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場所は伏せて置くが、とある高速道路のサービスエリア。そこにあるコンビニの自動ドアの両脇に「盛り塩」が...。居酒屋とか、個人の商店なんかでは、時々見かけるけれど、某有名なコンビニでってのは、初めて見た気がする...(~_~;)しかも上下線共に、同じサービスエリアでと言う訳でもなく下り線のみのココだけなのである❓「商売繁盛」ってワケじゃなさそうだし、''ふっ''と頭に浮かんだのは...(※ココからは、オイラの推測だけど💦)例えば、夜遅くに自動ドアが開いたり閉まったりするけど店内に、お客が出入りする様子がない‼️ とか、人が入っては来たみたいな気配はあったが、やはり店内には誰も居ない💦みたいな現象が...😱なんで、そんな風に思ってしまったのか? 数年前のある時、道路公団にお勤めの先輩から、高速道路で起きた事故の話を聞かせて貰ったせいなのかも知れない。もちろん、気を付けて運転せんとな✋ と言う意味で話をして頂いたのであるが、現場で片付け処理も大変なんだと言われその現場の模様などを色々聞けば、つい💦変な想像をしても仕方がないだろう(´-`).。oO(いつか、そこの店員さんに聞こうと思うが、想像通り?とかそれに近い話だったらしく、逆に聞いたことを後悔しそう...取り敢えず、今はミステリーのままにしておこう😌💭...なんて、この記事を書きながら、いつかブログでも紹介した「筋膜リリースガン」で、脹ら脛をほぐしていたんだが、イキナリ「筋膜リリースガン」が、ぶっ壊れた‼️なにゆえ⁉️ しかも、このタイミングで...😵💫💦なにはともあれ、高速道路だけではなくて、車の運転には、十二分に気を付けてせねばならない、と思う次第である。
2024年05月09日
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もしかしてホラーですか?(4)の田原坂には、実は続きが...もしかしてホラーですか(4) | 無用の人ここにあり - 楽天ブログ (rakuten.co.jp)田原坂で林の中を通ると、林の中で「キン、キーン」と、官軍と薩軍が鍔迫り合いをしている様な刀の音やワーっと、鬨の声が聞こえて来たと言う話を、ネットの心霊スポットの記事で読んだ。まぁ自分は、肝試しなどと言う気持ちでは行かないので、関係ないと思っていたんだが....☝️🙂「田原坂」へ立ち寄った帰りから、その事件は始まった。田原坂の官軍と薩軍の墓地で各々合掌し、植木ICから高速に乗って帰ろうとしていた。その日は、僕は自分の車を仕事で使っていたのだけど、それまで気づかなかったのだが、ふと大きなカーブで、雑にハンドリングをしてしまったせいか、大きめの遠心力をちょっと感じた瞬間だった。車の下辺りで「キンっ、キンキーン....」と、微かに音がした気がした( °o°)えっ‼️ と思って思わずブレーキを踏みつつ、耳を澄ますが....音がならない。前後に車がいないのを確認して、ハンドルを右に左にと大きめに振って、走りながら車を揺らしてみたがそんな金属音はしない。イヤ、何か「足回り」の故障か❓とも思ったのだけど、そうでは無さそうである😅まさか、刀の音じゃないよな💦 実際に刀の音を聞いた事はないが、確かに金属音が鳴った🥹՞結局、その後は高速でも問題はなく、自宅へ戻って来た。しかし、その日は夜から用事があったので、すぐに知人のお宅へ迎えに行き、そこから一緒に出かけた。その頃には、田原坂のことも金属音もすっかり忘れていたんだが...😦用事が済んで、帰りの車の中で知人と色んな話をしながらちょっと夜は寂しい山手のお宅へ、知人を送り届けた。知人が車から降り、挨拶も済ませて車を一路、家路に向け走り出した時に、また金属音が!「キン、キーン....」😱大きい音ではない、微かに、微かに聴こえたのである😵💫➰気のせい?幻聴か?なんなんだ?!😰 マジで刀の音👀💧❗ホントに田原坂から何か憑いて来たのか~っ?!😱💦山道で危険だが、やむにやまれずハンドルを左右に振って車を揺らすが、今度は音が鳴らない?おい!おい!!おい!!! 待ってよ~と焦りながらこのままじゃ埒があかんっ!と、自分の家を通り過ぎて明るい場所...警察署前のコンビニが一番良かろう!😕どうなっとるん~っと、コンビニの駐車場に滑り込み、バッと車を降りるなり、ボンネットを上下に押したり横に揺らして、地べたに膝をつき車の底を調べた 😵💫💦しかし、音の原因になりそうなモノが見つからない💦これは、かなりヤバくねぇ...何が憑いて来たよ?しばらくコンビニの明かりに照らされながら駐車場で呆然と立っていたが、「あっ、思い出した!!」💡僕の車は、デミオだが、ハッチバックの後部には仕事の道具を日頃から、普通に色々と積んでいるのだ😤✨それが数日前、道具がごちゃごちゃしてて、出しにくいし、余計な物は降ろそうと、道具の整理をしていたのだった😅電動ドリルと直径1.5mmから15mmまでのドリル刃も車に載せているが、径が小さいのは小さい箱にまとめて工具箱に入れて、11mmとか15mmなど大きくて長めのドリル刃は、それまで適当に工具箱の中に入れていたが、使う頻度も少ないのにナリがデカくて邪魔なので、別にドリル専用箱を用意して、その中に「きちんと並べて」収納したばかり....そのドリル箱の蓋を開けて、車を揺すりながら見てみると...ドリルがコロコロと右に左にゆるゆると転がってはドリルとドリルが、”コッツンコ” 、その度に「キン」と微かに音が...刀の鍔迫り合いならぬ、ドリルの鍔迫り合いである!!😲ウォっ!? コレかよ💢 マジでビビった~ 🫠💦金属音がするだけで、心霊現象か~などと驚いてまうのは昼間に、「呼ばれた?」などと慄いてしまったせいもあるが、ビビり過ぎやな😂 自分でも呆れて笑いながら家に帰った 🤣
2024年03月03日
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沖縄の祖母の話をしよう。それは、リーマンショックが、まだ海の向こうの話かな?と、思っていた2008年12月2日の明け方のことだった。祖母が夢に出てきて、優しい祖母が珍しく怒っている。それは「ちっとも会いに来ない」と文句を言っているのだ。いや、だから会いに来たじゃん...💦 みたいな感じで祖母の様子に困った感じでオロオロしながら言い訳をしている僕だったか、妹たちの誰かだったか?そして、目が覚めたんだけど???謎の夢だ...🤔💭 最近は、どうしてるかなぁ?なんて思うことも減って仕事のことや、小さい子供達のことやらで頭がいっぱいでそんな僕のところに何の脈絡もなく「ばぁちゃんが夢に出てきた」から、朝になり目が覚めると「変なの?」と、つい「思い出し笑い」をしてしまった。 祖母は、80を過ぎても沖縄で元気に一人暮らしをしていたが長男である伯父が3年前に亡くなって以来、めっきりと弱って更に、自宅で転倒して腕を骨折して入院した頃から痴呆が始まって来て、結局、施設に入ってしまったのだ。叔母が伝える祖母の近況に心配になった母が、沖縄に帰って会いに行った時は、すっかり痩せこけてしまっていたし元気な頃は、けして口にしなかった昔の辛かった思い出話に若い頃、勉強が出来た祖母は、貧しくて進学を諦めたが妹である大叔母さんは進学して教師になったことへの不満や祖父と結婚した事も後悔していて、ホントは他に良い人がいたのに失敗したなどなど、幾度と叔母に聞かせては叔母を悲しませたり困らせていたそうである。 以前の記事に書いたこともあるが、祖母は沖縄で内地人(北海道出身)の祖父と共に、乳児の伯父を抱えながら戦火をくぐり抜け生き延びた。その間に祖母は両親を亡くしその後も苦労の連続、鉄工所を営んでいた祖父が50代で喘息が元で早々に亡くなり、工場の経営資金に伯父と祖父の病気の薬代などなど、親戚中から借金をしまくっていたから、親族には責められ袋叩きに遭いながら家や工場を売り、子供(母や兄弟)たちと懸命に働いて借金を返した様である。きっと、きっと....いっぱい大変な事があったろう…今、こう書くだけで涙が出そうになる。その時々の祖母がどんな思いだったか.... 自分も歳を取り、そう想うだけで胸がいっぱいになるのだ。そう書くと、随分と「おばあちゃん子」なのか?と言うと実はそうでも無いんだけど、祖母の「上等さぁ」が僕にとって最高の褒め言葉だったし、大好きであった😊あと「アンタらしくないさぁ」は、どんなキツい説教よりも一番、胸に突き刺さって痛かったなぁ。そもそも、この12月2日と言う日は、9年前の同じ日に僕にとっての長年の悲願を達成した日でもあったのである。その時も電話で祖母に、その事を報告したら「上等さぁ」と我がことの様に喜んで、嬉しそうに褒めてくれたのである。それまでの苦労や悔しかった思いが結実した最高の日。だから、僕にとっても忘れられない大事な日だった。ホントは祖母に聞きたい昔話がいっぱいあったので沖縄へ行って祖母に会おうと思うのだけど、と母に言えば「もう、あんなお母さんを、あんたに見せたくないしおばあちゃんも見られたくないと思うから、わざわざお金を使ってまで?沖縄に行くのは、やめときなさい」と言われて仕方なく諦めていたのもあったから、いきなり夢に出てきて会いに来ない!と怒るのは可笑しいよ、ばぁちゃん…なんて思いつつ、仕事の支度をしながら、家族4人の食卓について朝ごはんを食べ始めた。 ご飯を食べながら、嫁さんと子供らに向かって笑いながら「昨夜さぁ、沖縄のおばあちゃんが夢に出て来て....と言ったか言い終わらないくらいのタイミングで、僕の携帯が鳴った。電話の相手は母だ。母はいつも妙なタイミングで電話してくる。親とは、そう言うもんかも知れんが...「おいおい、朝から何だよ~」的な気持ちで電話に出ると、「今、おばあちゃんが救急車で施設から病院に運ばれてる」と言うので、どんな容態かを聞くと、「もう帰って来ないんじゃないかね?」と言うので流石にビックリしてしまって、僕は一瞬言うべきか迷ったが「昨夜、ばあちゃんが夢に出てきたんだけど...」と言ってしまったら、母は「変なことを言う」とも言わずに「あら、アンタんとこに行ったんかね? なんて言ってた?」と言うから「ちっとも会いに来ないって怒ってたよ」と言うと、母は絶句していた。なんの話?と訝しく見ている嫁と子供たちに気づいて「沖縄のばあちゃんが危篤だって!」と受話器も塞がずに言うと、嫁もビックリ、子供らは「キトク」ってなぁん?てな感じで朝っぱら大騒ぎである💦取り敢えず電話を切って、朝飯もそこそこに慌てて会社へ行ったが、会社に着いたら、祖母が亡くなったとまた、母から電話が入った。そして翌日、僕は「初孫」だった兄ちゃんが行くべきと妹達に言われて、福岡の孫代表として両親と3人で沖縄へ行き祖母の通夜と葬儀に参列したのである。やはり、祖母はすっかり痩せてしまっていた。「あ~、こんな姿は、孫には見せたくなかったろうな」そう思うと、生きているうちに、もう一度...と思っていたが本当にに複雑な心境であった。沖縄のお葬式は本土とは結構変わっていると思うのでその時のエピソードも、いつか機会があれば記事にしたい。身内や近しい人が亡くなる前に、その人が夢枕に立つとか聞いたりした事もあったが、まさか自分にも、ばあちゃんが夢で出て来るとは思ってもみなかった😅 しかし、会いに来ないと怒ってたのが、ちょっと残念だ 💦ホラーと言うほどでもなく不思議な切ない話である。この歳になってみると、他人は勿論の事、身内からもそうそう褒めてくれるなんてことは無いんだけど時々、こんなに頑張ってるのに、誰にも褒められないなぁと虚しくなる時には、祖母の「上等さぁ」が聞きたくなる😢だから、おジジになった今も僕は、何一つ諦めずに頑張って自分に「上等さぁ」と言ってやるのである٩( 🔥ω🔥 )
2023年10月17日
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子供達がまだ幼稚園にも行ってない頃のこと。嫁と嫁の妹と子供2人の5人で、広島市内の嫁達の叔父さんに僕の運転で会いに行った時の事。当時、ウチの車はホンダの初代のフィットだった。今は知らないけど、このフィットは後部座席がフラットに倒せて、後部の荷物室と一体になって広々となるので遠出になる時は、嫁など女性陣とチビ達はみんな後部でのんびり足を伸ばしながら、チビの相手をしていた。※多分、道交法ではアウトだと思うので、マネしないで😥叔父さん一家と食事会をして、さぁ福岡へ帰ろうと広島の街を走っていた時に、それは起きた💦街明かりやライトに照らされた原爆ドームが右手に見える。そのすぐ近くの交差点で赤信号になったので停止して「広島インターに行くにはどう行けばいいかな❓」とナビを操作してモニターを見ていた僕の耳に、フワッと嫁か義妹の様な女性の声がしたのである。「青になったよ」と.....。ソレは結構、ハッキリ聞こえた。おっとイカン!? と、思ってナビから目を離しつつ慌ててあまり前をよく見ずにアクセルを少し深く踏んだ。車は、やや急発進ぎみに動き、交差点の停止線を越えて横断歩道まで進んだか.....とその時、後ろの嫁と義妹が「ちょっと!赤よっ🙀⁉️」「兄ちゃん、大丈夫❓❓」と叫ぶので、驚いてブレーキを踏んで、顔を上げるとなんと‼️ 信号機は赤が点いている😲「えーっ‼️ だって今、(嫁か義妹)どっちかが、青よって言ったやん💦」 と言っても、イヤイヤ誰も言わんし😵💫🌀なに言ってんの?的な感じで女2人から罵詈雑言を浴びる。もう💢危ない‼️だの、前見て運転しろだの💢とキャーキャーうるさい事😤 でも確かに聞こえたぜ....とボヤきつつ「怖っ😱」となった。この時は、空耳だったんだろうと、そのうち忘れてた。けれど時が過ぎて、最近になって、色々怖い話をネットの記事とか読んだり視聴していて、この時の経験と似た様な話があったので、ふと思い出したんである💡 ボンヤリと運転したり、何かに気を取られて運転しているとひょっこりと「そんな声」が聞こえて危ない目に遭うのか?まぁ、車の運転中は油断はしてはイケナイのであるが....💦気を引き締めて、運転するべし!である。
2023年09月09日
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お盆だけど、昨日は変な夢を見た😵💫🌀なんだ、夢の話か〜と思ったかもだが、これはあんまりにも面白かったので、夜中3時に目が覚めて、そのままスマホのメモ帳に覚えている限りをメモって寝た💦亡くなった高校の先輩がチラりと出てきたので、なにか意味あんのかなと思ったけど、今んとこ思いつかない。まぁ今夜は部活の仲間で博多で飲むんだけど、それが意識の中にあったのかな? 因みに今回は違う話である。僕の元同僚で30年以上、今も仕事を一緒にしている友達。彼は時々おかしな事を言うのだけど、ホントか冗談か分からないので困るんだけど「島原から誰か連れて来た?」って時も、誰も乗っていないハズのオイラの車に知らないオジサンが乗ってるとか言うので困ったんだけど😰この人、見えるらしいんである 💦中坊の頃からヤンチャだったんで、面白い話もいっぱいだ。けれど何度も言うが今回は、お盆に纏わる不思議な話。彼が子供の頃のこと。地元(下関)で灯篭流し(吉田川まつり)に親戚一同で出掛けたそうだ。灯篭を流して、さて帰ろうとみんなで歩いて家路に向かっていたのだが、途中で急に彼のお父さんが 何を思ったのか「ちゃんと(灯篭が)流れたか、見てくる」と言い出した。みんなは、縁起が悪いと口々に止めたが、どうしても行くと聞かずに、父さんは本当に1人で行ってしまったそうである。なんでも、灯篭を流したら途中で引き返してはイケナイと言われているらしい。知らなかったけど💦 彼が言うには「だからだろうか? その翌年に親父が死んだんだよ.....」残念なことに自ら命を絶ってしまったお父さんの事を親戚の間では、あの、灯篭流しをした時から、ご先祖に呼ばれていたのかもしれないと話していたのだそうだ。なんとも、幼い頃に父親を亡くした友人が話す内容にどんな顔をして聞いていいものか複雑だったけれど否定も肯定もできなかった💦この他にも、この友人はオイラも巻き添えで不思議な目に合わせてくれた事があるんだが、これも夏の事だった。数年前、彼が交通事故に巻き込まれて大怪我で入院した。腹膜が破けて、現場で急変してドクターヘリで運ばれた。手術中との一報が入った時は、僕も驚いて右往左往したが2日後、ようやく面会ができるくらいに回復したと聞いたので平日だったが会社を休んで、お見舞いに行くことにした。ただ、友人の部下(と言っても彼も僕の高校の同級生だ)の話だと、まだ手術の後なのか事故のショックなのか時々おかしな事を口走るとかって言うので、頭も打ったの?なんて聞いても、「さぁ....」としか言わず、この友人にもよくわからない感じだった。友人が、入院している熊本市内の立派な病院へ行くとまるでホテルみたいなゴージャスなところで驚いた😳わかる人にはわかるかも....立派な病院である。まだ、コロナが拡大する前だから、普通に他人でも面会が出来たので、ナース室で確認して病室へ向かう。病室の近くの廊下に点滴か何かの機材が置いてあって人がやっとすれ違えるくらいの幅になったところまで歩くと反対側から、クマみたいな大きなガタイの人が歩いて来た。それで、お互いに「どうぞ」みたいな感じで譲り合って「じゃぁ」と、どっちも行きかけて...あらあらと笑い合ってそうやって、いい雰囲気で、すれ違って病室の前まで来た。ちょっと深呼吸してドアをノック(¯―¯💧)「どうぞ」と言う声でドアを開けると、友人はベッドの脇に立っていた。あ〜なんとか大丈夫っぽいなと、安心。安心すると急に腹立たしくなって「ビックリしたねぇ!」とぶっきらぼうに友人に言ったが、すぐに気を取り直して「大丈夫かいね?」と聞いたら、「まぁ多分...」と友人。友人の具合は良さそうで、安心した僕は気を取り直して「それがさぁ、さっきクマみたいな人とすれ違ったんよ!友達か知り合いが見舞いに来てたの?」と聞くと、友人は「(親戚の)アニキが来てたんよ」と言う。それを聞いた瞬間、オイラは内心、ギクッとした💦以前、友人本人からお父さんだけでなくアニキも自殺したと聞いていたからだ....。えーっと思いながらも、そう言えば同級生が言ってたっけ、.おかしな事を言うかも知れんと....「へ〜そうなん」ココは聞き流しておこう 💦けど、あれがオバケだったら、すごい実体感があったなぁ。心配して、出て来たんかな❓とか、ひょっとして友人を迎えに来たんとちゃうよな....とか頭の中では心配しながら友人が話す事故の前後の話をうわの空で聞いていた😱さて、まだ手術したばっかりだし、あんまり長居してもと「ちゃんと直せよ」と言って、病室をお暇したんだが車に乗ったあとも、ちょっと心の整理に時間が掛かった.....。いやホント、まさか、オバケとかじゃないでしょ?真昼間から、そりゃないよね....多分違うよな。そう自分に言い聞かせながら福岡へ帰って来たのである。さて、ひと月後に友人は無事、退院して仕事にも復帰した。で、アレコレ事故の事やら入院してた時の話を聞けるまでに落ち着いて来たので、あらためて「見舞いに来た時にさぁ」アニキが来たって言ってたけど、アニキさんって....そう言いかけると友人も察したのか「アニキは2人おるんよ」「あ〜そうなん。オレは(友人が)頭がおかしくなっとるかオバケみたぞિ👻ીって驚いとったんよー」と言ってでもアニキさんってデカイね!クマ見たいやったよ!言うと「いや、細いよ、メガネしとったろ?」と友人。「なぬー? 」メガネしてないし、クマみたいな人よ!!あっ、じゃぁ違う人かな? オレが来る前って言ってもアニキさんが来たの、結構、時間が経ってたんでしょ?と言うと「いや、病室出て直ぐすれ違うくらいのタイミングやった」続けて「死んだ方のアニキはガタイはデカかったけどね.」「えーっ!!」😱 🧊❄️🧊❄️🧊❄️🧊😱マジで、もう何が本当か分からない話なのである (×◁×)因みに、この友人の事故だが、おじいちゃんが運転する車が別の場所で事故って、パニックのまま当て逃げしてそのまま交差点を曲がって更に激走、今度は前を走っていた女性が運転する車に激しく追突。追突された女性の車は対向車線を走っていた友人の車に吹っ飛んで来る形で正面衝突したのである。残念なことに女性の方は何が起きたかもよく解らないまま、潰れた軽乗用車から救出される間に亡くなったそうである。本当に悼ましい事故であったのだ。本当に亡くなった方のご冥福をお祈りするばかりである。と共に、早期に解決して欲しい事故だったのだが....それから、4年経った現在も、事故の加害者側からは驚くことに、事故の補償がされていないのである💦ここだけの話だが、外資系の保険会社って保険料は安いけどゴネまくるので、加害者も被害者も辛い思いをしそう.....😵💫おかしな理由ばかり並べて逃げる保険会社....マジ怖いわ〜 😱「よーく考えよ〜お金は大事だよ〜♪」ってどっかの保険会社のCMがあったけど、カネが安くても「よーく考えよ〜誰の為の保険なの〜♪」である……🤔
2023年08月15日
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僕の同僚に派遣社員の女性がいる。今回は僕の体験じゃなくて、この人が体験した話。彼女、お母さんと時々旅行に出かけるそうだが、海外旅行でハワイへ行った時のこと。ハワイでは普通に観光して、パールハーバーや戦跡巡りも慰霊地などにも行ったワケではないのだが、後になって思い出すと、慰霊地の近くを通り過ぎたかな?くらいだがその直後から、お母さんが「右肩が重い」と言い出してハワイから帰って来たあとも、調子が悪かったんだそうだ。一向に良くならないので、彼女らの知人で「見える」人にやむをえず相談したところ、その人はお母さんを見るなり困惑した顔をしたそうだ。 聞くと、お母さんの傍らで外国人の兵隊の霊が、まくし立てる様に怒鳴っている....何せ英語だから、何を言ってるのか解らない 😕それに、見える人も、英語が話せない😵なので、どうにも出来ないと言うのである💦💦💦驚いたのは、外国に旅行に行ったとは言ってなかったのに「外国人の霊」がいると言ったことなんだが....日本まで、くっついて来るのかぁってビックリした😲因みに、お母さんの肩は、そのうちに治ったそうだ.....。
2023年06月11日
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九州自動車道の上りで、熊本の熊本と植木の間を走るとのどかなスイカ畑の農地が広がっている風景が目に入る。車の免許を取得した18の頃から仕事で何度も往復してて30年以上、この辺はちっとも変わらないままだ 😅そして、道路脇のとある看板が目に入ってくる。「田原坂 植木I.C 9km」それは西南戦争の激戦地跡だ。西南戦争について、語れるほどの知識も見識も僕には無い。司馬遼太郎の「翔ぶが如く」を読んで、幕末から明治への時代が移り変わっていく空気感みたいなものを読み取った。明治維新の立役者の一人である西郷隆盛が、征韓論に敗れ鹿児島に帰ってしまい、その後を追って、桐野利秋をはじめ近衛師団を中心とした大量の薩摩士族も鹿児島へ帰還する。【中古】翔ぶが如く 四/ 司馬遼太郎西郷は、私学校を創設して、身を余す青年達の教育訓練に勤しみ、各地で起こる士族の反乱にも呼応しなかった。しかし遂に、西郷暗殺の謀略? を糺さんと私学校生徒らの暴発により、止むを得ず明治政府に対し国内最後の内戦へと発展し、東京を目指して九州南部で、創設されたばかりの官軍と激闘を繰り広げ、最後は鹿児島に戻り、共に決起した薩摩士族と一緒に壮絶な最期を迎えることになる。ところが、西郷ほどの知略がある者が、桐野利秋らの側近に作戦一切の指揮を任せ、なぜ城山での最期を選んだのか?それは、薩摩の気風か?それとも死に場所を得るためか?士族そのものの不満を一気に吸収し消滅させる為だったか?その心中は語られず...そこが僕も疑問が残っているままだ。田原坂には行ったことがないので、1度は史跡として訪ねてみたい地だが、「行ってはイケナイ」心霊スポットとしても有名であるので、中途半端な気持ちではダメだろうと二の足を踏んでいた。ところが先月、仕事で熊本へ通うことが幾度となくあってその日、3月20日の夕方だが、熊本市内からの帰り道にふと思い出して、立ち寄ってみることにしたのである。官軍墓地と薩軍墓地の標識をなんの気なしに通り過ぎて田原坂公園へ辿り着いたので、車を降りて散策した。断っておくが、僕は小説は読んだが、季節や日時まではよく覚えてないし、何も考えずに、ココへ来たのである。夥しい弾痕に息を飲む....公園にある田原坂での激戦について書かれた看板を何気なく読んでいるうちに、僕は、ヒヤッとしたのである😱なんと、僕が訪れたこの日は、まさに田原坂での戦いが終わった日だったのだ😓 なぜだか、心の中で思った....「呼ばれたぞ......」なんてこったい😭 そう思ったら元来た道をすぐ戻って、官軍墓地に行って合掌。今度は薩軍墓地に行って合掌した💦 写真? んなもん撮るかい😓でもでも、何故だろうか、お墓なんだけど不思議とどちらも、他に人もいなかったんだけど、怖いとかはなくてお墓特有のなんとも言えない重苦しさも無いのである。これは不思議な感覚だったが、ココでそれ以上は書かないがホントに、沖縄の祖父母達のお墓の前で感じた時と同じ様な不思議なものである。何度も言うが、なんにも考えずに来たのに、3月20日は田原坂陥落と言う大きな意味のある日にココへ訪れた事に不思議だなぁと、思ってしまった...と言う話である。
2023年04月25日
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今から20年以上前の話になる。僕より2,3こ年上のH先輩は、かつては不良少年で、ワルな大人に利用されてマジで危険な事もやったりしてたみたいだが、僕と出会った頃には真面目にお父さんの会社を手伝いながら一生懸命働いてるイケメンだけど、どこか煮え切らないし時々ジトっとしていて、でも優しい人であった。結婚する前の僕は独り暮らしで住んでたウチは、同世代の色んな人が毎夜のように集まって来る溜り場みたいな家になっていた。ある日、ひどい風邪をひいて熱を出して動けずに寝込んでいたら、その先輩が小さな土鍋に「卵とじのおじや」を作って持ってきてくれたことがある。あの時のおじやの美味さと先輩の真心には、今も感謝しかない😂ちなみにウチは家主である僕がいなくても、庭で勝手にみんなでバーベキューするくらい、まぁ、やりたい放題だったな...H先輩のお父さんの印刷会社は経営不振で、家族で住んでいた家も手放さなくてはいけないほどになり、お父さんは廃業も考えたけど、先輩は納得いかなくて会社を続けようと努力していたのである。仕事が大変であるとは聞いていたが、裏側には色んな事情があるのだろうと、詳しくは聞けずにいた。住むところもなくなった先輩は、知人の不動産屋に、印刷の主要な営業エリアである博多区内限定で、可能な限り家賃が安い物件を紹介して貰って美野島商店街の一画にある賃貸マンションに住んでいた。当時の美野島は駅がなくなってサビレはじめてはいたが、まだまだ賑やかな商店街があり、九州松下電器(当時)の本社も所在する、なかなか家賃が高そうなエリアであった。H先輩は、僕には敬語で話すことが多い。「お金がないんですよ~」と言う先輩に、美野島に住んでいるのが間違いなのでは?と指摘すると「家賃は安いんですけどね」とウソぶいて言うので結局、ヤセ我慢してでも賑やかな場所からは離れられないんだなと、心の中で僕は呆れていた🙁仕事が大変なのだろうか。いつの間にか、H先輩がウチに来ない日が続いていた。気になったある夜、僕は美野島のH先輩のお宅にお邪魔した。商店街の入り口に銀行があって、その裏のコインパーキングに車を停めて、そこから徒歩1分くらいだ。もう商店街もシャッターが降りて静まり返っている。冬で寒い日だったかな。事前に先輩の携帯にアポを入れていたので、先輩宅のチャイムを鳴らすと先輩がすぐに出てきた。まぁ、上がらんですか?と言われて、お宅に上がる。コタツがある奥の部屋へ行く途中にフローリングの部屋があったのだが、床に直径1mくらいの赤黒いペンキか何かをこぼした痕みたいなのがあった😲「えっ、コレなんです?!」と少し驚いて聞いたら「紹介されてココを見に来たら、コレがあったんで、不動産屋に消せって言ったんですけど、消えんって言われて...」とH先輩は困った顔をしたので、僕は「へー」と言うしかない。取り敢えずコタツに入らせて貰って、先輩の近況を聞いた。相変わらず仕事が大変だと言う。コタツの前のテレビがついていて、時代劇が映ってる。「先輩、時代劇とか好きなんですか?」「イエ、これしか面白くないもん」「ですか」「ええ...」そんな他愛のない会話も途切れて、しばらく二人ともテレビの時代劇を視ていた。どれくらい時間がたったかな...とりあえず元気は元気みたいだから、今夜は帰ろうかな、時計はどこだと部屋を見廻したその時、気づいてしまった。 ガチャ...ガチャ。ガチャ...ガチャ。ガチャガチャ。さっき僕が入ってきた玄関のドアノブが小刻みに震えているのである。実は、H先輩は不良だったと言ったが、もちろん先輩にはワル友が今もいる。(ワル友と言うけど、いい人達である)1,2度だけ、僕も誘われて一緒にメシを食ったり酒を飲んだことがあるから、そのワル友の人たちも僕のことを少なからず知っていることになるんだけど、先輩はお茶目なところがあるので、僕が来るって言ったから、ひょっとしてワル友の皆さんと僕を担ごうとイタズラを仕組んだのか?と思ってしまったのだ😏💭床のペンキといい、ドアノブといい、手が込んでるな....俺のこと試してるんかいな? 😓そう思って、しばらく黙ってテレビを視ていたが、たまらずニヤニヤしながら先輩に、僕は言った。「Hさん、あれ何です?」とドアの方をアゴで指すと、先輩はブラウン管から目を離さずに「なるんです」と一言だけ。テレビの方を向いて笑いをかみ殺しているのかぁ?「ほう、とことん担ぐのかぁ....」と僕も心の中で呟いて「へー」とだけ言って、また時代劇を視続ける 😓その間も、ドアノブは、ガチャ、ガチャと音を立てて震えている。いやぁ、今日は寒いし外で誰がやってるのかだけど、そろそろ部屋にいれてあげればイイのに...と思って「先輩、あれ....」と言いかけたら先輩が、僕の方を振り向いて「なるんですよー」と泣きそうな顔をしているのだ。えーっ、マジか!! 😱「あー....そうなんですね」僕はもう、先輩の顔が真顔で困惑でジトっとしてるの見て、全てを察して、これ以上何も言えない、イヤ、言ってはダメだ!と思ってテレビを視続けた。しかし帰りたいのだけど、玄関のドアがあの調子なので困ったことになったと思って、ドラマが頭に入らない。もうラチが開かないなと思った僕は、やや大ゲサに「そろそろ、帰りましょうかね」と少し声を大きくして言ってから立ち上がった。先輩も「あっ、帰る?」なんて言って玄関に二人で向かう。さっきまで、ガチャガチャ言ってたけど、今は止まってる。ホントにイタズラ?じゃないよね?? 靴を履きながら僕は、先輩の目を覗き込むように見た。見ただけである。やはり先輩は帰るなと言いたげな目をしてる😥🌀アイサツもそこそこに部屋を出てドアを閉めた。あたりをサッと見渡すが、外には誰かいる雰囲気はない。どっちにしても、車を停めている駐車場までダッシュだ!コインパーキングで駐車場代を清算して車止めの板が下がる時間も惜しいくらいで、一気に商店街をあとにした。百年橋通りを走りながら、バッと後部座席を振り返って誰もいないのを確認したら、いよいよスピードをあげて家路へ急いだ。 あれは、いったい何だったんだ?! 😱数日後、仲間内で飲み会があってH先輩も来ていた。二次会でカラオケ行こうとなって、歩きながら僕も先輩も酔っぱらっていたけど、「Hさん、この前のアレって...」先輩は頷いて、あの部屋に引っ越してすぐに、メッチャ酔っぱらってあの部屋に帰って来たことがあったんだけど、帰宅して"おしっこ"しようとトイレに入ったら、なんとそこに若い女性がいたんだそうだ。先輩は、シマッタ!酔っぱらって部屋を間違えた!!と思って「すみませんっ!」と部屋を飛び出したら、やっぱり自分の部屋だ?! 気を取り直して、もう一度中に入ってトイレのドアを開けると、まだ女性がいる! だが、向こうが透けて見えていたんだそうだ。「あー、ここ事故物件だわ....」と思ったと言うわけである。実は先輩、子供のころから見える人なんだそうだ....😱「じゃぁ、あの床の??」 「そう、多分あれも関係あるよね?!」「えー、もう早く出た方がいいでしょう!!」 「だってぇ、他に安いとこないもーん....」と困った顔をするのであるが、仕方がないとは言え、そこに住み続ける根性の人なのである 😏💭まったく、驚きのできごとであった。それまでも、他の場所でお経が聞こえると言われても聞こえないし、そもそも何も見ないし、せいぜい頭が痛くなることはあったけど、現象として"物が動く"のを見たのだから、もうそれ以来、怖くて先輩のお宅には行けなくなった。その後、しばらくはお付き合いもあったが、僕が結婚して"溜り場"を引き払ったので、次第にH先輩との交流もなくなった。もう美野島の、あの部屋には住んでいないとは思うけど....
2022年10月15日
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時は1999年の春。福岡の箱崎にある国立大学農学部の大会議室でのこと。僕は、ビ○ターの仕事で、マイクミキサーの製作を受けたが、そのまま据付工事の現場にも連れて来られた。フツーは、現場に行く仕事は受けないが、大学が春休みの間に終わらないといけないので、接続の応援を頼まれた。その現場では、4、5人で作業をしていたと思う。朝から現場に入ったが、最初は工事の説明や諸注意やら段取りやらで慌ただしかったが、それぞれの持ち場も決まって、配線作業に入ると、皆んな黙々と仕事をした。会議室は広いので、作業者同士で会話をすることも無い。誰も喋らないから、会議室はシーンと静かで、誰かの作業工具を扱う音が会議室中に響く。気づけば、どこか他の教室で授業か講義があってるのだろうか? 学校なら普通だろう。先生が淡々と授業で話をしている様な声が聞こえる。しばらく時間が過ぎた。僕は自分が作ったミキサーの端子台にケーブルを繋ぐために端末の処理を1人でしている。現場責任の人が、休憩しなくて大丈夫?と声をかけて来た。短期間での工事だから、急がないといけないので夢中だったが、周りを見渡して、会議室の壁に掛かってる時計を見つけると、11時前だ。「あー、もうこんな時間か」時間が経つのは早い。思ったより捗っていないことに焦った。タバコを吸うには、この校舎の外に行かねばならないので面倒臭い。ここって、確か、3階で廊下を歩いて突き当たりの部屋だったもんな....他の皆んなも、そう思ったのだろう、お互いにどうする?みたいな感じで顔を見合わせていたが、「昼メシまで、このままやるか?」と他の誰かが言うと、それが良い!と皆んなも同意した。じゃぁメシまでやろうって、作業再開。でも誰かが「どっかで授業やってんのかな?」と窓から辺りを見渡すように外を眺めている。僕も気になって来たところだった。朝からずっと例の先生の声が聞こえているが、途切れることがなく授業が続いている。立て板に水を流すと言う表現の如く、淡々と何かを説明している様な声が続く。。。「大学の授業って長いんですね? ずっと先生みたいな人が喋ってる声が聞こえますよね?」、「いや1時限が100分くらいだから、もうすぐ終わるでしょ?」他の皆んなも、やはり気になってたのか会話に入って来た。「だって9時からでも、もう終わりでしょ?」、「いや、よくわからん」、「だって今、春休みだし....」、「補習とかあるんじゃない?」、「大学でもあるんですか?」、「いや、知らんよ」と拉致のあかない話が続いたが、そもそも、どこから聞こえてるのかと言う話になった。もう、皆んな気になってしまって、会議室の四方の壁に耳を澄まして、声が聞こえるところを探してみる。遊んでいるヒマは無いのにだ.....会議室は、教授や先生達が座るだろう椅子と机が並んでおり、マイクが席ごとに設置されている。教室と同じく教壇と黒板があった。その左脇に音響機器のラックがあり、そこにマイク数十本のマイクの音声を束ねるミキサーを僕が作って配線している。その反対側の黒板の右脇の壁に、鉄製のドアがあった。どうやら、声はそのドアの向こうから聞こえるみたいだ。ドアノブをそっと廻すが、鍵がかかっていて開かない。ドアの隙間を覗くと、光が洩れている。「あー、やっぱり隣にも部屋があるんだ」、「何かあってるんだね」と、皆んなで納得しかけていたが、1人だけ浮かない顔をしている。 その人が、隣に部屋あった? と呟く。その言葉に、皆んなは黙る。キリが無いなと思った僕らは昼メシは別の建物にある学食で食うから、後で外出た時に、隣に部屋があるか見れば判るだろうと、取り敢えず、キリが良いところまで、作業をしようとなった。その間も、例の声は続いている、淡々と....さて、お昼になった。皆んな、待ってましたとばかりに外に出た。食堂とは反対方向だが、皆んなで確認に行く。隣に部屋があったかと呟いた彼が「俺らが居るのが、あそこだから...」.と言いながら指さし手立ち止まった。僕らも彼の指の先を見て、足が止まった。僕らが作業している会議室の隣は、校舎の端だったのだ。隣の部屋に続いているドアと思っていたのは、校舎が将来延長される時の非常用ドアだったのだ。ドアの向こうには何も無い。階段すら無い。だからドアは施錠されていたのだ。コンクリート剥き出しの壁しかないのに、どうして.....?皆んな黙ったまま、踵を返して食堂がある建物に向かった。食事中も、午後からの現場でも、皆んな作業についての確認以外は無言と言っていいくらい、声のことについて一切触れない。もちろん、声、''授業''は止むことなく続いている。皆んな黙々と働くので、夕方には予定通りに作業が進んだ。普通は、18時くらいまでやるんだけど、あたりが暗くなって来たので、誰ともなく、今日は引き上げようとなって、片付けもそこそこに現場を後にした。皆んな怖かったのだ。翌日、博多駅の近くにあったビ○タービルから現場に向かう車中で、例の声は、建物の通風管(ダクト)が、授業があってる部屋と現場の会議室が通じていて 、あたかも壁の向こうから聞こえているに違いないと、誰かが言った。俺もそう思うと、他の人も皆んな、そうそう、そう言うことあるもんねと、口々に言うので、僕もちょっと安心した。皆んな、あれからずっと気になってたのだ😰さて、現場に入って辺りを見渡すと、確かにダクトがある。でも、反対側の壁に、それはある。僕がそれを見ているとそばに、皆んな寄って来て、何も言わず目配せをした。一同、「もう、何も言わないで」って顔をしている。もちろん、ドアの向こうから''授業''が今日も始まっている....結局その日も1日中、僕らは授業を聞きながら作業をして無事に音出しまで確認して、現場を後にした。例の声がなんだったのか、解らず仕舞いである。その校舎も大学自体が、糸島に移転して、今はもない。歴史の古い建物だったろうから、そりゃあ色々あるだろう。この時期、僕は辛いこと続きで、友達から死ぬなよ?なんて言われるくらい精神状態が落ち込んでいた。振り返るとイチバン人生の谷底だったと思う。そんな精神状態だったから、ひょっとして、何かの波長があって、そんなものが聞こえたのかも知れない。でも僕だけなら、それもあると言えるが、そこに居た人皆んなで聞いたのだから、やはり''授業''だったのかも知れない....
2022年09月20日
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ハッキリ言うとオバケを見たことはない。見えないで結構である。怖いのだから。。。でも、怖い話は大好きである。6年前の夏、長崎の島原へ長男坊と2人で出掛けた。熊本の長洲港から島原までは、フェリーの航路があるので長崎自動車道で行くより、意外に楽チンな旅になる。朝ごはん食べて、少しボンヤリしてると高校生の息子も起きてきて、盆休みは今日までかと聞いてきた。そうだと応えると、どっか行こうと言う。明日は仕事だぜ?と言いつつ、スマホを弄りながら面白美味しいとこを探す。僕と長男坊は時々、昼前からイキナリ遠出をする。広島市内まで昼飯に、お好み焼きを食べに行ったり、チャンポン食おうと言って長崎の中華街へ行くなんてことはザラである。反対に次男坊は出不精とまでは行かないが、遠出はあまり好まず、家でPS4だ。島原へフェリーで行って、島原名物らしいお店でチャンポンを食べて、腹も落ち着いたら島原城の天守閣に登って天草の海と普賢岳を眺めて、そのあとは清流ながれる涼やかな城下町を散策して、江戸時代の風情をのんびり楽しんだ。さて次は、島原の乱の主な舞台となった原城跡を見て仁田峠へ行こうとなった。 島原市内から国道を南下して行くと、普賢岳噴火の土石流の傷跡が見えてくる。そしてさらに進むと、段々寂しい雰囲気になって「原城跡」の標識がさり気なさ過ぎて、うっかり見落としそうになり慌てて左へ曲がった。 すると気のせいか、一気に空気が変わった気がした。そのまま城跡へと続いているであろう田んぼ道を走りはじめたその刹那、一瞬だけ線香の匂いがした。「えっ」と言うと助手席の息子は、「なに?」と言うので「今さ、一瞬だけ線香の匂いせんかったか?」と聞いたが全然、そんな匂いはしなかったと言う。まぁ、彼は万年鼻炎なので匂いには鈍感だけど💦それに時期がお盆だから、近くのお墓に誰かお参りでもしてるんかな?と思いつつ、辺りを見たけど墓はない。城跡まではしばらく走るみたいだし....。僕の考えを察してか、息子も黙ってるが、ここで帰るのもなんだしなと気を取り直して原城跡の駐車場まで来た。駐車場には、1台だけ車が停まってるだけで、他はだーれもいない。時間は夕方5時過ぎだったろうか。「おい、あの車の人達が帰るまでに、俺らも帰ろうぜ」と息子と急いで車を降りると、走る様に原城の遺構を見て廻って、合掌した方が良いと思う場所では、二人とも手を合わせた。いつもならデジ一眼を持って歩くが、何故か車に置いて来た。いや何故じゃない、直感的にアカンと思ったからだ。スマホは持ち歩いたが、僕も息子も1枚も写真を撮らない。こう言う所には面白半分で来てはダメだと思っている。真面目な気持ちで訪れたつもりだけど、乱のあとで幕府軍によって徹底的に破却された城跡で広々として海風が吹いてはいるが、妙に圧迫感と言うか、空気が重く感じてしまう。風に吹かれながら海側へ歩くと、結構な断崖だ。200年以上昔の事とは言え、37,000人もの老若男女が殺された場所だもの、知っていればなおのこと、何にも感じ無い方がおかしいに決まっているな...と思いつつ海を眺めた。さて車に戻って来て、気持ちを落ち着かせたら、仁田峠へ向かった。ここから雲仙岳を越えて真っ直ぐ降りると、フェリーの港である。仁田峠へのゲート前に18時を少し過ぎて到着したが、残念!ゲートが閉鎖されている!! ゲートの看板に18:00までとあるのを読んで「あー、間に合わんかったかー」と諦めると仕方なく港に向けて、山を降ることにした💦予定していたフェリーに乗るならかなり時間が空いたので晩飯も島原で食べようか?なんて話しながら他愛のない会話をしていたが、いつからか横の長男坊から返答がない。助手席の息子は、うっつら、うっつら居眠りを始めていた。お日様も暮れて山道も暗くなって、見える景色はヘッドライトに照らされた道路だけに、退屈なドライブになって来た。フネを漕ぐ息子を横目に「オイオイ、寝るなよな」と思った矢先だった。息子が突然、目を開けたかと思うと「今、線香の匂いがした! アイタタっ、頭が痛い!!」と車中で騒ぎ出した。こう言う時、僕は落ち着いている。「鼻炎なのに線香の匂いする? どこが痛い?頭か首か?」息子は「イタイ、イタイ!」と言うだけでパニック。だから、どこがだよと言いつつナビを見ると、もうすぐ山道を抜けて市街地へ出そうなので、次期に治まると見た。なぜ、そう思うのか解らないが、山を抜けた途端に息子の頭痛&首痛がピタリと収まった。息子はビックリした‼️と眠気も吹っ飛んだ様子だが、具合は悪くないらしいが気味が悪いのは確かだ。寝違えたんじゃね?とかって平静を装う。これじゃぁ、長居は無用と思ったので、1本早いフネで帰ろうと言うと、息子も晩飯は家の近くまで帰ってからで良いと言うので、港へ急いだ。幾分かは緊張が緩んで来たがもう何も起こらないとは言えない、まだ顔はこわばったままで車を走らせる。港まで来たら、そのままフェリーの車両乗り込みのレーンに乗ってドライブスルー形式の料金所に入った。ちょうどフェリーが泊まっているが、乗れるかどうか微妙なタイミングだったから、料金所のお姉さんに、あのフェリーに間に合いますか?と聞くと大丈夫です!と愛想の良い笑顔が返ってきた😁お姉さんの笑顔に救われた気がして、あー良かったと、僕らもホッとして、料金はいくらだっけ?と僕がお姉さんに訊ねたその時、事件は起きた!!ちょっと車の中を覗き込むように、窓から身を乗り出すとお姉さんは笑顔のまま、こう言ったのだ。。。「えーっと、運転されている方と、あと....2人で、3名ですかね?」 とそう言い終わらないうちに、反射的に僕も息子も「えっ」と大声を出してしまったら、なにかを察したのか、慌てたお姉さんは「あっ、お、お二人ですね!」とさっきまでの笑顔とは違って少しこわばった表情で言ったから、怪訝な顔を僕もしながら、取り敢えず2人分の料金を払った。車をフェリーに乗り込ませながら、どちらともなく後部座席を振り返ったりバックミラーを覗いたりしながら「乗ってるのかね?」「何が?」「う〜ん...」って言うかあのお姉さん、何が見えたんかね?と動揺しまくりの僕ら。フェリーに乗船中は規則で車内には残れない。僕らが降りたあとも、係員の人が見える人だったら、車のナンバーで呼び出されて、ダメだよーって怒られたりして....なんて冗談を言うと、シャレにならんと息子は苦い顔をしていた。結局その後は、何事もなく僕らは家まで帰って来た。。。さて翌日、元同僚達が興した会社に行って、仕事の依頼をする事になっていた。仕事の話が終わったのは、お昼前。少し早いが飯を一緒に食おうとなって、4人で近所のラーメン屋さんに出掛けた。車中で誰かが、その店はチャンポンも美味しいよと言ったのがきっかけで、昨日の事を思い出した。それがさぁ「誰か連れてきたかも?!」と面白おかしく、昨日起きた事件を掻い摘んで皆んなに話した。そんなとこ行くなよなぁとか言われたり、そう言えば、さっき、お前の車見たら誰か乗ってたよとか、からかわれたりしながら僕も他の3人も笑っていた。そして目的のお店に着いたが、昼前なのに人気店らしく満席で、店の中で立ったまま待つことにした。。。しばらく待っていると、テーブル席が空いて、大将の奥さんがテーブルを急いで片付けてる様子を見ながら、これまた大将のお母さんかな?みたいなおばあちゃんが「はい、お待たせしました」と、コップにお冷をつぎながらテーブル席に僕らを案内してくれた。そして、コップを5個置いて、普通におばあちゃんは店の奥に戻って行った....イスに座りながら、そのコップの数に僕ら一同????メニュー表も見らず、しばらく固まったままの僕ら。と、そこへメニュー表を出していない僕らに注文が決まったと思った奥さんが「ご注文はお決まりですか?」とやって来たが、僕らの顔とテーブルのコップの数に違和感を感じたのか、「あら、あとお1人は、お手洗い?」と言うので、いや最初から4人で待ってたんですけど、おばあちゃんが5個コップ持ってきて....と困惑顔で僕が言うと「あ、ああ、4人だったのね」みたいなリアクションで僕らも、奥さんも変な笑顔を無理やり作って、余ったコップを引き取ってもらって、全員チャンポンを注文した。コップを持っていく奥さんを見ながら、誰かが言った。「お前、マジで連れてきとるやん....」そのあと、走っている最中にガンガン鳴らしていたカーオーディオの電源が2度、イキナリ落ちることがあった。そんな時、僕としては怖いと感じるより「オイオイ、何してくれてんの」と突っ込んで「まだ、居たんだ」と苦笑してしまうのだった😅😅😅
2022年09月18日
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