないことが望ましいと思います。」園遊会という場で激励やねぎらいの言葉ではなく、このような言葉がかけられた。本当に異例のことだろう。だからといってその言葉の「真意」を勝手に解説してしまうのは、実に失礼なことだ。都知事は強制ではないと強弁しているが、都教委は卒業式における「君が代」の問題で小中高合わせて今年二百人以上の教職員を処分している。卒業式の君が代斉唱時に不起立だったこと、あるいは「生徒が起立しなかったのは指導力不足」ということが理由だ。これを強制ではないと言うのは、あまりにも不自然ではなかろうか。
2004.11.01
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