組織・人材開発コンサルタントの独白

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りょーこち

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September 27, 2005
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私はもともと、”ど”がつくような田舎出身だったりするためか、かなり常識というものからはかけ離れているところがあるらしい。

大学で一人暮らしをはじめたころは、都会人のものごとの考え方についていけず、いろんなことを偏見の目で見ていたと今は思う。

たとえば、服を買いに行った時に、店員さんに近寄られるのがいやで、近寄られた瞬間、「無理やり売りつけられるんだろうか?」とか「僕みたいな田舎ものはいいカモだ」なんて、考えていたような気がする。

今から思えば、自意識過剰もいいところだが、自分の身を守るのに精一杯だった気がする。

社会人になってからもそれは続いたが、コーチとしての訓練を受けるようになってそれは徐々になくなった。

今となっては、1週間に何十人もの人に会うようになっているため、偏見で人を見るのはつくづく危険だと思う。

自分自身のことが良くわかっていないのに、人のことはわかることはないんだろうなと実感している。


コーチングでは、一人の人と深くかかわっていくので、「この人は、こんな人だ」と決めつけた時点で、セッションが成り立たなくなるし、クライアントが別人のように成長するさまを見ると、如何に自分の偏見がおろかだったかということに頭をハンマーで殴られるような気がする。


昔は偏見は人を見る目があるかどうかの違いで、人を見る目がない人は偏見を持つのではないかと考えていたが、どうやらそれは違うらしい。


人は人の姿の中に自分の姿を見ているらしい。いわば鏡のようなものだ。

他人という鏡を通して、自分を観ているのだから、「偏り」があるということは、自分の中になんらかのゆがみがあると思ったほうが良いようだ。


確かに私自身を振り返ってみても、自分のことを本当に好きになれなかったり、自信がなかったときは、人を「偏った」目でみていたような気がする。

それは人へのさげすみだったり、ねたみだったりすることが発端で、結果的に人を偏った目で見ていたんだろう。


ここ数年、多くの出会いのおかげで、ずいぶん自分の捉え方が変わってきた。そのことは、心に余裕を生み、人のことを特段、どうこう思うこともなくなった。

気がついてみると、あまり人のことを偏見の目で見ていない、もしくは人のことが気になっていなかったのである。


それは、とても良好な人間関係をもたらしてくれた。

以前の苦労はいったいなんだったんだろうと思うくらいである。


しかし、そんなえらそうなことをいいつつ、自分が偏見の目をもってやっぱり人を見ていることに、つい最近気付いた。

例の最年少議員のタイゾー君の動向である。

彼に関する報道を聞くたびに、いろんな想いが頭をよぎる。

ふと、気がついてみるとそれは何のことはない自分の偏見なのである。

その奥底にあるものは、鏡を曇らせてしまう自分のゆがみである。

自分のゆがみを見つけては、それを手放していく。

そんな修行のような日々を送っている私はつくづく変わり者だなと思う今日この頃である。





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Last updated  September 28, 2005 12:30:13 AM


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