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今日、左肺も空気漏れが無いことを確認でき、管を抜くことができました。傷の消毒、抜糸を終えたら退院できるそうです。2月10日(月)頃に退院できるよう、調整を始めたところです。ご心配をおかけしましたが、無事良い方に向かうことができました。ありがとうございました。無事に退院できたら、「奇跡の男」と呼んであげたいです。
2014.01.23
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右肺の穴が塞がっていることが確認でき、本日管を抜くことができました。医師からは、まだ楽観はできませんが、様子を見て左肺の管も抜ければ、と言われました。呼吸器装着のため自然治癒は難しいと言われていましたが、12月下旬から両肺とも自然に塞がってきていました。なかでも、右肺は癒着療法の過程で大きな穴が開いてしまっていたのに、です。左肺も塞がっていることが確認できれば抜管し、退院できるそうです。一時はつらい宣告を受けていただけに、この回復は奇跡のようです。皆様のご声援、そして何よりも本人の頑張りで一歩前進することができました。本当にありがとうございます。また変化がありましたら、報告させていただきます。
2014.01.09
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今日は45歳の誕生日です。残念ながら病院のベットの上で迎えることになってしまいました。多少トラブルはありましたが、現在も小康状態が続いています。しかし動いていた右中指は動かなくなってしまいました。やはり、あれは奇跡だったのだと思います。一週間ほど前から、両肺の空気漏れが殆どなくなっています。このまま穴が塞がれば家に帰れるのではないかと期待を持っています。まだまだ時間はかかるかもしれませんが、なにか変化があれば報告させていただきます。(妻)
2013.12.25
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皆様の励ましのコメント、本当にありがとうございます。主人には都度伝えております。3日ほど前から左肺のドレナージからの空気漏れが無くなりました。穴が塞がっているようです。また、強心剤の投与や点滴もなくなりましたので、快方に向かっているのでは・・・と期待を持っているところです。そして本日担当の先生からお話を聞くことができました。「強心剤を入れなくても血圧は安定するようになり、現在は小康状態を保っていると言えるでしょう。肺炎の悪化はありません。薬での癒着療法は効かなかったが、今度は自己血で癒着療法を試してみたい。」とのことでした。癒着療法が効いて穴が塞がれば自宅へ帰ることができるのか聞いたのですが、言葉を濁されました。状態から言って、癒着術が成功しても再発の可能性等を考えて退院は難しいのかなと思いました。病棟では、看護師さん達はちゃんとやるべきことはやってくれているのですが、行き届いているとは言えず、面会に行く度苦しそうな態勢のままになっていてあわてて直したり等、自宅療養とは程遠い環境に置かれていて、可哀相でなりません。何よりも入院を嫌がっていた人なので、毎日辛い思いをし、更にまだ続くのかと思うと・・・一日でも早く退院して、自宅へ帰れることを祈るばかりです。
2013.11.11
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皆様、暖かいコメントをありがとうございます。本人も苦しい中、毎日頑張ってくれています。顔色も良いし、見た目は今までと何も変わっていません。両肺のドレナージさえ抜ければ、家に帰れるのではないかと希望を持っています。先生から意識が無くなってきていると言われましたが、主人の指がわずかに動くのを発見しました!ちゃんと受け答えに反応してくれています。意識がないというのは全くの誤りで、ちゃんと意識もはっきりしています。「(娘の名)、愛している」「(息子の名)、来てほしい」(その日は同伴していませんでした)「(妻の名)、ありがとう」と言葉を拾うこともできました。奇跡のようです。この数年、指が動くなんて全く気づきませんでした。指が動いていたのは3年前です。少なくとも2年間は全く動かなかったはずなのに。急に動くようになったのか、それとも実は動いていて今まで気付かなかったのか・・・指が動いているのを発見したのは娘です。きっと娘に伝えたい一心で必死に動かしたのではないかと思います。とても家族思いで、家族を何よりも大切にしてくれた人です。100%正しいかどうか自信はありませんが、少しでも本人の言葉を拾ってあげたいと思います。
2013.10.28
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9月17日深夜に、右肺に気胸を起こし入院していました。入院当初は、手術してすぐに退院できるという話しでした。しかし数日後に左肺にも穴が開き、肺炎もひどく、敗血症も合併し重篤な状態となりました。その後敗血症はなくなりましたが、気胸の治療にあたり、もう手術はできない、人工呼吸器をつけているので自然治癒は望めない。そのため癒着療法を行うことになりました。気胸を発症した原因は誤嚥性肺炎からとの見解でした。(突然気胸を発症する前まで、普段と様子も変わらず、バイタルも異常ありませんでした。)癒着療法を数度行ったのですが、肺炎が治らないため効果がありませんでした。 今日面会に行ったときに先生に呼ばれ、下記の事を告げられました。「癒着療法は全く効かなかった。退院して自宅へと希望されていたが、無理な状態になった。脳の動きが弱くなって意識レベルが落ちてきている。脈も弱くなっていて、強心剤を使っている。もう、長くないでしょう。」主人は眼球も動かなくなり、TLSの状態です。まさか、意識もなくなってきていたなんで思いもしませんでした。そして、もう長くないと・・・今まで、主人のブログへ勝手き書き込むことを躊躇していましたが、主人を心配して下さっているご友人の皆様方へ現状をお知らせしなければとの思いから、書かせていただきました。
2013.10.24
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妻の代筆で書いている。とうとう眼球しか動かせなくなり、パソコンの操作ができなくなっている。今は眼球でEOGスイッチを動かしナースコールを鳴らし、文字盤を目で指して意思を伝えるのみ。しかし最近目の動きも怪しくなり始めた。次は筋電センサーのマクトスを試すつもりだ。はっきり言って精神的にも辛い状況。良い方法あれば教えてください。 こんな毎日でも日々の散歩は唯一の楽しみだ。暑い中支援してくれる人たちに心から感謝したい。
2011.09.16
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今日は耳鼻科に通院。二週間前に鼓膜を切開し水を抜いた。凄まじい音だった。その経過観察。また水がたまるようだと鼓膜にチューブを入れるそうで、考えるだけでおぞましい。これ以上体から管をはやすのは勘弁だ。とりあえず今日は無罪放免でまた再来週となる。めんどくさ。ALS的生活は合併症との闘いでもある。今日テレビで、iPS細胞で拒否反応、と報じられていた。一進一退だ。はるか先でも、わずかでも希望があるならというのも呼吸器をつけた理由の一つだ。頑張って欲しい。
2011.05.14
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今朝方、みんな寝静まってるとき、おでこのセンサーがずれた。最後にわずかに動いたので数回ナースコールを鳴らせた。しかしカーテンのむこうで熟睡中の妻を目覚めさせるにいたらず、やがてセンサーは動かせなくなった。かなりヤバイ。閉じ込め状態。幸いあと1時間チョイで妻が起床して経管を始めてくれる時間だ。それまで乗り切れば。でも痰が詰まればアウトだ。もう心臓バッコンバッコン、汗だらだら。結局痰はつまらず妻に救われた。いつもは妻がうんざりするくらい入念にセッティングしてもらうので退院以来こういう事態は発生していなかったのだが、顔の動きも悪いせいかもなぁ。ピンタッチセンサーなのだがこんなのに依存せざるを得ないのは心細い限り。入院中も二度ほど経験したが、まだ顔が動いたので通りかかった看護師が何度目かに僕の形相に運よく気付いてくれた。でも今の顔じゃそうは行かない。手足が少しでも動けばよいのだが四肢麻痺だとリスクはぐっと高まる。なんかええ方法はないものか?
2011.04.04
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右耳が聞こえにくいときがある。特定の角度、例えば左に体位交換したときなどにしばらく聞こえにくくなるのだ。主治医に相談すると呼吸器患者にはよくあるそうだ。耳と咽頭は耳咽頭管なる管でつながってるらしいのだが、普段は閉じてるこの管が呼吸器で陽圧がかかるとこれが開いて雑菌が侵入、炎症を起こすらしい。滲出性中耳炎とか何とか言うらしい。とりあえず滴下式の抗生剤を処方されたが耳鼻科に行ったほうがよいようだ。めんどくさ。まつ毛といい、耳といい、デリケートなところをチマチマといじめてくれるワイ。
2011.03.27
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顔に塗りたくった石膏が固まってくる感じ、といったらわかるだろうか。僕の顔の麻痺の進行だ。気切後、急速に進行しだした。唇、頬、まぶたに痙攣が見られる。全体的な硬直感。あごは固まりつつあるもまだ何とか動くが、唇が開けなくなった。よだれが多くなり、持続吸引はしているが唾液が硬いと詰まって口からたれる。まぶたは動かせるが素早い開閉がしにくくなり、矢継ぎ早に質問されると目の返事がついていかない。それと毎日抜けたまつげが目に入るようになり痛い。眉は何とか動くのでおでこに貼ったピンタッチセンサーでまだパソコンを操作できる。以前役所でエレベーターに乗ったとき中にあった鏡を見て愕然とした。全く表情の無い機械のような顔。これが俺か!?ホント、男前が台無しやで・・・。
2011.03.26
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右肩が痛い。起きてる時はもちろん寝てるときも痛むからたちが悪い。PTさんに見てもらったら、首筋の筋肉がさらに劣化して腕の重みを支えられなくなってると。入院時はほとんど寝たきりを余儀なくされたからなぁ。鬱陶しい。最近胃ロウの傷が痛むので車椅子の移乗訓練も中止している。早く外出したい。気は焦るが今は雌伏の時だな。
2011.01.15
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今日はY先生の往診日。良かったことは酸素をはずしてもらえたこと。呼吸器の先生が慎重派で退院時に用心のため1Lだけ流すことを継続してくれちゃったのだ。しかし、こっちとしては移動時に酸素ボンベ引きずって、なんてやっとれんので。結果はずしてもSpO2が96-99%と安定しており一安心。また外出へ向けて一歩前進。残念だったのは嚥下テスト。卵豆腐をのみこんだらカニューレのサイドチューブから出てきた。モロ誤嚥。くそー、ずっとこれから全部胃ロウからになるのか。食えない、というのはさすがに寂しい。いつかはこうなると解っていたとはいえ。
2011.01.10
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先日、突然家内が看護師長に呼ばれた。退院後のことについてである。関心は在宅看護できるか。師長は親身になって心配してくれ、入院についても示唆してくれるほどだ。目には涙。毎日通ってくれる家内と、不自由な体でじっと耐えている僕に感じ入ってくれたみたいだ。ただ今回嬉しかったのはそのことではない。師長に対して妻が、いろいろ困難なのは承知の上で、在宅で気持ちに変わりはないことを改めて明言してくれたことだ。僕はどれだけ嬉しかったか。入院と聞いて心も傾くこともあろう。でも家族の側にいることを希望にここまで来たのである。そこだけは何としても信じ続けさせてほしいのだ。自分としても何とか在宅成功に向けて頑張るつもりだ。まずは新仕様になった体でのヘルパー教育と、BiPAP時代に認定された支援費の時間数の大幅増を目指したい。頑張るぞー!!(その前にまず退院だー!)
2010.12.19
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入院以来たくさんのコメント、本当にありがとうございます。またRコメ、全くできておらず申し訳ありません。今いるHCU病室ではネットが使えないため、伝の心で作った文章を家内に渡し、別途アップしてもらっています。そんな状況ですので返事はしばらくご容赦ください。だいぶ更新頻度も戻ってきました。なんせTVさえない病室での生活です。おでこに貼ったセンサーでゆっくり文字をつむいでいく。相当ゆっくりなのだが、それでも有り余る時間。でも時間的な余裕ばかりではない。気管切開の結果、呼吸を含めた体の全身状態がとても安定しているからでもある。でもそれだけではないような気がする。誰かから背中を押されているような気が・・・追伸:うまくいっているはずの胃ろうから出血が止まらない!
2010.12.18
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どうして僕は呼吸器を付けたのか?我々が避けて通れないこの命題。誰もが悩み抜いて冷徹に結論を出していく。しかし僕の場合かなり情緒的だった。-「父親を全うさせて欲しい」こういう発想が危険をはらむ。介護負担はいろんな形でのしかかるし、そもそもTLSになれば何かを全うどころの話ではない。僕の父は38歳で死んだ。僕が当時9つ。くも膜下出血だった。発作を起こし四日間一度も目を覚ますことなく旅立ってしまった。子供は順応力が高いからそれ程寂しくはないのだが、その喪失の大きさに気づいていないだけ、と自らが人の親になってよく分かったのである。今上の子が8つで自分が父と死別した歳と近い。今ここで2代連続同じ思いを味あわせることはとても容認できない。それは自分の人生の否定と同じだ。そう思うと付けないという選択肢は消えた。もちろんかっこいい理由だけではない。何よりも死ぬのが怖かったし、呼吸困難の恐ろしさには勝てなかった。それらも偽らざるところだ。そして妻の理解と協力があってこそ装着が可能となり、生きさせてもらえることを忘れてはならない。僕は子供たちのただ一人の父親としてゆっくりと成長を見守っていく。緩やかに過ぎていく時間とともに。
2010.12.12
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気管切開手術は簡単だった。ただ昨日まで2週間近く出血が続いた。問題はコミュニケーション。伝の心を初めて見る看護師との意思疎通が大変だ。胃ろうの手術は12月16日(木)に決まった。先日腹部のCTを撮ったのだが、胃の前に大腸がきてしまっているそう。溜まっている便を出したら(3週間も出ていない!)大腸が下がってくれるかもしれない、針を通してみてまだ大腸の位置が動いていないようだったら手術は中止し、後日やり直しとなるとのこと。更に、内臓脂肪がたっぷり付いていること(体は痩せたのだが・・)、胃の位置が奥にあることからCTを見た医師は「これはやっかいだなー」と思ったそう。今日医師から説明はなかったが、胃の前に大腸があった場合、内視鏡手術ではなくて開腹手術になることもあるらしい。困った・・・(妻代筆)
2010.12.08
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本日気管切開の手術をし、人工呼吸器装着となりました。皆様のあたたかい励ましのお言葉、本当にありがとうございました。容体が落ち着いたら、次は胃ろうの手術を行います。(妻代筆)
2010.11.25
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11月に入ってから体調が激しく悪化した。大量の痰に悩まされ、時には熱も出た。カフアシストと抗生物質で乗り切ったが、明らかに誤嚥による肺の炎症だった。嚥下の困難も進行し、たいぶ痩せてしまった。Y先生からできるだけ早く気管切開を、と勧められた。非常に危ない状態であると。僕自身気管切開については既に心を決めていたのだが、いざという時になってなかなか踏ん切りがつかなかった。しかし一昨日の朝決断し、Y医師に連絡した。明日から入院して気管切開を行う。
2010.11.21
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とうとう指でPC操作をあきらめた。いよいよ残るは顔だけだ。ほっぺにセンサーをつけて操るが結構楽チンだ。もともと僕は顔がよく動く。良く言えば表情が豊か(?)鼻はもちろんだが耳も動かせるし、おまけに頭皮も前後に動かせるので、よく周囲から、「ヅラみたい」と驚嘆されたものだ。何の役にも立たなかった小技が生きるときがついに来たのだ!!ふふふ・・・・。
2010.10.25
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頼みの右指の動きがさらに微弱になりPCに向かう気力が失せ、hearty ladder+マウスをあきらめ、ついに伝の心を導入、わずかな指の動きで光電センサーを用いてPCを操作している。いろいろとあの手この手があり、その道の専門家がいるもんだと本当に感心してしまう。最近しゃべりにくさが出てきた。話術は自分が自分たるゆえんの最重要なコアをなすものだ。これがなくなると、なんて想像するだけでもう僕じゃないみたいで。殴られてダウンしても何度でも立ち上がる。心だけはそういうアスリートたらんと。
2010.09.27
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「夏の旅行はもう計画されました?」往診医から世間話でそう聞かれた。この話からしてとりあえず、この先生が当面は容態が急変しなさそうだと考えていることがわかる。ちょっと安心。BiPAP使用下ではあるが呼吸も割りと安定してる。コレも5月から使用しているカフアシストのおかげだろう。今のところ、吸って吐いてを5サイクル、コレを1回に5セット。1日にこれを2~3回実施してる。僕の場合、排痰より、無気肺の防止や胸郭の柔軟性維持に重点を置いてる。訪看さんからも「胸の音が良くなった」とか「胸柔らかいね」とか言われてホントうれしくなった。なんせ発症してから何かが良くなったなんてこと皆無だったから!この機械原理は単純、ハッキリ言ってローテクだろう。でもどんな薬も効果なかったから、今や唯一頼りにしてる相棒だ。 今日はついに娘が自転車に乗れるようになった。甘やかしてきたので飽きっぽさが玉にキズだったけど、ここ数日の猛暑の中、最後まであきらめずよく頑張ったな。そのことがパパはうれしい。お祝いにケーキ買っといたよ。ママはパパが食べたかっただけでしょっ!!なんていってる・・・・・・その通りや、悪いか!?(笑)
2010.07.19
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わずかに動いてた右腕の機能が更に低下、電動車椅子の操縦ができなくなった。業者とレバーをあれこれ検討したが結局断念。外出時の移動の自由を奪われた。電動を導入して大喜びしてからわずか4ヶ月。この喪失はちょっとこたえた。今週子供達に自転車を買い与えた。幼稚園児の息子は補助輪付きのを疲れも知らず延々とこぎつづけてる。娘は小学2年だが引越しが続いたため練習しそびれ、まだ補助輪なしで乗れない。べそかいて何度も転びながら必死に練習してる。パパは道端でただ見てるだけだが、何かを必死に得ようとしてる二人を見てると、僕が無くしたものを拾ってくれてるようで、落ち込み気味な僕も少し再生する気がするのだ。
2010.07.17
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父の日か。去年までは、ナントカの日、なんて無縁の生活だったな。こういう習慣も悪くない。 というのはケーキを食べれて、好物の近所のケーキ屋のモンブランを買うことにしてるから。すぐ太るからしょっちゅうとはいかないのだ。しかし今日はモンブラン売り切れでガックリ。 今日は往診で動脈血の血ガス測定。PCO2値は33.6と良好。まぁNPPV装着してだけど、きちんと換気できてるということで良かったノダ。
2010.06.20
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現在、24時間BiPAP使用してることは以前書いたが、僕の場合呼吸機能が落ちるのが本当に速かった。VC%値と肺活量ccの推移。 11月 120% 4700cc 2月 99% 3980cc 3月 70% 2950cc(BiPAP導入開始) 4月 43% 1750cc 5月 25% 1010cc(BiPAP 24時間使用開始) 6月 もっとボロボロ。往診化により検査なし。ちょっと肺活量は記憶があいまいなところもあるが、おおむねこんな感じ。リルテックやエダラボンしててもコレでした。前にも書いたとおり僕の場合、体全般の病状進行が速いので、あくまで多様な病態のなかでの一例です。同病の方を不安にさせたらごめんなさい。ただ僕自身、落ち始めた時に、今後のためにこれからどうなる可能性があるのか知りたくて、いろんな方の体験談を探しまくったので自分のも掲載しようと思った次第。あくまでご参考。当時いろんな例を拝見しましたが僕のような速いケースはあんまりないようです。ただ症状の進行が速いと感じられてる場合は、下落率には注意して手を打ったほうが良いようです。僕もBiPAP導入してからは好調で食欲が回復し、体調がかなり改善しました。マスクつけたままメシ食って酒飲んでます。外出もほぼ毎日。僕の知ってる人では、もっと進行してるのにBiPAPつけたまま海外出張してる人もいらっしゃる。尊敬しちゃうし、見習いたい!海外、とまではいかなくても、まずメキシコ料理を食いに行くぞー!これからもNPPVとカフアシストで頑張るのだ。
2010.06.14
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右手の機能がどんどん低下して、これまでは何とか指一本でキーボードを叩いていたのだが、それもついに難しくなった(よってカミサンに口述筆記依頼)。そういう訳で最近日記を書こうという気が萎えてしまっていた。今OTさんと対処策につき検討中である。そうこうしているうちに、介護認定変更申請の結果が来た。結果要介護5。言うまでもなく最重度の介護度。嬉しいのか悲しいのか複雑である。発症から1年経っておらず半年前はまだかろうじて歩けていたのに、今は早くも要介護5で首から下は使い物にならない。進行の速さと介護環境整備や心の準備の追いかけっこである。昨日は理容師さんに家まで出張散髪に来てもらった。久しぶりに顔剃りもして貰い爽快であった。眉毛も理容師さんお勧めのイケメン眉毛にしてもらった。
2010.05.27
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今月の呼吸機能検査でVC%が50を切った。急下落。2月は100%近かった。この下落率はかなり危険で1~2ヶ月内の気管切開の必要性が視野に入って来ると。まだこれからようやっと引越しで療養体制も組めてない。告知からまだ半年で心の準備だって。こんなに進行が速いなんて想像もできなかったし。確かに息苦しさは増してる気がするが、昼間はBiPAPなしでも長時間外出も出来てる。出来る限りBiPAPで引っ張りたいのだが・・・・・・・。取り合えず引越しを急遽再来週に前倒しした。不安だなぁ。
2010.04.16
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更に呼吸機能が落ちてきた。しかも急激。体のつらさも増してきてる気がする。家にいるときは出来るだけBiPAPをつけることにしている。マスクがあたって鼻の両側にあざの様なものが出来て痛い。そこでチョッと違う仕様の鼻マスクも使用してみたら痛くない。と思ったら今度は鼻柱の上の辺にあざが・・・・・うまくいかんな。しゃべりや飲み込みはまだしっかりしているのに。何でも食ってるし、むせることも無いんだけど。最近では両腕がもうかなりヤバイかな。今日は娘が田舎から出てきたばぁちゃんとキッザニアにいってきて大興奮だ。最後の桜が妙に名残惜しいこの頃である。
2010.04.11
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汚い話で恐縮ですが真剣な悩み。便秘。もともと頻便体質で一日3~5回くらいも出てた。昼間にしょっちゅう行くので友人からは、犬みたい、といわれていた。下痢気味があたりまえ。特にご飯食べると必ず一時間以内。だから会社行くときも家で朝食が食べられず、朝早く出て会社でパンをかじって、トイレで用を済ませた後、席に戻ってコーヒー飲みながら業界紙に目を通しつつ朝の満ち足りたひと時を過ごすというのが日課だった。ところがこの病気になって急に来なくなった。しかも腹筋が弱り押し出しにくい。もともと耐性が無いから1日こないともうしんどくて辛くなる体質。吉野医院でマグミット330を処方してもらったら改善したが最近効かなくなった。昨日一日「天使」はこず。今朝ついにドアをノックしてきた。よっしゃー、とトイレへ直行したが不発。固太りのエンジェル。今日は5回も天使が激しくドアをノックして来たがいずれも不発でエンジェル降臨せず。5回目はイチジクをも動員したがどうしても固太り天使が出せない。涙・鼻水ボロボロ・・・・・・・。痛くて苦しいぞー、拷問だー。・・・・・・結局お越しにならず。今はホセ・メンドーサとフルラウンド戦った矢吹丈状態。真っ白な灰・・・・グッタリ。便秘体質の人から言わすとたったこれしきで、と笑われそうですがこれまで全く無縁の体だっただけに・・・・・。これからが思いやられる。あっ、ラジカット点滴お願いしてる近所のクリニックが胃腸科だった。相談しよう。
2010.04.08
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左腕が肩から上に上がらなくなったと思ったら今週は右腕も重くなってきた。頼みの綱の利き腕なのに。しかし、進行速いやんけー、ワレー。まだ指は全然動くのでパソコン操作は全く問題ないのだが。車椅子を押すのがちょっとしんどい場面も出てきた。腕を前に出す動作もつらいな。会社で電話を取るとき、回転すし屋で注文の皿を受け取るとき、手が伸ばしにくかった。首はまだしっかり据わってるが、腹筋劣化による体幹のふらつきが更にひどくなってきた感じがする。多分、肘掛のない椅子に座ったらかなり危ないかも。呼吸は日による。寝てるときは大丈夫だけど、状態を起しているとき、日によって息苦しさを感じるときがある。重力で上半身がぺしゃっとなって肺が圧迫されてる感じだ。今週初めてBiPAPを使って呼吸リハビリを受けた。30分以上問題なく使えたので割と相性は良いかも。PTさんにはかなり肺に空気が入ってるのでまだまだ大丈夫、といわれて一安心。確かにその午後は調子良かったし。がんばって続けるつもり。まだまだ食欲は人並みある。これくらいかなー、まだ比較的健在なのは・・・・。
2010.03.10
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3月になった。2月はひどい月だった。いろんなことが出来なくなった。早く終わってほしかった。そして今日、一ヶ月ぶりの呼吸検査の結果をみたら・・・・・、「なんじゃぁこりゃぁぁ~」、と太陽に吠えろの松田優作最終回状態。手足の機能が落ちていく中で呼吸だけは標準レベルを保ってたのに、今回ど~ん、と落ちてた。久しぶりにALSの恐怖を思い出した。しばらく忘れてたのに。呼吸に関してはあんまり強い自覚症状は無いのだが・・・。胸郭はまだ柔軟で動いているが腹筋の萎縮が更に進んだようだ。確かに大きな声が出しにくくなった。腹式呼吸に難。排便も時間がかかるし。吉野先生からBiPAPを使った肺機能維持リハを奨められた。まぁ明日からまた頑張ろう。とりあえず今晩は家族でささやかなひな祭りのお祝いだ。
2010.03.03
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今後の記録として病状の推移、現状をメモります。2009年 7月 左足を引きずり始める。10月 引きずりの程度が激しくなり杖を使い始める。徐々に右足も動きづらくなってくる。11月 特に変わらず。杖を使用してだが一日5000~7000歩は歩けた。電車やバスも乗れた。 (この頃はエダラボンが効いているんじゃないか?と感じた頃)12月 上旬に急に歩行がつらくなってくる。中旬ごろからよく転倒しだした。 家の中では歩行器を使用しだす。かなり歩行が危なくなって転倒の危険が増大、 勤務を続ける関係上しかたなく下旬に車椅子導入する。2010年 1月 中旬ごろから体幹が厳しくなりふらつき始める。つかまっての歩行も困難に。 肩などのやせが顕著になる。 下旬にトイレからの立ち上がりができなくなり、トイレに捕まり棒を増やす。 車椅子から車、歩行器などへの乗り移りができなくなる。 2月 中旬には捕まり棒を用いてもトイレからの立ち上がりができなくなる。 足がさらに動きづらくなり歩行器を使用しての歩行もできなくなる。 呼吸の息苦しさを徐々に感じ始める。 下旬には左腕の筋力低下が顕著となり、肩から上に腕をあげる動作ができなくなる。 寝返りもかなり困難となる。 現在の症状:・両脚ともまともな動きはできない。常時車椅子。・左腕があがりにくい。右腕は力は落ちてきているがまだ上に上がる。 握力は左の落ちが顕著16kg。・呼吸は息苦しさを感じる日があるがまだ肺活量は4000cc弱ほどある。 しかしこれでも10月比20%ダウン。・嚥下は若干の違和感を感じるが、むせる症状はなく特に問題ない。・舌は若干の重さを感じるが、周囲から聞いて構音上の違和感はないとのこと。 とりあえず問題なし。・その他では腹筋の著しい衰え、首の痛みを感じる日が多い。座位での体幹保持も 最近怪しくなっている。・着替え、シャワー、用便は一人でできず介助が必要。・食欲は前ほど大食いではなくなったが人並みには食べられている。
2010.02.26
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