潤ちゃんは心配性



十河 潤(一一)女性。小学五年生。

多賀 夏芽(一〇)女性。潤の同級生。
毛利 尚弥(一〇)男性。潤の同級生。
各務 万葉(一一)女性。潤の同級生。

仁木 ハル(二七)女性。潤の担任教諭。
香田 泉美(二四)女性。仁木の代替教員。

潤の母親
潤の父親

男子A・B・E・F
女子C・D・G・H

音楽教諭、養護教諭
校長、教頭





●小学校・廊下・朝
   手洗い場で花瓶の水を捨てる女の子。
   十河潤。
   蛇口をひねり出始めの水を流して。
   暫くしてから新しい水を花瓶へ。

●同・五年二組教室・朝
   花瓶を捧げ持って前の扉をくぐる潤。
   数歩入った辺りで軽く蹴つまずく。
   花瓶の縁から少しこぼれる水。
   潤の耳に微かな蜂の翅音。

●同・承前
   ロッカーの上にマリーゴールドの花瓶。
   教卓横の床にしゃがみ込む潤。
   一枚だけ浮いた床板を手で確かめて。
   蜂の翅音が高まる。
   *****
   どこからか持ってきたトンカチ。
   頭の部分にガーゼを巻いて。
   慎重に床板を叩く潤。
   傷一つ残さず復旧し、汗を拭う。
   いつの間にか消えた翅音。
   学習ノートに手書き風タイトル。

●同・承前
   続々と登校してくる児童たち。
   たちまち教室はポップコーン釜の様相。
   潤、窓際後方の席で読書中。
   どこか上方から響いてくる重い響き。
   ふと窓の外に目をやると。
   白々した空に巨大な航空機の機影。
   潤、本を閉じて机に伏せる。
   前の席にランドセルを置く女子。
   多賀夏芽。
夏芽「おはよ。どうしたの」
潤「・・・いつもより低い」
   伏せたままでボソリ。
   釣られて窓の外を見る夏芽。
夏芽「わ、ホントだ。でも大丈夫じゃない?
 たぶん天気のせいだよ」
潤「天気?」
夏芽「風がいつもより強いとか。なんだっけ、
 ダンキリュウ?」
潤「・・・乱気流」
夏芽「そう、それそれ」
   顔を少し上げる潤。
   夏芽の爛漫な笑顔に僅かに微笑み返す。
   斜め前の席からそれとなく見る男子。
   毛利尚弥。
   潤と目が合ってわざとらしく変顔。
   教室に入ってくる若い女性教諭。
   仁木ハル。
   高らかに鳴り響くチャイム。
仁木「ハイハイ座って。チャイム鳴ってから
 動いてちゃダメ、鳴り終わった時には席に
 着いてなきゃ」
   教卓に威勢よく手を突いて。
男子A「間に合わなかったらどーなんの」
男子B「バクハツすんじゃね。ドカーンて」
   仁木、恐い顔を作って。
仁木「そんな甘っちょろいペナルティーだと
 思うなよ。体、ドッロドロに溶けちゃうん
 だから!」
   キャーキャー笑い騒ぐ女子たち。
   尚弥、潤の方を向いて溶解人間の真似。
   潤、知らんぷり。
   尚弥の頭をノートではたく夏芽。
   *****
   ようやく落ち着いてホームルーム。
仁木「じゃあ出席取るからね」
女子C「ハルせんせー、赤ちゃんはいつ産ま
 れるんですかー」
仁木「もう、何回聞くつもり?」
   文句を言いながらも晴れやかな表情。
仁木「順調に行けば今年の十月の予定です。
 みんなには申し訳ないけど、私がお休みの
 間は代わりの先生が来てくださるので安心
 してください」
女子D「男? 女?」
仁木「正式に決まったら教えるから」
女子D「えー、赤ちゃんのことだよー」
   笑いに包まれる教室。

●同・午前
   図工の時間。
   版木を彫刻刀で彫る児童たち。
   進捗は人それぞれ。
   適当に済ませて馬鹿話する男子。
   刷った絵を見せ合ってはしゃぐ女子。
   *****
   切り出し刀で繊細な輪郭線を彫る潤。
   慎重に進める刃先。
   徐々に現れる阿修羅像の姿。
   潤の横の通路でじゃれ合う男子EとF。
   Eの腰が潤の机に当たる。
   刃先が逸れて阿修羅の横顔に傷。
   一顧だにせずふざけ続ける男子たち。
仁木「こらそこ、騒がない!」
   仁木、他の児童に指導中。
   視線は叱った相手に向いていない。
   F、丸刀を持ったまま必殺技ポーズ。
男子F「朱の流儀・参ノ巻・血煙牡丹!」
   Fの手首を後ろから掴む潤。
   ギョッとして振り向くF。
   潤の耳にだけ聞こえる蜂の翅音。
男子F「何だよ・・・」
潤「ケガしても知らないから」
   丸刀を奪ってFの机に置く潤。
   されるがままのF。
   潤、自席に戻ってリカバリー開始。
   教室の注目の中、目配せするEとF。
男子E「ケガしても知らねえからなあ」
   ドスの効いた声で悪質なカリカチュア。
男子F「おどされちゃった~。こわ~い」
   クネクネしながらオネエ声。
   一部の児童から乾いた笑い。
   一部の児童、潤の方を見てひそひそ。
男子F「ねえモーリス~、たすけて~ん」
尚弥「・・・うるせー」
   尚弥、Fに絡まれるも塩対応。
   プンスカ歩み寄る仁木。
仁木「いい加減にしなさい。もう出来たの?
 遊んでて完成出来なかった人は休憩時間も
 居残りだからね」
   EとF、席に戻って渋々作業再開。
   振り返って潤に囁く夏芽。
夏芽「平気?」
潤「問題ない」
   潤の瞳、刃先に集中。
   翅音フェードアウト。

●同・夕
   仁木と向かい合って座る十河母娘。
潤母「あの・・・潤がご迷惑をおかけしてる
 んじゃ・・・」
仁木「いえそんなこと。十河さんしっかり者
 なので私の行き届かない所をよく注意して
 見てくれていて。本当、助けられてばかり
 です」
   俯きがちの潤に微笑みかける仁木。
仁木「ね?」
潤母「そうなんですか」
仁木「ええ。先日の遠足の時も・・・」

●歩道・回想
   歩道を二列で歩く児童たち。
   潤の隣は夏芽。
   その前でノロノロ歩きの女子GとH。
   動画配信者の話題で夢中。
   列の前の方で仁木の大きな声。
仁木「みんな四列に! すぐ変わるから早足
 早足!」
   その声にもGとHの歩調変わらず。
   前もろくに見ないで。
   突然後ろによろめくG。
女子G「きゃっ」
   釣られて立ち止まるH。
   Gのリュックの紐を掴んでいる潤。
   倒れかけたGを支える姿勢で。
   険悪な表情で潤に詰め寄るH。
女子H「何すんの、あぶないじゃん!」
潤「・・・危ないのはそっち」
   潤、前方を指す。
   GとH、歩道と車道の際に。
   歩行者信号は赤、行き交い始める車。
   横断歩道の向こうで手を振る仁木。
仁木「待ってるから! 信号変わったら追い
 つきなさい!」
   リュックの紐から潤を振りほどくG。
女子G「・・・口で言えよ」
   GとH、潤を睨んでからコソコソ話。
   ポンと潤の背中を叩く夏芽。

●小学校・五年二組教室・夕
   ますます俯く潤。
潤母「それならいいんですけど・・・。少し
 神経質すぎやしないかって父親も気にする
 ものですから」
仁木「うーん。確かにもうちょっと肩の力を
 抜いてもいいかもしれませんね。ですが」
   潤、少し視線を上げて仁木を見る。
仁木「潤さんの心配性は、きっと『誰にも傷
 ついて欲しくない』っていう優しい気持ち
 から来ていると思うんです。そういう所は
 否定せず見守ってあげてください」

●同・廊下・夕
   教室から一礼して出る潤母。
   傍らの潤の手を握って。
潤母「帰ろっか。今晩はクルクル寿司にしよ」

●同・朝
   手洗い場で花瓶の水を換える潤。
   寸分たがわないルーティンで。

●同・五年二組教室・朝
   花瓶を捧げ持って前の扉をくぐる潤。
   数歩入った辺りで片足が滑る。
   花瓶の縁から少しこぼれる水。

●同・承前
   ロッカーの上にラベンダーの花瓶。
   教卓横の床にしゃがみ込む潤。
   一部分だけ不自然に光る床を凝視。
   潤の頭の上で滞空する一匹の雀蜂。

●同・廊下・朝
   手洗い場で雑巾を絞る潤。
   少しずつ登校してくる児童たち。
   潤を不審顔で見ながら通り過ぎる女子。
   各務万葉。

●同・五年二組教室・朝
   蜂の巣をつついたような教室。
   仁木がチャイムと共に入室。
仁木「ハイハイ。今朝も元気で結構ですね。
 その調子で一時間目の英単語テストも悠々
 クリアしてくださいね」
   一部の男子からブーイング。
   仁木、教卓横の床を無事通過。
   教卓の前に立って教室を見回す。
仁木「朝礼の前に、皆さんに紹介したい人が
 います」
   ざわめく教室。
仁木「香田先生、どうぞ」
   颯爽と入出する長身の女性。
   一部の女子から歓声。
仁木「先月から体育を手伝って頂いてるので
 今さらなんだけど、このたび二学期からの
 担任を正式にお願いする事になりました。
 あらためてご挨拶を」
香田「香田泉美です。先生としてはまだまだ
 未熟ですが、皆さんと一緒に成長して行け
 たらと思っています。二学期からよろしく
 お願いします!」
   香田、姿勢よく一礼。
   温かい拍手が教室に満ちる。
仁木「香田先生は私の大学の後輩なんだけど、
 ご覧の通り私より立派です。どこがとは言
 いませんよ」
   教室、どっと沸く。
   並び立つ仁木と香田の身長差。
仁木「見た目だけじゃなくて、内面も私より
 しっかりした先生です。皆さんもこれまで
 以上に気を引き締めて、たくさんのことを
 先生から学んでください」
   あちらこちらからハーイの声。
仁木「じゃあ先生、今学期が終わるまで見学
 と補助よろしくお願いします」
   香田、一礼して教室の後方へ。
   憧れの眼差しで見送る児童たち。
仁木「出席取るよー」
   教卓に威勢よく手を突こうとする。
   潤の耳に、突然爆音の翅音。
   思わずその場で立ち上がる潤。
   教卓の天板が外れて仁木が転倒。
   スローモーション、悲鳴。
   騒然とする教室、前に駆ける香田。

●同・体育館・午後
   跳び箱の授業。
   順番を待つ女子児童たちの顔に不安。
女子C「・・・大丈夫かな、ハルちゃん」
女子D「おなか打ってないから平気だって言
 ってたけど・・・」
   無表情で列に並ぶ潤。
   前に並ぶ万葉、振り向いてきつい視線。
   笛を吹く香田。
香田「ハイ、次の人!」
   万葉の前の女子が走り出す。
万葉「・・・朝、いつも早いのね」
   万葉の視線を受け止める潤。
   跳び箱に乗り上げる音と溜息。
万葉「なんで?」
潤「・・・忘れ物しても取りに帰れる」
万葉「それだけ?」
   ピリピリした会話を遮る笛。
香田「次、各務さん!」
万葉「はい!」
   潤を睨んだまま返事。
   跳び箱に向き直り走り出そうとする。
   またもや襲う強い翅音。
   万葉の裾を掴もうとして躊躇する潤。
   遠足の時の女子Gの悪態が甦る。
女子G(声)「口で言えよ」
潤「待っ・・・」
   時すでに遅し。
   華麗に走り出した万葉、踏切板に足。
   乾いた音と共に踏切板に穴。
   そのまま跳び箱に向かって倒れ込む。
   潤の瞳に宿る絶望。
   嘲笑うように目の前で羽ばたく雀蜂。

●同・五年二組教室・朝
   教卓に香田。
   神妙に着席した児童たち。
   潤の後方から睨んでいる万葉。
   右手の指に巻かれた包帯。
香田「ということで、仁木先生に大きなケガ
 はありません。大事を取って今週はお休み
 されますが、月曜から復帰される予定です
 ので皆さん落ち着いて・・・」
   校内放送の合図。
香田「校長先生からのお話です。静かに聴く
 ように」
校長(声)「えー、全校の皆さん、おはよう
 ございます。今日は皆さんに大切なお願い
 が有ります。よく聴いて、校長先生と約束
 してください」
   校長先生の話。
   校内設備の老朽化について。
   そのために起こった数件の事故。
   緊急点検の結果と対策。
   遊具等は一週間使用禁止とすること。
   何事も先生の指示に従って、等々。
   後ろの席に振り返る夏芽。
   硬い表情の潤に囁きかける。
夏芽「潤ちゃんは心配しなくていいよ。先生
 たちがちゃんとしてくれるから」
   夏芽、万葉の厳しい視線に気づく。
   隣から万葉に囁いている女子G。
女子G「折れてなくてホント良かった。右手
 しばらく使えないよね。ノートは代わりに
 取ってあげるから」
   突然立ち上がる万葉。
香田「どうしましたか各務さん。お話はまだ
 終わっていませんよ」
万葉「今、校長先生言ってましたよね。色々
 な物が傷んだり緩んだりしてたって。それ
 って自然にそうなったんですか。それとも
 誰かがわざと」
香田「それはちゃんと調べてからでないと分
 かりません。ですが、恐らくは自然に劣化
 して・・・」
   万葉、答えを聴かずに教室後方へ。
   ロッカーの中を漁り始める。
   教室、不穏な空気に。
香田「各務さん、何を・・・」
夏芽「万葉、そこ潤ちゃんの・・・」
   向き直って巾着袋を示す万葉。
万葉「そうよ。これは十河さんの私物」
   巾着袋から次々と中身を取り出して。
万葉「カナヅチ、ドライバー、ヤスリ」
   最後尾の男子Aの机に置いていく。
   A、抗議もできずドン引き。
万葉「これは何かしら、変な液体。こんな物、
 何の授業で使うの、説明してみなさいよ」
   硬直したように動けない潤。
   潤の横を通って万葉の手首を掴む夏芽。
夏芽「いいかげんにしなよ。人のもの勝手に
 広げて。何が言いたいの」
万葉「それを今から言おうとしてるのよ。用
 もないのに毎日朝一番に来てコソコソ何を
 やって・・・」
夏芽「お花の水換えたり教室の空気入れ換え
 たりしてくれてるの潤ちゃんなんだよ!」
   思わず力が入る夏芽。
万葉「・・・痛いんだけど」
   夏芽、ハッとして手首を離す。
夏芽「・・・ごめん」
万葉「夏芽、あなたも幼馴染だからってあの
 子の肩ばかり持つよね。もうやめときなよ、
 アイツおかしいんだから」
香田「各務さん、多賀さん、席に戻って」
   仲裁に入る香田。
万葉「先生、学校のもの壊して私やハル先生
 をケガさせたの、十河さんじゃ・・・」
香田「冷静になりなさい!」
   香田の凛とした声が響き渡る。
   静まり返る教室。
   尚弥、動きたくて動けなくて。
   おずおずと手を挙げる女子G。
女子G「あの・・・十河さんが変なの、私も
 前から思ってて・・・」
香田「発言してもいいと言いましたか」
   香田の視線に縮こまるG。
香田「この話は後日、仁木先生とも相談の上
 で個別に聴きます。それまでは根拠の無い
 話を勝手に広めないこと。分かりましたね」
   重苦しい教室を見回して。
香田「分かったら、自習の準備をしなさい」

●同・図書室・夕
   片隅の机で読書中の潤。
   何かに気を取られて頁が進まない。
   隣の椅子を引く気配。
   チラ見する潤の視界に尚弥。
   ライトな児童小説を開いて。
   潤の視線にうろたえる尚弥。
尚弥「何だよ。空いてるんだからいいだろ」
潤「別に」
   椅子をずらして少し距離を置く潤。
   漫然と頁をめくり始める尚弥。
潤「読むの早いね」
尚弥「うっせえな・・・」
   潤、自分の本に目を戻すがすぐ閉じる。
尚弥「・・・気にしてんの?」
潤「何を」
尚弥「各務の言ってたこと」
潤「別に。関係ないから」
尚弥「お前さ、もうちょっと長い言葉喋れよ。
 そんなだから誤解されて・・・」
潤「誤解、何が」
尚弥「あのなあ・・・。てか、マジでやって
 ないんだろ、違うのか」
   咳払いする図書委員。
尚弥「・・・俺はやってない派だから。それ
 に多賀も味方なんだし。きつかったら助け
 を求めたっていいんだからな」
   顔を赤らめながら呟く尚弥。
   その横顔をじっと見つめる潤。
潤「・・・ありがと、モーリス」
尚弥「も、モーリスはやめろ。名前でいい」
   尚弥、胸の名札を見せつける。

●十河家・潤の部屋・夜
   ベッドに座って思案顔の潤。
   隣の居間から漏れ聞こえる両親の会話。
潤父(声)「・・・どうだったんだ潤は」
潤母(声)「香田先生がおっしゃるにはとん
 でもない濡れ衣だそうよ。でも子供同士の
 心のすれ違いを修正するには時間がかかる
 って・・・」
潤父(声)「あの子も他人に理解されにくい
 部分があるからなあ。やっぱり一度カウン
 セリングに・・・」
潤母(声)「お父さん!」
潤父(声)「これはあくまで一つの選択肢と
 してだな・・・」
潤母(声)「親が安易に病気扱いするなんて。
 あの子は人より少しだけ慎重で、少しだけ
 勘がいいの。それだけ。そんなこと言うん
 ならお父さんだって」
潤父(声)「な、何だよ・・・」
潤母(声)「ストーブ消し忘れたかも、元栓
 閉めたかな、鍵掛けたよなって、同じ日に
 三回も家に引き返したことあるくせに」
潤父(声)「それは・・・だってさあ・・・」
   ベッドに寝転がる潤。
   リモコンで常夜灯にして目を閉じる。

●小学校・廊下・朝
   無人の廊下をやって来る潤。
   五年二組の前に人影が見える。
   鍵を開けようとしている香田。
   潤の気配に気づいて顔を向ける。
潤「・・・おはようございます」
香田「おはよう。本当に早いんですね」
   爽やかな笑顔を潤に向ける。
香田「仁木先生や多賀さんから聞きました。
 毎朝教室を気持ちよく調えてくれてありが
 とうございます。でも」
   教室の扉を開放して。
香田「今は少しセーブした方がいいかもしれ
 ませんね。そう・・・せめて各務さんたち
 の誤解が解けるまでは」
   香田を見上げる潤の読めない瞳。
香田「私も全力でサポートしますから。余り
 目立たないように、ね」
   コクリと頷いて教室に入る潤。
   その背中を見送る香田。

●同・五年二組教室・朝
   浮き立ったような教室の空気。
   万葉の席に歩み寄る夏芽。
   机を整理する万葉の指に包帯は無い。
夏芽「指、もういいの?」
万葉「・・・社交辞令はやめて」
夏芽「・・・・・・」
   夏芽、溜息をついて自席へ。
   出し抜けに開く扉。
   畏まった面持ちで入ってくる仁木。
   一斉に着席する児童たち。
   仁木、教卓にそっと教材を置く。
仁木「心配かけてゴメン。派手にこけたけど
 私もお腹の子も元気元気です。もー、この
 教卓ちゃんのせいでひどい目に遭ったよ。
 こいつめー」
   修繕済みの教卓をゲンコツでコツン。
   児童たちの安心した笑い。
   潤と万葉の顔には笑いは無い。
   夏芽と尚弥の表情も浮かない。
   最後方で見守る香田。

●同・音楽室・午前
   クラシック鑑賞の授業。
   シューベルト『魔王』日本語版。
   真面目に聴く者、居眠りする者。
   男子F、歌に合わせてふざけた口パク。
   通路を巡回する音楽教諭。
   Fの机をタクトでピシャリ。
   潤、リラックスした表情で鑑賞。
   万葉、苛々と指のささくれを弄る。

●同・五年二組教室・昼
   給食係の潤、シチューをよそう。
   具の量を公平にしようと慎重に。
   渋滞した待機列から不満の声。
   夏芽、席から心配そうに。

●同・午後
   回収したプリントを揃える仁木。
仁木「明日の家庭科は調理実習です。みんな
 エプロンを忘れないように。もし忘れたら、
 先生が用意したピヨピヨエプロン強制着用
 だからねー」
   飛び交う『えー』『ヤダー』の声。
   両手で耳を塞ぐ潤。
   それでも防ぎきれない蜂の翅音。

●同・廊下・午後
   教室から吐き出される児童たち。
   解放された喜びで階段へ殺到。
   お調子者が『魔王』の替え歌。

●同・校庭・夕
   水飲み場の蛇口から末期の一滴。
   吹き渡る夕風が砂を舞わせて。
   サッカーボールがゴールで戯れる。

●同・女子トイレ・夕
   帰宅を促す校内放送。
   個室に鍵をかけて息を潜める潤。
   虚ろに響く『遠き山に日は落ちて』。

●同・廊下・夕
   人の気配が消え失せた廊下。
   挨拶を交わす遠い声がどこかから。
   足音を忍ばせる潤。
   家庭科室の入口にすり寄って。
   じりじりした速度で扉を開ける。
   僅かな隙間から室内を覗く潤の瞳。
   扉に添えた手が緊張で強張る。

●住宅街・夕
   夕闇が垂れこめる住宅街。
   ランドセルを背負った潤が来る。
   犬の散歩やジョギングとすれ違い。
   前方の街灯の下に万葉。
   塾の鞄を自転車の前籠に乗せて。
   立ち止まって制服警官と話し中。
   エアポケットのように往来が途絶える。
   突然頭を押さえてうずくまる潤。
   視界の中で歪む万葉と警官。
   *****
   手帳に何かを書きつける警官。
   時間を気にして落ち着かない万葉。
警官「ごめんね、時間取らせちゃって」
万葉「あ、いえ・・・」
警官「このあと塾かな」
万葉「はい」
警官「今、お家にご家族は?」
万葉「誰もいません。出るとき鍵を・・・」
   万葉の腕に後ろから絡む腕。
潤「もー、こんな所で油売って!」
   仰天して振り返る万葉。
   潤、見たことのない満面の笑顔。
万葉「え、え・・・?」
潤「早く行かないと遅刻だよ。ヒグチの奴、
 一秒でも遅れたら教室入れてくんないとか
 マジだるいんですけどー」
   警官にもスマイルを向けて。
潤「もういいですかおまわりさん。遅れると
 親にも𠮟られちゃうんで」
   礼儀正しく頭をペコリ。
   万葉を引っ張って歩き出す。
万葉「ちょ、ちょっと・・・」
   抗えずにぐんぐん先へ。
   自転車ごと強引に引きずられるように。
万葉「何のつもり!? ヒグチって誰よ! 
 第一アンタ、塾になんか・・・」
   十分に離れたところで立ち止まる潤。
   元の鉄面皮に戻って。
潤「何て言ってたの」
万葉「え?」
潤「あの人」
万葉「・・・フタバさんのお家にドロボウが
 入ったから・・・目撃者を」
潤「この辺にはないよ、そんな家」
   万葉の腕を自由にする潤。
潤「行ったら。通報は私がしとく」
   茫然とした万葉を置いて離れかける。
潤「・・・気をつけて」
   振り返らずに重い声で。
   夕闇の底でサイレンが聞こえる。

●小学校・五年二組教室・朝
   プリントを列の先頭に配る仁木。
仁木「後ろに回してください。内容をよく読
 んで保護者の方にも忘れずに渡すこと」
男子B「ヤベー! にせ警官!」
男子E「警察手帳も持ってるって。そんなの
 どうやって見分けんだよ」
   ワイワイ盛り上がる男子。
   コソコソと話し込む女子。
女子G「マジでピンチの時ってさ・・・」
女子H「ウンウン」
女子G「思いっきり蹴ったらいいんだって、
 ア・ソ・コ」
女子H「うへぇ、靴の先っぽでも触るのイヤ
 なんだけど・・・」
   一人、プリントを凝視する万葉。
   ヘタウマな似顔絵に皺が寄る。

●同・家庭科室・午前
   各班に用意された鍋。
   既に切り終えた具材。
   それぞれ個性的な切り方で。
仁木「ここからは火を使うからね。おふざけ
 は絶対にナシ。まずは先生がお手本を見せ
 ます。みんな出来るだけ前に集まって」
   コンロのツマミに触れて。
仁木「元栓は今開けたので、ここを捻ると火
 が着きます。最初は強火だから、こっちで
 火力を調整して・・・」
   説明しながらツマミを捻る仁木。
   火花は散るが着火しない。
仁木「あれ、調子悪いなー」
   何度か試すも不発。
   近くで見ていた児童が混ぜっ返す。
男子A「センセー、ほんとに元栓開けた?」
仁木「開けたよ。見てたでしょ」
女子C「もっかい見てみたら? ハルちゃん
 天然だもんなー」
女子D「開いてたのを閉じちゃったのかも」
   キャハハ。
仁木「んなわけあるか。でも一応確認」
   屈み込んで収納扉を開く。
   収納スペースを覗き込む仁木。
仁木「ほら、ちゃんと開いてるし」
   後方からその様子を見つめる潤。
   妙に落ち着き払った顔で。
   収納スペースの暗がり。
   元栓とコンロを繋ぐ管の継ぎ目。
   ギチギチに巻かれた補修テープ。
仁木「じゃあ、あらためて・・・」
   その時、潤の横を通り過ぎる影。
   同時に襲い来る蜂の翅音。
潤「なんで・・・」
   潤の目と鼻の先に禍々しい雀蜂。
   ツマミを捻る仁木。
   青い炎が景気よく立ち上がる。
仁木「あ、もう大丈夫、香田先生」
   いつの間にか仁木の傍に香田。
香田「何だったんですかね」
仁木「プラグの電池が減ってたのかな」
   水を通して聞こえるような会話。
   潤、弱々しく手を挙げる。
仁木「教頭にお願いして早めに交換を・・・
 どうしたの十河さん」
   片手で額を押さえてうずくまる潤。
潤「ものすごく頭が痛くて・・・」
仁木「ありゃ大変。お味噌汁どころじゃない
 わね。えっと・・・保健委員!」
万葉「・・・ハイ」
   潤の隣の隣でおずおず挙手。
仁木「各務さん、悪いんだけど保健室まで連
 れていってあげて。先生、ここを離れられ
 ないから」
   万葉、仁木と潤に交互に視線。
万葉「あの・・・」
香田「私が行きます」
   返事を待たずに近づく香田。
潤「各務さん、お願い」
   毅然とした口調に香田の足が止まる。
   仁木、万葉の目を見て頷く。
   嫌々立ち上がる万葉、潤の手を取って。
万葉「・・・立てる?」

●同・廊下・午前
   教室を出た潤と万葉。
   万葉の腕を借りて階段の手前まで。
潤「ちょっと待って」
   万葉を振りほどいてポケットを探る。
   取り出したのは単語帳。
   廊下の壁に当てて何かを書き始める。
万葉「どういうつもり? 仮病なの?」
潤「・・・頭痛は本当」
   二頁分を破って細かく折り畳む。
   それを万葉の掌に握らせて。
潤「これを届けてほしい」
万葉「アンタやっぱりおかしいよ!」
   潤を壁に押しつける万葉。
   至近距離でぶつかる二人の視線。
潤「・・・私を信じて。今からすること全部
 ひっくるめて」
   潤の横にちょうど消火栓。
   振り上げた小さな拳が非常ベルに。

●同・校庭・午前
   蒼天に鳴り響く非常ベル。
   体育授業の児童たち、足を止めて。
   校舎の喧騒を他人事のように眺める。

●同・保健室・午後
   うららかな光に満ちた清潔な部屋。
   日誌を書くベテラン養護教諭。
   校内放送のチャイムが静寂を破る。
校内放送「保健のフジムラ先生、至急職員室
 までお越しください」
   養護教諭、ベッドの方に視線。
   カーテンの隙間から眠る潤が見える。
養護教諭「大丈夫そうね」
   日誌を置いて静かに部屋を出ていく。
   再び戻る静寂。
   *****
   静寂に低く混じる翅音。
   ベッドに忍び寄るしなやかな脚。
   開かれたカーテン。
   長身のシルエット、香田。
   慈愛の眼差しで、眠る潤を見下ろす。
香田「悪い子。散々邪魔してくれて」
   潤の頬を長い指で優しく撫でて。
香田「おかげで今日も・・・」
   潤の髪を指先で弄びながら。
香田「あんな事するから、隠し味入れ損なっ
 ちゃったじゃない」
   小さな薬瓶を取り出して。
香田「直接打つと、どうなるのかしら」
   反対の手には小さな注射器。
   瓶から透明の薬液を吸い上げる。
   空中に飛び散る雫。
   潤の靴下を脱がせ足首の静脈を探る。
   動きを止める香田。
   背後から『魔王』を歌う低い声。
   戸口から歩み寄るのは尚弥。
香田「・・・毛利さん、何の真似?」
   振り返らずに再び注射器を近づける。
尚弥「こっちの台詞だ、魔王の娘!」
   飛びついて香田の手首を掴む尚弥。
   そのまま立ち上がる香田。
   身長差に尚弥の足が浮く。
   易々振りほどいて片隅に叩きつけて。
尚弥「っ痛!」
香田「お行儀悪いです。先輩から何教わった
 んですか」
   そのまま尚弥に迫る香田。
   右足をテイクバックしてキック寸前。
万葉「もうやめて!」
   開いたもう一区画のカーテン。
   スマホを構えた万葉が仁王立ち。
万葉「ずっと撮ってるから! 動画で!」
   予備動作のまま固まった香田。
香田「・・・ったく、登下校時以外は使うな
 とあれほど」
   入口の扉が派手に開く。
   息を切らした夏芽がそこに。
夏芽「間に合った? 私間に合ったよね?」
潤「ありがとう。十分だよ」
   ベッドに起き直っている潤。
   香田と無言で視線を戦わせる。
   ようやく攻撃態勢を解く香田。
香田「で?」
   上から目線で児童たちを見回して。
香田「無力なお子ちゃまが雁首揃えて、何を
 しようと言うのですか」
教頭「何をするか考えないとならないのは、
 あなたの方では?」
   夏芽の後ろから入ってくる教頭。
教頭「残念です、香田先生。あなたの事は高
 く買っていたのですが」
   教頭、児童たちに目を配って。
教頭「無事でよかった。先に教室に戻って。
 ここからは大人の仕事です」
   出口へと動き出す児童たち。
   香田を避けるようにして。
香田「・・・来年の本採用は?」
教頭「その事はまたゆっくりと。あなたには
 何よりも休息が必要みたいだ」
   香田の横を通り過ぎた潤。
   その頭上に巨大な雀蜂の姿を見る。
   注射器の針先、香田の頚静脈を向いて。
潤「あぶない!!!」
   潤が飛び掛かるよりも早く。
   香田の背後にいた尚弥が両足タックル。
   そのまま前のめりに倒れる香田。
   潤の足下に虚しく転がる注射器。
潤「・・・グッジョブ、モーリス」
尚弥「モーリス言うな」
   香田の背中から眩しそうに笑う尚弥。

●仁木家・居間・昼
   ソファに赤ん坊を抱いた仁木。
   スヤスヤと眠っている赤ん坊。
   仁木を取り巻く児童たち。
   夏芽、尚弥、万葉、潤。
夏芽「ハルセンセに似てるね。ほっぺとか」
仁木「ウソ、こんなにモチモチしてる?」
   赤ん坊の頬をチョンと突く。
万葉「今はちょっと痩せたけど、前までは」
仁木「うーん、これは喜んでいいのか。褒め
 言葉かどうか微妙なんだけど」
   頬をもう一度チョン。
仁木「少なくともここまで瑞々しさは無い」
夏芽「香田センセは綺麗だったね、肌」
   ハッと口を噤む夏芽。
   一瞬で訪れる重苦しい空気。
夏芽「・・・ゴメン」
   万葉、夏芽の肩をギュー。
夏芽「痛い、痛いって」
万葉「オッチョコチョイ!」
仁木「まあまあ」
   仲裁する仁木。
仁木「謝らないといけないのは私。みんなに
 嫌な思いや怖い思いさせて。それにあの子
 の歪みにも気づいてあげられなくて」
潤「先生のせいじゃない」
   一斉に潤に向けられる視線。
尚弥「・・・そうだな」
夏芽「先生は先生ってだけで大変だもん」
万葉「人間はとかく謎ばかりね」
   紅茶を上品に啜る万葉。
尚弥「出たよ、各務のお嬢様モード」
万葉「ハア? 戦争でもする?」
   色々な想いに目尻を拭う仁木。
仁木「それでみんな、授業はどう?」
夏芽「教頭センセの教え方、意外と上手」
万葉「意外と、は余計じゃない?」
尚弥「うまいのは否定しないけどさ、無駄話
 がなげーよ。こないだなんか国語残り半分、
 落語独演会だぜ」
夏芽「私あれ面白かった、小言ナントカ」
   少しぐずり出す赤ん坊。
仁木「おーヨチヨチ。おなかすいたのかな」
   仁木、立ち上がって屈伸。
   赤ん坊、たちまち上機嫌。
仁木「サボるな母上、ってことらしい」
夏芽「ね、センセ。抱いてもいい?」
仁木「首座ってないけど、抱き方わかる?」
夏芽「弟三人この手で育てましたから」
   夏芽、力こぶ。
仁木「OK、お願い」
   夏芽の腕の中で不思議そうな赤ん坊。
万葉「・・・私も抱きたいです」
尚弥「あ、俺も・・・」
仁木「せっかくだし、みんなの運気ちょっと
 ずつ分けてもらおっか。じゃあ順番にね」
   母性溢れる万葉の抱き方。
   おっかなびっくりの尚弥の抱き方。
   その様子を外野から見つめる潤。
   次第に高まる蜂の翅音。
仁木「十河さん?」
   赤ん坊を潤に差し出そうとする尚弥。
   腕を後ろに回して首を横に振る潤。
仁木「心配しないで」
   仁木と視線を合わせる潤。
仁木「あなたは誰かを傷つける人じゃない。
 誰かを守れる人。だから先生は安心して委
 ねられるんだよ」
   潤を見て頷く尚弥、万葉、夏芽。
   尚弥から赤ん坊を受け取る潤。
   ぎこちなくも慎重な抱き方。
   赤ん坊、腕の中で少しモジモジ。
   やがて安心したように眠りに落ちる。
   潤の頭上で弾け散る雀蜂。
   黄金色の雨となってキラキラ降る。
   潤、ふっと微笑んで。





                   了


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