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(9)確率と統計の違い


なぜ市民と作業者は基準が違うのが許されているのでしょうか。
もちろん作業者は危険覚悟でしているという面もありますが、そこには確率と統計の違いがあるのです。

たとえば、このままでは余命が短い重い病気の人がいて手術の成功確率95%だったとしたら、それほど心配ないと安心しつつ危険を承知で手術を受けるでしょう。
原発の作業者が年間20ミリシーベルト浴びるとして発ガン率は0.2%です。
確かに危険な作業だが確率的に99.8%は安全なのです。

年間100ミリシーベルト浴びるとして、発ガン率は1%だから、もちろん危険覚悟ですが確率的に99%は安全なのです。
それを利用して、政府と多くの学者たちは、発ガンの確率が小さいから一般市民も年間100ミリシーベルトまでは安全だとか20ミリシーベルは安全だとか言います。
しかし、これは悪質なごまかしです。

人を対象として確率で考えられるのはサンプルが少ないときだけです。
多くの人が被爆した時は統計になるのです。
被爆が原因の発ガン率1%の場合に、確率的には発ガンしない確率は99%なので作業者たちはだれも病気にならないかもしれません。

でも、被爆者が10万人いたら、統計的に1000人程度の市民や子供たちは必ず重い病気になるのです。
人間が多いときは『確率』ではなくて『統計』になるのです。
『確率』では安全かも知れなくても、『統計』では必ず犠牲者が出るということです。

人間はサイコロではありません。
一人一人が大事な命なのです。
不特定多数への非日常的な被爆を放置することは、まるで戦時中の空爆時に、あなたに当たる確率は少ないから安全で安心だと言って、多くの市民を降り注ぐ爆弾と銃弾の中に出させることと同じです。

安全・安心を強調することは国民を危険にさらすことになります。
しかも、学者や政府は、将来多く人たちが発ガンに苦しんでも何の責任も取ることはないでしょう。
なぜなら、一人一人を考えると統計的に99人が被爆で1人が普通の発ガンだとしても、誰が被爆しなくてもなった普通の発ガンで、誰が原発の被爆の発ガンか個別に区別することはできないからです。

また、医療ではたとえ少しリスクが増えてもそれよりも危険な病気を治したり予防するために放射線を利用します。
しかし、これは医療行為だけに許された特殊性です。
ですから医療と比較するような学者の詭弁にも騙されてはいけません。
福島大学の教員グループも放射線値での公平でない情報操作への是正の要求を下記で提言しています。
http://fukugenken.e-contents.biz/proposal


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