ドップラー・エフェクト



恵那(三五)女性。タクシー運転手。

劇場終わりの若手男性芸人
担当に裏切られた地雷系女子
結婚式帰りの老夫婦
動画配信中の外国人男性
語学勉強中の男子大学生
黒ギャル系女子高校生
生徒会長系女子高校生
引退したドラァグクイーン

善川(四七)男性。最後の乗客。





●都市・雑景・夜
   週末の夜の煌びやかな繁華街。
   興奮と酩酊と快楽と悪意で澱んだ海。
   その中をクールな鮫のように泳ぐ車。
   黒いセドリックのタクシー。

●タクシー・車内
   白手袋でハンドルを握る恵那。
   折り目正しい黒のジャケット制服姿。
   ショートボブに縁どられた美貌。
   制服では隠せないフェミニンな肢体。
   ダッシュボードに貼られた写真。
   頬寄せ微笑む恵那と六歳くらいの少年。
   カーラジオから流れるFM放送。
   落ち着いた女性DJのオープニング。
DJ(声)「夜の旅人たちへお届けする音の
 羅針盤『ワンダリングスター』。こんばんは、
 船長の弐瓶肆季です。今宵みなさんに吹く
 風は穏やかでしょうか。波が荒れていたり
 しないかな。独りきりでちょっぴり心細い
 あなたのためにひと時のお供を・・・」
   後方から近づく救急車のサイレン。
   信号の手前で減速する恵那。
   リアウィンドウに閃く赤色回転灯。
   高まるサイレンの叫び。
   サイドウィンドウを通過する光と音。
   恵那の端正な無表情を朱に染める。
   タクシー前方で立往生する救急車。
   無遠慮な車群に阻まれて。
   恵那、眉も動かさずクラクション。
   救急車、空いた隙間を縫って前進。
   マイクから感謝のアナウンス。
   サイレンの響きが次第に低く遠ざかる。
   恵那の横顔に仄かに浮かぶタイトル。

●劇場裏・夜
   演芸劇場通用口に面した裏道。
   路肩に停車した恵那のタクシー。

●タクシー・車内
   後部座席に若手男性芸人。
   だらしなく掛けてスマホで通話中。
   恵那、ハンドルを握ったまま不動。
芸人「まじシャレなりませんわ。二毛作狙い
 のギャラ飲み多すぎ問題。いつ砲撃食らう
 かビクビクしながら遊ぶんも嫌ですやん。
 せやから言い訳やないですって。兄さんの
 名前出したら、そら素人の三、四匹くらい
 秒で釣れますよ。釣れますけど・・・」
   芸人、発車しない恵那に気づく。
芸人「何ボケっとしとんねん。行き先言うた
 やんな?」
恵那「シートベルトを着用してください」
芸人「は?」
恵那「シートベルトを・・・」
芸人「(通話相手に向かって)イヤイヤこっち
 の話ですわ。女の声? 抜け駆けとちゃい
 ますよぉ。なんやけったいなタクに乗って
 しもて・・・」
   喋りながら恵那のシートを蹴る。

●河岸道路・夜
   工業地帯を背景に走る恵那のタクシー。

●タクシー・車内
   後部座席に地雷系女子。
   サイドウィンドウに向けた横顔。
   時折洟を啜りながら無言で泣く。
   流れ続ける涙でメイクが大惨状。
   窓外を流れるコンビナートの灯。
   カーラジオから流れるピアノジャズ。
   チューナーを操作する恵那。
   突然始まる高座中継。
   ギョっと向き直る地雷系女子。
地雷系女子「ちょっと、勝手に変えないでよ。
 せっかく浸ってたのに・・・」
恵那「申し訳ありません」
   謝りながらも周波数を戻さない。
   地雷系女子、諦めて夜の川に目を戻す。
   静かな車内に響く『住吉駕籠』。
   ぴくぴく震える地雷系女子の頬。
   八本脚で歩く駕籠の段に差し掛かる。
   我慢できず吹き出す地雷系女子。
地雷系女子「ばっかみたい」

●ホテル・車寄せ・夜
   客待ちの車列の中に恵那のタクシー。
   ドアマンに誘導されて次の客の前へ。

●タクシー・車内
   無造作に後部ドアを開く恵那。
恵那「シートベルトを・・・」
   苦労して乗り込む足の悪い老人。
   ドアマンと妻に介助されながら。
   恵那、ベルトを外して運転席を離れる。

●同・車外
   トランクに車椅子を積み込むドアマン。
   後部ドアから身を差し入れた恵那。
   老夫婦のシートベルト着用を手助け。

●同・車内
   ルームミラーに映る老夫婦の睦まじさ。
老妻「お子さん?」
   ダッシュボードの写真に温かい視線。
恵那「ええ、まあ」
老妻「可愛いわね。もうすぐ小学生?」
恵那「ええ、はい」
老妻「じゃあ大変ね。お母さん、こんな遅く
 まで働いてちゃ」
恵那「そうですか?」
老妻「そうですか、って・・・」
   老妻、お上品に眉を顰める。
恵那「・・・姉が、見てくれています」
老妻「そう。なら安心ね。まあ男の子なんて
 あっという間に大人になっちゃうものよ。
 そのうち未来のお嫁さん連れて来るから」
   身を乗り出すような老妻。
   それを優しく制する老夫。
老夫「こらこら。ちょっと喋りすぎじゃない
 かい。運転手さんがお困りだよ」
老妻「あらら、ごめんなさい。今日は何だか
 嬉しくて、心も足も口までフワフワ軽いの。
 実は孫の結婚式で」
恵那「おめでとうございます」
老妻「ありがとう。ヤンチャな子だったから
 一時はどうなることかと思ったけど、堂々
 として、凛々しくて、おまけにあんな粋な
 演出までしてくれるなんてねえ・・・」
   いつの間にか涙ぐんでいる老妻。
老夫「笑ったり泣いたり忙しいやつだ」
   そういう老夫の声も震えている。
老夫「私らの命のあるうちに、ありがたい」
恵那「孝行なお孫さんですね」
   恵那の顔に浮かんだ硬質な笑み。

●同・車外
   夫の車椅子を押しながら頭を下げる妻。
   運転席の外で会釈を返す恵那。
   タワマンへと消える夫婦を見送って。

●同・車内
   運転席の恵那、思案顔。
恵那「・・・しっくり来ませんね」
   ジャケットのポケットから手帳。
   挟まった十枚弱の写真を取り出す、
   どれも恵那と子供のツーショット。
   ただし子供は性別年齢バラバラの別人。
   ダッシュボードの写真を剝がす恵那。

●繁華街・広場・夜
   座り込んで酒盛りする若者たち。
   乱痴気を横目に過ぎる恵那のタクシー。

●タクシー・車内
   遠くくぐもった消防車のサイレン。
   後部座席に二人の乗客。
   生真面目そうな男子大学生。
   ラブ&ピースな外国人青年。
   相手の話を聴いて通訳する大学生。
大学生「撮影いいですか。彼、動画配信して
 るんですって」
   恵那、ルームミラーに視線。
   青年の手にハンディカメラ。
恵那「ご自由に」
青年「ls;ういfjねj;ん@」
大学生「(通訳)ありがとうございます」
   早口で喋りたてる青年。
   懸命に聞き取って通訳する大学生。
大学生「(通訳)この国は治安が良いと聞いて
 いたのですが、一週間滞在して緊急車両の
 サイレンを聞かない日はありません。私の
 故郷も決して安全とは言えませんがこれ程
 頻繁に聞くことはない。この国は変わって
 しまったのですか、だそうです」
恵那「・・・まだ少しは希望がある証拠」
   恵那の答えを訳されて怪訝顔の青年。
恵那「行政がまともに機能しているから」
大学生「でも出動件数自体増えてますよね。
 特に救急車」
恵那「みんなが長生きになったからじゃない
 ですか。健康かどうかは別として」
大学生「そういう考え方もあるか・・・」
   蚊帳の外の青年、突っつく。
大学生「ごめんごめん。(通訳再開)」
   通訳を聴いて納得顔の青年。
   役者のような調子で決め台詞を吐く。
   乗せられて芝居がかる通訳。
大学生「(通訳)病んで生きるべきか健やかに
 死ぬべきか、それが問題だ」
   誰かが滑ったような空気が流れる。
大学生「ああ、僕たち前からの知り合いじゃ
 ないんですよ。さっき居酒屋で相席して、
 妙に意気投合しちゃって」
   大学生、聞かれもしないのに。
   青年、大学生にまくし立てる。
大学生「あ、そうだった。(通訳)この近く
 に運転手さんお勧めの穴場的飲食店はあり
 ませんか。この国の伝統文化<シメ飯>を
 体験してみたい、だそうです」
恵那「食べられない物は? 宗教的な意味で」
大学生「(通訳)郷に入っては郷に従う、って
 言ってます」
   青年、大袈裟にスマイル。

●立ち食いうどん屋・夜
   食券販売機の前に佇む三人。
恵那「手元は撮らないで。裏メニューなので」
   青年、カメラを恵那の顔に。
   恵那、何ヶ所かのボタンを同時押し。

●同・承前
   カウンターに並んで立ち食う三人。
   三人の前に全部乗せうどん。
   大学生、青年に麵の啜り方を伝授。
   涼しい顔で一人箸を進める恵那。
   ジャケットは脱いで白シャツ姿。
   抜群のスタイルと美しい立ち食い姿。

●タクシー・車内
   恵那の顔を往復するワイパーの影。
   そぼ降る雨の中を気怠く泳ぐ車体。
   路地から前方に飛び出す二つの人影。
   挙げられた手を認めて、恵那停車。
恵那「シート・・・」
   言いかけて口を噤む恵那。
   後部座席に転がり込んだ二人の少女。
   ずぶ濡れて息も絶え絶え。
   路地の奥から追うように怒号と靴音。
   恵那、ドアを閉めて乱暴に発進。

●同・承前
   雨がフロントガラスに縞を描く。
   ダッシュボードに新しい写真。
   恵那と笑う高校生くらいの少女。
   後部座席にも二人の女子高生。
   派手な私服の黒ギャル系。
   清楚な制服の生徒会長風。
   怯える会長を庇い抱くギャル。
ギャル「大丈夫、絶対守ったげる」
   会長の制服、濡れて乱れて。
   シャツの胸のボタンも上二つが喪失。
   恵那、ジャケットを後部座席に放る。
ギャル「え、何?」
恵那「着せてあげてください」
   ジャケットを手に警戒するギャル。
ギャル「ウチら、売ったりしないよね?」
恵那「行ける所までは走ります。それが仕事
 だから」
   料金トレイにクシャクシャの万札。
   所々にこびりついた赤い汚れ。
   微かに聞こえてくるサイレン。
会長「・・・あの人、動いてなかった」
ギャル「気のせい気のせい」
会長「でも・・・」
ギャル「カラテ有段者とか吹いてたじゃん、
 あのバカ。そう簡単にくたばんねーから」
   次第に近づくサイレン。
会長「もうむり、逃げられないよ・・・」
ギャル「へいきのへいざだって!」
   ジャケットの上から更に抱く。
   ルームミラーに目をやる恵那。
恵那「いったん離れましょうか」
   ギャルの腕の中で会長ビクッ。
会長「やだ、離さないで・・・」
ギャル「殺されたって離さねーし」
恵那「そういうのは後でいいです。ちゃんと
 座ってベルト締めないと放り出しますよ」
   ルームミラー越しに視線交錯。
ギャル「・・・ちょっと我慢しろし。堂々と
 してたら怪しまれないかんね」
   会長を宥めてきちんと座らせる。
   体は離れたがシートの上で繋いだ手。
   リアウィンドウ一面に赤色灯の閃き。
恵那「音が低いうちは他人事」
   呪文のように唱える恵那。
   車内が悪夢のように赤く染まる。
恵那「さて、今夜はどっち?」
   タクシーと並走状態のパトカー。
   最高音域に達するサイレン。
恵那「やっぱりまた他人事か」
   パトカー、見向きもせず追い越す。
   ふーっと長い吐息をつくギャル。

●郊外駅・ロータリー・夜
   人気も絶えた雨上がりの駅前。
   ロータリーに滑り込む恵那のタクシー。
   後部ドアから降り立つ女子高生たち。
   運転席の窓を開けて話しかける恵那。
恵那「三十分後に夜行快速が停車します」
ギャル「りょ」
恵那「この駅から先頭車両が自由席に変わり
 ます。切符は車掌から買ってください」
   ジャケットの前ボタンをとめる会長。
会長「上着、本当にいいんですか?」
恵那「替えが有ります」
   ギャルの前に突き出した恵那の掌。
   紙幣と硬貨で八千数百円。
ギャル「は? どゆこと?」
恵那「お釣りですが」
ギャル「・・・あんなに走ったのに?」
恵那「私のミスで遠回りしてしまったので」
   戸惑いつつお金を受け取るギャル。
ギャル「ねえ、おば・・・おねーさん」
恵那「おばさんで構いません」
ギャル「親切にしてくれたん、娘さんがいる
 から?」
恵那「何のことですか」
ギャル「だってほら、写真の女子。ウチらと
 ほぼほぼ同いっしょ?」
   恵那、暫く考え込んで。
恵那「・・・ああ、そう。そうですね」
ギャル「なんかヒトゴトみたい」
会長「あの・・・」
恵那「はい?」
会長「ありがとうございました!」
   律儀に頭を下げる会長。
   その隣でギャルも慣れないお辞儀。
   再びしっかりと繋がれた手。
恵那「風邪を引かないように・・・」
   恵那、一つくしゃみ。
   悪戯っぽく笑うギャル。
ギャル「おばさんも早くお風呂入って!」

●ゲイバー前・夜
   店の看板の前で手を振るオネエたち。
   静かに走り出す恵那のタクシー。

●タクシー・車内
   後部座席に色彩の洪水。
   花束を抱えたドラァグクイーン。
   薔薇の赤とラメの青が眩暈を誘う。
   派手にくしゃみをかます恵那。
DQ「薔薇に花粉症なんてあったかしら?」
恵那「いえ。綺麗なものを見るとなぜか鼻が
 ムズムズするんです」
DQ「あらあら。アタシ罪な女ね」
   薄笑いを浮かべて否定しない恵那。
DQ「今夜でお終いだったの。それで店の子
 たちが大袈裟に、ね」
   名残を惜しむようにネオンに視線。
DQ「なんか音楽かけてよ」
   恵那、カーラジオにカセットテープ。
   流れ始める『酒場でDABADA』。
DQ「せいせいするわ。こんな街とオサラバ
 できて。そりゃいい常連さんもいたわよ。
 他にもっと若くて面白い子だっているのに、
 好き好んでこんなオバハン目当てに通って
 くれるなんて。そんなお客さんには目一杯
 サービスするの。日常のうざったい事全部
 忘れてよく眠れるように、気持ちよく飲ま
 せて笑わせて。けど最近じゃ肝試し感覚で
 覗いてくガキンチョが増えちゃってさ」
恵那「・・・・・・」
DQ「好奇心ならまだマシ、中にはわざわざ
 ヘイトをぶつけるためだけに来るアタオカ
 までいるんだから」
恵那「・・・・・・」
DQ「アタシ、この世界にラブストーリーと
 コメディを求めて飛び込んだの。ところが
 どう、現実はエロとグロとナンセンス」
恵那「・・・・・・」
DQ「ここ半年ですっかり嫌気がさしたわ。
 明けても暮れても笑えない事件ばっかり」
恵那「・・・・・・」
DQ「ヤー公が車突っ込ませたり、ホストが
 めった刺しにされたり。挙句に駅のホーム
 でドンパチよ。この世の地獄よね」
恵那「・・・・・・」
DQ「アンタも気をつけなさいよ。ほら去年、
 女運転手ばっか狙って暴れ回った連続殺人
 鬼いたじゃない? ナリ潜めてるけどまだ
 捕まってないんでしょ。アンタ、そこそこ
 綺麗めだし、えっちな体してるっぽいし、
 絶好の・・・ごめんなさい、無神経だった
 わね」
恵那「私なんて賞味期限切れですよ」
DQ「だったらアタシはどうなんのよ。髭の
 四割が白髪よ。毎朝起きたら自分の口から
 内臓腐った臭いがするの。もはや歩く産廃
 だわ。いっそヘドロでも吐いて愚民どもを
 溶かしてやろうかしら」
   フハハと笑うドラァグクイーン。
   釣られて微笑む恵那。

●オフィスビル前・夜
   歩道に佇む小柄なサラリーマン。
   滑らかに寄せる恵那のタクシー。
   助手席のサインは『迎車』。

●タクシー・車内
   後部座席にスーツ姿の善川。
   薄くなり始めた髪、人畜無害な笑顔。
善川「お子さんですか?」
   ダッシュボードに視線。
   仔猫を抱いた恵那の写真。
恵那「よく行く猫カフェの子です」
善川「お好きなんですね。飼ったりはしない
 んですか」
恵那「・・・しょっちゅう引っ越すので」
   スマホを操作し始める善川。
善川「うちには三匹いるんです。どこに出し
 ても恥ずかしくない美人揃い。ラグドール
 二匹とアメショなんですけど。ご覧になり
 ます?」
恵那「運転中ですから」
   笑顔を崩さない善川。
善川「実は、あなたのこと探してたんです」
   スマホで動画を探しながら。
善川「この動画、あなたですよね?」
   外国人青年のチャンネルを見せる。
   絵になる恵那の立ち食い姿。
恵那「・・・そうみたいですね」
善川「この辺りで呼んだら、捕まえられるん
 じゃないかって。一週間かかりましたけど」
恵那「なぜそこまで?」
善川「日常が余りに野暮すぎて死にたくなる
 んです。退屈を掻き消してくれる手っ取り
 早い冒険を求めた結果、あなたに」
恵那「私、退屈の化身ですけど」
善川「またまた御謙遜を。ご存じないですか、
 噂の的ですよ。今どきナビも仕切板も無い
 骨董タクシーを謎の美女が転がしてるって」
恵那「・・・・・・」
善川「探した甲斐があったなあ。想像以上に
 お綺麗で、しかもミステリアスだ。制服も
 よくお似合いですね」
   熱と湿り気を帯び始める善川の口調。
   左手薬指の指輪を爪で引っ搔きながら。
善川「僕は猫ちゃんと同じくらい働く女性が
 好きでしてね」
   身を運転席の方に乗り出す善川。
   いつの間にか外れたシートベルト。
恵那「危ないですよ。ちゃんと締めて」
善川「肩肘張って独りで世界と戦っている姿
 がね、何だか無性に愛おしいんです。女の
 脆さを制服で隠して、でも隠しきれてない
 ところがまた健気で哀れで」
恵那「・・・・・・」
善川「随分と可愛がってあげましたよ。可愛
 がりすぎると決まって壊れちゃうのが厄介
 でしたけど。おかげで騒ぎになって暫くは
 自重する羽目になりました。まあ、これは
 自業自得ですね」
恵那「・・・・・・」
善川「あなた、少し目立ちすぎたんですよ。
 おとなしく眠ってた僕をわざわざ刺激して
 起こしてしまうなんてね」
   精密機械のように動く善川の両手。
   結婚指輪から引き出されたワイヤー。
   じわじわと恵那の背後に迫る。
   仕切板のないヘッドレストを越して。
   ふと、善川の笑顔が消える。
   ルームミラーの中の恵那の表情。
善川「・・・どうして笑ってるんですか?」
恵那「やっと私の番が来たから」
   恵那の耳の中でサイレンが高まる。
恵那「言いましたよ、危ないって」

●住宅街・夜
   路肩でアイドリングされたタクシー。
   ヘッドライトが無人の路上を照らす。
   サインは『賃走』のまま。

●タクシー・車内
   空っぽの運転席。
   規則正しく動き続ける料金メーター。
   とんでもない金額表示に。
   ダッシュボードに何かを剥がした痕。
   後部座席、眠り込んだように座る男。
   後方から近づくサイレンと赤色灯。

●山上道路・早朝
   歩道を歩く白シャツ姿の恵那。
   白手袋を歯で咥えて外して。
   そのまま無造作に路肩に投げ捨てる。
   後方から長距離帰りのタクシー。
   振り向いて手を挙げようとする恵那。
   ふと、足下の違和感に視線を。
   野良の黒い仔猫がじゃれついている。
恵那「ダメですよ、あなたは乗れないんです
 から」
   聞く耳持たず擦りつける仔猫。
恵那「・・・仕方ないですね」
   屈んで仔猫を抱き上げる恵那。
   横をタクシーが通り過ぎていく。
   再び歩道を歩み出す恵那。
   道の片側に開けた眺望に目もくれず。
   朝靄に沈んで微睡む街。
   その底で微かにサイレンが鳴っている。





                   了


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