ごうちんの出産 |
平成14年5月20日午前6時33分、無事男児出産。 前日19日の朝か ら陣痛が始まり、実に22時間に及ぶ出産でした。。。おなかが張るので便秘かな?と思い、便秘薬を飲んで、産後何も出来ないだろうからと、たまっていたビデオを編集したりして、19日は2~3時間しか寝てませんでした(苦笑)。 19日の朝、8時くらいから何だか薬が効いてきたのかおなかが痛く、すっきりと出たはずがいつまでたってもおなかの痛みが治まりません。時計を 見て間隔を計ると5~7分おきに痛みがくる。もしや?と思い、ひろゆきさんを起こしたのが10時。1時間様子を見ているうちに間隔が5分間隔に。。。もし や生まれてしまうのでは??と、助産婦の神谷さんに連絡を取る。13時くらいに神谷さんが到着。陣痛の間隔も4~5分間隔に。 自宅出産を試みて色々調べたのが妊婦2ヶ月と診断を受けてから。「ここで産みたい」という、都内の産婦人科のお産の様子が病院側、産んだ側両方 のレポートや感想などが書かれた本である。いい病院であれば都内ならどこでもいいかな?と思ったのだがなかなか思うようにいい病院は見つからない。何が嫌 かって、「会陰切開」と「浣腸」「分娩台」この三点がどうも気に入らなかった。普通の出産はそういうものなんだろうけど・・・・。何ゆえ大事な部分を切ら れねばならないのか??そう思うと出産のスタイルも考え直さねば。。。と、今度は「お産マニュアル」なる本を読む。読んでいくうちに「自宅出産」という選 択肢が見えてきた。ネットで自宅出産を調べて神谷さんの存在を知った。色々な助産婦さんの名前が出てきたが「神谷整子」さんという名前が一番目を引いた。 「神谷整子」さんで今度は検索をかけて、この方の書いた記事の載った本を購入。そして漫画家の「桜沢えりか」さんも99年に神谷さんにお願いして自宅出産 を試み、その時の本が出ていたので(「贅沢なお産」)読んでみる。自分が疑問に思っていたことを同じように思っている人がいて「そうだよね?そうだよ ね!」と、自分の中で自宅出産こそが自分の出産のスタイルだ、と確信。しかし自分一人で決めるわけにもいかず(かといって人の意見は聞きませんが!)ひろ ゆきさんに相談。反対はしなかったものの、不安もあってか即決で賛成!とはいかなかった。しかしこっそりと私は神谷さんにコンタクトを取ることになる。安 定期にも入っていないのだか「日本一忙しい助産婦」という評判の方だけに急がねば!といったところ。 妊婦初期は記憶があいまいで気付けば2001年12月だった。というのも毎日ひたすら眠かった!というのも「眠りづわり」というものだったそう で。。。ふか~くどろ~んと毎日毎日寝ていました。たんくる兄さんが来たのが妊婦3ヶ月にはいったあたり??2001年10月8日でした。たんくる兄さん のおかげで私は楽しく妊婦期間を過ごせました。そして今も、たんくる兄さんはうちの「毛の生えた長男」と思っています。妊婦期間や産後、ナーバスになって 何だか悲しくなって一人でしくしくと泣いているとたんくるさんが来て「どうしたの?」という感じでぺろっと顔をなめてくれました。犬ってやさしいんだな~ なんて思いながら、たんくる兄さんが来てくれてほんとによかった!と実感したものです。 妊婦中期、恐ろしいことがおきました。。。神谷さんとのはじめての出会い、1回目の検診の日、わたしはしでかしてしまったのです。。。何をかと いうと、1ヶ月で実に4kgも体重が増加してしまったのです。今思うと非常に恐ろしいのですが、その時はただただ食べたいものばかり食べてました。妊婦に なってから食べたいものが変わって、特に油っぽいもの、ご飯ものが好きになりました。特に「カツ丼」。そしててんぷら。カツ丼は一年に一回食べればってぐ らい縁のなかった代物でしたが。あまり得意でなくなったものはお魚。さっぱり系が好きだったのにこってり系が好物に。そしておやつもほとんど毎日食べてま した。検診時に青ざめましたが神谷さんに「10kg以上増加したら自宅出産は受けられない!」ときつ~い一言!しかしこれで目が覚めて、翌々週の検診では 2kgほど落としました。きちんとした食生活とお散歩で無理せず自然に落ちたのでよかった! その頃、勝手に男の子と決めていた私は名前も「豪輝(ごうき)」と決定(といっても私だけが考えてつけたわけではなく)。なぜ豪輝なのか? 「“郷”ではないの?」とよく聞かれましたがさすがの私たちでも「小野 郷」とはつけられません。いくらひろゆきさんがひろみ・郷のファンでも。。。そして「小野豪」となるはずでしたが本屋さんで姓名判断の本を立ち読みした結 果、「小野豪」は画数的によくないらしく。。。“豪”を基準に考えて「豪汰(ごうた)」とか(ごんたみたい?)「豪士(ごうし)」とか出ましたが「豪輝」 の響きのよさと字のバランスのかっこよさで豪輝に決定!その日は何故か二人目は女の子、と決めて女の子の名前まで考えて(ちなみに“茜”です)朝の5時ま でやってました。馬鹿な夫婦です(苦笑)。そんなこんなでひろみ・郷のようになって欲しいと思っている人もいるようですが私は「豪快に輝く人に」という願 いを込めて「豪輝」に決定。ちなみに全米で活躍するプロゴルファーになって、私に自家用ジェットを買ってくれる息子になって欲しいという気持ちが込めてあ ります。(それは無理??) そして超音波検診でついに性別が判る日がきました。2002年1月29日、新宿の婦人科で診てもらった結果「ついてないから女の子だね」 と・・・・。あまりのショックに呆然自失!帰り道は涙目で、その日は眠れませんでした。。。喜んだのはひろゆきさん。女の子が欲しかったみたいでそれまで はおなかに話し掛けることもまれだったのに「ぱぱだよ~。お嫁になんか行くことないからね~」などと私の神経をさらに逆なでする始末!納得できない私は翌 日、荻窪の赤川クリニックに超音波検診だけを受けに行くことに。ネットで調べたところ、ビデオテープに超音波の映像を撮ってくれるというのでビデオテープ も持参で検診に行き、予定日が2002.5.16と告げると「5月の出産はもういっぱいです」といわれびっくり。もう予約っていっぱいになるんだ~と、結 構人気のある病院だからかな、と納得。ちなみにこの病院はアクティブバースを受け入れていて、自分の好きなスタイルで出産が可能。例えば水中出産もOKら しい。分娩台以外での出産が出来る病院なのだ。今までは待ち時間が5~10分ですんだのがこの病院では1時間待ちはざら。検診の時間も超音波で長く診てく れるから面白かった。だからきっと待つんだろうね。で、超音波検診の結果男の子の“もの”がうつり、ほぼ男の子と決まった。うれしくて帰り道は笑いが止ま らなかったの言うまでもない! 体重管理もきちんとこなし!?、9ヶ月に入ったころ、中身が順調に育っているので「臨月に入ったらいつ生まれてもいい状態よ」、と言われ慌て る。この頃から口癖は「最後だから」。そう言って今まで頑張っていた体重管理もあま~くなってくる。2002.4.16の結婚記念日とひろゆきさんのお誕 生日など盛りだくさんのイベントに外食も増え、2週間で2kg増やしてしまった。赤川先生ももう何も言えず!?苦笑してました。。。その後体重を計られる のが怖くて病院には37週を境に行ってません。ごうちんも2300gから一気に2700gに。。。予定日まで3週間。。。一体どうなるのか?という心配は 全くしてませんでした。何故かというと私の中では「5/5生まれ」と決まっていたから。かといって根拠はなく、ごうきだから語呂よく「Go!Go!」って ところ???ふざけすぎです。 そんなこんなで2002.5.5が過ぎるともうどうでもよくなり、今度は予定日の5/16くらいでいいな~なんて。しかし予定日が過ぎるとこの ままでもいいかな~?と。17日に神谷さんに診てもらうが、「予定日を過ぎて1週間とか出てこないと、病院でのお産になる。」といわれちょっとあせる。 だって赤川クリニックは予約がいっぱい。どこで産むのかな?と。。。子宮口の開き具合を見てもらうとちょうどいいころあいになっているとのこと。よかっ た!しかしより早く産むために、“けんけんぱ”をするように!と言われた。“けんけんぱ!?”ってあの???と聞くと、「“ぱ”のところでしゃがむの よ!」と。実演してい ただいたが思わず笑ってしまった。笑い事じゃいのだけどね。実際やろうかな~と思いつつもやりませんでした。なんとなく、ね。神谷さん、実演していただい たのにごめんなさいね!! 5/17の神谷さんの検診のとき、「もしかしたら出産は2,3日後くらいかな?」と言われていたのですが、そのぴったり2日後に陣痛、そして出産になっ た。助産婦さんの経験からくることなんだろうけどすごいな~。19日の朝に電話を入れて1時間半ほどで神谷さんが到着。おなかの痛みはまだ序の口!!(結 構痛くて暴れていたけど!)らしい。出産を終えて振り返るとやっぱり序の口だったな・・・と思うこの時でしたが、その当時はこんなに痛いのに!と思いまし た。寝不足だったので出産は時間がかかりました。陣痛がいい感じになってきた頃、とろ~っとしてきて寝ちゃったり??あの痛みで眠れる私もすごい!と思っ たけど、実際に陣痛の痛みの中、寝てしまう人もいるらしい。うん。わかる。 今回の出産には神谷さんと助産婦仲間の鴫原さん、そして看護大学の学 生さんが二人。病院のお産は経験があるけど、助産婦になるのに医療に頼らない、自然分娩の自宅出産の経験は助産婦としての経験になるからと見学をお願いさ れたのです。なのでギャラリーの多い中の出産でした。実際、学生さんに陣痛のたびに腰とか、足の裏とかマッサージをして頂いたので楽、というか女王様みた いな感じ。お産が長引いて申し訳状況だったので(一晩明かした連帯感?)疲労困憊、感動もあり、といった感じでしょうか? わたし的には出産の時よりも、陣痛の方が痛かった記憶が。長時間だったから??そして会陰はすり傷程度でおさまりました。大きな赤ちゃんでも、 時間をかけてゆ~~~~っくりお産をすれば切らなくても大丈夫みたい。陣痛の痛さとその長さに耐えないといけないからどうなのかな?わたしは陣痛の痛さで よかった。産んだ瞬間気分爽快!でした。病院だとそんなにのんびりはさせてもらえませんかしら?? ごうちんが出てきて、陣痛の時間の長い意味がよ~くわかりました。だって大きかったもの!3000gは超えると覚悟していたけど3750gって。。。いまど き初産ではあまりないのでは???(苦笑)。40週しっかり熟成したのと、大食いだった結果かな?でも出てきて一緒に生活すると大きくて良かった~と思い ます。ま、小さい子を抱っこしていないからなんとも言えませんが、大きいから楽でした。思いのほか首もぐらぐらしないし、がさつなわたしでも大丈夫。 母乳と布おむつで始まった豪ちゃんとの新生活。習うより慣れろで、日々勉強でした。自分の子とは思えないくらいものをわかっている??子で、おっぱい、 排泄、そんな時くらいしか泣かないので静か。そしてわたしががさがさしていても一向に気にしない性格。たんくるがわんわんと吼えまくってもぐ~って寝てい るあたり。つわものです。さすが「豪輝君!」といったところ。うるさくて泣いちゃった!といえばワールドカップでぎゃ~って騒いだわたしの声がうるさかっ たことくらい。 幸い、母乳もそれなりに出て、おむつも順調。しかし日を追うごとにおっぱいとおしっこの量が増え、わたしもいっぱいいっぱいに。。。梅雨ということもあ り、おむつはもう、布じゃ追いつかない・・・と紙おむつに。使ってみると実際、かなり楽!もう布には戻れないと思います・・・。そして母乳。量が増えてき たのとわたしの疲れがたまってきて、ひろゆきさんにごうちんをみてもらうときに冷凍保存した母乳が足りなくなり、スティック状の粉ミルクにお世話になり、 この頃では夜眠いときにはさっと飲んで寝てもらおうと粉ミルクに頼ってます。どうなんだろう?混合で育てるのは。 びっくりしたことといえば顔のボツボツ。あせもかな?と思って油断していたら顔中ぼつぼつ出まくり!後で聞くところ、1ヶ月の赤ちゃんは大体出 るらしい。びっくりして病院に電話してしまいました。その後本を見るとちゃんと書いてあり、本も読んでおかないとな、なんて。病院の先生はたいていの親御 さんはびっくりして電話かけてきますよ~って言ってましたが。。。。 育児をしてこれはいい!って思ったもの。それはラップアップの肌着。わたし は「赤ちゃんのためにすぐ使う本」で見つけて購入。合計4枚かな?買い足しながら。着せるのも楽でオムツがえもボタンを3つはずしてぱかっと開くから楽! 1800円~いろんな色があります。しかし!こないだ“アカチャンホンポ” に行ったら1600円?1500円?少しばかりお安く売っていてちょっとショックでした。その他の購入していた服などはお店で売っていない商品だったから ショックも半分??しかしアカチャンホンポ、ご存知でしょうか?うちもかなり通ってますがすばらしく品揃えが豊富でお安いです!妊娠したら赤本に!って感 じ。おすすめです。http://www.akachan.jp/ ごうちんが生まれる前に購入したもので活用率の高いのはハンディカムかも。そしてついに!?故障してしまい、修理に出すタイミングを見計らって います。。。ハンディカムの何が良いか!動画で撮ったものを静止画にキャプチャ出来るところ。普通のカメラだとピンボケとか多くて閉口。。。ハンディーカ ムでが~っと撮って、あとでゆっくり眺めながらキャプチャ。そして印字するわけです。最近はメモリスティックなどに入れてフジフィルムのお店でプリントア ウト!プリンタでは出せないつやが出ます。っていうか、プリンタも使いすぎて修理に出さないといけない状態。ないと困るからだましだまし使ってます。さら に使っているPCも起動しなくなり、リカバリーディスクを使って何とか復活。ソフトの入れなおしでぐったり。化粧品がなくなるのと一緒でこういうのってま とめてくるのかしら???参りました。 出産をしたことがえらいとは思いませんが、人生変わったな~と、すごく実感。自分のおなかから出てきたけ ど、自分じゃないんだな、と何だかあたりまえなんだけど、幾分不思議な気分でした。出てきた瞬間からいや、出てくる前からももうすでに一個の個体なのだ な、と。ものじゃないから一個って言うのもなんですが。この頃はおなかけられたり叩かれたりしてますが楽しい毎日です。ではごきげんよう! ★これは内祝いにつけた我が家の出産レポートです(2002.7版)。 |