★立原道造/優しき歌 II



        立原道造「優しき歌 II」より


        ―序の歌―

        しづかな歌よ ゆるやかに
        おまへは どこから 来て
        どこへ 私を過ぎて
        消えて 行く?

        夕映が一日を終らせよう
        と するときに――
        星が 力なく 空にみち
        かすかに囁きはじめるときに

        そして 高まつて むせび泣く
        絃(げん)のやうに おまへ 優しい歌よ
        私のうちの どこに 住む?

        それをどうして おまへのうちに
        私は かへさう 夜ふかく
        明るい闇の みちるときに?


        ―夢見たものは‥‥―

        夢見たものは ひとつの幸福
        ねがつたものは ひとつの愛
        山なみのあちらにも しづかな村がある
        明るい日曜日の 青い空がある

        日傘をさした 田舎の娘らが
        着かざつて 唄をうたつてゐる
        大きなまるい輪をかいて
        田舎の娘らが 踊りををどつてゐる

        告げて うたつてゐるのは
        青い翼の一羽の 小鳥
        低い枝で うたつてゐる

        夢見たものは ひとつの愛
        ねがつたものは ひとつの幸福
        それらはすべてここに ある と


        ―爽やかな五月に―

        月の光のこぼれるやうに おまへの頬に
        溢れた 涙の大きな粒が すぢを曳いたとて
        私は どうして それをささへよう!
        おまへは 私を だまらせた……

        星よ おまへはかがやかしい
        花よ おまへは美しかつた
        小鳥よ おまへは優しかつた
        ……私は語つた おまへの耳に 幾たびも

        だが たつた一度も 言ひはしなかつた
        私は おまへを 愛してゐる と
        おまへは 私を 愛してゐるか と

        はじめての薔薇が ひらくやうに
        泣きやめた おまへの頬に 笑ひがうかんだとて
        私の心を どこにおかう?


        ―また落葉林で―

        いつの間 もう秋! 昨日は
        夏だつた……おだやかな陽気な
        陽ざしが 林のなかに ざわめいてゐる
        ひとところ 草の葉のゆれるあたりに

        おまへが私のところからかへつて行つたときに
        あのあたりには うすい紫の花が咲いてゐた
        そしていま おまへは 告げてよこす
        私らは別離に耐へることが出来る と


        澄んだ空に 大きなひびきが
        鳴りわたる 出発のやうに
        私は雲を見る 私はとほい山脈(やまなみ)を見る

        おまへは雲を見る おまへはとほい山脈を見る
        しかしすでに 離れはじめた ふたつの眼(まな)ざし……
        かへつて来て みたす日は いつかへり来る?





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