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家の両親は山登りが大好き。私も小さい頃からいろんな山に登ってたっけ…。そういえば、小さい頃「白山」に登って、頂上付近で気分悪くなったことを鮮明に覚えている…。さて、今日は両親が来月どこかの山に登るらしいので、その「足慣らし」ということで、島根県にある三瓶山という山に登ることにした。しかし…私「靴」がございません。表敬訪問のために帰ってきたので、革靴しかない…。で、母親の「23cm」靴が入ったので!それを借りて登ることにした。ここ三瓶山は、冬はスキー場になるので何度か来たことがあったが、ここで山登りするのは私は初めてである。「リフト」が動いていたので、頂上まで乗ることにした。片道「430円」。高っ!!!さぁ~て頂上に到着したのでこれで終わりか…ってな訳はない…。これからが登山である。ここから、標高1,126mの男三瓶を中心に、女三瓶、子三瓶,孫三瓶の四つの峰から成り立っているのである。本当に名前は面白い物で、男三瓶が一番高く、女三瓶が一番低い。男三瓶の次に子三瓶、そして孫三瓶と続く。とりあえず、孫三瓶から登ることにした。途中、山ツツジがとても綺麗だった。靴が小さいせいか、体力がないせいか、久々の登山はしんどかった…。しかも両親に荷物を持ってもらって、私は手ぶらにもかかわらず(>_
Apr 30, 2005
今日は一日、山側の家でゆっくり。夜ご飯を食べてる時に、両親から「結婚」の話を切り出された。確かに、30歳目前で「彼女」がいる身分としては、両親も気になるのは当たり前である。でも…まだ「結婚」はできません(>_
Apr 29, 2005
広島に帰省したのは、今日の「表敬訪問」のためでもある。本日の予定は、広島県庁→中国新聞取材→広島市役所→広島原爆資料館と4ヶ所を回る事になっている。県庁集合時間前に少し時間があったので、風邪薬を買うために「薬局」を探した。ない…。ニカラグアだと50m歩けば薬局が見つかるのに…。(あれはニカが異常すぎるのだが…)薬局発見。風邪薬…。うぎゃぁー!!なんでこんなに種類があるんだぁ!!多すぎ。しかも高すぎ。薬に迷ってたので、ちょっと遅れて県庁へ。ここで、広島出身同期ニカ隊員2名と広島出身同期フィリピン隊員1名そしてJICA関係者の方3名と合流。まずは「広島県庁 総務企画室 秘書広報総室」へ。応対していただいた総室長の方はすごく気さくな人で、公務員公務員してないのに驚いた。自己紹介や、自分の任地、仕事内容などをそれぞれ話した。総室長さんも"熱い"人で、大和戦艦のことや、戦争のことを熱く語ってくださった。時間を30分ほどオーバーし、次は「中国新聞社」の取材。ニカラグアで昨年8月に行った「広島原爆展」の取材と聞いていたので、待ち合わせの場所に出かけた。初めに、名前と生年月日を聞かれた。その中国新聞の記者は、30歳で若い。毎週日曜日に「ヒロシマを聞く」という連載記事を書いているとのこと。その「ヒロシマを聞く」は「若者が被爆者の体験談などを聞く」内容らしい。その中国新聞の記者は、その連載に出演する若者を探していた。今回の被爆者は「広島原爆記念資料館 館長」で、彼との対談とのこと。単なる若者ではつまらないので、そこで、その記者は「広島原爆展をニカラグアでやった私達」に目を付けた訳である。しかも、その「若者」という対象は「2005年8月6日現在で、29歳以下である」とのこと。つまり、その場にいるニカラグア派遣協力隊員3名のうち、僕ともう1人の男の子は対象外なのである。つまり「若者」ではないらしい。若者の資格を確認するために、新聞記者は「生年月日」を初めに聞いたのであった。「若者でない」私達には、もう用無しである。その後の話、打ち合わせは残りの一隊員と新聞記者とのあいだでとりおこなわれた。まぁ、もう少しで私も30歳になるので、それは認めなければいけない事実ではあるが、「ニカラグア原爆展」の取材と聞いていたのに、そのことにはほとんど触れられず、記事出演のための若者探しに使われたことが、なんか虚しかったと同時に、悔しかった…。別に新聞に載りたかった訳ではない。ただ、私達協力隊員@広島出身4人が力を合わせて広島原爆展を行ったことを、誰かに聞いてもらいたかった。メディアを通せば、たくさんの被爆者に知ってもらえるのではと期待していた。去年の8月に原爆展を行った時にも、中国新聞やNHKは私達とコンタクトを取ってきたが、結局、新聞の連載記事にもNHKの10分特集番組にも、私達の言いたいことは含まれていなかった。内容は、私達が期待していたことと180度違っていた。メディアは「使わなければ、使われる」そう思った…。そう思うと、TVや新聞のニュースや記事が、急に歪んだ物に見えた。
Apr 28, 2005
明日、広島県庁等の表敬訪問があるので、大阪から広島に移動する。普段は新幹線で移動することがほとんどであったが、時間があるので、今回はバスで移動することにした。 山陽道昼特急広島号JR大阪駅から広島バスセンターまで値段は片道5000円で、新幹線の半分である。車両も3列独立シートで、座席はほとんど2階席なので見晴らしが良い!1時間に一度サービスエリアに停車するので、気分転換できる!の良いとこだらけで、4時間半のバスの旅も、あっという間であった。ま、欲を言えば、このバスを予約する「発車オ~ライネット」ってのが使いにくいくらいかな…。広島に到着した私は、腹ごしらえをするため近くのカフェに。この日はAIDA with CAFEに入って、ランチを食べた。その後、GYMを終えた父と待ち合わせ、今日は呉の方の家に帰った。呉の家は、1年半前に私が一時帰国した時にはリフォーム中であったが、すっかりリフォームを終え綺麗になっていた。駐車場には車が3台止められるようになっていたが、既に車3台で一杯の模様(^^ゞ姉の子供(3歳)に再会!この前見た時はあんなに小さかったのに、すくすく成長している姿が伺えた。
Apr 27, 2005
午前中、眼科に出かける。午後は「住友病院」という大きな病院に出かける。この病院、超でかいし綺麗である。2年前にこの病院で手術を検討していたので訪ねたが、結構いろんな事がシステム化されていて驚いた。支払いなんて、もう自動支払機で払って終わりである。(ニカ人だったら払わずに帰るだろうな…こんなシステムだったら)さて、この住友病院にはお昼の2時に行って下さいと眼科の人に言われたので、2時に出かけた。受付番号「805」番をもらい、順番を待つ。眼科入り口の所に、現在何番の人が診察中かが液晶で表示される。3時半…。1時間半も立つのに、私の番号「805」は一向に現れず、まだ「801」である。あまりにしびれを切らして受付に行くと、あと1時間はかかるとのことだったので、カフェに行くことにした。この住友病院の周りには、昔出かけていたお客さんの会社があった。カフェを探しながら歩いていると電話工事をしていた。看板にはそのお客さんの会社名が書いてあり、なんか懐かしくなった。時間もあるので、江戸堀や堂島をぶらぶらと歩いた。2年間で変わってるようで、街はあまり変わってなかった。4時半過ぎに病院に戻ると、やっと自分の番が回ってきた。約3時間も待っての診察。手術日は8/26に決まった。もっと早く私としては手術したかったのだが、8/26まで一杯とのこと。いやぁ~待ってる人がそんなにいるのか…。日本は患者大国なのだなぁ~と感じた。3時間待たされても患者が何も言わない日本なんて、なんか幸せなような不幸せなような、不思議な感じがした。GYMに行こうかと思ったが、あまりに疲れたので早めに家に帰った。
Apr 26, 2005
日本に帰ってきて一週間が経つ。<日本食> ・何食ってもうまい! ・種類も豊富! ・健康的<ニカ飯(ニカラグアご飯)> ・おいしいものを探すのが大変! ・種類が少ない ・油の取りすぎて不健康!ってな具合で、日本食バンザイである。久しぶりに、昔通っていたスーパー「イズミヤ」に出かけた。う~ん(^^)綺麗な店内。食材が綺麗に並べられていて、色合いも綺麗である…。が。値段を見てビックリ!50m先の別のスーパーや、八百屋と比べて全体的に値段が約1.5倍はするのである。高っ!でも、協力隊に行く前の会社員時代は、しょっちゅうこの「イズミヤ」を利用していた。あまり金額的には気にしていなかった。種類が豊富で、「鮮度」が良ければVale la pena(価値がある)と思っていた。価格が高い→「良い物」と思っているところがあった。いわゆるブランドである。しかし、今は「食べれればそれで良いのでは?」と思うのである。鮮度なんて、日本は一般店でも良すぎるくらい良い。賞味期限過ぎても「食べれます!」ニカラグアなんて本当に適当…。今買った牛乳に、ヨーグルトのような物が浮いてるのもしょっちゅう…。食べ物までもブランドにこだわっていた自分がいた。異国文化を体験することで、自分の価値観が変わっていることに、いろんな場面で気づくことが多い。
Apr 25, 2005
ニカラグアから持って帰ってきた衣服を納めるため、家の衣服の整理をしていた。自分の服を見て驚いた。スーツがずらっと10着。カッターシャツが20枚。誰の?一瞬わからなかった。間違いなく自分のスーツとシャツである。しかも全部ブランド物。はぁ?俺、こんなもの買って着て会社に通ってたのかぁ…。驚いた。と同時に、なんでこんなものにこんなにもお金をかけてたのか不思議だった。たぶん自分の「価値観」が、ニカラグアに行く前と行ってからで変わったのだと思う。ニカラグアに行く前は、ブランドのスーツ、シャツ、靴、カバン…。それらで身を固めていた。なんだろう…。自分に自身の無かった現れなのか、物欲へのはけ口だったのか…。今は、確かにお洒落したい気持ちが無い訳ではないけれど、服は着ることが出来ればそれでいいのではと思う。日本は街に出れば、20万もするカバンを平気で持っている女の子や、30万もする腕時計を着けている会社員がいたりする。それがいけないという訳ではない。それはそれでその人の楽しみであるのかもしれない。でも、今の私には「その価値」を理解することが出来ない。その人が身につけている物よりも、その人自身にどんな魅力が潜んでいるのか。その人の人間性の方が、よっぽど魅力的である。
Apr 24, 2005
今日は眼科に行くために、大阪市内に出かけた。眼圧や視力の検査を受け、診察を受ける。いやぁ~日本の病院は応対が良いが、丁寧すぎるくらい丁寧で、ちょっと大げさすぎる。少しのことで、「すいません」「ごめんなさい」の連発である。ニカラグアと正反対。ニカ人は逆に自分が少しくらい悪くても、「ごめんなさい」なんて言わない。「謝る」ことに対する国民の意識の差異を感じた。そんな私も、数年前までは「すみません」なんて連発してたが、軽い気持ちで使っていたような気がする。さて、精算。現在は、国民健康保険なので負担額は「3割」。「3800円になります」えっ…。高っ…(>_
Apr 23, 2005
朝3時目が覚める。時差ボケだ。お腹がすいたので、朝ご飯を作る。具だくさんのみそ汁と、ご飯、納豆、焼き魚に漬け物。いやぁ~日本の食卓は具たくさんである。ニカラグアでは、朝パン2枚とコーヒー牛乳だけだった(*_*)白いご飯だけでも日本米はうまい!味があるし、つやつやしている。ニカ米と言えば、パサパサしてて油で炒めるのでべっとり…。さてさて、メールチェックしていると父親からメールが来ていた。「大阪に来ています。連絡下さい」と…。えっ!?大阪来てるの?ちょっと驚いた。私の大阪帰国に会わせて、広島から大阪に出てきてたらしいのだ。しかも今日の朝帰るとのこと。さすがに朝の3時には起きてるとは思わなかったが、携帯にメールを打っておいた。「あとでホテルに電話します」と…。眠気が襲ってきて、再度眠る。目が覚めると「朝9時」。ゲッ。急いで両親が泊まっているホテルに電話をする。が、既にチェックアウトしたとのこと。携帯に電話するとこれから新幹線に乗るとのことだった。ごめんなさい、せっかく大阪まで来てくれたのに、ちゃんと連絡してなくって…。無駄な大阪旅行になっちゃったのでは…。電話(固定・携帯)電話がないと、なかなか連絡が難しい日本。携帯電話買おっかな…もし気に入ったらクリックお願いします!
Apr 22, 2005
大阪帰国後、一夜明けて…。今日は役所に手続きに行かなくては…。やることはまず、 1,住民票の転入届 2,国民健康保険の加入 3,国民年金の加入 4,運転免許書の更新 5,雇用保険の申請の5つ。とりあえず、1,2,3を行う為近くの役所に行く。住民票の転入には、まず海外にいた証明として、パスポートの「日本への帰国日」が必要になる。私の場合は、日本への帰国は4/17であったため、届出日が4/21であっても「異動日:4/17」となった。これで1,住民票の転入届は終了。次に2,国民健康保険の加入協力隊に行く前は、NTTの健康保険に加入していたので、国民健康保険に新たに入る。「月5610円」らしい。こうしてみると高い。会社が払ってくれてた時は、何も考えていなかったが…。保険証の仮発行を受けて、2,国民健康保険も終了。次に3,国民年金これには全然馴染みがなかった。勤めている時は厚生年金だったので、国民年金を気にしたことがなかった。20歳から22歳までは学生だったが、免除申請をしていなかったので、ここは未納となっていた。聞くとこによると、年金に関してはまだ先だが、「障害年金」について気を付けなければいけないらしい。障害に関する初診を受けた際に、国民保険を納めなければ行けない期間のうち「3分の2」を納めていないと、障害年金を受けれないそうだ。知らなかった…。幸い私の場合は2/3クリアーしていた。ちなみに、私は去年一昨年と海外にいたのであるが、その間は空期間として、「納めた期間」に含まれるそうである。納めてないのに加算されるのはラッキーである。更に、去年の所得はゼロなので、今年の国民保険の免除が受けれるとか。これで3,国民年金も終了。いやぁ、日本で手続きをすると直ぐに終わってしまう。日本人は仕事が速い!!これをニカラグアでやると、「何時間」いや「何時間」かかるだろうか…。それにしても、1,住民票届のあとに、2,国民健康保険 のカウンターに行った際に、もう既に「転入届」のデータが入力済みで出てきたのには驚いた。当たり前だが、コンピュータシステムってすごい…。ま、私もそんなシステムを作ってたのですが(^^ゞ市役所業務終了!4,運転免許書の更新については、もう既に協力隊に行く前に更新済みだった。平成19年まで。5,雇用保険の申請については、協力隊派遣証明書がないとダメらしいので、その証明書のJICAからの到着を待つことに。
Apr 21, 2005
JICA帰国研修3日目(最終日)。この日は4限に渡って「キャリアパス」に関する講習を受けることが出来る。内容は、自己分析、ハローワークの使い方、国際関連就職情報、UNVボランティア制度など。私は4コマとも講義を受けたが、どれも実のある内容であった。昼食は、同期隊員と寿司屋に。いやぁ~寿司もうまい。値段も考えず、バクバクと食ってしまった(*_*)午後3時前、研修終了。他国の隊員達と別れ、ニカ隊員で駅へ。それぞれ、東京に残って友人に会う日と、彼氏の元へ行く人、帰省する人など…。名残惜しかったが、夕方の新幹線で大阪へ帰ることに。品川駅に新幹線が止まるようになり、便利になったものだ。大阪に着くと、ちょうどビジネスマンで電車が混み合っており、ちょっと気持ち悪かった。しばらくは、この満員電車にも乗れないかも…。8時過ぎ到着。ニカラグアとメキシコから送った荷物が既に届いていた。
Apr 20, 2005

帰国研修2日目。今日は午前中、新宿三井ビル4階で健康診断。宿泊している日本橋のホテルから新宿へ。地下鉄はすごい人で気持ち悪くなった…。新宿から歩く歩道で都庁方面へ。いやぁ~日本人歩くの速いです(@_@)エスカレーターの上を更に高速で歩くんだもんなぁ…。結構なスピードでてます。はい。朝8時半に到着し、たんたんと検査項目を受ける。採血は4本も取られた(*_*)協力隊員に参加することで克服できたことの一つに、この「採血」がある。行く前は、採血中に倒れることが多かったが、さすがに派遣前研修に11本も予防接種を受け、倒れることもなくなった。しかも、日本の看護婦さんは注射上手いし、みんな愛想がいい。日本の企業、店など何処に行っても本当に対応がよい。本当にすごい。さて、同期のニカ隊員も同じ時刻に終わったので、朝食を食べに行く(健康診断の為朝食抜きだったので)。定食屋に行くが、たくさん選べるしなにしろ美味い!!そのあと街をぷらぷら…。生まれて初めて「マンガ喫茶」なるものに行った。インターネットをしたかったからだ。(携帯持ってないし…)1時間190円で飲み物も飲めるし、コストパフォーマンスは良い。でも、タバコの煙で喉が痛くなった。本当に日本人はよくタバコを吸う。ニカラグア人は吸いたくても、高くて吸えないのだ。日本に帰ってきて嫌なことの一つに、周りでタバコを吸われる環境が増えたことがある。さて、午後3時からJICA本部で「帰国報告会」なるものがあった。これは、国担当やJICA職員に対して一人20分程度で自分の2年間の活動を報告するものである。私もお決まりのように20分間報告したが、納得いくものではなかった。JICA内のシステム「広域研修制度」や「任期延長」について問題点を取りあげたが、あまりきちんと相手にしてもらえなかった。まぁ、こんなことに時間を割くのも無駄かと途中から思い始め、途中から諦めて話を聞いた。JICAは独立行政法人になったものの、まだまだ「お役所」部分であるところは非常に多い。JICA本部と現地JICA事務所の相違も結構ある。まぁ、5時くらいにその報告会も切り上げて、5時半、ニカ隊で飲みに行く。私たちニカ隊同期(14-3)は全9名。1名は1ヶ月遅れて着任したので、1ヶ月遅れて帰国。なので、日本に今いるのは8名。1名は既に福岡に帰ってしまったので、7名で久々の再会。居酒屋に行って飲む。いやぁ~何食っても美味いです、日本食。しかも、良い仲間と食べる美味いご飯は最高です。 楽しかった2年間。そしてこの仲間がいたから、私は2年間頑張ってこれたのだと思う。ありがとう、みんな!!!
Apr 19, 2005
今日は東京は寒い。といっても、今まで暖かいところにいたので、この寒さは、私には余計寒く感じる。今日は、帰国研修があるので、広尾のJICA研修所に向かう。地下鉄に乗るが、あまりの人の多さに気持ち悪くなる。自分も日本人だが、たしかにみんな同じ顔に見える。男性は、みんなスーツを着て、黒ずくめてある。広尾の連絡所では、昨日日本に帰国した約70名との再開。みんな変わってるようで、変わっていなかった。外見は。中身はきっとすっごく変わってると思う。帰国オリエンテーションは3日間行われる。今日は、外務省からの表彰式や、資料の提出、日本の2年間の経済動向などの講義があった。久々に再開した友人たちと飲みたい!のであるが、明日健康診断が控えているため、今日は飲めない…。ホテルに戻り、夕方東京の友人と会いご飯を食べる。夜11時半、屋上の大浴場にでかけ、12時部屋に戻ると、部屋の鍵が開かない。ここの鍵は、タッチセンサーのカードを使用しているが、それが機能しないので、フロントから別のカードを持ってきてもらうよう頼んだ。15分も待たされ、カード側の異常ではなく、ドア側の異常であるらしい…。ちょっと俺廊下で待たされて湯冷めしちゃうよ…。マスターキー(カードキーではなく、ちゃんとした鍵)を持ってくるので、もう少しお待ちくださいと…。待たされ、さらに15分。部屋が開いた。もう30分近くも廊下に立たされまくって、身体は冷え切っている。担当者いわく、部屋を替われと…。はぁ~。俺荷物たくさんあるのに、この荷物全部移動するのかよぉ~。しかも私が泊まっていた10階から13階へと。最悪…。なんか気分悪いまま、別の部屋で休んだ。
Apr 18, 2005
ロスアンゼルスから10時間のフライト。昔は10時間でも平気で乗っていたのに、今回のフライトはつらかった。予定より30分遅れ午後4時半成田空港到着。予約していた日本橋のホテルに向かう。今回予約したホテルは、APAホテル日本橋駅前4/14にオープンしたばかりだ。成田空港から一回乗り換えはあるものの、便利な場所にあるし、なによりも大浴場!これが私には何よりも魅力的!価格もオープン記念で6800円だった。ふぁぁ~。久々のお風呂…。幸せである…。あ~日本人でよかった…。極楽極楽。
Apr 17, 2005
4/16朝起床。マイアミ発8時のロサンゼルス行きに乗るため、泊まっていたユースホステルを6時に出発予定にしていた。5時半に起きればいいかなと、携帯の目覚ましをかけて、5時半起床。荷物を準備してさぁ出発と思い、腕時計をはめる。えっ…???7時???6時じゃないの???げっ、やばい。私の携帯は、前滞在地メキシコ時間に合わせてあり、マイアミはさらに1時間早いのに直してなかった。だから、実際に私が目覚めたのは5時半ではなく、朝の6時半だったのである。やばい!フライトまであと1時間も無い。急いでユースホステルをチェックアウトし、タクシーで空港へ。28ドルもかかったが、そんなこと言ってられない。相変わらずアメリカン空港のチェックインカウンターは長蛇の列。チェックインしたときには7時半。フライトはもう閉まっちゃったから、荷物は機内に持って入ってくれと言われる。これまた長ーいセキュリティチェックを受け、やっと飛行機に間に合った。ロサンゼルスまで約5時間半のフライト。5時間半のフライトなのに、機内サービスは2回の飲み物のみであった。ほんとアメリカン航空ってケチい。あっ、そういえば私のリュックの中には、カミソリとか入ってるんだよなぁ~。アメリカのセキュリティってほんと大丈夫なの???ロスアンゼルス10時半到着。東京行きのフライトまでまだ2時間あるので、一度外に出てから、チェックインカウンターで荷物を預ける。一度外に出たので、もう一度セキュリティチェックを受けなくてはいけない。これまた長蛇の列。1時間は待っただろうか…。さて、東京行きのフライトに乗り込む。ここで、ニカラグアの同期隊員と再開。前方の席で、エコノミーよりは少し広めの席で、機材も777だったので快適だった。でも、やっぱご飯の量が少ないなぁ…アメリカン。
Apr 16, 2005
長かったようで短かったような2週間の帰路変旅行。今日が最終日のマイアミ。ちょっと遠出して、隣町まで。詳細は後日書くこととして、明日16日朝8時のアメリカン航空でロサンゼルスを経由して、東京へ。東京には17日夕方4時到着。その後3日間東京で研修。1年5ヶ月ぶりに日本へ!!
Apr 15, 2005
朝7時半起床。ニカラグアとマイアミは2時間時差があるので、今は5時半。まぁ、いつも5時半に起きていたので、体は正直である。というかすごい。同室のアメリカ人学生は当然まだ眠っている。そりゃぁ朝4時まで遊んでたら、眠いわな。私は準備をして、とりあえずフロントにいってもう一泊延泊をお願いする。このままアメリカ人学生がいるのであれば、ホテルを変更も考えたが、彼らは今日帰るらしいので泊まることにした。さて、午前中はビーチ!マイアミビーチにいるのに、ビーチに行かない手はない。マイアミビーチ。アメリカの海だからどうせ汚いんだろうなと思ったら、これがきれい!!透明度も良い。カンクンに負けておりません。カンクンまで行く時間をかけるんなら、俺はマイアミビーチのほうがお勧めかな。物価も同じくらいだし。適当なあたりに腰を落ち着けて、泳いだり、日焼けしたりしてゆ~っくり1日過ごしました。時計を見るともう夕方4時だったので、夕飯を食べにレストランへ。今回の旅行で一番豪勢な一食25ドル。ニカラグアのコルドバに換算すると約400コルドバですわ。いやぁ~びっくり。でも、ここはアメリカ。When in Roma, Do as the Romans do.中学校のとき英語の授業でならいました。「郷に入れば郷に従え」と。マイアミはスペイン語も英語も通じると聞いてたけれど、やなり私が日本人=観光客なので、英語で話しかけてくる人が100%。でも、スペイン語のほうが話しやすいのでスペイン語で話すと、ちょっと驚いた顔をするのが不思議でした。さて、ご飯を食べ終えて、マイアミ市内にバスで向かってみました。夜の7時。マイアミ市内は車しか走ってなく、人通りゼロ。あっ、ここはアメリカでした…。アメリカの町は、だいたい中心部は夜には換算としちゃうんだった…。危ない危ない。すぐにバスで引き戻し、マイアミビーチでまたぶらぶら。今回2年ぶりにスタバのコーヒーを飲みました。でも、スタバのコーヒーより、やっぱりニカラグアのコーヒーのほうがうまい!と思った今日この頃でした。
Apr 14, 2005
朝7時起床。8時、宿を出て空港へ。アメリカン航空11時発「マイアミ」行に乗る。いやぁ、私の前の席のおっちゃんが、ラジオのDJなのか何なのか知らないが、搭乗の時からず~っと話してうるさいので、席を変わった。さて、映画が上映されるとのことでヘッドホンが配られてたが、「いる?」と聞かれたので手に取ると、「5ドルです」と言われた。すごい…。ここまで経費削減ですか…。映画も見れませんでした。昼食サービスとのことでしたが、小さなサンドイッチがひとつ。--------ここから追加で--------------ということで、アメリカン航空だけではないのかもしれないが、かなり航空会社の経費削減が伺えた。お酒類も5ドルだし。4/16には、マイアミからロス経由で日本に帰る便は「アメリカン航空」だが、この太平洋線もヘッドホン5ドルだったらつらいなぁ…。さて、マイアミ空港到着。相変わらず待たされるアメリカの入国。何度か以前に入国したことがあったが、昨年から?入国時には指紋(両手)と顔写真を撮られる。空港から予約したホテルまでシャトルバスで15ドル。私が予約したホテルはClayHotel(クレイホテル)。ホテルといっても、私が泊まるのはユースホステル側で、一泊20ドルちょっと。でも、メキシコに比べるとかなり高い…。6人用のドミトリーだったが、部屋に入ると、床が荷物だらけ…。アメリカ人の学生が占めていたが、散らかし放題ですわ…。設備はきれいだが、散らかしまくって荷物の置き場もない。早々、荷物を置いて外に出る。リンカンロードと言われるおしゃれな通り等を散策。でも、なんか無機質で購買意欲がわかない。ま、それでも久々にGapのお店などに入ってみた。夜10時には部屋に戻って寝ようと思ったが、アメリカ人の学生がうるさい!11時ごろ出て行ったが、朝4時ごろ戻ってきて(なにしてたんだか…)また騒いでた。これだからドミトリーは嫌だ。
Apr 13, 2005
朝5時半起き。宿をチェックアウトして、タクシーを拾う。メリダの空港は市内から離れているので、80ペソくらいと聞いていたが、運良く40ペソで行ってくれるとのこと。空港までは約20分。AVIACSAというメキシコの安い航空で、メキシコシティまで。7時45分発で、10時ごろメキシコシティ到着。荷物を預けていたが、リュックのいたるところのチャックが開いていた。幸い貴重品は入れてなかったのだが、安い航空会社だとこういうことがあるのかぁ…。さて、空港から「サンフェルナンド館」に向かう。ドミトリー(7ドル)があいていたので、1泊することにした。シウダデラ市場にシルバー製品を探しに行ったが、良いのがなかったので、サンファン市場へ。手前の市場で、昼食を食べ、民芸品の市場に入ると、閑散としていた。ここで、シルバーの指輪(80ペソ)を買って、宿に一度戻った。PlayaDelCarmenからメリダの深夜バスが効いたのか、体の調子がずっと良くない。しばらく休んだ。夕方6時、ZonaRosaに出かけて、日本料理屋「東京」に入って、生姜焼き定食(110ペソ)を食べた。う~ん、満足。宿に戻ると、ボリビアの同期隊員に会った。他にも3人ほどいたらしいが、もう別の旅行地に出かけたとか…。少しばかりお互いの2年間の話をした。明日は早いので、11時には寝た。(案の定、この宿は11時以降も若者が飲みまくって非常にウルサイ!!!)
Apr 12, 2005
VaioC1 ga tuini kosyou.Tuzukiga kakemasen.Tohoho >
Apr 10, 2005
朝、泊まっていたホテル「MayaBric」をチェックアウト。前回泊まったときの受付のお姉さんがいて、あなたに贈り物があるのよと言って、20ドルくれた。割引してくれたとのこと。45ドルを40ドルにしてくれて、さらに3泊後、最後に20ドルくれた…。ありがたい…。さて、PlayaDelCarmenからカリブ海に浮かぶ島Cozmel(コスメル)に移動。高速船で40分。料金は片道90ペソ(900円)に値上がりしていた。ここコスメルはダイビングで有名な島。良いときは海の透明度が50メートルにも達するとか。ここコスメルも2回目。前回と同様、PosadaLettyという安宿(一泊180ペソ)に荷物を置いて、コスメル空港のアメリカン航空カウンターで、航空チケットの日付を変更。そして、午後からダイビングのあるショップを探した。言葉に特に問題はなかったが、信用がおけるショップにしようと、旅行の歩き方にも載っている「Dive HouXX」というショップに申し込んだ。機材込2タンクで87ドル。料金を払い終えてから、「フィエスタアメリカーナホテルに1時ね」と…。ええ~!!!ここのショップから連れて行ってくれるんじゃないの?!自分でフィエスタアメリカーナホテルまで行けってか?!しかも日本人インストラクターは午前中のみで、午後はいないとのこと。ま、それは仕方ないが…。渋々、ショップから10キロ先のフィエスタアメリカーナホテルまで、タクシーで60ペソ(600円)。往復でかなり高く付いた…。ホテル内にあるダイビングショップの支店で機材をあわせる。と、午前中のダイブから戻ってきたインストラクターの人に遭遇。なんと、私が以前コスメルで潜った時のショップ(今回とは別)の人だった。こちらのショップに移ってきたとのこと。少し話をして彼女とは別れ、ボートで出かける。このとき、安宿には金庫がなかったので、金銭類は「金額をチェックした上」全部リュックに入れて持ってきていた。ダイビングをする人は、全員アメリカ人。全部英語である。だからブリーフィング(ダイブの説明)も英語。英語わかんないよぉ~。スペイン語にして。1本目は流れの速いところでのドリフトダイビング。透明度は30メートルくらいかな。亀が見れた。2本目はリーフでのダイビング。コスメル特有の魚が何種類も見れた。ダイビングの点数的には70点。やっぱり、タヒチのランギロア島で潜ったときが最高だ。5時半に岸に戻って、機材を返す。タクシーで宿に戻る。宿に戻って、念のため財布のお金を数えてみる…。…。100ドル札が一枚足りない。何度数えても一緒である。考えたくないが、ダイビングの時にボートの上でリュックを手放した以外考えられない。ショック…。まぁ、考えても仕方ないので、盗られたもんは盗られたもんである。でも、そういうことやっちゃいかんよ。ダイビングショップの人~。もちろん私にも責任がある。きちんとリュックに鍵をかけてなかったので。でもねぇ…。「Dive HouXX」さん。こんなことがあったら、楽しいダイブも台無しですわ…。
Apr 9, 2005
今日は晴れてれば、PlayaDelCarmen側でダイビングをしようかなと思っていたが、朝から曇り空。午前中はゆっくり過ごす。お昼は昨日も行ったComedor(食堂)で食事。その後、アメリカン航空に電話してチケットの変更が可能かどうかを電話する。書いてあるフリーダイヤルにつながらない!!と思って、旅行代理店に聞いてみると、0(ゼロ)が二つ足りてないとのこと。アメリカン航空との電話で、散々待たされたあげく、110ドルの変更手数料を払えば、飛行機の日にち変更は可能とのこと。しかし!私のチケットは、今時ながら「紙」のチケットで、E-チケットではないので、変更するには、カンクンの空港かオフィスに行けとのこと。なんで電話で変更できないんだよぉ~。めんどくさ(>_
Apr 8, 2005
朝6時頃目が覚めるが、リゾートが動き出すのはもっと遅いので、8時まで眠る。朝食。パンとコーヒー。スタバのようなカフェで朝食を取ったが50ペソ(500円)。日本円からすると普通だが、まだまだニカラグアの感覚から抜け出せない私にとっては、50ペソ=500円=70コルドバ(ニカラグア)と考えると、めちゃめちゃ高い。ま、「豪にいれば郷に従え」なんですが…。近くのスーパーに行って買物をし、その後インターネットカフェへ。配属先だったレオン市役所職場の人とチャットがつながる。初めての彼らとのチャット。ニカラグアを去る前に、夜通しインターネットを構築した意義が、やっとここで感じられた…。「Me hace falta」「Te extrano」(あなたが必要)(いなくて寂しい)など…。なんかうれしいような、悲しいような…。でも、こうして彼らとチャットできると言うことは、インターネットながらも、コミュニケーションすることができてうれしい。1時間半もインターネットをやってしまい、その後、昼食。5ta Avenida(5番街)にはたくさんのお洒落なレストランが並んでいるが、私は地元の雰囲気を感じたくて、中心部から離れたComedor(食堂)に入った。定食(43ペソ)を頼んだ。ニカラグアでは粘りけのある食べ物を食べたことがなかったが、定食の中に、粘りけのある野菜があったので驚いた。(緑色で、海藻のよう。でも野菜と言っていた)午後はPlaya(海岸)。ちょっと人里離れた静かなピーチでゆっくり…。(透き通るようなPlayaDelCarmenの海~~~~~)カンペチェ出身のメキシコ人と話す機会があり、彼曰く、「メリダ」の街が良いらしい。4/10にマイアミに行く予定にしているが、予定変更しようかなぁ…。
Apr 7, 2005
朝5時起床。6時半宿を出発。地下鉄(2ペソ:20円)で空港へ。早めにチェックインして、空港でゆっくり過ごす。以前、メキシコシティからニカラグアに帰るときに、1時間前にチェックインしたら、もう受け付けられないと言われたことがあったので、今回は早めに。メキシコシティの空港も現在工事中で、国際線のチェックインカウンターは綺麗になっていた。さて、9時発のメヒカーナ航空でカンクンへ。カンクン空港着後、ADOのバスでPlayaDelCarmenへ(65ペソ)。カンクンへはもう行かない。去年の9月に少し立ち寄ったが、カンクンは・物価が日本以上に高い・ビーチがホテルに占有されていて、気軽に泳げない・カンクンよりPlayaDelCarmenの方が海が綺麗で自然な感じ・ダイビングするには不向きなどの理由から。もちろん、お金持ちの人や買物好き、新婚旅行には良いのかもしれないが…。ということで、私は前の9月にも立ち寄ったPlayaDelCarmen(プラジャデルカルメン)へ。カンクン空港からバスで1時間程南へ。帰ってきたPlayaDelCarmen。早速、前回も泊まった宿「MayaBric」に。前回は300ペソ(3000円)だったのに、今回は450ペソとのこと。交渉して400ペソ(4000円)に。この街もカンクンよりは物価が安かったのに、少しずつ上がってきているようだ。スーパーで買い出しをして、Playa(海岸)へ。はぁ~~~~~~~~~~~。クリアブルーな海が一面に広がっている。本当に言葉をなくす。きれい。その一言である。人があまりいない方まで歩いていって、横になった。フランス人のカップルや、カンクンから来たグループなどと少し話をしながら、夕方6時頃まで海岸にいた。ホテルに帰ったら、今までの疲れ(ニカラグア?)が出たのか、朝まで眠りについた。
Apr 6, 2005
朝6時起床。メキシコはニカラグアとの時差が1時間あるので、ニカラグアで言えば朝の5時。メキシコシティは3日ほど前からサマータイムを導入したとのこと。日本より進んでる?さて、朝10時頃から行動開始。まずは中央郵便局に行って、ノートパソコンDynabookを日本に送る。EMSで約950ペソ程。ニカラグアの郵便局で別の荷物を送ったときは、「紙を買ってきて自分で梱包してから送ってね」って言われたのに、メキシコの郵便局では、職員が厳重に梱包してくれた。やっぱりこんな所にも大きな違いが…。さて、その後両替をしに銀行へ。ドルからペソへはパスポートはいらないと聞いていたのだが、銀行では必要みたい。持ち合わせてなかったので、次の目的地「国立人類学博物館」へ。入場料は38ペソ。なんとJICAの身分証を出してみたら、入場料が無料になった!ちなみに学生、先生達は無料とのこと。日本も学生達には無料にして、もっと学ぶ場をこうして解放すればいいのに…。疲れていたので、博物館はザッと見るだけで終わった。(ザッとと言っても、かなり広いんです(*_*))駒ヶ根訓練所時代にお世話になった職員の人が、現在JICAメキシコ事務所で調整員として働いてらっしゃるので、一緒にご飯を食べることにした。夕方7時。来ない…。同期隊員も来る予定なのに来ない…。あんなに駒ヶ根時代には「5分前集合!」なんて言われてたのに…。7時半、無事会うことができて、ZonaRosaにある日本食レストラン「東京」に行く。140ペソ(1400円)でお腹一杯。いやぁ~1年ぶりの日本食の数々。ニカラグアには日本食レストランまがいの「SushiItto」があるが、超まずいので日本人は誰も行かない…。夕食をご馳走になって、タクシーで宿まで戻り、横になった。しかし、今日は人数が増えたせいか、私の泊まっているドミトリー横の居間がエライうるさい!奴らは夜中の3時まで騒ぎまくっていた。日本人宿って、安全面では他の宿よりは良いけれど、日本語が全部わかって耳に入ってくるので、ウザイと思うことも多い。
Apr 5, 2005
マナグアからエルサルバトルを経由してメキシコ到着。メキシコは今回で5回目。メキシコまでは同期隊員と同じフライト。空港で両替をすませる。メキシコ在住の人に聞いたが、空港で両替する日本人をねらった犯罪が非常に多いとか。さて、タクシーで日本人宿に行くことにした。タクシーは安全を期して、正規のタクシー(152ペソ)を払う。ニカラグアみたいに、一人あたりじゃなくて一台あたりの価格なのでちょっとうれしい。日本人宿は、Hidargo駅近くの「サンフェルナンド館」。一人7ドルのドミトリーに泊まることにする。とりあえず、やることを何も決めてないので…。まずは、腹ごしらえ。そのあと、私は航空券のフライトを変更したかったので、ソナロッサあたりのアメリカン航空オフィスまで歩いた。その後、国旗を毎日6時に降ろすというのでソカロに出かけた。が、6時半になっても国旗は降りないので帰ることにした。ソカロの教会では、大スクリーンでパブロ2世の式典を中継していた。宿に帰り、疲れたのでそのまま横になった。
Apr 4, 2005
2005年4月4日。2年前はこんな日なんて、遠い日だなって思ってたけど、その日がついにやってきた。ニカラグア大好き。だから、正直帰りたくない。でも帰らなくてはいけない。朝5時、タクシーで空港に向かう。5時半、空港着。チェックインに向かう。私は、メキシコ、マイアミに一週間ずつ滞在して帰る予定にしている。TACA航空のカウンターに行くと、スゴイ列。本当に出発時刻の7時にみんな出れるの?って思うぐらいの列であるが、並ぶしか仕方がない。約1時間待ってチェックイン終了。ニカラグアの空港は今建設中であるが、と言っても、来た2年前から建設中で未だ終わってない(>_
Apr 4, 2005
帰国前日。プロバイダ業者の不手際で、インターネット導入が遅れたため、今日の午前中まで仕事。(もちろん私1人出勤)やっと、プロキシサーバの設定、ルータの設定等が終了。これで、この職場の人もインターネットを使って、いろんな技術を学ぶことができるであろう…。昨日から職場の人との思い出アルバムを作成していて、それも終了。職場にそれを置き、一枚の葉書(切手付)、思い出の品をそれぞれの人の机に置き、この職場を去った。約2年間この職場での仕事。いい職場のニカ人に恵まれて、いろんな事があったけれど、本当に充実して楽しい2年間だった。協力隊って言うと、教えに行くというスタンスを持つ人が多いと思うが、私の場合は、彼らニカ人から学ぶことも多かった。「現地の人と共に働き、お互い学び合うこと」これが、協力隊のスタンスなのかもしれない。本当にここにこれて良かった。そう思う日々である。さて、職場の鍵を残し、自宅に帰る。明日のフライトは朝7時なので、レオンからマナグアに上がることにした。家族の人が空港まで見送りに行きたいと言ってくれたので、一緒にマナグアまで上がる。家族とはマナグアで別れ、私は隊員連絡所に荷物を置いて、最後の荷物整理。マナグアの友人(ニカ人)に挨拶をしに行く。最後の夕食は、同期隊員全員での夕食。同期隊員9名。本当に仲の良い私達であった。深夜2時。他の隊次と少し飲み終えて、床につく。明日は朝4時半起きだ。
Apr 3, 2005
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