アントレプレナー塾長 「大人の探検隊日誌」 夢のソーシャル・アントレプレナー            

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金髪の台風娘


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                第14号
               ★★★★★★★★ 
       「見方が変わる!『超』マーケティング発想法」
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  ●発行責任者:アントレプレナー塾 塾長 三丘 大詩
 読者数:914名
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【はじめに】☆★☆★☆★☆★☆★―――――――――――――――――――
こんにちは、みつおかです。昨晩、大学時代の倶楽部の友人達と遅い新年会
をしました。12号で書いた外資系の会社への再就職を見事果たしたO君のお
祝いも兼ねてです。幹事は私。温泉でくつろいで大宴会をやろうということで
、後楽園ラクーアに集合。地下1700メートルからの天然温泉と各種のリラ
クゼーションを各自楽しみながら、個室で8時半から宴会。結構、楽しめまし
たよ。特に湯上りのフラット・リクライニング・シートでのうたた寝、よかっ
たな。どうです。都内での風呂・リラクゼーション付き宴会は?
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◆◆◆◇◇◇◇◇◇◇◇◇ 凄い女性がいたものだ ◇◇◇◇◇◇◇◇◆◆◆
            想いが不可能を可能にする             
        青い目の「台風娘」が伝統の街にやってきた
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●さて今日はまた、どでかい男・凄い女列伝の復活です。青い目の台風娘は、
日経ウーマンのウーマン・オブ・ザ・イヤー2002年大賞を受賞した凄い女
性です。以来かなりの有名人になってますので、ご存知の方もいるのでは?
まだまだ日本も捨てたもんじゃありません。地方発の元気になる地場ビジネス
復活の物語りです。「本物」について一緒に考えてみましょう。では・・・。

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▼本名は、セーラ・マリ・カミングス。セーラが長野県にやってきたのは、1
993年の春であった。大学で国際ビジネスを専行し、第二語学として日本語
を勉強した。小さいときからこうと思ったら、誰の言うことも聞かない一人で
突っ走る鉄砲玉娘である。卒業後、長野五輪で日本とアメリカの掛け橋として
何かしたいと乗り込んできた。無論、ご両親は大反対。せめて知っている普通
の国に行ってくれと。長野のマルイチ通商という会社で働きながら長野五輪委
員会のボランタリースタッフとして大きな期待を胸に日本へやってきた。

▼だが、来日一年目で彼女が味わったのは、生まれてはじめてともいえる挫折
感、閉塞感であった。日本企業の、組織を支える年功序列と、女性は男性のア
シスタントという上下関係に否応無く組み込まれたからであった。日本では人
と違うことをするとダメな社員という烙印を押されてしまう。頭の中はハテナ
印???で一杯となる。五輪でも、交流イベントやプロモ-ションをこうやり
たい、ああやりたいと次から次にアイデアが湧いてくる。女の人は会議に参加
しなくてもいいから、通訳だけをしてと言われてしまう。1年が経ちそんな彼
女を見かねた上司が、「小布施堂に行ってごらん。あそこなら面白いことをや
っている。それに甘いものが毎日、食べられる」と言った。聞くや否や、まだ
紹介されてもいないのに単身自転車で長野から小布施まですっ飛んでいった。

▼小布施堂の市村社長は、青い目の金髪娘が飛び込んできて、妖しげな日本語
でまくし立てるのを目を丸くして聞いていた。これは面白いと市村は思った。
セーラも「ここなら私の居場所がある」と直感した。確かに小布施堂は古さと
新しさが同居するユニークな会社であった。市村家は現社長で17代目の江戸
時代から続く名家である。栗菓子、レストラン、甘味処、日本酒製造などを営
んでいた。田園の中に点在する小布施には、江戸の面影を残す民家や土蔵など
の古い歴史と進取の気風が解け込んだ文化風土があった。セーラは小布施堂企
画室に配属された。企画室と言ってもセーラ一人であった。古い米蔵に机と椅
子を運び込んでオフィスが出来あがった。仕事は文化事業の開拓と推進役であ
った。実をいうと、社長は青い目の小娘にあまり期待してはいなかった。

▼男手の多い酒蔵では、挨拶をしても黙っている職人堅気のお年寄りもいた。
皆、フランス人形のような端整な顔つきの金髪娘が何をするのか奇異の目で見
ていた。そんなことにはお構いなし。ここでは私は誰にも期待されていない。
ならばやってやろう。」自由に任されたセーラは俄然、本領を発揮し始めた。
「雑巾がけはたたんでしろ」と社長に叱られた。「大の大人が皆で一斉に掃除
をするのは時間的にも効率的にもナンセンス!」と独自の意見を開陳。しかし
、雑巾がけをするうちに小さな布でも持ち方ひとつで、道具としての命が生き
たり死んだりすることが実感できた。ものを活かす作法こそが日本人ならでは
のもてなしや仕事に通じるのだ。三ヶ月の試用期間が過ぎ、晴れて上司も部下
もいない「企画室長」に肩書きが変わった。

▼セーラはかねてから、文化は高所から論じるのではなく地域に根ざした生き
た文化を継承したいと考えていた。小布施の歴史を勉強するうちに、葛飾北斎
にぶちあった。北斎は晩年、度々小布施に逗留し、肉筆画を残していった。こ
こ市村家にも北斎は逗留していた。人間北斎の息吹を伝えるエピソードも残っ
ていた。封印された玉手箱を開けるようにワクワクしながら北斎に没頭してい
った。誰もしないなら北斎の新たな魅力を自分で掘り起こしてみようと猪突猛
進がはじまった。在住の北斎研究家はもとより、ワシントンのスミソニアン博
物館、ニューヨークのメロポリタン美術館にも行って徹底的に調べた。彼女の
行動力は舌を巻くばかりである。四年に1回スイスで開かれる国際北斎会議を
小布施に呼ぼうと、アメリカでの妹の結婚式の翌々日にベニスに飛んだ。北斎
の世界的権威である教授達に会いに、ベニス、ボストン、東京に飛んだ。

▼小布施の人達は誰もがそんな大それたことは無理だと言った。壁は高かった
。しかしセーラの情熱が閉ざされた世界の学会に新風を巻き起こしたのだ。結
局、98年のオリンピックイヤーに世界の学者や愛好家が小布施に結集した。
町議会は町が主催者になることを決定した。町から予算がつき、県、自治省か
らもついた。入場料や関連グッズなどの売り上げを見込むと2億円規模の予算と
なった。基調講演にドナルド・キーン、議長に国立西洋美術館館長、大英博物
館名誉学芸員らの権威が顔を並べた。セーラはひたすら行動した。野村万作・
萬斎による狂言の特別講演、「開運なんでも鑑定団」など関連イベントも盛り
あがった。セーラがコツコツと世界を駆け回って築いたコネによって、内外1
3のコレクションから出品された北斎展は長野を皮きりに東京・山口を巡回し
た。その入場者数は12万人を超えた。地方発の展示会では画期的な出来事であ
った。柔軟織り交ぜてのイベントは地元での関心を高めた。セーラが街を歩い
ていると頑張ってと声を掛けてくれる人も増えた。企画は大成功に終った。

▼セーラの名があがり、英国オリンピック協会の民間特命大使に選ばれた。こ
の仕事は選手団の切符の手配から、携帯電話の要望など小遣い役のキツイ内容
であった。セーラの猛烈な交渉力はここでもいかん無く発揮された。NTTと
交渉して日本の携帯電話が外国人にどれくらい評価してもらえるかモニター役
を務めると28台を無料で借りてきた。勢いに乗ったセーラは、オリンピックグ
ッズから日本の伝統工芸が抜け落ちているのが残念で仕方なかった。オリンピ
ックカラーの蛇の目傘を思いついた。協会の公認を取り付けるとともに引き受
け手を探したが、それは無理や時間が無いと三十軒に断られた。最後に京都の
内藤商店のご主人が引きうけてくれた。1本の和傘を作るにも、骨組み職人、
和紙職人、編み込み職人、漆職人と何人もの職人が集まってはじめて商品とな
る。セーラは日本人でも知らない和傘の内部まで勉強していた。その情熱が職
人魂に火をつけたのだ。三ヶ月後、オリンピック会場では、五色の蛇の目傘は
実に美しく、優しい世界をぱっと花開かせた。日本ならではの美しさである。

▼蛇の目傘プロジェクトをひとりでこなしたセーラは、五輪のメインイベント
、アン王女主催による英国選手激励会の仕事がいよいよ間近に迫ってきた。長
野市には高級ホテルが次々に出来あがっていたが、セーラは大胆にも小布施で
開催したいと考えていた。離れているためこの案に反対していた英国のグレッ
グ事務総長に小布施を直に見てもらった。古い街並みと豊かな自然に彼の気持
は180度変わった。まず北斎の絵を見てもらってから市村酒造の酒蔵で食前酒
とオードブル。小布施太鼓の勇壮な演奏をBGMに、蔵が並ぶ小道を通って、
古い市村家本家の大広間の座敷に。足元を照らすのは和紙でくるんだ手作り行
燈。大広間では塗りの膳を各自の前に並べ、古式ゆかしく懐石料理を楽しむ。
足がしびれそうになった頃には小布施堂で立食ワインパーティ。小布施名物の
大ダルマに目を入れての選手激励。お土産は和傘。小布施は訪れた英国人達を
魅了した。中でもアン王女の喜びようはひとしおだった。

▼オリンピックの賑わいは長野市にとっては、一過性であった。しかし、セー
ラは手を休めなかった。思い出を小布施の誇りにつなげたのだ。町はセーラが
説く、「住む人が誇りを持つ町」に変わりつつあった。社長は合理化で赤字の
酒造事業をどうしようか悩んでいた。そこで蔵の内部をローコストで改装して
レトルトとアルバイトを使った簡易レストランにする企画を実行した。その案
にただひとり猛烈に反対する社員がいた。セーラである。「蔵人が丹精こめて
造る日本酒にレトルトは合いますか」「ロマネコンチがドライブインを出しま
すか」と社長を質問攻めした。着工五日前に社長は「だったら代替案を出せ」
とセーラに言った。彼女はひるもことなく大構想に突進した。

▼パークハイヤット東京の設計を手がけた世界的なデザイナー、ジョン・モー
フォードを香港まで行って口説き落とした。情熱と小布施の伝統の美しさが超
多忙のモーフォードの心を捉えたのだ。黒塗りの木枠に青いステンドグラスが
嵌め込まれた重厚な扉をずらすと、そこは息を飲むほどの空間が飛び込んでく
る。黒光りする梁をめぐらせた蔵の中央に、三基の竈を並べたオープン形式の
厨房。それを取り囲むカウンターに座ると、きびきびと働く印半纏の男衆の活
気が伝わってくる。今では町の景観に馴染んだ人気スポットになったレストラ
ン「蔵部」の誕生である。かかった費用は当初予算の数十倍であった。

▼セーラの肩書きは、小布施堂取締役兼文化事業部長でとなった。今度は彼女
は酒造りに興味を示したのである。だが、酒蔵は男たちの砦だ。アメリカ娘に
酒の何が分かると無視された。が、彼女は諦めなった。自分の体の内部に日本
の伝統と文化への愛着をしっかり育んでいた。日夜酒の勉強を一からし、晴れ
て欧米人第一号の利酒士に認定された。そしてセーラはこの蔵独自の酒を創り
出す計画に着手した。この時、蔵人と彼女には奇妙な連帯感と信頼が生まれた
。彼女の頭には、ブームの大吟醸ではなくオトーサン達が喜ぶ本当の酒があっ
た。セーラの発想は懐かしさであった。江戸時代の「通い瓶」をモデルに燗に
も使える瓶を陶器で焼いた。杜氏達は金髪娘が社内で孤軍奮闘しながらプロジ
ェクトを推し進める姿を見て、本物を作ってやろうとこみ上げてくるものがあ
った。屋号の□一(マスイチ)から英語で「スクウェアー・ワン」とセーラは
この酒を命名した。セーラはこう言う。「江戸時代のデザインって世界一だと
、いつも思っているんです」と。桝一を背負う新しいブランドの誕生だ。

▼セーラは仕事が一段落するとやっとアメリカに戻った。「日本のことは日本
人がやればいい」とセーラのアメリカの婚約者は怒った。セーラは小布施が無
性に懐かしくなった。そしてプラチナの婚約指輪の代わりに、「蔵元 桝一市
村酒造場」とプラチナ箔で職人に作らせた大きな看板をセーラは選んだ。セー
ラは戻ってきて、昔ながらの看板造りに邁進したのだ。セーラはハンマーを手
に大暴れし、昔ながらの酒造場を復活させた。セーラは止まることをしらない
。職人技が残っている酒蔵を訪ね歩く。そして今、彼女が各地の有志に呼びか
けて、昭和三十年代に廃れた日本酒の木桶仕込みを復活させることであった。
日本全国の蔵元有志を募って、「桶仕込み保存会」の結成準備に奔走している
。それだけではない。小布施堂文化事業部では月に一回、第一線で活躍してい
る文化人をゲストに招き、町の内外から広く参加者を受け入れるイベント「小
布施ッション」を開催している。小布施発の日本再発見である。今日もセーラ
は飛びまわっている。「古きよき日本を残したい、守りたい」と・・・。

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【 みつおか流料理のツボ 】☆★☆★☆★☆★☆★―――――――――――
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●どうでした?つい、力が入りすぎ長文になってしまいました。まだ、いろい
ろ書きたいのですが、後はさらっといきます。ハイ、反省です。



▼古きよき日本の湯治場が山形に残っている。銀山温泉である。その350年
続く老舗旅館・藤屋の女将は、青い目のジニーである。子供の頃着物や芸者に
憧れ、22歳の時に米国ユタ州から英語教師として来日。老舗旅館の若旦那と
恋に落ち、数々の軋轢を乗り越えて着物が似合う女将となる。その藤ジニーは
こう言う。『日本人には、日本が足りないと』と。(日本文芸社刊) 

▼話は飛ぶが学生時代の経営学の授業では、アメリカ発の多国籍企業やコングロ
マリット(水平・垂直統合した巨大大企業)が世界を席巻する勢いであった。今
や、取り組む事業の範囲を得意分野に限定するのが主流である。選択と集中だ。
コングロマリットとして奇跡的に生き残ったのが、ジャック・ウェルチのGEだ
。それは、二十年近くかけて常に学習する企業文化を築いたからこそなし得たの
である。あのIBMでさえ、90年代には「もはや恐竜が生き延びる森林はない
」と揶揄された。時代に取り残されたのである。企業分割して生き残るしかなか
った。誰もが匙を投げたIBMのCEOに就任したルー・ガスナーは、分割を阻
止した。顧客本位の原点に立ち返り、複雑多岐に渡るコンピューターの将来を見
据えてハード・ソフトのソリューションに焦点を絞って復活した。要はどんな企
業でもあぐらをかいていたら取り残される。栄枯盛衰である。

▼セブンイレブン鈴木敏文会長、キャノン御手洗富士夫社長、日産のゴーン、花
王の後藤卓也社長。現在の日本を代表する経営者であるが、彼らに共通するのは
なんであろう。面白いことに誰もがなるべくしてなった保守本流の社長ではない
ことだ。鈴木会長はセブンイレブンを立ち上げる時は、伊藤社長からも大反対さ
れ、イトヨーカ堂からの人はたったの三人であった。御手洗社長はずっとアメリ
カ畑であったが、時の社長の急死で白羽の矢が急遽当った。後藤社長も売上げの
7割を占める家庭事業からではなく弱小の化学品事業出身である。これからの時
代は客観的に見つめ、業界の常識を信じない傍流の社長こそ活躍できるのでは?

▼小布施堂の市村社長も信越化学工業に勤めていたが、社長の兄の死によって家
を継ぐ事になった。若い市村社長はアメリカ的な大量生産・大量販売の時代に逆
行して、「地元の魅力を高めて、外から小布施に客を呼ぶ」という発想をした。
そして青い目のセーラたった一人に任せたのである。彼女は時代がどんなに合理
的に変わろうとも、古きよき日本の文化は不滅だと邁進しつづけている。
 思うに、変えなければいけないことを革新するスピードと、変えてはいけない
ことを守り抜く勇気が今こそ必要なのであろう。でも、言うは易し。変えること
と変えてはいけないことその両者を見分ける判断が難しそうである。行うはさら
に難しであろう。長いお付き合い、ありがとうございました。私も疲れました。
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【今週のみつおかひろしの薀蓄】☆★☆★☆★☆★☆★――――――――― 
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●【マーケティング公理1】「知識や技法はすぐに色あせる。原理原則を身に
                              つけよ!」
 【マーケティング原理2】「部分最適より全体最適。トータルで考えよ」 

●【今週の一言】
 「いま日本人には文明史観が求められている」中西 輝政・京都大学教授
                      『国民の文明史』 扶桑社

 「私は古い町並みが大好きですが、古いものだけに価値を置くと、暮らしは
  窮屈になってしまいます。昔のものを大切にしながらイノベーションを重
  ねていける町が、私にとってはいい町です」 セーラ・マリ・カミングス
        『セーラが町にやってきた』 清野由美 プレジデント社

 「今こそ日本人に求められているのは、日本の文化や伝統などへの深い理解
  を持つことである。国際化とは無国籍化ではない」キャノン御手洗富士夫

 「組織として、つねにあらゆるものから学び、その学んだ成果をすばやく実
  践に取り入れようとする意欲と能力こそが競争力の究極の源泉である」
                         ジャック・ウェルチ

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★☆☆☆☆☆  <<みつおかひろし の編集後記>>  ☆☆☆☆☆★
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■■■■編集後記□□□□
■■■ 牛丼、ついに終ってしまいましたね。学生時代、牛丼に凝って近くの
■■ 目黒の吉野家で、冷凍の牛肉を500グラム分けてもらいました。早速
■ 家で作ったのですが、その脂身の多いこと・・。味付けが難しかったのを
 覚えています。吉野家は隠し味にワインをたっぷり使っているって知ってま
 したか? やっぱり、今なら高級国産牛丼、流行ると思うんですが・・・。


 ■【次回予告】
 次回は、迷ってます。どてらい男列伝にするか? あるいは、温泉ビジネス
 を考えるにしようかです。さて、あなたはどちらがいいですか? 


●アントレプレナー塾 塾長 三丘 大詩(みつおか ひろし)
  http://plaza.rakuten.co.jp/hiroshi777
  http://www.h6.dion.ne.jp/~hiroshi3/index.html







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