パレスチナへの旅を終えて



最初に述べた通り、私は、

イスラエルを一方的に「悪」だとして責めあげ、
パレスチナを一方的に「被害者」「善」にしたてあげるという
考え方に疑問を感じます。

確かに、イスラエルの行為は批判されるべきであり、
もちろん彼らは、一刻も早く、権侵害行為を終わらせるべきではありますが、
国家間であれ、人間関係であれ、恋愛関係であれ。

どちらかが、100パーセント悪い、などと言えるのでしょうか。

私は、父親と私の関係が、イスラエルとパレスチナの関係にリンクして
仕方がありませんでした。
私自身、ずっと父親が「100パーセント悪い」と思い続けてきました。

パレスチナへと行き、イスラエルとパレスチナの関係を
中立的な立場で捉えようと努めた際に、
ユダヤ人として迫害され続けてきた歴史抜きで、
今のイスラエルの行動は語れません。
過去の傷を、トラウマを、彼らは癒せてはいないのです。

現在も「自分たちがそこに存在してもよいのか」という不安を抱き
安心できる場所を求め、
安心できる自分たちの居場所、がなくなることに怯えているように思います。
そして、その危険や不安をなくす為に、彼らは、自分の「敵」を攻撃するのです。
「自分がそこに存在しても良い」
という事を自分たちでまだ認められていないのです。

パレスチナの支援に関わるイスラエル人は、よく言います。
「イスラエル人は、自分たちがまだ迫害されているように感じているのだ」と。
そうして、教育を通じて、次の世代に伝えられていくもの。
イスラエル側へと足を踏み入れた時の、彼らのあの、怯えたような目が、私は忘れられません。

パレスチナ人の心のサポートは、もちろん必要です。
それは治療に当たります。
しかし、イスラエル人の心のサポートも同時に必要だと、私は思います。
その「核」となる部分を治療し、癒さないと、
いつまでも「憎しみ」は増え続け、その治療をしたとしてもきりがありません。
原因が解決されてないのですから。

個人間であろうと、国家間であろうと、
加害者側の心のサポートにも目を向けるべきだと私は思います。

被害者側のサポートはもちろん大切ですが、
その「憎しみ」のチェーンを断ち切る為には、被害者だけではなく
憎しみを生み出さざるを得ない、加害者の苦しみも理解していく必要があるのだろうと思います。


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