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小学校の特学の保護者会に行ってきました。今とんどが自閉っ子なのだが、そのうち高機能児はヒロともう一人だけ。高学年になるその子の話を聞いてると、ヒロと正反対で驚いた。根本的な問題点は同じなのだか、生まれてかの環境の違いは大きい。特に、兄弟の上か下で全然違うのだ。ヒロは、姉弟の一番上、生まれ月も4月なので、気が付けばいつも自分は「お姉さん」であった。幼稚園では、真のリーダーシップは取れてないが、体が大きいく明るいので、皆が一緒に遊びたがった。家では、双子に手が掛かり可哀想だからと、ヒロの気持ちを優先してあげようと、私はヒロとの時間を作るようにした。もちろん、まだ普通だと思って接してたので、おとなしかったヒロは見事「受動型→積極奇異型」に移行してしまった。マイルールへのこだわりは強くなり、小学校において「皆が自分に合わせてくれない」ということが、パニックの引き金になっている。自分から、人に合わせるなんてことは、これっぽっちも考えてない。 しかし、高学年の男の子は、皆に合わせることがとてもしんどいらしく、「月曜は辛い」と言うとお母さんは言っておられた。周りの動きがわかりにくく、それを考えることにとても疲れるのだそうだ。すごいと思った。だって、空気が読めるってことでしょ?これぞ、受動型だ。その男の子は、兄弟の弟なのだ。小さい頃から、強いお兄ちゃんに虐げられてきたと、お母さんは言っていた。だから、自然と人に合わすことを身に付けたのだろう。自分の思い通りにならないと、パニックを起こすことはないそうだ。ヒロとは、全くの正反対である。同じ資質を持っていながら、環境でかなり違う。確かに、我が家でも、カイは合わせることができる。だからカイのほうが育てやすいのかもしれない。通園でも、一人っ子や兄弟の上の子ほどパニックが大きい。ヒロは、これからどうなるのか・・・
2008.01.30
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いつも、私と子供たちは川の字になって寝ています。夫は、双子の夜中の授乳がなくなった4年ほど前から、一人快適に別の部屋で。狭い部屋なので、シングルを2枚と、ジュニア布団1枚敷けば一杯です。ヒロが大きくなり、大人用のシングルを使うようになり、ヨシがジュニア布団を使い、カイは私と一緒に寝ていました。しかし、先週から、カイも自分一人で寝たいと訴えてきました。カイが、自閉症だろうと確信したころ、私の両脇はいつもヒロとヨシが占領していました。カイは、私の肘を触りながら寝ていたので、肘さえ触ればいいのかと楽観的に考えてたのですが、(普段から手が掛からなかったので)「どうやら自閉症みたいだし、母である私はカイの視界に入ってない!」と、気づいた日から、ヒロに一人で眠るよう話、カイを私の横に寝るようにしたのです。カイは、私が添い寝するようになって3日程で、「僕の方だけを向いて」と私の両腕を掴みました。幸い、ヨシは布団に入ると、1分あれば寝てしまうので、眠るときカイはお母さんを独占できるようになりました。それ以降、カイが母という存在を強く意識し、今のカイがあります。でもね、あのとき、嬉しかった反面、とても悔みました。ヒロは、とてもこだわりが強く、私の横でないと眠れず、ヨシは自己主張がはっきりしてるので、それまでカイは一人になることが多かったのです。でも、泣くこともせず、肘を触っていつの間にか眠ってしまうカイを、特に気にもしていなかったのです。「僕のほうを向いて」と、はっきり意思をみせたあの日から、カイは生まれ変わったかのように日々成長していきました。不思議なことに、あの日からの日数と、発達年齢が比例しているんですよね。だから、もう少し早く気付いてれば・・・なんて思ったりもするのですが、カイは1歳半までは定型発達でしたから、関係ないんですけどね。でも、私はどうしても自分を責めてしまいたくなります。それから、ずっと私の横で眠ってたカイですが、冗談でヨシの布団を指差し「カイは、今日一人で寝ます」と言ったら、大喜びそれを見て怒るヨシ「ヨシの布団やで」「かわって、ちょうだい」押し問答が、延々続きます。私から、ヨシに頼んでも、絶対ダメっと譲りません。・・・ヨシ、そんなにお母さんと眠るのは否なの?お母さんは、悲しい・・・横で見ていたヒロは、「私が代わったるよ~」と、ニヤニヤ。・・・お母さんは、でっかいヒロと二人でシングルになんて寝たくありません。狭いやん結局、泣きながらヨシは私と眠り、カイはご機嫌で一人布団にはいりました。本当に眠くなると、私の横にきましたが、「いよいよカイも親離れしていくのね」と、しんみり…。それから、毎日のように、カイは一人用の布団を欲しがるようになりました。しかし、布団は4枚敷けないんだよ夫よ、真剣に引っ越しを考えてくださいませ
2008.01.28
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昨日、急にヒロとヨシは祖父母宅へ泊まりに行ってしまいました。夕方、送って行く途中に夫からメール。「晩ご飯いらない」やったぁと、私とカイも実家でご飯を食べて帰りました。そして、今、またカイと二人。夫は、朝から「おっさんサッカー」に出掛けました。 元気なことです。 日曜日しかない休みに、自分の趣味優先とは、うらやましい。 おまけに、帰ってきたら「筋肉痛になるから、マッサージに行く」って、自分の体調管理が出来ていて、本当に尊敬しますよ。て、こんな嫌味を言うと、「お前が勧めたから、サッカー行ってるんや」と、逆ギレされます。 それは、結婚当時、私は休みが月曜日で、日曜日暇そうにして、ストーカーみたいに待ってるから勧めただけで、あの頃とは状況が違うと話しても、理解できない夫です。あっまた、夫の愚痴になってしまいました。まあ、夫がいないほうが、家事もはかどるし、私も息抜きもできるっもんです。今日は、大阪府知事選挙です。夫が、帰宅したら、選挙に行ってきます。カイは、今Wiiで遊んでいます。公園に、自転車を乗りに行く約束なので、今から家事を猛スピードで終わらせなくてはいけません。パソコンの前に座ってる場合じゃありません。せっかく2人なのに、まったりできないのかな・・・
2008.01.27
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またまたやってきました幼稚園のお弁当の日前回のゆきだるまは、全くの反応なしだったので、今日の弁当はこちらザ・ハートなお弁当おにぎりは、玉子焼きも、ウインナーもウインナーには、愛のキューピットのが突き刺さってますそして、デザートはこちら普通に、パイナップル帰ってきたら、なんて言うかな~お弁当の出来を見たヒロは、ゆきだるまのほうがよかったと言った。アドバイスがあれば、プリーズ
2008.01.25
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3学期は、これまでが嘘だったみたいに、落ち着いてるヒロ。友達とのトラブルはなし。Nothingよしかし、夏同様寒さで体調管理が上手くいかない様子。1才半には、ズボンを履くことを拒否した娘は、これまでスカートしか履かなかった。しかし、学校は暖房もあまりきいておらず、さすがにスカートは厳しい。体育での着替えを考えると、タイツやスパッツは学校にはむかないので、やはりズボンとなる。そうして、冬休みにズボンを購入し、3学期からは毎日ズボンで登校している。問題は、体操服基本的には、半袖半ズボンなのだが、冬は寒いので、個々で調節せよとのこと。特に指定もなく、動きやすければよい。半袖体操服の上に、トレーナーを着てよいらしい。長ズボンもOKヒロは、長袖の体操服も準備してあったので、2学期末までは長袖の体操服に半ズボンで、体育に参加していた。ただ、昔と違うのは、体育の時間には、肌着を着てはいけないというのだ。「必ず、体操服1枚で」と。肌着を着たまま体育をすると、もし汗をかいたら風邪をひくかららしい。だから、長袖の体操服なら、1枚でということになる。しかし、半袖なら、上にトレーナーを着てよい冬に汗をかくほどの体育なんてしないでしょ?と思うのは、私だけ?「汗をかいたままだったから、風邪をひいたじゃやないか」と、怒鳴りこんだクレーマー保護者でもいたのかしら?まっ、仕方ないので、半袖+トレーナーにすることにした。前回の体育で、「寒い」と泣いたらしいし(学期始めに、自分で長そでにすると言った)12月と1月では寒さが全然違うもんね。で、昨日トレーナーに準備していたら、トレーナーの色や柄が気に入らないらしく、「やっぱり、やめとくわ。長袖でいいわ」と、言いやがったドッカーン私の怒り爆発である。この娘、小さい頃から、異常に服の色や柄にこだわる。だから、今自分が気に入ってる服を持って行きたいのだ。しかし、体育に使うんだから、動きやすく、汚れてもいいような服にしてくださいとのこと。お下がりでもらった服の中に、ラグラン袖のベージュのトレーナーがあったので、それにしたのだが、そのベージュが気にいらないのだ。「長袖1枚は寒いって泣いたんやろ?明日は、今日よりも寒いのに長袖1枚で泣けへんのか?」と、怒り爆発シュンとしたヒロは、渋々納得寒いと泣き、服が気に入らないと着なかったら、また明日も泣く事は目に見えてる。どうして、そういうことがわからないと、私はモヤモヤするのである。えー、なぜかしら、コメントの返事を書いても、コメント数が少ないままだったりします。必ず返事書いてますので、チェックしてくださいね
2008.01.24
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先週、先々週と、布団に入るとカイが泣いていた。それは、とても悲しそうに泣いた。何かを、思いだし泣いているように見えた。布団に入る前後を考えても、カイが泣くような出来事はなく、しゃくりあげてまで泣くカイに私はオロオロするばかり。眠るまで、抱き締めてあげることしかできなかった。3日程続いたとき、これは通園で何か困ってるのか?我慢してるのか?連絡帳に書いてみた。先生からは、「特に変わったことはなかったですが、気を付けます。またゆっくり話を聞かせてください」との、返事。今日、保育見学なので、カイの様子を見に行ってきた。カイは、楽しそうに部屋に入り、朝の支度をすませ、床にゴロンとなったそのとき、他害のある子が馬乗りになり、髪を引っ張った。すぐ、その子のお母さんが止めに入ったが、カイはとても悲しい顔をした。カイは、決して自分から危害を加えることはしない。もし、反撃することがあっても、思いっきり叩いたり、思いっきり突き飛ばしたりすることはない。ヨシとの関係のなかで、やり返せばまた反撃されることを学んでいるため、辛いことは自分の中で我慢するのだ。お昼休憩に、担任が話を聞きにきた。目立ったトラブルはないが、毎日の保育のなかに、今日のようなことがあるらしい。最近は、ほかの子供たちも突き飛ばしたりするようになり、おとなしいカイは被害に合うことが多く、常にピリピリししていると先生は言っていた。よほど痛い時は泣くが、もしかしたら見えてないときに我慢してることもあるかもしれない・・・とのこと。家で泣くことと、園でのトラブルが必ずしも繋がってるのかは、カイが喋ることはないのでわからないが、保育の中のことで、帰り際に相手の子を見て思い出し、拒否して泣くことがあるそうだ。多害のある子のことは、以前にも書いたが、全く改善はされておらず、ひどくなっている。常に、先生が一人つき、ほかの子が危害の合わないようにガードしている状態だ。それでも、わずかな隙をつき、蹴ったり叩いたり、髪を引っ張ったりしてくる。正直な気持ち、同じ自閉症の子を持つ親でも、自分の子供ばかりが被害に合うようでは納得いかない。親同士話していても、本当に我が子のことを理解してる?と、思えてしまう。多害のある子は、クラスの中でも知的レベルは高い。ある程度の会話もできるし、ひらがなも読める。でも、そこに親も先生も惑わされてるから、きちんと支援されてないんじゃないのか?保育の中で、先生から出された課題に答える場面があったのだが、「間違い→正解」を何度も繰り返していた。それをすることで、先生が困り顔でヘラヘラ笑うから、間違った学習をしている。本来なら、すぐにバックステップで先生が介助して間違いを取り除かなければならないのだが、それをしないから何が正しいのかわからないのだろう。表情を読む力も弱いため、先生が笑っていれば、正しいと感じてるようだった。「笑う」それが、基準になってるのか、お母さんが怒っても、先生に声をかけられて、最後に愛想笑いをしてしまうため、園でのお母さんに対する暴力も止まらない。その辺りを、親は認識できてるのだろうか?話は、逸れてしまったが、そういう状況の中で、カイは園ではクールダウンする場所がなくなってしまった。そう考えると、やはり4月からの幼稚園転園は、絶好のタイミングであると思える。幼稚園も年長児になれば、理由もなく、人に危害を加えることはない。カイは、順番なども身につけているので、団体生活はむしろ視覚的にもわかりやすい。1年前から準備してきた転園計画。一度は諦めたがが、今のこの状況を見ると進めてきてよかったと思う。4月からの期待は、膨らむばかりだ
2008.01.22
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夜から降り出した雪は、朝起きると積もっていました。ここ数年、ほとんど積らなかったので、子供たちは大喜びカイは、少し前からスキーの絵を見て「ゆ・き、行こうね~」と、言っていました。だから大喜び、ヒロとヨシを送り出すときに、カイも一緒に支度して、外に出ます。二人を見送って、急いで公園へまだ、朝8時です。カイは、雪の上を歩いたり、斜面があると座って滑ったりと雪を楽しみました。1時間、遊び、手は真赤、服も濡れて、凍えるように帰りました。そして、10時に通園に・・・子供って、元気ですね私は、もうお迎えの時間まで、外には出ません
2008.01.21
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20日の日曜日の日記です。寒い中、心を温めにUSJに行ってきました今日は、珍しく夫がキノコ家族と行きたいと言うから、急遽企画したのだが・・・やはり、夫抜きできたらよかった・・・お昼も、KYでグチグチとうるさいから、しらけるし、カイは委縮して食べれなくなるし、言いたいだけ言った自分は拗ねて食べないと言うし・・・もう、サイテーーーーーーだからパスポート作らんでいいんやーーーーもう、梅雨まで夫が行くことはありません。さて、今日の目的はバレンタイン限定企画「バー・バレンタイン」昨年と内容も同じようですが、しっとり聞かせてくれるスローバラードが、日々疲れてる私の心を癒してくれます。行く前に、ネットで昨年の動画を見てたもんだから、楽しみにしすぎて、大好きな「WICKED」が楽しめなかったよ~ハハハ・・・そして、最後に見ましたバレンタイン企画ですから、本当はカップルで聞くのがベストでしょうだからって、夫の横には座りませんキノコちゃんの横に座り、青春時代を思い出し・・・我が家の娘達は、キノコ夫が大好きなので、横を陣取っていました。(娘達は、自分のパパよりも、よその家のパパのほうが好きなんです。)外国人の声って、本当に良いですよ~テーマパークで活躍する人でも、すごい上手です。日本人だと、こんなに感動しないですよ歌で、人を感動させることができるなんて、本当に素敵です雨も降って、寒くなったパークを、今回は早めに後にしました。家に帰るころ、雨はみぞれに変わっていました雪が積もりそうです。
2008.01.21
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今日は、幼稚園の説明会でした。初めて、母子分離で、保護者はお話を聞き、子供たちは各クラスで先生と遊びます。大丈夫かな~?と心配だったけど、ヒロもヨシも一緒、先生も「もちろん」と、言ってくれたので、部屋に連れていきました。「カイは、お部屋で遊びます。ヒロチャンとヨシもいます。お母さんは、お話行きます。」と説明し、上靴に履き替えました。カイは、全然嫌がることなく、先生に手をひかれて、中に入っていきました。中には、ヨシの担任がいましたから、幼稚園側は母子分離でカイと遊んでみようとする意図が感じられました。説明は、一時間半ありました。途中トイレに行きたくなったらどうしようなど、色々考え説明の声も耳に入りません。泣いて連れてくる気配もなし。終わって飛んでいくと、カイは先生に手を持たれ手遊びしていました。声を掛けず、しばらくその様子を見ていました。カイは嫌そうでもなく、でも楽しそうでもないといった感じです。もう一人のベテランの先生は、カイをとてもよく見ています。先生達が、カイを理解しようとしてくれているのは、とてもよく伝わります。そして、子供たちはでてきました。カイは、私を見つけても、さほど嬉しそうな表情もしません。楽しかったのか???ヒロとヨシに聞いてみると、泣くこともなかったし、玩具や先生と遊んだり、普通にしてたよと、教えてくれました。楽しんだかどうかは別として、幼稚園が一人で行くとこである、僕一人でも部屋で先生と遊べるよということを、証明してくれたようで、少し安心した。帰り、先生をチラッとみてバイバイした今までは、絶対目を合わせず、ばいばいしなかったので、カイのなかで幼稚園の先生達が認識されたと思った来月は、在園児に交じっての交流保育。ちょっと、楽しみだ
2008.01.19
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ついに決った、決りました。カイの幼稚園の、補助教諭がどんな人が付いてくれるのかで、天国か地獄ほどの差がでるだろうと、不安いっぱいでした幼稚園の希望は、障害児教育に関わったことのある人。知り合いに、小学校の介助員をされてる方がいます。小学校は、半年もしくは1年と期間が決まっており、「4月からの職場を探さなくちゃいけないわ」と、秋に話されていました。冗談で、「カイの介助に付いてほしいわ~」と言ってたら、なんと年末に「一度話を聞いてみたい」と言って下さり・・・カイに理解のある先生から、園長に打診してもらいましたところ、園長もぜひ話がしたいと言ってくれました。幼稚園側は、私からの推薦ということもあり好印象でしたが、他からも引く手があったようで今月末まで考えるということでした。それが、昨日「カイ君の介助に付きたい」と言って下さり・・・もう嬉しくて、涙が出ましたなぜ、そんなに喜ぶかって、この方は自閉症児のお母さんなんです。ものすごく、勉強もしておられ、子供さんはものすごく伸びてます。私は、この方にどん底のときに出会えて、その前向きな姿勢と励ましでどん底から這い上がってきたのです。本当に、尊敬してて、出会えたことがとても幸せなくらい・・・そんなすごいお母さんだから、わが子だけに留まらず、介助員までされていました。そして今回、カイの介助にやりがいを感じる!と、引き受けてくださいました。こんなに嬉しいことはありませんカイの支援して欲しいことを、全部理解してもらえるので、もう幼稚園に不安はありません。これから、入園までに具体的な支援を準備していけます。カイを育てていると、「出会いは偶然じゃなくて必然だなぁ」と、思うことばかりです。この方との出会いも、導いてくれた知人がいました。本当に感謝です。ありがとう。
2008.01.18
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今日は、幼稚園のお弁当の日月2回なんだけど、リクエストに答えると、毎回同じお弁当になる。最近、他の方のブログを見て、キャラ弁にものすごく感動した私いつも我慢ばかりのヨシに、何か特別なことをしてあげたいと思ってるんです。で、キャラ弁に感動した私は、少しだけ挑戦してみました少しよ、ほんの少しだけ・・・ジャーーーーーンわかりますか?服を着たゆきだるまもっと大きくしたかったけど、初めてでよくわからずおにぎりが大きいと怒られるし、背景までは難しくて・・・端っこに、雪だるまさんを入れてみました。毎日の夫のお弁当では、面倒で卵焼きすら焼かない私でも、愛しい子供ためなら頑張れちゃう・・・ウフッ帰ってきたら、何て言うのか楽しみだワン手抜きなおかずに、突っ込みは不要です
2008.01.18
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一昨日、私に怒られた母は、さすがに昨日は電話してこず、今日の昼に電話してきました。日中は、熱が下がってきたが、夜になるとまた熱が上がるらしい。不安になって連絡してきたらしい。私「まぁ、3日間は熱が続くから、今日の夜で丸3日だし、これからもう高い熱は出なくなるよ。」子育てを真っ最中だから、これくらいの知識はある。すると、こんな返しがきた母「やっぱりあれかな誰かにうつしてないから治れへんの」へっまた、こんなあほみたいなことを真剣に言ってくるこれ、ほんまに思ってるんですよ冗談じゃないんですそして、また私に怒られる母。昔は、うつしたから治ったなんて迷信があったのかもしれませんが、じゃあ、誰にインフルエンザをうつすねんそんなことで治るわけがないって、わからんのか??最近、母と話してると、どういう思考回路をしてるのかわからなくなる子供のころは、よくわからなかったが、どうもかなり普通からかけ離れているのだ。父が、昨年手術したとき、生命保険の請求を父は私に頼んできた。母は、「わからないもん」の一点張り。今まではどうしてたの?と聞いたら、「入院くらいじゃ、面倒くさいからしたことないわ」えーーーーー入院でしなくて、いつするねんあんた、父が定年になるまで、生命保険に7万円も毎月掛けてるって言うてたやん一緒に買い物に行くと、値札も見ずにかごにいれていく。例えば、鶏肉のモモ肉が特売なのに、わざわざ切ってる高いモモ肉を買おうとするから、注意すると、「だって、値段なんか見て買ったことないもん」・・・家は、お金がないって言ってたのは、ただやりくりが下手だっただけじゃないのものすごく騙されてた気分・・・でも、私の一昨日の忠告は守って、兄は自分で職場に電話したそうだ
2008.01.17
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兄は、その後4年間受験しました。現役は無理だろうと、父は1年だけ浪人することを許しました。予備校に通いましたが、失敗。滑り止めを受験していた友人達は、皆大学生になりました。それでも、兄は在宅で一人勉強したい、もう1年受験させてほしいと親に頼みます。親も、承知しましたが、やはり失敗。到底、学力がないのだと、親は気付かないんですよね。3年続けて失敗した兄に、酔った父はひどい言葉を投げつけました。初めて兄の泣く姿を見ました。傷心の息子を罵倒する父、息子を庇わない母。この頃父は転職をして、また私達と暮らすようになっていました。弟はまだ小学生で、酔うと怒る父を煙たがり、父も孤立していき、私もまた反発して夜遊びしては帰らず、家族はみんなバラバラになっていきました。兄は、それでもまだ諦めがつかず、とうとう家を出て行きました。新聞販売店に住み込み、受験勉強をしていたのです。働きながら、受かるほど甘くはありません。4年目も失敗し、兄は家に帰ってきました。もう兄は、家ではほとんど喋ることをしなくなりました。友達もいなくなっていました。それでも、兄はすぐに就職します。不思議なことに、私も兄も、ずっと働いていました。仕事を辞めることは絶対ありません。お金がないと育ったので、ひきこもることはしてはいけないと思ってたんですよね。兄は、自分に合ってないサービス業を仕事にしました。真面目で、適当が出来ない兄は、仕事で息詰まることも多かったようです。それなりに落ち着いてきたと思ったころ、我が家は立ち退きになりました。もう、祖父母は他界しており、5人家族でしたが、当時は地価が異常に上がっていたときで、今までと同じ広さの家を借りようとすると、ものすごく高い家賃になりました。そして、何を思ったのか、父はものすごく狭い小さい家を探してきました。「俺の選んだ家に文句があるなら、出て行けー!」私達は、早くから自分の部屋がありました。 しかし、父の選んだ部屋は、2階建ての長屋。形は2階建てだが、1畳がとても小さく、1階は3畳ほどのキッチンと4畳半ほどの和室だけ、2階は3畳と6畳の和室が襖で仕切ってあるだけ、タンスを置いたら、兄弟3人が寝るスペースなどありません。それに、弟は高校受験を控えていました。 そんな思春期の弟のことを思えば、私達二人は家を出たほうが良いに決まってる。3人なら、小さな家でも、暮らせる。 しかしですよ、私達だって、働いてたんですから、家賃援助は出来たのです。私も兄も、5万円の家賃を払っていました。3軒分の家賃を合わせたら、18万円程になっていましたから、何も私達を追い出さなくても、広い部屋を借りることは出来たのです。それを話したところで、父の気持ちは変わらず、また兄は早々に家を出ていきました。 兄は、もう一人がよかったのでしょう。 私と兄は、近くに住んでいましたが、行き来することはありません。たまに実家で顔を会わせても、話すこともなくなりました。 兄は、人と目を合わすことをしなくなっていました。もう、小学生だった頃のような明るい兄はいなくなっていました。 母は、頻繁に兄のマンションの掃除に行っていたようです。 私のところには、来ません。 頼めば渋々来ますが、5年暮らした間に来たのは、5回ほどでした。 それから、弟も高校を卒業すると、就職して、通える距離なのに、寮に入ると出て行ってしまいました。 弟も、家に一人になり、親の干渉が疎ましかったのです。 父は酔うと絡み、ネチネチと子供を怒ります。 それを、母は助けてくれませんから、私がいなくなり、弟をかばう人はいませんでした。 毎日が、嫌だったでしょう。父母が二人になり、私は結婚する前の1年、実家へ戻りました。そして、また私が結婚して家を出てすぐ、実家が立ち退きになりました。 そのとき、父母はすごいことを言いました。 「家を買うことにしたから。お兄ちゃんを呼び戻して、親子ローンを組んでもらおうと思うの。だって長男だし。」本当に自分勝手な人達で、呆れます。 しかし、その提案を、兄は断りませんでした。 あのとき、兄は32歳、もう結婚しないと決めてたのかもしれません。それに、家事は大変だし、一人暮らしに疲れてきてたのかもしれません。そうして兄は、大変な借金を背負いました。その兄を、母はまた自慢の息子として、嬉しそうに話していました。誰が見ても、もう嫁に来る人はいないであろう状況なのに、母は「家を持ってるから好条件なのにね?」と、私に聞いてきました。 「家はあるけどジジババ付きには、誰も嫁には来ないですよ」と答えると 自分は同居したのに…と不満そうに答えました。 こんな恐ろしい考えがどうしてできるのか、やはり母はかなり変なのです。 私が、遊びに行く度、兄は不幸な人生を送っていると言い続け、最近やっと母は自分の過ちに気付いてきました。 不思議なもので、ヒロが生まれたあと、父も穏やかな人になり、双子育児には一番参加してくれたのです。そうすると、あんなに人と話さなかった兄が、子供達には心開くようになってきました。 私とも、話すようになってきました。 母は、兄と再び一緒に暮らすようになり、兄が家族以外と話さないこと、目を合わさないことに気付き、心を病んでしまったんじゃないかと私に言いました。今、穏やかに暮らす兄ですが、あの祖父母との同居がなければ、大学に行けてれば、母の過度の期待がなければ、もっと違う人生があったのではと思えて仕方ありません。 今も、休日を一緒に過ごす友達はいません。 仕事と家族以外に、喋る人はいない兄です。 何の楽しみがあるのだろう?と、考えるときがあります。 弟は、実に楽しそうに生きていますから、やはり母の溺愛により過干渉が問題だったのだと思います。世間の怖い犯罪がニュースで流れたとき、兄は「こんなやつ、甘えてる。甘えてるから罪をおかすんや。僕は理性があるから、こんなアホなことはしない」と言いました。横で聞いていた私は、兄は自分の心が病んでると、ちゃんとわかってるんだと思いました。兄は、今までのことで、親を責めたことは一度もありません。 だから、私は母を責めるのです。残りの人生、兄には楽しいと思いながら生きて欲しいと願う。
2008.01.16
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小さいころ、私にとって兄は、とても自慢の優しい兄でした。どこに行くのも、嫌な顔ひとつせず、私を遊びに連れて行ってくれました。そんな息子を、私の母は溺愛していました。外国人のように色白で整った顔、性格も温厚で、親の言うこともよく聞く、本当に手の掛らない自慢の息子でした。兄は、お勉強もよくでき、小学校も高学年になると、生徒会長に選ばれるほどの人望も集めるようになります。当時は、父の仕事で、田舎の小さな町にいましたが、学校では私が妹であるというだけで、高学年のお姉さん達は優しくしてくれたものです。このままいけばよかったのですが、兄が中学校に進学するときに問題が起こりました。当時、父方の祖父母と同居していた叔父夫婦(父の弟)が、嫁姑問題から別居することになったのです。祖父は、脳梗塞で半身不随、祖母は糖尿病で祖父の介護はできないため、二人で暮らすことは困難です。緊急の家族会議のため、父は大阪に一人行きました。そして、出た結論は「俺が看る」でした。父は、男6人女3人の9人兄弟で、男6人のうちすでに一人は他界、3人は他府県に住んでおり(我が家も)、残されたのは一人でしたが、その叔父は同居を拒否。話し合いは、堂々巡りになり業を煮やした父は「俺が看る」と啖呵を切ったらしい。しかし、我が家だって他県にすんでおり、不可能である。それでも、言い出したら引かない父は、自分だけが田舎に残り、母と私達を祖父母と同居させたのである。当時、母は37歳、兄は中学入学、私は5年生、弟はまだ2歳でした。 今の私より若い母。介護だって、今みたいにヘルパーも何もありません。祖母は、頑固な祖父と暮らすのは嫌だと、入院してしまいました。半身不随の祖父は、一人歩くことすら難しくなっていました。 父親不在の同居、介護には男手が必要です。自然と、兄は母親を助けるように、毎日学校から帰宅すると、祖父が歩くリハビリを一緒にするようになっていました。 文句も言わない兄に、母は頼っていました。 お風呂に行くのだって、兄が肩を貸し移動します。そりゃあ、いくら半身不随とはいえ、舅に肩を貸すのは母にだって抵抗もあったでしょう。身体も大きい祖父でしたから、小柄な母には無理ですしね。 優等生の兄は、愚痴を吐くこともせず、母のことを思いクラブ活動もせず、毎日帰宅したら、介護の手伝いをしていました。 兄の気持ちなど全く理解できない母は、それはそれは兄が良い息子であるかを自慢していました。 同居して、2年目くらいから、祖父の痴呆が始まりました。 始めは、おかしなことを話すくらいでしたが、それは日に日にひどくなっていきました。 食べても食べても満腹にはならず、夜中に勝手に食べてしまう。 リンゴやミカンは皮すら残っていません。 食べさせてくれないと、包丁を振り回したこともありました。 歩けないので、誰も傷つけることはありませんでしたが、歩けてたら大変なことになっていたでしょう。 そのうち、昼夜の生活が逆転し、這うことしかできないのに、夜中に家から出て行ってしまうようになりました。 雨の降る夜中に、道路で力尽きた祖父が「助けてー、助けてー」と叫び、近所の人が駆け込んできました。 そんなときも、やはり兄は文句も言わず、肩に祖父を担ぎ上げ、雨の中歩いて帰ってきました。兄は、勉強が良く出来ましたが、大変努力家でした。その辺りでは有名な進学塾に通っていたのですが、そこには天才が多く、今まで誉められることが多かった兄は、そこでは普通の人でした。受験生の中学3年生のとき、祖父の痴呆がひどくなり、勉強に専念など出来なかったと今にして思います。 徘徊を防ぐため、夜中祖父の部屋には鍵がかけられるようになりました。 朝まで、祖父は母の名前を呼び、助けてーと叫び続きます。暇な祖父は、素っ裸になり、部屋に大便し、部屋の壁にそれを塗りつけ、毎朝地獄絵図のようでした。もう、その頃はおむつをしていましたが、祖父だってトイレに行きたかったのかもしれない、でも自由に部屋から出ると、家の中の物は食べあさり、家から出て行ってしまう。母には、鍵をする方法しかなかったのでした。最近になり、当時兄がノイローゼになっていたと母は教えてくれました。進学塾の先生が、兄の様子がおかしい、このままでは大変なことになると言ってくれたそうです。そこで、母はこのままではいけないと、父や父の兄弟に祖父を病院に入れるよう頼みました。そして、祖父は入院しました。これで、兄にも平穏な日々が訪れたように見えました。高校も、進学校に合格し、クラブ活動も始め、今までとは違う生き生きした表情を見せるようになっていたのですが、このクラブ活動で初めての挫折を味わうことになってしまうのです。クラブの練習中に、腕を骨折したのでした。簡単に治ると思われた骨折が、なかなか骨がくっつかず、結局腰から骨を採取し、腕に付けるという手術になってしまいました。もう、クラブ活動は続けることができず辞めてしまいます。この頃から、少しずつ口数も少なくなっていきました。でも、「まだ自分には勉強がある」と、兄は思っていたようでした。進学校ですから、ほとんどが大学に行きます。兄も、もちろんそのつもりでした。しかし、我が家の両親は、息子に過度な期待をしているので、国公立以外の大学は行かせないと言いました。進学校と言っても、市内で3番目の学校ですから、現役で国公立合格なんて不可能です。学歴のない親でしたから、大学がどういうとこなのか理解してなかったのかもしれません。それでも、学歴があったほうが良いとは思っていたんですが、それはとてもおかしな考え方でした。私達は、小さい頃から「家には、お金がない」と言われて育っったので、それが洗脳されていました。確かに、裕福ではなかったかもしれませんが、それは父の酒代やこずかいが多かっただけのことだと、大人になってから知りました。高校だって、公立しか選択はないのに、「なぜ私立を受験する必要があるのか?」と、私は先生達の説得も聞かず、公立高校しか受験しませんでした。私は、女であると言うだけで、大学や専門学校に行くことは許されませんでした。鳶から鷹が生まれるはずはないのに、少し出来た息子を持ったばかりに、母は兄を天才だと思ったのかもしれません。溺愛してたのだから、父を説得したらよかったのに、それを母はしませんでした。「国公立以外は、合格しても大学に通わせることはない」と、父に断言され兄は転落していきます。
2008.01.16
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私の実家は、両親と兄の3人暮らし。 私の母は、小さいときから兄を溺愛しております。その溺愛ぶりは異常で、私は小さい頃から、あまりの扱いの差に悲しくなったものです。ある日、夫婦喧嘩をした母は、8才の私の肩に手を起き言いました。「お母さんはお兄ちゃんが一番好きだから連れて行く。弟も赤ちゃんだから連れて行くけど、あなたはお父さんと二人で暮らしなさい」ひどいでしょ?その時、私は頭を石で殴られたような衝撃でした。私は、真ん中なので、泣くこともなくただ聞いていましたが、ものすごく傷つきました。置いていかれると言う言葉より、「お兄ちゃんが一番好きだから…」という事実が、お母さんは私のことは好きじゃないんだ、だからいつも優しくしてくれないんだと思わせたのです。私は物心ついたときから「お兄ちゃんは両親の良いところばかり取って生まれたけど、ハルママちゃんは悪いとこばっかり似て可愛くない」と言われていました。だから、16才まで、自分は可愛くないんだと思っていたのです。(今、私と兄はそっくり)とにかく、私は兄と比べるとダメなんだ、ダメな子なんだと、思い込んで成長してしまいました。…ちょっと話がそれました。(私と母については、また後日。)その兄も、42才で独身、真面目だけが取り得な、オタクに成長しました。 母親の過干渉から、不幸な人生をたどり、今や立派にオタクになっています。 それでも、仕事は真面目にサービス業なんぞしています。オタクと言っても、一見普通の人ですから、職場の人は真面目で婚期を逃したくらいにしか思っていないでしょう。 さて、その兄が、インフルエンザのようだと、朝の7時半に電話がありました。こちらは、子供の仕度で大変な時間に、42才の息子の心配で電話してくる母。様子から、インフルエンザに間違いなさそうなので、必ず病院に行くよう、仕事は休まないと迷惑になると話しておきました。 それから、夕方にまた母から電話がありました。 母は、 「やっぱりインフルエンザだったよ。仕事も休んだけど、夕方からまた熱が40度まで上がってきた。だから、さっき職場に明日も休みますって電話しといたの。」へっ42才の息子が休むって、70近い母が、わざわざ職場に電話した思わず、「アホちゃうか?世間知らずもいいとこ。そんなことしたら、皆『あの人、マザコンだから独身なのね』って思うわ。今の職場では株も上がってるのに、親が足引っ張ってどうするよー」と、怒ってしまいました。でも、昔は親が電話したとか、色々反論してきたけど、それがいかに世間からズレてるから話した。 しかし、兄もまた「電話しといて」と言ったらしい。 職場に行くわけでもなく、ずる休みするわけでもなく、電話掛ける位、時間にしたら1分もかからないじゃないか! 今まで20年、休んだこともないような兄なので、こちらもある意味世間知らずなのか?休みの連絡くらい、自分で出来ないのか?今は、母より私のほうが強くなったので、また明日も同じようなことを兄が言ったら、「大人なんだから、自分でしなさい」と、突っぱねるよう指示しといた。以前から、子離れしてないことはわかってたけど、なんだかなぁ…また余裕のあるとき、兄のこれまでの不幸な人生もブログに綴りたい。 親に壊された人生。 可哀想な兄である。
2008.01.16
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一昨日から、脱出ゲームにはまってしまい、なかなか脱出できず、ブログは更新できなくなってます。謎が解けたら、ブログ書きます。しばし、おまちを・・・興味ある方は、「脱出ゲーム」で探してください。今朝の目玉焼き我が家の子供たちみたい卵を2個割ったら、1つは双子ちゃんヒロとヨシの分だったけど、ケンカもせず、黄身2個はもちろん双子の片割れヨシにカイは、卵焼きを食べました
2008.01.14
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愛のワッペンとは、こちらです。カイに欲しいと思ってたので、夏に購入しました。10枚以上で、送料無料ということで、通園で欲しい人を募りました。私は、迷子札の代わりに使いたいと思ってたんですよね。もう、体が大きくなってきて、一人で歩いてても迷子に見えなくなってきてたから・・・。最近は「おかあさ~ん」と泣くようになってきたけど、保護されたところで、名前を言うことはできません。特に、頻繁に行くUSJでは、迷子になりかけ冷や汗がでたこともあるので、ぜひ付けておきたいと思っていました。USJでは、つけている子供さんもいました。(それは、手と手を繋いでるデザインだったのですが、ネットでは探すことができず。あの素敵なデザインは、どこかの自治体の手作りだったのかな?)皆、通園2年目、障害受容も出来てるので、知ってるものかと思ったら、ほとんどの方が知りませんでした。そして、反応も様々でした。欲しいと、すぐ手を挙げた人は、ほんの数人で、兄弟児がいる方ばかりでした。軽度の子供の母たちは、とても抵抗があると言いました。確かに、それはそうですよね。奇声も、問題行動も目立たなければ、わざわざ周りに知らせる必要などありません。女の子の母たちは、逆に変質者に狙われそうで嫌だと言いました。なるほど本当にそうです。男の子の母の盲点でした。一番意外だったのは、重度の子供には必要だろうと私は考えてたんですよね。言葉を持ってない子が、ほとんどですから。しかし、「そんな、人の多いところには出掛けないから」「買い物とか連れて行かないし・・・」という、答えがたくさんありました。そう答えた方のお家は、皆一人っ子でした。連れて行かないのか?と驚いたのですが、人の多いとこほどパニックを起こしやすいもの、そう言われたら確かにそうです。結論は、兄弟のいる家には必要なのでした。だって、我が家でも、カイの気持ちだけを優先に動けば、パニックも迷子もないんですよね。それでも、いざ欲しくても買えないならと、お試しで買ってくれた人もいて、まとめて注文することができました。我が家では、必ずUSJには付けていき、お買い物でも迷子札に付けています。たまに、じっと見られることもありますが、読んでくれてこそ、保護してくれるんだから気にしません。私は、すぐになくすので複数枚買いました。色によって使い分けます。USJのように目立つほうが良い場所では黄色を、近所なら緑を付けます。ただ、希望としては、一度も迷子にならないでほしいんですけどね。
2008.01.12
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今日のカイは朝、起きた時から英語を喋っています。「E.T. Go Home 」ずっと、繰り返してますえぇ映画E.Tが好きなんです大好きなんですでも、家で見てるのは、吹き替え版たしかE.Tは「おうちへ かえる~」と唸ってたはず・・・どこで、英語を覚えたのか・・・あっパソコンですね天才カイ君は、YOU TUBEで検索して映画を見ることもします。そこで、英語を聞いていたのか~ヒアリングは、ばっちりね
2008.01.12
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こちらは、KYな娘・ヒロ。もうね~、どうしたものか・・・今日は、係りの仕事を決めたそう。連絡帳には、こう書かれていました。始めは、図書委員を希望していました。図書委員なら、希望者も少なく、手を挙げれば決まっていたのに、直前になり、人気の保健委員に変わりました。給食のときのように、じゃんけんが勝つとは限らないよと話しましたが、意思は変わらず・・・でも、じゃんけんに勝ちました。もう一人の保健委員はよしちゃんです。えーーーーーーーーーーよしちゃんなんでまた、よりにもよって、天敵のようなよしちゃんと同じ係りとは・・・いえ、これだけならKYなんて言わないんですヒロは、2学期も保健委員をしてたんです。保健委員は、人気があるんです。一度やったのなら、普通は遠慮するでしょうそれも、ものすんごくしたいわけでもなさそうで、またじゃんけんに勝ちたかっただけだろうって感じが伝わってくるのは、気のせいかじゃんけんに勝って嬉しそうに飛び跳ね、それをシラッとみる女の子達の様子が思い浮かぶよ他人を思いやる気持ちは、生まれるんだろうか先生は、同じ係りをしてはいけませんとは担任も言ってませんから、別に問題はありませんと書いてましたが、問題はなくても、空気を読んでと思ってしまう母でした。ヒロとヨシ、足して2で割りたい・・・
2008.01.12
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3学期になり、幼稚園は発表会の練習に入ります。ヨシの幼稚園は、劇・合奏・和太鼓・合唱を見せてくれます。和太鼓は、12月から練習しており、体の大きなヨシは「宮太鼓」を任命されたと教えてくれました。ヨシは、我が家のホープです。家では、朝の準備も遅く、片付けもしなくて、親の手を焼かせますが、外に出ると優等生。2学期末の懇談では「もう何も言うことはありません。よく気が付き、それでいて出しゃばらず、子供らしく遊んでるかと思えば、私(先生)の動きもしっかり見ていて、困ってるときはそっと手伝ってくれます。楽しそうに遊んでるので、声を掛けずに私が用事を済ませると、言ってくれたら手伝ったのに・・・という表情をして見てることもあります。とても、私には心強い秘書のようになっています。だからとて、それを誇示することもなく、普通にお友達と遊んでいて、皆を支配しようということもありません。本当に将来が楽しみですよ」と、成人した子供を持つ先生はお話してくれました。すっごーいどういう育て方をして、そんな子供になったの育てた私が知りたい同じように育てても、姉妹全然違うから、個性の差なんだろうそんなヨシなので、何かイベントがあると、ちょっぴりいい役が当たってたりする。年少では、合奏でシンバルという大役がもらえていた。今回は、すでに宮太鼓があたっている。劇では、何をするのかしら???でも、劇は皆平等なので、別に期待もなし。ただ、いつも双子のようにいつも一緒にいる、仲良しのYちゃんと同じ役なのか聞いてみたかったのだ。私 「ヨシは、何するの?」ヨシ「始めに出る女の子。Eちゃんとでるねん。」私 「へぇ、Eちゃんと一緒なんや。Yちゃんは何するの?」ヨシ「Yちゃんも、女の子。最後に出るねん」私 「え?同じ女の子でも、出るとき違うの?それは先生が決めるの?」ヨシ「違うよ!始めにやりたい人?って先生が言ったから、ヨシはハイって手を挙げてん。Yちゃんは、最後で手を挙げたから、最後やねん」ふ~ん、そうなのかぁと聞いてたのだが、このYちゃんとヨシは、本当にいつも一緒で、どこに行くのも一緒、Yちゃんが休めばヨシは心配で泣いてしまうほど大好きなのだ。だから、年少の舞台は二人で一緒だった。今回もそうなるだろうと思ってたので、ちょっとびっくりだから、聞いてみた私「どうしてYちゃんと同じ女の子なのに、一緒に出ないの?」すると、ヨシはしばらく考えて「・・・別に、やめてもいいよ・・・」私は、慌てて「やめなくてもいいんやよヨシは、好きな時にでていいんやから」と、その話を打ち切ったヨシは、小さい時から、大人の言葉の裏を読んでくる。その時の状況から、自分がどうしたら、この場はうまくおさまるか?自分が褒めてもらえるかを、瞬間でパッと察知する。だから、本心を見せない。よくみていないと、我慢してることに大人は気付かない。今回も、どうして一緒に出ないの?の裏に「Yちゃんは一緒に出たかったんじゃないの?」と、私が思ってることを気付いたんだろうヨシ、ごめんねヨシは、もっと自分の気持ちを出していいいんだから、Yちゃんとだってたまには別々がいいよね反省、反省である。
2008.01.11
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今日も温かいですねカイは、今日は給食を食べたら帰宅。いつものようにバスを降りたら、自転車で公園を走っています。軽快に走る自転車いつもより足に力が入るのは・・・そう靴がおNEWだから昨夜、靴を見せると、チラッと見て「く・つ」と、言ったカイ。嫌そうでもないので、玄関にセットしておき、朝履かせてみると、そのまま出て行きました。嘘みたいにすんなりと・・・カイはこの靴が好きだったのかな?と、思いました。前は、同じ形で同じ色でも、サイズを変えることも嫌がり、昨日まで履いてた靴は形が全く違うので、靴屋さんで試着すら大変でした。しかし、今朝は何の抵抗もなく、新しい靴を受け入れたのです。カイの中で、記憶がしっかり繋がっているんだなぁと思います。もしかしたら、昨日までの靴は、「よく脱げるし、履きにくいし、前の靴がよかったな」なんて、カイは考えてたのかもしれませんね。
2008.01.10
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小学校は、今日も3時間授業でした。今日は、3学期の給食当番を決める日でした。特学の連絡帳には、先生から当番のことが記されていましたが、先生も興奮気味に書いていたように感じる文章。早速ヒロに聞いて見ました。私「3学期、給食当番は何に決まったの?」ヒロ「牛乳当番な、いっぱいしたい人いてたんやけどな、最初のジャンケンで3人になって、次のジャンケンで二人がチョキで、ヒロは何出したと思う?」私「グーやろ?」(ヒロの喋りが長くてイラッとした)ヒロ「そうグーだしたから勝ってな、牛乳になってん」(母の表情など、全く気にしていない)ここからが本題私「で?牛乳は、何番目に歩くの?」ヒロ「えっ13番目だからな、誰もヒロのこと抜かされへんやろ?だからいいねん。」私「13番は、一番最後?」ヒロ「そう」なるほど連絡帳には「大おかずが始めにしたいと言っていましたが、直前で人気の牛乳に変わったので・・・」と書いてあった。ヒロに、そこも聞いてみる。私「どうして牛乳なん?重たいやろう?」ヒロ「大おかずもしよっかな~って思ったんやけどな、牛乳は13番目やから、もう皆抜かしたりでけへんやろ?だから、牛乳にしてん」なるほど~ヒロは、2学期の個人懇談の後の私の話を、ちゃんと覚えていたのだ。眠る前に話した給食当番のこと、お母さんはすっかり忘れていました。「いつも、USJでは前の人抜かしたらダメって怒るけど、それは座る場所が決まってないから、順番は抜かしたらいけないの。でも、給食当番は、教室に入ったら置く場所が決まっているでしょ!だから、少しくらい、前の人を抜かしても大丈夫なの。それでも、ヒロが嫌なら、3学期は、一番最後に歩く係りにしたらどう?そしたら、誰もヒロを抜かさないから、怒らなくてもいいんじゃないの」と、話したんです。そのときは、静かに聞いて、何の返答もなかったんだけど、ヒロはちゃんと覚えていたんですよねだから、大おかずより、順番にこだわる並び方で牛乳係りを希望した。今回のことは、なるほど~と思った反面、私の与える影響力の強さを実感してしまった。少し前にも、よく似たことがあった。これからは、あまり感情的にならないように注意しないといけないなしかし、なぜ先生は興奮気味に書いてたのか?それは、ヒロがジャンケンに勝てたからだろうな~先生達は、始めから最後の牛乳にしたかったが、本人の希望もあるし、皆の希望もあるし、その場ではかなりやきもきしたに違いない。ジャンケンの前に「負けても泣いたらあかんで」と、一人の子に釘をさされたようである。ジャンケンする前に言っとかないといけないので、皆もヒロの扱いが上手くなった。今日は、席替えもあり、ヒロはまた一番後ろで、掃除当番も希望の場所になれたらしい。3学期、好スタート発進である
2008.01.09
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今日は、良いお天気で、もう春がくるのかしら?と錯覚しそうなほど大阪は暖かいです。私は、本当にカーテンを買ってきて、昨日から取り換えたり、洗濯したり、年末にやり残した大掃除をしています。この際、部屋の模様替えもと、思ったけど、パソコンの前に座ってしまったので、もうしませんもうすぐ、カイが帰宅。赤い自転車と一緒にお迎えに行って、公園で遊んできます。さっき、カイの靴が届きました色んな事にスムーズなカイですが、靴の履きかえはとても困難です。手先が上手に動かないこともあり、一人で履ける靴を探すのですが、なかなかありません。(成功体験を積み重ねていくことが、身辺自立につながる)この靴は、マジックテープを開くことで履け、止めるのも1回だけ、真ん中を合わせたりする必要もないので、カイが初めて一人で履けた靴でした。16センチから3足続けて履き、店頭ではもう販売していないため、19センチでは違う靴を履きましたが、すぐ脱げてしまうため、ネットで見つけて21センチまで、3足買いだめしました。足の甲の上のほうまであるので、走るカイには一番です。しかし、これだけ同じ色で形であっても、靴の履きかえは難しいのです。今は、違う靴を履いているので、しばらくは受け付けてくれそうにはありませんどうしようかな~しかし、ネットってすごく便利
2008.01.09
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カイは、昨年の秋に、ほぼトイレトレーニングが完了しました。しかし、それはおむつが外れたというだけで、小便も座らないとできなかったのです。我が家は、娘ばかりなので、カイは自分だけが立ってすることをとても嫌がりました。さすがに、女の子のように座ることはできないので、便座をまたぐ形で用を足すようになりました。しかし、またぐということは、毎回全部脱がないといけないのです。家ではよくても、外出時は困ります。やはり、男の子は立ってしなくてはいけません。しかし、カイは立ってすることを、とても恐がりました。お父さんのお手本を見せたところで、絵カードを見せたところで拒否しました。無理に立たせても恐怖心が生まれてしまえば、意味がありません。そこで、私は「何か立ってすることに意味が必要なのでは?」と、視覚から入る方法を考えました。以前、生協のカタログに載っていた「おむつバイバイ」を思い出したのです。注文があったとき、すぐに注文しました。それがこちらこのハートの紙を便座に置いて、濡れると動物の絵が浮き出てきます。1回目は少し強引に、必ず出る朝一番に決行しました。すると、絵が浮き出たことに、カイは大感激私の予想以上に、大喜びしました。次のとき、座りたいと訴えましたが、座ったら「おむつバイバイ」は使えないよと話すと、立ってすることに挑戦しました。それから、カイは立ってすることに、何の抵抗もなくなりました。「おむつバイバイ」を使い始めたことで、外出時のトイレにも抵抗がなくなっていきました。カイは、障害者用のトイレは使えたのですが、よその家のトイレは怖くて使えなかったのです。でも、「おむつバイバイ」を便座に置くことで、次第に使えるようになってきました。今は、おむつバイバイを持ち歩かなくても、どこのトイレも使えるようになっています。「おむつバイバイ」の利点は、もう一つありました。カイは、トイレが怖かったので、ずっと耳塞ぎをしていました。無理に立たせたところで、自分で持てないため、オシッコは衣服を濡らしてしまいます。しかし、「おむつバイバイ」で動物を浮き上がらせようとするには、狙いを定めないといけないのです。それには、自分で持たないといけません。それまで何度口で言っても出来なかったことが、あっという間に自分で持つようになりました。服も全部脱がなくなり、衣服を濡らすこともなくなりました。これには、カイにとって、とてもわかりやすい視覚支援になったんだなぁと思いました。今も、家ではまだ使っています。なくてもいいのでしょうが、自分で置くには便座を上げないといけないと気付いたようですので、まだしばらくは楽しんでいる間は使います。しかし、問題はまだ残ってるんですよ。カイは、洋式の便器しか使えないのです。だから、外出時は必ず個室しか使えないのですが、まぁ、それはもう少し先でもいいかなと思っています。立って出来ないお子様には、ぜひ「おむつバイバイ」をお勧めします西松屋さんが、一番お安いかと・・・
2008.01.08
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やっと、今日から小学校も、幼稚園も、3学期が始まりました。生活リズムが、正月でむちゃくちゃになりましたが、ヒロは6時半に起きてきました。さすが、ヒロはこのあたりはきちんとしています。冬休みの宿題も、プリント類はすぐ3日で終わらせ、毎日のお手伝いや縄跳びなども、必ず午前中に終わらせていました。私が、何も言わなくても、学校のことは全て自分の頭の中にスケジュールされているようです。だから、普段の学校の準備も、忘れ物なんてないのです。夫も、毎日寝る前に、明日着る服の準備を欠かしたことがありませんから、このあたりはやはり夫に似ているのでしょう。私の子供のころはというと、ヨシとそっくり。いや、ヨシはもっと大変。とにかく起きない。起きても、倒れたまま動かない。いつも時間ギリギリに着替え(結局私が着替えさせる)、ご飯をほんのちょびっと食べ、走ってバス停へ。早く起こしたところで、倒れて動かない、早く食卓に座っても、食べ始める時間はいつもと同じ。夜更かしは、してないですよ!ヨシは、誰よりも早く寝るのですからどうも、体内時計が、時間ギリギリにならないと作動しないのかまあ、私と同じなのです。これから、カイを通園に送り出すと、始業式を終え、二人が帰宅。給食が始まるのが、明後日からなので、それからゆっくりできそうです。まだまだ、これからカイの幼稚園の問題があります。補助の先生が付くことは決まりましたが、4月に採用されていなければ、入園は延期になります。入園にあたっての、細かい支援の仕方、カイの障害の特性など、伝えることはまだまだたくさんあります。ギリギリにならないと動き出せない私だが、準備を少しづつ始めなくてはいけません。頑張ろう
2008.01.08
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結婚するずっと前の話。雑誌の懸賞に応募しようと、ハガキを書いていました。住所やら書き終えても、半分が白いこのままでは、当たらないと、考えた私は、フリーページの来月のお題でコメントを書くことにした。お題は「あなたの宝物」そこで、私も考えて書きました。私には、宝物はありません。なぜなら、私は新しい物が好きなので、どれだけ欲しかった物でも、古くなると捨ててしまいます。元彼との写真だって、プレゼントだって、別れてしまえば置いとく事などしません。唯一大切にしたいお金は、ずっと手元に置いておきたくても、どんどん私から離れて行ってしまいます。この先、私に宝物が出来ることはあるのでしょうか?と、こんな感じの文章を書きました。本当に、私には宝物がなかったんですよね~そして、忘れたころ、一通の封書が届きました。オッ懸賞が当たったか開けてみると、中にはテレカが一枚、「あなたの記事が今月号に載ります」と書いた紙・・・あれ嬉しいような、でも、懸賞には絶対当たらないじゃないかとがっかり・・・そして、今私は、宝物を手に入れました初めてヒロを抱いたときの、あの嬉しかった気持は今でも忘れません子供たちが、私の宝物ですちょっと、カッコつけすぎあなたの宝物は何ですか?
2008.01.07
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さっき、カイを通園バスに乗せ、今は歯医者さんで順番を待ってます。 こちらの歯医者、何故かしら予約しても、ものすんごく待たされる。 先生が、ものすごく喋るので、患者さんが喋り掛ければ、なかなか治療が進まない。 それに、受け付けのお姉ちゃん、飛び込みの患者には「予約が優先なので、待ち時間が長くなりますよ」と、半分怒った顔で言うわりには、予約より飛び込みの患者が先に通されたりする。 「急いでます」なんて言おうものなら、後から来ても誰より先に早く治療が終わったりする。 …そして、私はいつもアホみたいに待たされるのだ。 今日もすでに30分経過。 まだ一人前に待っている。 そして、私の後から二人。 診察室には二人。 いつ終わるのか?? 終われば、娘達をクレープを食べに連れて行く約束。 我が家の娘達は、クレープをまだ2回位しか食べたことがなく、食べたいらしい。 子供が増えると、クレープって高いのよね~。 クレープ食べるなら、ミスドにしましょうか?となっちゃうから。 ピヨちゃん親子も誘ってあるから、久しぶりにゆっくりお喋り出来そう。 スーパーのフードコートだけどね。 話題は、これからのUSJのこと。 来月は月初めと月末の2回行くんだ! …ダメだ…まな板の上の鯉の気分だ。 どんだけ、気を紛らわそうとしても、全然変わらないや…。 もう、次は私が呼ばれる番。 静かに本を読むことにします。
2008.01.07
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やっと、長い長い休みが最終日になりました。今年は、夫が29日~6日という、長いやすみだったのにも関わらず、帰省以外はたいしたお出かけもしませんでした。年始は、私の実家に一日、キノコ一家と2日自宅で遊び、夫は競馬に一日出掛け・・・一日位USJにでも夫を引っ張って行けばよかったかもと、終わってから思いました。しかし、混んでることがわかっているだけに、行く気がしなかったんだけど・・・私は、働き出して仕事を辞めるまで、年末年始は仕事をしていました。15年前くらいは、元旦の早朝から、振袖を着るために、髪を結う人も多くいたんですよ。だから、家の年末の大掃除とは無縁でした。ヒロが生まれ、年末年始を家で過ごせるようになって、大掃除するようになっていたのに、義父母が田舎に引っ越し、年末早くから帰省するようになり、また大掃除はしなくなっていました。一人でする気力もしだいになくなり・・・我が家は随分荒んできました。テレビで見る、大家族の家のようです。なんせ、夫にやる気がないので、日々の家事に追われる私は、これ以上自分の負担を増やしたくない。しかし、これではいけないと、今回は夫に掃除に協力してもらいました。とにかく、家中の電気を洗うこと。それだけを頼みました。張り切って掃除してくれました。そして、自分の寝てる部屋の掃除・・・終了。えっ終わり終わりです・・・始めに頼んだこと以外は出来ません。追加すると怒ります。でも、始めからたくさん頼んでも怒るし、これが限度のようですもういいです。電気の傘が綺麗になり、よかったことにします。こうして、我が家はどんどん荒んでいくでしょう。私も、暇があれば掃除する人ではないので、夫を責めることは出来ませんからね。もうあの汚れたカーテンは、買い換えることにします。そしたら、気分一新部屋は綺麗に見えるから早速、明日ニトリに買い物に行こう夫は仕事、カイは通園が始まり、明日は女3人息抜きです
2008.01.06
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昨夜、9時半に自宅へ帰ってきました。しかし、疲れます。年に3回、正月、G,W、お盆と2泊3日義父母が田舎に引っ越してから、もう4年も続いています。行く度に、義母が疲れた様子を見せるので、もう1泊でいいじゃないの?と思ってます。喜んでるのは、ヒロとヨシと爺さんだけ。姑は、ものすごく神経質なので、私が色々手伝うことは難しい。だから、こっちもとても気を使う。来年は、1泊にしようと夫にも相談。義母の身体を心配する夫も、これには快諾。しかし、帰り際「じゃあ、また3月ね」だとヒロとヨシと、春休みも約束してると言うさすがに、もう私は行きたくないので、夫に行くよう指示。春休みに行けば、G,Wは回避できそうである。よかったさて、帰ってきて、年賀状の印刷をしました。パソコンって便利ですね子ども用、家族用、独身の人に出すのなど、何パターンか作り印刷しました。私も、少しはパソコンが使えてきてます。もう、美容師として働くのは年齢が難しくなってきたので、キノコさんの会社で事務員として雇ってもらえませんか?長所は、よく働きます。さて、これから洗濯と荷物の片付けをして、昼には私の実家に行きます。今日は、自分の実家なので、気を使うこともなく、ゆっくりできます義父宅では、お茶以外はコーヒーすら飲めず、食事以外は子供もおやつ一つ食べることすら許されず・・・拷問のような日々でした。かなりのストレスで、今日はたくさん食べそうです
2008.01.02
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明けまして、おめでとうございます本年も、よろしくお願いします
2008.01.01
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