薄荷らぼ。

薄荷らぼ。

歌謡番組の黄金時代と衰退


ザ・ベストテン   1978年〜1989年

私は80年代頃から、歌謡番組をほとんど見ない人だったので、いつ終わったかも知らんかった。
でも、柱であったこの2つの番組の終了とともに、歌謡番組は衰退の一途と思う。
テレビ自体が衰退してるのだけど、それでもまだテレビの影響力は絶大だよね?
テレビでやれば、納豆が売り切れたり、法外に高いオイルが品薄になったりだから(^_^;A

今の若い子が39年後40年後に、何を共通の話題として懐かしく語るんだろうか?
私らが、聖子ちゃんや明菜ちゃんやジュリーを語るのと同じように、
誰でもが知ってる懐かしい思い出として何を語るんだろうか? 謎ダ。


歌謡番組の全盛期を1968年〜1990年として、
ここにジュリーをあてはめてみると、

ザ・タイガース 67〜71年
PYG 1971年2月
ソロ 1971年11月〜

75年 結婚
80年 TOKIO 井上堯之バンド解散「もうついてけない」って(笑)

(アタシのジュリーの記憶は「TOKIO」で何でこんなんがヒットすんの?と思ったきり。そこでプッツン。)

85年 ナベプロから独立 CO-CoLOを結成
86年 不倫騒動
87年 離婚
88年 CO-CoLO解散

(CO-CoLO時代はソバージュジュリー。女神や闇舞踏を出した時代。一般受けはしなかったけどとても(・∀・)イイ!!のだこの時代)

  しかし、不倫騒動+難解な音楽で、売り上げはガタ落ち。
  レコード(CD)が売れなくたった時は、メチャ辛かったそうな。

89年 ACTシリーズはじまる〜♪

92年〜 過去の映像の放映を禁止!「オレは懐メロ歌手ではないんだぜ」っと。



こうやってみると、ジュリーとともに歌謡番組の衰勢はあったようにも思える。
何より歌を演じる1つのスタイルを作ったのはジュリーだったのでは?
彼は時代の寵児だったと思う。
70年くらいにカラーテレビが一般家庭にも普及して、
さあ、これからどんな面白い事をやろう? と、テレビ業界も若くてまだ冒険も出来た時代に
天の采配のようなタイミングで現れた、
見た目も麗しく、既に人気があって、その上並々ならぬ表現力をもった青年。
それがジュリーだったと。
ジュリーと歌謡番組の蜜月は、不倫騒動までは続いた。
けど、不倫騒動だけが売れ行き低下の原因では無いのだろう。

ジュリーは1つのブームだった。流行だった。
流行である限り、いつかは廃る。大衆は飽きっぽく、流行は次々乗り換えられるものだから。
不倫騒動が無くても、全盛期を維持し続けるのは無理。
誰にもそんな事は出来ないと思う。

もう1つ、歌謡番組が衰退したのは、ジュリーにとって、とても不利だった。
ちゃんとしたファンでなく、ただ流行を追う人達にとって、見かけない=終わりだもの。

でもそれは、例えばほとんどテレビに出ないアーチストにも、コアなファンがついているように、
ジュリーも、その状態になっただけ。

それでも残念なのは、
もっと頻繁にテレビ露出が出来ていたなら、
歌謡番組が衰退しなかったなら、
ACTやライブ映像がテレビで流れ、広く知れたなら、
もっとコアなファンが増えただろうにな。
第二次ブームも起きたかも知れない。

私ももっと早く、ジュリーの真価に気付けたかも知れない。

ほんと、残念。(T-T)


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