静岡の四季 0
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コオニユリ(小鬼百合)零余子ができるのがオニユリキリンソウ(麒麟草)キンミズヒキ(金水引)ダイコンソウ(大根草)キバナノカワラマツバ(黄花の河原松葉)キオン(黄苑)鹿が食べないので群生しています。キオンオトギリソウオトギリソウミツバベンケイソウ(三葉弁慶草)オオマムシグサ(大蝮草)の実ハナヒリノキ(嚔ノ木)有毒植物でウジ殺しに使う葉の粉が鼻に入るとクシャミが出ることからが由来鹿が食べないからか登山道脇にはたくさん生育している。マルバダケブキ(丸葉岳蕗)鹿が食べないので群生している。マルバダケブキミツモトソウ(水元草)山地の谷沿い、水辺、湿った林縁に生育する。メタカラコウ(雌宝香)キヌタソウ(砧草)コバノミミナグサ(小葉の耳菜草)伊吹山の特産種で石灰岩地に生育、最近山口県の石灰岩地でも発見されています。環境省絶滅危惧 IA類(CR)キクムグラ(菊葎)?伊吹山で検索すると出てきます。特徴が似ているのでもしかしたら・・フッキソウ(富貴草)トウバナ(塔花)クサタチバナ(草橘)の実環境省準絶滅危惧種(NT)キョウチクトウ科(旧ガガイモ科)の植物の実は同じような実をつけています。クサタチバナは鹿が食べないと言われていましたが、最近は食べるようになったとかシシウド(猪独活)ネットで囲ったところに咲いていました。ノリウツギ(糊空木)時間がなくて中央登山道まで歩けませんでしたので出会っていないお花もいくつかありました。キンバイソウは見たかったかな・・・今回訪れた伊吹山調べてみたら4回も登っていました。初めて登ったのは2002年近江長岡から表登山道を登りました。見渡す限り、お花畑が広がり感激でした。2012年、10年ぶりに表登山道から登りました。2013年は、濃霧で単独では不安になり、JR関ヶ原駅から登山バスを利用しました。2019年は表登山道を午後4時過ぎから登り始めて中腹で日没、鹿の目が光ったり鳴き声に心細くなり、下の方に2つのヘッドライトが光るのを確認して、登ってくるのを待って山頂まで一緒に登りお土産屋さんで仮眠しました。夜中から濃霧になり、残念ながら翌朝のご来光は見られませんでした。2007年の3月には、大阪のブログ友さんと3人で残雪の伊吹山に登ろうと当時3合目まであったロープウェーに乗って出かけましたが、山頂目指すのは止めて3合目で雪遊びをしたり、セツブンソウやスハマソウを探したりと1日のんびりと過ごしたこともありました。今年5年ぶりに訪れて、雑草が生い茂り、ネットで囲ったところだけが花が咲いている余りの花の少なさに本当にびっくりしました。特に東尾根登山道は全くと言っていいほど花がありませんでした。あったのは鹿が食べないマルバダケブキの群落、その近くの斜面には鹿が数頭何かの草を食べていました。ネットが壊れているところが多く、聞くところによるとネットを超えて鹿が入ってきているとか2002年に初めて登った時の伊吹山のお花畑です東尾根登山道現在の伊吹山東登山道雑草だけで花がありません。5年前はまだ花はありました。
2024/08/06
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シモツケソウ(下野草)鹿の食害で壊滅的な被害を受けましたが、鹿除けネットを張って少しづつ回復してきました。この時期、このお花畑がメインで観光客が来るようです。シモツケ(下野)シモツケソウは草本、シモツケは木本です。終盤でわずかに咲き残っていました。ヒメフウロ(姫風露)/別名シオヤキソウ(塩焼草)臭いが焼いた塩の臭いがするからが別名伊吹山、霊仙山、養老山地、四国剣山の一部の日当たりのよい石灰岩地に生育。北海道、本州には観賞用に帰化したヒメフウロが生育している。希少種をレッドリストにまとめているが、外来種はブルーリストにまとめられている。ヒヨクソウ(比翼草)オオバコ科クワガタソウ属 以前はゴマノハグサ科北海道西南部、本州、四国の日当たりのよい草地に生育。葉腋から細長い花序が対になって出ている様子からが由来花が終盤で対になった花序がわかりませんでした。ミヤマコアザミ(深山小薊)石灰岩地の伊吹山山頂のみに生育するノアザミの変種ノアザミよりも背が低く葉の棘が多いクルマバナ(車花)茎を囲むように花が咲くことから車の車輪にたとえたことが由来クサフジ(草藤)カワラナデシコ(河原撫子)ウツボグサ(靫草)イワアカバナ(岩赤花)ヤマホタルブクロ(山蛍袋)
2024/08/05
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ルリトラノオ(瑠璃虎の尾)オオバコ科ルリトラノオ属山頂部の草地に自生している伊吹山の固有種環境省絶滅危惧 ll類(VU)瑠璃色をして虎の尾に似た花を咲かせるからが由来葉が対生して茎が1本のものから、分枝して多数の花を咲かせるものがある。クガイソウ(九蓋草 九階草)オオバコ科クガイソウ属本州の山地や高原の日当たりのよい草地に生育。輪生する葉が茎に何段にもつくことからが由来ルリトラノオと似ているが茎は分枝しない。
2024/08/04
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キバナノレンリソウ(黄花の連理草)ユーラシア大陸と北アフリカに分布し、アメリカに帰化して牧草に利用されている。日本には伊吹山に帰化している。織田信長がポルトガルの宣教師にヨーロッパから薬草を持ち込ませて伊吹山に薬草園に移植したなかに紛れ込んでいたものが帰化したといわれている。
2024/08/02
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伊吹山は新花の百名山にもなっているお花の宝庫です。伊吹山で発見されたイブキとつく名前の植物は27種類あるそうですが今回出会えたのは4種類のみでした。イブキフウロ(伊吹風露)イブキトラノオ(伊吹虎の尾)イブキジャコウソウ(伊吹麝香草)イブキシモツケ(伊吹下野)花は5月終わっていました
2024/07/31
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観光は嵐山の渡月橋を渡っただけメインは、ひ孫の陽咲ちゃんに会うのが目的でした。生後1ケ月たち、赤ちゃんらしくなってきました。孫からは毎日写真が送られてきますが、やはり、実際に会うと可愛さが違います(婆バカならぬヒィ婆バカですかね)😆嵐山は最寄駅から電車で2駅でしたが、しかし、今月20日に家族で長野へ戻るとのことで京都へ行くのもこれが最後になったか
2023/12/10
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長く長~く続いた「てくてく京都」の旅も今回が最終回金閣鹿苑寺の続き。鹿苑寺というよりも金閣寺のほうが鹿苑寺は金閣だけでなく他にも方丈不動堂茶室 夕佳亭(せっかてい)夕日に映える金閣が佳いことからが由来貴人楊貴人が座ったといわれる椅子の形をした石龍門の瀧 鯉魚石鯉の形をした石と奥の岩が龍の形をした岩鯉が瀧を登ると龍になるという銀河泉義満公のお茶に使われた泉厳下水義満公の手洗いの水金閣寺垣カキツバタ(杜若)の返り咲き今頃咲いているのにはびっくり金閣寺を出たのは4時もう1ケ所はちと遅いかな地下鉄経由で京都駅へ駅弁購入して車内で速攻完食1日目 22000歩2日目 27000歩「てくてく」としたからには、もっと歩けるかなと思ったけど、以前のように往復夜行バスではなく往復新幹線利用だから廻れる時間が2日間で6時間も違ってくる。こんなものなのかな・・・京都は1泊2日ではとても回りきれないところです。今回は久しぶりに孫との再会もありあっという間の1泊2日のてくてく京都の旅でした。
2018/12/17
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大覚寺を出たら2時、おなかぺこぺこだけど、周りをみてもお店がない、待たずに金閣寺方面へ行くバス(途中乗り換え)が来たので久しぶりに金閣寺へ行ってみよう門前に軽食スタンドがあったので肉まんを買って我慢、もうちょっとがんばろう総門観光客だらけ・・himekyonもそのひとりだけど鐘楼このあたりは観光客もまばら鹿苑寺 金閣池の周りは人、人、人・・中国語が飛び交っている・ここは日本?人垣の隙間から金閣を撮る
2018/12/16
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京都の旅2日目化野を後にして民家と畑の小道をぬって25分大覚寺まで歩いてみました。旧嵯峨御所 大本山 大覚寺勅封心経殿60年に一度開封される嵯峨天皇が書写した般若心経村雨の廊下各諸堂を結ぶ回廊で縦の柱を雨、直角に折れ曲がってお堂を繋いでいるので稲妻にたとえている床は鴬張りで天井は低く槍や刀を振り上げることができないようになっている。御影堂勅使門正寝殿 寝殿 襖絵五大堂大沢の池嵯峨御流嵯峨天皇が大沢の池の菊を花瓶に挿されたのが始まりとのこと
2018/12/15
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京都2日目化野念仏寺化野(あだしの)「あだし」は、はかない、むなしいの意味があり、この世に再び生まれかわること、極楽浄土に往生する願いを意味してるとのこと化野は古くから葬送の地風葬から土葬になり、石塔をたてていたものが年月をへて化野一帯にうもれていたために明治時代に地元の人人により集められて今の姿になったという西院の河原中に入っての撮影禁止仏舎利塔鳥居本伝統的建造物保存地区へ小さなみかん茨城県筑波の福来みかん(ふくれみかん)みたい、名前があるのかなきれいな薄紫の野菊が1輪あなたのお名前は?三叉路まで戻ると小さな標識に大覚寺への文字が大覚寺まで歩いてみよう
2018/12/14
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京都2日目常寂光寺~祇王寺へ去来の草庵 落柿舎常寂光寺から祇王寺へ向かう途中にありますが、今回はパス、手前の広い空き地から望遠で祇王寺平清盛の寵愛を受けていた白拍子祇王清盛の心変わりで都を追われ、この地で母と妹と出家清盛が、祇王から自分への心変わりをみた仏御前も後を追って出家4人で暮らした吉野窓 日本の三大菊 嵯峨菊 滝口寺平重盛の家来滝口入道と、建礼門院付の女官横笛の悲恋物語檀林寺門跡嵯峨天皇の皇后が創立したお寺檀林寺裏の竹林に皇帝ダリアが咲いていました。今年はなかなか出会えませんでしたが京都で出会いました。
2018/12/13
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天龍寺塔頭宝厳寺をあとにして常寂光寺へ向かいます。野々宮神社は縁結びの神様観光客で大賑わい行列ができていました。外から眺めるだけ・・・~~~~~常寂光寺山門仁王門市川房枝氏の「女の碑」~~~~~~椿の葉に紫色の輝くものが・・そっと近づいてみるとムラサキシジミこの日は汗ばむほどの上天気日向ぼっこしていたのかな
2018/12/12
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京都2日目は嵯峨野路京都駅からバスで嵐山へ 渡月橋でバスを降りて嵯峨野へと歩きます。大本山天龍寺今回は 特別公開の塔頭 宝厳院へ嵐山羅漢宝厳院ボケ(木瓜)の実死し岩塔頭 豪原光源院こちらも特別公開でしたが、写真はありません。
2018/12/11
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京都の旅2日目は、京都駅からバスに乗り嵐山へバスの車窓から立派な山門と「聖徳太子殿」の大きな石柱が見えてきました。このお寺は?バスのアナウンスが「太秦広隆寺」途中下車をすることにしました。「弥勒菩薩半跏思惟像」で有名な広隆寺でした。広隆寺楼門山城国(京都)で一番古いお寺で聖徳太子が建立に関わったとされています。朝鮮から渡来した秦氏がこの一帯を支配し聖徳太子に仕え、日本に産業をもたらしたとされています。十月桜かな薬師堂能楽堂地蔵堂舎井戸太秦殿講堂上宮王院太子殿弁天社旧霊宝殿弥勒菩薩繁華思惟像が展示されている。薄明りの中に安置されていました。撮影禁止受付の奥の細い道を入ると桂宮院があったようだけど入れるかどうかわからずパスしてしまいました。再びバスに乗り嵐山へ渡月橋のたもとのバス停で降り嵯峨野へ向かいました。渡月橋9時半にバス停に着きました。観光客が写らないように撮っていますが実際には大勢の観光客がいます。渡月橋は渡らずすぐに嵯峨野路へ向かいました。
2018/12/09
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京都2日目は、高雄を変更して嵯峨野を歩くことにしました。京都駅からバスで嵐山へ野々宮の竹林外国人に人気のある人力車今は人力車専用道があるようです。(全部ボケボケです)右奥に見えるのは竹林を歩く観光客立ち止まるのは難しい観光客の頭越しにやっと撮った1枚竹林の公園がありました。竹林の向こう側に人力車がずらっと並んでいます。トロッコ列車(これもボケボケ)踏切を渡ってしばらく歩いていたら遮断機の音が鳴りだしてもしかしたらトロッコ列車かな急いで戻ってみたら最初に通過したのは山陰線の特急列車残念!と歩きだしたらすぐに警報機が鳴りでしてトロッコ列車です路面電車今も走っているんですね。
2018/12/08
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1泊2日の京都の旅1日目大原の里最後は寂光院京都に着いて観光センターで情報収集、大原の紅葉は終盤ですとのこと、確かに終わりかけでした。パンフレットには、午後早くに陽が翳る寂光院を午前中に廻るとよいと・・何度も訪れているのにやっぱり三千院から廻ってしまいちょっと失敗!歴史に疎いhimekyon平家物語も読んでいませんが、なぜか寂光院は外せない。寂光院聖徳太子が父の菩提を弔うために建立したお寺壇ノ浦の戦いで滅んだ平家平清盛の娘・建礼門院徳子が夫である高倉天皇とわが子安徳天皇平家一門を弔うために閑居したお寺朧の清水平家物語で 建礼門院が寂光院へ入るときにこの清水に姿を映したと。落合の滝ころころと小石流るる谷川の かじかなくなる落合の滝建礼門院が詠んだ句参道茶室への苔むした門茶室本堂平成12年放火により焼失平成17年に再建された四方正面の池三段の滝豊臣秀吉寄贈の雪見燈籠千年の姫小松木の柵で囲われている平家物語の灌戴巻に後白河法皇が大原行幸されたときに詠まれた姫小松、汀の池、汀の桜を撮りそこなっていました。平成12年放火によって消失した本堂火災によって痛み伐採された↓ 撮り忘れ 枯れた 千年の姫小松↑↓建礼門院が使用した庵の清水西門「平家物語」冒頭にでてくる「諸行無情の鐘」祇園精舎の鐘の声 諸行無情の響きあり 沙羅双樹の花の色 聖者必衰のことわりをあらわす奢れる人も久しからず ただ春の夜の夢のごとし建礼門院西御陵へ建礼門院西御陵大原は何度か訪れているので軽く一回りしてから曼殊院、実相院のつもりが大原に5時間もいて、4時近くになってしまいました。お寺は閉門も早いし6時から、京都の大学(私大)に出てきている孫と食事の予定もあり京都駅に戻ります。
2018/12/06
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まだ続く大原の里実行院からさらに勝林院・宝泉院へ大原寺勝林院振り袖姿のお嬢さんなんと中国人でした。宝泉院額縁庭園五葉のノ松樹齢900年を超える五葉松三叉につぼみが~~~~~法華堂参道に立ち並ぶお土産屋さん3時前、この日は朝4時過ぎから何も食べていなくてお腹ペコペコ参道のお蕎麦屋さんへゆば蕎麦食事の後、来迎院へ来迎院
2018/12/05
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大原の里の続き三千院をでて向かったのは実光院大好きな花のあるお寺でした。フダンザクラ(不断桜)茶室侘助万両 千両 十両百両一両真弓冬の花蕨紫式部梅擬き馬酔木の蕾美男葛の実糸辣韭
2018/12/04
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下手の横好きの写真撮りまくりで三千院の続きです。鎌倉時代の阿弥陀如来像でもhimekyonはどこへ行っても花探し・・・サザンカ(山茶花)サザンカ(山茶花)椿だけど1輪だけほかに蕾もない、これはなに?咲き終わったのか?色が褪せているのかこの色の花をみたことがない椿は咲き終われば落下するはずなのにマンリョウ(万両)センリョウ(千両)キミノセンリョウ(黄実千両)ヤブコウジ(藪柑子)/ジュウリョウ(十両)白萩だと思います。ベニバナボロギク(紅花襤褸菊)タネツケバナ(種浸花 種漬花)かな水辺に白い花、この時期に?ミズタビラコ(水田平子)?タネツケバナと一緒に咲いていたので同じ花かと近寄ってみたらもしかしてミズタビラコ?初めての花だけど、確か5月~6月ごろに咲く花のはずだけど・・種に特徴があるので、多分ミズタビラコだと思います。大原でまさかの初めての花に出会えるなんて思ってもいなくてうれしい~今回はマクロレンズは持参していなかったけどもっとジックリ撮るべきでした。三千院をあとにして、まだまだ大原の里は続きます。
2018/12/03
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大原を訪れるのは5回目とはいえ、前回から11年もたっているので記憶もおぼろなり・・・京都駅に着いて観光センターで情報を収集大原は紅葉は終盤で散り始めていますとのこと晴れてはいたものの日差しが弱く明るさ、鮮やかさがイマイチでした。三千院御殿門観光客が多すぎて人が切れるのを待ち切れず(そりゃ無理ですわ)聚碧園客殿からの池泉鑑賞式庭園往生極楽院散り紅葉の絨毯弁財天観音堂金色不動堂円融坊外側からの円融坊朱雀門外側からの朱雀門客殿
2018/12/02
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2年ぶりの京都。1日目は大原の里へ高校の修学旅行以来、5度目になります。歴史のことは全然わからないけど、なぜか京都が好き、大原も好き。「女ひとり」1965年に「にほんのうた」シリーズの一曲半世紀も前のヒット曲よく歌いました。大原女大原の女性は、薪や柴、農作物を頭に載せて京の町を売り歩いたことから呂川呂川の散紅葉律川音無の滝律川上流の滝声明の練習をしていた良忍大師の声と滝の音が同調して滝の音が消えたことからつけられたと※ 声明 仏典に節をつけた仏教音楽 魚山ともいい、この地が声明の聖地・魚山音無の滝アキノキリンソウ(秋の麒麟草)咲き残りアオツヅラフジ(青葛藤)ナノハナ(葉の花)ホトケノザ(仏の座)セイヨウタンポポ(西洋蒲公)目の前に動物らしき看板望遠で覗いたら「熊出没」山深い里ですから・・・山歩きもいいかななんて思ったりしましたが
2018/12/01
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楽しいことはあっという間に終わってしまいます。
2018/11/27
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京都へ来ています。久々に大原の里へ夜は、京都の大学にいる孫の⚪来ちゃんと食事をしました。明日はまだ決めていません。どこへいこうかな?
2018/11/26
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孫のイベント参加に合わせて出かけた京都1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学 その後孫たちと食事2日目 清明神社⇒二条城⇒京都御苑⇒京都御所⇒金戒光明寺⇒真如堂⇒京都市美術館への道すがら⇒京都市美術館「若冲展」 南禅寺 水路閣 琵琶湖疎水記念館 三門 本坊 法堂 粟田山陵・後嵯峨天皇皇后のお墓 南禅寺を後にして、永観堂へ が・・・・ 大失敗!! 4時半を過ぎていて、昼間の拝観は終了 5時半からの夜のライトアップ拝観入場者の長い列にびっくり 永観堂は外観のみ・・ というわけで、永観堂は外からちょっと眺めただけで境内に入ることはできませんでした。 またの機会に バスで京都駅に戻り、2日間の旅は終了です。今回は、孫のイベント参加に合わせての京都行きで紅葉には少し早いかと思っていましたが結構色づいているところもあり、堪能することができました。
2016/12/09
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孫のイベント参加に合わせて出かけた京都1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学 その後孫たちと食事2日目 清明神社⇒二条城⇒京都御苑⇒京都御所⇒金戒光明寺⇒真如堂⇒京都市美術館への道すがら初日、京都駅のコンコース生誕300年の伊藤若冲のの特設コーナーがあり、京都市美術館の「若冲展」の案内があったので東京の若冲展を拝観しそこなっていたので拝観のチャンスに巡り合えました。京都市美術館若冲展東京会場では、5時間並んだと聞いていましたが、並ぶことなく入場することができました。さすがに会場内は混雑していましたが、それでも「若冲」の世界を堪能することができました。琵琶湖疎水からの京都市美術館京都市美術館を出たのが、4時近く、 永観堂は行ったことがないので行ってみたい もう少し頑張って歩いてみよう~
2016/12/08
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金戒光明寺、真如苑拝観後、京都市美術館へと歩きました。1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学 その後孫たちと食事2日目 清明神社⇒二条城⇒京都御苑⇒京都御所⇒金戒光明寺⇒真如苑 真如苑を出て、塔頭のある通りを歩きました。 向井去来のお墓がある覚円院 今回はパスしていました。 金戒光明寺塔頭の通り 平安神宮近くの並木 平安神宮の大鳥居 平安神宮へ立ち寄る予定だったのに 1本通りを行きすぎて 望遠にて山門を撮ったのみで今回はパス 琵琶湖疎水から平安神宮の鳥居
2016/12/07
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孫のイベント参加に合わせて出かけた京都1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学 その後孫たちと食事2日目 清明神社⇒二条城⇒京都御苑⇒京都御所⇒金戒光明寺⇒2002年のJR「そうだ京都行こう」が真如堂、行きそびれていました。 金戒光明寺から10分くらいのところにありました。 三重塔 真正極楽寺 真如堂 比叡山延暦寺を本山とする天台宗の寺院 本堂 隋縁の庭 2010年に作庭された庭だそうです。 涅槃の庭 1988年に作庭された庭 ガンジス川支流の林の中で入寂したお釈迦さまと悲しんでいる弟子たちを 植栽と石で表現しているそうです。 後ろの山は東山 ノジギク(野路菊)の原種 四国、九州、瀬戸内海沿岸の崖などに咲く野菊 家で栽培されている菊の原種で 兵庫県の県花になっているそうです。 原種を譲り受けてそのままに植えているそうです。 真如堂ですでに2時半を過ぎてしまい、霊山護国神社はあきらめました。 「若冲展」開催の京都市美術館へ歩いて向かいます。
2016/12/06
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孫の参加するイベントに合わせてでかけた京都1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学 その後孫たちと食事2日目 清明神社⇒二条城⇒京都御苑⇒京都御所⇒バスで移動して金戒光明寺へ初日の朝、夜行バスで京都駅八条口に着いて、メイン通り側に行こうと駅のコンコースを歩いていると、伊藤若冲生誕300年特別公開の案内コーナーがありました。東京での公開を拝観しそこなっていたので、京都市美術館の若冲展はじめ、若冲の絵がある場所の案内が・・・これは観なくては・・・2010年のJR東海「そうだ京都行こう」のCMに登場した金戒光明寺にも若冲の「鶏図」があり、特別公開とのこと、地図を見ると京都御所からバスで移動できる距離にありました。金戒光明寺三門 幕末の荒廃した京都の治安維持のため、会津藩・松平容保が京都守護職に任命されて 金戒光明寺を本陣とし、市中取り締まりとして新選組が発足したのだそうです。 徳川家康は、 幕府を堅固なものにするために、京都を直轄するために二条城を建て 事があれば軍隊が入れるように知恩院と金戒光明寺を城構えにしたのだそうです。 高麗門 御影堂 宗祖・法然上人の御影が安置されているそうです。 阿弥陀堂 納骨堂 紫雲の庭 法然上人の生涯と浄土真宗を枯山水で表現したものだそうです。 池にコウホネ(河骨)の花が咲いていました。 マンリョウ(万両) ヤブコウジ(藪柑子) 別名/ジュウリョウ(十両) ムラサキシキブ(紫式部) 何の花?ハナヤスリに似ているけど・・・?? トキワハゼ(常盤爆) 白い桔梗 キキョウ(桔梗) ホトトギス(杜鵑草) ジュウガツザクラ(十月桜) 今回の特別公開は山門の内部と若冲の絵が特別公開でした。 室内は撮影禁止でした。 歩いて10分ほどの真如堂へ
2016/12/05
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孫のイベント参加に合わせて出かけた京都1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学 その後孫たちと食事2日目 清明神社⇒二条城⇒京都御苑京都御所京都御苑と京都御所が別とは知らなかったhimekyon、広大な敷地の御苑の一部に京都御所はありました。 京都御所築地塀 京都御所は、春秋の一般公開と事前申込者の通年参観のみでしたが、 28年7月より通年一般公開になったそうです。 (月曜日、年末年始、行事のある日は休み) 入口で手荷物検査がありました。 清所門 参観入口 宜秋門 御所の外側から 宜秋門 御所の敷地内から 御車寄 昇殿を許された者だけが参内する玄関 諸大夫の間 参内したものの控えの間で身分の高い順に3間に分かれている 御車寄から参内できない身分の低い者は左側の石段から 虎の間 左から身分の低い順に 桜の間 鶴の間 虎の間 新御車寄 大正天皇ご即位の時に建てられた玄関 その後は、天皇皇后両陛下の玄関 建礼門 京都御所の正門 天皇と同行(皇后)のみが出入りできる門で、 皇后おひとりや、皇太子は建春門から出入りするそうです。 現在は、外国の首相などの国賓来訪時にも開けられるそうです。 葵祭りと時代祭りは、ここからスタートするそうです。 承明門 紫宸殿の南に位置する門で 建礼門の前にあります。 天皇行幸や上皇ご即位後の出入りに使われたそうです。 紫宸殿 即位の礼や節会の行事に使われた一番格の高い正殿 右近の橘 左近の桜 桜が紅葉しています。橘は冬囲い? 高御座と御帳台 高御座は天皇即位礼の時に座る玉座、御帳台は皇后の御座 今生天皇の即位礼の時は皇居へ運ばれたそうです。 檜皮葺屋根実物模型 建春門 皇后おひとりの時や皇太子はこの門が出入り口 春興殿 大正天皇即位礼の時造営された建物で、 三種の神器のひとつ「御鏡」を皇居から移して儀礼をおこなった建物だそうです。 清涼殿 儀式に使われた建物、武家との対面にも使用された建物 蹴鞠の庭 御学問所 読書始めの儀、和歌の会など学芸の行事などに使われた建物 御池庭 御内庭 御常御殿 天皇の日常のお住まいとして使用された御殿 京都御苑の中には、京都御所の他に天皇を退位した上皇の住まいの仙洞御所、皇大后が住む大宮御所もあるようですが今回は京都御所のみの参観にてバスで移動して金戒光明寺へ
2016/12/04
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孫の参加するイベントに合わせて出かけた京都1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学 その後孫たちと食事2日目 清明神社⇒二条城⇒二条城を後にして京都御所へ 京都御苑 京都御所は初めて、バスを降りてすぐに間ノ町口、ここが御所の入口かと、 見ると「京都御苑」と書いてあります。 京都御所ってこういうところ? 案内板を見てびっくり 京都御所ってその建物だけかと思っていたのですが無知なhimekyonでした。 江戸時代、宮家や公家が200も立ち並ぶ町だったところで、 明治になり、都が東京へ移ったため、建物などを取り壊したりして整備して 公園として一般に公開した国民公園なのだそうでその中に京都御所があり、 二条城の受付のスタッフさんが、入口から10分歩きますよという意味がわかりました。 旧閑院宮邸跡 江戸時代の四親王家の一つだそうです。 公園内の紅葉 十月桜 旧清水谷家の椋の木 新在家御門(蛤御門) 御所の火災の際、滅多に開いたことがない門が開いたことから、 硬く閉じた蛤が火に炙られて口が開くことから蛤御門といわれるように 禁門の変(蛤御門の変)があった門柱 丸く白い部分は、 門柱に命中した弾の後 長州藩が京都復権のために会津藩を排除しようとして起こした戦 特に京都御所付近の蛤御門が激戦だったそうです 公園内の紅葉が色づき始めていました。 公園から東山方面 京都御苑の向かいにある護王神社が見えましたが寄る時間はありませんでした 京都御所へ続きます。
2016/12/03
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利用している画像倉庫サイト、フォト蔵の不具合で1日中利用できません、画像が見られない場合があるかもしれません。今日は、楽天写真館からのUPです。 孫の参加するイベントに合わせて出かけた京都紅葉には少し早かったけど、それなりに1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学⇒孫たちと食事2日目、孫のアパートを後にして清明神社からスタートして ほどなく到着したバスで二条城へ 二条城 中学、高校の修学旅行は、京都奈良、 中学生の時に二条城へ行っていますので53年ぶりです。 徳川家康が、京都御所守護と上洛の際の宿泊所として造営 十五代将軍慶喜の大政奉還で朝廷のものとなり、明治になって離宮となったそうです。 東大手門・番所・土塀の修理工事のため入り口付近は見えません。 唐門 伏見城から移築したものだそうです 二の丸御殿 室内は撮影禁止のため、御殿内を一回りして二の丸庭園へ 二の丸庭園 東橋 本丸御殿へ 本丸櫓門 本丸御殿 三大将軍家光によって増築されたものが大火の類焼によって焼失 明治時代、旧桂宮御殿を移築したものだそうです。 天守閣跡の石垣 伏見城から移築したもので五層の天守閣だったようですが 落雷によって焼失してしまったそうです。 天守閣あとからの眺め 天守閣跡からの二の丸御殿の眺め 北中仕切門 加茂七石 清流園・香雲亭 昭和40年、江戸初期の豪商・門倉了以の屋敷の一部、庭石を移築して造営 この日は大安、結婚式があるようで留め袖の方たちが大勢入って行きました。 暑いくらいの日差しにツマグロヒョウモンが飛び回り、翅を休めていました。 紅葉には少し早かったですが、ところどころ赤く色づいていました。 まったく記憶がありませんので、多分、修学旅行では二の丸御殿の内部見学だけだったのかな・・ ざっと回っただけでしたが、1時間を費やしてしまいました。 地図を見ると近いのは京都御所 二条城の案内所で訪ねると、歩いたら30分近くはかかるとのこと バスに乗り2つ目のバス停で乗り換えて下車してからも10分くらい歩くとか・・・
2016/12/02
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大学生の孫の入っているサークルが参加するイベントに合わせて出かけた京都1日目 東本願寺⇒西本願寺⇒街角の花と実 東寺⇒東福寺1 2 3⇒泉涌寺⇒京都駅前で孫の踊る「竜馬よさこい」見学⇒孫たちと食事 孫のアパートに泊まり、仕事の忙しい息子は、朝、食事後すぐに帰り、 孫は、「竜馬よさこい」の2日目のイベントが霊山護国神社を午後2時からスタートするとのことで himekyonもアパートを先に出て、できるだけ2時までに 霊山護国神社にたどりつけるように観光することにしました。(結果的には間に合いませんでしたが) 2日目は時間短縮のため、500円のバスカードを買ってバスを利用することにしました。 今回は、いままで行ったことのないところへ行ってみたいと 前日の夜、孫のアパートへ向かう途中に見えた清明神社からスタートです。 清明神社一の鳥居 額は神社名ではなく社紋「清明桔梗」 社紋を掲げる神社は全国でも珍しいそうです。 正五角形で 五芒星(ごぼうせい)ともいい、清明が創った陰陽道の祈祷に使う呪符で最強のものだそうです。 清明神社二の鳥居 陰陽師の安倍清明が祀られている神社です。 こじんまりした神社、朝8時過ぎなのに若い女性やカップルが次々とやってきます。 15年ほど前、NHKのドラマでスマップの稲垣吾郎が安倍清明を演じていたのでそれで? と知合いに話をしたら、 スケートの羽生結弦選手の去年のテーマ「SEIMEI」は、この安倍清明のことだったそうですね。 お詣りしたときに奉納した絵馬があったらしいです・・・ そういえば、話題になっていましたね。だから、若い人たちに人気があるのでしょうか 安倍清明像 平安時代の陰陽師 本殿 手水舎 清明井 清明の念力で湧きだした井戸で、病気平癒のご利益があるそうです。 湧き出るところは、その年の恵方を向いていて、立春の日に向きを変えるそうです。 厄除け桃 桃は陰陽道では魔除けの果物だそうです。 御神木 顕彰碑板 清明の代表的な逸話の絵 これも陰陽道に使ったものだと思いますが調べてもわかりませんでした。 江戸時代・千利休の住まいがあったそうです。 境内にある旧一条戻橋 平成7年に架替えられた一条戻橋のミニチュア 陰陽師が占う時に使う精霊の式神さまだそうですが、 清明の妻が怖がったので戻橋のたもとに封じ込めていたのだそうです。 清明神社から100mほど南の堀川にかかる架替えられた戻橋 父の死に間に合わなかった息子がこの橋を渡る棺にすがって泣いていたら、雷鳴とともに父が蘇生して 別れをつげることができたのでが戻橋の由来だそうです。 渡辺綱が鬼女の腕を切り落としたのは、この橋の上だそうです。 「戻る」を嫌い、今も嫁入り、葬式にはこの橋を渡らないそうです。 清明神社を後にして時間短縮のためバスに乗り、数停留所先の二条城へ
2016/11/29
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京都の大学に入学した孫の参加するイベントに合わせて出かけた京都夜行バスで朝6時に着き、1日中歩いて歩いてヘトヘトですが、老体にムチうってたどり着いたのが泉涌寺3時を回り、太陽が低くなってきました。 東本願寺⇒西本願寺⇒東寺⇒東福寺 御寺 泉涌寺総門 皇室ゆかりのお寺なので御寺と呼ばれているそうです。 大門 泉涌寺の名前の由来となった、今も涌き続く泉涌水屋形 仏殿・舎利殿 仏殿 霊明殿 月輪陵 ~~~~~~ 別当来迎院・泉涌寺塔頭 大石内蔵助が討ち入りの密議を重ねたお寺 本殿 弘法大師独鈷水 まだまだ青いもみじです。 庫裡 この日は貸し切りの会があったようでお庭は見られませんでしたが、 大石内蔵助が寄進した庭園・含翠庭があるそうです。 ~~~~ 今熊野観音寺・泉涌寺塔頭 ぼけ封じ観音 念入りにお詣りいたしました。。 ~~~~~ 丈六戒光寺・泉涌寺塔頭 本堂 写真はNGでしたが、鎌倉時代の運慶・湛慶父子の合作の釈迦如来像は 台座を入れると10mの立派な大仏さまで、拝観自由でした。 まだまだ回りたいところがありましたが、4時を廻っていて お寺もだいたい4時から4時半には閉門になってしまいます。 6時に京都駅で長男と待ち合わせのため バスで京都駅に向かいました。 長野県飯田市から高速バスで名古屋へ向かっていた息子からメールが入り 中央道が大渋滞で6時に間に合うか微妙・・ 6時ギリギリで京都駅に着いた息子と 孫の踊る「竜馬よさこい」を観て孫のアパートへ
2016/11/25
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東福寺の続きです。東福寺には、塔頭が25寺もあるそうです。※ 塔頭とは、寺の境内にある末寺院、塔はお墓の意で元はその寺の高僧が亡くなると弟子が小院を建て、お墓を守ったことから始まり、寺院を守る僧侶の家族が住み、明治以降は独立した寺院になっていることもあるとのことです。 今回は、特別公開の龍吟庵、即宗院を拝観しました。 薩摩藩六代目島津氏久の菩提のため創建された 氏久の法名即宗院が由来 千両のお庭としても有名なようです。 黄実千両 万両 サザンカ(山茶花) 山深く、狸の糞があったり、蛇に噛まれたりするから気をつけてという意味? ~~~~~ 龍吟庵 方丈 撮影禁止のため門の外から 南庭「無の庭」 昭和の天才作庭家・重森三玲が作庭 西庭 「龍の庭」 東庭「不難の庭」 ~~~~~ 非公開?退耕庵 東福寺を出ると2時近くになっていて、朝7時前に軽くサンドイッチを食べただけで歩きまわり お腹が空いてヘトヘト、お寺の近くのお蕎麦屋さんを見つけて入ったら満席 それでもなんとかカウンターの隅に座れて「にしんそば」を食べて一息つきました。 泉涌寺へ向かいます。
2016/11/23
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京都の大学に入学した孫が参加するイベントに合わせて訪れた京都紅葉には少し早かったけど、それでもきれいな紅葉に出会えました。東本願寺⇒西本願寺⇒東寺⇒東福寺昨日は時間がなくて東福寺の途中になってしまいましたので続きです。 まだまだ緑が多いもみじ 細い水流には、はっきりと映りません こんなに紅葉しているもみじもあります 開山堂 庭園の中から通天橋を見上げます お昼過ぎの光線の加減もあるのでしょうが鮮やかな赤ではありません 愛染堂 通天橋 京都の街中で和服姿の若いカップルを多く見かけます。 ここにも警備員がいて、橋の上で写真を撮らないでくださいのアナウンス 通天橋から臥雲橋遠望 ほとんど色づいていないもみじもありました 偃月橋(えんげつきょう) 桃山時代1603年建築の木造の橋 方丈 本堂 三門 三門
2016/11/21
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紅葉には少し早かったけど、それでもきれいな紅葉に出会えました。東本願寺⇒西本願寺⇒東寺東寺を後にして東福寺へ向かいました。何年か前のJR「そうだ 京都行こう」のポスターになったお寺ですが、himekyonは初めてです。東本願寺、西本願寺、東寺までは、京都駅から順に歩きましたが、地図を見るとさすがに歩くのは大変そうバスに乗ることにしました。案内の本には、京都観光一日・二日乗車券、市バス専用一日カードが載ってい たので、バスの中で購入しようとしたら、バスの中では、市バス専用一日カードのみの販売とのこと、 1枚500円、1回乗車ごとに均一230円で3回乗れば割安だけど・・・買わずに乗車、(結果的には初日は3回乗ったので、買ったほうが得だったみたい。) 東福寺・通天橋 手前の臥雲橋から撮ったのがポスターになっていると思いますが、 警備員が立っていて、「橋の上から写真を撮らないでください」のアナウンス ほとんどの人が橋の上で撮っていましたが、意外と真面目?なhimekyonは、橋の手前から撮りました。 紅葉はイマイチです・・・ 東福寺・月下門(月華門) 禅堂 禅堂 殿鐘楼 方丈 拝観料を払って通天橋へ 続く
2016/11/20
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東本願寺⇒西本願寺次に向かったのは、新幹線の車窓から五重塔が見える東寺、東寺 五重塔 五重塔の写真を撮りたかっただけ・・・みたい(苦笑) 東福寺へ向かいます。
2016/11/19
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京都の街を歩いていると 南天の葉も実も真っ赤に色づいて ホトトギス(杜鵑草)がまだまだ元気に咲いて コナスビ(小茄子)がまだまだ元気 フジバカマ(藤袴)を育てているのね コノデガシワ(児の手柏)の園芸種・センジュ(千手)?の実?
2016/11/18
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今回の京都行き、himekyonがのんびり構えていて、ホテル予約ができなくて孫のアパートに泊めてもらうことになったけど、合流する息子が仕事で京都に行けないとの連絡孫はイベント参加で連絡が取れない当日のホテル空室案内をしてくれるという、京都観光協会総合案内所(京ナビ)の8時30分オープンまでの間駅近の東本願寺を訪れました。時間が早かったので西本願寺へも行ってみました。 西本願寺 こちらは、大きな旗が立ち、東本願寺と全然雰囲気が違いました。 阿弥陀堂門 御影堂門 国宝 本堂(阿弥陀堂) 国宝・御影堂 御影堂 京都市天然記念物 大銀杏 樹齢約400年 根を天に広げたような形から逆さ銀杏とも言われているそうです。 太鼓楼 新選組は、池田屋騒動後、西本願寺へ屯所を写し、太鼓楼を使用していたそうです。 国宝・唐門 桃山時代・伏見城の遺構 豪華な装飾で眺めていると日が暮れるのを忘れるから「日暮門」とも 日光東照宮の陽明門には及ばないものの素晴らしいものでした。 大玄関門 明治天皇行幸門 国宝・飛雲閣 金閣寺、銀閣寺と並び、京都の三名閣 豊臣秀吉が建てた聚楽第の一部 中に入れなかったので望遠で・・・ 重要文化財 本願寺伝道院(旧真宗信徒保険株式会社本館)明治45年に建てられたもので、和洋折衷ではなくインドサラセン様式と日本の様式で作られているそうです。 8時30分を廻り、京都駅に戻ろうとしたところへ 息子から電話が入り、6時までには京都へ行けるとのこと これで一安心、 新幹線の車窓から五重塔が見える東寺へ向かいました。 himekyonの人生は行き当たりばったりなり~
2016/11/17
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朝6時、夜行バスで京都駅に着きました。京都は何度か訪れていて、今年も紅葉の時期に行ってみようかなと思ってました。今年4月、京都の大学に入学した孫の未来ちゃんにも逢いたいなと、息子に連絡したところ、イベントに合わせて合流しようということになり、紅葉には少し早いからとのんびり構えていたら大変なことに、夜行バスはほぼ満席、なんとか確保できましたが、ホテルはすべて満室、土日ということを考えていませんでした。息子に連絡すると、未来ちゃんのアパートは狭いけどなんとか泊まれるとのことでホッとしました。ところが2日前になり、息子から急な仕事が入って行けないかもしれないと連絡が入りました。以前、お正月に京都へ行ったとき、日帰りの予定が観光協会でホテルを紹介してもらって1泊したことがあったので京都の観光協会に問い合わせしたら、京都駅の総合案内所で当日のホテル空室を案内しますとのこと。案内所は朝8時半オープンのため、コーヒーショップで朝食をとり、時間まで駅に近いところを歩いてみました。 東本願寺 中学、高校と2度の修学旅行は京都、奈良で、たしか本願寺は訪れていると思いますが、 大人になってから京都を訪れても本願寺は訪れていませんでしたので、50年ぶりぐらいになるのでしょうね。まったく覚えていません。
2016/11/16
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今回は、孫の大学のサークルが参加するイベント「竜馬よさこい」に合わせての京都でしたので紅葉には少し早かったと思います。郊外の嵐山、高雄、三千院などへ行けばきれいな紅葉が見られたかもしれませんが2日間、回ったところは、まだまだ青い紅葉が多かったです。写真の整理ができていませんので、ダイジェストで紅葉を載せてみました。
2016/11/15
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<center>2日目、お昼ご飯を食べる時間もなく歩き回りヘトヘト、やっと、新幹線の中で駅弁にありつけました。帰宅は日付変更ギリギリかな?
2016/11/13
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夕べの夜行バスで今朝、京都に着きました。紅葉はボツボツです。
2016/11/12
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11月26日思い立って、夜行日帰りで出かけた京都洛北・鷹ヶ峰から紫野へ歩いてみました 大徳寺は塔頭が22あるそうで 特別公開の3か所他を拝観しました。 龍源院大徳寺塔頭で一番古いお寺 正受院は非公開 お庭の紅葉がきれいでした 三玄院 非公開 石田三成のお墓があるそうな 龍翔寺 臨済宗専門道場 非公開 龍翔寺の散り紅葉のお庭がきれいでした 非公開 興臨院能登の畠山氏によって建立され、没落後、前田家の菩提寺となった 黄梅院3時半すでに門には外灯が点いていましたお昼も食べずに7時間歩き回り、クタクタまだまだ回りたいところはあったけど、お寺さんはほとんど4時で受け付け終了です高校生の修学旅行で行った、大徳寺本坊と大仙院はあきらめて京都駅へ戻ることにしました。バスの中から、清水の五重塔が見え寄り道してみたかったけど、バスは超満員、降りることは無理そのまま京都駅へ駅弁を買って新幹線に乗り込みました。京都は日帰りではもったいない、今度は時間を気にせずにゆっくりとまわれるように泊りで行きたいな
2014/12/30
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11月26日そうだ 京都行こう!まさにJRのキャッチフレーズの言葉通りこの1年いろいろなことがありすぎて、遠出をする気力も失せていましたが、再々就職することができて、心も落ち着きを取り戻したら、久々に京都へ行ってみたくなりました。連休が取れないなら、夜行日帰りしかないと、ネットで夜行バスの予約大原を歩くのが好きだけど夜行日帰りで大原だけではもったいないかなと・・はじめての洛北を選んでみたら、偶然にもJRのキャンペーンと同じ混雑は予想されたけど、平日だしなんとかなるかな・・・早朝京都駅に着き、バスを乗り継いで、洛北鷹ケ峰・源光庵に着くと開園したばかりで、人影も少なくゆっくりとみることができました。光悦寺を廻り、戻ってくるころには、観光客でごった返していました。常照寺から紫野大徳寺を目指して歩き、途中招善寺、今宮神社に立ち寄り大徳寺に着きました。塔頭のひとつ、高桐院を拝観、大仙院を探していたら、春秋特別公開の看板を見つけて門をくぐりました。総見院織田信長の菩提寺信長の一周忌のときに豊臣秀吉が建立したお寺明治の廃仏毀釈により現存する建物は正門と土塀のみ親子塀外側と内側に二重に作られた塀現存する鐘楼織田信長一族の墓正室お万の方と側室お鍋の方の墓塀越しに比叡山が見える比叡山いまも水が湧いている掘り抜き井戸加藤清正が朝鮮から持ち帰った石でできている白侘助の原木これが侘助ですかと尋ねたら侘助は早春に咲く花なのでこれは違うとか長い廊下でつながれた3つの茶室廊下の屋根裏に収納されている輿信長の遺骨はこの輿に載せられて運ばれたとか本能寺の焼け跡には遺骨がなかったとの説もありますが秀吉の威信にかけて建立されたお寺だそうです茶席は狭い空間で開かれていたものが秀吉により、広い茶室へと変わって行ったとか千利休の書
2014/12/30
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ひと月前のお出かけ、思い立って夜行日帰りで出かけた京都の旅季節はずれですが、一気に載せています。今日は4回目の更新です11月26日連休がとれないので、夜行日帰りの旅です洛北鷹ケ峰から洛北紫野大徳寺へ高校生の修学旅行で大徳寺・大仙院へ行ったことがありましたご住職のお話がとても面白かったのが印象に残っています。その大仙院へ行ってみようと大徳寺を訪れるはずが、22ものの塔頭があり、最初にたどり着いたのは高桐院でした高桐院設定が暗すぎました高桐院細川幽斎公の長男・忠興三斎公により江戸・慶長年代に建立された塔頭高桐院は室内写真はOKでした細川三斎公は、千利休の七哲(高弟)の一人で茶道を極めた人茶室へ続く書院細川三斎公と正室細川ガラシャのお墓千利休が愛した石灯籠を秀吉がほしがった為に、わざと裏側を欠いて渡さなかったと言い、切腹のおりに三斎公に贈ったと言われています細川一族の墓細川家の墓所にある家紋三斎井戸墓所へのお参りのための井戸加藤清正が朝鮮出兵のおり持ち帰った蹲参勤交代のたび、石灯籠とともに持ち運んだというマンリョウ(万両)センリョウ(千両)ジュウリョウ(十両)/ヤブコウジ(藪柑子)ヒャクリョウ(百両)を探したけど見つかりませんでした十両にしてはちょっと大きめだけどヒャクリョウではなさそうイチリョウ(一両)/アリドオシ
2014/12/30
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11月26日夜行日帰りで歩いた京都今回は、洛北を歩きました洛北鷹ケ峰の源光庵、光悦寺、常照寺を廻り、大徳寺までは30分ぐらいで歩けますよと常照寺の駐車場のおじさんに教えてもらい歩いてみました日帰りとなると、時間短縮のためにバスに乗るべきでしたが、30分だったらすぐ~なんて歩きだしたけど、寄り道寄り道で前に進みませんやっとお寺が見えてきたと思ったら今宮神社がありましたまたまた寄り道ですこのとき、すでに1時を過ぎていました立派な神社ですね平安時代以前の創建で疫病退散の神を祀っているそうな参道の茶店は水曜日は休みこの参道の「あぶり餅」が有名のようです。先日テレビの旅番組で放映されていました江戸川幕府五代将軍の生母「桂昌院」の氏神社で良縁開運「玉の輿」 のご利益があるとか阿呆賢(あほかし)さん石を粗末に扱うと重くて持ち上げることができないとやさしくそっとなでると軽々と持ち上げられて、軽く3回たたいて持ち上げて次に願い事をして3回なでて持ち上げ、軽く感じると願いが叶うという神占石だそうな1結婚式の写真撮影でしょうか声を掛けずらくて、遠目で撮らせていただきましたお幸せに
2014/12/29
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11月26日夜行日帰りで久々に京都の旅洛北の源光庵・光悦寺・常照寺を巡り、歩いて次の目的地へ常照寺をでるとすてきな竹林のあるお屋敷?がありましたちょうど外車が入っていきました嵯峨野の竹林をおもいだす雰囲気でした民家の生垣には山茶花がたくさんの花びらを散らしていました小さな鳥居は何を意味しているのでしょうか↑maikeru2000さんから立小便禁止の鳥居と教えていただきました ネットで検索したら・・なるほどです ただ禁止の札を貼るよりは効果があるかもですね 椿が咲き出している民家もちょっと奥まったところにある大邸宅あまりにも素晴らしい紅葉に、勝手に撮ってしまいました坂道を下りきったところにちょっと変わった光景が「御土塁」と書いてあります。「おどい」と読むそうで、豊臣秀吉によって築かれた京都改造事業の区割りと敵の防御のためとのこと招善寺大徳寺を目指して歩いていましたが、通りの奥まったところに紅葉がきれいなお寺がありました紅葉にはちょっと早いようなモミジでしたがきれいです散り紅葉がきれい山門の照明寺院のお墓への入口になっていました招善寺の墓地は、映画やドラマのロケ地で有名なようです「暴れん坊将軍」 「必殺仕置き人」「遠山の金さん」「銭形平次」などだそうです七体のお地蔵さん初老のご婦人がひとりご主人の月命日とのことで、宇治からお参りにこられたとか鐘楼鐘楼の脇にあるハクモクレンは、京都市指定の保存樹だそうです枯山水の庭園千両がたくさんの実をつけていました招善寺を後にして大徳寺へ向かいます。日帰りなのに寄り道ばかりしていると時間がありませんが・・歩いているといい香りがしてきましたヒイラギ(柊)の花です立派に刈り込まれたヒイラギですこちらはヒイラギナンテン(柊南天)大徳寺に近づいてきましたがまたまた寄り道です
2014/12/29
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毎年、載せきれないでお蔵入りの画像が多く、今年こそはと意気込んでみましたが京都の日記が残ってしまいました。季節はずれですが、UPできるぶんだけ・・11月26日久しぶりに京都へ行ってみたいと夜行日帰りで出かけました源光庵、光悦寺の次に訪れたのは、常照寺です吉野門江戸寛永時代に天下の名妓といわれた「二代目吉野太夫」が開祖「日乾上人」に帰依し、巨財をと投じて寄進した山門(傘を差していますが、帰り際に撮った1枚、一時的にポツポツときましたがすぐに止みました)帯塚帯に感謝して昭和44年に建立された全国初めての塚帯に見立てて帯状に配されているそうな本堂本阿弥光悦・光瑳により身延山の日乾上人を招き創建壇林(僧侶の養成機関)が創設されて盛大なころは境内に30余りの堂宇があったそうです比翼塚吉野大夫が、豪商灰屋招福益に見受けされ結婚をし亡くなった後に二人のために建立されたもの温厚なご住職が、今日はプロのカメラマンが2人来られて、赤、黄、緑の紅葉に散紅葉最高の紅葉だとおっしゃていましたよただ紅葉だけを写すのではなく、枯れたものも散ったものもみんな絵になると心行くまで撮ってくださいねとやさしく声をかけてくださいました鬼子母神堂と茶席お抹茶をいただきました十月桜當間大菩薩像をまつる當間堂 本堂鬼瓦開山廟日乾上人の五輪塔のお墓が祀られているそうな欅の扉に五七の桐の彫刻茶席 遣芳庵吉野太夫が愛した茶席吉野窓丸窓の下が直線仏教で円は完全、完全ではない自らを戒めて好んだそうな吉野太夫のお墓マンリョウ(万両)ジュウリョウ(十両)/ヤブコウジ(藪柑子)フユイチゴ(冬苺)クサギ(臭木)
2014/12/29
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11月26日思い立って、京都の旅連休が取れず、夜行日帰りの強行軍源光庵をあとにして光悦寺に向かいます夕べからの雨は止んだものの太陽が出ない朝、紅葉はくすんでいます雨に打たれて落ちたのか散モミジが敷きつめられたよう光悦寺徳川家康から与えられた土地に一族縁者や工芸職人たちと住居を構えて集落をつくって創作活動本阿弥家先祖供養の位牌堂を設け光悦の没後、日蓮宗光悦寺となったそうです本堂1光悦垣本阿弥庵広大な敷地に7つの庵が作られたお茶席太虚庵光悦終焉の茶室で大正時代に復興したものだそうです了寂軒鷹峰三山本阿弥光悦の墓アセビ(馬酔木)には蕾がベニカナメモチ(紅要黐)マンリョウ(万両)メジロ(トリミング)エナガ?(トリミング)純白のサザンカ(山茶花)光悦寺を後にして次に向かおうと向かい側をみると別のお寺さんがありましたのでちょっと寄り道圓成寺岩戸妙見大菩薩を祀る お寺だそうです山内撮影禁止でしたので2枚のみです素晴らしい紅葉でした
2014/12/28
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