ENJOYroom!?

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2話


 腑海林に踏み入ってからすでに三日。シエルはこの森の正体も、その中心が何処に
あるのかも突き止めてはいなかった。
 たった五十キロ程度の森というが、そもそも腑海林は移動するのだ。森の中を森が
歩く。同じ個所《か しょ》に留まらない腑海林の中心を突き止めることは三日や四
日で為し得られることではない。

「ほらまた迷った。いい加減さ、ここいらで休憩にしたほうがいいんじゃない? と
りあえず根こそぎ木を倒して広場を作れば安全だよ」
 シエルの背後からはメレムという人物の声がする。おそらく、シエルが振り返って
そこに人影などあるまい。
「――――――」
 シエルは黙々と歩を進める。
 その法衣は所々が破れ、彼女自身の呼吸も乱れていた。
 森に入ってから三日。四六時中、あらゆる方角から襲い掛かってくる木々との戦い
の結果である。
「ね、聞いてる? 闇雲《やみくも》に腑海林を歩いても無駄だってば。ここは一
つ、ゆっくり休んで体力を回復したほうがいいって」
「――――――」
 シエルは黙々と歩を進める。意地になっているのかもしれない。
「もう。君、なんでボクの言うコト聞かないのさ」
「わたし、貴方のこと嫌いですから」
「うっわあ、きっつー」
 背後からの声は楽しげに弾んでいる。
 絶えず神経を研ぎ澄ませておかなければ即座に全身を貫かれるこの森において、彼
だけが歌うように軽やかだった。
 そして、その気配もまた、軽やかに消失した。
「―――メレム?」
 シエルの足が止まる。
 百メートルほど先でぞぶ、という音がした。
「―――メレム!」
 音がした森へと走り出す。
 結局、どう否定しようと仲間の安否が気になる甘さが彼女にはある。そしてそれ
が、彼女を彼女たらしめているモノだった。



 そこは、荒れ果てた荒野だった。
 隕石でも落ちたのか、森のただ中にぽっかりと荒野が存在していた。
 えぐられた地面は深く、これでは地中に張り巡らされた木の根さえ木《こ》ッ端微
塵《ぱ み じん》だろう。
「―――呆れた。これじゃまるで」
 巨大なスプーンで地面を抉《えぐ》り取ったようだ、とシエルは呟く。
「ほら、これなら安心して休めるだろ」
 えぐられた荒野の中心には天使のような少年が立っている。
 メレム・ソロモン。
 その少年こそアインナッシュ同様、死徒二十七祖の一人として数えられる埋葬機関
の五位であった。



 二人は焚《た》き火《び》を囲む。
 見上げれば空はすっかり夜になっていた。……尤《もっと》も森にいる限り昼であ
ろうと闇なのだからそう大差はないのだが、星が見えるという事にはそれなりに意味
があるのかもしれない。
「大丈夫、アインナッシュのヤツはもう動かないよ。そろそろ余りカスで実を作る頃
だからさ」
 カチカチと指輪を鳴らしてメレムは語る。少年は指という指に指輪を嵌《は》めて
いた。
「……珍しいですね。貴方が人前で飼い犬を使うなんて」
「うん? ああ、最近ろくな食べ物あげてなかったからね、アインナッシュの土壌な
らご馳走《ち そう》だろう。それとまあ、君とこうして話をしたかったから。話を
してもらうんだから、宴の席ぐらいはこっちで用意しないと駄目じゃんか」
「話―――先ほどの続きですか」
「あ―――そういうんじゃないんだけど……ほら、あの、さ。君、一年前にその、
会ったって言ってたじゃない」
 何が恥ずかしいのか、少年は視線を逸らしながら呟く。
「えっと、できれば話が聞きたいなって。教会じゃ話、できないでしょ?」
「―――彼女の事、ですか?」
 ぼっ、と音がするほど赤面する少年を見て、シエルは呆れるというより笑ってし
まった。
「とんでもない話ですね。ただでさえ死徒の裏切り者のような貴方が、さらに彼女に
肩入れしているなんて。普段の、冷静かつ慇懃《いんぎん》な貴方は何処へ行ったん
です」
「アレはボクの左腕だよ。ボクが本体を明かしているのは君とナルバレックだけだっ
てば。ほら、うちの連中ってわりと年功序列じゃない。だからアイツを代理にしてな
いと色々|厄介事《やっかいごと》が増えるんだ。
 ―――そんな事よりさ。姫君、城に帰らなくなったっていうの、ホント?」
 少年は心底不安そうにそんな言葉を口にした。



 教会は吸血鬼を病的なまでに排除しようとする。
 人間から吸血鬼となったモノ―――死徒を地上から廃絶させるためには手段を選ば
ないとさえ言われる。
 彼らの神と表裏一体である『魔』を容認することはできても、彼らの神が預かり知
らぬモノの存在は認められぬが故である。
 だが、もとより教義にはない『異端』を狩り出す、という事は異端を認めるという
事となる。
 そうした理由から、組織という物は組織を守るために、組織内に闇を抱くようにな
る。
 矛盾を解決するのではなく、矛盾そのものを無かった事にする処理部隊。
 それが彼女の所属する闇。
 その闇に必要なものは教義でも信仰でもなく、ただ組織を守るための力だけだ。
 その力の中でも、この二人はさらに特別と言えるだろう。
 シエルと呼ばれる彼女は魔に汚染されたモノであり、
 メレムと名乗る少年は倒すべき対象そのものであるのだから。



 そして、その二人には共通する事項がある。
「……ふうん。それじゃあそろそろ吸血衝動に呑まれている頃だろうね、彼女」
 残念そうに少年は呟く。
「そうなんですか? わたしが見たかぎりではそういった傾向はなさそうでしたけ
ど」
「うん。真祖っていうのは他の吸血種とは違うんだよ。彼らは肉体的な理由からじゃ
なく、精神的な理由から吸血するんだ。つまり吸血行為の後押しをするのは感情って
ワケ。でさ、彼らが人間を憎いと思うココロと人間を愛しいと思うココロは似てるん
じゃないかなって」
「……はあ。真祖は感情が無ければないほど長生きする、という事ですか?」
「うん。自然に感情なんてないからね。自然にあるのは美しくあろうとする意思だけ
なんだ。だから世界はこんなにも―――」
 と。突然、少年は言葉を切った。
「メレム……?」
「――――――」
 少年は答えない。
 空《うつ》ろになった瞳が、遥か遠くの闇を眺めているようだった。



 そして、一つの戦いが終わった。
 暗い森。
 魔術師フォルテは無名の何者かの前に敗れ去った。
「―――名前を、教えて欲しい」
 木々の陰に身を潜め、すぐさまこの場から離脱できるように備えつつ、フォルテは
言った。
 魔術師は無傷だった。勝敗は決し、完膚《かんぷ 》無きまでに敗北を思い知らさ
れたフォルテの体には、傷一つ出血一つありえない。
 だが、それでも勝敗は決していた。
 今の自分では目の前の東洋人に太刀打《たちう》ちできないことをフォルテは悟っ
ている。正直、自分が殺されずに生きている事が信じられない程だった。こうして物
陰に隠れ、相手に名前を聞いているのは死後の妄念ではないかと疑う程に。
「――――――」

 東洋人はなにやら口にしたようだが、フォルテには聞き取れなかった。そもそも日
本語などに関心はなかったのだから、発音さえうまく聞き取れなかった。
 それでも―――その歪《いびつ》に聞き取った発音を、フォルテは脳裏に刻み付け
た。
 魔術師にして剣士。こと実戦においては埋葬機関の狗《いぬ》どもを向こうに回し
ても引けを取らない自分を負かした、正体不明の殺人鬼の名称を。



 そうして魔術師は去っていった。
 現れた時と同じよう、風のように消え去った。
「―――はぁ」
 ようやく一息ついて、彼は包帯を巻き直す。
 その手にあるものは古ぼけたナイフだけ。他にはまあ、多少は耐性効果が付帯され
た衣類だけという軽装ぶり。この人外魔境において、メレム・ソロモンという少年と
同じぐらいの緩みようである。
「なるほど。貴方が護衛であったのなら、ネロでさえ消滅させられますか」
「――――――」
 とうに気づいていたのか、彼は慌てた風もなく声を出した。まったく意味を為さな
い英語で、何を言ったのかまでは解らない。
「初めまして殺人貴。いずれ会うつもりでしたが、それが今日とは思わなかった。そ
れで、このような山奥に何の用です。聞いた話では、貴方は死徒狩りに賛同していな
いという話ですが」
「――――――」
「成り行き、ですか。そういった所はシエルに似ていますね。まあ貴方の場合、その
行動は全て姫君に起因する。となると―――なるほど、貴方もアインナッシュの実が
目当てですね。それはいい、確かにあの実ならば姫君の吸血衝動も大幅に抑えられ
る」
 シエル、という響きに彼は動揺した。
 が、それも一瞬。
 彼は巻き直したばかりの包帯に手をかける。
「お止めなさい。貴方と戦うつもりはありません。何故なら絶望的なまでに、貴方に
は私に勝つ手段がない。そのような無駄はよくないでしょう。そもそも、貴方の力は
アインナッシュにこそ向けるべきだ」
 包帯にかけられた指が止まる。
「素晴らしい。シエルと違って貴方は素直だ。聞いた話では感情のない殺人鬼を想像
していましたが、中々に見所がある。両極端の用途、完全に別物としての二つの思考
回路。そうでもしなければ存在できぬ矛盾というのは美しいな。私、不器用な人間が
好きなものでして」
 くっくっという笑い声。
 彼は、目の前に闇に潜む相手がここにはいないということをようやく看破した。
「さて、それではアインナッシュの棲家《すみか 》には私が案内してさしあげま
しょう。……と、その前に一つお聞かせ願えますか。八百年前、確かに姫君はアイン
ナッシュを滅ぼした。その彼が、なぜ今だに生きているのかという事を」



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