宇宙は本の箱

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六次元講義(11) 宇宙の法則


ずうっと一様にどこも同じ法則が現われておるのです。
ところがその中におる私達は、一人ひとりは個人であり、それを個と言います。

この大宇宙は全であり、我々個人は個であって、この全体と個の間に微妙な働きがあるのです。

まあ、私達の体の中の細胞一つ一つは個であります。ところが私達の体全体、魂と心が融けておる、それは全であります。

この我という全体の中に細胞一つひとつが個として融けておる。
これはまことに不思議な世界でありまして、その一つひとつの個の中に、細胞一つ一つの中に、我という全体がこもっておるのです。

人間の首では実験したことがないのですが、馬などで、馬の首をポンと切って、ある特殊な波動を起こさせて、それによって全体を描き出すような(キルリアン写真)、そういう写真の撮り方が研究されておって、頭から首までをそういう機械で撮ると、ずうっと前足から胴中から後ろ足から尾まで、全体がぼうっと写ってくる、そういうことがあるのです。

木の葉でも、木の葉のある部分を残して、あとを切り捨てて、そこをそういう機械で写真を撮ると、ずうっと伸びた葉の全体がぼうっと写るのです。

これは一部の中に全体がずうっと含まれておる、含まれておるから、それが写真に姿として現われてくる。そんなふうにこの心の中、小さい一つ一つの細胞の中に全体の魂が融け込んでおる。

特に細胞には核という中心があるのですが、タバコを吸ってニコチン中毒になっておるような、そういう人のそばへタバコの匂いを持っておるものが近付いていくと、核がそちらの方へ近付いていくのです。酒も同じことです。
そんなふうに、私達の心全体で持っておるものは、細かい細胞にまでしみ込んでいる。そして一つ一つの細胞が独立して一つの心のようなものを持つ。
そんなふうに全体と中に含まれる個というものは一つに融けておる。

大宇宙は大きな法則が流れておるが、その法則は理であって、理というのは理論で押していく一つの道であって、法則そのものは力がない。ただ生命エネルギーが流れておる道です。

私達の心が愛情に燃えてどうしても助けるぞ、という、そういう炎のごとく燃え上がる、これは個です。
我個人の自由意志によって燃えあがると、大宇宙に流れている法則、
「全」全体に流れている法則の中に融け込んでいる。そのとき全と個が一つになる。
大宇宙と我とが一つに融ける。
そうなって大宇宙の法則の中に我がエネルギーが融けて燃えあがる時、
その時、大きなエネルギーが宇宙の法則の中を流れるのです。

これを神通力と宗教では言います。

哲学の方ではまだそれにしっかりした言葉がないのです。こういう世界を哲学の方で解剖した者がおらんのです。今までの哲学者たちが、この神通力というものを哲学的に解剖し、それを活用する道を理論づけ、実際に活用した哲学者というものはいまだかつていないのです。
ですから大抵の哲学者は空論空論になって本当の神通力を出すことを知らない。
また神通力を出そうとして頑張るだけの人は宗教に走り、迷信に結びつく。そういう傾向が今までずうっと、人が哲学するようになってから3千年くらい経つかなあと思うんですが、その間、哲学と神通力とが結びついて正式に神通力が哲学された事が未だないのです。


福来博士はその神通力があることを証明され、それを哲学的に解剖する仕事を残してこの世を去られたのです。
亡くなるとき、「仕事を残してゆくは残念!」と奥様に申され、
「福来友吉第二世生まれる!」と大きな声で三べん叫んでそれから亡くなったのです。
福来博士の学問に対する情熱はほんとに素晴らしかったんですが、生命力は続かず、八十二歳でこの世を去られました。そのあと私がこの仕事を受け継いできたわけです。

その個と全体が結びつき、宇宙の理の中に個が融け込んで、心の中に燃えあがる愛の情熱がエネルギーとなって不可能と思われることも可能にするようなすばらしい神通力の出てくる法則を六次元論として編み出し、それを応用すれば誰でも神通力者になれるという・・・
宗教をもってこないで、偶像崇拝をやってお経をあげてオゲンポンポと叩いたり、寒中に死ぬような思いをして滝に打たれて体がしびれて流されていくような、そういうがむしゃら信仰ではなくて、ほんとに宇宙の理の中に我が個が融け込んで情熱が燃え上がる、
その時に神通自在になる六次元の法則を考えたのです。




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