はじめての日々

はじめての日々

佐世保の事件で


「ありえない」。

最近の若い人(というのはわが身が切ないけれど)は、なんでもかんでも「ありえない」だ。
もっと言えば「ありえねー」だ。待ち合わせの時間に遅刻しても「ありえない」、とても美味しいものを食べても「ありえない」。
そんな使い方に疑問を感じる、などと思っていたら、本当の「ありえない」が聞こえてきた。
昨日の夜にテレビで流れた「ありえない」は、本当に、体の芯から絞り出された言葉だった。

娘は空気みたいな存在で、そこにあるのが当たり前。
その娘が突然、あのような形でいなくなってしまうことは、
確かに「ありえない」のだ。

支局長さんまで務められているのだから、きっと優秀な記者さんなのだろう。
似たような、子供を殺された親の取材もこれまでにしてきただろう。
そして、同じように、同情の混じった目で、質問を投げかけてきたのだろう。

「私がそちらの立場だったら同じような質問をしただろうが」という
前置きはあまりにつらい。
父親であると同時に、この人は本当に新聞記者なんだろうと思う。
あんな状態で言い訳なんていらない、見出しになるような胸を打つ台詞もいらない。

洗濯物を取り出していたから娘の後ろ姿も見なかった。
3年前に亡くした奥さんに代わって、必死に年頃になりかけた娘と対話しようとしていた。
そんな姿は十分伝わってくる。

記者の人々はみな、「自分の身に置き換えて」ということを考えるのだろうか。
彼もそうだったのだろうか。
そして、いかにその「その立場にならないと何もわからない」ということが
わかったのだろうか。

子供の心の闇、なんて言葉は私はもう聞きたくない。

幸せな日々でありえたはずの日常を奪った狂気を、
バーチャルと現実をごっちゃにしてしまった子供というカテゴライズで
ひとまとめにし、臨床心理士やカウンセラーが責任を社会に押し付けることに対して、私は個人的には絶対に許さない。
許したくもない。

合掌


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