~snowflake~ 1.




       ~snowflake~  1.



音もなく降り続く雪。
バルコニーの手すりにも、白く降り積もっている。

静かな部屋に、キーボードを打つ音だけが響いていた。


静か過ぎる・・・。

いつも、電話の呼び出し音や、大声が渦巻く中にいたし、
それが当たり前の日常だった。

ふと手を止めて、ディスプレイの中の言葉を読み返す。


  ~究極のサービス~

  ~癒しの空間~

  ~大人の隠れ家~


キーボードに指を乗せたままため息をつく。



ノートパソコンのふたを閉じ、携帯に手を伸ばす。

着信音なんか鳴ってないのに、携帯を開いてみる。

忙しい時は、返信が面倒なくらいの着信数だったのに。


憧れの出版社に就職できて、
花形とも言える女性誌の編集部に配属された。

それまで、自慢じゃないけど順風満帆とも言える人生だった。
顔もそこそこだし、スタイルも悪くない。
モデル事務所のスカウトに声をかけられたこともあるが、
颯爽と働く女性を目指していた。

でも、仕事が面白く感じていたのはほんの少しの間だけ。
現実は厳しかった。

企画を出しても採用されることが少なくなった。
若い子が悔しいくらい面白い企画を持ってくる。

アシスタントの立場でいることのほうが多くなってきた。

まさか自分がそんなこと考えるとは思ってなかった、
30歳までに結婚して子どもを産むこと。
その逃げ道を考え始めた頃、恋人が去っていった。
自分よりはるかに若い子の元へと・・・。

そして、ついこのあいだ、異動の打診があった。
会社勤めでいる限り、当たり前のことだとわかっていても、
精神的にタイミングが悪すぎる。

新しい部署でやっていけるか不安も大きかった。
女性誌の編集からは、離れるに違いないし・・・。


どんなに頑張っても、一生懸命にやっても、
認められない虚しさ・・・。



癒されたい・・・・・。

誰でもいいから、優しい言葉をかけてほしい。

嘘でもいいから、どこか褒めてほしい。

がんばったね、って言ってほしい・・・。


最後の仕事だと覚悟を決めて、
投げやりな気持ち半分で、
『究極の癒しのサービス』の企画を出したが、
取材の結果で判断すると言われた。

夜の繁華街、高級レストラン、ホストクラブ、エステサロン。
そして、すべてのサービスが集まったシティホテル・・・。

どこも、ありきたりな結果だった。

もうあきらめかけた時、偶然街で会った、
旅行会社に勤めている大学時代の先輩に教えてもらったのが、
この古いホテルだった。

  「でもね、かなりの鉄壁よ。
   取材は一切お断り。 ホームページだってないし。
   でもいちげんさんお断りってワケじゃないから
   それほど閉鎖的でもないんだよね。

   私もね、正直言ってあのホテルだけは
   メジャーになって欲しくないんだ・・・。
   でも行ってみて損はないわよ、絶対。
   ホンモノのサービスがわかると思うよ・・・。」


携帯を置いて、窓辺に立つ。

窓ガラスに映る、自分の顔ごしに、雪が降りていく・・・。

俗世間から隔離されたような寂しさと、
妙なここちよさが入り混じったため息をつく。

  「これから、どうしたいんだろ・・・。

   どうなってくんだろ・・・。」

流されるままに生きていくことだってできる。
とりあえずは正社員だし。
辞めさえしなければ、道を外れることはない。
夢が遠のいても・・・・・。

夢・・・?

ムリに頭の中から、その言葉を振り払った。





時計を見ると、18時を過ぎていた。
夕食は18時半で予約している。
少し早いが、気分を変えるために部屋の外に出た。

懐かしいおもちゃ箱のカギのような単純な造りの、レトロなルームキー。
ちょっとした小物にも、ノスタルジックな気分にさせられる。

木枠のドアが、古い洋画を思い起こさせるエレベーター。
素通りして階段へと向かう。

しっくりと手に馴染む、階段の手すり。
どのくらいの歴史を経てきたんだろう・・・。

初めて来たのに懐かしさで目頭が熱くなる。
こういう木のぬくもりにも反応するくらい疲れているんだろうか。


1階に下りると、階段をはさんでフロントの反対側にレストランがある。
中をうかがうと、若いカップルや老夫婦が
にこやかに食事をしているのが見えた。

階段の前を通り、ライブラリーと暖炉のあるソファーセットへと向かう。
本物の、薪が赤々と燃えている暖炉。
その両脇に、壁一面の書棚。
何日雪に閉ざされていても、きっと退屈はしないだろうと思えた。


ふと、フロントのほうに目をやると、
さっきのコンシェルジュの青年がデスクに着いて
万年筆を走らせていた。

手紙を書いているように見える。

きっとお礼状なんだろうな、と想像しながら、
それだけで、なぜかあたたかい気持ちになるのが不思議だった。


外見はイマドキの若者なのに・・・。

彼はまるで、遠い昔からそのまま現代にやってきたかのような、
古き良き時代の若者のような、
礼儀正しい、物腰の柔らかい、落ち着いた雰囲気を持っていた。

何もかもが不思議で、謎めいていて、
ついじっと見つめてしまう・・・。

その時、こちらの気配に気づいたかのように
万年筆を持った彼の手が止まった。
同時に、手紙を書いていたときの穏やかな表情のまま
ゆっくりと顔を上げる。

ずっと見ていたことに気づかれていたのかもしれない。
後ろめたさを感じながらも、目をそらせなかった。

すぐに彼はごく自然に微笑むと、柔らかに会釈した。
そして顔を上げると、わずかにこちらの様子を伺う。

それは強い意志を感じさせない、
それでも、こちらが何を欲しているのかを伺おうとする、
さりげない気配りを感じさせるものだった。

絶妙な表情・・・・・。

訓練してできるようになったのか、
それとも、天性のものなのか・・・。

それはほんの一瞬の表情だった。
あまり長いと、押し付けがましく感じられただろう。

気にはかけているが、ムリに引き出そうとはしない。

でも、声をかけやすい雰囲気にしてくれた・・・。

その証拠に、彼は静かに万年筆を置いた。
それは彼がこちらに向けて、あえて見せた隙に違いなかった。


その隙に誘われるように、コンシェルジュのデスクへと足が向かう・・・。


これまで、仕事でたくさんの人間と接してきた。
優しい笑顔で気さくに話しかけてきても、印象通りではない人もいた。
正直すぎたりお人好しすぎると、仕事は大抵うまくいかないし。
駆け引きや抜け駆けは当たり前で、
人を疑ってかかることが癖になっていた。


でも・・・・・。

話がしたくなる。
どんな些細なことも、グチさえも、
優しい笑顔で聞いてくれそうな気がする。

遠い日の初恋のような、わずかな胸の痛みに戸惑いながら、

今度はしっかりと意志を持った瞳でこちらを見ている、
彼の元へと向かっていく。

便箋を閉じ、一段とはっきりとした笑顔でゆっくりと席を立つ。
その無駄のない流れるような動きと、立ち姿の美しさ・・・。


涙がこぼれそうになる・・・。

こんな自分を迎えてくれる。
こんなに優しい微笑みで・・・。

それは、訪れる客の誰にでも見せる微笑みとわかってはいても。

ただ、それだけで・・・。


そう、

それだけで、いいんだ・・・。

今の自分にとっては・・・。


何も考えずに、心のままにいればいいんだ。
強がったりせずに、素直な気持ちで。

いったい自分はどこにいるんだろう・・・?
そんな不思議な気持ちにさせる場所。


ここに来てよかった。

それだけが、確かな気持ちだった・・・。




          *  *  *                



  「西山様、いかがなさいましたでしょうか・・・?」

  「あ、・・・・あの・・・・・。」

用件など何もなかった。
ただ、何かに導かれるようにここに来ただけだった。


コンシェルジュの青年は変わらない笑顔で目の前に立っている。

不意に、さっきのレストランの光景が浮かんだ。


  「夕食を・・・、部屋に持ってきていただきたいんです・・・。」

  「かしこまりました・・・。 
   それでは、ご予約と同じお時間でよろしいでしょうか・・・?」

  「あ・・・はい・・・。」

木のぬくもりを感じられる内装のレストランには興味があった。
でも、何か用件を言わなければいけないような気がして・・・。

  「・・・失礼ですが、西山様・・・?」

  「えっ? はい・・・。」

  「ご夕食はレストランでのご予約と承っておりましたが・・・、
   何か、不手際でもございましたでしょうか・・・?」

  「あ、いえ、そんなことありません。 ・・・あの・・・。」

  「よろしければ、お伺いいたします・・・。」

  「なんだか・・・、ひとりきりでフルコースをいただくのが・・・。
   ・・・なんとなく・・・ちょっと・・・。」

  「さようでございましたか・・・。
   もちろん西山様のご希望に副わせていただきますが・・・。
   おひとりでも、他のお客様がお気になられないようなお席を
   ご用意させていただいております。
   いかがでしょうか・・・。
   よろしければ一度、お席をご覧になっていただいては・・・。」

  「はぁ・・・。」

  「その後で、お食事の場所を、
   お決めいただいてもよろしいかと・・・。」

  「いいんですか?」

  「はい、お差し支えなければ・・・。」

  「じゃあ・・・見せていただきます・・・。」

  「かしこまりました。 それでは・・・。」

彼は机の上の便箋を、デスクの引き出しに仕舞うと
胸の内ポケットから鍵を取り出し、ロックした。

  「お待たせいたしました。
   どうぞ、こちらです・・・。」

斜め前に立って、少しだけ先に歩きだす。
こちらの歩調に合わせているのがわかる。

サービスって、ひとつの流れだけではないんだ・・・。

表向きの客の要望だけでは
さっきのやり取りも途中で終わっていたはず。

本心を引き出し、選択肢を与えてくれる。
それだけで世界が広がることもある。


こちらを気遣いながら、少しだけ先に歩く姿にも、
ここちよさを感じずにはいられなかった。

“おもてなし”を堪能させてもらおう。
仕事のことなんか忘れて。
ここに来た、本来の目的はもうどうでもいい・・・。

心からくつろいで、いい気分で滞在する。
それが目的の場所だから。

そうしないと本当のことなんか、ひとつも書けないような気がする。





レストランの入り口には、上品に微笑む年配のマネージャーらしき男性がいた。
用件を訊くこともなく、笑顔で頭を下げて通してくれる。

クラシックの室内楽がかすかに流れてくる。
客の話し声と混ざって、ほどよいトーンでレストラン全体を包み込んでいる。

何人かのギャルソンが、にこやかに
優雅な身のこなしでサービスをしている。

まるで外国映画のワンシーンのようだ。

まわりを見渡しながら歩いていると、

  「こちらでございます・・・。」

彼の声で無意識に立ち止まった。


正方形の、年代もののようなこげ茶の木のテーブル。
すでにセッティングも済ませている。

レストランの角のテーブル。
いちばん落ち着けそうな場所だ。
普通なら、ひとり旅の自分にはあてがわれないような席。

壁に向かって斜めに配置されたテーブルからは、
窓の外の雪も眺めることができるし、
他の客もほとんど目に入らない。
かといって、完全に窓に向かっているわけでもなく、
レストラン全体を見渡せる席だった。

  「ここで・・・? いいんですか・・・?」

信じられないような気持ちで彼を見ると、
これまで見せたことのなかった、人懐っこい笑顔。

  「お気に召していただけましたでしょうか・・・?」

  「・・・・・。」


編集部のアラフォー連中がよく言ってる
“胸キュン”って、まさにこのことなんだ・・・。


写真に撮りたい。

彼を取材したい。

いろんな笑顔を、真剣に仕事に取り組む姿を、
目を伏せて、静かにお礼状をしたためている姿を、
すべて、フレームの中に収めて、閉じ込めて・・・。

自分が書いた記事と、ページに配される彼の写真が
もう頭の中でできあがっている。

誰にも教えたくない・・・けど。

自分が思い描いていた特集記事ができる。

これまで出会ったことのないタイプだった。


あの絶妙な表情。

流れるような身のこなし。

心遣い溢れる言葉。

落ち着いた、耳ざわりのよい声。

そして時折見せるだろう、人懐っこい笑顔。



  「ありがとうございます・・・!
   ぜひここで・・・。」

  「こちらこそ、ありがとうございます・・・。
   すぐに、お食事をお持ちいたします。」

  「あ、いえ、着替えてきます。」

特別な場所を用意してくれたんだから・・・。
少しだけ、オシャレをしてみようと思えた。

  「さようでございますか・・・。
   それでは、のちほど・・・。」


お互いに、少し打ち解けたように微笑み合って、
一緒にレストランの外に出た。


  「ありがとうございました。
   ホントは、レストランでいただきたかったんですよね・・・。」

  「さようでございましたか・・・。
   ルームサービスもございますが、
   やはりレストランでお召し上がりいただいたほうが
   お食事をよりお楽しみいただけることと存じます・・・。」

  「はい・・・、ホントに、楽しみです。」

  「ありがとうございます・・・。
   また何かございましたら、ご遠慮なくお声をお掛けください・・・。」

  「はい・・・。 あの・・・。」

  「コンシェルジュの高島と申します・・・。」

  「高島、さん・・・。」

  「はい。 なんなりとお申し付け下さいませ・・・。」

  「ずっと、こちらにいらっしゃるんですか?」

  「デスクは10時まで開けております。
   その後は、フロントにお申し付けいただきましたら、
   すぐに参りますので・・・。」

  「あ、いえ、時間外なんかには・・・。」

  「お困りなことがございましたら、いつでもお呼び下さいませ・・・。」

  「・・・はい・・・。 あ、じゃあ、ここで・・・。」

  「はい。 失礼いたします・・・。」



階段を上っていくまで、彼がその場から動かずにいる気配を感じていた。

これまでの数分だけでも、究極のおもてなしを見た気がした。

一旦2階に上りきっても、
どうしても気になって、そっと階下を覗いてみる。

すでに彼の姿はなかった。

もう少し下りてデスクの方を伺う。

誰もいない。

踊り場まで下りて、フロントへと目を移すと、
彼はフロントの若い女性と書類を見ながら真剣な表情で話をしていた。

初めて見る、引き締まった表情に、思いがけず胸が疼いた。

まるで片想いの女の子みたいだ・・・。
自分がおかしく思えてくる。

今だけ。 現実から離れたこの場所でだけ・・・。
素直な気持ちでいると決めたんだから。

コンシェルジュデスクの電話が鳴った。
その瞬間、急にあの笑顔になって、フロントの女性に会釈すると
早足でデスクに戻り、電話を取る。

笑顔で応対しながら、彼は素早くデスクの下からインカムを取り出し
ジャックを電話に差し込むと耳に当て、受話器を置いた。
そしてパソコンのキーボードを叩き始める。




 “取材は一切お断り”

先輩の言葉が頭に浮かんだ。

でも・・・。



取材の対象として興味があるのか、
それとも・・・?



自分でも説明がつかない感情に、戸惑うばかりだった・・・。




つづく。


                      05,Sep.2009



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