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釈尊の生誕と出家(3)

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          釈尊の生誕と出家(3)
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。 話はまだカピラヴァストゥです。

四画で囲んで
あるところの
詳細がこっち ==>

☆若き日の釈尊の生活
シッダールタ太子は、やがて王位を継ぐべく英才教育を受けます。
文学・芸術・政治・数理学・聖典などなど。。
また、戦争を指揮するために武芸で身体を鍛えました。

当時は戦乱の世の中だったためですね。
近隣諸国が闘いあうってことがよくあったようです。

けれども「強く賢い王となってもらいたい!」
という父王の願いとは裏腹に、太子は非常に繊細で哲学的・内省的・瞑想的 な性格を持つ
優しい若者に成長していったのです。

ひとりで考え事をするのが好きだったんですね!
思索することを好む性格だったのです。
でも、やがてこの性格が偉大な悟りへの原点となるわけですが。

シュッドーダナ王の王宮には太子を喜ばすために蓮池があちこちにあり、
青・紅・白の蓮が植えられていたようです。

太子には3つの宮殿がありました。
冬のための宮殿、夏のための宮殿、雨季のための宮殿です。
当時のインドでは雨季となると何ヶ月も雨の時季が続いていたわけです。
それで雨季の4ヶ月は雨季のための宮殿に住み、
女性だけの伎楽に囲まれて優雅な生活を送っていたのです。
が、思索を好む性格だったために人生に対する疑問は感じていたわけです。

伎楽っていうのは、今で言う仮面舞踏劇みたいなものですかね。
こうして太子は何不自由のない贅沢三昧の日々を送るわけですよ!
まず若き日に贅沢を極めるという一方の極端を味わうわけです。
もう一方の極端はいずれ出てきますけれども出家して、
食べるものもろくに食べず着る物も着ず、肉体をいじめ抜く修行の
日々をやがて送ることになっていくわけですね。
この両極端を知ることが重要なポイントとなります。

豊かな王宮生活の中で労られ、恵まれていても太子の人生に対する
疑問は解けませんでした。

☆禅定を好む太子
ある年の春、父王のシュッドーダナ王は多くの家来と一緒に鋤入れの儀式を行いました。
鋤入れの儀式っていうのは、初めてその土地に手をつけるっていう意味の儀式ですかね。
今では地鎮祭の儀式のうちなのかもしれませんが。

そこで太子は、鋤で掘り返された土の中から虫が現れると、
あっという間に鳥が飛んできて虫をついばむ姿を目撃したのです。
生き物同士が食い合うという残酷な事実を目の当たりにして、
太子は居たたまれず、近くの森へ行き木陰に座って物思いにふけるのでした。

若き日の釈尊はかなり繊細な心の持ち主だったのがわかりますね!(^^

その繊細でいつも何かを思い悩んでいるような太子を、父王は大変心配して、
「太子にはこの世の汚いもの、悪いものはできるだけ見せないように!
 苦しみ、悲しみから離れた生活をさせるように!」
と家来たちに注意していたのです。

☆太子の結婚
そして、太子が心を落ち着けて政治の仕事に励めるようにするため、
16歳になると、釈迦族の家柄のよい若くて美しいヤソーダラを
選んで太子の妃としました。
ヤショーダラとも言ったりしますね。
インド語って日本語にするといろいろな呼び方になっちゃうんです。

しかし、妃をもらっても、太子の繊細で瞑想的な体質は変わらず、
時折、政務を離れては木陰で禅定することを好んでいたのでした。
まだ、今でいうと高校生くらいの歳なのですけどね。

・・・ 釈尊の生誕と出家(4)へ つづく・・・



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