育てているのは未来です

育てているのは未来です

中山さん


宇和島の祖父母の家から中学校に通っていた頃、同級生に中山さんという頭も性格も素晴らしい女の子がいました。その子のお父さんは小児科のお医者さんでしたが、ご両親とも、親のいない私をとても気にかけてくださり、クリスマスなど家族で楽しむイベントの時には、いつもいっしょに楽しませてもらっていました。
 なんの目的だったかよく覚えていませんが、クラスで廃品回収をして資金を集めようということになった時、我がことのように熱心に協力してもらったことを記憶しています。中山さんは宇和島市内の県立高校に進学しましたが、私は中学卒業と同時に松山に戻って就職したので、それっきり会う機会はありませんでした。
 何年か経った1966年(昭和41年)松山沖に全日空のYS-11が墜落して乗客乗務員50名全員が亡くなるという事故があり、新聞に中山先生の名前を見つけて絶句しました。当時はまだ飛行機は誰でも使えるというような交通手段ではなかったので、乗っていた人は新婚旅行の人が約半数と学会に出席した帰りのお医者さんがほとんどでした。
 中山さんは、とても大きな心の傷をおったことだろうと思います。医師がいてこその開業医なので、その後のご家族の苦労は想像するに余りあります。そんな中でも、中山さんは優秀な成績で大学を出て厚生省に入りました。
 その後、手紙のやりとりもなくなって現在の状況はわかりませんが、辛い時代に本当に親切にしていただいたご家族なので、今でも忘れることはありません。


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