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私は、兄と2年8ヶ月違いで、3月に生まれました。
待望の女の子なのに、神経質な赤ちゃん。
母乳以外は受け付けないのに、母乳は出ず。
3300gで生まれたのに大きくなってないと、3ヶ月検診では要観察。
それでも、頑固としてミルクは拒否する娘に、
母は悩まされたと教えてくれました。
言葉は、2歳を過ぎても出ず、また要観察。
言葉がないから、泣きだすともうどうしようもない。
まさに、パニック。
3歳を過ぎてから、やっとポツポツと喋り始めた私。
私には、2歳半からの記憶があり、当時の嫌な記憶は、
今でも鮮明に覚えている。
外は、嫌い。
靴は、靴下を履かないと履けないの。
素足で、足の裏に何か触れるのは、ものすごく嫌い。
大人は、嫌い。
ズカズカと喋りかけるけど、答えに困るような質問をするから。
子供は、女の子が嫌い。
自分に都合のいい提案ばかりするから大嫌い。
だから、私が遊ぶのは気の合う隣の男の子か、兄でした。
兄が幼稚園に行くようになると、私はずっと家にいて、教育テレビで歌を聞いていた。
外にも行かない娘に、母はレコードプレーヤーを買ってくれた。
一緒に、A面に歌、B面に童話が入ったレコードのセットも買ってくれた。
それが嬉しかった。
一人で、好きな歌を掛けて、本を見ながら歌う。
レコードが擦り切れるくらい聞いた。
そんな楽しい毎日も、幼稚園に入園になり壊れてしまう。
私は、幼稚園が大嫌いだった。
いや、希望を持って入園したのだが、初めてのお弁当の日で挫折してしまう。
3月生まれで、言葉も遅い私は、皆の流れに付いていくので精いっぱいだった。
初めてのお弁当に、ワクワクして登園した私。
「お弁当の前に、手を洗いましょう」
の、先生の言葉に、皆のあとに付いていく。
手を洗ったのは、一番最後だった。
部屋に戻ると、既にグループが出来ており、私は一人。
声を掛けてくれる子もいなかった。
(誰も一緒にお弁当を食べてくれない・・・)
悲しくて、泣きながらお弁当を食べた。
先生は理由がわからず、一生懸命慰めてくれたが、それは大きなショックで、
次の日から登園拒否。
「幼稚園は行かない」と、休んだ。
こうやって書く私には、しっかり記憶に残るほどの思いがあるのだけど、
その当時の私はほとんど喋らない子供なので、母は理解できず、
休みが3日ほど続いたある日、母は私にヘアーアイロンで怪我を負わせてしまう。
今でいう、躾という虐待だね。
私は、顔と足にやけどをおった。
ふと目を覚ますと、私は布団に寝て、横で母が涙を流していた。
「ごめんね。ごめんね・・・」
と、何度も謝っていたのを覚えている。
それを見て、私は「幼稚園に行こう」と、思ったのだ。
幸い、やけどは軽症で、痕は残っていない。
母は、赤ちゃんの時から育てにくい私を、可愛いと感じなかったのだろう。
兄を溺愛してたからか、私が育てにくかったから兄を溺愛したのか、
それは母にしかわからない。
私は、いつも兄と比較され、
「お兄ちゃんは、お父さんとお母さんのいいとこばかり持って生まれてきたけど、
あなたは、お父さんとそっくりで、悪とこばっかり似てる」
ずっと、そう言われてきた。
赤い服が着たいとお願いしても、
「猿みたいに色黒なのに、似合うわけがない」
で、いつも終わった。
私は、「兄のようになれば、兄を追い越せば、母に好かれる」と、
子供だから思いこんでしまった。
これが、私の心を屈折させてしまったんです。
この呪縛から解き放たれるのに、実に長い年月が掛かりました。
母に認められたいという思いから解放されたのは、
25歳のときでした。
話しが逸れましたね、幼稚園に戻します。
母を困らせてはいけないと、幼稚園には毎日行きました。
でも、3月生まれの私に、女の子達は容赦なく意地悪を言います。
昔なので、1年保育、今の年長さんですから、6歳でしっかりしています。
皆よりすることが遅れると、ブツブツと言いにくるんです。
担任は、年配の先生でした。
先生は、喋らない私にヤキモキするのか、いつも溜息をついていました。
たくさんの質問を投げかけ、答えることができず黙る私を
どう扱っていいのかわからない…と言う感じでした。
それが伝わってくるので、トイレに行きたいとも言えず、
お漏らしも何回かしました。
だから、担任は大嫌い。
本当は、幼稚園になんか行きたくない。
家で、レコードを聞いていたい。
でも、それでは母を困らせるからだめだ。我慢しよう。
幼稚園の時、私はそう考えていたのです。
でも、転機が訪れました。
父の単身赴任先に、引っ越すことになりました。
幼稚園も変わりました。
やっぱり初日から、いじめられるのです。
学期途中で幼稚園の制服もカバンもすぐには購入できず、
前の幼稚園のものでしばらく登園することになりました。
それを見た子供達が、私に質問してきました。
「あのな、・・・」
と、珍しく話しようとしたら、その「あのな」が変だと笑われたんです。
大阪では「あのな」ですが、そこでは「あのね」だったんです。
たったそれだけで、私の説明には耳を傾けることなく、
帰り道、「あのな~やって~!」と、何人もの子に言われ続け、
私は泣きながら帰りました。
新しい幼稚園の子供達は、優しい子も多く、それなりに楽しくなりました。
しかし、引っ越した先は給食だったのです。
私は、偏食だらけの子供でした。
口にするものは、食感で決めます。
サクサクやガリガリなど、音が脳まで届くような野菜は大嫌い。
口の中がものすごく過敏だったというんでしょうか。
えぇ、やっぱり自閉っ子を産むだけのことはあるのですね。
偏食をほぼ克服したのは、やはり25歳くらいでした。
(私に比べると、我が家の子供達の偏食はましなんですよ。)
それなのに、給食にキャベツの千切りが出るんです。
今なら、スライサーでかなりの薄切りだけど、
当時は人の手で切ってるから、千切りと言っても5mm幅はあるキャベツ。
それが全部食べれないと、お昼休みはなし。
ソースをいくらかけても、食べれない私は、いつもお昼休みはなし。
結局お昼休みが終わっても、食べることはできず、泣いて座っていました。
私にとって、幼稚園は楽しくないんですよね。
どうして、幼稚園に行かなくてはいけないのか、ずっと思っていました。
この頃の女の子は、ものすごくずるくて、すぐ自分の都合のいい提案ばかり。
買ってもらったリカちゃん人形とハウスは、半年以上誰にも見せませんでした。
だって、見せたら、返してくれるけど、グチャグチャにされるから。
「おもちゃを貸してあげなさい」って怒る親がいるけど、
子供にだって触られたくない大事なものがあることわからないのか?
って、思っていました。
私は、友達が来る日は、押入れの奥に隠していました。
でも、ある日、どうしても自慢したくなり、見せたんですよね。
そしたら・・・やっぱり・・・。
後悔もしましたが、もう自分は満たされてたので、すぐ諦めることもできました。
とにかく、私の幼稚園までは、ものすごく変でした。
喋らない、神経質な子供
今なら、引っ掛かってますね(笑)
~変人のハルママ・幼児期編、終わり~
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