ひめのゆめ活動日記
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今日は正午から午後6時までまるで何時間も いえ 何日もたったようなそんな濃い時間の中で過ごしていました。この日の朝はサポートからの『チャンドラ』という声で目が覚めました。今日の個人セッションの方に下りてきているメッセージとして受け取り私はニーナに向かいました。この日のスカイプ個人セッションは宮城県登米市にお住まいの方でした。4月の光講座に参加されていたので その後の様子などをお尋ねするとなにか とても重いエネルギーが彼女の頭にかかっていて それがグラグラするのでこのエネルギーに心あたりがあるかとお尋ねしました。『実は平泉に行ってきたのですが そこでいろいろな事がありまして、、、。』この後 いろいろお話いただき 複雑かつ大事な歴史上の奥州での動きをお話してくださったのですが 彼女が訪問されたという安倍館跡の話になった時にわかにエネルギーが動き始めました。奥州の安部氏は後にその子孫が平泉に黄金の文化を花咲かせた奥州藤原清衡(奥州藤原氏の祖)につながる名門武家の家柄です。彼女が訪問された安部館跡の前には地図にも載っていない八幡神社があったそうですがこの安部館には 安倍頼時(あべの よりとき)の時までこの場所に住んでいたようです。そして 頼時によって奥州安倍氏の館は平泉のほうに移されたということでした。『先祖代々の安部氏がこの場所に住んでいたということです。』彼女が先祖代々の安部氏という言葉を口にされた瞬間に ニーナカロライに今までに無いくらいの寒いエネルギーがやってきました。まるで冷凍庫の中に入れられたようです。「どうやら 今日はこの先祖代々の安部氏というのを見つめる必要がありそうです。」奥州安倍氏の先祖は誰なんだ 実は この奥州安倍氏についてはこれまでに個人セッションで テーマとして上がって来ている人たちがいました。東北地方やそこに住む人々の事を考える時に 昔のこの陸奥の国を広く治めていた安部氏のことは切ってもきれません。また この安部氏がのちの奥州藤原氏として権勢を誇っていくのですからどうしても大事なのです。ところが この安部氏については よくわからない部分があって その分からないながらも いわれているのが『ウィキペディア(Wikipedia)』で見てみるとそのルーツは明らかでなく、『平泉雑記』が伝える安倍氏自身の家伝によれば、神武天皇に殺された畿内の王長脛彦の兄安日彦をその始祖とし、安日彦の津軽亡命をもって安倍氏の発祥としている。「藤崎系図」にも同様の記述が見られ、真偽は別にして安倍氏の後裔はそのような自己意識を持っていたことは確かである。(中略)一方で、奥州に下った中央豪族である安倍氏のいずれかが任地で子孫を残したとの説もあり、秋田の蝦夷の帰順を得た阿倍比羅夫につながる系図もある。代々の安部氏の話になってからは どんどん寒くなる一方でした。この寒いエネルギーが どこから来ているのか それを見つけていくしかないのです。私たちは 彼女が出してくれたヒントを元に 畿内での長脛彦と安日彦のエネルギーの跡をたどってみる事にしました。実はヒントは 大阪府交野市にある磐船神社にあります。『磐船神社(いわふねじんじゃ)は、交野市(かたのし)の天の川(あまのかわ・天野川)の渓谷沿いにある。「天の磐船」(あめのいわふね)とよばれる饒速日命(にぎはやひのみこと);が乗って降臨したといわれる高さ約12メートル・長さ約12メートルの舟形の巨岩を磐座(いわくら)・御神体としている。』 実は私は以前に近畿ツアーの仲間たちと一緒に この神社を訪問したことがあるのですがこの神社には ある大切な石碑があるのです。普通の人であれば 見落としてしまうし 仮にこの神社のたくさんの岩を写真に撮ってこられたとしても この石碑は見落としてしまうか あまり重要と思われないかもしれません。私は まず そのエネルギーに触れる為に その石碑の写真をインターネット上で探して彼女に見て貰う事にしました。(つづく)
2010年05月12日
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