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朝職場に行くと、驚くことが起きていた。市役所は部署毎に分かれているが、その部署の部長が替わっているのである。市長の交代により、新しい部長の配属となり、何人かの部長は首切りつまりリストラにあったのである。部長交代の数は約10人。しかも、いきなり前日に通達されて首切りだそうである。結構ひどい。どんな人が首切りされたか…。もちろん使えない部長も首切りされてるが、市長が属する政党の人たちが気にくわない人も首切りされるそうである。私の知り合いのある部長さんは、非常に優秀な人だった。部下からも慕われ、自分でパソコンシステムを率先して導入し、オフィスは市役所で一番整理整頓されていた。しかしその部長さんも辞めさせられていた。聞くところによると、その部長さんは、他の部署とは孤立していて、他の部署との関係はあまり良くなく、市長側の政党の人たちが彼を気にくわなかったとのこと。確かに、政府、公共機関にもリストラは必要であると思う。悪い物は切り捨てていかないと、いつまでたっても改善されない。日本みたいに、公務員になれば一生辞めなくてすむという制度だと、悪い物もがはびこってしまう。だから、私はこの市役所のリストラ制度は良いと思うが、自分たちの派閥の好き嫌いで辞めさせるのはどうかなと思う。優秀な人が、しかも部長クラスが抜けると、辞めた後の部の仕事が回らず、また1からスタートになってしまう。市役所の仕事的に見て、非常に非効率である。でも、そんなもの彼ら派閥からしたらお構いなしなんだろう。仕事をどう回すかよりも、気にくわない奴を辞めさせる。それが先に立っているような気がする。数日後、辞めさせられた部長さんに道で偶然であった。まだ仕事は見つかってないと言う。この国では、新しい仕事はちょっとやそっとじゃ見つからず、仕事を探すのは本当に大変なのである。
Jan 24, 2005

新年会が日本大使館で行われるので、お昼過ぎにLeonを出発した。途中、バスのタイヤがパンクした。こんなことも、ニカラグアでは日常茶飯事。14時から始まりだったが、少し送れて日本大使館到着。日本人(アジア系)の顔をしていると言うだけで、あの厳重なセキュリティチェックも、名前を書くだけでパス。こんなんで良いんだろうか…と思いながらも、会場に到着。去年は餅つき大会などがあったが、今年はなく、料理も去年に比べて少なかった。これで、会費100コルドバ(700円)はちょっと高い…。ニカラグアの日本大使館はバカでかい。プールにテニスコートまでついている。こんな所に私達の税金が使われていると思うと、何とも言えない気持ちになる…。(左から副大使、大使、JICA所長。おお~)日本人バンドの演奏や琴演奏、南京玉簾などの出し物があり、(日本人バンド。何故ランニングマシーンで走ってるかは…)(見事な琴演奏。琴が習いたくなった)(あさて、あさて、さては南京玉簾)16時にはJICA連絡所に戻った。夕方は、同期隊員の誕生会があり、久々に同期隊員(9名)全員が集まってフランス料理屋に出かけた。このフランス料理屋は最近見つけたお店で、お洒落な感じだった。(みんなちょっとおめかししてます。)サービスはニカラグアに類を見ないくらい良かったのだが、料理とワインは最悪だった。高い値段の料理とワインを請求しときながら、この味はないよなぁ~とみんな同感だった。(ちなみにシェフはフランス人)でも、それなりに誕生日会を楽しんだ夜だった。
Jan 22, 2005

ニカラグアでも野球は国民的スポーツである。各県のプロチームが毎年リーグ戦で競い合うが、今年は、最終的に私の任地「Leon」のチームと、隣の県「Chinandega」のチームが優勝争いをすることになった。7戦行われ、先に4勝した方が勝ちである。ここまで、・Leon-2勝1敗・Chinandega-1勝2敗である。今日は第4戦で、私の任地「Leon」で試合が行われるので、ホームスティ先の家族と出かけることになった。といっても、チケットは当日発売され、購入するには朝から長蛇の列に並ばなくては行けない。幸いにも、私のステイ先の娘がチケットを買いに行ってくれるとのこと。試合は夕方6時からなので、私は夕方5時にEstadio(スタジアム)に到着した。開始1時間前なのにもう既に人が一杯。先に来ているステイ先の家族を捜すのに苦労した。試合は6時開始予定だったが、な、な、なんと驚くことに…6時ピッタシに始まったのである。いつも時間にとーってもルーズで、6時開始と言ったら、7時開始のようなニカラグア時間で、野球は時間ピッタシに始まったのである。ニカラグア人もやれば出来るんじゃんって思ったが、どうも時間を守るのは「映画館と野球試合」くらいだけとのこと(*_*)試合開始と共に、猛応援が始まる…。う、う、うるさい!!!しかも、試合が良い状況になるとあちらこちらから、水やビールが降ってくる…。冷たい…服はびしょ濡れである。水はまだしも、ビールはいかんでしょ。巻き散らかしたら。あまりのすごさに、怒ってる女性もいたが、そんなのニカ人お構いなし。子供達も、1ペソのAgua(水)をどんどん買って、試合が有利になると、水をまき散らす。(ちょっと水の大切さへの意識が欠けてるようにも思うが…)しかもニカ人、ずっと立ちっぱなしで応援である。さすがの私も疲れた…。(こんな木の上に登ってまで観戦しなくても…)でもこの試合、5-2でLeonの勝ち!!!これでLeonは3勝1敗で優勝に王手である。(頭ににLeon(ライオン)を載せてた少年)Estadio(スタジアム)から出た帰り道は、優勝に王手がかかったLeonを応援する人で溢れかえっていた。
Jan 21, 2005

今日は、ニカラグア Carazo県にあるDiriamba(ディリアンバ)という町のお祭りに出かけた。朝8時、レオンを出発。Terminal(停留所)でバスを待つが、なかなかバスが来ない。列に並んで、やっと来たと思ったら、その列は崩れて、みんな一目散にバス(15人乗り)の我先と乗り込む。本当にマナーが悪い。大阪のおばちゃん以上である。あきれて物が言えず、私は体を揉みくちゃにされてでも乗りたい気はなかったので、3台ほど見送って、やっとバスに乗れた。朝から本当に疲れる。こういう人間的なマナーがなってないのは、まだまだ教育レベルが低いからではないだろうか。さて、2時間半ほどでDiriamba(ディリアンバ)の町に到着。(こんな車が市民の足になってます) (Diriambaの町)まずは、ニカラグアに到着してからすぐお世話になったスペイン語の先生の家へ。お昼ご飯「Indio Viejo(インディオビエホ)をご馳走になり、お祭りを見るために町に繰り出した。この町の踊りは、「GueGuense(グェグェンセ)」と言い、伝統的な衣装を着て踊るもので、文化遺産にも登録予定だとか。 小さい子供達が衣装を着て町を歩いている姿が、とても可愛かった。 (この子供達が仮面をかぶると…) (ねぇねぇエンチラーダ買わない?可愛すぎて思わず買ってしまいそうになった…)また、この町の馬乗り好きな人たちが、馬に乗って町を練り歩くのだが、これがまた格好いい。家族全員で馬に乗って歩いてたりして、すごいなぁ~と魅了されてしまった。(こんな小さい子供までサマになっている…)夕方、美しい夕日に染まったDiriambaをあとに、Managuaへ向かった。
Jan 19, 2005

昨日の市長交代式を持って、今日から新市長が新任。午後、市役所職員全員に対して、新市長の演説があった。私も参加した。新市長は若干35歳。市長になる前は、市役所の新聞・広報課で仕事をしていた。新聞記者兼弁護士の資格を持っている。この国では、資格は非常に重要視される。大学の専攻科によって、その人の名前を書く時に、例えば、技術系ならIngeniero、医者ならDoctor、文系ならLicenciado、教育関係ならProfesorと言った様々な呼び名が付く。話は戻って、この市長選挙。4年に一度やってくる。各市毎に行われ、党から1人代表が出て、市民投票が行われる。今年の目玉は、ニカラグアの2大政党と言われる「自由党(PLC)」と「サンディニスタ党(FSLN)」であった。サンディニスタについての詳細はhttp://www31.ocn.ne.jp/~nero/sevens2.htmlで詳しく紹介されています。レオンは、れっきとした「サンディニスタ党」の街である。1990年の内戦終結までは、サンディニスタがニカラグア政権を牛耳っていたため、その拠点となった「レオン」の経済は、かなり潤っていた。それが、1990年以降になると、アメリカ勢力が入ってきて、サンディニスタ政権は崩壊しかけているが、それでも、この「レオン」はサンディニスタの街として今でもサンディニスタ政権の勢力が色濃く残っている。 (ニカラグア国旗、レオン市旗、サンディニスタ旗が並ぶ)面白いことに、ニカラグアの市役所。政権が変わると、市役所内部の人もほぼ総変わりする。つまり辞めさせられる。サンディニスタ政権の衰退に伴い、このレオン市も、そろそろ自由党(PLC)政権に交代かといわれていた。でも、サンディニスタ党出身の「Transito Tellez(35)」が勝った。正直私は、自由党(PLC)に勝って欲しかった。市役所内に、新しい風、改革を起こして欲しかった。確かに市役所の人はいい人達だが、市役所システムとしては、慣れ腐った物があった。選挙開票が行われた翌日、市役所職員は、「Felicidades!(おめでとう)」と抱き合って喜んでいた。新市長がこのレオン市をどう変えていくか。初心忘れずで頑張って欲しい。
Jan 18, 2005

ニカラグアに来る前に、眼鏡を二つ買った。しかも出発前日。ニカラグアには眼鏡屋がないのでは…ニカラグアで眼鏡が壊れたら…という心配とは裏腹に、この2年間眼鏡はずっと同じままだった。結局、4つも持ってきたのにいつも一緒。しかも、出発前日に飼った眼鏡。ちょっとイキサツ有りの眼鏡。出発準備にあまり時間がなかった私は、出発前日の東京移動後、ホテルにチェックインして、眼鏡を買いに出かけた。一緒にいた彼女を、眼鏡屋に遅くまで付き合わせてしまった。ニカラグアに出発前夜で、「ウェスティンホテル東京」に泊まっておきながら、眼鏡屋から遅く戻ってきて、遅い夕食を食べ、疲れのあまり爆睡してしまった。(ウェスティンホテルが、よく眠れる「ヘブンリーベット」ってのを部屋に提供しているが、本当によく眠れてしまった…)彼女には後で考えると悪いことをしたなぁ~と思いつつも、その時は先の2年間の生活を考えると、メガネ、メガネと必死だった。だから、その曰く付きのメガネ。任期もあと3ヶ月。せっかくなのに、使わなきゃと思い、今日からメガネを変えてみた。友人の日本人に会っても、何も言われなかったけど、この日だけでも、20人くらいのニカ人に「メガネ変えたね」って声かけられたのは、なんかうれしかった。(それにしても、ニカ人。よ~く人の顔を観察している…)さて、話は変わるが、夕方からParque(中央公園)で「市長交代式」があった。ニカラグア国内の市長の任期は4年。昨年の11月に市長選挙があり、私の任地「レオン」の市長には、若干35歳(新聞記者・弁護士)のTransito Tellezという人が選ばれた。 (ちなみにこれが市長室)市長については、明日の日記で詳しく書くこととして、夕方5時くらいから前座のPayaso(ピエロ)などが始まり、 夕方6時から市長、そして新市長の演説。演説の後には、NuevaCompaniaという歌手が来て、 ダンスパーティーが始まるので、それを目当てに人が集まる。が…。新市長。演説が長い…。気持ちが熱いのもわかるが、話す話す…。観衆も早く終わって欲しそうだが、新市長の話は1時間も続いた。そして、7時半。公園が、瞬く間にFiesta(お祭り)広場へと変わる。私の配属先「レオン市役所」は、この中央公園の真ん前に位置してるので、市役所2階から、特等席で眺めることが出来た。 それにしてもスゴイ人。どこからこんなに集まってくるのか…。 (これは問題を起こして、連行される少年)
Jan 17, 2005
久々に週末レオンにいた。午前中は報告書を少し書いて、午後はプールに出かけた。プールは家の近くの私立中学校の中にあって、週末は有料で使用することが出来る。料金は15コルドバ(100円)だが、プールは6コース×15メートルプール。水はとっても濁ってて、底が見えない…。泳ぐ気満々で行ったのに、あまりにも人が多くて真っ直ぐ泳げなかった。ニカ人は泳げない人が多い。公立学校にはプールがないので、泳ぎを学ぶ機会もない。だから、海なんかに行くと溺れて亡くなる人の確率も断然高い。プールではしゃぎまくってるニカ人を、「ちょっと真っ直ぐ泳げないんだよ~!」と腹立てながら、諦めて家に帰った。家に帰ると、家の近くの交差点にスゴイ人が集まっていた。何かと思っていくと、自転車に乗っていた子供2人が、車にひかれて死んだらしいのだ。子供を跳ねた自動車はまだその場にいて、周りのにニカ人から、すごいヤジを飛ばされていた。ふと見ると、道路が血だらけである。ゾゾッとしたと同時に、鳥肌が立った。知り合いのニカ人に、「あなたカメラ持ってるんだから、この現場の写真取って、新聞社にでも持っていったら?」って言われたけど、到底そんな気分にはなれなかった。新聞カメラマンや報道の人は、こういう時でも平気で撮るんだろうなと思うと、私にはよく理解できなかった。結局、この子供達の親はその場では見つからなかった。子供達は遠くから自転車でお使いに来てたようだ。自動車が100%悪いみたいだが、こちらの子供は、大人用の自転車に平気で乗るため、地面に足が着かず非常に危ない。しばらく鳥肌がおさまらなかった。
Jan 16, 2005
午前中、帰路変更のルートを検索する。協力隊員は2年間の任期を終えて日本に帰る時、直行で日本に帰る以外に、2週間、他の国に寄ってから帰ることもできる。これを帰路変という。私は帰路変をする予定である。どこの国に行くか…。でも、私達は公用旅券パスポートで、国の派遣により協力隊としてきているので、入れる国と入れない国が制限されている。例えば、グアテマラ。一般旅券、つまり普通の日本旅行者はグアテマラに入れるが、私達は立ち入り禁止となっており(外務省勧告)、グアテマラに寄ることは出来ない。他にも、ボリビア、ブラジル、ベネズエラ、コロンビア、ペルーなど入れない国は結構多い。(特に南米)せっかく中米にいるのだから、南米を旅して帰りたいのだが、行きたい国に限って入れない国だったりする。しかも片道航空券を購入しないといけないので、往復航空券と金額がほとんど同じだと、バカらしくなってくる。あ~どこに行こう…。迷ってしまう。調べて手もきりがないので、適当なところで止めて任地のレオンに帰ることにした。今日は土曜日だが、配属先「情報処理課」にあるデータベースサーバを、古いサーバから新しいサーバに移す作業を午後2時から予定していた。マナグアを出て、レオンに2時前に到着。職場に行くと、なんど作業がもう既に終わっていた…。彼ら配属先の人たちで、早めにサーバの移行作業を行ったとのこと。えーーーーーっ。マナグアから戻ってきたのに、もう終わってるの?でも、腹立たしいというよりは、うれしかった。彼らにそれだけの力が身に付いた、もしくはあったと実感することが出来たからである。私が日本に帰った後、この職場には後任は来ない。でも、彼ら自身でやっていく力があるのであれば、後任は必要ない。ここに新しい隊員を入れるのであれば、もっと必要な配属先はたくさんある。彼らには、彼らでやっていくだけの力が備わった。そう感じた一日であった。
Jan 15, 2005
夕方、首都マナグアにあがる。理由は、昨日の携帯電話ケーブル探しの続き。「Bellsouth」本店はマナグアにあるので、本店の技術者とあらかじめアポを取って、出かけた。アポは4時の予定だったが、3時半に付いた。彼は会議中というので、本を読んで彼を待つことにした。それにしてもスゴイ来客数である。みんなBellsouthの顧客である。中米、いや中南米最貧国と言われるニカラグアだが、こんなにも携帯を持っている人がいて、こんなにも流行っているのは、なんか不思議な気がした。4時15分に現れた技術者に、携帯接続ケーブルを見せたところ、やっぱりケーブル先のピンが折れて壊れているとのこと。今は在庫がないので、新しいケーブルは1ヶ月後になるとのこと。仕方がないので、契約中のインターネット接続サービスを停止してもらった。私にしてみれば、この壊れたケーブルNokia DKU-5 USB Data Cableは不良品であると思う。使用してたった2ヶ月で壊れたし、ピンが非常に繊細である。技術者に聞いてみると、同じ症状で壊れた客はここニカラグアだけでもかなりの数という。技術者に、こっちの携帯の方がケーブルの構造は良いよと勧められた。その携帯は、「京セラ」製であった。おお~さすが日本のメーカー。接続口にピンが無く、壊れないような構造になっている。それに差し替えNOKIAめぇ~!!こちらでは日本製はかなりの信頼がある。例えば「車」。走っている車のほとんどが中古車であるが、日本車、韓国車、アメ車などいろいろである。タクシーの運転手といつも車のメーカーの話になるのだが、たいていHUNDAIやKIAなど韓国メーカーの車は、よく壊れるという。それに比べ、NISSANやTOYOTAはよく長持ちし、少々他のメーカーに比べて高くても、トータル的に見ると、中古車市場では日本車一番!なのだそうである。そんなことを言われると、別に自分が車を作ってる訳じゃないが、なんかうれしかったりする(^^ゞせっかく携帯インターネットを手に入れたのに、NOKIAのせいで、しばらくはケーブルが手に入らなさそうである。あ~。京セラにしとけば良かった。日本バンザイ!
Jan 14, 2005
現在携帯インターネット契約をしている。月額39.99ドル+15%税金で、1ヶ月携帯接続でのパソコンインターネットし放題である。その携帯とパソコンを繋ぐUSBケーブルが壊れた。「Nokia DKU-5 USB Data Cable」というケーブルで、46ドルもした。たった2ヶ月で携帯接続側のピンが欠けてしまった。これではインターネットが出来ないので、私の任地「レオン」から一番近い代理店が「チナンデガ」にあるとのことなので、その代理店に出かけた。行きのバスの中で、隣の学生が話しかけてきた。彼はチナンデガに住んでおり、今年の2月からレオンの大学に通うとのこと。日本文化に興味があり、「盆栽」とか「自動車工場」についてなどいろいろ質問してきた。気軽に話しかけてきてくれるところが、ニカラグアの良いところだったりもする。彼とはメールアドレス交換をして、その後交流が続くこととなる。さて、携帯電話会社「Bellsouth」の代理店に到着。しかし、残念なことにこの代理店にはケーブルを置いてなかった。昨日カスタマーセンターに電話した時には、「置いてます」って言ってたくせに…。そんなところもニカラグアである。こんなことで一々腹を立てていたら、この国ではやっていけない。もう慣れてしまった。初めの頃は、事ある毎に腹立てて力説していた。この国はこれじゃ発展しないよ。と思いながら…。でも、この国はそういう風習なのである。諦めているわけではない。ただ、そういうものなのである。一々腹を立てていたら前に進まないのである。でも、常にこうしていって欲しいとは思っている。今回の「チナンデガ」へのケーブル探し。代理店に物は無かったが、バスの中で学生との交流があった。ケーブル以上に、私には意味のあるもの。物よりも人である。
Jan 13, 2005

今回の旅行もいよいよ最終日。朝7時。El CastilloからSanCarlos行きの船に乗る。 船には同じ宿に泊まっていた20人くらいの医学部学生達も乗っていた。この学生達。英語を話すのでニカ人ではなさそうであるが、とにかく昨晩騒ぎまくってうるさかった。あまりのうるささに、えっと…英語で「黙れ!」って何だっけ…「シャラップ?ビクワイエット?」と考えているうちに、寝てしまった(>_
Jan 11, 2005

今日の目的地はEl Castiilo(エルカスティージョ)。訳すと「城」である。昨日から泊まっているホテルは、El Castiiloまで船で約30分の場所に位置する。朝起きてホテル内を散歩したら、飼っているヒョウ?がネズミと格闘していた。(これはバナナの花。こんな風に実がなります。) (きれいな花?実?)El Castiilo行きの船が10時に通るというので、朝起きてから馬に乗ることにした。馬乗りはニカラグアでは数回目。ジャンケンで好きな馬をゲットする。私は白い馬。早速乗って、近くの村へ。地面が湿っていて、山道なので馬達は行きたくなさそうだったが、ま、そこはあえて…。1時間くらい散歩をして、帰り道を下っていたら、私の馬がズッコケた。私の馬は賢かったが、足下が悪いのと急斜面で転んでしまった。もちろん私もズッコケる。幸い馬の下敷きにならずに済んだが、ズボンはドロドロになった。 (このホテルは川の流れを利用して発電していた)乗馬を終え、10時半、船でEl Castiiloを目指す。El Castiiloは小さな村であるが、穏やかな村で、日本の古い温泉街のような街並みである。早速今日の宿「Albergue」一泊15ドル(朝食込)を確保し、 昼ご飯を食べに言った。お昼は、このRioSanJuan(サンファン川)で捕れるという名物「Camaron(エビ)」である。「Langostar(伊勢エビ)」じゃないの?って思うのだが、地元の人曰く、Camaron(エビ)だそうである。デカイっ…。でもぷりぷりっ…。生で食べられないのが残念であるが、エビ・エビ・エビで大満足であった。(街並み)その後、最終目的地の「El Castiilo」へ。入場料は、外国人は3ドルだが、私達はニカラグア在住なので、現地人価格12コルドバ(1ドル未満)になった。ここで…また昨日のスイス人一行と出くわした…(@_@)あちゃぁ~。さて、ここEl Castilloはニカラグアがスペイン人の植民地時代だった時に、外国からの攻撃を防ぐ砦(城:El Castillo)であったという。またこのような砦は、中米に約7つほど点在するとのこと。 このEl Castiiloは世界遺産にはなっていないが、世界遺産に値するのではないかと私は思う。ニカラグアには唯一の世界遺産「Leon Viejo(レオンビエホ)」があるが、これって私にしてみれば全然価値がない。むしろEl Castiiloや、私の任地レオンのカテドラルの方が価値があると思う。このEl castilloには2時間ほどいた。ここからの眺めが特に良い。落ち着くのである。El Castiiloの側をRioSanJuan(サンファン川)が流れ、そこを船が行き来する。 ずっといるだけで落ち着ける場所である。 El Castiiloを見た後、町を散歩した。 町の人は穏やかで、みんな「Buenas(こんにちは)」と挨拶を返してくれる。「Chino!(中国人)」なんて言う人はいないし、いつも接しているニカラグア人の気質ではない。 環境が穏やかだと、人も穏やかになるのだろうか…。その後、船着場に出かけた。 子供達が自然と集まってきて、彼らと遊んだり話したりした。 晩ご飯は、やはり「Camaron(エビ)」。デカイ、うまい。満足。
Jan 10, 2005

朝、泊まっているMancarron(マンカロン島)の村落を散歩。 ここの島はArtezania(民芸品)を売って生計を立てている家が多く、村のほとんどがArtezaniaを売っていた。 最近出来た小学校を訪れた。平日は小学生への授業、土日は中学生への授業を行うらしい。 さて、今日は日曜日。SolentinameからSanCalrosへの交通機関は、土、日、月曜は無いとのこと。ホテルの人と交渉して、1人300コルドバ(2100円)で船に乗せてもらうことにした。平日ならば1人35コルドバ(250円)で行けることを考えると、ちょっと納得いかない金額であるが、この島に火曜までいるつもりもないので、300コルドバ払うことにした。湖は荒れてて、SanCalrosまでの小船は結構揺れた。全身びしょ濡れ(>_
Jan 9, 2005

ニカラグア国内旅行2日目。朝起きて、現在いるSolentiname(Fernando島)を散歩する。Solentiname(ソレンチナメ)は、Primitivistaという特殊な画法の絵が有名な島群でもあり、特にこのFernando島には多くの絵描きが住んでいるらしい。この島に博物館があるというので、そこまで歩くことにする。Solentinameは豊かな自然と湖に囲まれているせいか、人も太平洋側の人とは違い、穏やかである。途中、船を作っている老人にあった。 彼はずっとここで船を作っているという。この船はたいてい1,2人用で、近くの島に行くための船。自転車感覚みたいなもんだろうか。絵描きの女性の家を訪問した。家の家事をしながら、合間を見ては絵を描いているとのこと。彼は亀の首飾りを作っている途中だった。バサロという軽い木をナイフで削って形にしているという。博物館の手前に、文化センターがあったのでそこに立ち寄った。数人のボランティアが、子供達と遊んでいる最中だった。この文化センターでは、画家達の絵を展示・販売していた。どれも細かい技法で、Solentinameの自然を描いている。 友人は絵を2枚購入した。1枚だいたい40ドルから150ドルくらいである。博物館に到着。 博物館では、Solentinameの自然について説明資料が展示されていた。この湖には、ノコギリの様な歯を持ったサメがいるらしい。 どうやって餌を食べるんだろう…。宿に戻って、次の島Mancarron(マンカロン島)に行くことにした。泊まっていた宿の青年が次の島まで連れて行ってくれた。彼が知り合いの宿に連れて行ってくれた。3食付きで1泊1人30ドル。 ここの建物は昔は大学だったらしい。サンディニスタ政権が崩壊後、しばらくそのままだったが、ホテルとして再会しているとのこと。そうそう、Solentinameには電気が通ってないので、どこの家でもほとんどソーラー発電を使っている。 こんな所は日本よりも進んでるかもしれない…。この島にはちょっと変わった教会がある。 教会のしきたりに従って建てられていないので、立て直せとの声もあるみたいだが、彼らは彼らの文化を守っているようだ。この島には、この島に初めに住み始めたErnestoCardenalという有名な画家・作家が住んでいるという。彼の家を訪ねたが、残念ながらマナグアに出かけたとのことで会えなかった。 落ち着いた島でこの日はのんびりと過ごした。 有名人たちが、公園内の石の下に眠っている
Jan 8, 2005

いよいよニカラグア内旅行出発。今回はSanCalros、Solentiname、El Castilloをまわる。 友人は体調が回復しないので、今回は残念ながら3人で行くことにした。女+女+私(男)の3人である。でもまぁこの女性軍。非常に頼りになるので、男3人といったところだろうか…。本当に協力隊員に来る隊員は個性が強いが、特に女性陣は自分の意見をしっかり持って言える人が多いので、こちらとしてもつきあいやすいし頼りになる。とりあえず空港へ。昨日であれば、船で行く手もあったのだが、今日は飛行機のみの運航。首都マナグア-SanCalros間往復US80ドル。12人乗りのセスナは、私達を含めて5人であった。上空から見るニカラグアの景色は綺麗だ。(地上にいると、ゴミばかりが気になる…) ふと操縦席を見ると、副操縦士が寝ていた…。おい…。しかも、離陸してから着陸する寸前まで…。右の奴、寝てます…。 ま、いっか…。ニカラグアだし…。そんなところが「ニカラグアだし…」で許されるのが、ニカラグアである。(こんなの日本で発覚したら、操縦士、速攻首だろうなぁ…)そうこうしているうちに、マナグアからニカラグア最大のニカラグア湖を超えて約40分。第1の目的地「SanCarlos(サンカルロス)」に到着。 ここはニカラグア湖とカリブ海に繋がるRioSanJuan(サンファン川)が合流する地点である。 SanCarlosは見所がなく、夜になると虫が大量発生するらしいので、さっさとお昼ご飯を済ませて、 第2の目的地「Solentiname(ソレンチナメ)」に行くことに。「SanCalros」から「Solentiname」へは船で行くことになる。 波止場で遊ぶ子供達もうSolentiname行きの船はなかったので、Solentinameにこれから帰る個人船の人と交渉して1人100コルドバ(700円)でSolentinameへ。船に乗ってた少年はゲームボーイに夢中そしてその少年、携帯カメラで私達を撮った。金持ち…。Solentiname(ソレンチナメ)は大小様々な島から構成されるが、私達は、ちょうどその船に乗り合わせた青年のお母さんが経営しているHotelに泊まることにした。一泊3食付きで1人US25ドル。 電気のないこの島では、星空が綺麗だった。こんな綺麗な星空は、スウェーデンで遭難した時以来かなぁ…。ジャンケンで負けた私は、この夜、大きな一つのベットの真ん中で、女性2人に挟まれて眠りについた…(>_
Jan 7, 2005

今日からニカラグア内旅行(SanCalros、Solentiname、El Castillo)に出る予定だったが、一緒に行く友人が体調を壊しているため、一日出発を遅らせて様子を見ることにした。そうなると一日暇になる。何しようかな…と思ってたら、友人隊員がケーキを作るという。この隊員。自動車整備の男性隊員である。とても料理がうまく、昔洋食屋で働いていたそうである。つきあっている彼女が今週末誕生日ということで、彼女へケーキをプレゼントするらしい。それで今日がケーキの練習日2日目だそうである。いろんな隊員がいるもんである。俺が、「苺のショートケーキが食いたいっ!」と言ったので、今日のお題は「苺のショートケーキ」苺のショートケーキなんて、ニカラグアで目にしたことなんてない。ニカラグアで売っているケーキ。全部甘過ぎで、食べれません!デコレーションは、水色、黄色、ピンクなど考えられない派手やかな色で飾られ、食べる気をなくす。で、早速友人と買い物に行って、ケーキ作り開始。といっても、私は見てるだけ…。かと思ったら、生クリームを泡立てろとの命令。先日捻った手首がまだ痛いが、ボールに入った生クリームをシャカシャカと泡立てる。う~ん、なかなかホイップクリームへの道は遠い…。まだ?まだ?短距離派の私としては、スタミナ切れである。友人:「マッチョ(私のことらしい)なのに体力ないなぁ~」私:「マッチョは持久力がないんだよぉ!」泡立てること30分…。おっ、ホイップクリームっぽくなってきたか???と思ったら、急に生クリームが塊になり、バターに変化した。失敗である。何が悪かったのか?この後、3回もトライしたが(>__
Jan 6, 2005
夕方、首都マナグアに上がる。夜、同期隊員のご両親が夕食にご招待してくださった。友人のご両親と同期の隊員達と中華料理屋に出かける。中華料理屋まではタクシーである。マナグアは危険なので、ほとんど歩いて移動できない。日本でいうワゴンRタイプタクシーに5人で乗る。ニカラグアのタクシーは、メーター制ではない。交渉制である。外国人というだけで、どんでもない金額をふっかけてくる。なので、そこまでの距離と料金をだいたいわかってないといけない。更に1人あたりいくらという料金単位で、日本みたいに1台いくらではない。なので、1人15ペソだとすると2人で30ペソとなるのだが、そこは大人数乗れば乗るほど安くなる。1人15ペソだと2人で20ペソという具合に…。つまり、タクシー交渉はここでは「経験」と「忍耐」なのである。たくさん乗れば安くなるので、時には6人ってこともある。もう膝の上なんかに乗ることは日常茶飯事である。だから、このちょっと乱暴な乗り方に、友人のご両親は驚かれた様子であった(^^ゞ久々の中華料理である。いろんな料理を注文する。酢豚を注文したくて、漢字と格闘して注文したが、出てきたのは豚の耳であった…(>_
Jan 5, 2005

1月3日。日本はまだ正月三が日である。が、ここはニカラグア。今日から仕事始めである。私の配属先である市役所は、12/31の午後と1/1,1/2しか休みがないのである。日本よりも年末年始の休みが少ない。日本では、ラテンの人たちは働かないというイメージが強いが、こちらの人は、働く人は日本人よりもよく働く。しかも、残業手当なんて当然ない。私も通常通り出勤して、「Feliz Ano Nuevo!(新年おめでとう)」といろんな人と挨拶を交わす。そんなとき、市役所受付のおばちゃんに呼び止められた。おばちゃん:「ちょっと!!あなたその髪どうしたの?!」私:「染めてみました。どう?」去年の12月に一度髪を茶色に染めてみたが、(その時の日記「ショッピングセンターと髪染め」へ)年末の12月31日にもう一度茶色に染めてみたのである。今度はかなり目立つ。(一番左) おばちゃん:「あなた!この国で髪を染めるのは、女かCochon(コチョン)だけよ!」私:「えっ…(@_@)」Cochon(コチョン)。これは何を意味するか…。「オカマ」である。この国では、女性はオシャレとして髪をよく染める。しかし、確かに男性が髪を染めたのを見たことがない。混血なので、金髪の人とかタマにいるが、確かに地毛である。男性が髪を染めることは、この国ではまだオシャレという領域に入っていない。髪を染めるのは女性だけであって、それをやっている男性は、この国では「オカマ」のみであると…。ショック…。それでなくても、顔がChino(中国人)で目立つのに、髪が茶色かったら余計目立って、「俺はオカマだ!」って頭に看板下げて歩いているようなもんじゃん…。でも、後からわかったことだけど、そう言う考えをするのは、考えが狭い人だけであって、実際にはこの国でも男性がオシャレとして髪を染めることが、ここ最近流行ってきているそうである。良かった…。
Jan 3, 2005
昨日の久々の納豆に引き続き、今日は久々に風呂に入った。友人が借りている家を訪ねてみると、その家はなんと浴槽付きであった。隊員が普段住んでいる家には、浴槽なんてない。ニカラグアにはお風呂という文化がないので、いつもシャワーか水浴びである。私の家は、水シャワーなのでお湯のシャワーなんて恋しい限りである。熱いところなので、水シャワーで良いのではと思われるかもしれないが、こんな暑い国でも、少し気温が下がれば寒く感じる。そんな朝の水シャワーはつらい…。話は戻って、ずうずうしくも友人宅のお風呂を借りた。ぷはぁ~。湯船なんて何ヶ月ぶりだろう…。幸せである(^^)こんな気持ちいいものに毎日疲れる日本人は幸せである。ほんと。あまりに気持ちよくて長く入りすぎたせいか、お風呂に久々に入ったせいか、湯上がりに目眩が…(>_
Jan 2, 2005
開けました納豆おめでとうございます。なんて…。というのも、今日5ヶ月ぶりに納豆を食べた。ニカラグアに納豆は売ってない。納豆、オクラといったネバネバ系の食べ物は、ここニカラグアにはない。ないと余計食べたくなる。でも、ない…。そんなニカラグアに、友人のご両親が納豆を持ってきてくださった。しかも7つ。2泊3日でマンションを借りて生活していた私達は、元旦の朝、納豆ご飯をすることに決めた。ニカラグアで生で卵を食べるのは正直言って怖い…。でも、納豆には+卵である。お腹を壊したら、それはその時。それよりも、納豆の誘惑の方が断然勝っているのである。熱々のごはんに、納豆をかける…。最初はみんな遠慮がちにちょっとずつ…。う、う、うまい!このネバリとこの旨さ!幸せである。去年日本に一時帰国した時も、家に帰って真っ先に食べたものは納豆であった。なんでニカラグアには納豆がないんだろう…。こんなにうまいのに…。ニカラグアを挟む両国のホンジュラス、コスタリカにも売ってるのに。オクラはたくさん作ってるらしいが、全部輸出用で、スーパーで目にしたことはない。そして、納豆を食べた後のこの口のネバリ感。次はいつ納豆を食べることが出来るだろうか。たぶん、日本帰ってからだろうなぁ。
Jan 1, 2005
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